1997年9月22日

第21回党大会にたいする中央委員会の報告(2)

 日本共産党第21回大会の1日目(22日)に、不破哲三幹部会委員長がおこなった「第21回党大会にたいする中央委員会の報告」(2)は、つぎのとおりです。


二、医療・社会保障の連続改悪が国民生活を攻撃する中心点に

 つぎに、内政問題であります。

 自民党政治が、国民の現在と将来にたいする責任を投げすてているのは、安保問題だけではありません。自民党政治が国民の生活と福祉にたいして何をしてきたか、これから、何をしようとしているか、ここにはいっそう深刻で重大な問題があります。

 大会決議案は、「ルールなき資本主義」といわれる日本で、国民生活がいかにおさえつけられ、日本経済がいかにゆがめられているかを、労働条件、社会保障、中小企業、金融制度、農業問題、環境問題、原発問題など、さまざまな角度からくわしく描きだしました。

 世界の資本主義諸国の状態や水準とくらべて、驚くべき遅れとゆがみは、日本の経済生活、社会生活に無数にあります。

 決議案発表後の動きをみても、総会屋と組んでの「不正利得」事件が、第一勧銀から四大証券のすべてにひろがる、原発政策に重大な責任を負っている動燃で、放射能管理を事実上放棄してきた実態があいついで暴露される、地球温暖化防止の国際会議の十二月京都開催を前にして、日本の環境政策への国際的な批判がたかまるなどなど、「ルールなき資本主義」の実態はいよいよ浮きぼりになってきました。

 ところが、自民党政治には、そのことへの認識も、自覚もまったくないのであります。そして、日本の社会が痛切に解決をもとめている方向とは完全に逆方向の、国民生活抑圧の悪政をさらに輪をかけてひどくしようとしているところに、今日の重大な問題があります。

九兆円負担増は、国民生活と日本経済に何をもたらしたか

 まずとりあげなければならないのは、橋本内閣が、消費税の五%への増税、特別減税廃止、医療制度改悪をいっきょに強行し、あわせて九兆円という新たな負担を国民に押しつけるという、歴代の自民党政府のなかでも前例のない暴挙をおこなったことであります。

 わが党は、これに強く反対し、私自身、一月の国会で代表質問の中心をここにおいて、第一に、この暴挙が国民生活に耐えがたい困難をもたらすこと、第二に、経済情勢にも――なにしろ政府自身が日本経済の二つの柱と位置づけた(1)国民の消費と(2)中小企業の経営に大きな打撃をあたえようというわけですから、経済情勢にもとりわけ否定的な影響をおよぼすこと、このことを具体的にしめし、悪政の撤回をもとめました。ひきつづく国会論戦でも、この問題を最大の争点として追及しました。しかし、政府・自民党はわが党の批判、指摘や国民の抗議の声を無視して、九兆円負担増の政策を強行したのであります。

 その結果はまさに、わが党が警告したとおりになりました。消費税の五%への引き上げの重荷は、日がたつごとに、いよいよ重く家計にのしかかっています。そのうえ、医療制度改悪の九月実施が、耐えがたい第二の重荷となったことは、マスコミでも生なましく報道されました。家計を直撃する負担増のひどさに、患者はもちろん、全国の病院・薬局からも、悲鳴とため息、怒りの声が上げられていることが、毎日のように報道されました。病院が医療費相談コーナーを開設するとか、医療・福祉団体が、医療一一〇番を開設するとかの動きがありましたが、どこでも、「医療費が何倍にもなった」「お金がなく入院できない」「薬を減らしても負担しきれない」、そういう悲痛な相談が殺到したと報じられています。

 九兆円負担増が景気動向にあたえた影響もきわめて深刻であります。政府は五%増税を実施した直後には、「影響は少ない」「景気は上向き」といった楽観的観測を流しつづけました。しかし、これは、まったく根拠のないごまかしの“観測”でした。いまでは、消費税増税を実施した四月以後、国民の消費購買力の低下と中小企業の経営困難が進行し、それにもとづいて、経済状況全体が悪化に転じたことは、多くの専門家や民間研究所が一致して認める明々白々な現実となっています。

 最近では、政府もこれを否定できなくなりました。経済企画庁が九月十一日に発表した「国民所得統計速報」によると、四月〜六月期の実質国内総生産は、前期比二・九%減となりました。これは年率に換算すると一一・二%減で、第一次石油ショック以来、二十三年ぶりの大幅な低下だということであります。日本経済のこの状況は、報道されているように、香港での七カ国会議(G7=蔵相・中央銀行総裁会議)でも大きな問題になりました。

 まさに、九兆円の負担増という路線が政策的に失敗したこと、これが事実によってあきらかになったということであります。「景気のパターンが変わったわけでない」とか、「後退は一時的」とか、そういう言葉だけの言い逃れでごまかせるものではありません。

社会保障・社会福祉への連続攻撃のたくらみ

 ところが、政府・自民党は、自分たちの誤った政策が何をもたらしたかをまともに分析することもなしに、早くも国民生活へのつぎの攻撃にとりかかっています。医療保険制度改悪が国会を通過したら、それがまだ実施もされないうちに、早くもつぎの医療制度改悪の新しいくわだてが始まりました。

