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日本共産党

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赤旗


歴代自民党政権の日ロ領土交渉方針の根本的再検討を

2010年11月9日

日本共産党委員長 志位和夫


 日本共産党の志位和夫委員長が9日、菅直人首相あてに申し入れた「歴代自民党政権の日ロ領土交渉方針の根本的再検討を」の全文は次の通りです。


首相あてに申し入れ文書を渡したこと記者会見する志位委員長
(11月9日、国会内)

(1)

 ロシア連邦のメドベージェフ大統領は、1日、ソ連時代を含め同国最高指導者としては初めて千島列島の国後(くなしり)島を訪問した。同大統領は歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)を訪問するとの情報も伝えられている。この間ロシア側は、日本が連合国への降伏文書に署名した9月2日を「第2次大戦終結の日」(事実上の対日戦勝記念日)に制定し、千島は「第2次世界大戦の結果、ロシア連邦の領土になった」とし、その変更は許さないとの姿勢を示してきた。これらの一連の行動は、日本の歴史的領土である千島列島と歯舞、色丹の不当な領有を将来にわたって固定化しようとするものであって、絶対に容認できない。

 ロシアにこうした強硬姿勢を許した根本に、歴代自民党政権が、日ロ(日ソ)領土問題について、国際的道理のない立場と方針で対応しつづけてきたという問題がある。領土問題を公正に解決しようとすれば、国際社会はもとより、ロシア国民にも説得力を持った強い論立てが必要になる。ところが、戦後の日ロ(日ソ)領土交渉において、歴代自民党政権は、歴史的事実と国際的道理に立った交渉を一度もしてこなかった。その積み重ねが、ロシア側にこうした強硬姿勢を許す結果となっているのである。

 民主党政権は、政権交代をした以上、これまで自民党政権が進めてきた日ロ(日ソ)交渉の方針を無批判に引き継ぐのではなく、半世紀にわたる不毛の領土交渉の総括に立って、根本的に再検討することを求めたい。

(2)

 今日の日ロ領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時におけるスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にある。スターリンは、ヤルタ会談(1945年2月)でソ連の対日参戦の条件として千島列島の「引き渡し」を要求し、米英もそれを認め、この秘密の取り決めを根拠に、日本の歴史的領土である千島列島(国後、択捉(えとろふ)から、占守(しゅむしゅ)までの全千島列島)を併合した。これは「カイロ宣言」(1943年11月)などに明記され、自らも認めた「領土不拡大」という戦後処理の大原則を蹂躙(じゅうりん)するものだった。しかもソ連は、千島列島には含まれない北海道の一部である歯舞群島と色丹島まで占領した。

 第2次世界大戦終結時に強行された、「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正を正すことこそ、日ロ領土問題解決の根本にすえられなければならない。

(3)

 なぜ戦後65年たって日ロ領土問題が、まったく解決のめどすらたっていないのか。それは、歴代の自民党政権が、戦後処理の不公正をただせというこの主張を、国際社会にも、ロシア(ソ連)にたいしても、ただの一度もしてこなかったからである。

 歴代政権は、二重の根本的な誤りを犯してきた。

 第一の誤りは、1951年、サンフランシスコ講和条約第2条C項で、千島列島にたいする「すべての権利、権原および請求権を放棄」したことである。この条項は、ヤルタ秘密協定の千島条項を追認した、不公正なものだった。歴代政権は「千島放棄条項」をあらためるという態度をとってこなかった。

 第二の誤りは、ヤルタ協定とサンフランシスコ条約の「枠内」で領土問題の「解決」をはかろうとして、国際的に到底通用しない議論を領土交渉にもちこんだことである。日本政府は、1955年に始まった日ソ国交正常化交渉のなかで、突然それまでの立場を変え、「国後、択捉は千島列島ではないから返還せよ」と主張し、歯舞、色丹とあわせて「四島返還」を要求しはじめた。しかし、サンフランシスコ講和条約で日本が放棄した「千島列島」に国後、択捉が含まれることは、日本政府自身が講和会議と同条約の批准国会で、公に表明してきた解釈であり、それを後から覆す主張は到底通用するものではない。

