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2012年2月26日(日)

小選挙区制 旗振った大手メディア

害悪くっきり メディア いまだ無反省

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 全国紙各紙は、「1票の格差」をめぐる衆院選挙区画定審議会(小選挙区区割り審)の勧告期限(25日)が過ぎたことをもって、国会は「違憲・違法状態」を放置して、何も決められない「機能不全」に陥っているなどとキャンペーンを張っています。24日付の社説では、「制度の抜本改革は、当事者である議員の手では難しい」として、首相の諮問機関である選挙制度審議会(第9次)をたちあげることを提唱しています(「朝日」「東京」など)。この議論は、小選挙区制の害悪が広く問題になり、国会を構成する政党間協議で抜本改革の議論がようやく始まり、「機能」しているときに、それを中断させ、小選挙区制を維持・固定化するものでしかありません。いま、民意をゆがめる害悪がきびしく指摘されている小選挙区制導入に先鞭(せんべん)をつけたのは、第8次選挙制度審議会でした。そこに大量参加し、旗をふったのがマスメディアでした。小選挙区導入時の“大罪”を再び犯すのか―。


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(写真)小選挙区制導入のための「政治改革」法案が国民世論の批判の前に参院で否決された翌日(1994年1月22日)付各紙は、成立に向けて巻き返しを図るキャンペーンを開始しました

8次審メンバーにズラリ

 リクルート事件、佐川急便・金丸事件、茨城・宮城などでのゼネコン汚職…。90年代の国政の大問題は、金権腐敗政治の根本的打開でした。

 ところが、自民党や財界、マスメディアなどは、金権政治一掃の課題を選挙制度の問題にすりかえて、「政治改革」の名で小選挙区制導入を推進したのです。

 そのさきがけとなったのが、89年6月に発足した第8次選挙制度審議会でした。会長には、小林与三次「読売」社長がすわり、委員27人中11人が大手メディア関係者だったのです(別表)。しかも、その顔ぶれは日本新聞協会の会長、各紙の社長、論説委員長、解説委員など、社論の形成に大きな影響を与えうる人たちばかりでした。

 その8次審が90年、海部内閣に答申したのが、「小選挙区比例代表並立制」でした。

 「マスコミ関係者が多くなったのは『世論をバックに政治改革を進めたい』という竹下前首相や事務局の考え方による」(佐々木毅編著『政治改革1800日の真実』)といわれます。

 73年に田中内閣が小選挙区制導入をたくらんだときには、「民主主義に反する」といっせいに反対したマスメディアは、8次審を通じて政府に取り込まれ、以降、小選挙区制導入の一大宣伝機関と化したのです。

 実際、92年4月には、これらのメンバーが財界代表らとともに「民間政治臨調」を結成、「政治改革」を推進する国会議員や学者を結集し、政府を側面支援する体制をつくり、大キャンペーンを展開したのです。

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異論に「守旧派」レッテル

 大手メディアは、新聞やテレビで、小選挙区推進を露骨にしていきます。小選挙区制に反対する人は「守旧派」と攻撃し、導入に積極的であれば「改革派」などともてはやしました。

 そして、「政治改革」といいながら、なぜ小選挙区制なのかの説明もなく、その重大な欠陥、問題点をまともに論じることなく、それを覆い隠す報道に終始したのです。

 たとえば、「赤旗」は、4割の得票で7割の議席を得られるなど大政党に有利であること、おびただしい「死票」を生むこと、極端に民意をゆがめる不公正なしくみであること、世界では比例代表が大勢であり、時代遅れの制度であることなど、次々と問題点を明らかにしました。大手メディアは、こうした問題もまともにとりあげませんでした。

 海部、宮沢両自民党内閣が小選挙区制導入に失敗し、「非自民」の細川護煕首相が「政治改革」の「年内実現」を表明したときには、「三度目の正直で今度こそ決着させなければ政治の問題解決能力そのものが、国民から疑われることになりかねない」(「朝日」93年8月24日付)「時代の要請に応えて…政治の機能回復のための政治改革は先決である」(「読売」同)などと、理念抜きの旗振りに終始。多くの問題点について、一部をのぞいてまともに論じないだけでなく、「5年越しの懸案に区切りを」「ここまできたのだから」と「政治改革」の流れとムードをかもしだすことで、問題点を覆い隠したのです。

