長崎・諫早湾特集
水門を開いて干潟を救うのは急務
干拓問題を三つの角度から解明
不破委員長の記者会見(大要)
諌早湾干拓現地調査をふまえて、日本共産党の不破哲三委員長が5月20日、長崎県庁内でおこなった記者会見の大要は、つぎのとおりです。
諌早湾の干拓問題は、いまや、全国的な国政問題であると同時に、国際的な問題ともなっています。
現場の視察もし、知事とも会談しましたが、この問題は、3つの角度からよく吟味する必要があると思います。
こんどの干拓計画の目的とされている(1)農地造成の問題と、(2)防災問題、それに(3)生態系や自然環境、生活破壊の問題です。この三つの問題について、どういう深刻さ、どういう性質の問題かを、それぞれよくみきわめる必要があります。
農地造成 いまや当事者自身に熱意なし
第一に、農地の造成と利用の問題ですが、知事との会談でまず農地と営農について質問したら、防災が第一といわんばかりの答えがかえってきました。それほど、当事者自体が農地問題への熱意が弱い、そして現実感を失ってきていると感じました。
45年前に、干拓問題が最初に提案されたときには、日本は食料不足でコメの増産が至上命題、干拓による農地の拡大が各地で問題になっていた時期ですし、干拓でできた農地には水田がいちばん適しているわけですから、コメ増産のためということには、それなりに一定の合理性があったかもしれません。しかし、情勢が根本から変わった現在では、“農地拡大のための干拓”という話には現実性も合理性もない、そのことは、多くの人がいわず語らずのうちに認めていることだと思います。
しかも、経済的なコストの面からみると、この干拓計画の総事業費はいま2370億円とされています。当初1350億円だったものが潮受けの堤防の工事での費用がかさんで、1000億円も予算が増えた。これからの内部堤防の工事を考えると、こんごさらに予算が増えて、3000億円を超えたりすることも、当然、予想されます。
農地造成のためとしたら、すごく高いコストの農地になります。いまの総事業費でも、半分が農地、半分が防災と大ざっぱに考えたら、1ヘクタール8000万円というコストになるし、事業費が3000億円にふえたら、1ヘクタール1億円というコストになる。その大部分を国や県が補助して、いま10アール110万円(1ヘクタール1100万円)で入植者に提供するといっているが、現実には、それだけの負担をして入植する農業者はいないというのが、大方の見方です。
ここでどんな農業をするのかという問題についても、1986年にたてた「営農計画」(注)は、実情にあわないことがはっきりしているから、知事との会談でそのことを指摘して、新しい計画をたてるのか、と質問したが、知事からは、酪農はやめるというだけで、あとは11年前の計画のままという答えしかありませんでした。
農地造成やそこでの営農は、県の計画でも、それほど影がうすくなっているわけで、そのことのためにどうして自然をこんなにも大規模に犠牲にするのか、疑問が出てくるのは、当然です。
防災問題 干拓計画に割りこませた無理と欠陥が明白
第二に、防災の問題ですが、今回の防災計画なるものは「さきに干拓ありき」、もともとたてていた干拓計画に、あとから防災という役目をわりこませたものになっています。だから、諌早のみなさんがいちばん願っている水害防止への本気のとりくみにはなっていない、そこに最大の問題があると思います。 諌早の水害は、高潮の心配もありますが、中心は河川水害でした。1957年の大水害も、やはり本明(ほんみょう)川のはんらんによる洪水水害でした。だから、防災の中心は、河川の治水対策です。ところが、こんどの防災干拓計画というのは、河川の治水対策をやるのに、河口に流れ出てくる水の量の計算をして、調整池の水位の調節でそれをどう処理するかというだけの計画です。本明川が荒れるのをおさえるのに、河口以外の治水対策がどうなっているかをまったく問題にせず、河口の対策だけで「防災」計画だという。こんな例は、私は、日本でも世界でも聞いたことがありません。
諌早水害の経過を詳しく調べた方から話を聞いても、上からの水の流れをどうやって調節するか、流量が急増したときに、水が堤防からあふれないようにおさえてどう海へ流すか、ここに最大の水害対策があるはずです。こんどの計画は、本明川の治水対策としても、邪道というか、やるべき肝心なことをぬかした欠陥対策という感じが強くあります。
