2002年3月22日(金)「しんぶん赤旗」
京都府知事選告示の二十一日、日本共産党の不破哲三議長が、「府民本位の新しい民主府政をつくる会」の森川明候補の応援にかけつけました。京都市四条河原町での演説大要を紹介します。
みなさん、こんにちは。日本共産党の不破哲三でございます(拍手)。きょうは天気の悪いなか、森川明さんのこの初日の街頭演説に、たくさんの方がお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。まず心からお礼を申し上げます。(拍手)
![]() 訴える不破哲三議長(右)と森川明候補=21日、京都市四条河原町 |
みなさん、いよいよ二十一世紀最初の京都府知事選挙が始まりました。日本の政治にとっても、これはきわめて大事な状況の中での選挙であります。
いま日本中で、古い腐った自民党の政治からどうやって抜け出すのか、国民がみんな考えています。その自民党の腐った政治の根は、東京の永田町や霞が関にだけあるわけではありません。それは、京都の自民党の中にもしっかり根づいているではありませんか。(「そうだ」の声、拍手)
問題はたくさんあります。あの鈴木宗男という議員の問題、加藤紘一という元幹事長の問題。政治献金を調べたら、自民党の政治家の中でもこの二人が、一番お金を集めた第一位(六億二千八百十二万円)と第二位(四億四千三百五十四万円)であります。どうやってお金を集めていたのか。自民党流の腐った集め方をしていたことが、まざまざと明らかになりました。
鈴木宗男議員の場合でいうと、わが党の佐々木憲昭さんが国会で明らかにしたムネオハウスの問題は、もう全国で有名になりましたが、鈴木議員が歩いたところ、アフリカへの援助(ODA)であろうが、北方四島への支援事業であろうが、あるいはアメリカの沖縄海兵隊の演習の北海道移転であろうが、全部自分の利権にしてしまう。そこから出てくる国の仕事を自分の息のかかった企業に回して、そこからお金を吸い上げる、こういうことが次から次へと明らかになってきました。
まさに、ここに自民党流の政治のやり方があると、国民のみなさんが誰でもそう思いました。
自民党は「離党したからいいじゃないか」とそれで済まそうとしていますが、「そんなことでは我慢ができないよ」というのが圧倒的な国民の声ではありませんか(「そうだ」の声、拍手)。マスコミの世論調査でも国会議員をやめろという声が八割を超えています。
しかもみなさん、その後でも次から次と疑惑がゾロゾロ出てきています。今度、日本共産党の志位委員長のところに、おそらく良心のある外務省の方でしょう、匿名で手紙をよこして、一つの記録が明らかになりました。そこには、大事な領土交渉で、ロシアの側と夜中にこっそり密談をやって、日本の外交方針をロシアの望む方向にねじ曲げる、そういうことまで、鈴木議員が外務省の腹心の幹部といっしょにやっていたということが会談の議事録として詳しく書かれていたのです。みなさん、利権のためには日本の国の利益を投げ捨ててかえりみない、これが今度の疑惑の正体であります。
加藤紘一議員の場合はどうでしょう。鈴木議員は橋本・野中派の大幹部ですから、京都とは切っても切れない人物ですが、加藤紘一議員の場合にも、加藤派の事務総長という議員さん(谷垣禎一衆院議員)が、ちゃんと京都にはおられるではありませんか。やはり京都とは切っても切れない人であります。
この人の場合には、自民党の中でも、“政策は改革派”という看板をあげていた人。その人が、事務所の元代表にばく大なお金を集めさせていた、それも手口はまったく鈴木流です。“加藤さんはやがては総理総裁になる人、いまこちらの注文を断ったら後で痛い目を見るよ”と脅しまでかけてばく大な金を集めていたことが明らかになった。
加藤さんは「私は知らなかった」でごまかそうとしていますが、しかしみなさん、事務所をまるまる任せ、そういう形でお金を集めさせておいて、汚いお金は佐藤秘書の分、きれいなお金だけが私のところに回ってきたといっても、誰がこれを信用するでしょうか。
