講演する不破哲三議長 |
会場のみなさん、また、全国でCS通信をご覧のみなさん、こんばんは。日本共産党の不破哲三でございます(拍手)。今夜は、日本共産党の創立八十一周年の記念の集まりに、たくさんの方がおいでいただきまして、本当にありがとうございます。まず最初に、心からお礼申し上げます。(拍手)
私たちは、先月の六月、第七回中央委員会総会を開きました。これは、党綱領の改定案を決めるのが中心の仕事だったのですけれども、あわせて、たいへんつらい決定をおこなわなければなりませんでした。それは、筆坂秀世前参議院議員のセクハラ問題についての、罷免の決定でありました。
「つらい決定」といいますのは、何よりも、この発表が、全国の党員、後援会員、党支持者の心をいかに傷つけ、怒りと悲しみを呼び起こすか、このことを考えたからであります。
しかし、どんなにつらくても、この処分の決定と発表を、避けるわけにはゆきませんでした。「市民道徳、社会的道義を厳しく守る」ということは、日本共産党と国民のみなさんとの関係をささえる、もっとも重大な問題だからであります。
私たちは、三年前の党大会で、規約を改定いたしました。第五条「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」、このことを明記いたしました。これまでは、党員の権利、義務といえば、党のなかでの規律の問題がやはり第一でした。大会の報告でも強調したのですが、私たちは、「党と社会との関係、そこでの党員のあり方を第一に重視するという見地」で、規約のこの改定をおこなったのであります。
今回の問題にたいしても、私たちは、この精神を最優先にしてあたりました。処分の内容、その重さについては、いろいろな意見がありうることであります。私たちは、この問題で、道義を守ることの重要性に加え、筆坂さんの地位と立場の重さを考えて、役職からの罷免という措置を決めたのであります。
党の指導部の一員が、このような誤りを犯し、有権者から与えられた国会議員の地位をひかざるをえなくなったことについて、党中央を代表して、心からのおわびを申し上げるものであります。
私たちは、今回の問題を取り扱うにあたって、被害を受けた女性の立場を考慮して、事情の詳細は発表しませんでした。これは、セクハラ問題では、とるべき行動の基準の一つだと考えています。この点について、いろいろな批判が出たので、若干、のべておきたいと思います。
一つは、筆坂さんがもっと重大な誤りを犯していることを隠すために、事情説明をしないのだ、という批判がありました。私たちは、そんな姑息(こそく)なごまかしは、絶対にいたしません。むしろ、筆坂さんの地位の重さを考えて、より、厳しい処分をしたのであります。その経緯は、当時発表した常任幹部会の文書(「しんぶん赤旗」六月二十六日付)で、説明した通りであります。
もう一つ、これは説明責任を回避したものだ、共産党の“隠ぺい体質”のあらわれだ、こういう批判もありました。私は、この批判は、汚職などの政治的な不祥事と今回の事件とを混同したものだと考えています。
政治的な腐敗事件なら、事件の背景は何か、人脈的にどういう関連があるか、当然、これらが問われます。その説明を避ける政党があれば、説明責任が問われるでしょう。
しかし、今回の事件では、わが党には、政治的に隠すべきなにものもありません。発表する点で私たちがもっともつらかったのは、指導部の一員で、国会議員であるものが、この種の誤りを犯し、党が処分したという事実そのものでありました。そしてまた、問題の核心も、ここにありました。
それ以上の説明をせよと要求されても、結局それは、事態の状況描写につながらざるをえないのであります。私たちは、これは二次被害を生むおそれがあると考えて、こういう態度をとったものであります。
セクハラ問題では、どんな範囲の言動がそれに含まれるか、被害者のプライバシーを守り、二次被害を起こさないようにどんな注意が必要かなど、社会的モラルの基準が確立しはじめたところであります。今回、各方面からいただいた、いろいろなご意見を見ても、こういう問題の見方には、かなり違った意見が、まだあることを感じました。
しかし、政党としては、極力、確立しつつある基準に沿った行動をする責任があると考えており、そういう考え方、そういう気持ちで、この問題にあたってきたことを、ぜひ、見ていただきたいと思います。
わが党の活動には、いろいろな逆風があり、波乱があります。今回は、党中央の内部の問題で、社会にたいしても、そしてとくに、全国の党員や党支持者のみなさんに、絶大なご迷惑をおかけしました。重ねて、おわびするものであります。
このことが大問題になっているさなか、七月六日に全国で六つの市町での中間選挙がありました。この逆風のなかで、たいへんな苦労をされているだろうと、固唾(かたず)をのむ思いで、結果を待ちました。十名の候補全員の当選でした(拍手)。なかでも、現職三名の当選をかちとった愛知県刈谷市、定数が削減されたなかで一議席から二議席への議席増をかちとった岩手県紫波町および鳥取県鹿野町、これらの党組織の奮闘は、感動的なものがありました。私は、それぞれの市や町が属する三つの地区委員会――愛知県の西三河地区委員会、岩手県の盛岡地区委員会、鳥取県の東・中部地区委員会に電話しまして、選挙戦での苦労の実情をうかがいましたが、住民や労働者の要求にこたえての普段からのがんばりが、こうした逆風や波乱を超えての前進の大きな力になったというのが、三つの地区から共通して語られたことでした。
私たちの運動は、党員一人ひとりが、国民のために、よりよい社会をと願って集まった人間の集団であり、その運動であります。そのなかで、思わぬ挫折に直面することもあります。多くの方が、自分にはかかわりのないところで起きた事件のために、いろいろな批判にさらされ、やり場のない怒りや気落ちに包まれたことは、よく分かります。
しかし、こういうときに、失望や気落ちから運動を小さくしてしまったら、国民のためによりよい社会を、という私たちの運動の基本が失われることになります。
党中央は、今回の事件から教訓を学び、市民道徳、社会的道義のうえでも、社会の共感と信頼に値する政党として成長・発展する努力を、いっそう尽くすつもりであります。(拍手)
その面でも、全国のみなさんのご協力を、あらためてお願いしたいと思います。
さて、次の問題、党綱領の改定の問題に進みます。
いま私たちが持っている綱領の路線は、いまから四十二年前、一九六一年の第八回党大会で決めたものであります。この路線の一番の値打ち、真価といいましょうか、それは、日本がいま必要としている変革は民主主義革命だ、ということを見定めたところにありました。
社会をどうやって変えてゆくのか。日本は資本主義の社会ですが、だいたい社会はこれでいい、あるいは資本主義社会のままで、ごく部分の改革さえすればいい、こういう見方が一方にあります。
それからまた、資本主義はダメだからその現状を変えよう、そのためにはいますぐ社会主義をめざして運動を進めるべきだ、こういう考え方も当時ありました。
私たちはそのどちらも取らず、民主主義革命という政治や経済の大転換が必要だ、こういう方針と見通しを四十二年前に立てたわけであります。
当時、世界の共産党のなかでも、日本のように進んだ資本主義の国で、こういう方針を立てた党は一つもありませんでした。しかしいま、日本共産党が、これだけ進んだ資本主義の国で、民主主義革命の方針を持って長年がんばり、それによって前進をかちとっている、このことについては、いま世界の多くの方面から注目が寄せられています。
実際、私たちが綱領を決めてから四十二年間、いろんな苦労をし、前進もあれば後退もありましたが、日本共産党のこの間の前進は、どの活動も民主主義革命というこの路線に結びついていました。
第八回党大会のときには、政治勢力としていいますと、わが党の議席は衆議院三議席、参議院三議席、地方議会で八百十二議席でした。現在われわれは、その間のいろいろな一進一退がありましたが、衆議院二十議席、参議院二十議席、地方議会で約四千二百議席、地方では第一党といわれるところまで前進をしております。この前進も、民主主義革命の路線を堅持してきた成果であります。
ですから、私たちは今回の綱領改定にあたっても、日本が当面必要としている変革は民主主義革命だというこの立場、路線はしっかりと受け継ぎました。
ではこの日本で、どうして民主主義の革命なのか。
革命というのはなにも物騒なことではありません。中央委員会でものべたことですけれども、前の首相の森喜朗さんは「IT革命」という言葉が大好きでした。いろんな分野で何か大きな変化を起こそうとすると、何とか革命、何とか革命、こういうことがしきりにいわれます。政治の舞台でいえば、政治や経済の大きな流れを変えること、これが革命と呼ばれるものであります。
