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衆院本会議
1999年1月21日
私は、日本共産党を代表して、小渕首相に質問するものです。
まず、日本経済の問題です。
私は、日本経済の現状の深刻さは、消費不況と財政危機がかさなって進行しているところにあると思います。消費不況は、失業も中小企業の倒産も過去最高水準の危機的な状態にあり、そこからぬけだす確かな見とおしはどこにもみえてきません。しかも、国と地方の財政危機は、来年度末の借金総額、長期債務残高が六百兆円にのぼる見込みという、前例のないところにまで重大化しています。日本経済が活路をみいだすには、これまでの政治の枠組みや惰性にとらわれない、思いきった転換が必要であります。
私は、景気と財政の二重の危機というこの情勢のもとでは、つぎの二つの点が、政府の行動として、だれも避けるわけにゆかない原則、鉄則だと思います。それは第一に、財政の浪費的な支出を徹底的にきりつめて、むだ遣いの思いきった削減をはかることであり、第二に、不景気の打開のためにほんとうに必要とされる対策にたいしては、政府が思いきった出動をすることであります。首相は、この点をいかがお考えでしょうか。
小渕内閣の誕生以来の行動をみると、あなたは経済政策を、この行動原則とはまったく正反対の立場ですすめてきた、といわざるをえません。
まず、景気対策についていえば、小渕内閣は、大銀行にたいしては、国民の税金ですでに六十兆円もの枠組みをつくり、万全の支援体制を用意してきました。また、ゼネコンにたいしても、公共事業予算の拡大をもってこたえ、補正予算による積み増しは、前内閣の分もあわせ、年間で十六兆円にものぼりました。
しかし、肝心の景気対策――実体経済の立て直しの対策はどうだったか。現在の不況が一昨年四月の消費税増税を転機として悪化したもので、その直接最大の原因が、国民の個人消費の冷え込みにあったことは、いまや国民的常識であります。ところが、あなたは、この六カ月間、冷え込んだ国民の個人消費をあたため、景気を国民生活の大もとから活気づける対策を、何一つとってこなかったではありませんか。
高額所得者と大企業中心の減税案を撤回し、国民的な減税計画を
首相が、昨年八月の臨時国会で、消費拡大の方策として公約したのは、減税でした。その減税案は、ようやくこの国会にでてきましたが、首相、あなたは、政府のこの減税案が、国民消費の拡大に役立つと本気で考えていますか。
政府は、四兆円の所得税減税を実行するといいますが、政府のモデル世帯計算でも、この減税案で実際に減税の恩恵をうけるのは少数の高額所得者だけで、年収七百九十四万円以下の世帯は今年度よりも増税になります。試算してみますと、増税になるのは納税者の実に七割から八割、また、その増税の総額はなんと約一兆円の規模にものぼります。首相、国民の多数に一兆円もの増税をおしつけるような税制改革案が、どうして国民消費を拡大する景気打開策だといえるのですか。しかも、政府が提出している統計から分析してみても、一昨年来の消費不況で打撃をうけ、消費が縮小しているのは、政府が増税を計画している中所得、低所得の世帯なのです。この増税計画が、国民の家計にさらに重荷を背負わせ、消費不況をいっそう深刻なものにすることはあきらかではありませんか。
また、政府が減税の柱だという法人税減税も、わずか三千六百ほどの大企業が減税総額の五五%を手にするという、大企業むけ減税であります。
真剣に景気打開を考えるなら、一部の高額所得者と大企業だけを考えたこのような税制改革案は、撤回すべきであります。
そして、私は、消費税の税率三%への引き下げを中心に、国民の大多数の家計を確実にうるおわすような、国民的な減税計画への切り替えをつよく主張するものであります。
