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2012年1月29日(日)

「赤旗」創刊84周年

検証 暴走メディアと「赤旗」

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 大手メディアの暴走が止まりません。野田内閣が掲げる消費税増税計画の断行をいっせいに迫り、今やらないと「財政が破たんする。社会保障制度が崩壊する」と国民を脅し、あげく反対世論を「逆風」よばわりしています。メディアが「権力の監視」の役割を放棄し、時の政権のお先棒を担ぐ暴走をしたとき、国民にとっていいことは一つもありませんでした。「しんぶん赤旗」は、この暴走に正面から立ちはだかり、真実の報道を続けてきました。2月1日は「赤旗」創刊84周年。その歴史を振り返ってみると―。


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小選挙区制

「政治改革」と称し推進したが

民意ゆがめ政治が劣化

 「逆転成立に全力をつくせ」「トップ会談を実現させ、決着を図れ」―1994年1月21日、細川「非自民」内閣が強行をはかった小選挙区制導入法案が参議院で否決されたことを、大手メディアは悔しがり、結論を覆すための大キャンペーンをはじめました。

 国会審議を通じてさまざまな問題点が浮かび上がり、世論と運動のきびしい批判をあびるなかでの「否決」でした。しかし、大手メディアはその結論を真摯(しんし)に受け止めることも、問題点を検証することもなく、「ここまできたのだから…」「政治改革をつぶしてはならない」と叫ぶばかりでした。

 メディアの応援を受け結局、細川護熙(もりひろ)首相と自民党の河野洋平総裁との密室談合で、小選挙区300、比例代表200の並立制が、政党助成制度とセットで導入されることになったのです。

 小選挙区制は鳩山内閣(56年)、田中内閣(73年)時代にもたくらまれましたが、多くのメディアは「民主主義に反する党略的な企てだ」と反対の態度をとりました。

 ところが、推進勢力がメディアの取り込みをすすめた結果、態度が一変します。政府の第8次選挙制度審議会には全国紙や民放テレビの幹部らメディア関係者12人が参加(総員27人)。8次審は90年に小選挙区・比例代表並立制を答申します。

 それ以降、大手メディアは、金権政治一掃の課題を選挙制度の問題にすりかえ、時の支配政党に人為的に絶対多数の議席を与える小選挙区制を「政治改革」と称して推進する大キャンペーンを展開したのです。

 これに対して「赤旗」は、小選挙区制が4割台の得票で6割の議席をもたらすなど民意を極端にゆがめること、議席に結び付かない大量の「死票」を生み出すこと、企業献金を温存した「政治改革」では政治腐敗は根絶できないことなどを、精力的にキャンペーンしてきました。

 小選挙区制が導入されて18年、5回の選挙が行われましたが、「赤旗」が当初から指摘してきた大政党有利に民意をゆがめる小選挙区制の害悪は回を追うごとに深刻になっています。今では、民主党以外の政党がその害悪を認め、導入当事者からは、「今の政治は劣化している。政治家一人ひとりの質も、政党の質も悪くなった。それにより、国民の政治に対する信頼が損なわれてしまっている。…現行の小選挙区比例代表並立制の導入が政治劣化の一因になっているのは間違いない」(河野洋平氏、『日経ビジネス』1月9日号)という反省の声も出ています。

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小泉政治

「改革」とつけば何でも応援

国民に痛み、貧困拡大

 「自民党をぶっ壊す」「日本を変える」、こんな絶叫のもとに発足した小泉・自公政権。2001年4月から5年5カ月にわたった同政権が、実際に「ぶっ壊す」対象にしたのは国民の暮らしと日本経済だったことは、いまでは誰の目にも明らかです。その政権を最初から最後まで、「改革なくして景気回復なし」のスローガンをあおり、一挙手一投足まで持ち上げ、“小泉フィーバー”の演出に加担したのが、大手メディアでした。

 その特徴は、小泉「改革」の中身をまともに吟味しようともせず、「改革」と称すれば、国民にどんな犠牲が押し付けられようと失業や倒産が激増しようと、結構結構と応援し続けたことです。

 その肩入れぶりは、異様でした。「小泉首相を励ます」(朝日)、「首相は『信念』を断固貫け」(産経)と露骨なエールを送りました。経済運営がゆきづまっても、「改革を失速させてはならない」(日経)、「改革の成果が最大の薬だ」(毎日)、「改革を催促している」(東京)と、何が何でも「断行」「推進」の大合唱です。政権発足直後の01年参院選のさなかに、「自民党をぶっ壊す」が虚構にすぎないことを承知の上で、「だまされてみますか」と読者をけしかける論評を載せた新聞(毎日)も。

