日本共産党第22回大会最終日の11月24日、採択された「日本共産党第二十二回大会決議」は、つぎのとおりです。(補強・修正個所に傍線)
第一章 世紀の転換点にたって――二十一世紀を展望する
(1)二十世紀はどんな時代だったか
(2)世界史の本流・逆流と日本共産党
第二章 日本社会と日本共産党――九〇年代におこった変化と展望
(3)党躍進の流れのなかでの新たな試練
(4)九〇年代の流れのなかで到達点をみる
(5)民主連合政府にむけて――党の新たな前進のために何が必要か
第三章 「日本改革」の提案――二十一世紀の未来はここにこそある
(6)軍事同盟中心から平和・中立の日本へ――安保・外交政策の転換
(7)大企業中心から国民生活中心へ――経済の民主的改革
(8)日本国民の二十一世紀の生存と生活の基盤をまもる政治を
(9)憲法を生かした民主日本の建設を
(10)民主的改革への国民的多数派の結集――視野を大きく広げて
第四章 世界の平和と進歩のために――日本共産党の立場
(11)二つの世界秩序の衝突――干渉と侵略か、平和秩序か
(12)核兵器問題をめぐる本流と逆流
(13)経済の「グローバル化」をめぐる二つの流れのたたかい
(14)国際連帯の新たな探求と発展について
第五章 国政と地方政治での新たな前進をめざして
(15)衆院選、参院選での新たな前進をめざして
(16)地方自治体でのとりくみの前進、とくに都議選について
第六章 全党の知恵と力を結集して、強大な日本共産党の建設を
(17)“いまなぜ党建設か”――その国民的意義について
(18)党建設の根幹としての党員拡大――五十万の党の建設を
(19)“「しんぶん赤旗」中心の党活動”――機関紙活動の新たな発展のために
(20)党活動の質的水準の強化――前大会決定をふまえた到達と方向
第七章 二十一世紀の担い手――若い世代のなかでの活動を抜本的に強化しよう
(21)若い世代の要求と関心、政治動向の新しい特徴
(22)若者の要求にこたえる活動を強め、大胆に党にむかえるとりくみを
第八章 社会主義への展望と日本共産党の旗を高くかかげて
(23)二十一世紀――資本主義をのりこえる新しい体制への条件が成熟する世紀
(24)社会主義にたいする日本共産党の基本的立場
(25)日本共産党という党名を高くかかげて
私たちは、新しい世紀――二十一世紀の門口にたっている。世紀の転換点にたって、世界史の流れを大きくとらえ、未来への大局的な展望をつかむことが重要である。
党綱領は、「世界の資本主義は、二十世紀とともに、独占資本主義、帝国主義の段階にはいった。それ以来約一世紀のあいだに、世界の平和と民族自決、社会進歩の事業は、多くの激動と曲折をへながらも確実に前進してきた」とのべている。
二十世紀における世界諸国民の進歩と変革の運動は、発達した資本主義国の運動であれ、発展途上国の運動であれ、独占資本主義、帝国主義の反動支配を、国民多数の利益を守る方向で打破することを、最大の課題として発展してきた。
そこには、「多くの激動と曲折」も刻まれた。帝国主義の領土拡張戦略を原因とする二度にわたる世界大戦は、人類史上かつてない犠牲をもたらすものとなった。日本、ドイツ、イタリアを中心としておこったファシズムの暴虐は、この世紀に深刻な傷跡を残した。核兵器の出現は、広島、長崎に惨禍をもたらし、いまなお人類の生存を脅かしつづけている。ロシアの社会主義革命は、革命当初の時期には、世界の進歩に貢献する業績を残したが、その後ソ連が、スターリンらによって社会主義とは無縁の覇権主義と専制主義の体制への堕落の道をすすんだことは、大きな害悪をもたらした。
しかし、諸国民のたたかいは、さまざまな逆流を打ち破って、この世紀に偉大な世界史的な進歩を記録した。
――民主主義と人権……君主制と専制政治の政治体制から、国民主権の民主共和制の政治体制への地球的規模での巨大な転換がおこった。現在、国民主権の共和制をとる国は、国連加盟国のなかでも圧倒的多数をしめている。人権の保障という面でも、めざましい進歩をとげた。政治的な権利だけでなく、生存権・労働権・教育権などさまざまな社会権、男女平等などの保障が、当然のことになった。それらの保障は、「世界人権宣言」(一九四八年)、「国際人権規約」(一九六六年)、「女子差別撤廃条約」(一九七九年)、「子どもの権利条約」(一九八九年)などの国際的ルールとしても確立した。
――民族の独立……ひとにぎりの大国によって植民地や従属国として抑圧されてきた民族が、独立と自立をかちとる巨大な流れがわきおこった。第二次世界大戦後に、植民地体制が地球的規模で崩壊した。今日では、発展途上国が、形式的な独立をかちとるだけでなく、実質的な独立を政治的にも経済的にも強め、非同盟・中立の流れを形づくり、国際政治を現実に動かす大きな勢力となりつつある。そのなかで、アジアは、新しい独立・自主の流れの強力な国際的源泉になっている。
――平和秩序……二度にわたる世界大戦の惨禍をへて、国際的な平和秩序への大きな前進がきずかれた。今世紀初頭には戦争が一般に国家の合法的な権利として認められていたが、第一次世界大戦をへた国際連盟規約での戦争の規制(一九一九年)、パリ不戦条約での戦争の一般的な禁止(一九二八年)、第二次世界大戦をへた国連憲章での武力行使・威嚇の禁止(一九四五年)へと、戦争の違法化が国際ルールとしてすすめられた。日本国憲法の第九条は、この流れのもっとも先駆的な到達点として誇るべきものである。
――資本主義への規制……十九世紀には一般的だった「自由放任」の資本主義――“むきだしの市場経済”が二十世紀には通用しなくなった。諸国民の運動が独占資本の横暴をおさえる力を発揮して、さまざまな制度がつくられた。たとえば、労働時間にたいする規制は、すでに十九世紀後半にイギリスをはじめとする一部の発達した諸国で、国民のたたかいによって一定の規制がかちとられていたが、それが世界の流れとして定着し、大きく前進したのは二十世紀である。十月革命によって誕生した革命ロシアが八時間労働制を宣言したこと、それを契機として国際労働機関(ILO)が創設され、八時間労働制を第一号条約として締結したことなどが、労働時間の規制を、世界的規模に広げるうえで大きな役割をはたした。
国家が独占資本主義の利益を代表して経済に介入する体制(国家独占資本主義)が、第一次世界大戦を契機につくられ、一九二九年の世界大恐慌をへて恒常化し、第二次世界大戦後に確立した姿となったことも、大きな変化だった。この体制は、勤労者への抑圧を強化するものだったが、他面では、生産と分配にたいする社会的規制がさけられない必然であることを、万人の前で証明するものとなった。
――社会主義……一九一七年、ロシアではじめて、社会主義への変革をめざす革命がおこった。この革命は、スターリン以後、覇権主義、専制主義への変質の道をたどり、一九九一年にはソ連の崩壊にいたった。しかし、ロシア革命が、民族独立、国際平和、勤労者の権利の前進などに刻みつけた成果は、旧ソ連の崩壊にもかかわらず、世界史のうえで消えることのない業績である。現在、資本主義の体制から離脱した国々、すなわち「社会主義をめざす国々」に、世界人口の約四分の一の人々が生活していることは、重要である。
これらの流れこそ、二十世紀にわきおこり、広がった世界史の本流である。
この本流は、日本の歴史にも力強く記録されている。わが国においても、二十世紀の歴史の流れを大局的にみるならば、戦前の天皇主権の政治体制はあらためられ、国民主権の民主的な政治体制がつくられた。専制政治のもとで無権利状態におかれていた国民は、基本的人権をかちとった。
日本共産党の創立以来の七十八年の歩みは、困難や曲折もへながら、侵略戦争反対、国民主権、独立と民主主義、国民生活向上、男女平等、覇権主義反対などの旗を高くかかげて、いっかんして国民とともにたたかい、歴史の本流の促進者としての真価を発揮した誇るべきものである。日本の政党のなかで、今世紀をふりかえっていっかんした歩みをもち、新世紀を展望できる政党は、わが党のみである。
私たちの目の前には、逆流もある。アメリカを中心とした軍事同盟体制、多国籍企業と国際金融資本の支配体制が、逆流の中心となっている。この体制が、諸国民の民主主義と人権を破壊し、民族独立への干渉と抑圧をもたらし、核兵器独占体制を中心とした軍事力による覇権主義を横行させ、多国籍企業と国際金融資本の利潤追求を野放しにする市場経済万能論を地球的規模でおしつけている。日本の自民党政治は、アメリカ中心の逆流に追随し、ささえる役割をはたしている。
しかし、二十世紀の世界史の大きな歩みにてらすならば、これらの逆流が二十一世紀に未来をもちえないことは明らかである。二十一世紀の大局的な未来は、過去一世紀に大きな流れとなって広がった歴史の本流が、いよいよたしかな流れとなって、地球的規模に広がり、定着し、花開く方向にこそある。日本共産党は、その流れを促進する先頭にたって奮闘するものである。
三年前に開かれた第二十一回党大会で、私たちは、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府を実現する」という目標を確認し、その目標に接近するための努力を開始してきた。
この三年間の全国的な政治戦の結果をふりかえると、九八年の参議院比例代表選挙で八百二十万の得票という史上最高の成果をおさめ、九九年のいっせい地方選挙でも全体として大きな躍進をかちとったが、今年の総選挙では空前の謀略的な反共攻撃などきびしい条件のもとで後退するという残念な結果となった。
同時に、総選挙でえた比例代表選挙での六百七十二万票、一一・二%という得票、得票率は、前回よりは後退したとはいえ、前々回までのいずれの総選挙の得票・得票率をも上回り、七〇年代にかちとった躍進の峰をも大きく上回るものである。小選挙区選挙での得票の合計は、七百三十五万票という衆議院選挙での過去最高の得票だった。この地歩は、つぎの前進にむけた土台になりうるものである。
私たちが直面している現状は、党躍進の流れのなかでの新たな試練である。総選挙のとりくみをつうじて、反動陣営の攻撃の重大さだけでなく、わが党の主体的な問題点も明らかになった。前進からも、後退からも、ただしい教訓を引き出すならば、すべてをつぎの前進の契機にすることができる。そういう精神で、みずからを点検し、新たな前進を開くために、力をつくそうではないか。
二十世紀の最後の十年間――九〇年代に、日本社会と日本共産党との関係に、どのような変化がおこったか。その流れのなかで今日の到達点をみることが重要である。
(1)自民党政治のゆきづまりと危機は、いよいよ深刻になった。
自民党の国民的基盤は、歴史的な崩壊の過程にある。九〇年代の十年間で、自民党の総選挙での得票率は、四六%から二八%に落ちこんだ。九三年の総選挙以来の五回の国政選挙で、自民党が単独で過半数をえたことは一度もない。
単独政権が不可能になったことから、自民党は連立によって数あわせをくりかえし、延命をはかってきた。しかし、そのことが新たな深刻な矛盾を生んでいる。とくに公明党・創価学会との連立は、謀略的な反共主義で突出し、他の宗教をすべて「邪宗教」として「撲滅」の対象としてきた宗教団体と政教一体の関係にある集団を、政権内にかかえこんだことによって、広範な国民に強い不安をよびおこし、旧来の自民党の支持層とのあいだにも矛盾とあつれきを深めている。
政治路線のうえでのゆきづまりも、いよいよ顕著となった。長年つづけてきた大企業中心主義が、国民の暮らしを出口のない苦難におとしいれるだけでなく、日本経済そのものを荒廃に導き、財政を大破たんにおとしいれ、社会保障の土台を大本から崩している。軍事同盟中心の日本外交が、アジアにおこっている新しい平和の流れとまっこうから対立し、日本はアジアでも、世界でも孤立を深めている。自民党政治の存在そのものが、日本社会の発展の障害物であることが、こんなに明瞭(めいりょう)なときはない。
(2)日本共産党の政治的影響力は、国政でも、地方政治でも、九〇年代の十年間をつうじて、曲折をへながらも、全体として大きく拡大した。
衆院選の得票、得票率は、五百二十三万票、七・九%(九〇年総選挙)から、六百七十二万票、一一・二%(二〇〇〇年総選挙)に大きく前進した。参院選の得票、得票率も、三百九十五万票、七・〇%(八九年参院選)から、八百二十万票、一四・六%(九八年参院選)へと躍進を記録した。衆参の国会議員総数は、この十年間で三十人から四十三人に拡大した。
地方議員数は、この十年間で、三千九百三十八人から四千四百五十五人(うち女性議員千二百八十八人)へと前進し、地方議員第一党へと前進した。議案提出権をもつ自治体は、八・五%から三一・九%(条件が定数の八分の一から十二分の一に変更)へと大きく増えた。日本共産党が単独与党の自治体は、三十八市町村から七十六市町村に拡大し、そのうち党員首長の自治体は三町村から十市町村になった。日本共産党が与党の自治体は、現在百十五市町村である。
この変化は偶然のものではない。その根本には、九〇年代に、党の政治路線と日本社会のもとめるものとが接近し、合致してきたという客観的背景がある。また、そのもとで、党の綱領路線を、「日本改革」の提案として縦横に具体化し、それが広く国民の心をとらえつつあることがあげられる。
たとえば、党綱領では、「独占資本にたいする民主的規制」という経済政策を、いっかんしてかかげてきたが、この政策を、「ルールなき資本主義をただす」という形で具体化したのは、九〇年代に入ってのことだった。これは、長期不況のもとで、世界でも当然のルールさえ無視した日本の大企業の横暴ぶり、それを応援する政府の異常ぶりが、国際的に問題になってきた状況にかみあっての政策的発展であった。
また、党綱領では、「社会保障制度の総合的な充実と確立」を、行動綱領のなかで重視しているが、その展望を「公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円の逆立ち財政をただす」という形で具体化したのは、九〇年代に入ってからであった。これは、公共事業の異常膨張がおこり、それが社会保障を圧迫する構造がつくられた状況にかみあった政策的探求の成果だった。
(3)政党状況がどう変わったか。ここでは、八〇年の「社公合意」以来つづいてきた「日本共産党をのぞくオール与党」体制に、九〇年代をつうじて大きな亀裂が入ったという点が重要である。
三年前の第二十一回党大会決定では、当時の“総自民党化”という状況をきびしく批判しつつ、「今日の“総自民党化”という政治状況のもとでも、さまざまな部分的一致点が、他党との関係で生まれることがありうる。また、悪政と国民との矛盾が深まるなかで、“総自民党化”勢力の内部にも矛盾や亀裂が生じることもありうる」として、「そういう条件が生まれたときには、わが党は、国民の利益にそって国会を前むきに動かすために、積極的、建設的な努力をはらう」という方針を提起した。
わが党は、この方針にそくして、新進党の解党という九八年以後の野党状況の変化のなかで、国会内での野党共闘のために努力をはらってきた。その努力のなかで、国会での「日本共産党をのぞく」という体制が過去のものになったことは重要である。しかし、野党共闘は、全体として、現政権に反対するという共闘にとどまっており、政策課題を実現する共闘は、ごく部分的にしかおこなわれていない。
この根本には、わが党以外の野党諸党が、現政権への批判をいうが、政治路線では、全体として自民党政治の枠内にとどまり、それに対抗する軸をみいだせていないという現状がある。自民党との「対抗」を「鮮明」にするために、自民党以上に自民党的な政策をかかげるという状況も、一部に生まれている。
わが党は、この間の実績をふまえて、一致する課題での野党共闘を、誠実に、自由闊達(かったつ)にすすめる。同時に、野党間での必要な批判と論争をおおいにおこなう。政党間の関係を前向きに変化させるためにも、日本共産党が政治的に前進をかちとることができるかどうかが、大きなかぎをにぎっている。
後退をきっした今回の総選挙のとりくみは、党の新たな前進のために何が必要かについて、重要な教訓をしめすものとなった。
わが党は、党内外の多くの人々の意見に耳を傾け、六中総決定、七中総決定で、総選挙のとりくみの総括と教訓を明らかにした。これは、そのまま、わが党の新たな前進のための大きな指針となるものである。
(1)第一に、政策的な対決をつうじて、革新・民主の路線を国民のものにするとりくみの発展をはかるということである。
その基本姿勢として重要なことの一つは、野党として悪政にたいするもっとも手きびしい批判をおこなうとともに、どの問題でも責任ある国民的解決策をしめすこと――批判と提案をむすびつけることである。
わが党は、いっかんして革新の立場をつらぬく唯一の野党であり、悪政にたいするもっとも徹底的な批判者の党である。この「野党らしさ」を存分に発揮してこそ、政策提言での説得力もたしかなものになる。
いま一つ大切なことは、悪政の被害から国民の利益を守る緊急課題と、自民党政治の根本的転換の方向とをむすびつけて訴える――緊急策と抜本策をむすびつける「二重のとりくみ」という姿勢を、堅持することである。
自民党政治の悪政の重圧のもとで、国民が緊急に解決をもとめている熱い焦点の問題をとりあげ、国民の切実な要求の守り手としてのわが党の真価を発揮することがもとめられる。それとむすびつけて、その根本的な解決の道筋としての「日本改革」の提案を、広く国民の合意にしていく努力を、うまずたゆまずおこなうことが必要である。この両面での政策活動の新鮮で大胆な発展のために力をつくす。
