日本共産党

□ソ連社会とは何だったのか

◇「党綱領改定案」から

 ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で一九八九〜九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。

 ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった。

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◇社会主義とは無縁の人間抑圧型の社会に成り下がったソ連

 ソ連の覇権主義がこの間に表面化し、社会主義の精神に反するその実態をさらけだしながら、最後には崩壊にいたったことであります。私たちは、ソ連の覇権主義との闘争に正面から取り組みながら、それを生み出したソ連社会の実態についても研究をおこない、「ソ連社会は、対外関係においても、国内体制においても、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会であった」という結論的な認識に到達しました。この面からいえば、党綱領の制定以来の四十二年間は、こういう認識の確立にいたる過程だった、といってよいと思います。

 若干経過的にふりかえると、最初にぶつかったのは、社会主義の立場に立っているはずのソ連からの、日本共産党にたいする無法な干渉攻撃でした。こんな無法な行動に出る相手は、社会主義ではありえない、というのが、当時の私たちの直感的な認識でした。そして、私たちは、わが党にたいする干渉だけでなく、ソ連の国際政治の上でとる覇権主義の政策と行動にたいして、きびしい批判と告発、三十年にわたる闘争をおこない、世界におけるその役割は、進歩と平和への逆流、「巨悪」だと位置づけました。私たちは、ソ連社会の実態についても、研究をおこなってきましたが、この「巨悪」が崩壊したときに、崩壊のなかで明らかになってきた諸事実を綿密に分析し、ソ連社会の実態についても、第二十回党大会で、さきにのべた結論的な認識に到達し、これを定式化したのであります。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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◇世界の歴史にいまだ先例のない、新しい事業へ

 社会主義という問題ではいろんな誤解があります。社会主義をめざすといいますと、貧しい窮屈な社会を考える人もいます。しかし、それは、これまでの社会主義をめざす試みが経済力のまだ弱い国で始まったから、貧しい状態があらわれたということであります。そういう国ぐにの中で、ソ連のように、途中で変質して、社会主義とは無縁の人間抑圧型の社会に成り下がって、解体してしまった国もあれば、中国のように、いろいろな危機をへ、いろいろな動乱をへて、社会主義をめざす自分なりのレールをようやく見つけ出し、世界から注目されるような活力をいま発揮している国もあります。しかし、その中国でも、国民一人あたりの国民総生産で経済力を比べますと、現状は日本の四十分の一なんです。いま、一番新しい統計は二〇〇一年のものしかないのですけれども、中国の一人あたり国民総生産は、八百九十ドルでした。一ドル百二十円で計算したら、十万六千円というところです。同じ年の日本の一人あたり国民総生産は、三万五千九百九十ドル、四百三十二万円ですから、四十倍の開きということになります。 資本主義の時代にそれだけ高度な経済発展をとげたその日本国民が、より進んだ社会をめざして、社会主義・共産主義の社会を探求する道に踏み出したとしたら、それは文字どおり、世界の歴史にいまだ先例のない、新しい事業になるわけです。その事業の前途を、経済力の弱いところから出発した国がこうだったから、ああだったからということで推し量ろうというのは、まったく見当はずれの議論だということを、私はまず最初に申し上げたいのであります。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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