どの世論調査をみても、消費税率の引き下げは、文字どおり国民の圧倒的な世論であります。そして、この減税が、景気打開効果のもっとも期待できる対策であることは、多くの識者が一致して指摘していることであります。政府がまともな理由もなしに消費税減税を回避しつづけるなら、景気対策に熱意なしといわれても仕方がないでしょう。
税制の将来像の違いはわきにおき消費税減税での一致を
私たちは、日本の税制の将来像という問題については、私たちのように消費税廃止論の立場もあれば、消費税二ケタ増税をめざす立場もあることを、よく承知しています。だからこそ、私たちは、消費税の廃止を将来目標としてかかげつつ、今日の緊急対策として、消費不況への引き金となった増税前の税率三%への引き下げを要求しているのです。また、税制の将来像の問題はいまわきにおいて、景気対策として、消費税減税での一致をはかろうではないか、と提案しているのです。
私たちはまた、昨年十二月、あなたの諮問機関である「経済戦略会議」が、「中間報告」で「消費税増税は不可避」との方針をしめしたことを、知っています。しかし、あなた方がもし、将来の増税計画のさまたげになるという理由で、今日の国民的な要望を否定し、日本経済の切実な要請に背をむけるのだとしたら、それはあまりにも極端な党利党略だといわざるをえません。将来の増税は、あなた方の計画ではあるかもしれないが、国民がそんなことを確認したことは一度もないからであります。
消費税減税を柱に、全国民の家計を確実にうるおす国民的な減税計画への切り替えについて、首相の明確な答弁をもとめるものであります。
つぎに、財政危機の問題です。この問題を考えるとき、私は、三年前の九五年十二月、政府の諮問機関である財政制度審議会が、日本の国と地方の異常な借金の高さについて、「近い将来において破裂することが予想される大きな時限爆弾を抱えた状態」と、きびしい警告を発したことを思いださざるをえません。その報告は、ヨーロッパの経済・通貨統合が、条件として、借金残高はGDP(国内総生産)の六〇%をこえてはならないとしていることをあげ、日本の借金残高が四百十兆円、国内総生産の八〇%をこえていることをしめして、この警告をおこなったのでした。
浪費とむだ遣いの拡大で、国民1人あたりの借金は来年度末で500万円に
それから三年、政府がやってきたことは、財政危機への対応ではなく、むしろやけ気味の浪費とむだ遣いの拡大でした。政府の発表では、今年三月末、九八年度末の長期債務残高は五百六十兆円、三年間に百五十兆円も増えました。そして、九九年度末の見とおしは六百兆円、国内総生産の一二〇%にも達し、じつに国民一人あたり五百万円もの借金を二十一世紀に引き継ぐことになります。
それは、この間に、公共事業の野放しの拡大や、国の年間総予算にも匹敵する銀行支援体制など、浪費につぐ浪費の政策を強行してきた結果にほかなりません。しかも、金融支援の六十兆円の枠組みが、現実の資金投入として本格的に具体化されるのはこれからであり、また、九九年度も予算の補正が予想されることなどを考えると、財政危機の進行は、いまあげた数字よりもさらに深刻であります。この危機のもとで、何十兆円という税金を、特定の業界の救済のためにこのように無造作に投入するなどは、納税者に責任を負う立場からは、到底考えられない、無責任な政策であります。
解決の見とおしなしに浪費に明け暮れることは許されない
首相。今日のような空前の財政危機に直面しながら、政府が、その解決の見とおしもなしに、浪費に明け暮れるなどは、絶対に許されません。あなたが、この財政危機を解決するどのような方針と見とおしをもっているかを、うかがいたいのであります。
財政危機がここまで深刻化した以上、財政の健全化のためには、年々の赤字の解消を目ざすにとどまらず、「時限爆弾」とまでいわれたこの長期債務の総額をどうして減らしてゆくかを、大きな目標とすべきことは、当然であります。