もう一つ、洪水や高潮のときにゼロメートル地帯が大変だということですが、ゼロメートル地帯の水害防止策として、どこでもまずやられているのは、この地帯を堤防で囲み、中の水をポンプで排水する体制をととのえることです。
それをいちばん大きな規模でやったのが、私が20数年間住んできた東京の江東デルタ地帯だと思います。
最初、私がここへ引っ越したときには、雨が降ると、すぐ道路は水でいっぱいになったものでしたが、デルタ地帯の堤防をかさ上げし、内部河川も水門でしめきり、ポンプ排水の強力な体制をつくりあげてからは、20年間、ほとんど水害は経験しませんでした。
ところが、諌早の「防災」対策は、そういう普通の対策をまず検討して、これではダメだということで別の方法をもとめたということではありません。干拓計画に「防災」を割り込ませるというやり方を最初からとっています。そのために、ゼロメートル地帯で、水をかぶる部分をどれぐらい減らせるかという対策で、水害を根絶するという対策は最初から問題になっていません。
ゼロメートル地帯でも、水害を根絶できる対策があり、それだけの技術も財政力もあるのに、最初からその方法は、問題にしない。ここにも干拓計画の理由づけとして、あとから「防災」問題を割り込ませたことからおきた無理があると感じざるをえません。
ですから、いまの「防災」対策とは、あれだけの規模で自然を犠牲にする根拠にするわけにはゆかないものです。むしろ、干拓優先で、防災対策がゆがめられ、欠陥体制になっていることこそが、問題だと思います。
環境破壊(その1) 生態系の大量破壊を目的にした開発は前例がない
第三に、生態系と自然環境、生活環境の破壊の問題ですが、この点では、とりわけ三つ大きな問題があると思います。
一つは、3000ヘクタールという規模で生態系の破壊をやりながら、ここにどんな生物がいるのか、干拓をやったらそこにどういう被害がおきるのか、それを防止する必要があるか、防止するとしたらどんな手だてが必要か、こういうアセスメント(環境影響調査)も、それにもとづく対策も、どこでもやられていません。農水省が86年にアセスメントをやったといいますが、生態系にかかわる問題については、項目が一つもなかったと聞きました。
日本で、渡り鳥の保護が大きな問題になってきたのは、80年にラムサール条約に加盟して以後のことですが、諌早湾の干拓事業というのは、まさに、ラムサール条約に日本が加盟し、渡り鳥の国際的な保護についての条約で責任をおったもとでの、最初の大規模な干拓事業です。
だから、国際的な責任からいっても、当然、渡り鳥の保護についてアセスメントをおこない、必要な対策をとる義務があったのです。それがやられていないことは、重大問題です。
推進派の人たちが、生態系破壊のひどさをごまかすために、「古い生態系が死んでも、新しい生態系が生まれる」などといっていますが、これは無責任そのものです。
きょうも専門家にうかがったのですが、1立方メートルあたりの生物の個体数を調べて、それをもとに計算してみると、諌早湾の干潟には、少なくとも数十億、あるいは数百億というレベルで生物が存在しているといいます。日本でも、開発によって生物のあれこれの種類が絶滅したということは、いままでにずいぶんあります。しかし、それはたいてい、乱開発の結果としておこった、という話であって、そこに生きている数十億、数百億の生物を死滅させることを最初から目的にしたという開発は、おそらくなかったと思います。
実際、こんどのように、生命を大量に死滅させること、そのことを目的として開発するということは、私は、日本でも世界でもはじめてのことだと思います。
そういうことに手をつけ、しかも渡り鳥の保護についての国際的責務にこたえることを最初からまったく問題にしない。これだけでも、たいへんな問題であって、生態系の破壊がこのまますすんだら、国際的にも、いまおきている以上の、大きな非難をまぬがれない事態にならざるをえない、と思います。
環境破壊(その2) 閉じた水系で水質汚染が進んだら…
二番目には、調整池の水質――内部堤防が築かれるまでは、干拓農地部分も水面下になるわけですが――、堤防でしめ切られた湾内の水質汚濁の問題も重大です。
環境庁は、この点で、下水道を「高度処理」もふくめて整備することなど、条件をつけました。このことは、まともにうければ、この条件が満たされるまでは、水門をしめ切ってはダメだという話になるはずです。「閉鎖性水系」のことを問題にしているのですから。