みなさん、ここに自民党の腐った政治の実態があります。そういうことをやっている人たちが、国の政治を握って、国民のためにまともな政治など考えられるはずがない、実行できるはずがない。いまそのことを、日本中の国民が、真剣に考えているのであります。(拍手)
私ども野党は、この国会に、鈴木議員に議員辞職を勧告する決議案を提案しました。国民の世論の流れもここにあります。
しかし、この決議案を国会の本会議に出したら、誰が賛成し、誰が反対したかが明らかになる、そうなったら与党の議員に傷がつく、それが怖いというので、昨日の議院運営委員会では、与党の数の力で、本会議にかけることさえ葬り去ってしまいました。
疑惑がこれだけ明らかになっても、あの人物を守ろうというのが、自民党、公明党、保守党などの与党の立場だとしたら、みなさん、こういう人たちには、政治を担う資格がまったくない、と言わなければなりません。(「そうだ」の声、拍手)
とりわけ、鈴木議員の後ろ盾になり、自分の利益、利権のためには手段をえらばない政治家に育てあげてきたばかりか、この議員の疑惑がこれだけ明らかになっても鈴木議員を守る主力部隊になって恥じないというのが、橋本・野中派であります。
こういう勢力に、京都の政治をこれ以上任すわけにはゆかない、私はこれが京都の圧倒的な府民のみなさんの良識だと確信をしておりますが、いかがでしょうか。(「そうだ」の声、拍手)
みなさん、今度の知事選挙は、森川さんの当選で、そういう自民党の政治から、二十四年ぶりに京都府民の手に府政を取り戻す、これが最大の争点だと思います。
相手の自民党陣営は、どんな候補者を用意したでしょうか。みなさんがご承知のとおりであります。
自治省の官僚出身で、京都に派遣されてきた天下り候補であります。保守の陣営でも、地元の側では、こういう官僚候補では困るということで、別の学者候補を用意したと聞きました。ところが、それが野中氏の“鶴の一声”でつぶされ、官僚候補に決まった。その時に、地元候補を推した京都財界の方々が、記者会見をして、「府民の知らないところで決まった、今回は引くが、今後は許さない」とか、「京都では、『実力者』に根回ししないと、モノが言えないのか」とか、嘆きの声をこもごももらしたと、新聞で読みました(朝日新聞二月十日付)。
みなさん、まったく“鈴木宗男と外務省”の世界ではありませんか。候補者の選考でさえ、保守の陣営の内部でも地元の声が無視される、自民党橋本・野中派の言いなりになる官僚候補を押しつけられる。こんなところから何が生まれるでしょう。
相手側は「継続」が合言葉だそうですが、悪政の「継続」以外なにものも生まれないことは明瞭(めいりょう)ではありませんか。
この選挙を前にして、いろいろな新聞が京都の府政問題についての連載の特集を掲載しています。それを読んで、京都の府政は、とうとうここまで来たのか、という思いを強くしました。
いま景気が悪いうえ、国からは、国民に痛みを押しつける冷たい政治の風が日本中で吹き荒れています。だから全国どこの地方でも、国民のくらしは大変ですが、その中でも京都は特にひどいということが、どの新聞の京都府政特集にも、まざまざとにじみ出ています。
京都新聞では、「低迷する経済、雇用、少子高齢化、環境問題と、府を取り巻く状況は厳しい。足元を見れば府財政は火の車だ」というのが、特集第一回目の結びの言葉でした。(京都新聞三月十六日付)
朝日新聞は雇用の問題をとりあげ、「府内の昨年の完全失業率は6・3%。前年より0・5ポイント悪化し、調査が始まった97年以降、4年連続で過去最悪の状態を更新した。全国で3番目に高い数字で、約8万5千人が失業している計算だ」(三月十三日付)と書いています。
産経新聞は介護の問題をとりあげています。介護保険を実施してみたら、負担が重い。とくに、低所得者が悲鳴をあげている。こうした中、市町村では、主に低所得者層を対象に介護保険料やサービス利用料を独自に減免する動きが出ている。ところが、「府は『制度に対する不公平感を助長する』ことから、国の基準に沿ってむやみに減免施策をとらないよう求めている」(三月十三日付)。
