特集

『戦争か平和か――歴史の岐路と日本共産党』

韓国語版序文

志位 和夫


韓国の読者のみなさんへ

 (1)

 本書は、2014年、2012年、2013年の日本共産党創立記念講演会で、私が行った記念講演を収録しています。

 そこで語ったテーマは多岐にわたりますが、その全体をお読みいただければ、いま日本がどういう問題に直面しているのか、日本共産党という党がどういう党か、どんな日本をめざしているのか、世界とアジアにどう働きかけようとしているのかなどについて、ご理解いただけるものと思います。

 3つの記念講演は、『戦争か平和か――歴史の岐路と日本共産党』(2014年10月、新日本出版社)に収録されたものですが、本書では、「あとがき」で、私たちが提唱している「北東アジア平和協力構想」の大まかなスケッチ、戦後70年にあたって日本の政治がとるべき基本姿勢についての論考をくわえました。

 建国大学校の関係者のみなさんをはじめ、本書の出版のために尽力してくださったすべての方々に心からの感謝を申し上げます。

 (2)

 日本はいま、戦争か平和かをめぐって、第二次世界大戦後最大の歴史的岐路を迎えています。

 安倍政権は、2014年7月1日、集団的自衛権行使容認へと憲法解釈の大転換をはかる「閣議決定」を強行し、2015年5月14日、それを具体化する11本の法案を「平和安全法制」の名で決定し、国会に提出しました。

 この稿を執筆している現在、私たちは、安倍政権の戦争への反動的暴走との激しいたたかいのさなかにあります。安倍政権は一連の法案を「平和安全」と銘打っていますが、これほどはなはだしい「偽装表示」はありません。日本を「海外で戦争する国」へとつくりかえる戦争法案――これがこの政権が押し通そうとしている法案の正体です。私たちの国会論戦を通じて、この法案の深刻な危険が浮き彫りになってきました。

 第一は、「違憲性」――日本国憲法を蹂躙する違憲立法であるということです。半世紀以上にわたって、日本政府の日本国憲法第9条に関するすべての見解は、「海外での武力行使は許されない」ことを土台として構築されてきました。集団的自衛権の行使とは、どういうゴマカシをほどこそうとも、日本に対する武力攻撃がなくても、他国のために武力行使をする=海外での武力行使をするということです。それは、一内閣の専断で憲法解釈の土台を180度転換する立憲主義の破壊であり、憲法第9条の破壊にほかなりません。

 11本の戦争法案は、(1)集団的自衛権行使とともに、(2)これまで政府が「戦闘地域」としてきた場所にまで自衛隊を派兵し、武力行使をしている米軍等への補給、輸送など兵站をおこなうこと、(3)形式上「停戦合意」がつくられているが、なお戦乱が続いている地域に自衛隊を派兵し、治安維持活動などにとりくむことなど、海外での武力行使に道を開くいくつもの危険な仕掛けが盛り込まれています。

 自衛隊は、1954年の創設以来、一人の外国人も殺さず、一人の戦死者も出さないできました。これは何よりも憲法9条の力、そしてこの世界に誇る平和の宝を守りぬいてきた日本国民の力によるものでした。この歴史を覆し、憲法を壊し、「殺し、殺される」日本をつくる。このような暴挙は断じて許すわけにいきません。

 第二は、「対米従属性」――この法案を推進している勢力が、異常なアメリカ従属を特徴としていることです。

 私は、国会質疑で、「米国が、先制攻撃の戦争に行った場合でも、集団的自衛権を発動するのか」と、安倍首相に質しました。首相は、「違法な武力行使をした国を、日本が自衛権を発動して支援することはない」と答弁しました。

 しかし、問題は、日本政府が、米国の違法な武力行使を「違法」と批判できないということです。私は、国会質疑で「日本が国連に加盟してから今日まで、日本政府が米国による武力行使に対して、国際法上違法な武力行使として反対したことが一度でもあるか」と質しましたが、首相の答弁は「一度もない」というものでした。このような国は、世界の主要国のなかでも、ほとんど日本だけだと思われます。

 米国は、1960年代から70年代にかけてのベトナム侵略戦争、2003年から今日に至るイラク侵略戦争をはじめとして、戦後、国連憲章と国際法を蹂躙して、数多くの先制攻撃の戦争を実行してきました。1980年代には、米国によるグレナダ侵略(83年)、リビア爆撃(86年)、パナマ侵略(89年)に対して、国連総会は、3度にわたって米国を名指しで国連憲章違反、国際法違反と非難する決議を採択しています。

