2012年5月4日(金)
「憲法と相いれない現実」を変えよう
憲法集会 志位委員長のスピーチ
3日、東京・日比谷公会堂で行われた「輝け9条 生かそう憲法 平和とくらしに 被災地に 5・3憲法集会」で日本共産党の志位和夫委員長が行ったスピーチを紹介します。
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みなさん、こんにちは(「こんにちは」の声、拍手)。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。(拍手)
憲法施行65周年の憲法記念日にあたって、私はまず、日本国憲法を守り、生かし、平和的・民主的原則が花開く日本をつくるために、力をつくす決意を申し上げるものであります。(拍手)
憲法を生かした日本をつくるたたかいは、「憲法と相いれない現実」を一つひとつ変えるたたかいと一体のものです。今日は、いま私たちが直面している「憲法と相いれない現実」について、三つの角度から考えてみたいと思います。
人々の生活と生存そのものを奪う原発事故――力あわせ「原発ゼロの日本」を
原発事故は多くの人々の生活、生存、幸福を奪いつづけている
一つは、「原発と日本国憲法」という問題です。
福島原発事故の被害は、事故から1年2カ月後のいまも拡大しつづけています。今なお約16万人の方々が避難生活を強いられ、そのうち6万人は故郷を遠く離れた県外での避難生活を余儀なくされています。
役場機能を埼玉県加須市に移転した双葉町の井戸川町長は、野田首相に対して、こう詰め寄ったといいます。「私たち双葉郡民を日本国民と思っていますか。法の下に平等ですか。憲法で守られていますか」。首相は「大事な国民です」(笑い)と答えたといいますが、町長が訴えたのは憲法の埒(らち)外においやられたことへの無念さだったと思います。首相の「答え」は答えになっていないのではないでしょうか。(拍手)
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原発事故は人々の生存そのものを奪っています。昨年6月に相馬市の酪農家が「原発さえなければ」と壁に書き残して自殺しました。復興庁の最近の集計では、避難で体調を崩し亡くなったり、自殺したりなど「震災関連死」と認定された方は、10都県で少なくとも1618人にのぼりますが、そのうち福島県が最も多い764人であり、その8割の約650人は双葉郡や飯舘村など避難区域のある11市町村だということです。原発事故は、急性の放射能障害による死者こそ出していないものの、多くの人々の命を奪いつづけているのです。東京電力はいまだに事故を「人災」と認めていませんが、彼らがやったことは社会的犯罪以外のなにものでもありません。(大きな拍手)
浪江町は、復興ビジョンの策定にあたって、「子ども向けアンケート」を行っています。それを拝見しますと、子どもたちが今住んでいる場所は、「中通り」が42・5%、「会津地方」が3・9%、「福島県外」が40・2%、あわせて86・6%が故郷から遠く離れて暮らしています。「今住んでいる場所とは別に住んでいる家族がいますか」との問いに対して、49・4%の子どもたちが「いる」と答えています。約半数の子どもたちは家族がバラバラになり、一緒に暮らせなくなっているのです。「今の生活で困っていることは何ですか」との問いへの答えの断トツ第1位は、「浪江の友だちと会えなくなった」で78・6%であります。「大人になったとき、浪江町はどんな町になってほしいですか」という自由記述には、「もとのなみえ町にもどってほしい」という故郷への強い思いが切々とつづられております。
原発と日本国憲法は両立しえない
日本国憲法の前文には、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とうたっています。憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……最大の尊重を必要とする」と明記しています。
ところが、福島県では、これらが根底から損なわれているではありませんか。地域社会が丸ごと避難をせまられ、「震災関連死」が後をたたず、子どもたちが家族とも、友だちともバラバラの生活を強いられる。福島県だけでなく日本全体に被害と恐怖は広がっています。原発と日本国憲法は両立しえない――これはいまや明瞭ではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手)
「電力需給のために、多少の危険に目をつぶれ」という議論は成り立たない
明後日、5月5日には、北海道泊原発が止まり、稼働する原発がゼロになります。私は、これは国民のたたかいが原発固執勢力を追い詰めた第一歩の重要な成果だと考えるものであります。(拍手)
同時に、無謀な再稼働の押し付けとのたたかいは、これからが正念場となります。私が許せないのは、与党幹部の一人が、再稼働ができなければ「電力不足」で「集団自殺」になると脅したことであります(どよめきの声)。しかし、「電力不足」といいますが、その根拠は示されていないではありませんか。それにくわえて、私は、再稼働と電力需給をてんびんにかけようという議論そのものがまちがっていると思います(拍手)。「電力需給のためには、多少の危険に目をつぶれ」という議論は、こと原発に関しては成り立たないということを強く訴えたいのであります。(大きな拍手)
みなさん。無謀な再稼働をやめさせ、原発という「憲法と相いれない現実」をなくそうではありませんか。力をあわせて「原発ゼロの日本」をつくろうではありませんか。(大きな拍手)
安保条約という「憲法と相いれない現実」をなくし、9条が輝く平和日本を
二つ目は、「日米安保条約と憲法」という問題です。