(2)第二に、新たな反共攻撃の強まりとたたかい、これを打ち破ることは、政権を担う党への成長にとってさけて通ることのできない課題となっている。
わが党の躍進を、大規模な反共攻撃によっておしとどめようという動きは、七〇年代にもあらわれたが、そのときの攻撃と比べても、今日の反共攻撃は、正体を隠した怪文書など、暗やみからの謀略宣伝を主要な手段としていることにみられるように、よりいっそうの退廃と衰退の特徴があらわれている。
今日の攻撃は、反動勢力が体制的危機感を深め、日本共産党の存在と活動そのものに強い危機感を抱いていることを背景にしたものであるだけに、その異常な執念、手段を選ばないやり方を、いささかも軽くみることはできない。
これを打ち破るうえでは、選挙中の機敏で断固としたとりくみはもちろん、日常不断に党の綱領路線と歴史を広く国民に語るとりくみがもとめられる。党と国民をへだててきた“誤解と偏見の壁”は崩れつつあるが、歴史的に形成されてきたわが国の反共土壌がなくなったわけではない。それを国民的規模で克服していくことは、民主的改革の多数派を結集していくうえで、不可欠の課題である。
国民の利益を守る実際の活動をつうじて、反共攻撃が通用しないところまで、党への信頼をたしかなものにすることも重要である。総選挙と同時に投票がおこなわれた東京・狛江市長選挙で、日本共産党員の市長候補が、激しい謀略的攻撃にさらされながら、前回の得票を二倍にのばして、みごとに再選をかちとった。これは民主市政の実績がいかに市民から厚い信頼をえていたかをしめしている。選挙の性格は異なるが、狛江の選挙からは学ぶべき重要な教訓がある。
(3)第三に、質量ともに強大な日本共産党の建設をかちとることは、民主連合政府への道を切り開く根本条件となっている。
六中総決定では、わが党の政治的影響力と組織的地歩とのギャップを、前向きに打開するという課題で、前進をかちとれないまま総選挙をたたかったことが、総選挙の後退の根本にあるという教訓を明らかにした。
政治的影響力の広がりにたいして、党の組織の実力がいかに遅れているかは、九〇年代の十年間――九〇年から現在までの党勢の推移をみると歴然とする。
――党勢の根幹である党員数は、九〇年に四十八万人だったのが、九四年の第二十回党大会時には三十六万人にまで後退した。その後、持続的拡大の努力がはかられ後退傾向を脱して前進がはじまっているが、現在の党員数は三十八万六千五百十七人である。
――「しんぶん赤旗」の読者数は、九〇年に二百八十六万人だったのが、現在、百九十九万人余になっている。日刊紙の読者は五十四万人から三十五万人余である。
九〇年代の十年間は、日本共産党が、政治的影響力を全体として前進させた十年間だったが、組織の実力はそれに追いつかず、立ち遅れと逆行の傾向が克服できていない。わが党は、国政選挙で七百万人から八百万人という人々の支持をえているが、日常の活動によって組織的にむすびついている人々はその一部分である。その矛盾は、総選挙での後退にも大きくあらわれた。
こうした党勢後退の原因には、客観的条件と主体的とりくみの両面がある。客観的条件では、戦後第二の反動攻勢、東欧・ソ連の崩壊という世界的激動のもとでの逆風がある。この逆風は党建設に重大な困難をもたらしたが、そのもとでも、基本的にわが党がその陣地をもちこたえたことの意義は、きわめて大きい。主体的とりくみでは、党員拡大の自覚的追求の軽視という弱点があった。その弱さを生んだ一つの要因には、方針上の不正確さもあった。
わが党が、草の根で国民とむすびつく党組織をもっていることは、他党にない大きな財産である。しかし、民主的政権を展望したときに、党建設の立ち遅れが、わが党の活動のなかでの最大の弱点となっていることは明らかである。その克服のために、全党が知恵と力をつくそうではないか。
(4)総選挙での後退は、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府を樹立する」という前大会の目標を実現する過
程で、最初に党が直面した試練であった。しかし、その試練から、全党が正しい教訓をくみとり、新しい気概と情熱をもって力をつくすならば、かならず新しい前進の道は開かれる。
大局をみれば、二十一世紀の世界と日本の前途は洋々と開けている。九〇年代の十年間での自民党政治のゆきづまりと危機の深まりは、新しい政治をもとめている。日本社会がもとめる新しい政治と、党綱領路線が、接近し、合致しつつある。反共謀略によって、根本からはくつがえすことのできない、変革への客観的条件が成熟しつつある。
私たちは、その客観的条件にふさわしい主体的力量をつくりあげ、民主的改革の国民的多数派を結集し、二十一世紀の早い時期に民主連合政府を実現するために、全力をつくすものである。
(1)九〇年代に、東アジア地域には、二つの平和の激動がおこった。
一つは、東南アジア諸国連合(ASEAN)の動きである。ASEANは、すでに七〇年代から平和・自由・中立の志向を強めていたが、九〇年代に入って、ベトナム、ラオス、カンボジアを迎え入れ、ベトナム戦争時代の対立を克服し、東南アジア十カ国すべてが参加する地域協力機構として発展している。九四年には、東アジア全域の安全保障対話をめざすASEAN地域フォーラム(ARF)が発足し、ASEANと中国との対話がはじまり、今年七月に北朝鮮が加盟したことにより、日本、韓国、北朝鮮、中国をふくむ東アジアのすべての国が参加することになった。九五年には東南アジア非核地帯条約が調印され、九七年に発効した。こうして東南アジアは、非同盟、非核兵器、紛争の平和的解決など、平和と進歩の流れの強力な国際的源泉を形成している。
いま一つは、朝鮮半島におこった平和の激動である。九一年の南北朝鮮の国連同時加盟と朝鮮半島非核化宣言への合意、その後の九四年の北朝鮮の核問題をめぐる危機、平和的解決の軌道への復帰の努力など、朝鮮半島をめぐってはさまざまな曲折があったが、今年、南北首脳会談の成功という歴史的意義をもつ出来事がおこった。南北が、平和共存をはかるとともに、いかなる大国の介入にもよらず、自主的な統一をめざすことに合意したことは、朝鮮半島問題の平和的解決にとってのみならず、わが国をふくむ東アジアの平和と安全にとっても、きわめて大きな意義をもつものである。
(2)こうした平和の流れと対照的に、九〇年代に自民党政治がおこなってきたことは、米軍用地特別措置法の改悪など在日米軍基地の強化、戦争法(ガイドライン法)にいたる自衛隊の海外派兵体制の強化など、軍事同盟中心、軍事一本やりの対応であった。とくに、戦争法は、アジアの国々が「周辺事態」なるものをつくり出すことを前提に、米軍とともに自衛隊が、地方自治体や民間も動員して、軍事干渉をおこなう体制をつくるものであり、アジアの国々を危険視し、この地域におこっている平和の流れにまったく逆行するものである。
軍事体制をやみくもに強化するだけで、平和への備え、平和の外交方針をもっていない国は、東アジアでは日本だけである。朝鮮半島の南北首脳会談も、韓国、北朝鮮、中国、アメリカなど関係国が、それぞれ外交的打開の方針をもつなかで、実現への道が開かれた。アメリカも、軍事的介入の方針をもちつつ、外交的解決の選択肢ももって、ことにあたった。そのなかで、日本政府だけが、この歴史的事件にあたって、何のイニシアチブも発揮せず、「日本外交の不在」がきわだった。軍事一本やりの自民党政治は、危険であるだけでなく、アジアの現実をまったくみていない。この路線のもとでは、日本は、アジアでも、世界でも、二十一世紀に、みじめな孤立の道を歩まざるをえないだろう。
(3)日本共産党は、第二十一回党大会でのアジア外交重視の方針にもとづいて、党のアジア外交の新たな展開をはかってきた。それは、九八年の日本共産党と中国共産党の関係正常化と日中両共産党の首脳会談、九九年のわが党代表団の東南アジア諸国訪問、北朝鮮との国交正常化についての提案と超党派訪朝団へのわが党代表の参加など、特筆すべき成果をあげた。
わが党は、これらの実践をつうじて、日米安保条約の廃棄を大目標としながら、それ以前にもとりくむべきアジアと日本の平和のための緊急課題を、豊かに発展させてきた。それは、つぎのような内容である。
――米軍基地国家からの脱却……海兵隊、空母機動部隊、航空宇宙遠征軍など“殴り込み部隊”をはじめ米軍基地の縮小・撤去にとりくむ。
とくに沖縄での米軍基地の重圧をとりのぞくことは全国民的課題である。日米両国政府は、アジアへの軍事介入体制を強化するため、新型軍用機を配備できる最新鋭の基地を沖縄・名護に建設しようとたくらんでいる。この新基地は、早い時期に基地をなくすという沖縄県民の願いを踏みにじり、二十一世紀中にもわたって基地を固定化、強化しようとするものであり、だんじて認められない。米軍基地の県内たらい回しではなく、縮小・撤去のためにたたかう。低空飛行訓練、夜間離着陸訓練(NLP)、実弾砲撃演習など、米軍による“植民地型”の横暴を許さない。戦争法の発動を許さず、その撤廃をもとめる。
――日本外交の四つの転換……(1)紛争問題を解決するさいには、軍事優先ではなく、話し合いによる平和解決を最優先させる。国連憲章に定められた平和秩序を守る。(2)アジアに生きる国として、アメリカ外交偏重、サミット外交偏重のあり方をただし、アジア外交を日本外交の中心にすえる。(3)アメリカであれ、どんな大国であれ、他国にたいする追従外交でなく、日本国民の立場にたち、道理によって世界に働きかける自主・独立の外交をきずく。(4)侵略戦争と植民地支配への反省を、アジア外交にとりくむ大前提として内外に明瞭にする。
――日中関係の五原則……(1)日本は、過去の侵略戦争についてきびしく反省する。(2)日本は、国際関係のなかで、「一つの中国」の立場を堅持する。(3)日本と中国は、互いに侵さず、平和共存の関係を守りぬく。(4)日本と中国は、どんな問題も、平和的な話し合いによって解決する。(5)日本と中国は、アジアと世界の平和のために協力し合う。
台湾問題の解決にあたっても、日本が、「一つの中国」という国際法上の枠組みを確固として守る立場にたつことが重要である。アメリカは、「台湾関係法」など、台湾問題への介入と干渉の戦略をすてていないが、日本はこれにくみしてはならない。日本は、百五年前に台湾を中国から奪って植民地とし、さらに五十五年前にポツダム宣言を受諾してその台湾を中国に返還した国であり、この歴史にてらしても、世界のなかでも「一つの中国」の原則をもっともきびしく守る責任をおっている。この立場に確固としてたってこそ、台湾住民の意思を尊重しながら、この問題を平和的に解決すべきであるという立場を、独自の政治的判断として、道理をもって主張することができる。
――北朝鮮との国交正常化交渉……侵略戦争と植民地支配の過去を清算することは、日本側の歴史的責任として、みずから解決しなければならない問題である。戦後半世紀にわたって放置されてきたこの問題について、日本政府としての積極的な立場と政策を明らかにすることが、この交渉を前向きに実らせるかぎである。北朝鮮との国交正常化にたいし、植民地支配を違法行為としてきっぱりと謝罪し、それにたいする補償をおこなう立場にたつべきである。そのことは両国の紛争問題についても正しい解決の道を開く力になる。
いわゆる拉致(らち)疑惑問題は、捜査の到達点にたち、それにふさわしい交渉による解決が必要である。
――東南アジア諸国との安全保障対話……東アジアで力強く動きはじめた平和の流れをいっそうたしかなものにしていくうえでも、ASEAN地域フォーラム(ARF)を重視する。ARFは、東アジアのすべての国が参加していること、どの国も敵視しないことを原則にしていること、軍事力による共同制裁を予定していないことなど、東アジア地域の平和と安全のための対話機構として注目すべき発展をとげている。日本も、その参加国の一員として、憲法九条をかたく守り、どんな問題も平和的に解決する東アジア諸国の共同の努力を発展させるために、力をつくす。
(4)この間、日ロ政府間で、領土問題に関する交渉がおこなわれてきたが、何の進展もえられず、交渉のゆきづまりを露呈した。
日本側は、「国後(くなしり)、択捉(えとろふ)はサンフランシスコ条約で放棄した千島列島には属していない」という国際的に通用しない論だてに固執し、領土返還の要求を、国後、択捉、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の四島に限定し、北千島ははじめから領土交渉の対象から除外するという態度をとった。そのうえ、四島についても、国境線を画定するだけで、施政権は当面はロシアに残すという提案をした。ロシア側の態度に何の変化もないのに、日本が一方的に譲歩を重ね、日本側の後退だけが既成事実として残るというみじめな結果となった。
この間の日ロ交渉の経過がしめしているのは、国際的にも通用する道理ある論拠をもって交渉するのでなく、もっぱら首脳間の個人的な「友好」関係にすがり、経済的利益で歓心をひくことで交渉をすすめるというやり方では、領土問題は解決できないばかりか国益に深刻な損害をあたえるということである。
日本共産党は、この問題の根源が、「領土不拡大」という第二次世界大戦の戦後処理の原則に反して、スターリンがヤルタ協定で千島列島のひきわたしを要求して米、英がこれを認め、日本政府がサンフランシスコ条約二条C項で千島列島の放棄を宣言したところにあることを明らかにしてきた。そして、この誤った戦後処理に拘束されず、それを正面からただすという立場で交渉にのぞむことを、いっかんして提唱してきた。この問題の解決をえるためには、世界も、ロシア国民も、納得せざるをえない、道理ある国際法上の論拠をもって交渉にあたることが不可欠である。
(5)東アジア情勢の激動のなかで、日米安保体制を二十一世紀までつづけることの是非が、いま根底から問われている。
軍事同盟の口実とされる「脅威」が消失した。もともと、日米安保条約は、「ソ連の脅威」からの「防衛」を大義名分にしてつくられたものだったが、この「脅威」が消失してすでに十年近い。安保絶対派は、その「代用」として、「北朝鮮の脅威」をあおりたててきたが、朝鮮半島におこった劇的な平和への動きのもとで、これも通用しなくなった。「何のための安保か」が、いま根本から問われている。
こうした情勢のもとで、日米軍事同盟が、「防衛」とは無縁の、攻撃的な軍事同盟だという本質が、むきだしの形であらわれてきた。とりわけ戦争法は、アジアと日本の平和と日米軍事同盟との矛盾を、いよいよ深刻なものとした。
今年十月に発表されたアメリカ国防大学「国家戦略研究所」の特別報告で、民主、共和両党の外交・軍事の中枢的専門家が共同して、日本に集団的自衛権を公然と採用することを要求したことは重大である。これは、日本が戦争法を発動して米軍の軍事行動に参戦する場合に、日米軍事同盟を、前線での戦闘行動まで共同でおこなうという、新たな危険な段階にひきあげる要求にほかならない。
わが党が国会でその全容を明らかにした日米核密約は、六〇年の安保改定時にかわされた核持ち込みの仕組みが、今日の日本でも生きて働いていることを明るみに出した。アメリカは、いまでも「有事」には「核の再配備」をおこなうという体制をとっている。核持ち込みの問題も、安保条約廃棄の課題を、いよいよ切実なものとしている。
軍事同盟にしばられ、巨大な米軍基地がおかれ、被爆国の日本が核戦争の基地となっている――こういう現状に二十一世紀まで甘んじるのか。このような体制を永久不変と考える勢力に、およそ国の独立と未来を語る資格はない。わが党は、安保条約廃棄を国民世論の多数にしていくという綱領的任務に、正面からとりくむものである。
(1)自民党政治の大企業中心主義の経済運営のもとで、日本経済には異常なゆがみがつくられてきた。九〇年代の十年間をつうじて、こうした経済のゆがみが、国民生活に苦難をもたらすだけでなく、日本経済のまともな発展にとっても深刻な障害となっていることが、いよいよ明らかになった。
戦後の日本経済は、五〇年代後半から七〇年代初めまでの、いわゆる「高度成長期」から、七〇年代の二度の石油ショックをへて、「低成長期」に移行していった。この間に、日本の経済構造は、大きな変化をおこしている。
「高度成長期」には、大企業中心主義の矛盾が、公害問題、物価問題などを中心に噴き出したが、大企業の利益の一定の部分が設備投資などをつうじて、経済全体に広がり、結果として国民生活のそれなりの向上にもむすびつくという一面があった。
しかし、八〇年代以降の経済の「低成長」のもとでは、大企業はもっぱらコスト削減・減量経営によって空前の利益をむさぼり、勤労者の所得・消費を抑制するという事態が生まれた。そのため大企業の利益が国民生活の向上にむすびつかなくなるという状況が生まれた。この状況は、バブル経済が破たんして、長期不況におちいった九〇年代に、いっそう深刻な形ですすんだ。
こうした経済構造の変化は、政府の統計によっても裏づけられている。経済企画庁は、最近の『白書』のなかで、(1)「高度成長期」には、民間企業の設備投資が増えれば、日本経済全体が大きく成長し、個人消費も拡大するという特徴があったが、(2)「低成長期」に移行してからは、民間企業の設備投資が増えても、個人消費の拡大にはつながらないという特徴が生まれていることを分析している。
個人消費の日本経済にしめる比率は、九八年度には六割となっている。日本経済の文字通りの主役をしめるにいたっている個人消費――国民の暮らしを直接応援する政治をおこなってこそ、日本経済全体のまともな発展も可能になる。これが今日の日本の経済構造の重要な特徴となっている。