ところが、いまやられていることは、まず水門をしめ切ってしまう、それから何年もかけて下水道を整備して、流入する水がきれいになる条件をやがてつくってゆく、ということです。これでは話がまったく逆なんですね。
知事に「このまますすめて、水質がどれだけ汚染されるかについてシミュレーション(予測の計算)をやったことがあるか」と質問したら、知事は「モニタリング(水質の監視)をやっている」との見当ちがいの答えでした。汚染の予測など、全然頭にない、ということです。
こういう予測は、ほんとうにやる気なら、いくらでもやれる能力を、日本の科学・技術はもっています。それをやらないまま水門をしめ切り、水質汚染の道につっこんでしまったのです。
その結果、こういう閉じた水系で、いったん水質が汚染され、ひどくなったら、もとへもどしようがなくなるのですね。日本の湖や沼で、どこが汚染がひどいかが、毎年調査されて、ワースト(最悪)のところは、マスコミで名ざしで問題になります。その順番は毎年ほとんど変わらないでしょう。その県の当局はいやで仕方がないでしょうが、いくらいやだと思っても、一度そこまで汚れたら、なかなか直しようがないのです。そういう危険な道に不用意に、つっこんでしまった。
環境破壊(その3) 死んでゆく干潟が新たな環境公害を起こしつつある
三番目の問題ですが、ここの干潟とその周辺は東京の山手線の内側の半分以上にもなる広大な地域です。その干潟と海が死んでいく過程に入った。それだけの規模で干潟や海が死んでゆく場合、そのこと自体がどんな環境被害をうみだすかという問題についても、当局はまったく用意がなかったと思います。いま悪臭が大きな問題になっていますが、こういう環境公害については、なんのアセスメントもしていないはずです。しかも、この死滅の過程は、どれだけつづくかわからないものです。これは、この地域の住民の生活にとって、ほんとうに重大な問題です。
まだ干潟は生きている、至急、水門の開放を
きょう、船で湾に出てみたら、貝などの死体がくさってゆく悪臭がただよう干潟がありました。同時に、午後、小野島というところで干潟におりてみましたら、人間が歩いて干潟の表面がゆれると、アリアケガニ、クシテガニなどがどんどん出てくる。スコップで掘ってみると、ハサミシャコエビ、シオマネキ、ゴカイなどの姿も見えました。しめ切られた干潟にまだ無数の生命が生きてがんばっている事実をみて、感動をおぼえました。まだまにあうということです。
知事にも会談の最後に話したのですが、農地の造成の問題にしても防災の問題にしても、きょう水門をしめ切らないと明日からたいへんなことになるといった一日一刻を争うようなスケール(時間のものさし)の話ではないのです。ところが水門をしめ切って、干潟の生命を死滅させるか、水門を開くかという問題は、それこそ時間との勝負で、一日一刻の時間を争うスケールの問題です。
私はこのことを考えれば、やるべきことは明確だと思います。
水門をはやく開いて、死にかけながらもがんばっている干潟を生きかえらせる手だてをただちに講じることが、まず必要です。防災と農地造成の問題については、これだけ地元でも大きな議論があるわけですから、ほんとうにどのやり方が妥当なのか、干潟を死滅させない別のやり方はないのか、考えられる手だてのうち、どれがもっとも効果的なのか、こういうことを十分に時間をとって吟味し、最良の道をえらぶ、これはかならずできることです。
長崎県というところは、とくに諌早市というところは、何百年にわたって干潟とともに暮らしてきた歴史をもっているわけですから、その歴史と現在の技術を結びつけていかせば、新しい発展の方向をかならずだすことができます。
私はそういう議論をやるためにも、まずその大前提として、水門の開放は、至急やるべきだと考えています。
緊急に求められる国会での集中審議
諌早の問題は、これまでも国会でいろいろ問題にし、政府にもなんども申し入れているのですが、こんど東京に帰りましたら、きょうの視察の内容もふまえてあらためて政府に申し入れたいと思います。またこれだけ多くの党が視察にき、地元の方がたとも意見の交流をやっているわけですから、国会でも、この問題の重大性にふさわしい、集中した議論の場をつくるべきだと思います。