毎日新聞は教育問題です。親御さんたちが子どもたちの教育を心配して、いま、それにこたえて、小学校・中学校の義務教育でも、クラスの人数を減らして、丁寧な教育をしようという動きが全国に生まれている。すでに十九道府県で少人数学級が導入されているが、京都の府教委は「ノー」と言っている、という記事です(三月十四日付)。
情報公開の問題をとりあげたのは読売新聞です。全国で行政の情報を府民・県民に公開しようという動きが広がっている。「昨年八月、全国市民オンブズマン大会が京都市で開かれた。主催者が発表した『全国情報公開度ランキング』で、府は全都道府県で二十七位と、前年大会の九位から大きく順位を落とした」(三月十五日付)。
こういうことがどの特集でも書かれていました。
私は、これを読みながら「以前は違った」ということを強く思い起こしました。京都が、党派をこえて多くの人が認める「地方自治の灯台」(「毎日」一九七八年三月五日付社説「蜷川京都府政の残した足跡」)といわれた時期が、かつてはあったではありませんか。(拍手)
私が、京都府知事選に初めて参加したのは今から三十二年前、一九七〇年の選挙でした。
蜷川さんが知事になって二十年目でした。これを倒そうということで、自民党が全国ではじめて公明党と手を組み、「天下分け目」といわれる大激戦が京都でおこなわれました。相手は、自民、公明に当時の民社党。こちらの側には、まだ社会党がいました。その前の年の総選挙の得票数でいうと、だいたい相手側が二、こちらが一、常識でいったら負けて当たり前という数字でした。その力関係を背景に、蜷川民主府政打倒の執念を燃やしてかかってきたのです。私は、国会初当選の直後でしたが、京都中を走り回りました。
激戦の結果、六十三万票対四十九万票という大差で蜷川さんが勝利しました。その勝利を報道した朝日新聞が、東京でも一面から京都の記事で埋めて、さらに社会面のトップに「京都の町は蜷川ブーム 支持された清潔な姿勢」と書いたのを今でも強く覚えています。
当時は、本当に京都は全国でも輝いていました(拍手)。不況の時に、中小業者が大変だといって蜷川さんが無担保無保証の融資制度を全国で初めてつくったのが六〇年代のことでした。それが、いまでは日本中、自民党の知事や市長のいるところにまで広がっているではありませんか。「中央直結」を看板に開発中心の地方政治が広がる中で、こういう政治をどんどん打ち出して注目を浴びたのが京都でした。
鴨川の清流に象徴される公害対策。「十五の春は泣かせない」の言葉で全国に知られた高校教育対策。お年寄りの医療無料化。地元重視の商工業政策。「京都食管」という名前で知られた農業自立政策。「とる漁業より育てる漁業」、これも全国で有名になりましたが、そういう漁業政策、などなど。自民党の政府が考えもしなかった政策が次から次へと打ち出され、実行され、みなさんのくらしと仕事の支えになりました。
そしてみなさん、この流れが当時文字通り、全国の政治を変える原動力になったのです。(拍手)
最初の十数年は府政、県政で革新といえば、京都だけの流れでした。しかしやがて東京がその方向に変わり、沖縄が変わり、「天下分け目」の決戦の翌年には大阪が変わり、政令都市でも横浜、川崎、名古屋、神戸と続き、七〇年代半ばには、人口の43%、約四千七百万の人々が革新自治体のところで生活するというところまで、京都に始まった流れが日本全国に広がりました。
当時京都のみなさんは「日本の夜明けは京都から」と言っておりましたが、この合言葉には、京都人ではない私たちにも「その通りだ」と思えるリアルな実感があったのです。
みなさん、この京都を、先ほどのマスコミの特集がえがきだしたように、府民のための行政の面で、日本でもおくれた地方にしてしまったのは誰か。それが林田・荒巻府政、政党でいえば、二十四年間府政を握りつづけてきた自民党であり、一貫してその支えになってきた公明党であることは、明瞭ではないでしょうか。(拍手、「そうだ」の声)
それはみなさん、数字にもはっきり表れています。七〇年代に、京都の経済は日本でどんな地位にあったか。京都はいま人口二百六十万、経済力を比べるうえでは府民一人あたり、県民一人あたりの所得の比較が大事です。