ではいったいこの日本に、そういう変化を必要としている問題はないのか。私たちは現在の日本には二つの大きな問題があると考えています。
一つは、日本が本当の独立・主権の国とはいえない状態にあることであります。
日本が戦争に負けてから五十八年たちました。敗戦のときにアメリカが日本を占領して、占領軍の権力で日本中に米軍基地をつくりました。その基地の骨組みが沖縄にも、そしてこの東京にも―横田基地がその代表ですが―、あるいはお隣の神奈川の横須賀の軍港にも残っています。そしてアメリカ軍のこれらの基地は、アメリカが自分の戦争のために勝手に使える仕組みになっています。こういうことは、日本の長い歴史の中でもかつて経験したことがないことであります。
そういう状態にある国を独立国とはいえません。しかも、そういう状態にあるために、日本の政府は、アメリカがやる戦争については、どんなに無法な戦争、道理のない戦争であってもすべて賛成する、そういう立場に縛られています。二十世紀の六〇年代から七〇年代にかけて、アメリカがベトナムへの侵略戦争をやりました。日本はその最前線の基地になりました。この戦争がいかに無法な侵略戦争であったかということは、いまでは世界で隠れもない事実ですけれども、日本の政府はこれにまったく反対せず、いまでもこれに協力したことを反省していません。
テロ問題が起きたときに、アフガニスタンがテロの拠点だというので、アメリカが報復戦争を仕掛けました。私たちは、こういうやり方ではテロはなくならない、世界の世論と正義の道理でテロ勢力を追い詰める、これが大事だと訴えましたが、日本の政府はアメリカの報復戦争に無条件で賛成でした。
続いてアメリカがイラクに戦争を仕掛けました。国連では最後まで議論が続きました。北大西洋同盟条約という、日米安保条約よりも歴史の古い軍事同盟をアメリカはヨーロッパ諸国との間に結んでいましたが、このなかでも大きく意見が分かれました。しかし、そのときも日本の政府は、アメリカがやる戦争なら賛成だと、イラク戦争賛成の態度をとりました。
そしてアフガニスタンにたいする戦争では、自衛隊の軍艦をインド洋に送り、イラクの戦争のときにもその軍艦が引き続きインド洋に残っていてアメリカの戦争に協力する、こういう態度を取りました。
“日本政府はアメリカのいうことには絶対に反対できない政府だ”、このことはいま世界中で有名になっています。
しかもみなさん、いま新聞をご覧になると、あの対イラク戦争に、いったい道理があったのか、大義があったのか、このことが当のアメリカやイギリスでも大問題になっているでしょう。
アメリカのブッシュ大統領は“イラクは大量破壊兵器を確実に持っている、われわれはその証拠を握っている、国連がいくら査察しても見つける能力がない、だから国連の査察を相手にしないで、われわれが戦争で解決するんだ”といって、一方的に戦争を始めました。ところが、戦争が終わってイラク全土を占領したが、何カ月たってもどうしても見つけることができない。ですからいま戦争をやったアメリカでも、イギリスでも、議会やマスコミでこの戦争が正当な戦争であったのかどうかということが大問題になっています。
ところが日本政府はどうでしょう。小泉首相がアメリカのイラク戦争に賛成する根拠にしたのは、ブッシュ大統領がイラクには大量破壊兵器があるといっているということ、それだけでした。あれだけ国際的に議論されて、さまざまな角度から検討されても、そういうものにはいっさい耳を傾けず目を向けない、ブッシュ大統領がいっているから間違いない、それだけで、あの不法な戦争に日本を引きずり込み、自衛隊を戦争に協力させたのです。
しかもいまの国会には、イラク新法といって、自衛隊をアメリカのイラク占領軍の応援部隊として派遣する法律がかけられて、衆議院では通過し、参議院も間もなく強行をはかるという段取りになっています。
アメリカやイギリスが戦争の根拠にし、日本政府も戦争支持の根拠にした大量破壊兵器の存在、それがどうだったのかがいま大問題になっているのに、自分が根拠にしたことが正しいかどうかの検証もしないで、イラクに自衛隊を送り込む次の法律を平気で用意する。みなさん、これぐらい自主性のない国はいま世界には見あたりません。
一昨日(七月十六日付)の「しんぶん赤旗」にエジプトの有力な新聞で論陣を張っている方(アルアハラム紙のコラムニスト、サラマ氏)が、「赤旗」記者とおこなったインタビューが掲載されました。この方は、その中で、日本がイラクに自衛隊を派遣したら、日本とアラブ諸国の関係が台無しになる、そういう心配をしながら、こういっていました。
「私たちは日本人やその文化に親しみを持っています。しかし懸念するのは、今回のように国際的な危機が発生したときにはいつも日本政府が米政府の政策に従うことです。それも盲目的に、よく考えることもなしに」。よく見抜いているじゃありませんか。「これではわれわれは日本の外交政策を信用することができなくなります」。
この気持ちはけっしてこのエジプトの一論者だけのものではありません。私たちはこの間、アラブの国ぐにともアジアの国ぐにとも、そしてヨーロッパの国ぐにとも多くの対話や交流をおこなってきました。ほとんどの国の代表が、“日本はアメリカになぜノーといえないのか。そんな状態を続けていたら、いったい二十一世紀にどんな道があるというのだ”、そういう気持ちをズバリズバリと語ります。
みなさん、私たちは、綱領改定案で、この現状を、いまの日本は「きわめて異常な国家的な対米従属の状態」にあると表現しました。この状態から抜け出さない限り、私は、二十一世紀の国際政治で、日本が国際社会の尊敬や信頼をかちとりながら生きてゆく道はないと思います。
従属国から抜け出さない限り、二十一世紀の世界で日本が堂々と生きていく道はない。しかし、この大問題を正面から取り上げている政党は日本共産党だけというのが、残念ながら日本の政界の現状であります。
しかしみなさん、ここには二十一世紀に、日本の国民がどんなことがあっても解決しなければいけない大問題があります。日米安保条約を国民の総意で廃棄して、独立・自主・非同盟の日本に道筋を切り替える。そして、平和の憲法をいかして、世界から信頼される、自分の足で立った平和の外交に転換する。私たちはこの切り替えこそがいま日本がぶつかっている大きな大変革の一つになると考えています。(拍手)
二番目に私たちが痛感しているのは、日本経済の弱点・欠陥にメスを入れる民主的改革が必要だということです。
改革といえば、いまほど「改革」という言葉が政界ではやっていることはありません。しかし、改革を真剣に問題にするには、日本経済のどこに弱点があり、どこに欠陥があるか、どこに病んだ部分があるのか、これをはっきりさせて、その弱点・欠陥・病気を取り除く方針を立てなければウソであります。それを抜きにした言葉だけの「改革」は国民を苦しめるだけ、このことは小泉内閣の二年間が何よりの証明となっているのではないでしょうか。(拍手)
では、日本経済、日本資本主義の弱点はどこにあるのか。日本の現状を同じ資本主義国でもヨーロッパの国ぐにと比べてみると、問題がはっきり浮き出てきます。大企業の横暴勝手が野放しにされて、国民の暮らしや権利を支える手だて、仕組みが貧弱だということ、ここに私は、日本経済の最大の弱点・欠陥があると思います。
いくつかの実例を挙げてみましょう。
日本で働いている方の大部分は、企業で働いている労働者の方々です。その労働者の方々が、同じ資本主義の国でも、ヨーロッパの労働者とどれだけ違った状況におかれているか、という問題です。
職場に行きます。日本では法律や協約で七時間とか八時間とか一日の労働時間が決まっていても、それに残業がついてくるのが当たり前になっています。しかしヨーロッパでは、七時間と決まったら一日の労働時間は七時間なんです。よほどのことがない限り追加の残業はありません。
だから、労働者もその家庭も、七時間の仕事がすんだらきちんと帰ってくるということを基準にして、生活を組み立てています。ましてや、ただ働きのサービス残業なんてことは、考えられもしません。私たちがヨーロッパの方々に日本の実情を説明しても、理解してもらうのにたいへん苦労するのです。
労働時間の関係では、くわえて有給休暇の問題があります。日本では、法律では最高二十日と決まっています。しかし、二十日の休暇をまとまって取る人はあまりいないで、病気欠勤の穴埋めに使う、それも使い残して、政府の統計だと半分も使われていないのが実情です。ところが、ヨーロッパでは、たとえばドイツでは二十四日、フランスでは三十日と決まっていますが、これをばらばらで使う人はいないんです。みんな、夏休みなどにまとめて使う。ドイツでは法律の想定をこえて、労使の協定で夏四週間、冬二週間、休暇をまとめてきちんと取ることがだいたい、世間の標準になっています。
