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2012年4月29日(日)

祖国復帰40年 基地ない沖縄返せ

4・28海上集会再現

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 日本を形式的に「独立」させたサンフランシスコ条約と「全土基地化」を明記した旧日米安保条約が1952年4月28日に発効して60年。28日、「沖縄の祖国復帰」を願い、沖縄と本土が連帯し、1963年から毎年、4月28日に北緯27度線で行われてきた海上集会が再現されました。「4・28」はサ条約で沖縄、奄美、小笠原が本土から切り離され、沖縄の人々にとって「屈辱の日」。本土では日本の独立以後は全面撤退するはずだった米軍が安保条約をたてに居座ることになった日でもあります。 (山形将史、山田英明)


写真

(写真)北緯27度線付近で祖国復帰40周年を記念して行われた「海上集会」=28日

 午前10時、沖縄本島最北端の国頭村。曇天の中、「沖縄を返せ」の歌が響く宜名真(ぎなま)漁港を、10隻の船が汽笛をとどろかせて出発しました。

 沖縄復帰40年記念事業の一環として同村と鹿児島県与論町の共催で再現された海上集会は、63年から沖縄と本土の境界線だった北緯27度線上の海上で開催されていました。

 港から約1時間半、波が船体にゴツン、ゴツンと打ちつける中、沖縄側(国頭村)と本土側(与論町)の船が徐々に接近。指笛と汽笛が響く中、参加者が互いに固く手を握り合いました。

 海上で調印された「友好平和宣言」は、72年5月15日の祖国復帰から「早くも40年の月日が経過したが、未(いま)だに全国の米軍施設の74%が沖縄県に存在し、今でも事件・事故が後を絶たないのが現状である」と指摘。「戦後67年の歴史をきちんと互いに理解し、これからも後世に歴史を伝えていく責務がある」と呼びかけました。

 65年の海上集会に参加した男性(68)=浦添市=は、「今でも毎日のように基地をめぐる事件・事故が起き、解決すべき課題が残っています。集会が決意を新たにする機会になってほしい」と語りました。

 小学1年生と4年生の息子を連れて北谷町から本島最北端の辺戸岬に来た女性(39)は、「宜野湾市出身なので、米軍基地の問題はいつも気になっています。復帰以前のことや復帰当時のことを知りたいし、子どもにも知ってほしい」と海上を見つめながら語りました。


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