(2)ところが、自民党政治は、客観的におこっている日本の経済構造の変化に対応できず、相変わらず、大企業の投資と利益を応援することを第一とする経済政策をとりつづけた。この経済政策の矛盾は、バブル経済が破たんして、日本経済が長期不況におちいった九〇年代に入って、きわめて深刻な形で噴き出してきた。
――ゼネコンと大銀行に、国民の税金を湯水のようにつぎこむ政策がとられた。年間の公共投資は五十兆円という空前の規模に膨張し、大銀行支援の七十兆円の枠組みもつくられた。これらは、国と自治体で六百四十五兆円の借金という戦後最悪の財政破たんをひきおこしたが、国民生活の向上には少しもつながらず、不況は九〇年代をつうじて長期化した。大企業のリストラを国をあげて応援する体制をとったことは、一部の大企業の利益増にはつながったが、雇用不安と所得の低下、中小企業の倒産の激化をまねき、深刻な不況を長期化させた。
――国民生活、庶民の家計にたいしては、無慈悲な政策がおしつけられた。医療でも、年金でも、介護でも、社会保障の負担増が連続した。消費税増税によってこの三年間で十五兆円、超低金利政策によってこの九年間で三十兆円、リストラによってこの二年間で六・五兆円もの所得が、国民から奪われた。この結果、勤労者の所得は、九〇年代の十年間をつうじて、わずかに一・三%しかのびず、家計消費は、十年間で四・二%も落ち込んだ。
この道をつづけては、二十一世紀に、国民生活も、日本経済もたちゆかなくなることは、あまりにも明らかである。自民党政治には、もはや日本経済のかじ取りをする資格も、能力もなくなっている。
いまこそ、大企業を応援する政治から、国民生活を応援する政治へと、経済政策の根本的転換をはかるべきである。そのために、わが党は、日本経済のつぎの三つの民主的改革を提唱する。
(3)第一の改革――経済活動に民主的なルールをつくる……九〇年代は、大企業中心の経済運営のもとで、“ルールなき資本主義”とよばれる日本経済の異常なゆがみが、とくに深刻になった十年でもあった。
重大なことは、“ルールなき資本主義”が、国民生活を破壊するだけでなく、日本経済の発展の土台を破壊しつつあることである。大企業の目先の利潤追求のためのリストラの横行が、不況の長期化だけでなく、企業の生産性を低下させつつある。中小企業や農林漁業、地場産業のきりすては、日本の“物づくり経済”を土台から破壊しつつある。大型店野放しによる地元商店街の破壊は、地域社会と地域経済に、深刻な打撃をあたえている。税金による大銀行救済が、金融業界はもとより産業界にも、はてしないモラル破たんをまねいている。
わが党は、前大会以降、“ルールなき資本主義”をただし、大企業にその経済力にふさわしい社会的責任をはたさせる民主的規制の政策を、各分野で発展させてきた。
――雇用問題では、「サービス残業」根絶を軸とした労働時間短縮による雇用の創出、一方的な解雇を禁止し、希望退職・転籍などの強要をやめさせる解雇規制法の制定など、リストラの横暴から雇用を守る提案をおこなってきた。
――中小企業にたいしては、大企業の横暴から下請けを守るルール、無秩序な大型店の進出から地元商店街を守るルールをきずくとともに、中小企業予算を抜本的に増額し、「日本経済の主役」にふさわしく、経営基盤を効果的にささえる支援をおこなうことを提唱してきた。
――金融問題では、大銀行支援の税金投入の枠組みを撤廃し、銀行の不始末は銀行業界の共同の責任と負担で解決するという本来のルールに立ち戻る方向で、金融秩序のたてなおしをはかることを主張してきた。
これらの提案は、国民生活を守りながら、日本経済の健全な発展に責任をもつ政策的提言として、国民的意義をもつものである。そのことは、少なくない経済界の人々もふくめて、わが党の提案が国民的共感をよんでいることにもしめされている。
(4)第二の改革――財政・税制・社会保障の民主的改革……わが国の財政破たんは、九〇年代の十年間に、加速度的にすすんだ。これは、自民党政治が、一方で、ゼネコンや大銀行などへの放漫きわまる税金つぎこみ政策をとりながら、他方で、法人税と所得税の最高税率の大幅引き下げなど大企業と高額所得者のための減税をくりかえしたために税収の空洞化がおこった結果である。
財政破たんは、長期債務の残高が国内総生産(GDP)の一・三倍と、世界に類をみない最悪の水準に達している。しかも重大なことは、これらが改善される見通しもなく、ますます増えつづけていることである。しかし、こうした異常な状態を、いつまでもつづけるわけにはいかない。財政破たんを放置するなら、やがて国債価格の暴落、国債金利・長期金利の上昇などをひきおこし、金融市場と国民経済に深刻な混乱をもたらすことになる。それは、世界経済にも、否定的な影響をあたえることになるだろう。これをさけようとすれば、自民党政治のもとでは、悪性インフレ、消費税増税、国民生活むけ予算の大幅きりすてという、“三重苦”を国民におしつけるしかなくなる。自民党政治は、財政運営の面でも、国民的大破局の寸前まできている。
わが党が発表した新しい財政再建の提案――(1)年間五十兆円の公共事業費を生活・福祉型に重点化しながら段階的に半減する、軍事費を半減するなど、無駄と浪費の構造に思い切ったメスを入れる歳出の改革、(2)大企業・高額所得者優遇の不公平税制を是正する歳入の改革、(3)国民生活予算を確保しながら、計画的・段階的な目標をもってとりくむ――という三つの原則にたって、国民本位の財政再建に踏みだすことは急務である。
高齢化社会をどうささえるかという問題も、二十一世紀にむけた重要な課題である。
政府・与党は、二十一世紀初頭にかけて、医療、介護、年金の三つの分野にわたり、社会保障の連続的改悪をすすめようとしており、それによる負担増・給付減の総額は、年間で二兆円から三兆円にもなろうとしている。このくわだてに反対し、社会保障の充実をはかることは国民的急務である。
日本の社会保障給付の水準は、国民所得比で一八%と、イギリスの二七%、ドイツの三三%、フランスの三八%と比べて、五〜六割程度にすぎない。この水準を引き上げ、すべての国民が老後に不安のない社会をつくることがもとめられている。そのための財源確保についてのわが党の基本的立場はつぎの通りである。
――当面は、新しい財政再建の提案――歳出・歳入の両面の改革を実行することによって、単年度赤字を半分にしながら、国民生活充実のために約十兆円の予算を確保することができる。この予算をあてれば、いま緊急に必要とされる年金、介護、医療など社会保障予算の充実の財源は十分にまかなうことが可能である。
――将来的には、税制、社会保険制度の抜本的改革による財源確保が不可欠になる。そのさい税負担にしても、社会保険料負担にしても、大企業と高額所得者に応分の負担をもとめる「応能負担」(負担能力におうじた負担)の原則をつらぬくことが重要である。税制については、直接税中心、総合・累進、生計費非課税という民主的原則にたった抜本的改革が必要である。社会保険制度についても、欧州に比べて低くおさえられている大企業の保険料負担を増やすとともに、高額所得者にたいする保険料の頭打ち制度を見直すなど、所得や収入におうじて保険料負担をもとめる(応能負担)という立場からの改革をおこなう。
わが国の所得格差――貧富の格差は、八〇年代、九〇年代をつうじて急速に拡大し、日本は、主要国のなかでもっとも所得格差の大きな国の一つとなっている。政府の統計でも、国民の五分の一をしめる低所得層と、五分の一をしめる高所得層との所得格差は、八一年には七・四倍だったのが、九六年には三十三・二倍に拡大している。こうした現状をふまえ、財政、税制、社会保障制度の改革は、国民の所得を再分配し、貧富の格差を是正するという、制度本来の機能を強める方向でおこなうべきである。
消費税増税の動きが、政府・与党などで強まっており、消費税増税を許さないたたかいは、緊急・重要な課題となっている。政府税制調査会は消費税を「基幹税」と位置づけ、増税の方向を明瞭にしている。政府・与党は、二〇〇四年までに基礎年金の国庫負担の割合を二分の一に引き上げることを決めているが、その財源という口実で、消費税増税がもちだされる危険性がきわめて高い。わが党は庶民いじめの悪税を税金の中心にすえるこのくわだてに断固として反対する。消費税増税反対、食料品への非課税を緊急の要求として国民的共同を広げながら、財政再建と税制改革のとりくみのなかで消費税減税、廃止をめざすことを、わが党はいっかんして追求するものである。
(5)第三の改革――対等・平等の日米経済関係への転換……日本国民の富は、自民党政治のもとで、ゼネコン・大銀行・大企業に吸い上げられてきただけではない。アメリカ経済をささえるために、日本経済が強い従属のもとにおかれ、国民生活が大きな被害にあっていることも重大である。
八五年の先進五カ国蔵相会議(G5)での「プラザ合意」以来、円高政策がおしつけられてきたことは、日本経済のゆがみを深刻にした。十五年の長期にわたって、円高・ドル安――為替レートと購買力平価とのあいだに大幅な開きがあるという状態がつづいている。円高は、日本がアメリカにもっている資産を、数十兆円という規模で帳消しにした。長期の円高のもとで、大企業は輸出競争力を確保するために、はてしないコスト削減、リストラ・人減らしに走ったが、これは失業の深刻化と、中小企業の倒産をもたらし、日本の“物づくり経済”に重大な打撃をあたえた。
「プラザ合意」以来、日本の公定歩合は、アメリカの公定歩合よりも低くおさえられてきた。日本の金利を、アメリカの金利よりも、低く操作することによって、日本の資金がより高い金利をもとめてアメリカに流れ、ウォール街(アメリカ金融市場)の株高をささえ、経常収支の大赤字をうめるシステムがつくられた。アメリカに強いられた超低金利政策が、日本経済にどれだけの犠牲をもたらしたかは、はかりしれない。八〇年代後半の超低金利政策は、バブル経済を生みだし、その破たんによる負の遺産は、いまなお日本経済の重圧となっている。バブル破たん後も超低金利政策はつづけられ、九〇年代以降でも累計で三十兆円もの国民の利子所得を奪った。
「日米構造調整」と称して、大店法の緩和・撤廃をはじめとする規制緩和がおしつけられ、牛肉、オレンジ、米など農産物の輸入自由化がすすめられたことも、日本経済と国民生活への多大な犠牲をもたらした。
ヨーロッパでも、アジアでも、アメリカの横暴勝手な経済的支配から脱却し、経済主権を守る流れが強まっている。そのときに、“アメリカ経済あっての日本経済”という神話にしばられ、アメリカ経済をささえることを最優先にすることに何の疑いももたない自民党政治に、およそ日本経済を担う資格はない。アメリカ追随の金融政策、通貨政策、貿易政策からの脱却をはかり、対等・平等の日米経済関係をきずくことは、二十一世紀の日本経済の民主的再建にとって、きわめて重要な課題である。
(1)日本の二十一世紀を展望したとき、国民の生存と生活の基盤にかかわって、解決がせまられている問題が山積している。
――子どもと教育……「いじめ」や学級崩壊、校内暴力、児童虐待など、子どもと教育をめぐる状況は深刻である。不登校も増大している。あいつぐ少年犯罪に国民だれもが心を痛めている。わが党は、前大会決定で、民主的な社会の形成者にふさわしい市民道徳を身につけるための教育を重視することを提案したが、これはいよいよ重要な課題になっている。
わが党は、(1)受験中心の「つめこみ」教育、競争教育、ふるいわけ教育から子どもたちを解放し、一人ひとりの子どもの成長と発達を中心においた教育への改革をはかる、(2)子どもの世界の健全な発展のためにも、おとな社会の各分野にモラルを確立し、道義ある社会をめざす、(3)子どもたちを有害な情報から守るため、文化面で社会の自主的ルールをつくる、という三つの問題での国民的とりくみをよびかけてきた。
九八年六月に国連子どもの権利委員会は、日本政府への勧告のなかで、「極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達のゆがみにさらされている」と、きびしい批判をおこなったが、主要国政府への勧告のなかで「教育制度」そのものが不適格だと批判されたのは日本だけであり、わが党の提案が国際的にも道理あるものであることを裏づけた。
すべての子どもに基礎的な学力を保障する教育改革が、きわめて切実な課題となっている。いま子どもたちのなかに「学力の危機」ともいうべき深刻な事態が広がっている。学校教育が、多くの子どもたちにとって「わからない」「面白くない」ものになっていることは、重大である。
これは、自民党政府・文部省が長年つづけてきた、競争主義、管理主義の強化という教育政策がつくりだしたものである。「学校の勉強だけではわからない、塾通いをしないとわからないのが当たり前」という異常な事態は、学習指導要領のおしつけによって、学習内容が系統性を欠いた断片的知識を棒暗記させるというゆがみをもっていることとともに、基礎的な科目に必要な授業時間を保障していないことも、大きな原因の一つとなっている。
すべての子どもに基礎的な学力を保障することは、国民の根本的な教育要求であり、憲法と教育基本法が要請している学校教育の基本任務である。学習内容を子どもの発達段階にそくした系統的なものにするとともに、真に基礎・基本的な事項については、十分な授業時間をとって、すべての子どもがわかるまで教える教育への改革が必要である。
それらを保障するためにも、三十人学級への前進をかちとり、さらに少人数学級にすすむことが不可欠である。そのための教員の増員と教育予算の増額、学校の民主的運営が必要である。
政府・与党は、子どもと教育をめぐる深刻な現状を打開する何らの方策ももたず、国連の勧告にたいしては「法的拘束力はない」などと無視する態度をとりながら、教育勅語を肯定し、教育基本法改悪をくわだてるなど、反動的逆流を教育にもちこもうとしている。このような勢力に、子どもたちの未来をまかせるわけにはいかない。
わが国の知的基盤である大学の自主的創造的発展をゆがめる、国立大学の独立行政法人化に反対し、大学の教育研究条件の抜本的改善をはかることも重要な課題である。
――「少子化」……日本社会が子どもを産み育てる力を失いつつあることは、日本の未来にとっての大問題である。わが党は、この問題の根本要因が、“働くこと”と“子どもを産み育てること”との矛盾が広がり、深刻化していることにあることを指摘し、その解決のための提案をおこなってきた。
この問題の根本を解決しようとすれば、保育体制の拡充や子育て支援の充実などにとどまらず、労働、雇用問題に正面からメスを入れる必要がある。すなわち、男女がともに子育てに責任をはたせるように、職場の労働環境を全体として改善すること、雇用に関するすべての面で男女平等をつらぬくようにすること、失業や不安定雇用の解決にとりくみ男女ともに安定した雇用を保障することなどが不可欠である。“ルールなき資本主義”をただすというわが党の経済改革の提案は、「少子化」問題の解決ともむすびつくものである。
――農林漁業と食料……国民の生命をささえる食料の自給率は、四〇%にまで低下した。穀物自給率にいたっては二五%にまで低下し、世界の百七十八カ国・地域のなかで百三十番目という低さであり、人口一億人以上をかかえる十カ国のなかでは最下位、九位のブラジルが八四%であることをみても日本の低さはきわだっている。多くの国際専門機関が、人口の増加、異常気象、農用地拡大の制約など、あらゆる面で二十一世紀の食料需給の逼迫(ひっぱく)を警告しているもとで、わが国の食料自給率を下がるにまかせている政治は、まさに亡国の政治といわなければならない。
WTO(世界貿易機関)農業協定を改定し、米を輸入自由化の対象からはずし、実効ある輸入規制がはかれるようにするなど、食料主権を保障するとともに、農業を国の基幹的産業に位置づけ、農業予算を公共事業偏重でなく農産物の価格保障に優先してあて、農業の再建発展と食料自給率の計画的向上をはかるために政治が責任をはたすことがもとめられている。
また、国産材の利用促進と輸入の抑制による林業の再建、水産資源の回復と魚価の安定による漁業振興とあわせて、農林漁業を永続的に維持・発展させることは、食料の安定確保、農山村の維持とともに、国土・環境の保全や多様な生態系の維持など、国民生活に欠かせない多面的機能を発揮させるためにも重視しなければならない。
――エネルギー……政府は、二十一世紀のエネルギーを、原子力発電所の大増設と、プルトニウムをくりかえし利用する路線に頼り切るという政策をとっている。このようなエネルギー政策をとっている国は主要国では日本だけである。欧米の主要国のほとんどが、原発建設計画をもたず、プルトニウム循環方式からも撤退しているなかで、日本のエネルギー政策の異常さはきわだっている。世界の主要国で放棄された政策にしがみつく政府の姿勢は、この問題でも国民の未来を危険にさらす。
昨年スウェーデンが原発の閉鎖に足を踏みだしたのにつづいて、ドイツが二〇二〇年代初めまでに原発を全廃することを決定した。原発大増設とプルトニウム循環方式という危険きわまりない政策を中止し、低エネルギー社会の実現、再生可能エネルギーの開発をすすめながら、原発からの段階的撤退をめざすべきである。