私は、さきほど、財政制度審議会の三年前の報告にふれましたが、この報告が、ヨーロッパ諸国の経済・通貨統合の条件をあげたのは、偶然ではないと思います。借金残高を国内総生産の六〇%以内におさえるというのは、日本の財政の歴史のなかでも、八〇年代初めまではあたりまえの状況とされてきたものであります。九〇年代の財政も、九〇年度、九一年度ともに借金残高ほぼ六〇%というところからはじまりました。経済成長との関連を考えても、この六〇%を財政健全化の一つの指標としてあつかう根拠は十分にあると思います。
政府は、財政再建の目標として、国内総生産比一二〇%にまでふくれあがった借金残高を圧縮する目標をおもちですか。おもちであるとすれば、それがどういう目標であるか、それをどれぐらいの期間で、またどのような手段で実現する見とおしなのか、明確な答弁をもとめるものであります。
財政危機の問題で、政府が明確な方針をもちえないのには、大きな理由があります。それは、政府が、どうしても財政赤字の大もとに目をむけようとしないからであります。
私は、この議場でも何回も指摘してまいりましたが、日本の予算のなかで、公共事業が抜群の主役をなしているというのは、世界でもほんとうに異常であります。実際、国と地方をあわせて、国民が納める税金は、このところほぼ九十兆円ですが、毎年の公共事業の財政負担は約五十兆円にのぼっています。そのうち、ほぼ十兆円が財政投融資を財源とするもので、あとの四十兆円が、その年の税金あるいは将来の税金を財源とするものです。結局、税金の半分近くを公共事業に投入しているわけで、税金をこのように異常な形で配分している国は、世界のどこにもありません。
私は、消費税減税などの景気対策をはじめ、国民の緊急切実な要求には積極的にこたえながら、国と地方の財政を健全な再建のレールに早急にのせるために、財政の抜本的な転換にかかわる、いくつかの提案をおこないたい、と思います。
第一 ―― 公共事業の規模半減を目標にその計画的実現を
第一。浪費的な性格の歳出について思いきった削減をおこなうこと、とくに公共事業については、その規模の半減という長期目標を定め、年度を追って計画的にその実現をやりとげることであります。
政府は、国民のつよい批判を前にして、あまりにもむだの明白な事業について、ごく部分的な見直しをはじめたようですが、現状は、そんなことで解決されるものでありません。公共事業予算の圧縮の目標をきっぱりと定め、対米公約となっている公共事業の総枠六百三十兆円を取り消すこと、公共事業を自動的に膨張させるしくみとなっている分野別の長期計画を廃止すること、列島改造型の国土開発を無批判にくりかえした五全総を見直すことをはじめ、大型計画を全体として「凍結」し、そのなかから緊急必要な事業を選別するなど、思いきった措置が必要であります。
第二 ―― 社会保障制度への国の負担の根本的な拡大を
第二に、社会保障の分野で、国の負担を抜本的に拡大し、国民が安心して頼れる社会保障制度をめざし、その財政的な基盤を強化することであります。
いま、国政と国民生活とのかかわりを、ヨーロッパ諸国と比較した場合、もっともくっきりと違いがあらわれるのは、ヨーロッパ諸国では、公共事業ではなく、すべての国民の生活をささえる社会保障が、公的支出の主役となっていることです。日本では、公共事業への支出の四割相当しか社会保障にまわされていないのに、諸外国では、公共事業の三倍から六倍もの予算が、社会保障の分野で支出されて、資本主義のもとでも、それがあたりまえの状態になっています。その状態に一挙には飛躍できないとしても、ヨーロッパ諸国の水準に近づくことを、国民的な目標とする必要があります。その財源としては、国民への新たな増税によるべきではなく、なによりも、公共事業の負担を減らした支出のかなりの分を社会保障の拡充にあてることでまかなうことを追求すべきであります。
社会保障の貧困は、国民の将来不安を大きくし、日本経済の前途をこの面からも暗くしています。高齢化社会への対応は今日の大きな問題ですが、厚生省の調査では、六百二十万にのぼる高齢者世帯の四割が二百万円未満の低所得世帯です。年金の内容は、改善の見とおしどころか、改悪の心配だけが先行しているうえ、政府の計画では、この世帯に、介護保険金や「高齢者医療保険」の負担がつぎつぎとかかってくることになり、新たな負担総額は、高齢者全体で一兆円にのぼるとの試算もされています。