さらに労働強化による「過労死」が日本では大問題ですが、これはほかの国では例のないことで、それにあたる言葉はどこにもなく、「カローシ」という日本語で、世界に通用しています。それぐらい、労働強化の面でも、日本は異常なのです。
解雇されるときはどうか。日本には、労働者を解雇するときに、資本が守るべきルールを決めた法律はありません。しかし、ドイツでもフランスでも解雇制限法、解雇規制法というのがあって、道理のない解雇は厳しく禁じられています。
しかも、解雇されたあとはどうなるかというと、失業保険の長さがまるで違います。日本では相次ぐ改悪で、いま定年退職だと失業保険は約五カ月、リストラでも、最高十一カ月でしょう。ところがドイツは、失業保険は最高三十二カ月ですから、二年以上職を探しながら生活ができます。フランスではいま、最高六十カ月です。
ヨーロッパと日本では、同じ資本主義国といっても、働くものの立場を守る仕組みがこれだけ違うのです。
政府の側の問題はどうでしょう。これは選挙のときにくりかえし訴えてきたことです。世界中で、国民の暮らしを支える社会保障のために、国や地方が出す支出よりも、大型プロジェクト中心の公共事業に出す支出の方が多いなんていう国は、日本以外どこにもありません。つまり、企業と労働者のあいだの関係で、働くものの暮らしや権利を支える仕組みが弱いのに、それに加えて、政府の税金の使い方も逆立ちになっています。
ここに、実は、日本経済の最大の弱点があるのです。だから、不況に見舞われると、日本は不況が特別に深刻になります。いま、株価が少し上がったといって政府は喜んでいますが、もっとつっこんだ経済評論を見ると、株価は上がっても雇用が伸びない、消費も伸びない、まだたいへんだということが指摘されています。専門家は、国民の消費という一番の経済の土台を見るのです。それが日本ではたいへん弱くて、もっとも不安定だということ、この根本の弱点が日本経済をとりわけ基盤の弱いものにしているのです。
私たちは、こういう点をしっかり見て、この弱点を大もとから正そうじゃないか、このことを、経済改革の方針として、今度の綱領改定案で明確にうちだしました。
ヨーロッパにはあるが、日本にはルールがないか弱い、そこを改革して、国民の生活と暮らし、権利を守る“ルールのある経済社会”をつくろうじゃないか。国民に薄く、大企業に手厚い税金の「逆立ち」した使い方を変えようじゃないか。大企業にもそれなりの社会的責任をきちんと果たしてもらおうじゃないか。そういうことをはっきりと示したのが、私どもの経済の民主的改革の方針であります。
では、「改革」という言葉があれだけ好きな自民党・小泉内閣は何をやっているのか。私は、小泉さんの「改革」はエンジンが逆向きだと思うのです。
小泉さんは「官」と「民」ということをよくいいます。これは日本の政界でははやりの言葉なんですね。「官」と「民」――。「官」中心の仕組みを「民」中心に変えようじゃないか、などといわれます。この「民」が「国民」の「民」なら、話が分かります。ところが小泉内閣の「民」は、「民間企業」の「民」なんです。大企業、つまり経団連など財界のことです。だから、「改革」といってやってきたことは、最初からみんな逆向きのエンジンがついているのです。
たとえば、今から七年前、橋本内閣のころに、銀行の問題で「護送船団方式」ということが問題になりました。“だいたいいまの日本の銀行業界は、大蔵省が手厚い援助で支えてやっている。そんな「護送船団」方式をやめてもっと自立させろ”、こういうことがしきりにいわれました。
そうして始まった「銀行改革」、「金融改革」でしたが、そこで何が起きたでしょう。「護送船団」はだめだといわれだしてから現在まで、政府が銀行につぎ込んだ公的資金は三十三兆三千億円にものぼります。そのうちもうこれは絶対返ってこないということが決まってしまったのが十一兆九千億円です。政府が手取り足取り銀行を応援するんじゃだめだ、自立させろといった言葉の下でおこなわれた銀行改革で、国民の税金が新たに三十三兆円もつぎ込まれ、そのうち十二兆円はつぎ込みっぱなしでもう返ってこない。これをやってきたのが橋本内閣であり、小渕内閣であり、森内閣であり、小泉内閣です。流れは何も変わっていないのです。
それから、財政がおかしくなると、「税制改革」とよくいいます。いまから十四年前、「税制改革」騒ぎのなかで、消費税が導入されました。それからも「税制改革」、「税制改革」といわれつづけてきました。そこでなにが起こったでしょうか。
一年間まるまる消費税がかかるようになった最初の年が一九九〇年ですが、それ以来現在まで、「税制改革」の積み重ねで、誰の税金が一番減ったかというと、企業が払っている法人税です。中央、地方を合わせて、法人税は、一九九〇年の二十八兆九千億円から、今年二〇〇三年の十五兆円(予算)まで、十三兆九千億円減り、半分近くになりました。この中には、不況でもうけが減った分ももちろん入っていますが、「税制改革」が企業減税にずっと集中してきたことが大きく働いています。これにたいして、いちばん増えたのは国民みんなから取りたてる消費税です。一九九〇年の五兆八千億円から今年二〇〇三年の十一兆九千億円まで六兆一千億円の増税、二倍をこえる大増税であります。法人税は十三兆九千億円の減税で二分の一に、消費税は六兆円の増税で二倍以上に。「税制改革」のエンジンがどっちを向いているか、明りょうではありませんか。
しかもいま、これからの「税制改革」の議論が自民党内でも財界でも盛んであります。なにを議論しているか。消費税をもっと増やそうじゃないかという議論です。政府の税制調査会、税制改革の案をつくるところですが、ここは、いまの税率5%を10%に増やそうといいだしました。試算をしますと二十五兆円になります。法人税の総額をはるかに超えて、みなさん方の暮らしのなかから二十五兆円の税金を取りたてようというのが、政府税調の方針です。財界になると目標はもっと巨大です。10%なんてのは志(こころざし)が小さい、消費税の税率を16%に引き上げようというのが経団連の奥田さんの提案です。なんと四十兆円の消費税ですよ。大企業、中小企業ふくめて日本の企業の全体がいま払っている法人税総額の二倍をはるかに超える。それだけのものをみなさんの暮らしのなかから取りたてよう、ということです。
小泉さんは“私の任期の間は上げない”などといっていますが、次の内閣がそういう税制改革をやるための準備を一生懸命やっているのが、現在の自民・公明政治の実態なのです。これもまた、まさにエンジン逆向きではありませんか。(拍手)
私はいま、日本を本当の独立国にする問題、日本経済の弱点をただす問題、この二つの改革が大事だといいました。この大改革を二つながらにやったら、みなさん、日本の政治の流れ、経済の流れが大もとから変わります。資本主義の枠内ではあるが、日本が自分の足でしっかり歩く主権・独立の国になると同時に、経済でも国民の暮らしと権利が大事にされるようになります。大変化じゃありませんか。これが民主主義革命というものであります。(拍手)
だから私たちは、四十二年前に見定めたこの方針、これは四十二年間の私どもの経験、国民の経験によって裏付けられていると考えて、この方針は綱領改定案にしっかり引き継ぎました。
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では、民主主義革命の問題で改定したところはないのか。私たちはその民主主義革命論をより合理的、現実的なものにするために、だいぶ大幅な改定をおこないました。
その一つに、民主連合政府の問題があります。
私たちは、国民みんなの力でつくる政府として、民主連合政府という目標を、長い間掲げてきました。民主連合政府になったらこういうことをやるという政策を、選挙でも訴えてまいりました。いま私たちの方針では、二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくろう――先ほど市や町で民主政治をつくっている経験が、四人の首長の方から話されましたが、市や町だけではなく、この政府によって国全体の規模で新しい政治を起こそう、このことをずっと言ってきました。
これだけ力を入れている民主連合政府なのですけれども、いままでの綱領の文章でいいますと、民主連合政府が民主的改革の方針を実行してやっても、それはまだ民主主義革命ではなく、この先がまだあるんだという位置づけになっていました。