――環境問題……ダイオキシン汚染の深刻化、産業廃棄物処理・処分場などからの汚染物質の流出、環境ホルモン問題、大気汚染など、国民の命と健康を脅かす環境破壊は深刻である。アセスメント、リサイクルなど、環境にかかわるすべての分野で、大企業の製造責任、排出責任をきびしく問う環境保全のルールを確立し、汚染の原因となる物質・商品を生産・使用している企業の責任と負担を明確にした環境対策税などを創設する。
開発至上主義の公共事業によって、自然林、干潟、自然の海岸線、湿地、河川・湖沼など、日本の豊かな自然が破壊され、国際的にもきびしい批判が集中している。開発至上主義との決別は二十一世紀にむけての緊急課題である。
――災害対策……日本は世界有数の地震国であり、火山国である。この間のあいつぐ地震、火山活動などによる災害の経験から、政治が教訓をくみとり、貧弱な監視・予知体制の抜本的強化、災害に強いまちづくりの推進、個人補償、生活と営業への保障など被災者にたいする生活支援の強化など、災害への備えを抜本的に厚くすることは急務である。
有珠山や三宅島の噴火の経験は、火山への監視・予知活動の重要性をしめした。現在、文部省の測地学審議会が“要注意”ときめた活火山三十七のうち常時監視体制がしかれているのは二十だけであり、それ以外はきわめて貧弱な体制か、体制なしの状態におかれている。すべての活火山で常時監視体制を構築することをはじめ、自然災害にたいする長期的な視野にたった対策に力をつくす。
集中豪雨による水害もあとをたたず、住民の生命・財産に重大な損害をあたえている。この原因には、防災をなおざりにした無秩序な大規模開発や都市化、山間部における原生林の無謀な乱伐などがあり、「想定外」ではすまされない。開発のあり方をふくむ総合的な防災体制、避難体制などの抜本的な強化が不可欠である。
――IT(情報技術)……二十一世紀を前にして、コンピューターをはじめとした情報通信技術の発展は、人類の文化・技術の発展のなかでも、画期的な一段階を開きつつある。とくにインターネットの発展と普及は、世界中のコンピューター同士の通信を可能にし、すでに国民の二割以上がこれを利用し、多様な情報を入手し、発信する、新しいコミュニケーションの手段となっている。
ITの展開は、現在まだ発展の途上にあり、政治がこれに対応するには、いま政府がやっているような、「IT革命」の看板を従来型の公共事業の推進策に使ったり、景気対策の手段にするといった目先の対応ではなく、新しい技術を社会全体が有効に活用できるようにするための本格的な方策をとることが重要である。なかでも、新技術を国民の共有財産とし、その成果を国民すべてが受けられるようにする方策や、ITを利用した新たな犯罪を防止する対策、ITのもたらす否定的諸問題への対応などは、当面とくに重視する必要がある。
(2)これらの諸問題は、二十一世紀の日本国民の生存、生活を大きく左右する重大問題である。しかし、自民党政治は、どの問題でも、長期的視野にたった本格的な国民的解決策をもたず、小手先の無責任な対応しかしめせないでいる。この政治のもとでは、二十一世紀に日本国民の生きる道がなくなる危機的状況にある。
日本共産党は、これらのすべての問題で、責任ある解決の基本方向をしめしている。大企業中心、アメリカ追随の政治からの転換という「日本改革」の目標をもつ党だからこそ、どんな問題でも国民の立場にたった解決策をしめすことができる。わが党は、二十一世紀を広い視野にたって展望し、日本社会が提起する新しい諸問題に積極的にとりくみ、日本国民の未来に責任をおう党としての先駆的役割をはたさなければならない。
(1)国会に憲法調査会が設置され、改憲勢力は、この場を利用して、憲法改悪にむけた策動を強めている。憲法問題は、二十一世紀の日本の進路をめぐる、進歩と逆流のたたかいの重大な焦点となっている。
日本共産党は、当面の日本の民主的改革において、憲法の進歩的条項はもとより、その全条項をもっとも厳格に守るという立場をつらぬく。この立場は、わが党が野党であっても、政権党になったとしても、同じである。わが党がめざす民主連合政府は、政府として、憲法第九九条にもとづいて現行憲法を尊重し、擁護する立場にたつ政府である。天皇制についても、いまわが党がもとめているのは、憲法で定められた国政への不関与(第四条)、国事行為の範囲の限定(第六・七条)などを、厳格に守ることである。
二十一世紀の日本の未来を、より大きな視野で展望したときに、社会の発展にともなって、憲法も国民の総意にもとづいて発展することは、当然のことである。天皇制も、国民主権との矛盾をはらんだ存在として、永久不変の制度ではありえない。
同時に、わが党は、現憲法の五つの進歩的原則――国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治――については、将来にわたってこれを守り、その全面実施をもとめていく。
これらの諸原則は、二十世紀の世界史の進歩的流れをふまえ、それを発展させた先駆的価値をもつものであり、二十一世紀の日本の民主的な国づくりの羅針盤になりうるものである。わが党の「日本改革」の提案と、憲法の五つの進歩的原則の完全実施とは、ともに重なりあう内容と方向をもっている。
(2)憲法をめぐるたたかいでは、第九条が最大の焦点となっている。改憲派は憲法のその他の条文についても、あれこれの問題点を指摘しているが、その一番のねらいは、九条をとりはらうことであり、この一点にあるといっても過言ではない。改憲のくわだてとむすびついて、軍国主義的な思想・潮流の動向が強まっていることも重大である。
憲法九条をとりはらおうという動きの真の目的は、アメリカが地球的規模でおこなう介入と干渉の戦争に、日本を全面的に参戦させるために、その障害となるものをとりのぞくところにある。
昨年強行された戦争法は、そのための仕組みをつくろうとするものであった。しかし、九条があるために、戦争法においても、「自衛隊が海外で武力行使を目的に行動することはできず、その活動は後方地域支援にかぎられる」ということを、政府は建前にせざるをえなかった。政府が「後方地域支援」とよんだ兵站(へいたん)活動は、戦争の一部であり、政府の建前はごまかしである。同時に、なお九条の存在が自衛隊の海外派兵の一定の制約になっていることもまた事実である。
戦後、日本は、一度も海外での戦争に武力をもって参加していない。これは、憲法九条の存在と、平和のための国民の運動によるものである。憲法九条は、戦後、自民党政治のもとで、蹂躙(じゅうりん)されつづけてきたが、自衛隊の海外派兵と日本の軍事大国化にとって、重要な歯止めの役割をはたしてきたし、いまなおはたしている。この歯止めをとりのぞき、自由勝手に海外派兵ができる体制をつくることを許していいのか。これが憲法九条をめぐるたたかいの今日の熱い中心点である。この点で、九条改憲に反対することは、自衛隊違憲論にたつ人々も、合憲論にたつ人々も、共同しうることである。
日本共産党は、憲法九条の改悪に反対し、その平和原則にそむくくわだてを許さないという一点での、広大な国民的共同をきずくことを、心からよびかける。
(3)憲法九条と自衛隊の関係をどうとらえ、その矛盾をどのように解決していくかという問題は、二十一世紀の日本にとって重要な問題である。
憲法九条は、国家の自衛権を否定してはいないが、「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」を放棄するだけでなく、「陸海空軍その他の戦力を保持しない」として一切の常備軍をもつことを禁止している。ここまで恒久平和主義を徹底した憲法は世界にほとんど例がない。憲法九条は、戦争の違法化という二十世紀の世界史の大きな流れのなかで、もっとも先駆的な到達点をしめした条項として、世界に誇るべきものである。
その値打ちは、昨年、オランダのハーグでおこなわれた世界市民平和会議での「行動指針」が、各国議会に「憲法九条のように戦争放棄宣言を採択すること」をよびかけるなど、いま世界でも見直されつつある。それは二十一世紀にむけてわきおこりつつある平和と進歩の国際的な流れを反映している。二十一世紀は、軍事力による紛争の「解決」の時代でなく、“国際的な道理にたった外交”と“平和的な話し合い”が世界政治を動かす時代になる。この新しい世紀には、憲法九条の値打ちが、地球的規模で生きることになる。とりわけ平和と進歩の力強い潮流がわきおこりつつあるアジアでは、憲法九条の値打ちは、いよいよ精彩あるものとなるだろう。
憲法九条にてらすならば、自衛隊が憲法違反の存在であることは、明らかである。世界でも有数の巨額の軍事費をのみこみ、最新鋭の現代兵器で武装した軍隊を、「戦力ではない自衛力」などといってごまかす解釈改憲は、もはや到底なりたたない。
それでは、憲法九条と自衛隊の現実との矛盾をどう解決するか。わが党は、改憲派がとなえるような自衛隊の現実にあわせて九条をとりはらうという方向での「解決」ではなく、世界史的にも先駆的意義をもつ九条の完全実施にむけて、憲法違反の現実を改革していくことこそ、政治の責任であると考える。
この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である。
――第一段階は、日米安保条約廃棄前の段階である。ここでは、戦争法の発動や海外派兵の拡大など、九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である。また世界でも軍縮の流れが当たり前になっている時代に、軍拡に終止符をうって軍縮に転じることも急務となっている。
――第二段階は、日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階である。安保廃棄についての国民的合意が達成されることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題であり、自衛隊解消の国民的合意の成熟は、民主的政権のもとでの国民の体験をつうじて、形成されていくというのが、わが党の展望である。この段階では、自衛隊の民主的改革――米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅軍縮などが課題になる。
――第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施――自衛隊解消にとりくむ段階である。独立・中立の日本は、非同盟・中立の流れに参加し、世界やアジアの国々と、対等・平等・互恵の友好関係をきずき、日本の中立の地位の国際的な保障の確立に努力する。また憲法の平和原則にたった道理ある平和外交で、世界とアジアに貢献する。この努力ともあいまって、アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟することを見定めながら、自衛隊解消にむかっての本格的な措置にとりくむ。
独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、二十一世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である。
自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。
そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。
(4)憲法の、人権や民主主義に関する規定を、政治に生かすとりくみも重要である。
わが国の憲法では、人権について三十条にわたる規定がもりこまれている。そこには政治的権利とともに社会的権利が明記され、全体として世界でも先駆的な豊かな人権規定となっている。ところが自民党政治のもとで、この人権規定が生かされず、つぎの諸問題をはじめ、あらゆる分野で踏みにじられてきた。
――第一四条・二四・四四条では、社会的にも、家庭でも、政治参加の面でも、「男女の同権・平等」を詳細に規定しているが、男女賃金格差など労働条件一つとってもこれが生かされたとはいえない現状がある。政治参加も世界の水準にはるかに遅れている。
――第一九条では、「思想及び良心の自由」が保障されているが、政党助成法、「日の丸・君が代」の強制など、内心の自由を侵す政治が横行している。
――第二一条では、「通信の秘密」を保障しているが、それをまっこうから蹂躙する盗聴法が強行された。
――第二五条では、国が「社会保障の増進」の責任をはたすことを義務づけているが、社会保障への国の支出を抑制・削減する政治がつづけられている。
――第二七条では、「国民の勤労権」「労働条件を法律で決める」などをのべているが、残業時間一つとっても法律での規制がないなどの現実が放置されている。労働法制の全面改悪がすすめられていることも重大である。
――第二九条の「財産権の保障」は、もっとも古くからある人権規定だが、米軍用地特別措置法の改悪などは、これを蹂躙するものだった。
わが国の憲法の先駆的で豊かな人権規定を、暮らしに生かす政治こそ、いま強くもとめられているのである。
「環境権」「知る権利」「プライバシー権」など、“新しい人権”をどう位置づけるかが問題とされている。これらは、憲法の人権規定をふまえて、国民の運動によって発展的に生みだされてきた権利であり、第一三条の「幸福追求権」など現憲法の人権規定によって根拠づけられるものである。憲法は、“新しい人権”にも対応できる、懐の深い構造をもっている。これを改憲論の“入り口”として利用し、九条改憲を“出口”とする方向に、世論を誘導しようという議論には、まったく道理がない。
リストラ・人べらしにたいし、確立した判例であった「整理解雇の四要件」をくつがえす判決が相ついでいる。司法の反動化を許さず、陪審制など国民の司法参加、裁判官の選任方法や法律扶助制度の改善など、司法制度の民主的改革を実現することは、国民の人権を守るうえで重要である。
議会制民主主義をめぐって、政権党が、党利党略で、選挙制度を改悪する動きを、臆面(おくめん)もなくくりかえしていることは重大である。小選挙区制・比例代表並立制のもとで、民意を反映する比例代表の定数を削減するという暴挙が、政権与党の“数の暴力”によって強行された。参議院の比例代表の選挙制度を、「非拘束名簿式」に改変するという政権与党のくわだても、政党選択というこの制度の土台を根底から崩す、むきだしの党利党略の動きである。民主主義に逆行する選挙制度の改悪を許さず、小選挙区制撤廃を軸にした選挙制度の民主的改革をかちとることは、ひきつづき重要な課題である。
企業献金は、大企業の金の力で政治をゆがめ、憲法に保障された国民の参政権を侵害するものである。この間の一連の汚職事件を通しても、企業献金が政治腐敗の根源であることは、いよいよ明瞭である。政府与党は、二〇〇〇年一月から政党への企業献金を見直すとした政治資金規正法の規定すら無視して、企業献金をもらいながら、政党助成金も二重どりするという姿勢をつづけている。わが党は、企業献金禁止、政党助成金撤廃を身をもって実行している唯一の党として、この政治腐敗の根源を日本の政界から一掃するために、ひきつづき力をつくす。
(1)二十一世紀に民主連合政府をつくる土台となるのは、革新・民主の日本への改革を願う、国民の多数派を結集することである。
日本共産党は、自民党政治を打破していく方向として革新・民主の三目標――(1)日米安保条約を廃棄し、独立・非同盟・中立の日本をめざす、(2)大企業中心から国民生活中心に経済政策をきりかえ、あらゆる分野で国民の暮らしが豊かになる日本をめざす、(3)憲法を生かし、自由と民主主義が充実・発展する日本をめざす――を、国民多数の合意にしていくために、力をつくす。
この三目標での一致にはいたらない人々もふくめて、悪政に反対する広範な人々との共同をめざす。そのためにも、日本の社会の全分野を視野に入れて、国民的規模での対話と共同を広げ、一致点を柔軟に探求する努力が大切である。この間、さまざまな課題で、経済界、知識人・文化人、宗教者などをふくめ、これまでわが党とはあまり接点のなかった人々、従来は保守政党の基盤とされてきた諸団体との対話と共同が、一段とすすんだ。ここにも、わが党の政治路線と日本社会との関係が、大きく前向きに変化しつつあることがあらわれている。
(2)無党派の人々と党との共同を広げ、革新・民主の国民的多数派をつくるうえで、革新懇運動の発展は、かなめともいうべき重要な意義をもっている。全国革新懇の運動は、その時々の国政の中心問題を解明するシンポジウムにとりくみ、「ひとことメッセージ」の形で各界の幅広い人々との共同をすすめるなど、創意的なとりくみを発展させ、四百五十万人を擁する運動に成長している。
前大会では、「地域・職場革新懇の網の目を日本社会の全体に広げる」ことを強調したが、この間、地域革新懇は三百八十から五百二十一へ、職場革新懇は八十四から百四十二に、着実に前進した。これを文字通り日本社会の全体に広げる仕事は、革新懇自身の仕事であるが、その一翼を担う政党として、わが党の責任でもある。六〇年安保闘争のさいには、全国二千の地域共闘がつくられたが、現在わが党地方議員は、二千三百をこえる自治体で活動している。こうした条件も生かして、壮大な規模で革新懇運動を発展させるために、党としても力をつくす。
(3)地方自治体での共同も、無党派の人々との共同の重要な分野である。この間、日本共産党が単独与党の革新・民主の自治体は、着実に広がり、「住民が主人公」の新しい地方政治の流れをつくっている。前大会決定では、「わが党が与党の自治体で、住民本位の行政をどのように発展させるかは、その地域の住民にとってはもちろん、現実政治にとりくむ日本共産党と革新民主勢力の力量をはかるものとして、文字どおり全国的な意義をもつ」ことを強調しているが、各地の革新・民主の自治体では、財政危機のもとでも、税金の使い方を大型事業優先から住民本位にきりかえ、住民の暮らしの向上と、財政の健全化を両立させるなど、数々の注目すべき成果をあげている。