これでは、国民が将来に不安をもつのは、当然ではありませんか。国民が将来に安心をもてる社会保障体系の構築をめざし、国の負担を国際水準並みに引き上げる方向で財政的な基盤の拡充に努力することが、いまこそ必要であります。
第三 ―― 地方政治でも開発中心主義から住民サービス本位への転換が急務
第三に、地方政治でも、開発中心主義から住民サービス本位の政治へと、行財政の転換をはかることです。いま地方財政は、戦後第三次の財政危機といわれるほど、全国的に深刻な状態にあります。その最大の原因が、七〇年代後半からの開発型政治のもちこみにあったことは、いまではまったく明白です。実際、八〇年度に全国の行政投資の自治体負担は十四兆一千億円でしたが、それが九五年度には三十二兆八千億円とじつに二・三倍にも増え、公共事業に投じる財源のほぼ三分の二を自治体が負担するという状態になりました。
この過大な公共事業の負担が、自治体財政を圧迫して、福祉・教育など、自治体の本来の仕事、住民サービスの仕事の水準が年ごとに困難になっているのが、全国の自治体の偽らざる実情であります。
地方自治体にもちこまれたこの逆立ち政治を、住民自治の精神で立て直すことは、なによりもその自治体の住民の仕事であります。しかし、国政にたずさわるものとして、ここで目をむけなければならないのは、自治体の行政を逆立ちした方向に引きこむうえで、国の政治が重大な、主動的な役割をはたしてきたことであります。ここで、通達などの文書を一つひとつあげることはしませんが、全国の自治体に大型開発優先主義をもちこんだのも、住民サービス切り捨ての方向に誘導したのも、政府が大きくかかわっておこなわれてきた仕事でした。その指導の結果が、いま全国的な財政破たんとなってあらわれているのであります。
ここでも、あやまった開発中心主義から、住民むけの仕事を本業とする住民自治本来のレールにたちもどる以外には、地方財政再建の道はありません。これまでのあやまった指導・誘導の反省にたって、この方向での地方政治、地方財政の再建を助けること、これが現時点における政府の責任ある立場だと考えますが、いかがでしょうか。
第四 ―― 教育・福祉など国民生活密着型に公共事業の重点を移せ
第四。日本は公共事業大国として世界で有名だとはいえ、その内容がゼネコン好みの大型開発にかたよっているため、国民生活に必要な施設がきわめて貧困だという状態は、各分野に多くみられます。公共事業の全体規模の圧縮をはかりながら、そういう分野については重点的なとりくみをすすめることが、当然であり、今日、大切な点であります。
一例だけあげましょう。私は、全国をまわって、一方で巨大な開発や豪華な施設建設がこれでもかこれでもかという調子ですすんでいるのに、小・中・高校の施設の荒れ方がひどく、雨もりが直せない、ドアがはずれたままだなど、敗戦直後の「物不足」の時代を思わせるような状態が各地でみられることに、胸を傷めてまいりました。そこには、開発優先主義と福祉・教育の切り捨てがもたらした最悪の結果の一つがあると思われたからであります。
こんど、教育予算を調べてみましたら、実際、小・中・高校の修理・整備にあてられる「公立学校施設整備費」が、この十数年のあいだに極端に減っていることに気づきました。一九八〇年度には五千七百十三億円あったものが、来年度予算案では一千六百三十八億円、四分の一近くにまで減少しています。自治体の負担分をあわせれば、整備事業が全国で約一兆円前後も減ったことになります。物価の上昇もあって、実際の整備面積は七分の一に圧縮されています。教育の現状の打開が日本の将来にかかわる大問題となっているとき、こんな状態をこのまま放置することはできません。首相はどうお考えでしょうか。
