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2012年3月12日(月)

東日本大震災1年

復興・原発ゼロ 誓い新た

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写真

(写真)午後2時46分、被災者やボランティアらが海の方向を向いて黙とうしました=11日、福島県郡山市富田町若宮前仮設住宅

 東日本大震災から1年を迎えた11日、被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県を中心に犠牲者を悼む行事などが行われ、列島は深い悲しみと復興への願いにつつまれました。東京では、政府主催の追悼式が開催されました。住まいや生(なり)業(わい)の再建など被災地の課題は山積。東京電力福島第1原発事故も「収束」にはほど遠いのが現実です。被災者本位の復興を求める切実な声が各地で聞かれました。



「被災者本位」求める声

被災地、終日の追悼

岩手

 岩手県宮古市田老の仮設住宅の前で、雪かきをしていた女性(65)。1年前は大津波警報を2回聴いて自宅を出ました。四つんばいになりながらも近くの山に登り、大津波から逃れたと言います。しかし、別の家にいた兄を亡くしました。女性は「自分なりに前向きにがんばりたい」と述べます。

 大槌町の仮設住宅に住む男性(62)は、家族3人が今も行方不明のまま。「半分は諦め、半分はまだ現れる気がする」。死亡届は出しましたが、葬儀はしていません。「一歩一歩、立ち直るしかない」

 大船渡市の大船渡湾では、大津波を想定し、漁船が沖合に避難する訓練と追悼が行われました。今も行方不明の漁師、当時(70)=の義弟(57)は「どこかにいればいいが、もう1年がたってしまった」と話しました。地元漁協の男性(51)は「いつまでも引きずっていられない。仲間を忘れずがんばっていく」と力強く語りました。

宮城

 宮城県気仙沼市の追悼式会場。「複雑な気持ち」と語るのは女性(47)です。祖母、両親、めいが行方不明です。「どんな姿でもいいから見つかってほしい」。献花を終えた女性(67)は「前を向いていくしかない」と語りました。

 石巻市内北上町十三浜で、幼なじみの男性宅を訪ねた仙台市の男性(64)は、「1年もたつのに、行方がわからない。どこにいるのか」と、津波で更地になった家の跡を見て、悔し涙をうかべました。

 残された遺品や写真が少ないと知って、「遺族の心のよりどころになるように」と、中学の同窓で還暦を一緒に祝った際の記念写真を持ってきました。笑顔で写った21人のうち、行方不明の男性を含めて3人が津波に流されたといいます。

福島

 大地震が起きた午後2時46分、福島県富岡町や川内村の避難者が暮らす郡山市富田町若宮前仮設住宅では、被災者とボランティアら約250人が海のある方向に向かって黙とうしました。

 「私たちのことを忘れないでほしい」と話すのは女性(31)。富岡町からの避難者です。「働いている会社はカメラの部品を作っています。大熊町にありました。今は田村市に移転。郡山市の仮設から1時間かけて通っています。ずっと支援してください。東電や国はすべてを隠さずに情報を公開しているとは思えません。先行きのことなど不安ばかり。忘れられたらどうなるのかと心配です」と訴えていました。

 南相馬市鹿島区にある仮設住宅の自治会長(72)は、「あっという間の1年だった。私たちは警戒区域の小高区の住民だから、除染をしっかりすすめてもらい、一日も早くふるさとに帰り、家族一緒の生活をとりもどしたい」と話していました。


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