わが党が与党ではない自治体で、地方自治の本旨を、部分的だが、重要な点で守ろうとする新しい流れが生まれていることを重視する。非核港湾条例の提案や米軍機低空飛行訓練反対、減反おしつけ反対などで積極的な立場をとっている高知県政、大型開発最優先から福祉重視への転換の努力をはらっている大阪・和泉市政などの自治体では、わが党は首長選挙で対立候補をたてずに、是々非々で、問題点は率直に批判しながら、積極面を発展させるために奮闘するという立場をとっている。地方自治をふみつけにする自民党政府の悪政のもとで、今後もこうした流れが広がる客観的条件があり、わが党は原則をつらぬきながら柔軟な対応をしていく。
(4)民主的改革の国民的多数派をつくるためには、あらゆる分野での国民の切実な要求にもとづく大衆運動の画期的な発展が不可欠である。
大衆運動には、さまざまな階層、分野、領域があるが、どの運動でも民主的運動が多数者を結集する運動に成長することが、強く期待されている。同時に、視野を大きく広げて、これまで党が接点をもっていなかった運動、新しく国民の中で広がっている運動との協力と共同を強めるとりくみが大切である。
――労働運動……大企業のリストラ競争のもとで、労働者に深刻な矛盾が広がり、従来の職場支配の体制が崩壊するなかで、新たな変化がおこっている。
全労連は結成以来の十年の活動をつうじて、労働戦線での共同の追求、民主勢力との共同の追求に努力し、労働者と国民の利益を守る新しい運動の流れをつくっている。各地のリストラの横暴とのたたかいで一連の成果をおさめ、「労働者の利益の守り手は全労連」「労働相談なら地域労連へ」という社会的評価を定着させている。
このもとで連合にも一定の変化がおこっていることは注目すべきである。連合は、労資協調という基本路線をとりつつも、職場情勢の深刻な矛盾を反映して、労働者の要求を一定反映した行動をとりはじめている。それは一連の労働法制改悪への反対運動、解雇規制法・労働者保護法の提起、年金改悪にたいする反対運動などに、あらわれている。これらの国政の制度上の課題、切実な職場の要求、中小・下請け企業を守る要求で、連合系労組もふくめ、あらゆる傾向の労働組合のなかに、労働者の権利を守る具体的要求の一致点が広がり、共同行動が広がっている。
政治課題でも、九九年の戦争法反対のたたかいで、連合の重要な単産である海員組合、中立で航空労働者の大多数を組織する航空労組連、全国港湾などが、全労連参加労組とともに陸海空港湾労組二十団体として、「5・21全国大集会」を成功させた。
わが党は、労働組合運動のナショナルセンターのちがいをこえ、一致する要求で、自由闊達な協力・共同の関係を発展させるために、力をつくすものである。
大企業の首切り・リストラ、正規雇用からパート・アルバイトなどへの大規模な置き換えなどにより、未組織労働者が増大している。未組織労働者はもっとも過酷で劣悪な労働条件におかれており、その組織化をこれまでにまして重視する必要がある。
――市民運動……市民運動が、環境問題、行政への住民参加、消費者運動、介護保険問題、年金・福祉問題、被災者支援、原発問題など、さまざまな分野で活発な広がりをみせ、インターネットなどをつうじた創意的な活動によって情報のネットワークをつくり、社会的に大きな影響力を発揮しつつあることも、注目すべき新しい動向である。NPO(民間非営利組織)も大きく広がっている。
そして、少なくない市民運動が、その要求を実現するために、考え方のちがいをこえて、わが党と協力関係を発展させていることは、重要である。愛知の海上の森を守る運動、徳島の吉野川可動堰(かどうぜき)に反対する運動などで、市民運動と党が心の通う協力関係をきずき、行政を動かす成果をかちとりつつある。こうした流れをさらに発展させるために、わが党は誠実に努力をつくすものである。
(5)他政党との連合についての展望はどうか。わが党の綱領では、当面の民主的改革の段階から、社会主義の未来の段階まで、単独政権ではなく、いっかんして他政党との連合の力、連合政権によって、社会変革をすすめることを、政治の民主的な発展の原理として位置づけている。
現在の政党状況でいえば、国会内で悪政に反対する限定的な課題での共闘がはじまったのは、この間の新しい変化だが、民主的改革の政権の目標を共有して、連合ができる政党はまだ存在していない。しかし、この現状を、固定的にみる必要はない。民主的改革の国民的多数派がつくられる方向に情勢が成熟する時期には、わが党と連合が可能な民主的党派が生まれる展望は十分にある。
たとえば、わが党は、この間、幅広い経済人、財界人と懇談や対話をおこなってきたが、そこでは日本経済の現状をたてなおすには、わが党が提唱している経済の民主的改革しか道はないという、広範な認識の一致がえられた。前大会決定では、将来の理論的可能性として、修正資本主義の立場にたつ勢力との共同について言及したが、それが現実味をおびた課題となりつつある。経済界でそうした前向きの流れが本格的につくられたときに、政界にもそれを反映した流れがつくられることもありうることである。
わが党がしめしている「日本改革」の提案の方向にこそ、自民党政治によるゆきづまりと危機を打開し、二十一世紀の日本の未来を救う道がある。この方向を、国民多数の合意にするために、全力をつくそうではないか。
(1)昨年つくられた、日米安保ガイドライン・戦争法と、NATO(北大西洋条約機構)の「新戦略概念」は、アメリカを中心とする軍事同盟体制の危険を、新しい段階に高めるものとなった。
第一に、これまで軍事同盟が大義名分にしていた「侵略にたいする共同防衛」という建前をかなぐりすてて、干渉と介入の戦争に同盟国を動員する軍事同盟へと、公然とした変質をとげたということである。
日米安保条約は、第六条で「極東の平和と安全のために行動する米軍」に基地を提供する義務をおわせているが、日米が共同で軍事行動をおこなうのは「日本への武力攻撃」にたいする対処にかぎられていた(第五条)。ところがガイドライン・戦争法は、「日本への武力攻撃」がなくても、アジア・太平洋地域で「周辺事態」への対応として米軍が干渉や介入の戦争をはじめたら、日本がその戦争に参戦するというものである。
NATOも、もともとの建前は、NATOの加盟国が武力攻撃を受けたさいに、共同で防衛にあたるというものだった(NATO条約第五条)。しかし「新戦略概念」では、NATOの加盟国が攻撃を受けていなくても、「欧州・大西洋地域とその周辺」で「地域危機」がおこったら、それが他国の内政にかかわる問題であっても、干渉と介入のための共同の軍事行動をおこなうことを宣言した。昨年のユーゴにたいする空爆は、その最初の実験だった。
第二に、アメリカを中心とする軍事同盟が、他国にたいする武力攻撃を、国連の決定なしで、国連を無視してでもおこなうことを、公然と宣言していることである。
アメリカは、九〇年代中ごろから、アメリカに都合のよいように国連を利用できるときには利用するが、いざというときには国連を無視した単独の軍事行動をためらわないという戦略を明瞭にしてきた。九六年のイラク攻撃、九八年のアフガン・スーダン攻撃、九八年から九九年にかけてのイラク攻撃、九九年のユーゴ空爆など、国連を無視した武力攻撃をくりかえしてきた。
米軍が国連を無視した無法な軍事行動に出た場合でも、ガイドライン・戦争法を発動するのか、というわが党の国会での追及にたいして、政府は否定しなかった。NATOが「新戦略概念」をうちだすにあたって、アメリカ政府高官は“NATOは国連の下にはたたない”として、NATOが国連を無視して行動することを事実上宣言した。
こうした軍事同盟の変質は、国連憲章が定めた世界平和の秩序――各国の内政には干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、各国の勝手な軍事行動は侵略への自衛反撃以外は認められない――を根底からくつがえして、アメリカの横暴勝手な覇権主義 を、世界の新しい原理にすえ、それに同盟国を動員しようとする、きわめて危険なくわだてである。ここに、二十一世紀の世界平和を脅かす最大の脅威があることを、私たちは正面からとらえなければならない。
(2)同時に、こうした覇権主義と干渉主義が、世界の民主的世論のなかで、孤立を深めていることが重要である。ユーゴ空爆は、「人道的介入」の名のもとにおこなわれたが、この暴挙にたいして世界中から批判の声がわきおこった。
世界人口の圧倒的な多数をしめる非同盟諸国は、昨年九月の閣僚会議で「国連憲章にも国際法の一般原則にも法的基礎をもたないいわゆる人道的介入権を拒否する」という確固とした立場を宣言している。わが党代表団が、昨年九月に東南アジア諸国を訪問したさいにも、アメリカの覇権主義と、「人道」の名による干渉主義に反対する、共通の立場が確認された。
国連総会の場でも、ユーゴ空爆にたいして、中国、ロシアからのきびしい批判はもとより、フランス、ドイツなどNATO諸国からも、あのような空爆をくりかえしてはならないとする懸念が表明された。最近公表されたイギリスの下院外交委員会の報告書では、空爆を支持する立場にたちながらも、空爆が国連憲章に反した違法なものであるということを認めざるをえなかった。
アメリカは、ソ連崩壊後の世界戦略として、自分の意にそわない一連の国々を「ならず者国家」として、これらの国々への一方的な経済制裁、軍事制裁が許されるとする横暴勝手な戦略をとってきた。しかし、アメリカが、キューバ、リビア、イランなどへのさまざまな制裁措置を、同盟国にも強制したうえ、それに参加しない同盟国やその企業への罰則を適用するという一方的なやり方をとったことは、アメリカと同盟国との矛盾と対立を、拡大することになった。朝鮮半島での南北首脳会談によって、アメリカがこれまで「ならず者国家」としてきた国が、新しい平和の流れの一方の当事国となるという変化もおこった。
こうしたなかで、アメリカ政府は、「ならず者国家」という概念を公式に放棄し、「懸念国家」という一般的な概念におきかえざるをえなくなった。アメリカは、覇権主義と干渉主義の戦略をいささかも見直してはいないが、その戦略が深い矛盾と破たんにおちいっていることを、これらの経過はしめしている。
二十一世紀の世界のあり方として、二つの国際秩序が衝突している。アメリカが横暴をほしいままにする戦争と抑圧の国際秩序か、国連憲章にもとづく平和の国際秩序か――この選択がいま、人類に問われている。戦争の違法化という二十世紀の世界史の流れを逆転させようとする方向には、けっして未来はない。日本共産党は、平和の国際秩序をきずくための国際的連帯を、世界に広げるために、力をつくすものである。
(1)この間、核兵器廃絶にむけて、国際社会には、大きな前進がつくられた。
アメリカを先頭とする核兵器大国は、九五年に、核不拡散条約(NPT)の無期限延長を強行したが、世界を、少数の「核兵器を持つことが許される国」と、圧倒的多数の「持つことを許されない国」に差別する体制の矛盾は、激しくなるばかりである。とくに九八年のインド、パキスタン両国の核実験強行は、核兵器独占体制には、核拡散を阻止する道理も力もないことを明らかにし、この体制の破たんを露呈するものとなった。世界は、今後とも矛盾に満ちた核兵器独占体制をつづけるか、それとも核兵器廃絶の実現にむかうかのどちらかしかないことが、これまで以上に鋭く問われることとなった。
こうした状況のもとで開かれた今年五月のNPT再検討会議では、最終文書に、「核兵器保有国は、自国の核兵器の完全な廃絶を達成」することを「明確に約束」するということが明記され、核保有国をふくむ合意となった。
重要なことは、この最終文書での合意が、アメリカなど核保有国が主張した「核兵器の究極的廃絶」という、核廃絶の永久先送り論を打ち破ってつくられたということである。非同盟諸国や、「新アジェンダ連合」という核兵器廃絶をめざす国家連合は、この「究極的廃絶」論にたいして、「核兵器の全面廃絶は義務であり、優先課題であって、究極的目標ではない」という鋭い核心をついた批判をおこなった。国際的批判が広がるもとで、孤立を恐れたアメリカが、「究極的」の言葉をとることに同意し、最終文書での合意がつくられたのである。
これは、核兵器廃絶を緊急・中心課題とするわが国の原水爆禁止運動の追求してきた方向が、世界の世論と運動のなかでも、さらに国際政治の場でも、たしかな流れとなって広がっていることをしめした、歴史的成果であった。現代における最悪の軍事力である核兵器も、“道理にたった外交と運動の力”を広げるならば、二十一世紀にその廃絶への道を開きうることを、この動きはしめした。
(2)もちろん核廃絶か核独占かの二つの道の対決に、決着がついたわけではない。NPT再検討会議の最終文書にもられた核軍縮措置には、期限や具体的段取りが明記されておらず、これだけでは実効あるものにはならない。
アメリカは、いまも核戦力の絶対的優位確保と、核先制使用戦略をひきつづき追求している。相手のミサイルを無力化するNMD(全米ミサイル防衛)構想やTMD(戦域ミサイル防衛)構想に固執し、核先制使用戦略を強めようとしている。包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准せず、未臨界核実験をくりかえし、核兵器の開発・強化をつづけている。こうした態度は、世界中に不安を広げ、国際世論はもとより他の核保有国、同盟諸国からも批判をうけている。
このなかで、日本政府のとっている態度は、まったく異常なものである。毎年の国連総会で非同盟諸国が提出している「期限をきった核兵器廃絶」をもとめる決議に棄権し、NPT再検討会議でも「核兵器の究極廃絶」を、「われわれの共通の旗」だとして支持をもとめてきた。さらに今年の国連総会には、「究極的核廃絶」論が破たんしたにもかかわらず、「究極的」を「最終段階」に言い換えただけの決議案を提出し、被爆国政府として恥ずべき姿勢をさらけだした。世界の流れにさからう自民党政治のゆきづまりは、ここでも鮮やかである。
二十一世紀を、核兵器のない世紀にしていくために、核廃絶をかかげた各国政府、自治体、NGO(非政府組織)、平和運動が、互いに協力しあって、草の根からの運動を広げていくことは、いよいよ重要である。そのなかで半世紀におよぶわが国の原水爆禁止運動が、さらに大きく成長し、日本政府の核兵器固執政策を打ち破っていくことが、強くもとめられている。
(1)経済の「グローバル化」(地球規模化)をどうとらえ、どう対処するかは、二十一世紀に世界が直面している重大な問題である。
資本主義のもとで、貿易、投資、市場が国境をこえて広がる国際化は、さけられない固有の傾向である。
問題は、「グローバル化」の名で、アメリカを中心とした多国籍企業と国際金融資本の無制限の利潤追求を最優先させる経済秩序――規制緩和と市場万能主義の経済秩序を、全世界におしつけていることである。その結果、世界の資本主義は、その存在そのものをみずから脅かすような深刻な矛盾を広げている。
――貧富の格差の拡大……世界的に貧富の格差が拡大していることは、国連の報告からも知ることができる。国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告書』(九九年)は、「所得と生活水準の世界的な不平等はグロテスクなまでに膨らんだ」、「最も豊かな国々にすむ世界人口の五分の一と、最も貧しい国々の五分の一の人々の所得の差は、六〇年の三〇対一から、九〇年には六〇対一に、九七年には七四対一に拡大した」、「世界の億万長者の中で最富裕者三人の資産は、四十八カ国の後発開発途上国のすべてとそこに住む六億人の全GNP合計よりも多い」、「経済協力開発機構(OECD)諸国内でも八〇年代から所得の不平等が広がっている」と指摘している。
――国際的規模での独占化……国境をこえる企業買収によって、独占化が急速に進行している。マレーシアのマハティール首相は、「グローバリゼーションの結果、いまおこっているのは、西側を中心としたいくつかの巨大企業が世界的な独占体制をつくろうという企てだ。将来、世界にはそれぞれ五つずつの銀行、自動車会社、流通企業、ホテル・チェーンだけが残り、世界市場を独占するだろう。中小企業はこうした巨大企業に吸収されてしまうに違いない。巨大資本家が夢見る世界だ」と告発している。
――金融投機の横行……国境をこえて投機的な資金が流れ込み、一国の通貨を暴落させ、経済を破壊するという事態がひきおこされている。九七年から九九年にかけておこったアジアの金融・通貨危機をひきおこした犯人は、ヘッジファンドなどとよばれる投機集団と、国際金融資本だった。全世界の年間の商品輸出額が五・三兆ドルであるのにたいして、為替取引高はその六十一倍の三百二十五兆ドルにのぼる。わずか四日間の為替取引が、一年間分の商品輸出と同じ額というのは、金融投機、為替投機がどんなに異常な水準に達しているかを物語っている。
(2)アメリカは、IMF(国際通貨基金)、世界銀行、OECD(経済協力開発機構)、WTOなどの国際組織を、「グローバル化」をすすめる道具として利用してきたが、それが各国経済、各国国民との矛盾を深め、国際的批判を広げ、大きく破たんしつつある。