このことをふくめ、教育や国民生活が必要とする公共施設の建設にこそ、公共事業の重点を移すべきではないでしょうか。生活密着型の公共事業が、大型開発にくらべて、雇用の拡大に格段の効果があることも、多くの調査がしめしているところであります。
以上、四点にわたる提案をおこないました。日本経済の将来を少し長い目でみた場合、これらをふくむ抜本的な対策に大きな目標と年次的な計画性をもってとりくむことは、先のばしの許されない急務となっていると考えます。首相の真剣な検討と答弁をもとめるものであります。
つぎに、安保・外交の問題であります。
政府は、この国会に、ガイドライン関連法案を提出していますが、私は、もっとも重大な問題点の一つは、日本が、アメリカの先制攻撃戦略に参加することの是非が問われるという点にある、と思います。
ご承知のように、国連憲章では、国連自身が決定する行動以外は、加盟国の勝手な武力行動は認めないことを建前としています。そして、その唯一の例外として認められたのが、加盟国が他国から武力攻撃をうけた場合に、それに反撃すること、いわゆる個別的あるいは集団的自衛の行動でした。これが、第二次世界大戦後、国際社会が平和の基盤としてもうけた国際秩序の原点であります。
ところが、いまアメリカは、この国際秩序に満足しないで、国連加盟国にたいする武力攻撃、侵略行動がおこなわれないでも、その危険があるなどの判断をした場合には、その国にたいして軍事攻撃をおこなう、という先制攻撃戦略を、戦略方針の一つとして公然と採用しています。私は、これは、世界の平和にとって、たいへん危険な戦略だと考えます。戦争か平和かの決定権を国際連合からアメリカ一国の手に移すことであり、また侵略の危険についての情勢判断自体、そこにあやまりをおかす危険、あるいは特定の利害・目的・思惑がはいりこむ危険が多分に存在するからであります。
昨年、アメリカがおこなった一連の戦争行動、スーダンとアフガニスタンにたいする八月の攻撃も、イラクにたいする十二月の攻撃も、すべてアメリカがこの先制攻撃戦略の具体化として一方的に実行したものでした。とくに十二月のイラクへの攻撃は、イラク情勢について国連安保理事会が討議中に、それをまったく無視して強行されたものでした。だからこそ、アメリカの行動は、その合法性、正当性自体が、国際的な深刻な討論の対象となり、湾岸戦争のさいにはアメリカと同じ立場にたった同盟国のなかでさえ、”支持できない”とする国が続出したのであります。
首相は、この先制攻撃戦略について、その是非をどうお考えですか。これが第一点であります。
いま政府が提案しようとしているガイドライン法案は、そのアメリカがアジア・太平洋地域でとる軍事作戦にたいして、日本が軍事的な協力をおこなう方針とその内容を定めるものであります。私が指摘したいのは、ここで、アメリカの先制攻撃戦略にたいする日本の参加が問題になっている、ということであります。
その角度から、いくつかの点について、質問したい。
「周辺事態」――先制攻撃戦略にもとづく軍事行動をふくむのか
第一に、政府は、日本の「周辺」で、日本の平和と安全に重大な影響を与える事態が生まれたときに、ガイドラインが発動され、日本は米軍の軍事行動に参加する、としています。問題は、この「周辺事態」なるものの内容であります。それは、国連憲章の規定にあるような、国連加盟国が外部から武力攻撃をうけたという事態に限定されるのでしょうか。それとも、そういう事態はまだ存在していないが、アメリカがその危険を先どり的に判断して、先制攻撃戦略にもとづく軍事行動にでる場合も、ふくまれているのでしょうか。もし後者の場合にも、政府が「周辺事態」と判断して、ガイドラインを発動し、アメリカの軍事行動を支援する行動にでることがありうるのだとしたら、それは、日本自身が、他国にたいする先制攻撃戦略に参加することになるではありませんか。政府は、そういうことが許されると考えているのですか。はっきりした答弁をもとめます。
「後方支援」――国際法からみて戦争行為でないと断言できるか
