2012年5月4日(金)
いまメディアで
憲法ないがしろにする巨大メディアの堕落
東日本大震災から1年余がたつのに一向にすすまない復旧と復興、いまだ約16万人が避難生活を強いられる福島第1原発事故の被害、住民の生命と安全を脅かし続ける米軍基地の現実…。憲法とあまりに乖離(かいり)する現実をどうただしていくのかが問われています。
ところが、大手メディアから出てくるのは憲法を変える話ばかり。65回目の憲法記念日にあたって、憲法を生かす立場であるべき方向を論じた全国紙が一つもないところに、巨大メディアの堕落ぶりが表れています。
真正面から改憲あおる
特徴の一つは、自民党、みんなの党などが続々と改憲案を提示している状況を、これ幸いと、「与野党は憲法改正の論議を深め、あるべき国家像を追求すべきだ」(「読売」)「改憲論議を前に進めるときだ」(「日経」)などと、真正面から改憲論議をあおっていることです。
これらに共通しているのが、大震災に便乗して「緊急事態法制」を提起していることです。しかし、戦前、天皇に緊急勅令や戒厳令などの「大権」を与えたことが侵略戦争と国民抑圧を招いたことへの反省から、日本国憲法には「緊急事態」規定を盛り込みませんでした。悪名高い治安維持法の改悪(最高刑を死刑に)も天皇の勅令でおこなわれました。
緊急事態法制は、この歴史の教訓を学ばず、大災害などを口実に国民の基本的人権を広範に制限し、首相に強大な権限を与えようとするものです。
いま必要なのは「まず統制」ではなく、生存権や幸福追求権を明記した憲法の精神にたって、被災者に寄り添った復旧・復興策をすすめることではないのか。逆に震災を奇貨(きか)として、改憲論議にはずみをつけようなどというのは、本末転倒といわなければなりません。
「1票の格差」にかこつけて
もう一つ目立つのは、憲法記念日にかこつけて、「1票の格差」をめぐる「違憲状態」をことさらに強調し、国会や政治家に「猛省」を迫る議論です。
「朝日」は論説主幹の論評を1面に掲載。「1票の格差」の「違憲状態」のもと、政治家が「憲法の将来」を論じるのは「たちの悪い冗談だ」とまで非難しています。「読売」は「違憲状態を放置して憲法記念日を迎えたことを猛省すべきだ」と論じました。
いま選挙制度で問われているのは、民意をゆがめ、政治を劣化させる弊害が明らかになっている小選挙区制を中心とした現行制度を存続・固定化するのか、民意を反映する制度へ抜本改革するのかということです。比例代表中心の制度に抜本改革すれば「1票の格差」もなくなります。
衆院の選挙制度協議会では、民主党以外のすべての党が小選挙区制の弊害を認め、多くの野党が抜本改革を提起しています。
もともと、憲法が要請するのも、民意を鏡のように正確に反映する選挙制度です。
「朝日」主幹が提起するような「小選挙区の『0増5減』」という「一番手っ取り早い」案は、小選挙区制の固定化を前提とした案です。自民党が提起し、民主党が比例定数削減につなげるために固執しています。これこそ、憲法の要請にそむく最悪の道です。
小選挙区制導入の際、「朝日」を含めた大手メディアは、幹部を政府の第8次選挙制度審議会に参加させ、小選挙区並立制を答申した過去があります。「政権交代の実現」を錦の御旗に、憲法が求める民意の正確な反映に背を向けておきながら、小選挙区制の害悪をただそうという動きまで「憲法を尊重する気があるのか」などと非難することこそ、「たちの悪い冗談」です。
皮肉にも、同じ日の「朝日」国際面では、米法学者らが188カ国の憲法を分析した結果として、日本国憲法が「今でも先進モデル」だと結論づけたと報じています。だとすれば、いまこそ憲法を生かした日本の国のあり方こそ、メディアとして提起すべきではないでしょうか。
政治部長 藤田 健