2001年12月18日(火)「しんぶん赤旗」

たった一人の出勤闘争

負けてたまるか リストラの職場で

埼玉・村田精巧 永田健一さん

突然の廃業に組合結成

退職金上積みさせた



 株式会社村田精巧本社は埼玉県坂戸市の富士見工業団地の一角にあります。会社の「廃業」宣言に抗し、たった一人で組合を結成した永田健一さん(26)。毎朝一人で出勤し、たたかい続けています。澄んだ寒空の下、同社の門前にJMIU(全日本金属情報機器労働組合)の組合旗がはためきます。「いってきます」と元気よく工場の門を入る永田さんに「頑張れ」と声援がとびました。(北関東総局 川田博子記者)

 村田精巧の中心事業はシャドーマスク(注)の検査作業です。売上高の八割を占める大日本印刷からの受注ストップを理由に会社は八月、「基本給二割をはじめ、残業代など諸手当のカットを十月十六日から適用する」と全従業員に通告。不況の中、検査単価が半分になった分をばん回するため、月百時間近くの残業をこなしてきた矢先のことでした。

団体交渉求める

 九月になると、社長は突然「十月十五日に会社を廃業する」と発表。永田さんの脳裏に、知人のすすめで出会ったJMIUの労働者の姿が浮かびました。仕事を終えて都内から夜遅く駆けつけ、何回も相談に乗ってくれた組合役員。永田さんは組合結成へと走りだしました。

 十月四日、永田さんはJMIU東京地方本部北部地域支部村田精巧分会(分会長永田健一)を結成。同僚に組合加入をよびかけるとともに、(1)会社廃業・全員解雇の原因と経営実態、経営責任を明らかにする(2)退職金制度を明らかにし、正当な退職金を確保――などを掲げ、会社に団体交渉をもとめました。

 会社は、従業員六十余人の解雇を強行。団交を拒否し、「問題が解決するまで雇用継続」を確認していた永田さんも解雇しました。

 通告書が届いた翌日の十一月二日から、出勤闘争が始まりました。退職間際まで組合加入を迷った従業員もいましたが、会社の「永田の話は一切きくな」との妨害に加入には至りませんでした。

元同僚も応援

 団体交渉は緊張の連続。永田さんをJMIUの仲間が励ましました。そのなかで、会社に多額の剰余金があることが分かり、従業員の要求も聞いて、「基本給×六カ月分」の退職加算金を要求。会社はこの要求に対し、規定の退職金に基本給一カ月分を上積みすると発表しました。

 元同僚も「ありがたいすね」と喜び、「おまえが組合をつくったことは意味があった」「頑張って、会社からもっととってくれ」などの声もかけられます。

 十一月三十日、埼玉地方労働委員会が二回目のあっせん。会社は永田さん解雇の「謝罪」も公益委員提案の和解金支払いも拒否し、あっせん終了となりました。

 永田さんの出勤闘争が再び始まりました。

 「組合を知らないときは将来に展望がもてず暗い毎日でした。組合をつくったことで、これまでなかったすてきな仲間との出会いや発見があり、人生が豊かになりました。勇気を出して立ち上がってよかった」と笑顔で語ります。

 (注)シャドーマスク テレビジョンのカラー受像管の蛍光面のすぐ前にある金属板。多数の小孔が規則的にあいていて、そこを電子ビームが通る。

 


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