 ところが、日本政府は、米国の戦争にただの一度も「ノー」と言ったことがない。このような政府が、集団的自衛権の行使に踏み出すことがいかに危険か。これまでは米国から参戦要求があっても、「集団的自衛権の行使ができないから」という理由で、米軍と肩を並べて戦争に参加することは断ることもできました。しかし、戦争法案が通ればそうはいきません。米国が無法な先制攻撃の戦争に乗り出した場合にも、無法な戦争を無法と批判できず、言われるままに集団的自衛権を発動することになるでしょう。米国による無法な戦争への参戦――ここに集団的自衛権の一番の現実的な危険があります。

 第三は、「歴史逆行性」――この法案を推進している安倍政権が、過去の日本の侵略戦争と植民地支配を肯定・美化する歴史を偽造する極右勢力によって構成され、支えられているということです。

 今年は、戦後70年であり、この節目の年にあたって、日本が、歴史問題にどういう基本姿勢をとるかは、きわめて重要な問題です。私は、5月20日に行われた国会での党首討論で、安倍首相に対して、日本が1945年8月に受諾表明をした「ポツダム宣言」を引用して、「過去の日本の戦争は『間違った戦争』との認識はあるか」と質しました。首相は、頑なに「間違った戦争」と認めることを拒み続けました。それに加えて、首相が「(ポツダム宣言を)つまびらかに読んでいないので論評は差し控えたい」と答弁したことが、内外に大きな驚きと衝撃を与えました。私は、この討論を次の言葉で結びました。

 「戦後の国際秩序というのは、日独伊3国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理は、『侵略戦争』はおろか、『間違った戦争』だともお認めにならない。……戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない、そういう総理が、日本を『海外で戦争する国』につくりかえる戦争法案を出す資格はありません」。

 日本自身の過去の戦争への反省のない勢力が、憲法9条を破壊して、「海外で戦争する国」への道を暴走する。これほど、アジアと世界にとって危険なことはありません。

 いまたたかわれている戦争法案の帰趨は予断をもっていうことはできません。日本共産党は、93年の歴史を通じて、一貫して反戦平和を貫いてきた政党として、戦後最悪の内閣による戦後最悪の法案を葬るために全力をつくします。この暴挙を許さないことは、日本国民に対してのみならず、アジアと世界に対する私たちの重大な責任であることを肝に銘じて、あらゆる力をつくす決意です。

 (3)

 本書に収められた発言では、日本の政治史の流れのなかでの日本共産党の現状と展望についても述べています。

 私たちは、1961年に現在の綱領路線を確立しましたが、その後の党の発展は坦々としたものではありませんでした。私たちは、「アメリカへの異常な従属」「異常な大企業中心主義」という日本の現状を根本から改革する志を持った政党ですから、つねに支配勢力による攻撃の対象とされます。私たちが国政選挙で躍進すると、支配勢力は日本共産党封じ込めの戦略を持ってこたえる、それを打破して次の躍進をかちとる――こうした「政治闘争の弁証法」が展開してきたのが日本の政治史の半世紀でした。

 日本共産党はいま、1960年代終わりから70年代にかけての「第1の躍進」、1990年代後半の「第2の躍進」につづく、「第3の躍進」の時期を切り開きつつあります。それは、2013年7月の参議院選挙で始まり(3議席から8議席に躍進、比例代表選挙で515万票、9・7%を獲得)、2014年12月の衆議院選挙でさらに発展し(8議席から21議席に躍進、比例代表選挙で606万票、11・4%を獲得)、2015年4月に行われたいっせい地方選挙でも躍進は続きました。

 私たちは、「第3の躍進」が、支配勢力のこれまでの反共戦略の全体を打ち破って、かちとったという点に、とりわけ大きな意義があると考えています。とりわけ、支配勢力が、日本共産党を日本の政界から締め出すために、2002年から03年にかけて開始した本格的な「2大政党づくり」の企て――「自民党か、民主党か」という枠内に国民の選択を押し込める空前の大キャンペーンは、私たちにとって最強・最悪の逆風となりました。私たちは、10年余にわたって国政選挙での後退・停滞を余儀なくされました。この反共戦略を破たんさせ、新たな躍進をかちとったという点で、いま日本で進行している変化は、大きな歴史的意義があると考えています。

