人間を大切にしない自民党政治が長くつづくもとで、社会にはさまざまなゆがみがあらわれ、人間が人間らしく生きられない社会がつくりだされてきました。日本共産党は、社会のあらゆる面で憲法に保障された基本的人権が保障され、一人ひとりが大切にされる社会をめざします。とりわけ、社会的マイノリティとされる人びとの人権が尊重される社会をめざします。
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と指摘し、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。これはどんな人でも人間らしく、安心して、幸福にくらす権利があることを宣言したものです。
しかし、現状はどうでしょうか。国民切り捨ての自民党政治のもとで、経済的な格差が、そのまま学力の格差や、ひどい場合は命の格差にまでつながる社会になっています。いまだに思想、信条による差別も横行しています。
憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と宣言し、国がそのための責任を果たすことをもとめています。ところが、貧困と格差が広がり、「市場原理主義」と「個人責任論」の名のもとに、政府は国民にたいする最低の責任さえ投げ捨ててきました。その結果、生活保護の打ちきりや、その申請さえも認めない異常な「水際作戦」がすすめられ、あちこちで食べるにこと欠いたまま餓死同然で亡くなる事件もおきています。
また、マンションや団地に共産党のビラや戦争反対のビラを配布したというだけで、不当に逮捕、拘留される事件もあとをたちません。
こんな社会は、憲法で「すべて人間は、個人として尊重される」と明記された社会に百八十度逆行するものといわなければなりません。いま必要なのは、憲法に明記された人権の規定を、社会のすみずみに根づかせるとともに、国民が主権者にふさわしく政治に参加できるように制度を整備・改善することです。
国民主権にふさわしい民主的な選挙制度をめざします……自民・民主両党は、「国会議員定数削減」を競い合っています。民主党は、「衆議院の比例定数を80削減」、自民党は「少なくとも1割、50人以上削減」という具合です。比例代表制は、各党の得票率に応じて議席数を配分することで、有権者の選択を議席に正確に反映する仕組みです。比例代表制の定数削減の最大の狙いは、少数政党を国会と国政の舞台から締め出すこと、これらの政党が代表している国民の声を国会と国政の場から切り捨てることです。日本共産党は比例定数削減に強く反対し、衆議院選挙制度を全国11ブロックの比例代表制に改革します。
途切れることなくつぎつぎに明るみにでてくる「政治とカネ」の黒い疑惑に、国民は怒り、あきれています。「政治とカネ」にまつわる疑惑が表ざたになるたびに「政治改革」などとして政治資金規正法「改正」が繰り返されてきました。しかし、おこなわれたのは、企業・団体献金そのものにはなんら手をつけずに、受け取り手を多少制限したり、政治資金集めのパーティ券購入に「上限」を設けるなど、きわめて部分的なことばかりでした。このため、法「改正」後も法の“抜け穴”を悪用した不正事件が跡を絶ちません。企業・団体献金はあれこれの条件をつけずにきっぱり禁止します。
国会議員のいわゆる「世襲」が問題になっています。自民党議員の約4割、民主党議員の約2割が「世襲」議員だとされています。政治資金や後援団体などをあたかも親から子への“財産相続”のように扱うやり方は、民主主義と到底両立するものではありません。国会議員の世襲はなくすべきです。
政党助成金制度が導入されて15年がたち、この間に各党が受け取った金額は、自民党2278億円、民主党1190億円、公明党352億円、社民党315億円にもなります。この制度は、“企業・団体献金をなくす代わりに”などという口実で設けられたものですが、この約束は反故にされつづけ、いまや“企業・団体献金も、政党助成金も”のありさまです。
民主党の収入の8割、自民党の収入の6割が政党助成金でまかなわれています。自民党も民主党も「官から民へ」などといいますが、自分たちこそ税金を食いものにする“国営政党”“官営政党”です。日本共産党は、国民の税金から政党が活動資金を分け取りすることは、その党を支持していない国民にも有無をいわせず“献金”を強制するものであり、「思想・信条の自由」や「政党支持の自由」に反する憲法違反の制度であると厳しく指摘し、受け取りを拒否してきました。政党助成金制度はきっぱり廃止します。
