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2000年3月6日/しんぶん赤旗「主張」から
「日の丸・君が代」が法制化されてはじめての卒業式を迎え、文部省や教育委員会による強制のエスカレートが各地で問題となっています。
文部省は「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱の実施率が低い自治体の教育委員会を呼びつけ「事情聴取」し、強制に拍車をかけました。
卒業式はだれのために
東京都の教育委員会は「従わないと処罰する」と文書を出し、都立高校校長を個別に呼び出しました。横浜市では、押しつけに反対する教員の氏名とその言動を記入する「国旗・国歌対応シート」が全校長に配布されました。
ある高校では、一人ひとりが壇上で自分の思いを話す自由な雰囲気の卒業式が続いていました。ところが、校長は「教育委員会からの通達で日の丸掲揚、君が代斉唱の式にする」と説明。生徒たちから「いったい卒業式はだれのためのものなのか」と声があがりました。
しかし、法制化は学校現場への新たな強制をなんら含んでいません。小渕首相も「今回の法制化にあたり、義務づけをおこなうことは考えておらず、国民の生活に何ら影響や変化が生ずることにならない」と国会で答弁しています。それを文部省などが踏み絵まがいの押しつけまで引き起こすことは、断じて許されるものではありません。
こうした押しつけにたいして、国民的な批判が広がっていることは、国民の良識を示すものです。
マスコミ各紙もいっせいに強制の強まりを批判する社説をかかげました。たとえば、「朝日」は、「学校や生徒には自主性を求めつつ、国旗、国歌は押しつける。文部省が進めている方針は、自己矛盾に満ちている。締めつけを強めるようなことは中止すべきだ」(一日付)と指摘しました。
学校でも変化が生まれています。父母や市民団体による押しつけ反対の申し入れが各地でおこなわれ、「強制はやはりよくない」「卒業式はだれのためにあるのか」などの話し合いの輪ができています。
そうしたなかで、「日の丸」「君が代」が押しつけられた学校でも、卒業式の場で「起立しなかったり、歌わなかったりしてもよい」と説明する校長もでてきています。また、ある高校では、生徒たちが話し合い、多くの生徒が「君が代」斉唱のときに着席しました。
もともと国会審議でも、学校での強制は許されないことでした。文部省は、強制は憲法が保障した「内心の自由」にかかわる問題であることを認め、「起立しなかった、歌わなかったということのみで、児童、生徒に不利益を加えるようなことがあってはならない」と答弁しました。
卒業式に「日の丸・君が代」を強制するのでなく、子どもの「内心の自由」を守ることは、まさに国民的合意となりつつあるといえます。
国民的な合意の輪を広げて
卒業式は学校生活を締めくくり、子どもたちの新たな門出を祝うものです。それだけに、子どもたちにとってもっともよい内容としたいものです。それを法制化で踏みにじることは許されません。
いま政府が強行している押しつけは、民主主義の原則に背を向けた、文字どおり戦争と軍国主義の時代の遺物であり、教育者の良心をふみにじり、学校教育の荒廃した現状を、上からの新たな統制でいっそう深刻なものにするだけです。
子どもへの強制をやめよう―この国民的合意の輪をひろげようではありませんか。
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