 小泉応援報道がはんらんするなか、小泉「改革」路線に警鐘を鳴らし、正面から対決する論陣を張ったのは「赤旗」だけでした。

 小泉「改革」は、日本経済と国民生活の矛盾をあらゆる分野で深刻にしました。これにたいし、社会的連帯で社会的反撃をと、「赤旗」は、国民犠牲の実態を告発するとともに、無法なリストラや退職強要を勇気をもってはね返すたたかい、高齢者などを狙い撃ちにした医療費負担増に反対する地域ぐるみの取り組みなど、“小泉大失政”の押しつけを許さない運動を取り上げ、励ましてきました。

 こうした世論と運動の広がりが小泉政治を追い詰め、貧困と格差拡大の是正を社会的テーマに押し上げ、偽装請負・派遣など非正規・使い捨て労働を許さない力強い取り組みへと発展したことは、よく知られています。

 竹中平蔵氏とともに小泉「改革」の「片棒を担いだ男の一人」を自認する中谷巌・元多摩大学学長が、「新自由主義に基づく単純な『構造改革』路線で我々が幸せになれるなどというのは妄想にすぎない」と、「懺悔(ざんげ)」「転向の書」を出版したのは、ひとつの象徴でもあります。

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「二大政党」

財界のシナリオで先導役

民主の自民化 悪政加速

 財界が主導して2003年の総選挙から本格的に「二大政党づくり」の動きが開始されました。前年の10月に経済同友会が「政権政策(マニフェスト)と単純小選挙区制導入」を提言。03年には、稲盛和夫京セラ名誉会長を仲介者に、旧民主党と小沢一郎氏率いる自由党が合併し、自民党に代わる受け皿・新民主党が誕生しました。

 「マニフェスト選挙」を提唱する21世紀臨調(新しい日本をつくる国民会議)に大手メディアの論説担当者や編集幹部が参加。同臨調は「マスメディアを通じて日常的な世論形成を行」うことを方針としました。紙面でも、「二大政党づくり」「マニフェスト選挙」の動きを礼賛・推進する異常な役割を果たしてきました。

 03年の総選挙では「自民、民主に挑む各党」(朝日)、「二大政党 政権争う」(読売)、「政権 自民軸か民主軸か」(毎日)の見出しで、国民を「自民か、民主か」の選択肢に無理やり押し込める報道を繰り返しました。「朝日」社説は「二大政党制の下で政権交代が普通の時代に入っていけるのかどうか、その試金石となる選挙でもある」と「二大政党制」を天まで持ち上げました。

 09年の総選挙でも、「総選挙の前から『政権交代が起きる政治システムにすることが日本の民主主義を磨く』と主張してきた」(朝日新聞論説副主幹)との言葉どおり、「政権交代」で「政治が変わる」とあおりました。

 これに対して「赤旗」は、「二大政党」づくりは、財界がシナリオを書いて進めたもので、自民党が失敗したときでも、自民党政治を受け継げるスペア政党づくりが狙いであること、「マニフェスト選挙」はその仕掛け作りであることなどを、特集や連載記事で明らかにしました。

 「政権交代」から2年半。民主党政権が公約違反と裏切りを重ね、いまや自民党以上に自民党的政権になったことで、「二大政党による政権選択」という財界がたくらんだ仕組みそのものが破たんに直面しています。

源流は「満州事変」

132の新聞社が共同宣言

 大手メディアの暴走の源流は、1931年9月の日本軍(関東軍)による中国侵略、いわゆる「満州事変」の報道にあります。大手紙は戦争賛成の立場になだれこみ、日本による「満蒙」(中国東北地方と内モンゴル)への領土拡大を「我が国の生命線」と書き、軍国主義を応援しました。

 「大阪朝日」は「軍部及び軍事行動に対しては絶対非難批判を下さず極力これを支持すべきことを決定」(同年10月12日)。各紙は戦況報告会を主催するなど、国民を侵略戦争に駆り立てました。32年12月19日には全国132の新聞社が共同宣言を発表し、日本軍があやつる「満州国」の「独立支持」を表明しました。

 「赤旗」は28年2月1日の創刊以来、反戦・平和の徹底した論陣を張り、「満州事変」2カ月半前の31年7月6日付で「日本帝国主義の戦争準備と闘え!」の見出しで戦争計画を暴露。「満州事変」は「新しい領土略奪のための戦争」(31年10月5日付)と見抜きました。


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