1999年11月7日「しんぶん赤旗」
前田 日本の原子力行政では、臨界事故だけではなくて、いろんなところで「安全神話」がふりまかれていると思うんですけれども、今回の事故に関連して、世界中から日本の原子力行政にたいする批判が出されています。ほんとうに日本は異常な状況にあるというふうにみられていると思うんですけど、このへんはどんなふうに感じていますか。
志位 原子力を安全なものだとして扱う「安全神話」を一掃して、原子力というものはほんらい危険なものだから、その危険性を十分に認識して扱うというところに、考え方を転換する必要があるというのは、世界ではとっくに”卒業ずみ”の問題です。
その重大な転機となったのは、一九七九年三月にアメリカのスリーマイル島(TMI)原発で起こった炉心溶融事故です。これは原子炉を冷やす冷却水がなくなって、燃料棒が溶けて崩れるという、たいへん深刻な事故でした。この事故の原因究明のために、アメリカ大統領の直接の指示で、米国大統領特別調査委員会というのがつくられて、徹底した究明がおこなわれました。この委員会は、同年十月に報告書を出しています。この特別調査委員会の委員長をケメニーさんという方がやったので、ケメニー報告書と呼ばれる有名な報告書です。
この報告書を読むと、事故調査のさいに、いろいろな人から証言をとったんですけれど、「証言の中で、一つの言葉が何度も何度も繰り返された」とのべています。「それは『思い込み』という言葉である」。つまり事故にいたるあらゆる場面で、安全だという「思い込み」があったというのです。報告書は、こうのべています。
「原子力発電所は十分安全だという考えがいつか確たる信念として根を下ろすにいたったという事実がある。この事実を認識してはじめて、TMI事故を防止し得たはずの多くの重要な措置がなぜとられなかったのか、を理解することができる」。「こうした態度を改め、原子力は本来危険をはらんでいる、と口に出していう態度に変えなければならないと、当委員会は確信する」
安全だという「思い込み」――「安全神話」を改めること、そういう方向での原子力行政の抜本的刷新をはかること、これがケメニー報告書が事故から導いた最大の教訓でした。
報告書では、原子力の規制機関であった原子力規制委員会は、安全よりも開発優先であるから、長を外部から新たに求め、組織を抜本的に再編しなければならないといった、たいへん厳しい判定も下しています。
アメリカでは、原子力は安全だという「思い込み」こそ一番危険なものだという結論を、すでに二十年前にくだしているわけですが、日本ではこれに少しも学ばずに、相変わらず安全だ、安全だということを繰り返して、そのことが事故を生み出す根源になっているという事態がつづいているわけです。
前田 スリーマイル島原発事故の後、旧ソ連ではチェルノブイリ原発事故が起きました。旧ソ連でも原発は、ロシアのサモワール(湯沸かし)みたいに安全だという「安全神話」がありましたが、この事故の後、「安全神話」にたいして国際的に検討がおこなわれていますね。
志位 スリーマイル島の原発事故が起こったのが一九七九年です。チェルノブイリ原発事故が起こったのが一九八六年です。この二つの原子力大国で事故が相ついだことをうけて、国際原子力機関(IAEA)の設置している国際原子力安全諮問委員会(INSAG)が、一九八八年に報告書を出しています。「原子力発電所のための基本安全原則」という報告書です。原子力にたいしてどういう姿勢でのぞまなければならないかということについて、たいへん重大な問題提起がされています。
この「基本安全原則」では、いわゆる苛酷(かこく)事故――「明白に設計で考慮された以上の苛酷な事故」と定義されるものですが、スリーマイル島原発事故や、チェルノブイリ原発事故のように、原子炉の炉心が溶解したり、破壊されたりして、放射性物質が外部にまきちらされるという非常に重大な事故にたいしても、それを想定において対応することが必要であるということが、明りょうに書いてあることが特徴です。
「基本安全原則」では、そういう苛酷事故の可能性を極端に小さくすることを求めていますが、同時に「それでもなお、そのような事故が起きるとしたら、事故の進行を管理し、その影響を軽減するような別の処理方法を用意する必要がある」ということを、明記しています。苛酷事故を起こさないための最大の努力をはかるが、それにもかかわらず起こる可能性を一〇〇%排除することはできない、したがってそうした最悪の場合にも対応できる対策が必要だという原則を、この報告書では明記しています。