日本の公職選挙法は、「べからず選挙法」といわれるように、さまざまな規制が設けられています。これは政治的民主主義や国民の参政権の保障という点でも、重大な問題です。国政選挙に立候補する場合、供託金は比例代表で600万円、選挙区で300万円必要です。1回の選挙に立候補するのに、これだけの資金を融通できる一般国民がどれだけいるでしょうか。諸外国の供託金は、隣の韓国が180万円、欧米諸国は、ほとんど10万円前後です。日本共産党は供託金を大幅に引き下げることを求めます。
また、戸別訪問の禁止をはじめ、選挙期間中のビラ、ポスターの配布規制、インターネットを使った選挙活動規制など「禁止・規制法」としての性格をもっている公職選挙法を改め、主権者である国民が気軽に多面的に選挙に参加できる制度に変えることを要求します。
世界の8割以上の国で実施されている18歳選挙権の実現をめざします。
個人情報保護とプライバシー……個人情報保護法に、自己情報の取り扱いに本人が関与し選択できる「自己情報コントロール権」を明記するよう要求します。思想・信条や病歴・犯罪歴などの収集・取り扱いは、原則禁止すべきです。個人情報の漏えいが心配される住民基本台帳ネットワークの中止を要求します。個人情報保護措置の策定や、漏えいの恐れがある場合のネットからの切断措置など、自治体として可能な対策をとらせます。
住民基本台帳の閲覧制度を改善し、個人情報は原則非公開とすることを求めます。
公共サービスの窓口業務の民間委託化に反対し、住民のプライバシーを守らせるようにします。
性的人権を守ります……一人ひとりの人間の性的指向や性自認(心の性)は、実に多種多様です。社会のなかには、「異性愛者」のほかにも、「同性愛者」や「両性愛者」もいれば、心と体の性が一致しない人(性同一性障害)、両性具有(インターセックス)の人もいます。これらの人びとは、「性的マイノリティ」と総称され、現在の日本では、約500万人にのぼると推定されています。日本共産党は、性的マイノリティの人権保障につとめます。
社会のなかには、いまだに性的マイノリティへの誤解や偏見が根強く存在します。そのもとで、自分の自然な性的指向や性自認を否定的にとらえ、強い疎外感や社会不信、自己否定の気持ちにかられる人もいます。こうした人たちも、同じ一人の人間として、自分らしく豊かに暮らせる社会をつくることが求められています。
性別や性自認、性的指向を理由とした、就労や住宅入居などのあらゆる差別をなくし、生き方の多様性を認め合える社会をつくります。公的書類における不必要な性別欄を撤廃するよう求めます。未成年の子どもがいても性別の変更が可能となるよう、「性同一性障害特例法」を見直します。保険適用に性同一性障害をくわえ、治療のできるクリニックの拡充を求めます。
公営住宅、民間賃貸住宅の入居や継続、看護・面接、医療決定の問題など、同性のカップルがいっしょに暮らすにあたっての不利益を解消するため力をつくします。
アイヌ民族の生活と権利の擁護……08年の通常国会では「アイヌ民族を先住民族とする国会決議」が全会一致で採択されました。これは、国連総会での決議「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年9月13日)を踏まえたものです。これをうけ、これまで「先住民族」と認めてこなかった日本政府も、「政府として先住民族として考えている」(町村官房長官談話)と表明しました。これまでの政府によるアイヌ政策は、文化振興に対して一定の焦点があてられてきただけで、アイヌの人々の生活向上には正面からとりくんできませんでした。しかし、09年7月29日に政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」は、アイヌの生活向上と権利を回復するための新法制定を求める報告書を提出しました。日本共産党は、アイヌ民族の生活と権利を擁護するために、こうした新法を含め、施策の抜本的拡充を要求します。
(※ 「日本共産党北海道委員会の総選挙政策」の「10アイヌ民族の生活と権利を守ります―先住民族権利宣言の全面的実効と46カ条の諸権利の確立を―」をご覧ください)
在日外国人の生活と権利向上……厚生労働省の調査によれば、わが国で合法的に就労する外国人労働者(派遣、請負含む)は75万5千人となっています(2008年5月発表)。外国人労働者が人間らしい生活を営めるよう、労働条件の改善をはかることを要求します。永住外国人(特別永住資格を含む)に地方参政権を保障する立法の実現に全力をつくします。地方自治体の運営は、本来、すべての住民の参加によってすすめるのが憲法の保障する地方自治の根本精神です。永住外国人を地方自治の担い手としてむかえ、日本国民と等しく参加する政治を実現することは、わが国の民主主義の成熟と発展につながります。