 こうした誤った立場に固執しつづけた結果、日ロ(日ソ)領土交渉は、何一つ具体的な成果があがらないばかりか、日本側の一方的な譲歩だけが繰り返されるという事態となっている。1993年の「東京宣言」をはじめ、90年代以降の日ロ両国政府間で一連の「合意」がなされているが、それは、つぎのような重大な問題点が含まれている。

 ――領土交渉の対象を国後、択捉、歯舞、色丹の「4島」に限定したため、北千島の返還要求は最初から放棄されたままとなっている。

 ――全千島列島が返還されるべき正当な根拠をもった日本の領土であり、北千島と南千島を区別する条約上の根拠はまったくないにもかかわらず、その一部分である北千島を最初から領土返還交渉の枠外に置いたために、残りの部分である南千島(国後、択捉)についても返還を要求する正当な根拠を失うことになった。

 ――千島の一部である国後、択捉と北海道の一部である歯舞、色丹という性格の異なる4島を同列に並べ、一括返還の立場をとることによって、歯舞、色丹の早期返還への道を閉ざす結果になった。歯舞、色丹は、放棄した千島列島には含まれない北海道の一部であり、平和条約締結を待たずに早期に返還されるべきである。

 自民党政権は、国際的に通用する道理ある立場を何らもたないまま、ロシアとの「経済協力」や首脳間の「個人的信頼関係」を進めれば交渉を促進することができるとの立場から、あれこれの措置をとってきた。しかし、こうした対応ではけっして領土問題は解決しないことは、事実が証明している。

(4)

 歴代自民党政権の延長上の方針では、日ロ領土問題の解決の道は開かれない。日ロ領土問題を本気で解決しようというのなら、旧来の方針を抜本的に再検討し、第2次世界大戦の戦後処理の大原則である「領土不拡大」の原則に立ち、その不公正を正すという道理に立った外交力こそが必要である。自民党政権時代の二重の根本的な誤りを清算できるかどうかが、民主党政権に問われている。

 わが党は、1969年に千島政策を発表し、日本の歴史的領土である南北千島列島全体の返還を要求するとともに、北海道の一部である歯舞・色丹の早期返還を主張してきた。民主党政権にたいし、次のような立場で、歴代自民党政府の誤った対応を根本的に再検討するよう、求めるものである。

 第一に、ヤルタ協定の千島引き渡し条項とサンフランシスコ条約の千島放棄条項を、不動の前提とせず、条約そのものを根本的に再検討することである。条約の変更はけっして不可能なことではない。条約であれ、その一部であれ、国際的正義に反する条件や条項にかんしては、その国民の意思でこれを是正する権利があるということは、国際法のうえでも一般に認められていることである。サンフランシスコ講和条約についても、第3条で沖縄の施政権を米国に引き渡す条項があるが、1970年代初めに、米軍基地の問題は残されたものの、施政権は日本に返還されている。

 第二に、対ロ領土交渉にあたっては、日ロ両国間で平和的に画定された国境線は何だったかを歴史的に再検討し、それを交渉の土台とすることである。歴史の事実にてらせば、千島列島全体(国後島、択捉島の南千島と得撫(うるっぷ)島から占守島までの北千島)が、日ロ間の外交交渉の末に結ばれた1855年の「日魯通好条約」と1875年の「樺太(からふと)・千島交換条約」で、平和的に日本領と確定した正当な領土であることは明らかである。この歴史の事実を土台にすべきであって、「国後、択捉は千島列島にあらず」などという歴史をゆがめる論議に固執する態度をやめるべきである。

(5)

 スターリンが、第2次世界大戦の時期におこなった覇権主義的な領土拡張のうち、バルト3国の併合、ポーランドの一部地域の併合など、ほとんどがすでに解決をみている。スターリンがすすめた不当な領土拡大で、当事国が批判しないままで今日まで残されているのは、千島列島だけである。

 民主党政権が、これまでの自民党政権による領土交渉を根本的に再検討し、歴史的事実と国際的道理に立った方針への転換をはかることを、強く求める。

 

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