なぜそんなことになったのかというと、この問題には歴史があったのです。私たちが民主連合政府という目標を最初に掲げたのは、綱領を決める前、一九六〇年の安保闘争という全国的な大闘争があったときでした。いまの安保条約を結ぶことに反対した闘争で、そのときに安保条約反対ということを共同目標にして、共産党、社会党、総評などが大同団結して統一戦線をつくりました。その団結を基礎にして、国会で多数をとったら民主的な政府をつくろうということで、私たちが民主連合政府という目標をかかげたのです。
こういう経過でしたから、そのときには、政府の性格は「安保条約に反対する民主連合政府」というものだったのです。だから、経済の問題も政治のほかの分野の問題もまだ話にならないという段階でした。そういう時期に、いまの綱領の文章を決めたので、民主連合政府を打ち立てて、改革を実行しても、それはまだ民主主義革命とよぶところまでいかない、こういう内容の文章になっていたのです。
しかし、それから四十二年たちまして、私たちの民主連合政府の構想もだんだんふくらんできました。いま「日本改革」といって、みなさんに訴えていますが、そこでは、経済の問題も、安保・外交の問題も、教育や文化の問題も広く取り上げて、民主連合政府はこういうことをやるつもりですといって、みなさんに訴えています。
そうなってくると、「民主連合政府はまだ革命じゃありませんよ」という話は、実際に合わなくなってきます。先ほどお話ししましたように、私たちの民主主義革命の方針というのは、安保条約をやめて日本を本当の独立・主権の国にする、日本経済の弱点をただして、日本経済がヨーロッパの社会にまけないようなルールと秩序を持ち、国民の暮らしに光をあてる経済の仕組みになるようにする、これが大きな目標です。
私たちは、民主連合政府の性格をめぐるこういう発展を綱領にきちんと取り入れることにしました。国民多数の支持をえて民主連合政府をつくり、この政府が安保条約をなくし、経済改革を実現していけば、それがまさにわれわれがめざしている民主主義革命を実行することになるんだ、そういう関係を、新しい綱領改定案でははっきりさせたわけです。これが一つの点です。
それから、今度の綱領改定案で民主主義革命論を仕上げるなかで、天皇制や自衛隊の問題についても、これがどう扱われるかを、より具体的に書くことにしました。先ほどの町長さんのごあいさつのなかでは、「だいぶやりやすくなった」という声もありましたが、一方で、このことを見て、「共産党はいままでがんばってきた旗をおろして現実に妥協しすぎるんじゃないか」、こう心配する声も聞かれます。しかし、「妥協のしすぎ」というのは、誤解であります。大事な点ですから、少し立ち入った説明をしておきます。
まず天皇制の問題です。
戦前の日本では、日本共産党は「天皇制打倒」という方針をかかげました。戦前は、天皇が国の全権力を体現していましたから、天皇が全権限を握るという政治の仕組みをなくさない限り、平和もない、民主主義もない、社会のいろんな改革もないのです。天皇制打倒の立場に立たないと、国民主権の民主主義の立場も、侵略戦争反対への反戦の立場も、成り立ち得ない。そういうときですから、わが党の先輩たちは、命がけで天皇制反対、天皇制打倒の旗をかかげたのです。このために「国体に反対する」ということで迫害され、随分多くの方たちが命を落としました。しかし平和と民主主義のために、この旗を貫きました。
しかし、戦後は、みなさんご存じのように、天皇制の性格と役割が憲法で変わりました。戦争前は天皇というのは、日本の統治者で、国の全権限を握った存在でした。ところが今の天皇は「国政に関する権能を有しない」、つまり、国の政治を左右する力はまったく持たないものだということが、憲法第四条に明記されています。だから、天皇制をなくさないと、私たちがかかげる民主的な改革、安保条約の廃棄もできないとか、国民の暮らしを守るルールもつくれないとか、そういうことはないわけです。だから私たちは、四十二年前に綱領を決めたときも、実際にはもっと前からですが、「天皇制打倒」の旗をかかげたことは一度もないのです。
もちろん私たちは、日本の国の制度、政治の制度の問題としては、一人の個人が「日本国民統合」の象徴になるとか、あるいは一つの家族がその役割をするとか、こういう仕組みは民主主義にもあわないし、人間の平等の原則にもあわないと考えています。ですから将来の日本の方向として、どういう制度をとるべきかということをいえば、天皇制のない民主共和制をめざすべきだというのが日本共産党の方針であって、この点に変わりはありません。
しかし天皇制というのは、憲法で決められた制度であります。日本共産党の考えだけで、変えられるものではありません。日本の国の主人公である国民の間で、民主主義をそこまで徹底させるのが筋だという考えが熟したときに、はじめて解決できる問題であります。それまでは、私たちの好き嫌いいかんにかかわらず、憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度だと私たちは考えています。
では、共存しているときに何が大事かといえば、私はこの点でも、憲法で決められたことをきちんと守ることが非常に大事だと思います。先ほどいいましたように、憲法第四条には、天皇は「国政に関する権能を有しない」と書いてあります。
世界にはいろんな君主制があります。イギリスではいま女王が君主の地位についています。こういう君主制の国では、国政に関する権能をまったく有しない君主というものはいないのです。君主というからには、統治権の一部は必ずもっており、「国政に関する権能」を持っているのです。それを憲法で、勝手なことができないよう制限している、これが立憲君主制なんですね。みなさんご存じでしょうか。イギリスの議会で施政方針演説を誰がやるかというと、書くのは政府ですが、議会でこれを読み上げて演説するのは女王なんです。やはり君主として統治権を持っていることのあらわれが、そういうところに起きるわけですね。日本のように、「国政に関する権能を有しない」ということを定めた条項をイギリスは持っていません。
国の政治の体制の性格をみるには、主権がどこにあるか、ということが一番大事です。日本は、憲法で国民主権を明確に宣言している国ですから、天皇主権の国ではなく、天皇と国民が主権を分かち持っている国でもありません。主権が国民に属する国ですから、日本の今の政治の体制を君主制だというと、これは大きな誤解を生むことになります。だから今度の綱領の改定案では、その種の言葉はやめました。
そうすると、天皇制と共存している時期に何が一番大事か。憲法のこの条項を守ることです。国政に関する権能がないのに、昔のように、天皇にだんだん政治的な権能を持たせようとするような動きとか、君主扱いするような動きとか、そういうものが、いろんな形で顔をだし、むしろ強くなってゆく傾向にあります。これにたいして、日本共産党が、憲法に照らして、そういう間違いをきちんと正そうじゃないか、天皇制の問題でも、憲法どおりの政治の運営、国の運営もやろうじゃないか、こういうことをきちんとやることが大事です。そのことを私たちは今度の改定案で具体的にうたいました。
まとめていいますと、私たちは、目標としては民主主義の精神、人間の平等の精神にたって、天皇制をなくす立場に立ちます。これをどうして実現するかといえば、主権者である国民の多数意見が、その方向で熟したときに、国民の総意で解決する、ということです。これが、天皇制の問題を解決してゆく、道理ある方法だと考えて、今度の綱領に明記したわけであります。
次に自衛隊の問題です。
憲法との関係は違いますが、自衛隊の問題にも、解決の仕方には、天皇制の場合とよく似た問題があります。日本の憲法第九条には、日本は戦力を持たない、それからまた、武力行使はしない、武力による威嚇もしない、国際紛争の解決に武力は使わない、こういうことが明記してあります。
この条項に照らしていえば、自衛隊をもっとも強く擁護する人でも、いまでは自衛隊が戦力であることを否定する人はいません。その点からいっても、いまの自衛隊のあり方、ついに海外派兵までやるようになった現状が憲法違反であることは明らかであって、自衛隊を違憲の存在だとするわれわれの立場は少しも変わりません。
しかし、これも、日本共産党がそういう主張をし、そういう立場をとっているというだけでは、解決できないのです。
すでに半世紀、国民は自衛隊とともに生活してきました。“安保条約と自衛隊なしに日本の安全は守れない”ということが、それこそ、国をあげてという形で広められてきました。憲法と自衛隊との矛盾を解決するには、やはり、国民の合意というものが何よりも大事になります。
