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2012年1月3日(火)

市田さんのひょっこり訪問

宮城・坂総合病院の共産党青年支部

笑顔あふれる年に

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(写真)坂総合病院を訪れた市田忠義書記局長(左から4人目)と党支部の人たち

 3・11、あの日―宮城県塩釜市の坂総合病院は、ライフラインが遮断されたなかで地域住民の「命のとりで」となりました。同病院の日本共産党青年支部の会議を市田忠義書記局長が訪ねました。夜空に雪が舞い、病院の明かりが街にぬくもりを放っています。新しい年―「笑顔があふれ幸多き年に」と語りあいました。

 ぽつりぽつり、仕事を終えた青年が集まってきました。党委員会の青年担当や医師、天下みゆき県議もかけつけました。

 司会の佐藤望さんが「今日はゲストがいます。気兼ねなく話しましょう」と呼びかけると、「みなさんの話を聞かせてください」と市田さん。

 冒頭、党委員長の福岡真哉さん(病院事務局長)から朗報が届きました。

 塩釜医師会から「日本医師会が表彰する震災で功労があった団体・個人に坂病院を推薦したい」というのです。

 緊張ぎみの青年たちの顔がほころび始めました。

 会議のレジュメには「新年の期待抱負。1年を振り返って一文字、一言で」とあります。

 民医連職員、そして党員として、被災者によりそってきた誇りとともに、身近な人を失い家族を残して働く葛藤を、震災後、支部として初めて語りあいました。

大震災のあの日…ぼくたちは病院にかけつけた

妻は“行かないで”といったけど

活字だけではわからないすごい葛藤があったのですね 市田

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(写真)震災当時トリアージポストとなった坂総合病院の玄関に立つ市田忠義書記局長と病院の職員たち

 坂総合病院(別項)の運動療法士の行方啓文さん(37)は、「慌ただしいの一言でした」。

 震災直後の2日間、一睡もせず救急の窓口に立ちました。多賀城市を流れる河川近くのクリニックに勤める妻から「水没した」とメールがきても、何が起きているのか理解できないまま、連絡が途絶えました。「生きているのか死んでいるのかわからない。でも、窓口に立つ以上泣いていられなかった」

 震災翌朝、妻は流れ着いたボートで脱出することができました。

 「(司会の)佐藤さんも目の下にくまをつくって頑張ってたよね」と行方さん。震災後「不眠不休の言葉を本当の意味で知った」という佐藤さんですが、「くまはもともとだよ」と、笑いに変えます。「あの日」の話に、一体感が生まれます。

支えがあって絆生まれた

 「絆、それしかないと思う」と語ったのは、理学療法士の遠藤貴志さん(26)です。3月3日に婚姻届を出し、震災時は妻と車に乗っていました。

 渋滞にまきこまれ、車を妻に任せて走って病院にかけつけました。看護師の妻も津波から逃れて病院で再会します。

 「先日やっと式をあげました。震災があったからというより、周りの支えがあって絆が生まれたことに気付きました」

仮設の実情

 遠藤さんは患者を通じて、行方さんは仮設住宅での「健康づくり教室」(自治体認定事業)を通じて、仮設の実情をみてきました。

 「自治体によって仮設住宅の設備に差があり、障害者や高齢者に親切なつくりが少ない」と遠藤さん。

 地元業者を活用せず、大手メーカーでつくるプレハブ建設業界に仮設住宅の大半を発注した宮城県では、防寒対策が遅れ、仮設集会所の下から冷たい風が入ります。仮設住宅に抽選で集まった人たちは、隣近所のつながりが薄く、誘い合って「教室」にくることもあまりありません。

 「なぜ地元業者に任す意識がないのか。そして、地域ごとに移住すれば、助け合いも生まれるのに。行政のあり方を考えさせられる」と行方さん。

 体験を通じて遠藤さんは、「これまで民医連や共産党と出会うすべがなかった人たちが、震災を機に目を向けるようになっている。亡くなった人たちのためにも、みんなが笑って暮らせる社会のために、行動したい」と力をこめました。

 昨年11月の県議選で塩釜区(定数2)は、同病院事務長で県民医連事務局長を務めた天下みゆきさんを当選させました。

 4月に就職した中川恵介さん(25)は、「選挙では友人に声をかけて少しでも広げることができた。これからも頑張りたい。今年を一文字でいうと、大事なこと大変なことの『大』かな」。

地道な活動

 「『県議にする会』に病院職員220人が名を連ねるなど、従来と違った活動が大きい力になった」という人、「何度も“共産党に助けてもらった”ときいた。地道な活動の大切さを感じた」という人。