IMFは、八二年のメキシコの経済危機への対処以降、いわゆる「構造調整政策」――経済破たんをおこした国にたいして、緊急融資と引き替えに、国民犠牲の緊縮財政や規制緩和をおしつけ、一国の経済主権を奪うというやり方をとってきた。ロシアの経済危機、アジアの経済危機にたいしても、この方式がとられた。しかし、このIMF路線は、どこでも経済と国民生活に重大な打撃をあたえ、世界各地で失敗した。東南アジアでは、マレーシアが、この方式をきっぱり拒否して、独自の経済再建に成功した。この事実を前にして、IMFはマレーシア方式を評価せざるをえなくなっている。
WTOをめぐる矛盾もきわめて深刻になっている。昨年十一月に米国・シアトルで開かれたWTO閣僚会議が決裂した。その最大の原因は、アメリカが、農業問題、知的所有権問題などで、自国の多国籍企業の通商利益を最優先させる横暴きわまる態度をとったことが、発展途上国はもとより、発達した諸国との矛盾を爆発させたことである。ヨーロッパのある有力紙はこの結果を、「貧しい諸国と市民運動の勝利」と伝えたが、ここでもアメリカの経済覇権主義が、世界に通用しなくなる状況が生まれている。
(3)「グローバル化」による矛盾が深刻化するなかで、すべての国の経済主権の確立、平等・公平を基礎とする新しい経済秩序をもとめる流れが、さまざまな形で広がっていることは、重要である。
世界百三十三カ国の発展途上国が参加する「グループ77」の初の首脳会議(南サミット)が、今年四月におこなわれ、そこで採択された「南サミット宣言」は、「公正さと平等性にもとづいた国際経済関係を確立することを、国際社会にたいして強く要請」し、「各国の国内および各国間にある、貧者と富者の間で増大する不均衡を逆転させる新しい人間的な世界秩序」の必要性を強調するなど、経済の「グローバル化」への共同の対処として広範な一致点を確認している。
国連の諸機関が、「グローバル化」の否定的現象の告発にとどまらず、多国籍企業や国際金融資本への民主的規制の必要性を強調していることも、最近の新しい特徴である。「弱者を保護し、強者を統制する新しい世界的な社会と経済の枠組みを力を合わせて構築しなければならない」(国連開発計画・UNDPの報告書、九九年)、「諸国政府は、多国籍企業の活動が環境にダメージを与えたり、現存する国内企業を締め出したり、幼い国内産業の可能性を危うくすることのないよう保障しなければならない」(国連貿易開発会議・UNCTADの報告書、九九年)などが注目される。さらに、国連社会開発調査研究所(UNRISD)の今年五月の報告「見える手――社会開発に責任を負う」は、規制緩和万能論による「市場の『見えざる手』への過度の依存が、世界を持続不可能なほどの不平等と貧困の水準に押しやっている」と指摘し、「多国籍企業には、強力で効果的な規制が必要であり、市民団体からの首尾一貫した対応がもとめられる」と強調している。
さらに、七主要国の蔵相・中央銀行総裁(G7)が、ヘッジファンドなどの投機集団の規制を検討せざるをえなくなったり、IMF関係者から、貧困問題の解決のために世界が努力すべきだという提言がなされるなど、「グローバル化」の推進者たちからも、これが生みだしている矛盾を放置すれば、世界資本主義の存立と発展が土台から損なわれかねないという認識がしめされている。
こうしたもとで、国際的規模での民主的規制が強くもとめられている。とりわけ投機的取引を国際資本取引から締め出すこと、IMFやWTOの民主的改革をはかることは、急務となっている。
日本共産党は、アメリカ主導の「グローバル化」の横暴から、勤労者の権利を守り、貧困と飢餓をなくし、金融投機を規制し、地球環境を保全する、新しい民主的国際経済秩序の確立をめざして、共同と連帯を発展させるものである。
世界の現状は、国連憲章にもとづく平和の国際秩序をもとめるたたかい、すみやかな核兵器廃絶を追求するたたかい、新しい民主的国際経済秩序をめざすたたかいなど、切実に解決がもとめられている課題での、国際的な連帯と共同を強くもとめている。
日本共産党は、世界の平和と進歩のため、広い視野にたって、幅広い国際交流と連帯、外交活動の発展のために力をつくす。
外国の諸政党との交流では、さまざまな政治的・理論的立場にたつ外国の諸政党との交流・友好をすすめ、条件があれば協力を幅広く追求する。相手の党が保守的な政党であれ、革新的な政党であれ、与党であれ野党であれ、双方に交流開始への関心がある場合、「自主独立、対等・平等、内部問題相互不干渉」の三原則にもとづいて、関係を確立し、率直な意見交換をおこない、可能な場合には共同の努力をはかる。
外国の政府との関係でも、平和と進歩の課題での交流を発展させる。この間わが党は、核兵器廃絶問題、ユーゴ空爆問題、沖縄基地問題などでのわが党の立場を、世界各国に伝える活動にとりくんできた。このなかで、世界各国の在日大使館との交流が強まり、とくにアジア諸国との関係で、日本に大使館をおくアジア諸国のすべての大使館との交流がはじまったことは重要である。各国の在日大使館は、それぞれの国民を公的に代表する機関であり、ひきつづき対話と交流の発展につとめる。
(1)二十一世紀の早い時期に民主連合政府を樹立するという目標を達成するうえで、日本共産党が国政に大きな影響力をもつ議会勢力に発展することは、特別に重要な意義をもつ。前大会決定では、「第一段階の目標として、衆議院に百をこえる議席、参議院に数十の議席をもち、国会の力関係のうえでも自民党と正面から対決できる力量をきずきあげる」ことを確認したが、この目標をひきつづき正面から追求する。
選挙戦での得票目標について、これまでの「有権者比得票目標の実現をめざす」という方針をあらため、「その選挙でかならず責任をもって達成すべき目標を、それぞれの選挙の性格や、それまでの到達点をふまえて決定する」という方針に発展させる。
つぎの総選挙と参議院選挙で、党の前進をかちとることは、当面する全党の活動の中心課題である。
これらの国政選挙で、わが党は、つぎの目標の達成のために奮闘するものである。
――得票では、過去最高の峰(一九九八年の八百二十万票)をこえる積極的な目標を、都道府県ごとにきめるようにする。それにふさわしい大きな構えと規模で、宣伝、組織活動をやりぬく。
――議席では、総選挙については、現有議席を確実に確保し、比例選挙での大幅な上積みをめざすとともに、小選挙区制でも議席の獲得に挑戦する。
参議院選挙については、改選議席(比例五、選挙区三)を絶対に確保し、最高の峰(比例八、選挙区七)をこえることをめざす。選挙区選挙では、東京、埼玉、大阪での現職区の議席を絶対に守り、議席増をめざす。議席増のうえでは、九八年参院選で議席を獲得した神奈川、愛知、兵庫、京都のたたかいは、とくに重要である。
前回の参院選では、必勝区と非必勝区との垣根をとりはらい、全選挙区で議席を争う構えでたたかうという方針をとった。この方針でたたかったことは、選挙区での勝利はもとより、これまで国政選挙で遅れていた県が、比例区でも選挙区でも躍進をかちとるなど、全国的に開拓者精神が発揮され、党が躍進するうえで大きな力を発揮した。この方針を、新しい情勢のもとで、つぎの参院選でも発展的に生かす。
総選挙での後退から、前進に転じるのは、容易ではない課題である。同時に、自民党政治のあらゆる分野でのゆきづまり、わが党の「日本改革」の提案の先駆性など、奮闘いかんでは、わが党が前進をかちとる条件は存在している。
国政選挙にのぞむ目標と構えについては、手堅い目標を設定してかならずそれを実現すること、同時に構えを大きくして攻めの選挙をおこなうこと――この両面を統一してたたかうことが大切である。
二つの受動主義――悲観主義、楽観論を一掃することは、総選挙の教訓にてらしても、とくに重要である。この受動主義は、選挙の勝利のためにやるべきことをやらないで、風頼みで一喜一憂するという点で、根は一つである。どのような情勢のもとでも、わが党にとって風を頼んでの勝利はない。相手がどういう攻撃をかけてこようが、それを打ち破って、勝利のためのあらゆる手だてをつくすという気概と奮闘によってこそ、前進を切り開くことができることを、肝に銘じてたたかいたい。
(2)参議院の比例選挙に「非拘束名簿式」が導入されたが、この選挙制度は、徹頭徹尾、与党の党利党略の産物である。日本共産党の躍進でこの党略を大失敗させ、痛烈な打撃を与えることがもとめられている。
改悪された制度に対応しての党の前進をめざす方針はつぎの通りである。
――選挙制度が改悪された比例区も、従来の制度の選挙区も、「政党選択を土台に」という方針を堅持してたたかうことが基本である。すなわち、日本共産党の政策、路線、歴史、理念を語り、党そのものへの理解と支持を広げる活動にとりくみ、党躍進の大波をつくりだすことを、選挙戦全体の土台にすえるという方針をつらぬく。
――比例代表の候補者としては、すでに九人の候補者を第一次発表分として発表している。この九人については、すでに発表したように全国を地域割りして、全員の勝利をめざしてとりくむようにする。候補者の魅力をおおいにアピールするとりくみをおこなうが、そのさい「政党選択を土台に」という立場をつらぬくことが重要である。
――「非拘束名簿式」となった比例代表選挙は、日本共産党と投票してもらっても、日本共産党の候補者名で投票してもらっても、そのすべての票が日本共産党の議席獲得につながる制度である。同時に、比例区の当選順位は候補者の個人名得票数の順位できまる。この制度の特徴をよくつかんで訴えていく。
「政党選択を土台に」という方針をつらぬくことを基本にしながら、候補者の魅力、個性を大切にし、それをおおいに引き出す。候補者は、党の方針をふまえながら、自分の言葉で、自由闊達に党を語ることが大切である。党が、有権者からみて、「個性豊かな政党」と評価されるような成長がもとめられている。それが党の魅力、値打ちをいっそう光らせることにもなる。
(3)選挙戦の方針では、つぎの「四つの原点」にもとづく活動に、日常不断にとりくむことを基本とする。これは、「支部が主役」の活動――支部が自主的に「政策と計画」をもってとりくむ日常活動そのものでもある。
一、国民の切実な要求にもとづき、日常不断に国民のなかで活動し、その利益を守るとともに、党の影響力を拡大する。
二、大量政治宣伝と対話・支持拡大を日常的におこない、日本共産党の政策とともに、歴史や路線をふくむ党の全体像を語り、反共攻撃にはかならず反撃する。
三、「しんぶん赤旗」の役割と魅力をおおいに語り、機関紙誌の読者拡大をすすめ、読者とのむすびつきを強め、党を支持する人びとを広く党に迎え入れる。
四、さまざまな運動組織・団体のなかでの活動を強め、協力・共同関係を発展させる。日本共産党後援会を拡大・強化する。
政治宣伝・政策論戦では、総選挙での教訓を生かして、つぎの五つの基本的観点をふまえたとりくみの発展をはかる。
――当面の熱い争点、政策課題での党の立場を鮮明にする。国民の関心、情勢の進展を敏感にとらえ、選挙戦の争点をわかりやすくしめし、緊急に解決がせまられている問題での党の立場を広く国民に明らかにする。
――「日本改革」の提案を、情勢にそくしてつねに新鮮に発展させ、広く国民全体の合意にしていく努力をいっかんしてはかる。そのさい緊急・切実な課題とむすびつけて訴えるという見地をつらぬく。
――党の綱領路線と歴史への理解を広く国民に訴える。わが党の綱領がさししめす未来社会の展望、戦前・戦後の歴史などもふくめて、党の全体像を理解してもらうとりくみを、日常不断におこなう。
――反共攻撃にたいしては、攻勢的反撃をおこなう。反撃の目的は、広い有権者に党の値打ちをわかってもらうことにある。攻撃をかけた勢力の正体を広く明らかにし、相手の痛手になるところまで徹底した反撃をおこなう。
――他党批判では、政権与党にたいする国民の利益を守る立場からのもっとも徹底的な批判とともに、競争相手としての野党批判も積極的におこなう。そうしてこそ、わが党の値打ちをうきぼりにすることができる。
対話・支持拡大は、人と人とが話し合うすべての接点で成立する活動であり、それを選挙勝利をめざして日常的に意識化し、自覚化することが大切である。これがどれぐらいの規模でおこなわれているかは、党の国民への働きかけ、むすびつきが、どれだけ自覚的に発展しているかをはかる、重要なものさしとなる。
対話・支持拡大を、選挙が近づいてからはじめるという惰性を、こんどこそ一掃し、この活動に日常的にとりくむことは、選挙勝利のうえで不可欠である。私たちは、今回の総選挙で、対話・支持拡大が、前回総選挙と同水準、参議院選挙よりも低い水準にとどまったことを、後退の一つの要因として総括した。この教訓を、きたるべき国政選挙の前進にかならず生かしたい。
選挙戦を、党員だけでなく、後援会員、支持者とともにたたかうことは、わが党のいっかんした方針である。日本共産党後援会は、党と支持者が協力して選挙戦をたたかう基本的組織である。党支部がもれなく単位後援会をつくり、拡大、強化し、一体となって生き生きと活動することを重視する。
(4)つぎの総選挙で、今回の後退の雪辱をかならずはたし、前進をかちとるために全力をつくす。時期のきまった参院選での勝利を前面にすえながら、総選挙での前進のための準備に着実にとりくむ。
十一の比例ブロックごとに、国民の要求をとりあげ、住民とむすびつく、日常不断の活動を抜本的に強化する。議員を先頭に、比例ブロック事務所が、各県の国会議員団事務所、地方議員、大衆運動とも連携を強め、新しい分野の開拓を意欲的にはかる。
わが党が、小選挙区でも議席を争い、獲得できる党に成長することは、民主的政権への接近にとって不可欠である。論戦力があり、大衆的魅力がある候補者を早く選定し、候補者を先頭に、議席への道を切り開く気概と執念をもった活動を開始することがもとめられる。
日本社会の現状と自民党政治のゆきづまりは、わが党が国政選挙で、新たな前進をかちとることを強くもとめている。党の前進は、国民への重大な責任でもある。総選挙のとりくみから全党の英知を結集してつかんだ教訓を生かし、きたるべき総選挙と参院選で、かならず前進をかちとるために、全力をあげようではないか。
(1)多くの地方自治体では、住民奉仕のための機関という本来の役割をきりすて、大型開発偏重の「開発会社化」をすすめ、財政危機がいっそう深刻化するという事態が進行している。こうした地方自治体の「逆立ち政治」をただし、「住民が主人公」の自治体の改革をはかることは、その地域の未来にとっても、二十一世紀の新しい民主日本への道を草の根から切り開くうえでも、きわめて重要な仕事である。
この間の、新しい動きは、「地方分権」をかけ声に、市町村合併のおしつけが本格的にすすめられようとしていることである。政府・与党からは、いまの三千二百五十余の市町村を、約三分の一の千程度に減らすべきだとする発言も出されている。その多くは、大型開発を効率的にすすめる体制をつくること、住民サービスを合併の機会に切り下げることなどにねらいがある。わが党は、自治体の「逆立ち政治」をいっそうひどくする市町村合併のおしつけに反対し、合併問題はあくまでも住民の意思を尊重してきめるべきであるという立場で、この問題にのぞむ。
全国の大多数の地方自治体で、「逆立ち政治」を推進しているのは、わが党以外の「オール与党」の諸党である。地方自治の民主的改革のためには、全国各地に広がっている革新・民主の自治体を守り、拡大することとともに、わが党の地方議員団が、その日常の活動水準を高め、草の根から住民とむすびつき、要求実現のために働き、その陣地を拡大していくことが、強くもとめられている。
わが党の地方議員は、四千四百五十五人にまで前進したとはいえ、議席占有率で七・一%、議案提出権は三一・九%、わが党が議員をもっていない空白議会が二九・四%となっている。この三つの指標で、計画的、系統的に地方議会での前進をかちとるよう、力をつくすものである。
二〇〇三年のいっせい地方選挙にむけて、早くから準備を開始することが大切である。また、一つひとつの中間地方選挙で確実に議席と得票の前進をかちとることは、その自治体にとってはもとより、党全体の政治的な前進・後退のバロメーターとしても、きわめて重要である。
(2)来年の東京都議選は、二十一世紀の都政の流れはもとより、国政にも大きな影響をあたえる重大な政治戦となる。前回の選挙で二十六議席に躍進した到達点を守り、前進をかちとることは、容易ではないが、正面からこれに挑戦する。
石原都政のもとで、浪費型の巨大開発を推進しながら、これまでのどの都政も実行できなかった最悪の福祉切り下げが強行され、憲法を踏みにじる特異な立場が、都政にもちこまれている。
介護保険導入を口実にした特養ホームへの補助金打ち切り、シルバーパスの全面有料化、老人福祉手当の廃止、老人医療費助成の廃止などが、強行された。青島都政時代にくわだてられたやり方は、所得制限の強化などで福祉サービスを縮小するというものだったが、石原都政は、無料制度の全面廃止など福祉サービスを根底から崩すやり方をすすめている。都議会多数派をにぎる自民・公明はこれに全面的に賛成、民主・社民も基本的に賛成の立場をとっている。きっぱりと反対をつらぬき、都民生活を守りぬく立場をつらぬいているのは、日本共産党だけとなっている。