前田 それがスリーマイル島原発事故とチェルノブイリ原発事故から世界が導き出した教訓だったわけですね。それが提起されたときは日本は反対したといいますね。
志位 日本代表は、事実上この勧告の主要部分に反対しました。そのあと国会で、わが党が、この問題を追及したのにたいして、政府の答弁は、「わが国の原子炉施設といいますのは、多段階にわたる規制等により十分な安全確保対策が実施されており、現実にシビア・アクシデントが起こるとは工学的に考えられない程度まで安全性が高められている。したがって、シビア・アクシデント対策の見地から安全規制は改める必要性は現時点では見いだせない」というものでした。日本では苛酷事故は起こりえないという。この態度こそ、恐ろしいことだと思います。
前田 世界の常識とはまったく違って、日本だけは起こらないというわけですか。
志位 世界では起こるが、日本だけは起こらないというのは、ほんとうに「神話」ですね。日本の技術がそんなに世界にだんトツにとびぬけているものなら、世界がそれを見習うはずなのに、そういう話は聞きませんからね。
世界各国では、実際に、苛酷事故を想定したさまざまな対策をとっています。ヨーロッパの一連の国の原発では、かりに炉心溶融が起こり、溶融炉心とコンクリートが反応して、高圧ガスが発生したとしても、原子炉の格納容器はこわれないようにするために、フィルター・ベントといって、圧力がまの安全弁のようなものを原子炉の格納容器につけています。多少放射能は漏れても、格納容器の破壊に至らないような、安全装置ですね。最近では不十分という批判もあって、原子炉の格納容器の構造を二重にして、その間に緊急冷却用の通風部をおくというような設計変更も検討されているようです。原発の周囲の住民に、いざというときのために、ヨウ素剤を配って備えるなども、おこなわれています。そういう最悪の事故の備えを各国はやっているんですね。
ところが、日本では何もやっていない。「原子力発電所で苛酷事故が起こらない」という「安全神話」は、たいへん深刻な危険をもたらしていると思います。それこそ背すじが寒くなるような話ですね。
前田 今回の事故にたいして、日本では原子力の安全確保の体制がまったくなっていないと各国から批判されていますが、さきほど紹介された国際原子力機関の安全諮問委員会の「原子力発電所のための基本安全原則」では、安全確保の体制の問題についてもふれていますね。
志位 この報告書ではつぎのようにのべています。
「政府は、原子力産業に対する法律的な枠組みと、原子力発電所の認可と規制および適切な規制の施行を行う独立な規制組織を確立する。規制組織の責任と他の組織との分離が明確であり、これにより規制組織が安全当局としての独立性を保持し、不必要な外圧から守られる」
いかなる外圧からも守られる、独立した規制組織をつくる必要がある。そして、そこに必要な権限を持たせる必要がある。これも国際基準なのです。
ところが日本の場合は、原子力の開発を推進している科学技術庁と通産省が、どんどん許認可をあたえる。その結論を、いちおう「ダブルチェック」ということで、原子力安全委員会がチェックするんだけれども、原子力安全委員会には五人の委員しかいなくて、あとの二百人くらいの専門委員は全部非常勤で構成されていて、審査能力のある組織ではない。ですから、安全審査といっても、日本ではほとんどノーチェックにちかい状況なのです。こんどのJCOの事故の場合も、認可してはいけないものを認可してしまったところに問題があるといいましたが、科学技術庁も原子力安全委員会も、書類審査だけで、ほとんどフリーパスが実態だったのです。
認可したあとはほったらかしです。JCOの東海事業所にたいして、立ち入り検査を七年間にわたってやっていない。ああいう違法な作業がやられていても、まったくこれをチェックする体制もないし、チェックする意思もない。
国際基準では、独立した権限をもった規制機関が必要だということになっているけれども、日本では独立していないうえに、体制もきわめて弱い。ここでも、国際基準は、すっかり無視されている。
アメリカでは、原子力規制委員会(NRC)にだいたい三千人の常駐スタッフをおいて、これが許認可や立ち入り検査、さまざまな改善命令から運転停止にいたるまで、権限をもった強力な機関となっています。それから、イギリスでは保健省、ドイツでは環境省という、原子力の推進部門とは独立した部門が規制にあたっています。それがあたりまえの国際基準なのです。
前田 今回の臨界事故の調査についても、日本の原子力安全委員会は、JCOを認可したという責任があるにもかかわらず、原子力安全委員会の下に事故調査委員会をつくっています。さきほどのアメリカのケメニー委員会のやり方とは、ずいぶん違いますね。