 メディア内部からも、「疑問に明確な答えを出さないまま、異論を口にする者には『守旧派』のレッテルを張ってすませてしまっていたのではないか。マスコミの側にもそうしたきらいがなかったとは言えず…」(「毎日」93年11月19日付)などという声があがるほどでした。

否決され再キャンペーン

 こうしたマスメディアの大応援にもかかわらず、日本共産党などの追及と国民の運動で小選挙区制の問題点が広く明らかになり、94年1月21日には参院本会議で、「政治改革」法案が否決されました。本来なら、憲政の常道に従って、廃案にすべきでした。

 ところがメディアは、「朝日」が「法案はまだ完全に死んだわけではない」とし、「事態の打開」を呼びかけ、「読売」は1面で民間政治臨調メンバーでもあった政治部長の名で「『政治の責任』忘れた国会」と非難し、社説では「『改革』実現へ活路求めよ」と論じたのです。

 その後も、細川首相と河野洋平自民党総裁とのトップ会談での打開をけしかけ、1月末、両者の密室談合で合意がつくられ、「政治改革」法案が強行されていったのです。国会の新しい流れを必死になって押し返そうという点では、今日の逆流と相通じるものがあります。

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(写真)比例定数の削減に反対する院内集会であいさつをする穀田恵二国対委員長=2日、衆院第1議員会館

「9次選挙制度審」言い出す罪深さ

 マスメディアがあおった小選挙区制の導入から18年。5回の総選挙をへて、その害悪はだれの目にも明らかになっています。

 直近2回をみても、2005年総選挙では、自民党が47・8%の得票で73%の議席を獲得、09年の政権交代選挙では民主党が47・4%で73・7%の議席を得ました。しかも、議席に結びつかない「死票」は、05年で3300万票(有効投票数の48・5%)、09年は約3270万票(同46・3%)となっています。

 こうした「虚構の多数」で政権を得た小泉内閣やその後の安倍―福田―麻生内閣、民主党の鳩山―菅―野田の歴代内閣のもとで、国民無視の悪政が横行しました。小泉「改革」に象徴される社会保障切り捨て、労働の規制緩和による非正規化などで貧困と格差が拡大しました。その後の民主党政権がことごとく国民の期待と公約を裏切った結果、消費税大増税と社会保障切り捨ての一体改悪や日本の経済主権をアメリカに売り渡す環太平洋連携協定(TPP)など、自民党以上に自民党的政治をくりひろげています。

 政争の場と化したかのような国会、低劣なヤジとののしりあい、「虚構の多数」のもとでの「政治の劣化」も目を覆うばかりです。

 「読売」昨年11月25日付の世論調査(面接方式)では、日本の政治が「悪くなっている」が76%、国民が選挙で投じた「1票」が現実の政治に「反映していない」との回答は81%にも達しています。同様の結果は、内閣府の「社会意識に関する調査」でも国の施策に民意が反映されているかとの問いに、78・7%の人が「あまり反映されていない」「ほとんど反映されていない」と答えています。

 こうした現状に、当時小選挙区制を推進した政党、政治家からも反省の声が相次いで出されています(別項)。そして、衆院選挙制度に関する各党協議会で民主党以外のすべての党が小選挙区制の「害悪」についての認識を示し、日本共産党など7党が現行制度の小手先の手直しではなく「抜本改革」を求めているのです。小選挙区制導入から18年、国会では現行制度の抜本改革という画期的な道が開かれようとしているのです。

 第9次選挙制度審議会などという提案は、こうした道理ある流れを中断させ、壊してしまうものにほかなりません。マスメディアは、害悪が指摘されている小選挙区制導入への反省もないまま、小選挙区の維持・改悪に手を貸す“大罪”をくり返そうというのでしょうか。


推進側からも反省の声

 河野洋平元自民党総裁 「今日の状況を見ると、それが正しかったか忸怩(じくじ)たるものがある。政治劣化の一因もそこにあるのではないか。政党の堕落、政治家の資質の劣化が制度によって起きたのでは」   (「朝日」昨年11月8日付)

 細川護煕元首相 「小選挙区制度により、総選挙の結果が一方の政党に偏り過ぎる傾向があります。落ち着いた政治にならないといけない」 (「朝日」昨年9月19日付)

 森喜朗元首相(細川・河野会談に立ち会う) 「政治の劣化をもたらす要因は、いろいろとあると思いますが、根本的には小選挙区制に原因があると思っています」 (「自由民主」昨年11月22日付)


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