蜷川府政の七〇年代には、京都の一人あたり所得は、四十七都道府県のうち、だいたい五番目から六番目でした。京都の市内には大工場の煙突は一本もない。その京都が、神奈川とか愛知とか広島とか、大工業を持った県と肩をならべている。それは京都の府政が、地場産業、農業、漁業を大事にしてきた成果であり、これが、当時の京都のみなさんの誇りになっていました。(拍手)
いまはどうでしょう。政府統計でいちばん新しい数字(一九九七年)を見ると、府民一人あたり、県民一人あたりの所得では京都はなんと十四番目ですよ。京都の上をみると、十三番目に富山がいる、その上に静岡(十二位)があり、茨城、群馬(どちらも十位)がいます。どんどん他県に追い抜かれて、京都の経済は全国の平均以下の水準にまで落ち込んできたのです。
みなさん、いくら毎日毎日、「共産党が悪い」「蜷川さんはひどかった」と叫びたててみても、日本共産党が与党だった蜷川民主府政の時代は、京都が日本の地方政治の輝かしい灯台だったという事実、そして自民・公明連合、「オール与党」の二十四年間を通じて、京都府政が全国の自民党政治のなかでも最もできの悪いものの一つに転落してしまった事実、この二つの歴史の事実を消し去ることは、誰もできないのであります。(拍手)
いま中央の小泉内閣からは、府民のくらしを根底から揺るがす冷たい風が、これでもかこれでもかと吹きつけています。こういう時こそ、身近な京都府政を府民のくらしを守り支える府政に変えること、これが何よりも大事であります。京都の持つ行政と財政のあらゆる力を、中央の政府や大企業のためにではなく、府民のために使う、こういう姿勢と決意をもった知事が必要であります。
みなさん、森川明さんとともに、京都府政のまともな転換を必ず実現して、再び全国に輝く京都を取り戻そうではありませんか。(拍手)
森川さんは前回、現職四期目だという荒巻さんを相手にして、三十六万票、得票率41%、蜷川さんの退陣以来最大の得票率を獲得して、京都府民の間に支持と信頼をひろげた候補者であります。文字通り府民のくらしといのちの守り手であります。
いま森川さんは、経済の立て直し、くらしといのちと健康を守る、など行政の各分野にわたる公約を発表されました。
森川さんの公約は、その一つひとつが、口先ではなく、府民の立場で府政を本気で転換しようという決意と政策で裏づけられている、この点が私は大事だと思います。
もちろん公約のなかでも、知事になればすぐにでも実行できるものもある、いろいろ努力を積み重ねてはじめて道が開かれるものもある、さまざまありますが、公約の実現に向かって、府政の転換と大改革を実行する待望の知事が生まれることはまちがいありません。(拍手)
みなさん、府民に背を向けた官僚候補でも、選挙に勝つためには聞こえのいい看板だけはなんでも掲げるものであります。私は相手側のチラシをずいぶんみましたが、中には「国にきっぱりもの申す」と書いているものもありました。思わず笑ってしまいました(笑い)。政権党の橋本・野中派の後押しで、地元の意見もふみにじって天下った官僚候補に、どうして「国にきっぱりもの申す」ことができるのでしょうか。
相手陣営が「国にきっぱりもの申す」ことが京都の府知事の資格だとまじめに思っているのだったら、その基準にかなう候補者は森川さんしかないではありませんか。(拍手)
いま、新しい世紀を迎えて、古い自民党政治から抜け出そうという新しいうねりが、日本全国に起きようとしています。そのさなかにたたかわれる選挙戦であります。森川知事を実現して、二百六十万京都府民のくらしを守る政治を再びこの京都に確立するとともに、日本に新しい政治のうねりを起こす先頭に立とうではありませんか。
みなさんの最後までの奮闘、ご支援で、この知事選挙、京都府民の勝利を是が非でも勝ち取っていただきたいと思います。
そして「日本の夜明けは京都から」というあの言葉が、もう一度京都と日本の前途を照らす合言葉になることを願って訴えを終わるものであります。最後までがんばりましょう。(大きな拍手)
機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。
著作権:日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp