2000年5月15日

総選挙の政策問題について

全国都道府県委員長会議(5月15日)への報告

幹部会委員長 不破 哲三

 発表にあたって、若干の整理・加筆をおこないました(不破)


 十五日開かれた全国都道府県委員長会議での不破哲三委員長の報告は次の通りです。


 都道府県委員長のみなさん、党の本部で各部門を担っているみなさん、そしてまた、衛星通信でこの報告を見聞きされている全国の同志のみなさん、これから、全国都道府県委員長会議にたいする報告をおこないます。

選挙戦の様相について

 選挙戦の日程はほぼ確定しました。解散の日だけは、小渕前総理の葬儀との関係でまだ流動的のようですが、六月十三日(火)公示、二十五日(日)投票という流れで、事態はすすんでいます。

 そして、選挙戦の様相ですが、私たちは「日本共産党の躍進のいかんが、これからの政治の流れを決める」ということを正面からおしだして訴えてきました。いま、それにくわえて言えることは、相手側も、そのことを行動で証明しているということであります。

 だいたい、自公保政権側は、日本共産党攻撃を中心にすえる、なかでも「共産党の政権入りを許すかどうか」、これを最大の争点にするという態度で、選挙戦略を組み立ててきています。民主党への批判も、「その共産党と政権をともにする可能性がある」、「民主・共産連合政権の可能性がある」、ここに最大の攻撃の照準を定めてきています。

 今年一月の自民党の大会で、共産党にたいして「新時代の国政の舵(かじ)取りを任せることはできない」と、自民党として初めて、わが党と「国の舵取り」を争うという態度をあらわにしたことに、私たちは注目しましたが、それがまさに今回の選挙戦略の中心にすえられて、彼らの選挙戦略では、文字通り“日本共産党が主役”になっています。

 相手側のこの挑戦を受けて立ち、国民の利益のために、日本の未来につながる大きな躍進を、選挙戦の奮闘でかちとろうではありませんか。(拍手)

 選挙戦の方針は前回四月の都道府県委員長会議で明らかであります。きょうはその後の情勢で重要になってきたこと、この間、常任幹部会で議論し、検討してきたこと、これらをふくめて政策的対応を中心に報告したいと思います。(1)政策宣伝の基本、(2)他党批判、(3)政権論、(4)党のおしだし、この四つの主題で順次報告をし、最後に選挙戦の構えについて若干のべることにします。


一、政策宣伝について

 まず、政策宣伝の基本であります。この間、このミニパンフ『私たちはこんな日本をめざしています』を発行しました。比較的評判がよく、全国で活用されているようですが、ご覧になっていただければわかるように、われわれの今度の政策宣伝の大きな特徴は、「告発と提案」の結合というところにあります。これまでのいろいろな選挙戦での訴えとくらべても、ここに大きな前進的な特徴があることに、まず注目いただきたいと思います。

悪政をどう告発するか

自民党政治年来の悪政の担い手としての告発・批判が重要

 まず、「告発」という問題ですが、小渕前首相が病気になって、森首相に交代する、こういう今日の情勢のもとで、自民党政治の年来の悪政の告発――森政権も、ただ、いまの断面でとらえるだけではなく、ゆきづまった自民党政治の年来の悪政の担い手としてとらえ、批判し、告発する、この点が非常に重要であります。

 小渕政権末期には、このゆきづまりがいわば政権の末期症状と結びついて現れ、内閣への支持率も急落の状況でした。それが、政権が交代しますと、森内閣自体はまだあまり仕事をやっていないから、“悪いことは過去の話で、これからのことは白紙だ”という顔をして、自民党政治の現状にたいする批判をかわそうとするのが、特徴になっています。今度の選挙戦にむけての宣伝をみても、“自公保政権は安定している”などと言って、この政権がいかにも素晴らしい立派な政治をやっているかのような宣伝を前面におしだしています。

 それにたいして、私たちの側では、国民の利害、暮らし、そういう面からみて、この自民党政治を安定させていいのか、この政治の存続を許していいのか、そのことが有権者の胸にずっしり響くような、そういう告発をし、これを選挙戦の大きな争点にしてゆく、それが非常に大事であります。

社会保障――政府調査でも国民の8割が老後に不安をいだいている

 いくつか例をあげますと、私は先日八分間のクエスチョンタイム(党首討論)で、社会保障の問題をとりあげました。社会保障の改悪はこんどもやられたし(年金改悪)、これからも計画されています。しかし、いまの社会保障のほんとうのゆきづまりというのは、これをいまの断面だけでとらえず、少し長い目で見てみると、そのひどさも、ゆきづまりの根源も、いちだんと浮き彫りになってきます。

 実際、あの国会討論でとりあげたことですが、政府は最近、二つの国民意識調査を発表しました。総理府が発表した「国民生活に関する世論調査」(四月発表)では、「日常生活の中で悩みや不安を感じている」という人が六二・四%、約三分の二です。この数字は、過去最高の数字です。しかもその「悩みや不安」のなかで「老後の不安」が圧倒的に多いのが、特徴でした。

 また、経済企画庁がやった国民生活の意識調査(「国民生活選好度調査」二月発表)では、「自分の老後に明るい見通しをもっている」という人が一七・四%、「もっていない」が、八二・四%でした。九年前・九〇年の数字は、「明るい見通し」二九・〇%、「もっていない」七〇・三%でしたから、九年間に見通しが大幅に暗くなったことがわかります。国民の八割が将来に不安をもっているというすごい数字がでているのです。

 まさに、ここに自民党政治のもたらした現状があります。党首討論で、私は、そういう角度から、社会保障の問題をとりあげました。そういう目で見ると、この二十年間が最悪なんです。私はこのことを「社会保障の受難の時代」と呼んだのですが、七〇年代には、ある首相が、「福祉元年」これから社会保障を充実させてゆこうという旗をあげたことがありました。ところが、八〇年になったら、これが早くも社会保障切り捨ての流れに変わった。そしてこの二十年間に、健康保険でも、高齢者の医療でも、年金でも、それぞれ三回の改悪がおこなわれ、老後を社会保障に頼ってはいられないという国民の不安が、これほどにも広がるところまできたのです。

 こういうことを、自民党政治が積み重ねてきた到達点としてズバッとだすことが大事です。

 このあいだ、森首相は、社会保障の悪化についての私の質問にたいして、政治の責任抜きで、こういう事情があった、こういう事情があった、だから仕方なかったと、無責任な答弁をしましたが、私は、そこで、悪化の最大の原因が、政府のやり方、なかんずく社会保障からの予算の引き揚げにあることを明らかにしました。社会保障財源にたいする国庫負担の割合を調べてみると、八〇年度には国が二九・二%の負担をしていたものが、九七年度には一九・〇%、負担の割合で見て実に三分の一以上も切り捨ててしまったのです。ここに社会保障の悪化の根源があることは明りょうです。

 ここまで批判をすすめると、“公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円”という現在の税金の使い方の逆立ちぶりが、八割にもおよぶ国民の老後不安のいちばんの根源にあることが浮き彫りになってきます。

 国民の目線に立ち、しかも、悪化の根源を明確に示し、そしてわが党の改革路線こそが、その根源を打開できることを明らかにする、こういう角度からの批判・告発を、暮らしにかかわる、政治にかかわる、それこそあらゆる分野でやる必要があると思います。

 財政危機の問題については、詳しくいうまでもないと思います。国民生活のさまざまな切実な問題をとらえて、そういう角度から徹底した批判をおこなうことが大事です。

雇用危機は、戦後の日本資本主義の歴史でも空前の規模となっている

 クエスチョンタイムの話ばかりしているわけにはゆきませんが、私は、この次の機会には、雇用の問題をとりあげたいと考えています。

 この問題でも、いまの雇用危機のひどさは、長い目で見ると、より鮮明になってきます。戦後の日本資本主義の歴史、とくに最近の数十年をとってみても、深刻な不況として、七〇年代の石油ショック、それから八〇年代の円高不況などがあげられます。石油ショックのときには、第二次石油ショックの一九七八年が失業者がもっとも増えた年でしたが、そのときの完全失業者は百二十四万人、失業率は二・二%でした。円高不況のときには、八七年が最高の失業でしたが、その年の完全失業者は百七十三万人、失業率は二・八%でした。そしてこの一九八七年の数字が、戦後の日本資本主義の八〇年代までの歴史で、完全失業者、失業率ともに最悪の年となったのでした。

 ところが、九〇年代の今日の不況は、この水準をとっくに突破して、完全失業者三百万人以上という空前の規模を、九九年二月以来すでに十三カ月も続けています。そして現在(二〇〇〇年三月)は、完全失業者数三百四十九万人、失業率四・九%という記録的な水準に達しました。失業者数でいえば、過去最高だった円高不況の時の二倍の水準だということです。

 そういう異常な雇用危機にたいして、政府は従来型の雇用対策をやるだけで、ほかになすすべがない。しかも、危機の根源をなすリストラにたいしては、これをあおる促進策さえ平気でとっている。これが現状です。

 どこの資本主義国でも、雇用危機のときには、労働時間の短縮に取り組みます。日本でいえば、われわれはまず「サービス残業の廃止を」といっておりますが、それとあわせて、大量解雇にたいする規制、労働者の権利保護、この二つを雇用対策の柱とするのが普通です。ところが、日本政府は、肝心なその二つの対策に、どうしても手をつけようとしないのです。ここまできても、いちばん大事な雇用対策に手をつけないというところに、自民党の悪政の異常さが示されているのです。

 私たちは“ルールなき資本主義”からの脱却ということをいいますが、それぞれの分野でおきている問題について、それだけの重みと深刻さをもって“ルールなき”現状が国民にとってどんなにひどいことになっているかを告発する必要があります。

農業でも、自給率を低下させてきた自民党政治の責任は明白

 “ルールなき資本主義”という問題では、雇用だけでなく、環境の問題、農業の問題、中小企業の問題など、さまざまな問題に広く目をむけることが必要ですが、ここでは、農業の問題をとってみましょう。

 日本の農業の荒廃は自給率の急激な低下に、もっとも典型的に現れています。カロリーではかった日本の食料自給率は、一九六〇年は七九%でしたが、それが七〇年は六〇%、八〇年は五三%、九〇年は四七%と低下につぐ低下の道をたどり、ついに九八年には四〇%を割ろうかというところまで落ち込みました。

 政府自身、自給率の低下をこれ以上放っておく態度をとると、農民の支持、農業者の支持を失うというので、あわてて最近の「食料・農業・農村政策審議会答申」で、十年後には自給率を四五%に引き上げる、最終目標は五〇%をめざすという目標をようやく発表しました。しかし、政府にはそれを裏付ける政策がまったくありません。さらに、ここで特徴的なことは、農業をここまで落ち込ませたことへの反省がまったくないことです。

 責任の問題として、まず指摘しなければならないのは、政府が、「自給率の向上」という目標をこの二十年間投げ捨ててきた、ということです。一九八〇年に、「八〇年代の農政の基本方向」という方針を閣議決定したのですけれども、この方針では、「自給率の向上」など問題にする必要がない、という態度をうちだしたのが、一つの特徴でした。それ以来二十年間、政府は、「自給率」を問題にしてこず、低下するがままにまかせてきたのです。八〇年といえば、自給率が五三%まで低下したときです。普通の資本主義国の政府だったら、たいへんだということで、いかにして自給率を向上させるかに全力をあげたはずです。ところが、まさにそのとき、日本の自民党政府は、「自給率向上」という目標を投げ捨ててしまった。そしてこの二十年間、片方では家族農業の切り捨て、片方では農産物の輸入自由化を強引におしすすめ、農業の危機的な状態がここまできて、ようやく「自給率向上」の旗をあげた。しかし、四五%という非常に低い目標さえ、どのように政策をたててこれを実行するのか、なんの真剣な対策もない。過去の反省がないわけですから、何も中身がない。

 この問題も、いまの断面だけではなく、この二十年間、自民党政治がなにをやってきたかに目を向けるだけで、非常に鋭い問題になります。

 こういう告発を、有権者の目線に立ってしっかりやってこそ、有権者とのあいだで生活の実感にもとづく共感と連帯が生み出せるし、こんな現状でいいのかというその共感と連帯が、われわれの改革提案にたいする政策的な共感に引き継いでもらえ、われわれの改革提案の必要性や道理をわかってもらう基盤にもなる、ここを重視することが大切であります。

「日本改革」の提案の特徴をつかむ

経済の改革――緊急の具体策と流れの切り替えと“二重の組み立て”をよくつかむ

 次は「提案」の方です。

 私たちはこれまで、よく「日本改革論」を語ろうと訴えてきました。ただ実際にやってみますと、「論」という呼び方は、受け取る側が、なにか理論体系をつかまなければいけないような感じになります。ですから、こんどのミニパンフをつくるときには、中身は変わりませんが、呼び方は「日本改革の提案」ということにして、「論」という、問題をむずかしく感じさせる呼び名はやめることにしました。つまり、「私たちの日本改革の提案」、「日本共産党がめざす日本改革」、そういう言い方です。

 この提案の問題について言いますと、中身についてはこれまでもいろんな機会に説明してきましたので、くりかえしません。問題のとらえ方として大事な点をいくつかのべることにします。

 まず、経済の改革の提案ですが、ここでは、私たちの提案が二重の組み立てになっていることを、よくつかんでほしいと思います。

 私たちは介護の問題でも緊急の解決策を提案しています。雇用の問題でも、こうやって現在の雇用問題を解決しようじゃないかという具体的な提案をしています。そして、国民のいまの要求にこたえるこれら当面緊急の解決策と同時に、私たちの「日本改革」の提案では、政治の流れをこう切り替えればそれができるという根拠、見通しを、あわせて示しています。ここに大事な点があります。

 ミニパンフでいいますと、税金の使い方で「社会保障と国民のくらしを予算の主役に」という柱と、それからルールの問題で「国民を大切にする世間なみのルールをもった国に」変えるという柱、この二つに集約されますが、ただ当面の政策を出すだけではなく、それを可能にする、政治の流れを切り替える方向と根拠を、そういう形で明確に示している。逆にいえば、大きな改革の方向を示すだけではなく、流れをそういう方向に切り替えればこういう具体策がこの分野で実行できるという当面の解決策をきちんと示している。これが「二重の組み立て」という特徴です。

 「二重、二重」とふれて歩く必要はないのですけれども、政治の流れの切り替えという太い後ろ盾をもっているからこそ、当面の緊急の提案も力と道理をもてるのだし、緊急の具体的な解決策をもっているからこそ、政治の流れの切り替えと呼びかけがほんとうに切実な呼びかけとして有権者に受けとめてもらえる、そこのところをよくこなしながら有権者に訴えていただきたい、と思います。

「二重の組み立て」は安保・外交の分野にもある

 政策の「二重の組み立て」ということは、他の分野でもあることで、外交・安保の分野では、それがとりわけ重要です。

 私たちは、この分野での「日本改革」の提案の柱に「日米安保条約の廃棄」という方針をかかげています。これは、現在の各政党のなかで、わが党だけがかかげている主張であって、この立場にたっているからこそ、私たちは、当面の実際の外交問題でも、軍事同盟型でない、日本の主権の立場、平和と安全の立場に立った積極的な提案ができるのです。

 しかし、われわれは、この分野で、「安保条約の廃棄」という大目標だけにとどまっているわけではありません。この点にまた、選挙戦での政策的な訴えの非常に大事な点があります。

 日米安保条約の廃棄というのは、国民の多数がその気になれば、アメリカ側が同意しないでも、日本側の意思だけで実行できるものです。こういう廃棄手続きが条約で決まっているんだということを話すと、沖縄の演説会などでも、驚きの声があがります。

 このことは大いに、広く宣伝してゆかなければなりませんが、これは、安保廃棄の声が現実に国民の多数派になるまでは、実行できません。そして、国民の目の前には、外交問題、アジアの問題、あるいは基地をめぐる問題など、安保廃棄まで待っていられない問題がたくさんあります。それについても、一月の第五回中央委員会総会で、わが党は、日本の外交の明確な転換の目標を発表しました。ここには、この一、二年の活動のなかで、わが党が切り開いてきた新しい発展があります。そこをよくつかんでもらいたい、と思います。

 私が国会で連続追及した核密約の問題も、そういう性格をもっています。マスコミのなかで、「これは安保をなくさないと解決できない問題ではないか」といった質問をする人もいましたが、「核兵器のもちこみを許さない」というのは、自民党政治でさえ、「非核三原則」の一つにあげて、これが日本の国是だといわざるをえないでいる問題です。その「非核三原則」を侵す秘密の取り決めが日米間で結ばれていたことが、アメリカ政府が発表した文書で明らかになったのですから、この解決を安保条約廃棄の日まで先のばしにすることなく、安保条約のもとでも、きちんと解決して、被爆国日本に核兵器をもちこむ危険がないようにする、これは、日本の国民にたいする責任からいって、当然のことです。こういう立場から、私たちは、この問題を国会で、また国民的な運動のなかで取り上げているのです。このパンフレットでもそういう位置づけで、「核兵器をもちこませない」ことを提案しています。

 このように、外交の問題でも、わが党が安保条約廃棄というわが党だけしかもたない日本の主権と平和を確保する旗印を明確にかかげながら、しかもそれが実現される日まで受け身の待ちの姿勢をとるのではなく、国民の希望にこたえる自主外交、平和外交を切り開く大胆な提案を堂々とやっている。ここがいま大事な点であることを、強調したいと思います。

子どもの問題の解決のために──とくに森首相の「教育勅語」復活論を批判する

 今回のミニパンフレットでは、「日本改革」の提案で、経済の問題と外交・安保の問題に加えて、もう一つ、「憲法をまもって、政治・社会のゆがみをただします」という太い柱をたてています。

 憲法問題では、国会で憲法調査会がつくられたことを軸にして、いろいろな議論が始まっており、そのなかで、憲法をまもり抜くわが党の態度は、きわめて重要な位置をしめています。この問題は、いままでの中央委員会総会の決定などで明らかにされているので、ここで詳しくのべる必要はないと思います。

 ここでは、最近とりわけ重大になっている子どもの問題、教育の問題について若干のべておきたいと思います。

 いろいろな少年犯罪が凶悪化するなかで、それにたいしてどう対応するかということが、社会的にも大きな話題になっています。わが党は、この問題では、第二回中央委員会総会で、三つの改革を提唱してきました。一つは、受験中心のつめこみ教育をやめさせ、ほんとうの意味での知育、徳育、体育、情操教育を重視するという方向での学校教育の改革、二つは、おとなの社会の道義を確立し、この面からも子ども社会の健全な発達をささえること、三つが、暴力やポルノなど有害な情報から子どもをまもるための社会的なルールをつくることです。この改革がいまどんなに重要であるかは、その後の少年犯罪の増加にも示されていますが、私が、きょう、とくにとりあげたいのは、そのなかの一つ、学校教育の改革のなかでの道徳の教育、徳育にかかわる問題です。

 これは、政治的にも、一つの争点になっていて、いま森首相は、しきりに「教育勅語」復活論をとなえています。批判されると、“私は教育勅語を全部復活しろといっているわけではない、あのなかには良いところもある”などと弁明して、日の丸・君が代の法制化に続いて教育勅語の復活に道を開こうとしています。

 しかし、これぐらいいまの事態に合わない話はないのです。いま少年犯罪に関連していわれているのは、「生命の大事さ」ということがこれらの子どもたちにまったく理解されていない、忘れ去られている、ということです。では、森首相が道徳の手本にしたいという教育勅語に、「生命の大事さ」を教えた部分があるでしょうか。そう聞いても、みなさんはお若いから、答えは無理かとも思いますが、機会があったらぜひ読んでみてください。「朕惟(ちんおも)うに」から始まって最後まで読んでも、あのなかには「生命の大切さ」を教えたところは、まったくないのです。それもそのはずです。

 「教育勅語」が、いろいろな徳目をならべた最後に、結びとして教えているのは、「一旦緩急(いったんかんきゅう)あれば義勇(ぎゆう)公(こう)に奉じ以て天壤無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし」ということです。要するに、いざとなったら、天皇のために、戦場に出て命を捨てろ、これが教育勅語の最後の締めの文句なのです。当時は、天皇のためには自分の命は「鴻毛(こうもう)よりも軽し」、鳥の羽根よりも軽いと覚悟せよということがよく言われました(軍人勅諭)。そしてまた、相手の生命も尊重していたら戦争はできません。このように、生命の尊重とはまったく縁がないのが教育勅語の「道徳」なのです。

 いったい、自分の生命、他人の生命を軽んじる少年犯罪にたいして、この教育勅語がなんの役に立つというのでしょうか。

 この問題でもう一つ大事なことは、教育勅語の道徳体系というのは、“臣民社会”の道徳体系だということです。市民社会の道徳ではないのです。これも読んでもらえばわかりますが、はじめの方に「我が臣民克(よ)く忠に克く孝に」、「爾(なんじ)臣民父母に孝に兄弟(けいてい)に友(ゆう)に」とあり、結びの文句は「是(かく)の如きは獨(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず」です。つまり、天皇が自分の家来である“臣民”に道徳を教え込むという体系なんですね。ですから、その道徳の組み立ても、頂点に天皇が立ち、そのもとで「臣民」が忠義を誓う、そしてその「臣民」のあいだでも、上下の身分序列を明確にして、目下は目上に従え式の、すべて上位、下位の身分ルールでかためられています。これは、日本の社会でいま問題になっている、また憲法がその裏付けとなっている市民社会の道徳とはまったく無縁のものです。

 教育勅語をめぐる論議ではそういう点を大きく問題にし、戦前型の「臣民」道徳の復活か、民主主義社会における市民道徳の確立かということを、議論の中心にすえる必要があります。

 実際、私たちは、第二十一回党大会決議のなかで、学校教育でとりあげるべき市民道徳について、一つの提唱をおこないましたが、その中身を教育勅語とくらべてみれば、問題点がよくわかると思います。

 私たちが提唱している市民道徳の最初の項目は、「人間の生命、たがいの人格と権利を尊重し、みんなのことを考える」です。ここであげている道徳のどの部分も、教育勅語にはまったく存在しないものです。次の項目は、「真実と正義を愛する心と、いっさいの暴力、うそやごまかしを許さない勇気をもつ」です。こういう市民道徳も、教育勅語には存在しません。「うそやごまかしを許さない」と言おうにも、だいたい教育勅語自身が、この国は天皇の祖先である神がつくった神の国だと、最初から「うそとごまかし」を書いているわけですから。

 以前はよく、社会党系の教員組合運動で「道徳教育反対」を方針にしていたことがありました。私たちは、これにたいして、七〇年代から市民道徳の教育を提唱してきました。

 いま少年犯罪の重大化という状況のなかで、われわれが提案してきた三項目の社会的、教育的改革の提案が重要な意味をもってきています。そのなかの一つの問題、学校教育のなかでの徳育の問題をとっても、そのことは明らかだと思います。問題は、道徳教育をやるかどうかではないのです。戦前型、「臣民社会」型の道徳教育を復活させるのか、社会を構成する一員として身につける必要のある市民道徳の教育を学校教育の中心にすえるのか、これがいま問われているわけです。

 わが党の立場「日本改革」の提案は、教育の分野でも、国民的な問題にこたえる見通しを示しているということを、しっかりつかんでほしいと思います。

 以上にのべてきたことを頭におきながら、われわれの政策宣伝の基本を「告発と提案」の両面からつかみ、有権者の心をとらえる宣伝活動を大いにやってもらいたい、と思います。


二、他党批判をどうすすめるか

 つぎは他党批判の問題です。他党批判という場合、与党にたいする批判と、他の野党にたいする批判とは、批判の態度・姿勢に根本的な違いがあります。

与党には“打倒する相手としての批判”

 自民党や公明党にたいする批判は“打倒する相手としての批判”です。この政治は、国民の利益の立場からいってどうしても打ち破らなければいけない、そういう批判です。

 自民党にたいする批判の仕方は、とくに問題にする必要はないでしょう。いままで話してきた「告発」というのが、すべて基本的には自民党政治にたいする批判ですから。

 ここでは、昨年来自民党との連立内閣にくわわった公明党にたいする批判をとりあげましょう。ここで大事なことは、与党としての公明党を問題にする場合、公明党が政権に入ってやったことだけが問題ではないということ

です。もちろん、「地域振興券」とか「児童手当の拡大」とか、自民党と公明党の連合でやったあれこれの政策も、当然、批判の対象になります。国会でも、これらの問題をわが党の議員がとりあげて追及すると、政府側は、なぜこういう無法なことをやるのかまったく弁明できません。それぐらい党利党略を先にたてたひどいことをやっているわけで、これも大いに追及すべきです。

 しかし、一番の問題点は、公明党が、この政治は不都合だといって自分が長らく批判してきた自民党と連合を組んで、自民党の悪政の応援団あるいは推進者の立場にくら替えし、転落した、という点にあります。いま、私たちは、自民党の年来の悪政が国民生活を破滅におとしいれ、日本をあらゆる分野でゆきづまりに追い込んでいるんだといって告発していますが、公明党が、その悪政の擁護者に身を落としたということ、ここに公明党批判の最大の問題があります。実際、われわれが自民党政治を批判すると、公明党が、自民党以上に頭にきて反撃に出てきたりする場合がしばしばあります。それぐらい、悪政の徹底した擁護者になっているわけで、その公明党の姿を告発することが、大事な視点になります。

野党への批判は「競争する相手としての批判」

 野党にたいしてはどうか。

 たとえば、民主党ですが、われわれは、以前から、民主党にたいしても選挙戦のなかで大いに政策批判、政策論戦をやろうといってきました。これは、民主党の人たちとも、当然のこととして、話しあってきていることです。

 批判しあう、論戦しあうといっても、そのやり方は自民党、公明党など政権与党にたいする場合とは、もちろん違います。これはいわば「競争する相手としての批判」です。同じく野党であっても、政策的にはそれぞれ独自の立場をとっているのですから、どの党の政策的立場が、国民の利益にあっているのか、どういう立場に立ってこそ、自民党政治、現在の自民・公明・保守三党連立政治の悪政を打ち破れるのか、こういう見地からの批判であり、論戦です。

 こういう批判や論戦は、いくらやっても、自・公・保政権の悪政にたいして、一致点で野党共闘を組むことの妨害になるものではありません。私は、以前の会議でも、野党間の論戦では、論戦の翌日、国会で顔をあわせても、なんのわだかまりもなく共闘の話し合いができるような、気持ちのいい論戦をやろうと言ってきましたが、「競争する相手としての政策批判」は、その立場に立ったものです。

 そういう批判と論戦の参考に、民主党の政策的な特徴について、私がいま見ているいくつかの点を話しておきましょう。

 (1)この党の大きな特徴は、大きな流れからいって保守政治の流れを引き継いできた政党で、幹部のなかでも、政権の一翼を担った歴史をもち、自民党政治の大きな流れを担ってきた政治家がかなり多くいる政党だということです。ですから、自民、公明中心の現政権に対抗して野党の戦線をきずこうとはするが、政策的な面では、現在の自民党政治に対抗する立場を確立できないでいる、こういう特徴がたいへん目立ちます。

 これは、私たちがそう見ているというだけではありません。テレビの討論会その他で、民主党の幹部がマスコミから「民主党は、いったい自民党と政策的にどこが違うのか」との質問をうける場合がよくあるのですが、その質問にたいして、民主党の幹部自身が、うまく答えられない。「政権をとってみなければ分からない、言っていることを本気でやるかやらないかの違いだ」と言ってみたり、「国民を信じるか信じないかの違いだ」と答えてみたりで、結局、民主党自身が、自民党との政策的な違いを説明できないでいるのが、率直な実態だと思います。

 ですから、参院選以来のことをふりかえっても、国民のあいだでは、まず消費税減税の是非が大問題になりましたが、民主党は、消費税増税のときに賛成した歴史をもっていましたから、これに同調しない。また大銀行支援の六十兆円の枠を組んだときにも、むしろ民主党が先に立って自民党と共通の立場に立つ。国政の大きな問題で、こういうことは、この二年間に何度となく繰り返されてきました。

 (2)最近、しばしば痛感することですが、ときには、自民党以上に自民党的な立場をとるときもあります。自民党は政権党ですから、政府がやってきたことと自分の地盤とのあいだの矛盾にぶつかって、政策的な手直しを問題にすることが、ときどきあるのです。

 介護保険の問題でも、そういう矛盾に直面して、昨年十月、六十五歳以上の人の介護保険料の半年間徴収凍結という苦肉の策に出ました。私たちは、より徹底した本格的な手直しの提案を一貫しておこなってきた党ですから、政府がこのやり方に出てきたとき、その不徹底さを批判し、こんな一時しのぎの、ごく部分的な手直しではなく、国民の切実な要望にこたえるこういう改革をやれと言って、本気の見直しを提案したものです。ところが民主党は、そのときに、せっかくやってきたものを改定するのはけしからん、保険料の徴収凍結など反対だという態度をとりました。これでは、自民党以上に自民党的になってしまいます。

 最近も、これは党首討論で鳩山代表がとりあげた問題ですが、こういうことがありました。

 大型店舗の進出に圧迫されて地元商店街がたいへんなことになっているという事態が、いま全国で起きています。地元商店街というのは自民党が長く組織基盤の一つにしてきたところですから、自民党のなかでも、そこからいろいろなきしみや波紋が起きてきます。自民党の公式の政策は変えられないが、ともかく議員連盟(日本経済を活性化し中小企業を育てる会)をつくる動きも出てきました。そこにあるのは、大型店による圧迫を緩和しようじゃないかという旗をあげ、選挙に役立てようという思惑でした。私たちだったら、そんな選挙向けの看板だけといった見せ掛けのことではなく、ちゃんと政治の問題としてとりあげて、政府の間違ったやり方を正せといって批判しますが、この問題でも、民主党のとった態度は別でした。国会でも、自民党は規制緩和の方針なのにそれを投げ捨てるのか、という逆の詰めをやって、自民党の閣僚に「弱い者の立場も考えないと」など、いかにも政府が弱者の側に立っているかのような答弁をやられてしまうこともある。これも、自民党以上に自民党的になってしまった一例です。

 (3)民主党のもう一つの特徴として、“寄り合い所帯”だということからくる政策的な混迷の問題も、あげなければならないでしょう。昨年の「君が代・日の丸法案」の提案にたいしてまとまった行動をとれず、衆議院ではほぼ賛否半々の投票になったというのは、その代表的な例です。また、五月三日の憲法記念日にNHKの討論会がありましたが、これだけ憲法問題が大問題になっているのに、民主党としてはいまだに態度を決められない。党の代表である鳩山氏は改憲論をしきりに唱えていますが、これは、まだ党の方針ではありません。討論会に出てきた代表は、“党の方針は決まっていないが、鳩山代表がああいっているのだから、その意見を尊重しながら討論していきたい”という程度のことですませていましたが、これも野党第一党としては、驚くべき態度です。

 そういう数々の弱点が政策的には自民党に利用されて、いまの悪政強行の大きな支えになっている。盗聴法とか、国民的に大問題になり、与野党の立場がわかれるいくつかの問題は別として、国の政策の大筋では、そういう場面が非常に多いわけです。

 ですから、この点をしっかり見定めて、いわば「競争する相手としての批判」を政策的には遠慮なくやることが、野党戦線全体の政策的な力を、自民党政治と対決する方向で発展的に強めてゆくうえでも、重要な意味をもつのです。

 何度も言いますが、基本姿勢として、こういう野党のあいだの政策論戦と、自民党、公明党にたいする批判「打倒する相手としての批判」とは明確に区別しなければなりません。こういう姿勢で、前向きの政策論戦を積極的にすすめてゆきたいと思います。


三、政権論

自民・公明の反共選挙戦略

 つぎに、政権論の問題です。冒頭、自公保三党の選挙戦略は、日本共産党の政権入りを許すかどうか、そこに攻撃の焦点を定めたということを話しました。これは、どうも自民党幹事長の野中氏と公明党のあいだでつくった選挙戦略のようです。

 四月二十八日に自民党幹事長室から、衆参の国会議員全員と党の都道府県連に緊急ファクスが入れられて、「演説用参考資料」というのが配られました。「『民主・共産政権』絶対阻止に向けて」、こう題するもので、“わが自公保政権の安定性にくらべて、民主・共産政権ができたら混乱と不安定だ”、それを図式にして、これで勝負しろ、という方針を打ち出したものでした。ほぼそれに前後して、「公明新聞」が「安定・改革の保守・中道政権か、不安・混乱の民主・共産連立か」の見出しで同じ選挙戦略をあおりたてました。「民主・共産連立政権」というのは、どの政党も決めたことのない“幻の政権”ですが、この“幻の政権”を相手にして“幻の闘争”をやろうという彼らの選挙戦略が、はっきりしたわけです。

ここには、日本共産党の政治的な比重の大きさの反映がある

 この選挙戦略には、はっきりいって二つの面があります。

 一つは、自民党が、選挙戦略として、共産党の政権入りを許すかどうか、これの是非を選挙の大争点として問題にした、ということです。

 これは、自民党の選挙戦略としては初めてのことで、そこにはそれだけの情勢の大変化があるのです。これまでの選挙をふりかえってみますと、だいたい、日本共産党が政権に入るなどということは頭から問題にしない、そういう、政局の枠外の政党として扱うというのが、自民党が長く一貫してとってきた態度でした。それがいまや、“日本共産党の政権入りが大問題だ”と言い立て、民主党批判もそれを主な材料にしてやる、こういう形で、だれが国政の担い手であるか、自民党がこれを共産党と争う、政権党である自民党が、このことを選挙戦最大の争点にしようというのです。ここには、情勢の変化が自民党の頭のなかにも反映せざるをえない、日本共産党の比重がそれだけ大きいものとして映らざるをえない、こういうことのあらわれがあります。これが一つの側面です。

「政策で勝負」を選挙戦の前面におしだそう

 もう一つの面は、彼らが「民主・共産連立政権」なるものをいかにもすでに決まった現実の政権構想のように描きだし、その“混乱”なるものと対比して、自分たちの現在の悪政を隠すという策略に出ていることです。国民のあいだに老後の不安がどんなに広がっても、「民主・共産政権の混乱」よりはまだましだろうとか、そういう架空のごまかしの論法で、悪政の現実から有権者の目をそらせよう、こういう反共戦略でいまの政治のひどい状態を覆い隠そう、これがこの選挙戦略に託された彼らの策略です。

 そこを見定めてみると、この攻撃を打ち破る打ち破り方がおのずから明りょうになってきます。

 これを打ち破る論戦の第一の方向は、「政策で勝負」ということです。だいたい架空の政権構想を相手どって、政権としてどちらが「安定」しているかを問題にすること自体が、すりかえなのです。問題は、国民にとってどんな政治が必要なのか、という政治の中身です。

 自民党政治が長年積み重ね、日本をゆきづまらせ、現在、自公保三党の連立が担っているこの悪政をこのまま続けることが、国民の利益にかなうのか、それとも、日本共産党が示している「日本改革」の提案が国民の期待にこたえるのか。どちらが、国民にとって安定であり、どちらが混乱・破たんなのかを、政策の中身で明確に対比する、これが第一の勝負であります。

政権問題――民主連合政府こそが「日本改革」を実行できる

 政策論戦の第二の方向は、政権問題でのわが党の見地を、明確に示すことです。

 私たちの政権目標の本命は、党大会で決めていますように、二十一世紀の早い時期に民主連合政府を樹立することです。ミニパンフレットでも、「政権についての考えは」のページで、「いちばんの目標は民主連合政府です」と書き、「私たちのめざす民主連合政府は、これまでのページでお読みいただいた『日本改革』の内容を確実に実行する政府です」と説明しています。これが、われわれの政権の目標です。

 この民主連合政府が実行すべき政策の内容が、第二十一回党大会以来の活動のなかで、「日本改革」の提案として具体化されてきました。「日本改革」の提案に示した諸改革を共同して実行することに大筋賛成できるという勢力ならば、だれとでも一緒に連合政権を組みましょう、というのがわれわれの基本態度です。

その条件が生まれたら、“よりましな政権”の協議にも参加する用意がある

 私たちの政権論のもう一つの大事な点は、わが党は、民主連合政府の基本目標を決めているからといって、それ以外の政権には目もくれないという、狭いかたくなな態度をとらないという点です。この問題は、前回九八年の参議院選挙直後に明らかにしました。民主連合政府をめざす途中の段階で、まだわれわれの「日本改革」の目標に賛成する連合ができる以前に、ともかく野党が多数になるなどして、“よりましな政権”をつくれる条件が生まれたら、われわれは、それを無視する態度はとりません。国民の立場に立って、“よりましな政権”をめざして、連合政権の協議に応じる用意があります、これが、一昨年の参議院選挙のあとで、われわれが打ち出した暫定政権の方針でした。

 あの参議院選挙は野党が過半数をとった選挙でした。次の総選挙で同じ結果が生まれ、野党が過半数になったときに、どういう態度をとるのかが、マスコミでも問題になりました。そういう情勢が生まれたとすると、日本共産党は民主連合政府が目標だから、それ以外の政府のことはいっさい問題にしないという態度をとるのか、そうなればみすみす自民党が少数でも政権を維持するのを助ける結果になります。それとも野党の連合政権の協議に参加するか、これが問われることになります。

 私たちは、この問題にたいして、野党の連合政権協議に参加する用意がありますという答えをだしたわけです。

 その時点では、当然、日本の政治を改革しようという私たちの立場について、これを大筋で賛成だという他の野党はまだ存在していません。とくに安保条約の問題では、他の党はすべて肯定論、存続論ですから。そういう状況でも、私たちは、国民の立場に立って、自民党政治から一歩でも二歩でも足を抜けだせるという条件があるなら、政権協議に参加する用意があるという立場を表明したのです。これは、いまも変わらない私たちの態度です。

 このように、野党の連合政権というのは、将来、その条件が生まれたときには、私たちはこういう態度をとりますよという態度表明をした問題であって、私たちの政権目標として提起した問題ではないのです。

 私たちが責任をもって提起している政権の目標、自民党政権、現在の自公保政権にたいして、この政権でこそ、日本の未来が開けると、しっかり固い地盤でおしだしている政権目標は、「日本改革」を実行する民主連合政府です。もちろん、この政府は、一回の総選挙でできるわけではありませんが、この総選挙で日本共産党が躍進すれば、その躍進が民主連合政府への道への大きな一歩前進となることは、間違いありません。

民主党の政権論をどう見るか

 次に、民主党がいまとっている政権論をどう見るか、という問題です。

 民主党はいま、「民主党単独政権」という方針をだしています。これは、率直にいって、明確な政治的立場から打ち出された政権論というよりも、どうも、連合相手を探しそこねて、結局、ここに落ちついたという印象があります。しかし、どの党にしても、自分のいちばん理想とする政権を描く権利はありますから、われわれはそのこと自体を批判するつもりはありません。しかし、いまは、長く政権をにぎっていた自民党でも、単独過半数の目標を出すことをためらっている状況ですから、民主党が、単独で過半数をとっての単独政権をめざすということ自体、現実性を欠いた政権論だという批評をよびおこすことは、否めないでしょう。

 そして、問題はその次にあります。もしこんどの選挙のあとで、民主党は単独過半数をえられなかったが、わが党などを合わせて野党全体では過半数をえたという状況が生まれたとき、どういう政権対応をするのか、民主党のいまの政権論は、この問題にたいする答えをもっていない、ということです。ある時期までは、鳩山代表は、共産党との政権共闘にいろいろ疑問をのべながらも、「すべての可能性に道は閉ざさない」という態度をのべていたこともありました。しかし、このごろは、それを言わなくなりました。そうなると、この党の政権論は、現実的な活路がなくなってしまいます。

 これにたいして、私たちの政権論の特徴は明白です。党の政権目標として、民主連合政権の旗を堂々とおしだし、これで「日本の改革」を実行するという立場と展望を一貫して明らかにしています。しかし、私たちは一〇〇%主義ではありません、その条件ができる以前に、野党連合政権の可能性が生まれたら、国民に責任を負う立場でまじめに対応します、そこまで、政権論をきちんと表明しているのです。しかし、民主党の政権論には、それだけの弾力性のある態度をとるゆとりがない、これがいまの政権問題なのです。

選挙戦で「野党連合政権」を目標にする条件はない

 ここまで説明したら、なぜ、私たちが、今回の総選挙で、「野党連合政

権」を目標の一つとする態度をとらないかは、おわかりいただけると思います。

 実際、政党が政権問題で連合するには、二つの条件が不可欠です。政策の一致点があることと、連合する意思をもつことの二つです。

 この角度から野党間の現状を見ますと、まず政策の問題です。さきほど、民主党の政策面の特徴について、またこの党が自民党政治にたいする政策的対抗軸をもちえないでいることについて話しましたが、わが党と民主党のあいだには、確認された政策の一致点は、きわめてかぎられたものしかありません。今年に入って、野党三党の党首会談を二回やりましたが、そこでの確認事項のなかで、政策にかかわるものは、「バラマキ・借金予算の無責任さを追及し、財政再建を先送りすることなく、その計画と展望の提示を要求する」の一項目だけです。確認していない問題でも、公共事業の削減を要求するとか、双方がかなり近い立場をとっているということは多少はありますが、確認された一致点は、いまの一項目以外にはありません。

 また、共闘の意思という問題では、民主党の側から、その意思を表明したことはありません。

 こういう状況ですから、七〇年代に、社会党などとのあいだで革新連合政権が問題になった当時とは、状況はまったく違うのです。

 七〇年代には、社会党は、わが党との政権共闘を非常にためらい、「全野党共闘」、つまり、公明党や民社党の参加という条件をつけたために、政権共闘は実現しませんでしたが、共闘の意思そのものを否定する態度はとりませんでした。また、政策面でも、革新三目標については、両党の党首会談でくりかえし確認しあいましたし、参議院選挙で、一つの県を対象にしてのことでしたが、両党の中央が包括的な政策協定を結んだこともありました。

 この点では、七〇年代の状況は、いまの野党の状況とはまったく違っていました。

 そういう意味で、野党の連合政権をわれわれの側から選挙戦の目標にできる条件は、存在していません。それはあくまで選挙の結果、自公が過半数を失って結果として野党が過半数になったときに、おのずから議論の日程に上ってくる問題なのです。そのときにわれわれは、対応の用意があるという態度を示しています。

 こういう政治状況ですから、私たちが選挙戦の政策論戦のなかで、自民党政治を打開する道はここにあるということを大いにおしだし、野党間でも、日本がすすむべき改革の道筋について積極的に論戦をたたかわせてゆくことが、選挙後の政局を考えても、野党陣営の政策的な対抗力を強くするうえでもいよいよ重要になります。

 私たちが、この選挙戦で、野党の連合政権を単純に政治目標にするような態度はとらないということは、いま説明したとおりですが、ただ野党が多数になればいいとする態度をとらないのも、当然のことです。野党間でも政策的に競いながら、選挙後の野党戦線をより強力にきずける足場を、わが党の躍進によってつくりあげる、これが大事なところです。


四、党のおしだし

広範な人びとに、党の値打ちを事実でわかってもらうこと

 次に、党のおしだしについてのべたいと思います。

 党のおしだしという場合、やはり問題は広範な有権者に党をわかってもらうこと、日本共産党の躍進によって国民と心の通う新しい政治をおこす、このことを裏づけるだけの党への共感と信頼を広げること、これが党のおしだしのいちばんの目標です。そのためには、いろいろな話が必要でしょう。

 いま、多様な新しい層の方がたが日本共産党に目を向けてくれています。先日、「しんぶん赤旗」に紹介しましたが、大阪の仏教会で長いあいだ副会長をやられていた方が、「日本改革」論にふれて「これで、自分の宗教者としての生き方が変わった」といわれたということを聞きました。

 このように、ほんとうに広範な方がたが、わが党や「日本改革」の提案に新たに目を向けてこられています。そこで、年来党を支持していただいている方がたのあいだでは“卒業ずみ”だという問題でも、新しい形で問題になってくることがあります。そういう点では、いろいろな偏見や誤解を解くことももちろん大事です。

 そして、そういう仕事をふくめて、全体として大事なこと、主要なことは、日本共産党の値打ちをおしだすこと、広範な人びとに党の値打ちをどうわかってもらうかです。

 この点では、語るべきことはたくさんあります。私は『現代史のなかで日本共産党を考える』というブックレットを昨年出して、毎年おこなっている日本共産党の創立記念日の講演などをまとめましたが、読みなおしてみますと、こういう講演でも、そのときどき、党の値打ちのどこをわかってもらおうかと思って話していて、そこにはいろいろな角度があります。

 五年前、一九九五年の党創立記念日の講演は、参院選の直後ということもあって、「公約を破ったことが一度もない党」という角度をまず第一におしだし、「大企業の横暴をおさえる力をもった党」、「どんな大国の横暴も認めない自主独立の党」、「ほんとうに未来のある党」と続け、この四つの角度から日本共産党について語りました。

 昨年の党創立記念日の講演では、「現代史のなかで日本共産党を考える」ということで、日本の最近の歴史のなかで、日本共産党がどういう役割をはたしてきたかに焦点をあて、第一に「どんな日本をめざすのか」ということで、党綱領にかかわる話を、第二に、ソ連・中国の大国主義、干渉主義とのたたかいが、現在の日本の政治でどういう意義をもっているかということで、「世界との関係――ソ連、中国の干渉を打ち破ったたたかいのなかで得たものがいまどこに生きているか」について、第三に、六〇年代以来の政治戦線の変遷をたどりながら、党がどういう活動でどういう情勢を切り開いてきたかについて、最後に、「政党としてどんな発展をしてきたのか」ということで、国民と結びついた党の姿を語る、こういう話をしました。

 これは、私自身の限られた経験ですが、わが党の姿を多くの人びとにわかってもらおうと思ったら、語るべき角度は無数にあるのです。ですから、党を語るとか党のおしだしとかいうとき、それをなにか型にはまった、決まり文句があるかのように考えないで、問題の要(かなめ)は、話し相手の有権者に、党の値打ちをわかってもらうことにあるという原点から出発して、自由闊達(かったつ)に話していただいたらいいと思います。

反共反撃でも、党への理解をひろげる反撃が大切

 そのなかで、当然、反共攻撃への反撃が問題になります。これは、日本共産党の値打ちを落とし、不信を広げようとして意図的にやってくる攻撃ですから、その攻撃の議論への反論が必要であることはもちろんですが、この場合でも、かけられた泥をぬぐうだけでは足りないのです。泥をぬぐいながら、その反撃を通じてわが党の値打ちをわかってもらうことが大切です。