「議員の会」(諌早湾を考える議員の会)も新たにでき、党派をこえてこの問題で共同する舞台もありますから、そういうところへも問題をだし、国会での集中的な議論をする、こうして地元のみなさんも国民も、自然をまもるという点でこの事態を心配している世界の多くの人たちも、納得もできれば将来の展望ももてるという、解決の方向をみいだしたいと考えています。
1986年の「営農計画」は、造成農地1481ヘクタールを酪農340ヘクタール、肉牛137ヘクタール、野菜(ジャガイモ、レタス、タマネギ、ニンジン)一1004ヘクタールという割合で利用するというもの。しかし、野菜をとっても、長崎県のこれらの品目の作付面積は、この10年間に、1952ヘクタール減りました。これは、野菜向け造成農地の2倍近い減少ということになります。
知事との会談では、不破委員長は、河口での対策は農水省、河口以外は建設省という奇妙なバラバラ「防災」ではなく、政府として、本明川の上流から河口までふくめた統一的な治水対策をしめすべきだ、と主張しました。
記者会見での一問一答
一問一答の主なものは、つぎのとおりです。
干拓の理由づくりではなく、水害対策への本気の取り組みこそ必要
――防災の必要性自体は認めるのか。
不破 もちろんです。問題は、むしろ、防災対策が「干拓」でゆがめられていることです。水害の中心である河川洪水の対策にしても、本明川は長い川ではないのですから、河口は農水省、それ以外は建設省と、ばらばらの対策をたてること自体がおかしいので、流れの急な上流から海に出る最後のところまで、統一的な対策が当然必要です。ところが、「諌早湾防災対策検討委員会」の中間報告をみても、河口へ出てくる水量の計算しかしていません。これなら、河川そのものの対策など何をしようが関係ないということで、諌早大水害以来、一生懸命やってきた治水対策は、なんだったのか、ということにもなる。ですから、必要なのは、上流から河口までの本明川治水の統一プランです。それをやらないで、河口だけに手をうつというゆがんだ対策になっているのは、防災を干拓工事の理由づけと考えているからで、そのやり方が、防災対策をゆがめているのです。
ゼロメートル地帯の対策も、知事自身、水害防止の海岸堤防の建設は金がかかるからやらないできた、と説明していました。しかし、その工事に、こんどの潮受け堤防ほどの金がかかるはずはありません。聞いてみると、以前はやられていた堤防のかさ上げ工事(堤防をより高くする工事)なども、干拓開発がきまってからは、やらなくなったとのことです。これも、干拓計画に組みこんでしまったために、肝心の防災対策が無理な形でゆがんでしまった一例でしょう。
――堤防で囲み、ポンプで排水するというやり方では、増設にも維持・管理にも金と人がかかる、といっているが。
不破 いまの干拓計画ほど、お金のかかる仕事ではありませんよ。東京では、革新都政の時代に、江東デルタ地帯のような広大な地域でそれを実施したのですが、そんなにお金のかかる事業だったら、都政でもそれだけでパンクしてしまいますよ。
防災でも、選択肢はいろいろあるわけですが、いくつもの選択肢を検討し吟味した形跡がどこにもない。はじめから、干拓防災一本の狭い吟味しかしていないのが、問題です。
干拓は、歴史の知恵を現代に生かし、干潟と共存できる方式(地先干拓)ですすめよう
――潮受け堤防の外側にまた干潟ができ、堤防の用をなさなくなる、という意見もありますが。
不破 干潟ができる時間のスケール(ものさし)は、相当長いですからね。
干潟といっしょに暮らしてきた人たちが、歴史のなかで「地先干拓」というやり方を生み出し、生態系をこわさずに、生活空間をひろげてゆく、という見事なことを長年やってきました。こういう自然のやり方だったら、生態系とのあいだで、そのときどき多少の摩擦がおこったとしても、解決してすすんでゆけます。
しかし、こんどのようなことをやったら、自然に逆らい、自然を壊すことをやるわけですから、それが自然にあたえる作用と、それがまた人間に返ってくる反作用は、計算のしようがないでしょう。
やはり、いままでの先人たちの知恵を生かすべきです。こんどの干拓の対象は有明海の干潟の7%だからなどといいますが、有明海でも、干潟があそこまで深く生きて残っている地域は、ここだけなんですね。表面は干潟でも生物の影は薄いというのが大部分ですから、諌早は、いよいよ貴重な干潟になっています。
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