2012年5月13日(日)
「国策」とは言わせない
東京で講演 茨城・東海村の村上村長
廃炉へ重い決意
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原発の立地する全国の市町村で唯一、廃炉を訴えている茨城県東海村の村上達也村長を講師に招いて12日、東京都内で集会が開かれました。主催は放射能からみんなを守る港の会で、130人の参加者が会場を埋めました。
同村は、1957年に日本で初めて原発の火がともったことで知られ、現在も東海第2原発が立地するなど原子力産業の一大拠点になっています。
村上村長は99年のJCO臨界事故について、「『国策』だからという理由でわれわれは思考停止になっていた」と当時を振り返りました。
東海第2原発の半径30キロ圏内には全国の原発でも最多の90万人超の住民が暮らしています。村上村長は「福島と同じような事故が起きれば、賠償は到底できない」と指摘。「『交付金を増やせ』といってきたことが事故につながった」として、全国の原発立地自治体などでつくる「市町村協議会」の副会長を自ら辞任したことも明らかにしました。
会場の参加者からは全国64の市区町村長らで結成した「脱原発をめざす首長会議」への参加を村長が決めた経緯や、地元の反応などについて多くの質問が出されました。
主催者代表で、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団の馬奈木厳太郎弁護士が福島県の現状を報告。「被害者の多さと被害の多様さに、1年たっても提訴は進んでいません。弁護士と話をしたことがないという被害者がまだたくさんいます」と話しました。