石原知事の憲法に反する特異な政治的立場が、都政にもちこまれてきたことも重大である。石原氏は、知事になってから、数々の憲法否定、人権否定の妄言をくりかえし、内外のきびしい批判をあびてきた。石原知事は、防災訓練に名を借りて、治安訓練や市街戦訓練までおこなう意図を公言していたが、今年九月の防災訓練は、自衛隊の大量動員だけが目立ち、肝心の消防や自治体、住民組織など、防災組織の連携はなおざりにされた。石原氏は都知事選のさい、こうした特異な主張を公約にかかげたわけではない。それにもかかわらず知事になったとたんに、その地位を利用して、憲法に反する特異な主張を都政にもちこむことは、都政の私物化以外の何ものでもない。
日本共産党は、石原都政による都民生活きりすて、憲法否定の悪政に、勇気をもって正面から対決をつらぬき、都民の利益を守る唯一の党である。その党の値打ちをおおいに都民に語り、激戦をかちぬき、前進をめざす。
“いまなぜ党建設か”。第二章では、わが党の政治的影響力の広がりにたいして、組織の実力が立ち遅れているという角度から、その緊急の重大性を明らかにした。くわえて、私たちは、日本社会の現状と、わが党のはたすべき歴史的役割との関係で、今日における党建設の意味を、深くとらえることが大切である。
すでにのべてきたように、二十一世紀を前にして、自民党政治のゆきづまりと危機は、外交でも、内政でも、極限ともいうべき状況にまで達している。世界とアジアの平和と進歩の流れにてらしても、この政治の異常な逆流ぶりは明らかである。日本社会は、新しい政治をもとめている。日本の民主的改革の客観的な条件は、熟している。
しかし、その主体的な条件は、熟しているとはいえない。わが党が「日本改革」の提案としてしめしている民主的改革の内容は、多くの人々の共感を広げているが、国民全体のなかではまだ少数派にとどまっている。これをいかに多数派にしていくか。そのかなめになるのが、強大な日本共産党の建設である。
改訂された党規約では、「党は、創立以来の『国民が主人公』の信条に立ち、つねに国民の切実な利益の実現と社会進歩の促進のためにたたかい、日本社会のなかで不屈の先進的な役割をはたすことを、自らの責務として自覚している」と、わが党の役割を規定している。日本の社会進歩を促進するために、不屈に先進的に奮闘する党が、どれだけの速度と規模でその力量を前進させるか。ここに、日本変革の事業の前途がかかっている。
その到達点は、もとめられている水準――民主的政権を担いうる党、国民の多数派を結集しうる党という水準にてらせば、あまりにも初歩的である。強大な日本共産党を建設することは、それ自体が国民的意義をもつ仕事であり、日本社会と日本国民にたいする、私たちの重大な責任である。そのことを銘記して、全党の知恵と力を結集し、党建設の新たな前進をかちとろうではないか。
(1)党建設・党勢拡大の根幹は、党員拡大である。根幹とは、党のあらゆる活動――国民の要求にこたえる活動、政策宣伝活動、選挙活動、議会活動、機関紙活動などを担う根本の力が、党に自覚的に結集した党員であるということである。
一時期の党の方針のなかで、「党員拡大と機関紙拡大が党勢拡大の二つの根幹」とされていたことがあったが、これは正確ではなかった。機関紙活動――読者の拡大、日々の配達・集金、読者とのむすびつきなどを担っている根本の力もまた党員であって、この力を大きくする努力がたりなければ、機関紙活動の発展もありえない。
この党建設の根幹を太く、大きくする仕事は、粘り強い長期的な努力が必要とされることであって、中断が許されないものである。ところが、八〇年代半ばから約十年間にわたって、党員拡大の自覚的なとりくみは、全党的に弱まった。九四年の第二十回党大会以降、党員拡大の自覚的追求の努力が強められ、新たな前進がはじまったが、その前進はまだ端緒的なものにすぎない。この立ち遅れが、党の活力を弱め、わが党のすべての活動を前進させるうえで、困難と障害をつくりだしている。とりわけ、二十一世紀の担い手である青年・学生のなかでの党建設に、遅れと空白がつくられていることは重大である。後継者がつくれず消滅の危機に直面している職場支部や、支部員の多くが高齢の党員であるため配達・集金にも困難をきたしている支部も少なくない。
総選挙のとりくみをつうじても、この立ち遅れは、全党が痛いほど感じた問題だった。それだけに、党員拡大は“みんなの願い”になっている。この立ち遅れを、いま全党の総力を結集して打開することは、党活動の緊急・中心課題である。
(2)そのために、六中総決定がよびかけた、第二十二回党大会をめざす「党員拡大を重点とした党勢拡大の大運動」を成功させるために力をつくしてきた。同時に、党員拡大のとりくみは、「大運動」の一過性のとりくみに終わらせず、いっかんして追求していくべき課題である。
第二十二回党大会として、二〇〇五年までに、過去最高の峰をこえる五十万の党を建設することを目標にする「党員拡大五カ年計画」をたて、計画的・系統的にこれを達成するとりくみをおこなうことを、全党によびかけるものである。
すべての都道府県、地区、支部が、それぞれの到達点をふまえ、人口比(労働者比、学生比)でどれだけの党員を増やすのかの自覚的目標をきめてとりくむ。すすんでいる経験では、「この町に責任を負うためにはどういう党が必要か」「職場の運動を発展させるためにどういう支部をつくるか」など、職場、地域、学園をどう変えるかという政治目標との関係で、党員拡大の生きた自覚的な目標と計画をもってとりくんでいるのが共通した特徴である。
党組織空白自治体は、全国の自治体の一〇・八%である。職場や学園には広大な空白を残している。その克服は、民主的政権をささえる草の根からの力を日本列島のすみずみにつくる大きな事業である。党機関と支部が協力し、空白克服の目標と計画をきめ、計画的に党員を増やし、支部を建設し、あらゆる地域・職場・学園で党の草の根のネットワークを広げよう。
改訂された党規約の第八条では、「党組織は、新入党者にたいし、その成長を願う立場から、綱領、規約など、日本共産党の一員として活動するうえで必要な基礎知識を身につけるための教育を、最優先でおこなう」と明記している。この精神で、新入党者にたいする懇切な援助をはかる。
(3)どうやって推進をはかるか。この点では、“広く入党をよびかけ”、“広くすべての支部・党員がとりくむ”ということが大切である。
“広く入党をよびかける”とは、すべての読者・支持者を対象にして、気軽に、真剣に、入党をよびかけるということである。わが党は、まじめに生き、その人生を、それぞれの人に可能な方法で、社会進歩のために役立てようと考えているすべての人々に門戸を広く開いている。党の側で壁をつくらず、相手に信頼を寄せてよびかけたときに、思いがけずこたえてくれた経験は、全国に多数ある。たとえ入党にむすびつかなくても、真剣な訴えは、党への信頼を強めることになる。系統的な働きかけで、人間的な信頼を強め、粘り強くとりくむことも大切である。
“広くすべての支部・党員がとりくむ”とは、この課題を、党機関や議員、一部の人がとりくむ難しい課題にしないということである。すべての支部が、党員拡大にとりくみ、つねに新しい活力を党に迎え入れるために活動を日常化させよう。党員が、入党の初心や党活動への誇りを、自分の親しい人、つながりのある人に伝えることは、だれにでもできることである。党支部の仲間と力をあわせ、党を語り、自分の生き方を語って、みんなでこの課題にとりくむようにしようではないか。
(1)日本の民主的改革の国民的多数派を結集していくうえで、日本列島の津々浦々に「しんぶん赤旗」読者の網の目を広げることは、決定的な意義をもっている。そのためにも機関紙活動を、後退から安定的前進の軌道にのせることは、いま全党が新たな意気込みでとりくむべき重要な課題である。
この活動を前進させるために、いまあらためて“「しんぶん赤旗」中心の党活動”という原点にたちかえり、この原点を今日の情勢、党の発展段階にふさわしく、生かすことが大切である。
すなわち、機関紙活動は、たんに党建設のなかの一課題というだけでない。機関紙は、党中央と全党をむすぶきずなであり、党と国民とのむすびつきを広げる最良の媒体であり、国民の要求にもとづく運動、国会や地方自治体でのたたかい、選挙活動や党建設、財政活動など、党のあらゆる多面的な活動を促進し、統一し、発展させていく中心である。
この位置づけを、いまあらためて鮮明にして、広い視野で機関紙活動にとりくむことが、強くもとめられている。
(2)第一に、党員と党支部、党機関が、「しんぶん赤旗」をよく読み、討議して、活動する。これは、“「しんぶん赤旗」中心の党活動”の大前提である。
一人ひとりの党員にとって、「しんぶん赤旗」を読むことは、勇気と展望をもって生活し、活動する源泉である。とくに、商業ジャーナリズムが巨大な規模で発達している今日のわが国の現状のもとでは、「しんぶん赤旗」を読むことぬきには、党員が確信をもって成長していくことは難しい。
すべての党員が、日刊の「しんぶん赤旗」を購読し、それを読むことを日々の日課とする党の気風をつくりあげる。日刊紙をまだ読んでいない同志への援助を強め、未購読の克服に力をつくす。
また、「しんぶん赤旗」の魅力を高めるうえでも、「しんぶん赤旗」を全党の力と知恵でつくる見地からも、通信活動への参加を強める。
(3)第二に、党と国民とのつながりを「しんぶん赤旗」を軸にして広げていく。そのための持続的拡大と、配達・集金体制の強化をはかり、それによって党と国民とのあいだに、打ち破りがたい深いむすびつきをつくりあげていく。
そのために、すべての支部、地区、都道府県が、毎月着実に前進をかちとることを目標に読者拡大にとりくむ。この間、着実に前進をかさねている支部では、地域や職場をどう変えるかという自覚的な政治目標をもち、それとのかかわりで有権者比(労働者比)での読者拡大の目標をもち、住民の要求にこたえた活動、宣伝活動などに積極的にとりくむこととむすびつけて、毎月、無理のない拡大計画をたてて粘り強く拡大の独自追求にとりくんでいる。こうした支部をいかに全党の大勢にしていくか。そのための指導と援助に、すべての党機関が知恵と力をつくす必要がある。
「支部が主役」の配達・集金活動をつくりあげていくために力をそそぐ。居住支部ならば、その責任をもつ地域内のすべての読者の配達・集金にみずから責任をもつ体制をつくる。職場支部ならば、職場内の読者に可能なかぎりみずから配達・集金する体制をつくることがのぞましいが、その職場の読者が住んでいる地域に配達・集金を依頼している場合でも、職場内のすべての読者の名簿をもち、つねに人間と人間との生きた日常的なむすびつきをさまざまな形で強める。こうした粘り強い努力とむすびついてこそ、毎月自覚的に読者を増やすことは可能になる。
配達・集金活動は、粘り強さ、持続性、不屈性がもとめられる、地道で貴い活動である。どの他党もまねができない、わが党ならではの財産でもある。これに携わっている同志の努力の営々とした積み重ねこそが、社会変革を根本から準備している。あらためてその日ごろの努力と労苦に、深い敬意を表したい。「支部が主役」の配達・集金活動の強化の努力とむすびついて、昨年後半から配達・集金活動に参加する同志が増えはじめていることは重要である。この活動を、一部の人々でなく、全党で担うとりくみに発展させようではないか。
(4)第三に、読者と協力・共同して、党活動を発展させることである。すべての党組織が、要求にもとづく活動、選挙活動、党建設など、あらゆる活動で、「しんぶん赤旗」読者としっかり協力・共同して活動していく。
まず何よりも読者を、党をもっともよく理解してくれる友人として大切にし、その要望を聞き、意見を聞き、それにこたえた活動をおこなう。同時に、支部がとりくむさまざまな活動への協力を率直にお願いし、ともに活動にとりくむようにする。こうした“双方向”の協力・共同を発展させ、そのなかで読者との血の通った人間と人間との関係――人間的信頼関係をつくるようにしたい。
持続的に読者を増やしている支部では、多くがこうした活動に自発的にとりくんでいる。また、読者ニュース、地域新聞、職場新聞を発行し、読者との人間的交流、協力を強めるきずなとしている。読者になってくれた人が、紙面の魅力はもとより、人間的なむすびつきでも魅力を感じるような党に成長することがもとめられている。
(5)第四に、着実な読者拡大と、確実な配達・集金活動の前進、後退は、党中央委員会や、全国の党機関、党支部の財政の前進、後退に直結する大問題でもある。この面からも、“「しんぶん赤旗」中心の党活動”を重視し、それによって党財政をささえるという点でも、大きな成果をあげるようにしたい。
(6)「しんぶん赤旗」の日刊紙と日曜版の、それぞれの独自の位置づけを鮮明にするとともに、それにふさわしい紙面改善に大胆にとりくむ。
日刊紙は、「しんぶん赤旗」発展の大黒柱であり、その拡大を、党員拡大とともに、党勢の一番基幹的な部分を強める活動として、重視して位置づける必要がある。カラー化によって「とっつきやすく、親しみやすい」という魅力をさらにまし、国民的大新聞に成長するように、編集改善の努力をさらにすすめる。
日曜版は、週刊新聞ならではの庶民的魅力とともに、独自の新鮮さと深みのある政治記事、社会記事によって、紙面を魅力あるものにするための、抜本的改革がもとめられている。“日刊紙の週刊版”ということにとどまらない、独自の値打ちと魅力をもってこそ、新しい発展の道が開かれる。そのための一大紙面刷新に力をつくすものである。
“「しんぶん赤旗」中心の党活動”の定着と発展によって、この分野での党活動の大きな上げ潮をつくるために、力をつくそうではないか。
第二十一回党大会の決定では、党建設の量的な発展とともに、質的な水準の向上として、六つの重点的な努力方向を明らかにした。これは、二十一世紀の早い時期に民主的政権樹立をめざすうえでの、長期的方針である。
(1)その地方・地域で日本共産党を代表しての政治活動、大衆活動を重視する……前大会以降、この分野の活動は、支部でも、機関でも、まだ端緒的とはいえ、新しい画期を開くとりくみが、全国各地に生まれた。
三中総で提起された「要求にこたえた活動のアンケート」のとりくみや、四中総で提起された「総選挙をめざす党躍進の大運動」などをつうじて、支部と機関が、国民の要求にこたえて日常的なとりくみをすすめる気風は、全党に広がった。アンケートや署名、共同の申し入れ、シンポジウムなどが、多彩にとりくまれている。国民の要求や苦難にこたえた活動こそは、わが党の立党の精神であり、あらゆる活動を発展させる活力の源泉でもある。このとりくみを、さらに発展させるために力をつくしたい。
地方政治へのとりくみという点でも、支部が、要求にもとづく活動を発展させるなかで、自治体活動にも責任をもったとりくみを強め、議員を増やしている経験が、各地で生まれはじめていることは貴重である。このとりくみをおおいに広げ、支部も機関も、地方政治のとりくみを徹底的に重視する必要がある。
(2)「支部が主役」をつらぬく……昨年の「党躍進の大運動」などをつうじて、「支部が主役」の活動は、全党に広がり、定着しつつある。総選挙でも、支部主催の演説会にとりくんだ支部が約半数まで広がり、とくに居住支部は過半数を大きくこえる支部がこれにとりくんだ。
このとりくみを本格的に全党に定着させるうえで、この間の教訓をふまえ、党機関の支部にたいする指導と援助を、つぎのような点で、いっそう改善する必要がある。
――支部と党員が、情勢の特徴、党の方針を、しっかりつかみ、確信をもって活動することを励ます政治的・理論的な指導を優先させる。そのためにも、党の方針は、党機関自身が十分に討議して、深く身につける。
――党機関と支部の関係を、一方通行型でなく、血が通い合う双方向型、循環型のものに成長・脱皮させる。そのことによってこそ、草の根でむすびついて活動している支部の知恵と、より広い地域に責任をおっている機関の知恵とが合流し、豊かな党活動の発展が保障される。
――党機関が支部に入って、現場の苦労をよくつかみ、困難を力をあわせて打開する実践的援助を強める。とくに停滞・後退している支部については「支部が主役」がしっかりした軌道にのるまで親身の援助をおこなう。
――党員一人ひとりの条件、得手を生かして、その成長を励ます援助をおこなう。一人ひとりの党員の国民とのむすびつきは、全体としてみれば、さまざまな分野におよんだ多彩なものであり、党にとっても大きな“宝”である。党員の成長の可能性を生かし、国民とのむすびつきに光をあてるなら、党活動全体を豊かに発展させる道が開かれる。
――すべての支部が、週一回の支部会議を開くようにするための援助に、特段の力をそそぐ。週一回の支部会議を定例化した支部は、まだ二割程度にすぎず、不定期の支部が大半であるという実態を克服するために、個々の支部の条件や問題点をよくつかんだ援助をおこなう。
職場支部でのとりくみの発展が重要である。日本の階級構成の圧倒的多数をしめる労働者のなかで多数者の結集をめざす活動をすすめることは、二十一世紀に民主的政権をつくるうえで、全社会的意義をもつ。わが党の職場支部は、反動攻勢のなかで、ひどい抑圧をうけながら、党組織を維持、発展させてきた。
急速な「技術革新」の導入と、かつてない大規模なリストラのあらしが職場を襲うなかで、職場の情勢の激変がおこっている。それは、従来の「大企業第一主義」「反共支配体制」による職場支配の秩序を内部から崩壊させつつある。こうした新たな情勢のもとで、職場支部が労働者の要求にこたえた活動に大胆にとりくむとともに、党建設でも全党のなかで先駆的役割をはたすことが強く期待されている。
職場支部として、独自に労働者各層の要求にこたえたとりくみを発展させることが重要である。労働者の雇用と権利を守る国政革新の展望を広く明らかにすること、雇用を守る実際のたたかいを組織すること、国政全体に視野を広げたとりくみをおこなうこと――三つの観点にたったとりくみの発展がもとめられる。