私たちはこういう立場で、三年前の党大会で自衛隊の段階的解消という方針を定めました。
民主連合政府ができますと、安全保障の問題で、まずやることは安保条約をなくすことです。これについては安保条約に規定がありまして、日本政府が安保条約はいらない、廃棄するという日本の意思をアメリカに通告すると、アメリカの同意がなくても一年たったら条約はなくなる、こういう取り決めがあります。この取り決めに従って、廃棄の通告によって安保条約をなくす、民主連合政府はまずこのことを実行するでしょう。それはもちろん、国民の合意がなくてはできません。
しかし私たちは、「安保条約をやめて、日本の独立を回復しようじゃないか」ということで、国民多数が賛成だということになったときにも、その多数の方が「一緒に自衛隊までなくしちゃおうじゃないか」ということに簡単に合意するとは思っていません。いくら憲法第九条があっても、「自衛隊をなくしてもいいよ」という気持ちに国民がなるには、やはりそれだけの時間と手続きがいると考えています。日本が憲法第九条に従って、自衛隊を持たなくてもちゃんとアジアで平和に生きていけるじゃないか、そういうことに国民が確信を持てるようにならないかぎり、その合意はすぐ生まれるものではないのです。
だから私たちは、三年前の党の大会で、自衛隊については、「段階的解消」という方針を決めました。軍縮などの措置はすぐにとりかかることができるでしょう。何しろ今の日本は、憲法第九条で軍隊を持ってはいけないことになっているのに、軍隊に使っている軍事費は、アメリカに次いで世界で二番目、そこまで大きな軍隊を持つ国になってしまっているのですから、その流れを、軍備拡大から軍備縮小に切り替える、この仕事にとりかかることが大事です。
そういうことをやりながら、アジアの平和な関係を築く努力を最大限にやる。東南アジアでは、どんな国際紛争も武力ではなく平和な話し合いで解決しようということが、東南アジアのすべての国の合意になっています。そういう合意が北東アジアに広がり、アジア全体に広がってゆくなかで、私たちが憲法第九条を条文どおりに具体化しても、アジアの国ぐにとちゃんと安心して平和に生きていけるような、そういう状態をつくりあげることができます。その努力を日本が先頭に立ってやる、こういうなかで、憲法の完全実施に向かって一歩一歩前進していこうじゃないか、こういう方針を三年前の大会で決めました。
そのことを、今度の綱領改定案では綱領らしい形で明記したわけであります。
私どもの綱領改定案についてマスコミに書かれるものを読みますと、いちばん興味をもって見ていただいているのが天皇制と自衛隊の問題で、「容認に変わった」「容認に変わった」と書かれました。ことの真相はいま説明した通りであります。
他党のことをいって恐縮なのですが、村山内閣のときに社会党が方針を変えました。このときには、それまでの安保反対論から安保は必要だということに立場を変えた、それまでの自衛隊違憲論から自衛隊は憲法にかなっているということに立場を変えた、つまりそれまでの革新の立場を捨て、革新の目標そのものを放棄してしまったわけです。こういうことが、現実に妥協して正義の旗をおろす、ということであります。
日本共産党は、今度の綱領改定案で、基本的な立場と目標を堅持しながら、これらの問題を国民とともに解決してゆく具体的で現実的なプロセスあるいは段取りを明確にしたわけです。いわば正義の旗をどのようにして現実のものとし、日本の現実に具体化するか、このことを明らかにしたところに、綱領改定の精神があるということを、ぜひご理解いただきたいと思うのであります。(拍手)
次に、その先に進みたいと思います。
世界の見方にも関係するのですけれども、世の中の進歩というものは、資本主義の改革だけで終わりになるものではないと、私たちは考えています。今度の綱領改定案でも、民主主義革命の問題とともに、さらにその先の展望まで明らかにしています。つまり、資本主義を乗り越えた未来社会――社会主義・共産主義の社会の問題について、私たちがいまとっている考え方を明記しました。
そのことを指して、「日本共産党は変わったように見えるがまだ頭は古い」とか、「まだマルクスにこだわっているのか」とかの論評も、ずいぶん拝見しました。しかし、私はそういう論評をする方々には、二つの反問をしたいのです。
一つは、“みなさんは、今の資本主義の社会を、「これ以上のよりよい社会はない」という人類究極の社会だと考えているのか、人間らしい生活が保障されている社会だと考えているのか”、これが第一問です。
第二問は、“あなた方はマルクスがいまや世界の誰からも相手にされない過去の思想家になったと思いこんでいるのか”という反問です。
まずマルクスについていいますと、これは去年の赤旗まつりで話したことですが、二十世紀が終わって、二十一世紀を迎えようというときに、九九年の秋でしたが、イギリスの公共放送のBBCが、国内国外の視聴者に、「過去一千年間」、百年じゃないですよ、「過去一千年間で最も偉大な思想家は誰か」というアンケート調査をやったことがあるのです。第三位が生物の進化を明らかにしたダーウィンでした。第二位がアインシュタインでした。そして第一位が、抜群でマルクスでした。イギリスの公共放送は、けっしてマルクスびいきではありません、その公共放送が、率直、簡明に、アンケート調査をやったら、第一位がマルクスだったのです。
二番目の問題。去年の一月、「ワシントン・ポスト」にクリントン政権の商務副次官だった人物が、論文を書きました。論文の書き出しの言葉は、「この世界のどこかで次のマルクスが歩いている」。何かというと、“いまやアメリカは、世界最大の資本主義国であり、唯一の超大国だとして、大きな顔をしている。しかし、おごりたかぶると、必ず昔のローマ帝国や大英帝国のように、衰え滅亡する。マルクスは片付いたと思っていても、次のマルクスが、世界のどこかで必ず歩いている、前途はたいへんだぞ”、こういう趣旨の論文でした。そこでは、「次のマルクス」が歩いていそうなところとして、ずいぶん、世界中、さまざまな国や都市の名前が挙げられていました。(笑い)
三番目は去年の八月です。今度はイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」という、経済・財政関係の新聞ですが、イギリスのオックスフォード大学の教授で、アメリカでも教授をやっている経済学者が、いまこそマルクスに耳を傾けるときだ、という趣旨の論文を書いています。「マルクスが十九世紀の資本主義について指摘した欠陥は、今日においても明白に存在している」というのです。
マルクスは過去の思想家どころではないのです。
きょうはこの三つにくわえて新しい情報を追加しましょう(笑い)。アメリカの三大週刊誌といわれる一つに『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』というものがあります。それが最近、「二十世紀を形作った三つの知性」という特別号を出しました。マルクスとアインシュタインと精神分析学のフロイト、この三人の人物を挙げて、それぞれなりにいろんな論評や論文が出ているのです。
マルクスのところに、「いま、マルクスがいるところ」という文章がありまして、アメリカの大学の様子が書かれていました。それによると、アメリカの大学にはいまたいへんな変化が起きているとのことです。“一九六〇年代はマルクスの講座を持っていたのは一握りの大学だけだったが、今日その数は四百を超えている。ある見積もりによれば、大学でのマルクス主義の教授の数は、一九八〇年代半ばまでに一万人に到達した。マルクスを読み、労働者の権利のために献身している社会主義の思想グループ、こういうグループが活動している大学の数は、二〇〇二年は百十八だったが、二〇〇三年には三百近くに急上昇した。そして、アメリカのイラク戦争に反対する運動が、この傾向と結びついている”というのです。
この雑誌の編集者もマルクスびいきではないと思います。表紙に三人の知性の顔をならべたなかでも、マルクスは一番小さく描かれていました(笑い)。しかし、資本主義の総本山であるアメリカで、こういう変化が起きているということは、私は非常に興味あることだと思います。
二十一世紀の世界というのは、そういう世界です。ソ連が崩壊した、東ヨーロッパが崩壊した。では、“資本主義万々歳か”というと、そうはいかないよ、と総本山に住んでいる人たちが思っているのです。
では、それ以外の世界はどうでしょう。