4月27日に日米両政府が発表した「米軍再編に関する日米共同発表」、5月1日の日米首脳会談でかわされた「共同声明」は、きわめて重大な内容をもっています。
安保条約の名のもとに沖縄をふみつけにする政治を許してはならない
一つは、沖縄県民が一致して反対している普天間基地の「辺野古移設」を「唯一の有効な解決策」と固執するとともに、「沖縄における米軍駐留の長期的な持続可能性を強化する」と将来にわたって米軍基地の居座りをつづけると宣言したことです。沖縄県民の頭越しの「日米共同声明」に強く抗議したいと思います。(拍手)
1971年、祖国復帰直前に、琉球政府の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)主席が日本政府にあてた「建議書」はつぎのように訴えていました。「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからに外なりません」。殺人、暴行、「銃剣とブルドーザー」による土地強奪、絶え間ない事故と犯罪、筆舌につくしがたい米軍基地の重圧に苦しんだ沖縄県民は、平和憲法のもとに復帰することを希求したのであります。
しかし、復帰とともに県民の前に立ちあらわれてきたのは、平和憲法ではなく、安保条約という野蛮な力でした。それはいまなお猛威をふるい、「基地のない沖縄」への最大の障壁となっています。琉球新報は4月28日付の社説で、「沖縄をいつまで日米安保の踏み台にするのか」と指弾しました。
安保条約の名のもとに、日本国憲法が保障したはずの平和、人命、人権をないがしろにする政治を、もはやこれ以上許してはなりません。(「そうだ」の声、拍手)
「動的防衛協力」――「集団的自衛権」行使への道を絶対に許すな
いま一つ、「日米共同声明」にはきわめて重大な問題があります。それは、日米の「動的防衛協力」を初めてうたったことです。
「動的防衛協力」とは何か。米軍と自衛隊が、海外に打って出て、共同の軍事行動を行うことです。グアムとテニアンに、日本国民の税金を投入して、日米両軍が共同使用する「訓練場」を建設し、共同訓練を行い、有事に共同行動をする能力を高める――ここまで「日米共同声明」には明記されています。政府は、有事の共同行動の具体化の一つとして、イランによるホルムズ海峡封鎖のさい、自衛隊による米軍艦船への給油、機雷除去などを検討していると報じられています。
憲法9条を踏み破り、「日米が海外で肩をならべてたたかう」――「集団的自衛権」行使への道を絶対に許すわけにいきません。(大きな拍手)
憲法か、安保か――どちらが21世紀の日本の羅針盤にふさわしいか
この道を進もうとすれば、どうごまかそうとも憲法9条とは両立しなくなります。この間、衆参両院の憲法審査会が始動し、自民党、みんなの党など改憲各派が憲法改定案を発表し、そのどれもが9条改定に標的をあわせているのは偶然ではありません。
今年は、憲法施行65年であるとともに、日米安保条約が発効して60年の年です。その歴史は、憲法と安保の激しい攻防の歴史でしたが、ここに来て、憲法と安保とはいよいよ両立できなくなったとの感を深くいたします。
みなさん。憲法か、安保か――どちらが21世紀の日本の羅針盤にふわさしいかが問われています。日米安保条約という「憲法と相いれない現実」をなくし、基地のない沖縄と日本、憲法9条が輝く平和日本をつくろうではありませんか。(大きな拍手)
橋下・「大阪維新の会」の危険――人権と民主主義守る国民的共同をよびかける
荒唐無稽な理屈で憲法9条への憎悪をむき出しに
三つ目に、私は、橋下・「大阪維新の会」にふれないわけにはいきません。(拍手)
「維新の会」は国政進出を狙って、「維新八策」原案なるものを出しました。そこには9条改定の国民投票、参議院の廃止など、憲法改定の主張が明記されています。どれも、手あかのついた古い改憲論のむしかえしです。橋下氏は、“(被災地の)がれき処理が進まないのも9条のせいだ”などという(笑い)、荒唐無稽な理屈で9条への憎悪をむき出しにしています。「維新八策」は、坂本竜馬の「船中八策」をもじったものだそうですが、竜馬が怒っていると思いますよ。(笑い、拍手)
憲法で保障された基本的人権を土足で蹂躙する恐怖政治・独裁政治
ただ、この潮流は、ただの改憲派ではありません。人権と民主主義を窒息させる憲法違反の政治を、口で言うだけでなく現実に実行しているところに、特別の危険があると、私はいわなければなりません。(大きな拍手)
大阪市の全職員対象の「思想調査」、府立高校の「君が代」斉唱のさいの「口元チェック」、「教育基本条例」と「職員基本条例」――そのすべてに流れているのは、憲法で保障された思想・信条・良心の自由、教育の自由を土足で蹂躙(じゅうりん)し、「(国民)全体の奉仕者」であるべき公務員を橋下氏の「下僕」に貶(おとし)め、人格を丸ごと隷属下に置こうとする恐怖政治・独裁政治以外のなにものでもありません。(「そうだ」の声、大きな拍手)
この「憲法と相いれない現実」に、目をつぶったり、傍観することは許されない
みなさん。日本国憲法第12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とのべています。私は、橋下・「維新の会」という「憲法と相いれない現実」に、目をつぶったり、傍観することは、許されないと思います。
橋下氏は、貧困を利用し、国民に分断を持ち込み、危険な道を押し付けようとしています。ならば、国民的連帯でこたえようではありませんか。私は、この歴史の逆流の野望を打ち砕くために、人権と民主主義を守る国民的共同をつくることを心から呼びかけるものです。(大きな拍手)
ありがとうございました。ともに頑張りましょう。(歓声、大きな拍手)