リストラの合理化や労働者支配の新しい思想攻撃とのたたかいを重視する。そのためにも、「しんぶん赤旗」の読者を増やすこととともに、党が職場新聞を発行することは、重要な意義をもつ。
こうした活動と一体に、職場支部を党生活の基本からしっかりと強め、職場に強大な党をつくることに新たな意気込みでのぞむ。当面する国政選挙でも、二十一世紀の民主的政権を展望しても、職場支部が、党前進の原動力としての役割を、発揮することが強くもとめられている。
(3)選挙戦の推進・指導に熟達する……この点では、総選挙のとりくみの教訓を全面的に生かすことが何よりも大切である。六中総決定、七中総決定が明らかにしたように、私たちは、総選挙のとりくみから、複雑な情勢のもとでも党の決定を正確に堅持して具体化すること、反共攻撃への攻勢的な反撃、党を語る活動の日常化、さまざまな受動主義を克服して党の力を残らずひきだす政治指導など、多くの教訓をえた。
とりわけ国民の関心、政治情勢の進展を敏感にとらえて、攻勢的な政治論戦を縦横におこなう力量を身につけることは、もっとも重要な課題である。中央の機関、諸部門もふくめて、すべての党機関が、総選挙の教訓を生かして、選挙戦の推進・指導に熟達するための努力をはらう。
(4)党活動を財政的にささえる計画的活動……財政活動を、「専門の裏方の仕事」として軽視せず、「党全体でこの活動にとりくむ」という前大会の提起にそくして、努力がはかられてきた。
この分野のとりくみで、わが党は従来の「三原則の財政活動」――党費納入、機関紙誌等の事業収入、個人募金に、さらに支出改善の努力をくわえて、「四原則」として発展させていく。財政を健全化した経験は、どこでもこの原則をふまえて、機関の責任者が先頭にたって、党全体の力でとりくみの推進をはかっていることが特徴である。こうした努力をさらに粘り強くすすめる。二〇〇四年に竣工(しゅんこう)が予定されている新しい党本部ビル建設のための募金のよびかけに、すでに多くの党内外の方々からの協力がよせられている。募金をよせていただいた方々への感謝をもうしあげるとともに、全党にひきつづきとりくみの強化を訴える。
わが党が、企業・団体献金、政党助成金をいっさい受けとらず、国民と草の根でむすびついた清潔な財政活動をすすめていることは、“政治と金”をめぐって深刻な汚職・腐敗事件がくりかえされるなかで、わが党への信頼の大きな源泉である。
(5)幹部・活動家の系統的な育成――後継者問題……党機関でも、支部でも、党活動のあらゆる分野で長期的な展望をもった活動をするためには、つねに後継者を育てていく努力が必要である。
とくに能力と品性のすぐれた若い常任活動家を育てていくことは、二十一世紀のわが党の長期的任務を展望した場合、大きな意義をもっている。
そのためにも、党機関の構成を、活力ある年齢構成を重視した適正なものにするとともに、財政支出にあたっても、常任活動家の給与を最優先し、常任活動家とその家族の健全な生活と健康を守ることが重要である。
また、この間、若い活動家が、過労によって病気療養を余儀なくされるなどの事態もおこっている。週一回の休日をはじめ、常任活動家が健康を維持できる保障を、党全体でつくりだすことは、きわめて重要である。多くの青年党員が、その活動に魅力を感じて、常任活動家への道をこころざすような、活動の思い切った改善をはかりたい。
(6)党の質的な水準の問題……二十一世紀の早い時期に政権を担いうる党に前進するためには、すべての党員が、党の綱領と歴史、政策を、相手の関心にかみあって、自分の言葉で、縦横に語る力を身につけることが、たいへん重要である。
その根本は、全党の実践をふまえ、集団的英知をあつめてねりあげた大会決定、中央委員会決定を、文字通りすべての党員が身につけて活動する党に前進することである。第二十一回党大会決定の読了は五五%、一連の中央委員会決定の読了は三割台にとどまった。この水準を、どうしても大きく改善する必要がある。この問題では、中央の担当部門にもとりくみに惰性があった。これまでの惰性をふっきって、第一義的な優先課題として位置づけて推進したい。
党員の学習を三つの分野――(1)党の路線と歴史をしっかり身につける、(2)党の当面の政策、方針の学習、(3)科学的社会主義の理論そのものの学習――で強める。党の路線と歴史については、第二十二回党大会決定とともに、第二十回党大会での綱領一部改定報告、党創立七十八周年の不破委員長の記念講演「日本共産党の歴史と綱領を語る」の内容をすべての党員が身につけるために、ひきつづき努力する。
学習とは、真理を新しく認識するということであり、本来そこには大きな喜びがあり、感動がある。この課題を“実務的な義務課題”とするのでなく、学ぶことの喜び、感動を、全党員のものにする運動として、発展させようではないか。
(1)若い世代のおかれている状態は、九〇年代をつうじて、きわめて深刻になっている。
十五〜二十四歳の失業率は九%台、大学卒業生の就職率は五六%など、軒並み過去最悪を記録し、若い世代の就職難・雇用不安が、戦後なかったような社会問題になっている。フリーター(フリー・アルバイター)が百五十万人をこえるなど、不安定な雇用も増加の一途をたどっている。ここには、「自分にあった仕事をみつけたい」という若者の動向も反映しているが、大企業がすすめるリストラ政策による被害が青年に集中的にあらわれていることは、明瞭である。
学校を卒業し、社会に巣立つ出発点で、仕事につけず、また低賃金で過酷な労働条件に苦しめられ、将来への希望がもてなくなっていることは、若い世代にとって大きな問題である。また、二十代の夫婦で千二百万円も給付を削減する年金制度の改悪は、若い世代の将来不安をかつてないほど深刻なものにしている。
若い世代の成長をささえてきた環境の変化、競争においたてられた学校教育などの矛盾が噴き出し、「不登校」「引きこもり」が増大するなど、人間的成長、人間関係をめぐる要求や悩みも切実である。
(2)こうしたもとで若い世代は、「自分らしさを大切にしたい」「社会にも役立ちたい」など、仕事や生き方をめぐって真剣な模索を強めている。さらに環境、平和、福祉など政治・社会問題に関心をもち、社会の不合理をみずからの問題として考え、行動する新しい流れも広がっている。
阪神・淡路大震災、薬害エイズ問題などをきっかけにした、さまざまなボランティア活動への若者の積極的な参加は、注目すべきものがある。今年の原水爆禁止世界大会参加者の三七%は、十代、二十代の若者だった。草の根で生まれた環境サークルが、インターネットなどを使い、数年のあいだに全国的なネットワークに発展するという動きもある。十八歳選挙権実現をめざす運動も広がっている。
日本共産党への関心と期待が広がり、偏見の壁が崩れつつあることも、注目すべきである。総選挙では、青年が自主的につくりあげた「日本共産党といっしょに日本をかえるネットワーク」が、若々しいエネルギーを発揮して活躍した。
これらは、党の働きかけいかんでは、若い世代を結集する条件が、大きく広がりつつあることをしめしている。
(1)二十一世紀の担い手となる若い世代の労働、教育、生活の諸条件の悪化を打開することは、日本社会全体の大問題である。
日本共産党は、若い世代の多面的な要求、関心にこたえる政策と活動を思いきって強め、その実現に力をつくす。
とくに就職と雇用の問題の解決は重要である。ヨーロッパ諸国では、政府の責任で労働時間短縮による雇用創出にとりくむとともに、青年が職業資格をとるための訓練費や生活費を助成するなど、青年の雇用対策に政府が真剣にのりだしている。わが国でも、政府に責任をもった対策を強くもとめていく。
文化、スポーツなど、青年が関心をもっているあらゆる分野で、青年の自主的運動を励ますとりくみも大切である。
(2)若い世代の要求にこたえる活動をすすめながら、党の総力をあげて若い世代のなかに大きな党をつくるとりくみの前進をはかる。このとりくみの前進なしに、二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる展望は開けない。文字通り、わが党と日本の民主的改革の事業の死活的な未来がかかっている。
「党員拡大を重点とした党勢拡大の大運動」のなかで、機関があげて青年の対策にのりだしている県、地区が生まれているが、本腰を入れてこのとりくみをはじめているところでは、予想をこえた大きな変化もおこっている。
九九年六月の四中総決定いらい、全国各地で青年支部づくりがすすめられてきた。すでに全国で二百九十二支部が結成され、活動がはじまっている。大きく前進している支部に共通しているのは、党機関が手厚い援助をおこなっていること、青年結集の中心になるリーダーを育てていること、学習を重視していることなどである。ひきつづき支部の結成と党員拡大をすすめ、魅力ある党活動の発展に親身な援助をつくす。
学生党支部の拡大・強化は、新しい日本を担う各分野の働き手を育てていくうえでも、特別に重要な課題となっている。全国的に学生党員の数は、九七年以降徐々に増えはじめているが、大学は全体として広大な空白というべき状態にある。とくに学生全体の動向に影響をあたえる大学での党建設に、党機関が直接責任をもって、大きな力をそそぐ必要がある。学生自治会やサークルの運動の発展とともに、学生の知的・学問的関心にこたえた活動にとりくむことが重要である。
日本共産党を相談相手とし、社会発展の展望を学び、多彩な要求の実現にとりくんでいる日本民主青年同盟が、九八年以来、後退傾向から徐々に組織的前進に転じていることは、新しい変化である。党が総力をあげて若い世代のなかでの活動を強めることは、日本民主青年同盟の前進の条件を広げ、励ますことにもなる。日本民主青年同盟にたいしては、自主性を尊重しつつ、活動と組織の実情をよくつかみ、学習を中心に親身な援助をおこなう。
若い世代を党にむかえる活動を、けっして青年・学生支部まかせにしてはならない。党の総力をあげてこの課題にとりくむことが重要である。
未来を担うのは若者である。日本共産党こそ二十一世紀の日本にたいして、どの問題でももっとも責任ある展望をしめしている、未来の党である。党のとりくみいかんでは、青年分野で新たな前進をつくる希望はおおいにある。
(1)わが党が「日本改革」の提案として具体化している当面の改革の内容は、資本主義の枠内で、どの分野でも民主主義がつらぬかれ、「国民こそ主人公」といえる新しい日本をつくるということである。
同時に、私たちは資本主義を永久不滅の制度だとは考えていない。いまもとめられている改革に真剣に力をつくしながら、世界と日本の将来像について、資本主義の枠にとらわれない壮大な展望をかかげ、資本主義をのりこえる新しい社会――社会主義社会への理想をかかげて奮闘するということが、わが党の立場である。
(2)私たちが、いま足を踏み入れようとしている二十一世紀は、資本主義の是非そのものが、世界的規模で問われる世紀となるだろう。
二十世紀に人類がかちとった世界史的な進歩は、その全体が、二十一世紀に新しい体制への発展を準備するという歴史的意義をもっている。民主主義、民族独立、世界の平和秩序の発展は、人類が新しい社会体制にすすむ力強い土台となる。資本主義の発展のなかでつくりだされてきた経済への規制や介入のさまざまな形態は、その巨大な生産力とともに、新しい社会が引き継ぎ、活用できる重要な足がかりとなる。
今日の世界資本主義の現状もまた、この体制の矛盾と限界を露呈している。空前の大量失業、所得格差の拡大、飢餓と貧困、南北問題、環境破壊、金融投機など、世界がかかえている矛盾の根源には、利潤第一主義の体制がある。ソ連・東欧崩壊前後に、世界を席巻(せっけん)した“資本主義万歳論”は、もはやみる影もない。さまざまな論者が、「資本主義は民主主義と両立するのか」、「生命と資本主義は平和的に共存しうるか」などという、根本的な問いを投げかけている。
二十一世紀を大局的に展望するなら、この世紀が、地球的規模で、資本主義をのりこえる新しい体制への条件が成熟する世紀になることは疑いない。
(3)アジアは、平和と進歩の新しい流れの重要な源泉となりつつある点からも、利潤第一主義の被害が鋭く集中しているという点からも、世界人口のすでに五五%をしめさらにその比重を高めているという根本的条件からも、二十一世紀の社会進歩の事業と社会主義への前進にとって、きわめて重要な世界的位置をしめる地域となるだろう。
そのアジアにあって、高度に発達した資本主義国の一つでありながら、アメリカへの強い従属と、大企業中心主義によって、異常なゆがみをかかえている日本が、このゆがみをただす民主的改革をすすめ、社会進歩の道をすすむことは、アジアの動き、世界の動きにもかかわる、きわめて大きな意義をもっている。
社会主義の日本の展望について、党の綱領は、詳細な青写真をのべるという考えをとっていない。それは、資本主義の枠内での当面の民主的改革をやりとげるなかでこそ、日本国民自身の経験をつうじて、日本社会のつぎの発展段階の具体的な展望が明らかになってくるからである。綱領のなかでは、私たちのめざす社会主義について、世界の教訓、わが党のたたかいをふまえた、おおまかな展望を明らかにしている。
(1)第一は、ソ連型の政治・経済・社会体制による人間への暴圧を、「社会主義」の名によっておしつけることは、けっして許さないという立場である。
党綱領は、「ソ連およびそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産である。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標がかかげられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達しえないまま、その解体を迎えた。ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の解体は、大局的な視野でみれば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性をひらいたものである」とのべている。
わが党のこの認識は、自主独立の立場に確固としてたち、ソ連の覇権主義と三十年来の不屈のたたかいを積み重ねてきた結果として、到達した認識だった。ソ連型社会による人間への暴圧は許さないというわが党の立場は、たしかな歴史的な裏づけに立脚したものである。
(2)第二は、私たちがめざす本来の社会主義は、政治、経済、文化、社会の全体にわたって、資本主義の時代にきずかれた価値ある成果をすべて引き継ぎ、発展させるものであるということである。
とりわけ自由と民主主義について、あらゆる分野にわたってそれを豊かに発展させるということは、わが党がすでに七六年の第十三回臨時党大会で決定した「自由と民主主義の宣言」で詳細に明らかにしていることである。
党綱領は、「日本国民がかちとってきた自由と民主主義の成果は歴史的に継承され、市民的・政治的自由、生存の自由、民族の自由という三つの分野でさらに充実し、発展する」と明記している。
社会の経済、生産力が発展し、物質的な富が豊かになったとしても、人間の自由が後退しては、社会が前進したとはいえない。歴史における社会進歩は、自由と民主主義の前進・後退を大きな尺度としてはかられる。将来にわたって自由と民主主義の後退を絶対に許さず、前進をかちとることは、わが党の確固とした立場であり、二十一世紀の社会発展の展望である。
(3)第三に、資本主義をのりこえた新しい社会の体制的な特徴としては、利潤第一主義をのりこえ、「人による人のいっさいの搾取が根絶」(党綱領)される社会を、私たちは展望している。
いま私たちが追求している経済の改革は、大企業の利潤追求第一の横暴から、国民の利益を守る経済民主主義の実現である。その改革によって、大企業にその社会的役割にふさわしい社会的責任をはたさせるならば、国民生活の大きな向上の可能性が開かれる。
しかし、この改革をやりとげたとしても、搾取、失業、貧富の格差、恐慌、資源の浪費、環境破壊など、なお資本主義に固有の利潤第一主義から生まれる矛盾は解消されないだろう。この矛盾を解消するためには、利潤第一主義そのものをのりこえ、国民の利益の増進が社会の経済活動の直接の目的となるような社会制度――社会主義の社会にすすむことが、歴史の客観的な要請になっていくだろう。
さらに、党綱領では、利潤第一主義をのりこえた未来に属する大きな展望として、「真に平等で自由な人間関係の社会が生まれる」との確信を表明している。
日本共産党という党名には、侵略戦争に反対し、主権在民の原則を憲法に明記させた戦前の先達たちの不屈のたたかいが刻まれているとともに、資本主義という歴史の一段階に安住せず、いっかんしてよりすすんだ未来社会をめざすというわが党の立場が、刻まれている。日本共産党という党名は、過去、現在、未来にいっかんして責任をおう党の立場を、表明したものである。
発達した資本主義国から社会主義をめざす変革の道に踏みだした経験を人類はまだもっていない。それは新しい探求と努力がもとめられる未踏の領域である。日本共産党という旗を高くかかげ、資本主義の枠内での民主的改革という、当面の課題の実現に正面から挑みながら、人間が社会の主人公になる理想社会の建設をめざす雄大なロマンをもって、二十一世紀にのりだしていこうではないか。
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