いまの地球では人口の八割以上がアジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカに住んでいます。この国ぐには、かつては資本主義の大国の植民地・従属国でした。しかし、二十世紀のほぼ後半に独立をかちとって、多くの国ぐにはいま、非同盟諸国運動に大結集して、世界政治の有力な勢力になっています。
しかし、経済面では、多くの国ぐにが資本主義経済の枠組みの中で活路を見いだそうとしましたが、二十世紀の経験では、ごく一部をのぞいて、成功しませんでした。資本主義の枠の中で活路を見いだそうとしても、かえって重荷が重なって、進んだ資本主義国との経済的な格差がどんどん開いていく。世界の貧困のいわば集中地帯になる。
南北問題といわれますが、私は、この広大な地域に資本主義をのりこえる新しい模索が始まるのが二十一世紀の大事な特徴になるんじゃないかと考えています。
とくにこの世界で、社会主義に向かう新しい潮流が発展していることは重大であります。アジアでは中国、ベトナム。ラテンアメリカではキューバ。
中国は革命以来、五十四年たちました。多くの大波乱があり、「文化大革命」というような内乱状態が起きたこともあります。無法が横行したこともあります。しかし、九〇年代の最初に「市場経済を通じて社会主義へ」という路線を確立し、百年単位の大計画を立てて、いま国づくりに取り組んでいます。私たちも、その中国と五年前に関係を正常化しました。そのときの交渉で、私たちは中国の現在の指導部が、毛沢東時代にわが党にたいしておこなった乱暴な干渉についてきっぱり反省し、それを是正する約束をきちんとする態度を見て、こういう誠実な態度なら、まじめな対話と交流ができることを実感したのですが、その実感にそった関係がいま発展しています。
アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカ全体が低迷している中で、中国やベトナムのアジアでの発展、キューバのラテンアメリカでの発展、とくにアジアでの発展は二十一世紀の重要な流れとして世界中から注目されています。
私は、十月革命に始まった世界の流れは、ソ連ではああいう悲惨な経過をたどったが、アジアでいまそれが違った形で引き継がれて、大きな前進をしつつあり、それが二十一世紀の世界に影響を及ぼす重要な流れの一つになる、そのことは確実だと思っています。
資本主義の総本山にも、かつてはその植民地だった広大な世界にも、こういう流れがいろんな形で渦巻いているのが、二十一世紀です。私たちは、そういう世界の動きを、いわゆる野党外交のなかで実感してきました。
日本共産党が、いろいろな国の政権党と外交をやりあう、これは昔はあまり考えられなかったことです。なかでもこれまでの常識でいうと、交流が難しいと思われてきた多くの国ぐにと、私たちは外交関係を開いてきました。
たとえば、昨年十月に緒方国際局長を団長とする代表団がサウジアラビアを訪問しました。イスラムの盟主といわれている国です。サウジアラビアは、“共産主義とは共に天を戴(いただ)かず”という立場から、ソ連とも中国とも長く国交を持たず、国交を結んだのは、ようやく九〇年代の初めだったという国です。そういう国が、わが党の代表団を喜んで迎えてくれて、政府の代表と会談し、そこでイラク問題で意見の一致を確認し合う、こんなことは以前は考えられないことでした。
私たちの野党外交の広がりの背景には、日本共産党がソ連のアフガニスタン侵略に反対したことなどを知って、そういう自主独立の党ならという、共感や評価がもちろんあります。同時に、そこには、世界の流れの変化が反映している点が大事だと思います。
それに関連して、ひとつ報告があります。このほど、チュニジアの政権党の立憲民主連合から、私のところに党大会への招待状が届きました。「あなたが率いる代表団」の大会参加を望むというものでした(拍手)。このチュニジアの大統領は立憲民主連合の党首です。首相は副党首です。実は三年前に外務大臣が訪日したのですけれども、そのとき私が会談して、パレスチナ・イスラエル問題など、中東問題を話しあいました。この外相も政治局員でした。「あなたが率いる」とわざわざいってきたのは、このときの会談も背景にあったのかもしれません。
チュニジアというのは北アフリカの地中海に面するアラブ・イスラム国家の一つで、以前はフランスの植民地でした。民族独立運動に勝利して、一九五六年に独立をかちとりました。アラブの世界で重要な地位を占めていて、アラブ連盟の事務局がここに置かれたこともあり、パレスチナのPLO、アラファト議長の組織がイスラエルの侵略で追われたときには、この組織の代表事務所をチュニジアに迎えて、そういうことを十年続けたこともある、そういう国です。しかもヨーロッパとイスラム世界を結ぶ大事な接点ともなっている国です。
私たちは多くのイスラム国家と交流していますが、党の代表者がアラブの国の政権党から招待を受けたというのは日本共産党の歴史で初めてのことでありまして、私は“喜んでお受けする”という返事を出しました。(拍手)
大会は七月二十八日からですが、私は、新しい世界へのこの訪問が、イスラム世界との友好と連帯を深めると同時に、アジア、ヨーロッパの諸党との新しい対面の機会となることを楽しみにしています。(拍手)
二十一世紀の世界の変化はこういうところにもあるのです。
こういう激動的な世界に生きている私たちです。私たちはいま、民主主義革命をめざしてがんばっていますが、日本の国民の前進がいつまでも資本主義の枠内の「日本改革」にとどまっていられないことは、確実だと思います。(拍手)
二十一世紀に生きる政党として、日本の社会発展のその先の問題、未来社会の問題も、当然、綱領改定案に書きました。
先ほど、民主主義革命論はしっかり引き継いだといいましたが、未来社会に関するこの部分は根底から書き換えました。
これまではまず社会主義という段階があって、それから共産主義にゆく、こういう二段階論が世界でも“定説”になっていましたし、私たちの綱領もその立場をとっていました。これはレーニンがマルクスの文章を解釈して組み立てたものでありまして、九十年近く世界の“定説”となってきたのです。
私たちが四十二年前にいまの綱領を決めた時には、当面の革命を社会主義革命とみるか、民主主義革命とみるかの論争が中心で、未来社会論というのはほとんど討論の焦点にならず、国際的な“定説”がそのまま受け入れられました。しかし、この間のソ連の崩壊をはじめとする世界の経験に照らし、また私たち自身の理論的な探求に照らして、この未来社会論にはマルクス・エンゲルス本来の精神に反する大きな問題があることも分かりました。ですから今度の綱領改定案を書くにあたっては、マルクスの原点に立ちかえり、それを二十一世紀を迎えた日本と世界の現実と結び付けて全面的な書き換えをおこなったわけであります。
私たちは未来社会を、ここまでは社会主義、ここから先は共産主義と二つの段階に機械的に分けてとらえる段階論は捨てました。
だいたい、大先輩のマルクス、エンゲルスのところにゆきますと、「社会主義」という言葉も、「共産主義」という言葉も、本来は未来社会の全体をあらわす同じ意味の言葉だったのです。『資本論』では未来社会を表現する言葉は「共産主義社会」です。『空想から科学へ』では同じ意味で、「社会主義社会」という言葉が使われています。つまり、その時どきヨーロッパの運動のなかでどんな言葉が使われていたかということが、反映しているようで、未来社会の二つの段階を呼び名で区別するという考えは、マルクスにもエンゲルスにもありませんでした。
今度の綱領改定案では、どっちかを捨てるというわけにはゆかないので(笑い)、「社会主義・共産主義の社会」と綱領では呼ぶことにしました。これは「共産主義社会」も「社会主義社会」も意味は同じだということで使っているものであって、どんな場合でも二つ並べないと成り立たない(笑い)という関係ではありません。そこはご理解いただきたいと思います。
社会主義という問題ではいろんな誤解があります。社会主義をめざすといいますと、貧しい窮屈な社会を考える人もいます。しかし、それは、これまでの社会主義をめざす試みが経済力のまだ弱い国で始まったから、貧しい状態があらわれたということであります。そういう国ぐにの中で、ソ連のように、途中で変質して、社会主義とは無縁の人間抑圧型の社会に成り下がって、解体してしまった国もあれば、中国のように、いろいろな危機をへ、いろいろな動乱をへて、社会主義をめざす自分なりのレールをようやく見つけ出し、世界から注目されるような活力をいま発揮している国もあります。しかし、その中国でも、国民一人あたりの国民総生産で経済力を比べますと、現状は日本の四十分の一なんです。いま、一番新しい統計は二〇〇一年のものしかないのですけれども、中国の一人あたり国民総生産は、八百九十ドルでした。一ドル百二十円で計算したら、十万六千円というところです。同じ年の日本の一人あたり国民総生産は、三万五千九百九十ドル、四百三十二万円ですから、四十倍の開きということになります。 資本主義の時代にそれだけ高度な経済発展をとげたその日本国民が、より進んだ社会をめざして、社会主義・共産主義の社会を探求する道に踏み出したとしたら、それは文字どおり、世界の歴史にいまだ先例のない、新しい事業になるわけです。その事業の前途を、経済力の弱いところから出発した国がこうだったから、ああだったからということで推し量ろうというのは、まったく見当はずれの議論だということを、私はまず最初に申し上げたいのであります。(拍手)