第二に、日本がとる支援活動の内容であります。政府は、これまで、日本がおこなうのは「後方支援」だから、戦争行為への参加とはならないなどと、くりかえし弁明してきました。しかし、戦争行為であるかどうかは、日本政府の勝手な線引きで決まるものではありません。国際社会で、この問題がどうあつかわれているかが、なによりも問題であります。いったい政府は、ガイドラインで規定している日本の軍事支援の諸行動が、国際的な基準でみて、戦争行為に属さないと、断言できるのですか。
たとえば、ガイドラインは、「公海上の米艦船にたいする海上輸送」を「後方支援」の項目にあげています。国際的には、この活動は戦争行為の一部をなすものとされており、その行為に参加している船舶は、相手国から攻撃をうけても文句のいえない立場にたたされます。戦争の現場では、政府の勝手な解釈など通用しないのであります。
首相。あなたは、政府がガイドラインで引き受けている諸項目が、国際法の基準にてらして、戦争行為としてあつかわれるものではない、と断言できますか。もしそう断言するのだとしたら、私がいまあげた項目――米艦船への海上輸送について、それが戦争行為にあたらないとする国際法的な根拠を、この場で具体的にしめすことを、もとめるものであります。
政府への白紙委任は法治国家では許されない
第三に、政府はこれまで、多くの問題について、「その時点で情勢に応じて判断する」といった答弁をおこなってきました。「周辺事態」の「周辺」にどんな地域がふくまれるかについても、「事態」の内容についても、「後方支援」活動の規定についても、つきつめた討論をすると、すべて「その時に考える」であります。「その時に考える」とは、いざ事態が起きたときの判断と行動の基準を定めない、ということ、いいかえれば、その時の政府の勝手な判断にまかせる、ということにほかなりません。これでは、その時の政府の判断いかんで、いかなる国連加盟国も武力攻撃もうけていないのに、アメリカの一方的な判断でおこなう先制攻撃に日本が参加することもできる、「後方支援」という名目で、国際的には戦争行為とみなされる軍事活動にくわわって日本が事実上の参戦をすることもできる、中国の一部である台湾地域を対象とする軍事作戦に日本が参加することもできる、すべてがありうるということになるでありませんか。
アメリカの軍事作戦に参戦するかどうか、日本の運命を左右するこの問題について、多くの重要問題で政府に白紙委任するようなガイドライン法案は、憲法にもとづく法治国家である日本で、許されうるものではありません。首相の見解をきびしくただすものであります。
以上、ガイドライン関係法案の問題点を指摘してきましたが、日本共産党は、ガイドラインとその法案には、二十一世紀の日本の安全と平和の見地から反対であり、その撤回をつよく要求するものであります。
いまのガイドライン問題にも関連することですが、ここで、北朝鮮をめぐる問題について質問と提案をおこないたいと思います。
軍事的対応の悪循環が問題を深刻にしている
北朝鮮と日本のあいだには、いま複雑で重大な状況がすすんでいますが、私がとくに懸念を禁じえないのは、日本と北朝鮮とのあいだに交渉ルートが存在しないまま、対立的な雰囲気、とくに軍事的な対応の悪循環ともいうべき事態が拡大していることであります。日本では、北朝鮮からの一方的なミサイル攻撃がありうるのではないか、という心配が語られ、それにたいする軍事的な対応措置が問題になっています。一方、北朝鮮の昨年来の対外的な声明や国内での報道をみると、アメリカが韓国や日本をひきいて北朝鮮に先制攻撃をくわえるという予想が既定の事実とされ、攻撃があったら反撃するぞという戦争前夜のような言明が連日のようにおこなわれています。世界政治のいろいろな経験にてらしても、たがいに先制攻撃を懸念しあうこの状況が悪循環的に拡大することは、たいへん危険なことといわざるをえません。しかも、関係諸国のなかで、韓国もアメリカも北朝鮮とのあいだにそれなりの交渉ルートをもっているのに、日本だけは、正式の交渉ルートをもたないまま、対立的な関係だけが先行していることは、問題をとりわけ深刻にしています。