 この秋の臨時国会にかかる「財政構造改革法案」によれば、自然増も認めない予算の乱暴な切り捨てをつうじて、社会保障の改悪が、少なくとも今後三年間、連続して強行されることになります。

 さらに、この八月には、与党三党の医療制度抜本改悪案が発表されました。診療報酬制度などの改悪にくわえ、扶養家族となっている高齢者からも新たに保険料の取り立てをはかるなど、その最大の矛先が高齢者にむけられていることは、とくに重大であります。難病対策でも、これまで難病の医療費は全額公費でまかなわれてきましたが、政府は、その負担を大幅に患者に肩代わりさせようという、弱いものいじめの改悪案をもちだし、来年度実施という方向でおしすすめています。

 このような医療・社会保障への連続改悪の攻撃は、戦後の自民党政治の長い歴史のなかでも、前例のないものであります。とりわけ、社会的に弱い立場の人びとへのねらいうちは許しがたいものだといわなければなりません。

 自民党政治はいまや、保守政治でもこれだけは国の政府の任務だとしてきた、国民の生活をまもる最小限の責任さえ、放棄しようとしているのであります。

「公共事業費五十兆円、社会保障に二十兆円」

 政府・自民党が、国民の生活・医療・福祉に連続攻撃をくわえるにあたって、最大の口実としているのは、財政破たん論であります。しかし、これは、悪政の責任を国民に押しつける、まったく手前勝手な議論でしかありません。いま破たんしているのは、社会保障財政ではなく、国民生活を犠牲にした大企業奉仕の政治、なかでも、ゼネコン型公共事業の推進を最大の国策として、浪費につぐ浪費をかさねてきた自民党政治のしくみそのものであります。

 自民党政治が国民にいかに背をむけているかを財政の面でなによりもあざやかにしめすのは、「公共事業費に五十兆円、社会保障費に二十兆円」という対照的な数字であります。つまり、日本では、社会保障の国、地方の公的負担は年間二十兆円程度でしかないのに、国、地方、公団などが使う公共事業費はその二倍半の五十兆円にものぼるということです。国民の税金をこんなに逆立ちした形で使っている国は、世界にないのであります。

 公共事業費の異常な膨張ぶりと、社会保障のたちおくれとを、国際比較でみてみましょう。公共事業費については、国際比較が可能な数字というのは、いわゆる「政府固定資本形成」という数字しかありません。しかしこの数字には、実は、第三セクターをつうじての公共投資や土地の取得費がはいっていません。日本では、第三セクターの投資と土地の取得費が公共事業費を膨張させている独特の要因になっていますから、これがはいらないということは、日本の公共事業費の異常な膨張ぶりがごくひかえめにしかあらわれない数字だ、ということになります。実際、「政府固定資本形成」というこの数字には、五十兆円の公共事業費のうち三十一兆円ぐらいしかはいってこないのです。

 そのことを頭にいれたうえでつぎのことを聞いてください。

 日本での公共事業の膨張ぶりをあらわすにはごくひかえめなこの数字を使っても、国内総生産にしめる公共事業費の比重は、日本では、アメリカやヨーロッパ諸国とくらべて三倍からそれ以上にのぼります。これにたいして、社会保障費の公的負担の比重(国内総生産にしめる)は、反対に、アメリカやヨーロッパ諸国にくらべて二分の一から三分の一であります。予算の配分でみても、諸外国では、社会保障には公共事業費の四倍から八倍の予算を使っているのに、日本では、公共事業費が社会保障の負担をはるかに上まわっています。

 五十兆円の全体を計算にいれたら、諸外国とのこの開きは、さらに極端なものになるでしょう。日本のゼネコン政治が日本の財政的情勢をいかに異常なところにまでゆがめているかは、こういう数字からも明白であります。

 しかもその公共事業が、「公共」という名目でどんなにひどい浪費の舞台になっているか、このことは、全国で無数の事実があきらかにされ、いまでは国民的な常識となっているといっても過言ではありません。

 福祉の貧困に苦しみ、「せめてヨーロッパなみの社会保障を」というのは、いま全国的な国民の要望であります。これにこたえるためには、経済と財政のこの逆立ちしたしくみを根本的にあらためることが急務であります。

 くわえて、製薬会社に不当な高利潤を保障している高薬価問題の解決、福祉事業に寄生する金権腐敗の一掃、福祉・社会保障の分野での「政・官・財」癒着の根絶など、政治の責任で解決すべき多くの課題がいま提起されています。

 これらの問題に目をつぶって国民の負担増を安易に論じるのではなく、国民の税金の逆立ちした使い方を大もとからきりかえること、薬価問題など、この間の一連の疑惑事件がいや応なしに提起してきた問題に真剣にとりくむこと、これは党派を問わず、誠実に国政にあたるすべての政治家の責任であるはずであります。(拍手)

