[8問8答]そこが知りたい! 合併論議のポイント


問4 「少子・高齢化でやっていけない、生き残れないから」といいますが?

答 「少子・高齢化」対策の仕事は、自治体とともに国も責任を果たすべきです。


 市町村合併を押しつける理由として、「少子・高齢化」も盛んに宣伝されています。ある県のリーフレットでは、「市町村合併はいずれ不可欠」の理由の第一に「少子・高齢化社会」になることをあげ、「市町村にとって『税金を負担する人が減り、逆に福祉等をはじめ税金で費用をまかなう仕事が増える』社会」であり、「市町村が自らできる対策で、最大の効果を持つのが合併」としています。

 たしかに、「少子・高齢化」は、社会にとっても自治体にとっても、大切な問題です。しかし、「だから合併しかない」という理由はどこにあるのでしょうか。「少子・高齢化」の対策というのであれば、高齢者が安心して老後をすごすことができるようにすること、若い世代が定住でき、安心して子育てできるようにすること、そのための福祉施策を充実させること、農林漁業、商業、工業などの産業が育成されることなど、多面的な施策がもとめられます。そうした施策は、それぞれの地域で自治体が住民と地域の要求と実態をふまえて工夫するとともに、いずれも大きな意味では、国の政策の改革、拡充が必要なものです。

 たとえ、高齢者が多く、子どもが少なく、税収が少ない地域や自治体であっても、高齢者や子どもたちが、必要な行政サービスを享受できるようにすることは、憲法と地方自治法にねざす国と自治体の責任です。とりわけ財源的には、地方交付税法にも定められた国の責任です。

 市町村合併で「少子・高齢化」対策がすすむ保障がなにかあるのでしょうか。残念ながら、市町村合併そのものには、なんの保障もありません。それなのに、国がさかんにこのことを宣伝するのは、「少子・高齢化」がすすむと行政経費がかさむから、市町村合併によって経費を浮かせよう、ということにほかなりません。

 また実際、六五歳以上の住民の比率がすでに四割を超えている町村が、全国には少なからずありますが、そうした町村が「少子・高齢化がすすんでやっていけない」状態になっているでしょうか。「少子・高齢化がすすんだために町(村)がつぶれた」などの例は一つもありません。「少子・高齢化」のためというなら、国の施策の充実と改革、それぞれの自治体での福祉や地域産業の振興などの施策の充実こそ、真の対策ではないでしょうか。国は合併の押しつけでなく、みずからの福祉施策の後退を反省し、「逆立ち政治」の転換にこそ踏み出すべきです。

 いまの町村そのものがなくなって、何のための「生き残り」か

 これまで、「税収が少ない」とか、「国の支出が減ったから」とか、「高齢化で行政費用が増えたから」とか、理由はともなく、「生き残れなかった市町村」がどこかにあったでしょうか。放漫財政や事業の見込み違いから、財政の「再建団体」になった自治体はいまでもありますが、だからといって、つぶれたりした自治体はありません。財政的なやりくりが大変になるとか、各種の施設や整備すべき事業をくりのべるなどの対応が迫られることはあるでしょう。しかし、「市町村合併でしか生き残れない」というのは、根拠のない議論です。

 逆に、はっきりいえるのは、「生き残れないから」と市町村合併にすすめば、いまの市町村のかたちそのものがなくなることです。「生き残れない」という自治体の多くは、農山村の町村でしょう。そういうところが合併によって新しい自治体の周辺部になってしまえば、いまの町村のかたちそのものがなくなり、単に愛着のある町村名がなくなるだけではありません。役場もなくなり、そこに働く職員の大半も、いなくなります。町村独自のさまざま施策や各種の行事も、残らないことが懸念されます。そうなっては、なんのための「生き残り」でしょうか。

 「財政力のある自治体づくり」論や「専門職員の配置」論などは

 このほか、市町村合併の理由として「財政力のある自治体づくり」論が強調されたり、「市町村合併で大きくなれば、専門職員が配置できる」などを「メリット」として宣伝したりしています。

 しかし、もし市町村合併で「財政力のある自治体」になれるのなら、移行期の緩和措置である普通交付税の算定の特例などは当然としても、合併特例債など建設事業に手厚い「支援策」をとる必要などないはずです。合併しない市町村には「財政力がない」というなら、国はそこにこそ財政的な支援を強めるべきでしょう。市町村合併をしたからといって財政力が強くなるわけではないことを、国はよく承知しているからこそ、「支援策」も講じているのです。

 市町村合併をすれば、財政規模はたしかに大きくなります。しかし、財政規模が大きくなることと、財政力が強くなることとはまったく別問題です。

 合併でなく自立の道をとる長野県の過疎の山村、泰阜(やすおか)村の松島貞治村長は、「貧乏と貧乏が合併しても、きわめつけの貧乏になるだけ」と語っています。合併したからといって、その地域全体の税収はほとんど変わりません。

 「専門の職員の配置が可能になる」という宣伝も、どこでもおこなわれています。都市計画や国際化、介護や情報化の専任、建築技師・土木技師などの専門職員の配置ができる、といいます。もちろん、それぞれの自治体が専門の資格をもった職員を採用できること自体はよいことです。しかしそれは、合併で自治体職員が大幅に減ってしまうことと、隣合わせでのことです。合併特例債で建設事業が増えて、そのための専門職が増えても、住民のくらしに役立つでしょうか。介護や福祉の専門職員を配置できるといっても、職員全体は大幅に減るわけですから、せっかくの専門職員も、住民にとっては身近な存在ではなくなります。福祉の専門の特別な資格はないが地域のお年寄りの顔も様子もよく知っている身近な職員と、専門の資格はあるが住民のくらしからは遠い職員と、住民にとってどちらが役立つでしょうか。

 実際には、いま多くの自治体では、専門職員を配置できない場合には、都道府県やその出先機関等を活用するなど、工夫をして対応をしており、「専門職がいなくて必要な行政ができない」という例はない、といってよいでしょう。