2012年5月2日(水)
水俣病犠牲者を追悼
公式確認56年 救済打ち切りに批判
熊本
水俣病公式確認から56年の1日、水俣病犠牲者を追悼する式典が熊本県水俣市内で営まれました。
式典では水俣病患者を代表して胎児性患者の永本賢二さん(52)が、学校でのいじめなどつらい体験や将来への不安を訴え、「チッソや国は終わっていない水俣病患者の苦しみを本当にわかってほしい」と語りました。
式典に先立ち細野豪志環境相と水俣病被害者10団体との懇談があり、水俣病の症状がありながら患者と認定されない被害者救済の申請受け付けを国が7月末で締め切るとした問題について、多くの団体から疑問と批判が集中しました。
細野環境相は被害拡大の責任を謝罪した上で申請期限設定に理解を求めましたが、被害者の一人は震える手でマイクを握り「口では謝罪しながら自らの都合を押し付ける。患者をバカにするのもいいかげんにして」と激しく怒りをぶつけました。
細野環境相は「国としてこれで終わりとするようなことはない」と弁明しましたが、「水俣病不知火患者会」の大石利生会長の「8月以降に自分も水俣病じゃないかと気づいた人はどうすればいいのか」との問いには答えませんでした。
水俣病 1956年5月1日に発生が公式に確認された公害病。化学企業チッソの垂れ流した排水で有機水銀に汚染された魚介類を多食した住民が神経中毒に侵されました。手足のしびれ、視野が狭くなるなど症状は多岐にわたります。
被害者のたたかいで約2200人が患者と認定されて被害補償を勝ち取りましたが、国は認定基準を狭め、多くの患者を切り捨てました。厳しい認定基準のため患者と認められない住民を救済する制度には5万人を超える人たちが被害補償を求めています。