北朝鮮の政権あるいは政権党が、国際社会におけるルールについて、われわれと共通の常識をもたないことは、私たちもよく知っています。日本共産党自身、北朝鮮の側から、国際的な道理を無視した不当な攻撃をくりかえし受けたために、一九八二年以来、北朝鮮の政権および政権党と、いかなる関係ももっていません。しかし、国際的な平和と安全のためには、また不測の事態を未然に防止するためには、相手がそういう状況にあればあるだけ、日本の側が、国際的な道理をふまえ、問題を平和的に打開する態度をつくすことが重要であります。
その見地から、二つの提案をおこないたい、と思います。
正式の対話と交渉のルートを確立する努力を
第一は、北朝鮮と正式の対話と交渉のルートを確立する努力を、本腰をいれて、真剣におこなうべきだという問題であります。対話と交渉の場をもたないまま、すなわち日本側の真意を相手側に伝える場、相手側の意思や認識を公式にきく場をなんらもたないまま、対立的な関係や雰囲気だけが拡大するという悪循環は、早急に断ちきらなければなりません。中断している国交正常化交渉をあらためて軌道にのせる問題に、いまこそ本格的にとりくむべきではありませんか。またそのほかの方法を含め、両政府間の接触・対話・交渉の場をひらく問題に、日本の側から積極的な対応をすべきではありませんか。
日本は先制攻撃に参加しない――政府はこの立場を宣言せよ
第二に、今日の軍事的対応の悪循環では、どちらの側でも、相手側が先制攻撃にでるのではないかという心配が問題とされています。ここに、重大な点があります。私は、この悪循環を断つために、日本が、いかなる国にたいしても、先制攻撃の立場をとる意思をもたないことはもちろん、先制攻撃的な性格をもつ第三国の軍事行動に参加したり、これを支援したりする方針をもたないことを、アジアと世界の平和にたいする日本政府の基本的な態度として、いまあきらかにすることが重要だと思います。そういう立場を宣言することは、悪循環からの暴発を防止するうえでも、北朝鮮との関係で日本が日本にふさわしい平和外交を展開するうえでも、大きなささえとなるであろうことは疑いありません。
北朝鮮問題にたいする政府自身の見解・方針をあらためてうかがうとともに、この二つの提案にたいする、首相の見解をもとめるものであります。
首相は就任以来、首脳外交の展開に大きなエネルギーをそそがれてきましたが、国際社会での日本の政治的地位は、率直にいって、決して高いものではありません。それは、日本が国際政治の問題で、独自の定見と方針をもたない国――アメリカの陰によりそう国だとの認識が、国際社会ですでに定着しているからであります。
ソ連が解体してすでに八年目、世界のおもな国ぐには、アメリカの同盟国であっても、より自立的・自主的な方向で自分の国際的な位置をつよめる道をすすんでいます。そのなかで、どんな国際問題でも、アメリカへの同調と追従の枠からでようとしない日本の態度が、アジアでも世界でも日本の立場を失わせていることを、率直に認識すべきではありませんか。
いよいよ二十一世紀は目前であります。私たちは、国民多数の合意をえて日米安保条約を廃棄し、独立・非同盟・中立の新しい立場で、国際社会で役割をはたすことを展望している党であります。しかし同時に、その大目標にいたる以前においても、アジアに生きる日本として、アメリカの戦略的利益を第一義としない、自主・自立の外交にふみだすことは可能だし必要であると考えています。平和外交へのこうした転換は、二十一世紀を迎えるにあたっての急務であります。
日本共産党は、内政・外交の両分野で、国民の利益にたって、日本の政治の新しい進路のために全力をつくすことを申しあげて、質問を終わるものであります。
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