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2011年11月11日(金)

三鷹事件 新証拠を提出

獄中病死の竹内さん長男 44年ぶり再審請求

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 1949年に東京・三鷹市の三鷹駅で無人の電車が暴走し、死者6人を出した三鷹事件で死刑が確定し、無実を訴えながら獄中で病死した竹内景助氏の長男が10日、東京高裁に対して再審請求(裁判のやり直し)を申し立てました。

 同事件の再審請求は67年に竹内氏の病死により打ち切られて以来、44年ぶりです。再審弁護団は申立書と約30点の新証拠を同高裁に提出しました。

 申立書は、(1)有罪の証拠は自白しかなく、竹内氏は自白と否認を交互に繰り返した(2)電車の1、2両目のパンタグラフが上がっていたこと、1両目の操作だけでは2両目のパンタグラフを上げられないことがわかり、自白と矛盾する(3)事件当時は月明かりがなかったことがわかり、三鷹電車区正門前で同氏を見たとする証言は信用できない(4)事件当時、同氏が電車区内の風呂に入っていたことが証言で裏付けられている―ことなどを指摘し、再審開始を求めています。

 高裁前で支援者らが弁護団を激励。竹内氏の無実を訴えて宣伝しました。

 三鷹電車区の元運転士で「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」代表世話人の宮本二郎さん(74)は「事件は共産党員の弾圧、大量首切りへとつながり、戦後民主化をねじ曲げた原点となりました。再審請求は今の対米従属、財界べったりの政治をただし、民主主義を取り戻すたたかいの新たなスタートになります」とのべました。

 同日夜には東京都内で報告集会が開かれました。弁護団長の高見澤昭治弁護士は、三鷹事件では新憲法と刑事訴訟法の「自白を唯一の証拠に有罪にしてはいけない」という原則が踏みにじられたと指摘。「戦後のえん罪事件の嚆矢(こうし)であり、これを覆すことには大きな意味がある」とのべました。

 竹内氏の長男が「私たちは父のような家族思いの人が事件を起こすはずがないと無実を訴えてきました。えん罪を晴らすために最後まで頑張ります」とメッセージを寄せました。


 三鷹事件 1949年7月15日夜、東京・三鷹駅(旧国鉄)で無人電車が暴走・転覆、6人が死亡、20人が重軽傷を負った事件。アメリカの占領下で、「共産党の犯行」とのデマが流され、国鉄労組三鷹電車区分会の10人ほかが起訴されました。東京地裁は判決で検察が主張した「共同謀議」を「空中楼閣」として退け、竹内景助氏だけの犯行と認定。有罪とされた竹内氏は55年に死刑が確定しましたが、67年に病死するまで再審を請求していました。


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