「従軍慰安婦」への謝罪と名誉回復……1993年の河野官房長官談話にもとづいて、従軍慰安婦への謝罪と名誉回復のために必要な措置をとるよう求めます。
2008年の日本の自殺者は3万2249人にのぼり、11年連続で3万人を突破しました。09年も、6月までのすべての月で前年を上回る自殺者が出ており、今年は過去最悪になりかねないとの指摘もあります。
1人の自殺者の周りには、その10倍にも及ぶ自殺未遂者がいると指摘されています。日本のどこかで、1日あたり90人もの人が自殺をしていることになり、1000人近い人が自殺をしようとしていることになります。自殺問題は、なによりも本人や家族にとって痛ましいことであるとともに、社会にとっても重大な問題です。現状のまま放置することは、絶対に許されません。
日本の自殺問題は、世界的にみても、いくつかのきわだった異常な特徴があります。1つは、自殺率が主要な先進国のなかで最悪であり、世界的にみても最高水準になっていることです。10万人あたりの日本の自殺者は24.0人で、これは主要7カ国のなかでは突出した比率です(他の主要国は、フランス18.0人、ドイツ13.0人、カナダ11.6人、アメリカ11.0人、イタリア7.1人、イギリス7.0人)。世界的にも日本は9番目に自殺率が高い国となっています。
2つ目の特徴は、高齢者と働き盛りの中高年の自殺者が異常に多いことです。07年の自殺者のうち、60歳以上は36.6%とほぼ4割に達しました。家庭でも職場でも中心的な存在であり、働き盛りであるはずの40、50代の自殺者は、全体の36.7%にのぼっています。
第3は、20代、30代の死因のトップが自殺になっていることです。ここにはインターネットを通じて「自殺仲間」を募り決行する「インターネット自殺」とともに、社会的疎外感からの自殺などがあると指摘されています。
世界保健機関(WHO)は、自殺は「自殺する個人」の問題ではなく、「自殺する個人を取り巻く社会」の問題だと指摘し、「その多くは予防可能な公衆衛生上の問題」だと提起しています。一人ひとりの自殺を考えるうえでも、それをとりまく政治と社会のあり方を問う必要があるし、社会のあり方によっては予防もできるというのがWHOの立場です。とりわけ、日本が世界的にみても異常に高い「自殺大国」であるだけに、このことは正面から考える必要があります。
日本では、自殺の原因・動機では、「健康問題」(44%)がトップで、ついで「経済・生活問題」(22%)となっています(1人の自殺の動機には、複数の原因・理由があるとされています)。ここには、人が人として大切にされない社会、「人間に冷たい社会」という日本のこんにちの姿が反映しています。この背景にあるのが、長く続いてきた大企業中心、アメリカいいなりの政治です。人びとの社会的な連帯が阻まれていることも大きな問題です。
自殺を誘発しかねない「社会的要因」をとりのぞくためにも、「人間に温かい社会」に変え、それに必要な施策をすすめることが重要です。そのために政治と行政ができることは無数にあります。なによりも、まず、この間の「貧困と格差」を拡大してきた路線を根本的に転換し、社会保障や医療制度を改悪してきた政策を改める必要があります。
日本共産党は、当面、以下のような施策をただちに実行に移していくことを求めます。
――不安定雇用の急速な拡大に歯止めをかけ、非正社員の権利を守る。長時間・過密労働やサービス残業を根絶する。
――大企業による下請けいじめや身勝手を規制し、中小企業の経営を守るルールを確立する。
――年金・介護・医療など社会保障の負担増、サービス切り捨てをやめ、社会保障を予算の主役にすえる。生活保護が必要な人には、無条件で保障するようにする。
――競争と管理の教育から、子どもの発達と成長を中心にすえた教育に転換する。
警察が収集し、内閣府が保有している地域別、職種別などの詳細な自殺をめぐるデータが非公表とされています。自殺対策をすすめるために、プライバシーに配慮しつつ、データの公表を求めます。
こうした施策の充実、拡充とともに、メンタルヘルス(心の健康)の問題にも政府や行政が積極的に対応するようにしなければなりません。心の病を患っている人にたいし、適切なケアを施す体制を、職場や地域に確立することが求められています。
