
2005年4月20日(水)「しんぶん赤旗」
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秋田県南部の湯沢市、稲川町、雄勝町、皆瀬村の四市町村が合併して誕生した新しい湯沢市の市長選挙(十七日投票)で、「新しい湯沢をつくるみんなの会」の鈴木俊夫氏(54)=元湯沢市長=が当選し、初代市長になりました。
![]() 当選を決め、支持者と握手する鈴木俊夫新市長(右)=17日 |
「市政が身近になった」「弱者への思いやりを感じる」「この人なら合併市を担っていける」など、選挙後の街の声も、鈴木新市長への市民の信頼を感じさせます。
こんどの市長選挙は、合併新市への期待と不安が交錯する中で行われました。問われたのは何よりも、新しい湯沢市のまちづくりのリーダーにふさわしいのは誰かということ。市民の選択は鈴木俊夫氏でした。
鈴木氏は、湯沢市議(二期)・県議(二期)のときから、旧湯沢市・雄勝郡全体のために働いてきた政治家。三年前には湯沢市長に選ばれ、住民主役の市政への転換をはかるとともに、合併協議会の会長としてまとめ役を果たしました。
鈴木氏と「みんなの会」は、湯沢・雄勝のために二十五年間ひとすじにがんばってきた実績と、旧市町村の良さを生かした合併新市づくりの政策を堂々と訴えました。
旧市町村の相互理解と融和、地域自治組織への財政支援など合併不安を解消するとともに、県の南の玄関口としての「地の利」を生かし、酒づくりや稲庭うどん、漆器、温泉郷や地域の祭りなど資源や産業の総合力の発揮で活気あるまちづくりを提案。在宅介護の利用料半額補助や就学前までの乳幼児医療費無料化など、旧市町村の良い制度を新市全体で復活・拡充すること、そして計画段階から市民参加の「住民主役の身近な新市づくり」を強調しました。
こうした訴えは、鈴木氏の実績、誠実な人柄とともに、旧湯沢市はもちろん、旧雄勝町、稲川町、皆瀬村の住民の中にも共感を広げました。
「鈴木さんは小さい業者にも仕事がまわるようにしたと聞いた。弱い立場の人も同じ市民としていたわる人だと思う」(旧雄勝町の自営業の男性=五十五歳)、「合併で不便なことが起きても、鈴木さんなら『知らない』と言わずに、いっしょに心を痛めてくれるだろう」(旧皆瀬村菅生の男性=六十歳)、「旧湯沢市の親せきが『介護サービスの料金が安くなってありがたい』と言っていました。合併でうちのほうもそうなるように期待します」(旧稲川町の主婦=六十三歳)などの声が寄せられました。
選挙戦は、鈴木氏のほか、三年前に鈴木氏に敗れた二坂信邦氏(58)=元湯沢市長、遠藤幸次氏(58)=元稲川町長、菅義雄氏(61)=元雄勝町長の四氏の激しいたたかいでした。
二坂陣営は、「共産党市政をやめさせなければ湯沢の発展はありえない」(自民党衆議院議員)と攻撃。とくに公明党と創価学会が「鈴木市長は公約違反。湯沢は崩壊してしまう」(公明党県本部顧問)とデマ宣伝の先頭に立ちました。
たとえば鈴木市長は、公約通り市長専用車を廃止し、市役所へはマイカー通勤を続けました。これにたいして公明党・創価学会は「黒の公用車はやめたが、立派な白のワゴンを乗り回している」とデマ攻撃。専用車を公私に使い批判を受けた二坂氏を推す勢力に語る資格もないデマでした。鈴木陣営は、法定ビラや口頭で事実を示して堂々反撃しました。
「ふだんは共産党じゃない党を支持している」という男性(70)も「鈴木さんが共産党員だということを湯沢で知らない人はいないよ。鈴木さんは市政をガラス張りにすると言って本当に実行した人。それのどこがいけない」と話します。
当選の報を受け、鈴木氏は「公平・公正な行政をすすめます。合併して行政がより身近になったといわれる市政をめざす」と決意をのべました。
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