橋本内閣の「行財政改革」

 ところが、いま、政府・自民党がやろうとしていることは、この逆立ちした政治・経済のしくみを固定化し永続させようという、ひらきなおりの政治であります。

 第一に、さきほどふれた、臨時国会に提案される「財政構造改革法案」です。これは、財政危機の解決を口にしながら、最大の根源である浪費型の公共事業はわずかばかりの削減にとどめ、十年間で四百七十兆円、年平均四十七兆円ということで、「年五十兆円体制」を基本的には長期固定化しようという計画です。その一方、社会保障については、当然増の経費も六割以上は切り捨てるという三年連続の改悪を体制化しようという計画です。ことしの改悪をふくめると、四年連続、改悪につぐ改悪で、日本の社会保障制度が徹底的な切り下げ攻撃を受けるのであります。

 第二は、「省庁再編」であります。これにはたくさんの問題点があります。まず発表された「中間報告」についていうと、これは、そもそも橋本内閣の「行革」姿勢を強調しようという思惑が先行した計画で、中身は、省庁の担当する行政のしきりを変えるだけのプランでしかありません。政・官・財の癒着を断つとか、行政の姿勢を財界中心から国民本位にきりかえるとか、財政の浪費に大もとからメスをいれるとか、国民の目からみた重要課題にはまったく目をくれていないものであります。

 しかも、そのプランには、国民利益に逆行する橋本内閣の基本姿勢があざやかにあらわれています。内閣の権限強化、防衛庁の国防省への昇格、郵政の民営化など多くの問題点が指摘されています。

 とくにいまみてきた問題についていえば、国際水準に到達するためにも大いに力をいれるべき社会保障行政を圧縮する一方で、「国土開発省」、「国土保全省」と、公共事業を担当する二つの巨大省庁をつくり、ゼネコン型公共事業をいちだんと大規模にすすめようという体制を構築しようとしています。まさにひらきなおりの計画そのものであります。

 そのなかで、農業問題が、「国土保全省」という公共事業担当の一つの省の副業におとされることも重大であります。これが実行されれば、日本には農業を名前につけた大臣もいなければ省もないということになります。これは、サミット諸国にもまったく例のないことであります。自民党政治のもとでの農業軽視はついにここまでいたったか、と思わざるをえないのであります。(拍手)

政治の金権・腐敗体質は、いまや国民の我慢の限界をこえている

 橋本内閣が、内政の中心課題にかかげ、九兆円負担増につづいて強行しようとしているこれらの計画――医療制度や社会保障の改悪は、いま国民生活と自民党政治との矛盾のもっとも深刻な集中点になりつつあります。自民党政治の蛮行を放置したら、二十一世紀の日本は、国民生活への支えを大きく失った社会になります。これも、取り返しのつかない問題であります。

 あいつぐ金権腐敗事件とそれにたいする国民の批判に背をむけて、自民党政治は、なんの反省もなしにこの逆立ち政治、金権政治に固執する態度をつづけています。企業・団体献金の横行、政党助成金の分け取りなどにくわえ、第二次橋本改造内閣が、ロッキード事件で収賄罪有罪となった政治家・佐藤孝行氏を入閣させ、橋本「行革」の責任者に任命したことは、まさに自民党政治の救いがたい実態をさらけだしたものであります。マスコミでも、有罪の政治家を大臣にするとは世界に例のない暴挙だとか、ここに橋本「行革」の本音があらわれたとか、痛烈な指摘があいつぎました。

 国民の圧倒的な批判、告発の声に包囲され、橋本内閣は佐藤辞任に追い込まれ、きょうその手続きがとられるようであります。

 しかし、収賄政治家を平気で閣僚に任命した橋本内閣の任命責任や、金権腐敗政治への無反省という自民党の体質がこれで消えるものではけっしてありません。わが党は、とくに任命権者である橋本首相の責任をきびしく追及するものであります。

 この問題の全経過は、橋本首相にも自民党にも、政治倫理および民意の尊重という政治の基準がまったく欠落していることを証明しました。自民党政治の金権腐敗体質はいまや国民のがまんの限界をこえています。

 国民生活と社会保障をまもり発展させる国民的なたたかいで、政府・自民党の悪政にたちむかうとともに、“財界・大企業が主役の金権政治はもうごめんだ”という国民の声を圧倒的にひろげ、これを政治の民主的な転換をかちとる現実の力に発展させてゆくことが大切であります。

民主的改革を実行する民主的政権の展望には、国民的な必然性がある

 自民党政治は、国会のなかでは、「総自民党化体制」によって圧倒的な基盤をもっています。しかし、こういう悪政のもと、国民との矛盾がますます拡大することは必至であります。いわゆる政局では、「総自民党化」勢力のあいだで、“自社さ”か“保・保”かといった議論がさかんです。この対立にも国民との矛盾がいりくんだ形で反映しているとはいえ、「総自民党化」政治の枠内では、これらどの勢力によっても国民の利益にかなう解決がないことは、もはや明確であります。

 今日の日本で、国民的利益を実現する道は、大会決議案がしめした民主的改革の路線への転換にこそあります。私は、ここに、“自共対決”が今後の政治展開の軸となるという展望の政治的基盤があるし、また、二十一世紀の早い時期に、民主的改革を実行する民主的政権をめざすべき国民的な必然性があるということを、強調したいのであります。(拍手)


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