 本書に収められた一連の発言でも強調しているように、こうした躍進をつくりだした力として、以下の諸点をあげることができると思います。

 ――たしかな綱領を持つ党であること。私たちは、共産党ですから、人類は、資本主義という利潤第一主義の体制をのりこえて、未来社会(社会主義・共産主義社会)に発展するという展望を持っています。同時に、この変革は一足とびにできるものではありません。社会は、国民多数の合意にもとづいて、一歩一歩、階段をのぼるように段階的に発展するというのが、私たちの立場です。日本共産党の綱領では、こうした立場から、日本の当面する変革の課題を次のように明記しています。

 「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革である」。

 ――一貫した歴史を持つ党であること。日本共産党が創立されたのは1922年7月で、今年で93年になります。日本の政党の中で最も長い歴史を持つ党ですが、私たちが誇りとしているのは、戦前(1945年の日本の敗戦前)、戦後と、同じ名前で活動している政党は、日本では日本共産党しかないということです。

 戦前、天皇絶対の専制政治のもとで過酷な迫害を受けながら、侵略戦争と植民地支配に反対し、国民主権の日本の旗を掲げ、不屈にたたかった政党は日本共産党だけでした。戦前の時代に、侵略戦争を推進した諸党は、日本の敗戦後、世間に顔向けができず、名前を変えて再出発せざるを得ませんでしたが、私たちにはそうした必要はありませんでした。

 戦後、日本共産党は、日本の党と運動の進路は、自らの頭で決め、どんな大国であっても外国の指図は受けないという自主独立の立場を貫いてきました。旧ソ連共産党や中国・毛沢東派から「自分たちのいいなりになれ」という激しい干渉攻撃を受けましたが、それをきっぱりと拒否し、打ち破りました。どんな外国の運動や体制もモデルにせず、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてを受けつぎ、将来にわたって豊かに発展させるという立場を確固として貫くということを、内外に表明してきました。

 日本共産党という党名は、私たちの理想とする社会を刻んだ名前であるとともに、93年の不屈の歴史が刻まれた名前なのです。私は、2006年9月に、日本共産党党首としては初めての訪韓を行い、その後も何度も韓国を訪問しましたが、私たちの先輩が韓国・朝鮮の愛国者たちと連帯して植民地支配と不屈にたたかったこと、崩壊した旧ソ連の党などとは根本的に違う自主独立の党であることを紹介すると、いっぺんに心が通う友情がつくられた体験を何度もしたものです。

 ――草の根で国民と結びついた党であること。日本共産党は、全国に2万の党支部、30万人を超える党員、2800人を超える地方議員をもち、日本列島津々浦々で国民と結びつき、国民の利益をまもって日夜活動しています。約120万人の「しんぶん赤旗」(日本共産党の中央機関紙・日刊紙と日曜版があります)読者をもっています。

 日本の政党のなかで、このように自前の組織をもち、草の根で国民と結びついて活動している政党は他にありません。結党以来、企業・団体献金を一円も受け取らず、憲法違反の政党助成金の受け取りを拒否し、財政も自前でまかなう唯一の党が、日本共産党です。ここにこそ、さまざまな困難や苦難をのりこえて党が前進し、日本の社会変革の事業を前進させる、最も根本的な力があると私たちは考えています。

 もとより、未来もまた坦々としたものではないでしょう。しかし、私たちが綱領で展望している真に「国民が主人公」と言える新しい日本――それを担う民主連合政府を樹立する日は必ず訪れる。これは歴史の必然だと私は確信しています。私たちは、開始された「第3の躍進」を、決して一過性のものに終わらせず、日本を変える大きな流れに発展させ、日本の政治をアジアや世界から歓迎される方向に転換させるために、あらゆる力をつくしたいと決意しています。

 安倍政権のもと、みなさんの隣国である日本で何が問題となっているのか。日韓両国・両国民の本当の友好をいかにすれば築くことができるのか。日本共産党という政党の存在と活動がどういう意味を持っているのか。

 本書がそれらの問題を考える一助となり、日韓両国・両国民の相互理解と友好にとって、ささやかでも貢献となれば、筆者にとって大きな幸せです。

 2015年6月6日  志位 和夫

 (c)日本共産党中央委員会