では、社会主義をめざすというのはどういうことか。それはいま資本主義が落ちこんでいる矛盾を見れば分かります。生産力があまりにも巨大になって、それをうまく管理できないでもてあましている。資本主義の矛盾とか危機といわれるものの根源には必ずこれがあるのです。
いま、地球の環境が危ないといわれます。昔生命が地球上に生まれたときに、陸地に出ていっても生きてゆけるような環境条件を三十億年以上かかって整えた、それが、最近のわずか数十年の資本主義の活動で、温暖化とかオゾン層の破壊とか、根本から脅かされようとしている。ここまで経済の管理能力がないのだったら、資本主義はもうもたないんじゃないか。
私は「赤旗まつり」でも、こういう話を何回かしてきましたが、地球環境の問題は、巨大な生産力を資本主義がうまく管理できなくなっている、もてあましているということの、もっとも典型的なあらわれであります。
不況という問題も同じです。経済力が大きくなりすぎて、その生産手段を使い切れないでいるのが不況ですから。
なぜそんなことが起きるのか。それは経済を動かす原動力が、個々の資本のもうけの追求だというところに一番の根っこがあります。利潤第一主義、これが経済のあらゆることを支配しているから、経済全体の管理ができないのです。しかも、その巨大な生産力と生産体制を現実に動かしているのは、そこで働いている人たちなのですが、その人たちは社会的には資本にやとわれ、使われるという受け身の存在で、生活も厳しい条件のもとにあります。ここにも利潤第一主義の不合理と犠牲があります。
それを乗り越えることが、私たちは、次の新しい社会の一番大事な役目だと考えています。
それには何が必要か。個々の資本の利潤第一主義が経済の原動力になるのは、工場とか機械とか生産のための手段、装置、そういうものが個々の資本の財産になっているところに基礎があるのです。だから、その生産手段を社会全体の手に移し、しかも現実に生産に当たっている人が主役になって経済を動かすという方向に経済の仕組みを切り替える、これが必要だということが、資本主義の矛盾の分析からでてきた結論なんです。
それを、社会主義の言葉では「生産手段の社会化」といいます。個々の資本が持っている生産手段を社会全体の共有財産にしようじゃないか、「生産手段の社会化」はこういうことで、これが社会主義・共産主義の大目標なんですね。
「生産手段の社会化」という問題は、これまでの綱領では、説明ぬきで一言書いてあるだけでした。今度の私たちの綱領改定案では、「生産手段の社会化」というこの問題を未来社会論の中心にすえ、その意味と内容をしっかり明らかにしました。
人間が社会で作っているいろいろな物資は、大きく分けると二種類あるのです。衣食住をはじめ、私たちが生活のなかで消費してゆくもの、これは生活手段なんです。これにたいして、いろいろなものを生産するために使うものが生産手段なんです。
「生産手段の社会化」というのは、共産主義・社会主義の社会になって、社会化されるのは何かということを言葉の上でも明確にしています。つまり社会化されるのは、生産に使われる物資だけであって、生活の手段は社会化の対象にならないということが、この言葉にははっきり表現されています。
よく私たちへの非難として、共産党の社会になると貯金全部とられちゃうぞとか、財産を全部もっていかれるとか、そんなことをよくいわれます。しかし、人間にとって生活の上で大事な生活手段の財産はしっかり守り、豊かにしようというのが、共産主義・社会主義の大事な内容なんです。(拍手)
私たちは今度の綱領の改定案に、そのことをはっきり書きました。「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」。
なお、つけくわえていえば、生産手段の「社会化」も一律のものではありません。私的な経営、個人経営が、長く役割を果たし、そのことが尊重される部門も広くあります。綱領改定案が「農漁業、中小商工業など私的な発意(はつい)の尊重」と書いているのは、そのことです。
「生産手段の社会化」に社会が踏み出したら、人間社会の前には、資本主義のもとでは考えられなかった、いろいろな新しい展望が開けてきます。
まず、生産や経済が、資本のもうけのためではなく、社会のためにはたらくようになります。社会を構成しているのは人間ですから、人間のためということが経済の第一の目的となります。ですから経済条件が許すなかで、社会を構成する人たちの生活をいかにして保障するか。これが経済の中心になります。
それだけではありません。マルクスという人は、未来社会を考えるときに、人間が全面的に発展する社会だということを一番強調しました。どういうことかというと、私たちはみんな頭と体にさまざまな能力を持っています。しかし自分の持っている能力を全部発展させる機会にはなかなかめぐまれない。分業社会ですから。たまたま、めぐりあわせである仕事にぶつかったら、一生その仕事ですごしてしまうという人が多いのです。隠された能力がいっぱいあっても、自分でも発見しないままに人生が終わってしまう。それはさびしいじゃないかということが、マルクスの未来社会論の根底にあるのです。
それで、どういうことになるか。マルクスは労働時間の短縮ということを非常に重視しました。いま私たちが、みんな一日八時間働いて、これだけのものをつくっているとしましょう。生産力が二倍になったら、労働時間を半分にしても同じ量のものができるはずです。生産力が四倍になったら、労働時間を半分にしてもいままでの二倍の量のものができるはずです。生産力の発展というのは、まともな社会だったら、労働の時間を減らして、それ以外の時間を増やすことと結びつくはずなのです。そうしたら短い労働時間を社会のためにつくしたあとは、自由に使える時間が十分にできる、あとの時間は遊んじゃうという人もいるでしょうけど(笑い)、遊ぶだけじゃさびしいから、自由な時間を自分の持っている能力を発展させるために使えば、より多面的な人間に成長、発展する道が開ける。誰でもやる気になればそういうことができる。そういう社会になるはずです。
ところが日本の私たちの経験では、生産力が発展すると、工場がかえっていそがしくなって、残業時間がよけい長くなったりします。これにたいして、生産がもうけのためでなく社会のための生産になると、暮らしの保障と同時に人間の全面的な発達が保障されるようになる。その要となるのが労働時間の短縮です。これが「生産手段の社会化」の効能の一つなんです。
効能の二番目になりますが、先ほど環境問題をいいました。いまの地球がこんなにひどいことになっていることをみると、もうけ本位で勝手放題にやってはだめだ、経済への計画的な働きかけが大事だ、と誰でもが思います。だから小泉内閣でも「計画」と名のつくものをずいぶん作りました(笑い)。雇用拡大計画だとか。高齢者対策の計画だとか。しかしいま自民党政治のもとで立てられる計画で、100%近く実行されるのは、防衛力増強の計画ぐらいのものです(笑い)。あとはまったく看板だおれです。
それは実際の経済の動きが、資本の利潤本位の行動に任されているからです。いくら政府が机の上で計画を立てても、これは現実の社会になんの影響もおよばさない。公害もなかなかとめられない。
生産手段が社会のものになって、そういう個々の企業の利潤本位のやり方がなくなったとき、はじめて経済を計画的に動かしてゆく道が開かれます。
自動車をこれだけ増やしても、それが大気汚染を増やさないようにするためにはどういうことが必要か。こういう計画がはじめて本物の形で問題になるようになります。ここにも新しい側面が開けるでしょう。
効能の三番目に進みます。いままでは社会主義というと、能率が悪いものだといわれていました。それは社会主義が悪いのではないんです。ソ連の官僚主義の体制が悪かったのです(笑い)。社会主義、つまり「生産手段の社会化」になったら、本当なら、もっと無駄のない効率の高い生産ができるわけで、生産力が資本主義の時代以上に発展して不思議はないのです。