 津波で民医連の仲間を失ったつらさや、その家族に託された思いを背負って頑張ってきた天下県議は「知らない人から『坂病院の職員に声をかけられ、私も支持を広げたよ』といわれ、党の救援活動にふれた人から『こんな党こそ応援したい』といわれました。初心を忘れず、期待にこたえたい」。

 放射線技師の山岸悠史さん(30)の父、克彦さんは党仙台東地区委員長として救援活動に奔走し、宮城県議選告示日直前に病に倒れ亡くなりました。58歳でした。

 「おやじとは党員としての会話も、ぼくの息子が生まれて親同士としての会話もないままだった。忙しくてみんな葬式に来られないだろうと思ったら、多くの人が集まってくれて。おやじはすごい人だとわかった」

 党を大きくしたい、環太平洋連携協定(TPP)問題の学習会を開きたい―と、抱負を語りました。

誇りと葛藤

 坂総合病院の救援活動が注目されるたびに「職員として、党員として誇りに思う。でも、不安な妻をおいて仕事にかけつけたことが正しかったのだろうか」。事務職の今野拓自さん(32)は、一言一言、しぼり出すように葛藤を言葉にしました。

 泣いて「行かないで」という妻に「いっしょにいようか」と声をかけると、「行ってきて」と。

 今は「ごめんね、あのとき」と話すと、「何いってんの」と妻はさとします。

 メモをとり、うなずきながら聞いていた市田さんは「あなたも、奥さんもえらい、強いね」。

関係大事に

 今野さんは「妻との関係は深まったと思います。高校の部活の友達、以前勤めていた保育園の子ども、あっという間に亡くなってしまった。ふだんから大事にしなきゃいけないと思う」。

 そして、職員集会で副院長から「気になっている家族の安否を確認し、家族を守って職場にきてください」といわれたことが、「そういう一人ひとりを大切にする病院だから頑張ろうと思った」と打ち明けました。

共産党員ってすばらしい

 この後、「ひょっこりきて、みんなの話を聞いてどうですか」と促された市田さん。

 「活字だけではわからないみなさんのすごい葛藤が、初めてわかりました」と語り始めました。

党員の精神

 「みずからも被災しながら党員として、民医連の職員として人の命と健康をもっとも大事にする。そのためには、みずからも顧みないで頑張るというすばらしい精神を発揮された。でも、今野さんのように奥さんに『あのとき、ごめん』といえるのは…」、ここで市田さんの言葉が途切れがちに。

 「やっぱり共産党員ってすばらしいなと腹の底から思いました。私は党に入って48年、いろいろな苦労もあったけれど、みなさんはそれを超えるような体験を短い間にされて、それを通じて非常に成長されているんだという実感をもちました」

 続けて、多くの人から震災後の坂病院や民医連、それを献身的に支える党員の活動に称賛の声がよせられていることを紹介し、こう話を結びました。

意義再確認

 「定数2の県議選を勝ち抜けたのは、天下さんが魅力的な候補であるとともに、みんながもてる力を発揮したことと、党の自力があったからです。今年、さらに党を大きくする転機にしませんか」

 支部長の川村淳二さんは話します。「それぞれの震災当時の思いを語り合えてよかった。市田さんの話をきき、民医連職員、党員としての存在意義を再認識することもできました。自分の中にあった壁をとりはらい、周りに気軽に入党の働きかけをするきっかけにしたい」

 震災を通じて見えてきた現実。どう声に出し、運動して社会を変えていくのか―。「葛藤しながらも、若い世代が中心になって動かなきゃ」。一人が言葉にしました。 (記事 竹本恵子、松田大地、写真 林行博)


坂総合病院 宮城県塩釜市

 【全日本民主医療機関連合会(民医連)加盟・坂総合病院の被災以降の取り組みと創設からの沿革】 被災直後に災害対策本部を設置。多数傷病者発生時の優先別救命救急体制(トリアージ)を12日間実施し、約5000人を診察しました。被災3日目(3月13日)に地域の避難所に対する医療支援を開始。13日目(23日)から通常診療を部分再開し、震災以降1カ月間で約1万4000人の外来診療をおこなっています。

 全日本民医連の呼びかけに応じ、全国の仲間たちが医療支援に駆けつけました。震災発生から1カ月時点での支援者数は1840人で、最多の日本赤十字社に次ぐ多さと報じられています(「読売」4月16日付)。

 病院の創設は1912年。53年に全日本民主医療機関連合会結成に参加。2市3町と仙台市東部地域を診療圏とする中核病院で、県内では民間で唯一の災害拠点病院として指定されています。現在、医師・看護師など620人。敗戦時、当時の院長だった坂猶興医師が党活動に奮闘。45年12月、同病院内で党宮城地方委員会(現県委員会)が結成されました。


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