2012年2月27日(月)
ゆうPRESS
東西の被災地へ“孫っこ”の愛
愛知県豊橋市の高校生「孫便りの会」
兵庫県西宮市、阪神・淡路大震災の復興住宅の集会所から弾む声が聞こえます。「孫っこが来たぞ」。満面の笑みを浮かべる高齢被災者と迎えられる高校生たちの関係は―。(日恵野香)
生まれた頃の大震災
彼らは、愛知県豊橋市の私立高校生。阪神・淡路大震災から17年、代をかえながら文通と交流を続けているサークル「孫便りの会」です。
被災地のおじいさん、おばあさんと孫のような関係を紡ぐ支援をしたい、が原動力です。
「前に会った時の話の続きを手紙でして、『また来てね』と言われるのがうれしい」と太田皓也(ひろや)さん(17)は「孫っこ」の楽しさを語ります。
阪神・淡路大震災の時、8人の在籍メンバーは生まれていないか、生後1年に満たない赤ちゃんでした。
高校2年生の柴田雅さん(17)は、「生まれた年のこと。小学校、中学校とずっと自分の成長と合わせてテレビや新聞、おとなから震災の話や、過ぎた年月のことを聞く。忘れるとか知らないとかじゃない災害です」といいます。
神戸の高齢被災者との交流を軸に置く活動に加え、東日本大震災の復興ボランティアも行っています。神村聡志さん(17)は「ずっと続いてきた『孫』の伝統を継いでいきたいから」と話しました。
手紙で笑顔もどった
1995年、先輩が学園祭に向けた企画で神戸まで約300キロの道のりを、3カ月半かけて歩いて阪神・淡路大震災募金活動を行いました。その集まったお金で仮設住宅に住む高齢者と往復はがきで文通を始めたのがこの会の起こりです。
「家族を失い、届くのはダイレクトメールだけと孤独感を募らせていた高齢者が、『孫』からの手紙でね…と笑顔を見せるようになった」と語るのは、自身も被災者で「孫便りの会 西宮」代表の谷村輝さん(78)です。「街の見てくれだけで『復興した』とされて、世間から見捨てられたような気持ちが強い。『孫』の便りには、自分でも驚くほど元気づけられる」
初代メンバーの片山里美さん(31)は、結婚し、静岡県湖西市に引っ越した現在も、神戸のおばあさんに毎月はがきを送っています。2年ほど前、返信が絶えてからも「返送されてこないなら、届いているだろう」と出し続けました。昨夏、「心配しています」と書き添えたところ久しぶりの便りが届きました。差出人は「嫁」とありました。「いつも母にお便りありがとうございます。喜んで何度も読んでおります」との文字に、胸をなでおろしました。
現在の「孫っこ」に「神戸だけじゃなく東北に向けても動いているのはすごい」と感嘆します。
東北へも何かしたい
東日本大震災後、宮城県気仙沼市でのがれき撤去、仮設住宅での交流会、年始状、毎月11日の募金活動をしています。
昨年3月11日、学校は期末試験で午前中まで。生徒たちは、下校の電車や自宅で揺れを感じました。
「神戸も東北も被災地。何かしたい」と話し合い、全校放送で黙とうと募金活動への協力を呼びかけました。4日間で、のべ284人の生徒が参加し、約120万円の募金を集めました。
募金活動に参加したOGの鈴木優子さん(29)は、子ども連れで街頭に立ちました。
高校生のころは、活動に熱心ではありませんでした。生徒会やほかのクラブ活動にいそしむ日々で、疎遠になったおばあさんが亡くなったことを数カ月後に知った時の衝撃と、大好きだった自身の祖父の死で、高齢者と関わる悲しみを痛感。「孫便りの会」へ向かう足が鈍りました。
「あの時おじいちゃん、神戸のおばあちゃんにしてあげられんかったことを一人でも多くの人に返したい」。現在、看護師として働く傍ら看護大学で災害看護を学んでいます。
2月11日、豊橋駅前の広場には「孫便りの会」だけでなく、全校から39人が集まり募金を呼びかけました。
募金した岡崎市の女性(46)は「毎月こうやって立っているのを見ると思い起こされます。支援している人の顔と中身が見えるのがいいですね」と話しました。
この日、1時間で約7万円の募金が集まりました。
柴田さんは「神戸でも気仙沼でも、本当の孫のようにいたわってくれる優しいおじいちゃん、おばあちゃんたち。交流と支援を続けて、一分一秒でも復興に近付けたい」と目をうるませます。
被災者の心の復興への願いを同封して、西と東の「祖父母」に手紙を書き続けます。
孫便りの会 学校法人桜丘高等学校のボランティアサークル。阪神・淡路大震災被災者の孤独死報道をきっかけに、「顔の見える支援をしたい」と復興住宅訪問、文通、学園祭への招待で交流。これまで57回、神戸に訪問しています。
今後の予定 3月11日には豊橋駅前で、東日本大震災の追悼集会を開催。28〜31日、気仙沼市で4回目のボランティアと被災者訪問を行います。