志位 これでは、事故調査委員会をつくっても、真相の解明にいたる保証はまったくないといわなければなりません。科学技術庁も、原子力安全委員会も、ずさんな安全審査をやったという重大な責任をもっているわけで、被告人の席にほんらいはつかなければならない人たちが、裁判官の席について事故の調査をやっても、これはほんとうに底をついた解明になりえないと思います。
アメリカのスリーマイル島原発事故のときのケメニー委員会は、大統領のもとで、原子力規制委員会(NRC)からも独立した事故調査委員会として、徹底的に事故原因の究明をやりました。NRC自身が厳しく裁かれています。NRCの組織を徹底的に改組して、もっと能力をもった、しっかりとはたらく規制機関にしなければだめだという勧告がなされています。アメリカのような事故の原因究明のやり方を、今回の事故にたいして、やらなければならないと痛感します。
前田 志位さんが調査にいって、日本原子力研究所の労働組合の人たちと懇談したときに、原子力の基礎研究が深刻な事態になっていることが話されたようですね。
志位 原研の労組のみなさんと話して、びっくりしたんですよ。はじめに、最近の研究の状況はどうですかと聞きましたら、ある方が「最近では脱原子力の方向にいっているんです」というんですね。私が、びっくりして、原子力研究所が「脱原子力」とはいったい何ですかと聞きましたら、「軽水炉というのは、すでに安全性が実証ずみの技術だ、だから安全性を高めるための研究は、これ以上必要ないということが、方針とされている」ということでした。
たとえば、軽水炉の固有安全炉の研究室が、昨年からなくなってしまったというのです。「軽水炉の安全性は実証ずみ」ということで、原研では原子力研究に予算がつかなくなってしまって、加速器とか計算機などに重点化されているという話でした。
私は、これはたいへん深刻なことだと思いました。こんどの事故にさいしての原研労組のみなさんの提言でも、いの一番に重視しているのは、原子力施設にたいする安全規制体制の抜本的な強化です。アメリカのNRCのように、抜本的に強めていくことが必要だと提言に書いてあります。同時に、そのためには人材が必要だということを指摘しています。ここはたいへん大事なところだと思います。原子炉のいろいろな特性とか、安全性の問題について精通した技術者、研究者をたくさんつくりだしてこそ、しっかりした規制体制がつくれるわけです。
ところが、原子力の基礎研究をやるはずの日本原子力研究所で、原子力の基礎研究、軽水炉の基礎研究が空洞化するという事態になっている。そうなると、安全をチェックする体制をつくろうと思っても、そのための人材がいなくなってしまうという事態になります。そうなると、知識や情報をもっているのは、結局電力会社だけということになる。高速増殖炉の関係については、核燃料サイクル開発機構が、知識と情報を独占するという事態になる。こういう方向にすすんだら、安全無視のしかけであっても、だれからもチェックされなくなる、まったくノーチェックで横行するようになる、という不安を感じました。
原子力発電の技術というのは、もともと原子力セン水艦という軍事からはじまった技術を、むりやり陸上の原子力発電所にあげていったものです。ですから、軽水炉という技術は、もともと未完成の技術です。未完成である以上、安全性の基礎研究は、徹底してきちんとやる必要があるのです。
ところが、その一番やるべき基礎研究のところで、空洞化がすすんでいる。「軽水炉は安全だから研究しなくてよろしい」というのは、まさに「安全神話」が原子力の基礎研究をもむしばんでいるということです。こんなことが放置されたら、ほんとうにたいへんなことになる。「安全神話」が、日本の原子力行政のすみずみまでむしばみ、ゆがめているということを痛感しました。
前田 原発が日本でどんどん増えていて、それに関連する原子力施設もどんどん増えているわけで、さっきいった規制する側の人材が育たないということになると、これはほんとうにたいへんなことですね。
志位 たいへんなことです。安全性をだれもチェックできなくなって、全部電力会社まかせになって、あとはまともな知識のないお役人がノーチェックで書類にはんこを押しているということになったら、ほんとうに恐ろしい事態になりますね。「安全神話」による原子力行政のゆがみを、あらいざらいあばきだして、ただしていく必要がありますね。
(つづく)
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