いま長時間・過密労働や成果主義による重圧と、職場の人間関係などによるストレスによって、働く人たちのあいだにうつ病などが広がっています。この点でも、各企業にメンタルヘルスに対応した医療・相談体制を確立させる必要があります。
また、政府はこの間、各地の保健所の統廃合や福祉分野の人員削減をすすめてきました。この結果、自治体の住民の実情をつかむ力が弱まり、孤独な独居老人の自殺や介護を苦にした自殺なども増加しています。行政の手が行き届かないために、たとえ間接的にでも自殺を後押しするようなことがあってはなりません。地域社会に根ざした行政サービスの向上が求められています。
一方、いじめや家庭内のトラブルを原因とする児童の自殺も後を立ちません。「ひきこもり」など社会とのコミュニケーションがとれずに悩んでいる若者も少なくありません。こうした問題に対応できる相談所の設置や専門員の配置、体制の確立は不可欠です。これらの問題に対応するためにも、国と自治体の人員の確保、福祉予算の拡充が必要です。
また、大企業本位の「規制緩和」路線が幅を利かせる一方、「個人責任」の風潮がまん延するもとで、一人ひとりがばらばらにされている社会を、連帯と共同の方向に変えていくことが重要です。そのためにも、「官と民」や「働く女性と主婦」、「高齢者と現役世代」というような「対立関係」で社会をとらえるのではなく、国民相互が共に生きる仲間として手を携えていける社会を意識的にめざしてゆくことが大切になっています。
与党と民主党は、09年通常国会で、児童ポルノ禁止法について、「単純所持」を禁止することを改定案に盛り込むことで合意しました。しかし、この合意は、解散によって廃案となりました。
子どもを性的対象とする児童ポルノは、子どもにたいする最悪の虐待行為であり、その非人間的な行為を日本共産党は絶対に容認することはできません。1人の被害者も出さない社会をつくりだすことは、大人社会の重大な責任です。一方、児童ポルノそのものの作成・流通・販売をきびしく禁止し、取り締まることと、「単純所持」を法的に禁止することは厳密に区別する必要があると考えます。
現在、インターネット上などで流布されている児童ポルノは、そのほとんどが現行法によって取り締まることが可能です。児童ポルノ法第7条では、「児童ポルノを提供し」、それを目的として「製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者」にたいして、「三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金」がかけられることになっています。これを厳格に運用するなら、ネット上に流れているほぼすべての児童ポルノを一掃することが可能となります。
一方、児童ポルノ法で単純所持を一律に規制したり、漫画・アニメーションなどの創作物も規制対象に加えたりすることは、児童ポルノ問題の解決に役に立たないだけでなく、逆に、人権の侵害や表現の自由の萎縮につながりかねません。
第1に、たとえ単純所持を法律で一律に規制したとしても、児童ポルノの流出の効果的な歯止めにならないことは、単純所持を禁止しているはずの欧米各国の実態からも明りょうです。よく、「主要8カ国のなかで児童ポルノの単純所持を規制していないのは、日本とロシアだけだ」と指摘されます。しかし、現にインターネット上に流出している児童ポルノ(児童虐待)の動画像は、単純所持を禁止している欧米諸国からのものが圧倒的に多数です。たとえば、イタリアに本拠をおく児童保護団体の「虹の電話」による調査(2007年)では、児童ポルノの国別サイトの順位では日本が7番目の457件となっています。一方、日本より上位の6カ国は、ドイツ、オランダ、アメリカ、ロシア、キプロス、カナダとなっており、このうち、上位3カ国のドイツ、オランダ、アメリカだけで、全児童ポルノサイト(3万9418件)のうち、実に約85%の3万3303件を占めています。これら3国は、いずれも児童ポルノの単純所持を禁止している国です。このことをとっても単純所持の禁止や規制が、児童ポルノ流出の歯止めにならないことは明らかです。
第2に、ネット上に流出していないにもかかわらず、単純所持を規制し、それを処罰するという場合、どのようにして単純所持を証明・把握するのかという問題があります。このことは、「憶測」や「疑惑」の段階から取り締まりを可能にすることにつながりかねず、結果として、捜査当局の恣意的な捜査を招く危険があります。また、表現の自由や、家庭生活上の写真などと児童ポルノとの関係なども考慮しなければなりません。