資本主義は効率、効率といいますけれども、結構無駄が多いのですよね。東京湾横断道路(笑い)。計画した自動車の通行量よりもはるかに少ない自動車しか通らないで、巨額の赤字が確実ですが、そういう事業に莫大(ばくだい)なお金を平気でつぎ込む。そういう巨大な無駄が日本中にあります。
さらに、設備投資で工場を増やして生産能力もある、。働き手もいる、しかしそれをうまく結びつけて動かせないために、不況になると、せっかく拡張した工場も大きな部分を遊ばせたり、労働力のかなりの部分が失業になっている。これもたいへんな無駄でしょう。
そういう無駄のない経済運営ができて、資本主義の時代以上に生産力の発展の道を開くこともできる。生産手段を社会化したら、こういう新しい展望が人間社会の前に開けるのです。
「生産手段の社会化」というのは、過去にあれこれの国であったように、経済の遅れた状態から出発するのではなく、経済発展の進んだ経験を持った日本のような国で実現してはじめて、人類社会の歴史が変わるといわれるような大変革ができます。そういう未来社会に向かいたいと、私たちは考え、そのことを綱領の未来社会論に書きました(拍手)。その大きな方向とは、一口でいって、「資本が主人公」の社会から、「人間が主人公」の社会に変わる、このことだと思っていただきたいと思います。
社会の体制が変化するということは、日本でも、歴史のなかで何回もありました。
古代国家から武士階級中心の封建社会への切り替わりもありました。源平の内乱から徳川幕府にいたる時代、何百年もかかってこの切り替えがおこなわれました。封建社会から資本主義社会への切り替えは、明治維新以後、これはたいへん急ピッチな変革でした。
難問にぶつかり、手探りを重ねながらも、先人は道を切り開いてきました。
これらの変革は、たいへんではあっても、はっきりいうと、少数の人が多数の人を搾取する搾取社会が、一つのタイプから別のタイプに、封建的タイプのものから資本主義的タイプのものにかわるという切り替えでした。
私たちがめざす社会主義・共産主義社会への切り替えは、搾取そのものをなくそうということ、本当の意味で「人間が主人公」になる社会をつくろうという仕事ですから、これは文字どおり人類の歴史を変える大事業です。それだけに大変な事業ですが、私たちは切り替えの大方向、切り替えの要になる中心点は、「生産手段の社会化」であり、資本主義の矛盾から抜け出すにはこの道しかないということが、明らかになっていると考えています。
しかし、それがどんな具体的な形で「社会化」されるのか、どんな姿をとるのか、これはいま机の上で描けるものではありません。そのときどき、この運動に足を踏み出すさまざまな国で、それぞれの国民が英知を発揮し、自分の経験を生かして取り組み、切り開き、そのなかから生まれてくるものだと思います。
しかしそのなかでも、私たちがいまから、これだけははっきりしているといえることは、綱領の改定案の中に明確に書き込みました。
第一は、どんな改革も国民の合意によってやるということです。民主連合政府をつくったら、国民が民主主義の段階だと思っているあいだに、政府が勝手に社会主義にいっちゃったなどということは絶対ないのです(笑い)。国民と相談しないで勝手に改革をやるということはありません。
社会主義への最初の改革に進みだすときでも、事前に選挙による国民の合意を得て実行する。さらに次の改革をやるときにも、そういう国民の合意を先行させる。これは、当たり前のことであります。「人間が主人公」の社会をつくろうというのに、国民をそっちのけにした、勝手なことができるはずがありません。(拍手)
そのことは綱領改定案で、「その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる」と明記されています。
第二は、「社会化」の形はいろいろあると思います。協同組合をつくることもあるでしょう。国有化という場合もあるでしょう。その他の新しい形態も生まれてくるでしょう。しかし、どんな場合でも「生産者が主役」です。現実に工場で機械を動かしている働く人たちが主役にならない改革が、社会主義になるはずがありません。つぶれたソ連のように、資本家の代わりに上から官僚が任命されてきて、それが勝手に工場をきり回す、というのでは、名前が変わるだけであります。
だから私たちは綱領改定案の中でも「生産者が主役」、これが原則だ、「生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連」の二の舞いは厳しくしりぞけることを、はっきりさせました。
第三は、「市場経済を通じて社会主義へ」という道筋の問題です。いまは中国やベトナムがこの道に取り組んでいますが、日本でも当然この方向になると思います。
市場経済といいますと、何か資本主義と同じものだと思っている方もおいでですけれども、市場経済というのは自由に商品が売買され、市場で競争し合う仕組み、体制のことです。これは資本主義に向かう道筋にもなれば、条件によっては社会主義に向かう道筋にもなりうるのです。
日本はいま、資本主義的な市場経済が支配している国であります。そこで私たちが将来社会主義への道に踏み出すとしたら、資本主義的市場経済のただなかに、社会主義の部門が生まれることになるでしょう。もちろん、そこには資本主義の部門が残っていますから、社会主義の部門と資本主義の部門が同じ市場の中で競争し合うことになるでしょう。社会主義の部門が能率が悪くて、製品の出来も悪かったら、そういうだめな社会主義は当然、市場で淘汰(とうた)されます。そういう過程をへながら、経済の面でも一段一段、国民の目と経験で確かめながら、社会主義への段階を進む。当然、日本はこういう道筋をたどるでしょう。
昔、レーニンも、革命後のロシアで同じことをやって、“市場経済での競争で資本主義に勝てる社会主義をつくろうじゃないか”という合言葉をうち出したことがありました。これは実に見事な合言葉だったと思います。
私たちは日本の未来を、私たちが現在到達している考えの水準で縛るつもりはありません。未来はその仕事にあたる世代が、おおいに知恵を発揮しながら開拓すべきものであります。しかし、大方向については、二十世紀を生きてきた者として、私たちのえた経験と教訓を将来に引き継ぐべき責任があると思います。綱領改定案のこの章は、そういう立場から書き上げたものであります。
以上、かいつまんで綱領の改定案の基本点を申し上げました。党大会まで約四カ月あります。全党でおおいに討論し、よいものに仕上げていきたいと思います。もうすでにいろんな意見が寄せられていますが、党外の方々のご意見もおおいに歓迎するものです。
きょうは党創立八十一周年を記念する機会に、市民道徳の問題と党の綱領改定の問題についてお話ししました。
私たちが立ち向かっている事業を党の歴史のなかで考えるとき、二つのことを強調したいと思います。
一つは、現在国民がぶつかっているさまざまな困難に真剣に取り組み、国民とともにこれを解決する努力であります。どれだけの情熱を持ってこの点に力を傾けるか、これこそどんな厳しい情勢のもとでも国民の間にしっかりした信頼と共感のきずなを広げうる強固な土台となるものだと確信しています。
きょうあいさつされた四人の党員首長のみなさん、また公務できょうおいでになれなかった七人の党員首長のみなさんも、そういう活動の重要な部分を担っている方々です。この方々をはじめ、全国のみなさんの日ごろのご労苦に、心からの感謝の拍手を送りたいと思います。(拍手)
もう一つは、よりよい社会、よりよい政治、よりよい経済をめざす理想の旗を確固として持ちつづけることであります。綱領改定案は当面の課題とともに、日本の共産党の理想の旗を明確にしたものであります。こういう旗を持たない政党は二十一世紀の政治を担う資格がないといっても、私は言いすぎではないと思っています。(拍手)
この激動の世紀に、日本と世界の現実にがっちりと足を踏まえつつ、国民の力で切り開くべき未来を大胆に展望する政党、そして市民道徳と社会的道義の面でも国民の信頼に値する政党、こういう政党に成長、発展することを志して、ともに力を尽くそうではありませんか。(拍手)
政局は秋の解散・総選挙の可能性を前面に押し出しながら、大きく動いています。この総選挙が、二十一世紀の日本の未来を開く一歩となるように、どんな困難にも負けず、またみずからを鍛えあげながら、持っている知恵と力のすべてを尽くして奮闘しようではありませんか(拍手)。どうも長い間ご清聴ありがとうございました。(拍手)
(2003年7月21日(月)「しんぶん赤旗」)