 たとえば京都の市長選挙で、公明党が中心になって「共産党は反対だけが実績です」という、いまでは有名になった反共ビラがまかれたとき、私は最終盤の街頭で、その反論をおこないました。そのときも、その反論のなかで、もし日本共産党が、公明党がいうような「反対だけが実績」の政党なら、なぜ全国の地方議員の数が公明党を抜いて増えるのか、それは、住民が日本共産党の活動をよく知っているからこそです、という話をしました。地方議員数のこの数字は、パンフでもグラフにしてありますが、わが党が公明党を抜いたのは七〇年代のことで、いまでは議員総数で千数百人もの開きが出ています。「反対だけが実績」の党だったら、こんなに国民の信頼がひろがるはずがないのです。これは反撃であると同時に、「ああ、日本共産党というのは地方議員で第一党なのか」と、その面で党の値打ちを多くの人にわかってもらう反撃となりました。

 これは一例ですが、どんな場合でも、反共反撃を通じて日本共産党の値打ちをわかってもらうこと、またこんな無法な攻撃を意図的にしかけてくる反共政党の無法さをわかってもらうこと、そういう工夫に大いに力を入れる必要があると思います。

最近の反共攻撃の特徴――日本社会の未来論を問題にしている

 今度の選挙戦にむけての反共攻撃を考えてみますと、ここには、なかなか面白い特徴が出ています。

 自・公・保の三党が、共同での日本共産党攻撃の宣伝を計画しているようですが、何を問題にするのかというと、日本共産党は“最終的に「資本主義」「日米安保」「天皇制」を廃止しようともくろんでいる”、こういう危険な政党です、ということを最大の宣伝内容にしようとしているようです。

 これまでの反共攻撃は、デマを前面に押し立てての攻撃でした。「ソ連、中国の手先だ」とか、「暴力革命の党だ」とか、「一党独裁を狙っている」等々。私たちは、これがいかにデマであるかを実証して、徹底的に打ち破りました。

 それにくらべると、こんどの攻撃は性格が一味違ってきています。なにかというと、これは全部デマではないのです。「もくろんでいる」うんぬんなど、言葉は汚いですが、「資本主義」についても、「日米安保」についても、「天皇制」についても、私たちは、日本の社会がいつまでもこういう枠内にとどまらず、それをのりこえて発展してゆくことを望み、めざしています。彼らが、これまでの反共デマ宣伝から、わが党の綱領的な方針そのものに中心的な攻撃目標を移してきた、ということは、たいへん興味深いことです。

 反共主義がそういうところへこざるをえなかったのは、やはり歴史の前進の現れだと言ってよいでしょう。ここには、「ソ連、中国の手先」といった従来型のデマ宣伝が、昔のような形では通用しなくなったことが、現れています。もちろん、旧来型の攻撃もどんどんやってくるでしょうから、それを粉砕する反撃を軽くみてはいけませんが。

 この新しい攻撃のテーマは何かというと、一口でいえば、未来論なのです。日本共産党が日本の未来についてどういう展望をもっているか。「資本主義」や「日米安保」や「天皇制」が否定される日本の未来を展望しているのがけしからん。こういう攻撃です。つまり、これは、「資本主義」「日米安保」「天皇制」などが日本の未来にとって永久不変だと思い込んでいる勢力の、その立場からの攻撃なのです。

 それにくわえて、この未来論を、社会発展の段階を抜きに、いまの改革の問題と一緒にして、こんな党と民主党が連合政権を組んだらたいへんなことになるぞ、といっておどかそうというところに、彼らの手口のインチキさがあります。

 この点でいえば、民主党の幹部が、なぜ共産党と政権共闘ができないかの理由を説明する論理が、自・公・保のこの議論と共通していることも、注意をむけておくべきでしょう。民主党の幹部で、「綱領がいまのままでは一緒にやれない」という人がよくいます。マスコミからこの問題を聞かれたとき、私が「自分の綱領もつくっていない党が、ほかの党の綱領のことをよくも言うものだね」と答えますと、たいてい大笑いで終わります。実際、民主党はまだ綱領をつくっていないのですから。

 ただ、この問題の基本点をもう少したちいってのべておきますと、そもそも政党というものは、独自の党をつくって活動している以上、将来の日本の進路について違った展望をもったり、結党の理念や世界観が違ったりするのは、当たり前の話です。たがいに違った性格や目標をもった政党が、いまの間違った政治を変えようということで協力しあう、そして一致点を確認しあって、その実現のために共闘の信義をつくす、これが政党間の共同闘争あるいは統一戦線です。この共闘が政権共闘にまですすむ場合も、原理は同じです。民主党がいうように、未来展望から世界観まで一緒であることを求めるというのは、政党の合同と政党間の共闘とを混同した議論だというべきでしょう。

 政党間共闘の問題が政界で激しく議論された七〇年代には、いま説明したような共闘の原理は、おたがいに当然の前提として議論しあったものでした。

 その共闘の論理を頭から否定した議論が、自・公・保三党からも、民主党の幹部からも持ち出されるということは、政党間の共闘という問題での、いまの政界の立ち遅れを現しているといってよいでしょう。なにしろ、一九八〇年の「社公合意」以後、「日本共産党をのぞく」が国会の支配的な枠組みとなり、政党間の本格的な共闘が問題にならない時代が長くつづきましたから。新しい政治の流れをおこしてゆくには、こういう混迷も、道理をもってのりこえてゆかなければなりません。

「資本主義」「日米安保」「天皇制」などの問題について

 自・公・保三党が問題にしている未来論そのものを見てみましょう。彼らが「こんな危険なことを……」といって問題にしている日本共産党の立場は、どの項目も、ほんとうに社会の進歩の立場に立つ者なら、日本社会の未来にとって当たり前の展望です。

 自・公・保三党が、日本の未来を「資本主義」も「日米安保」も「天皇制」も永久不変の社会として描きだすことは自由ですが、他の政党が日本の未来について自分たちと違う考えをもっているからといって、それをさも「危険思想」のように言い立てて攻撃するのは、まったく道理のない話です。こういう攻撃を耳にし目にしたら、多くの人たちが、自・公・保三党について、「いったいこの人たちは、自分たちの思い込みを、未来永劫(えいごう)、日本の国民に押しつけるつもりか」と首をかしげるのではないでしょうか。

 一つ一つ見てみましょう。

 (1)まず「資本主義」ですが、利潤追求を最高の原理とする資本主義が永久不変の体制ではありえない、二十一世紀にその是非が問題になってくるというのは、いまや世界の常識です。私は昨年、東南アジア諸国を歴訪したさい、マレーシアをはじめて訪問しましたが、そのマレーシアのマハティール首相は、日本の新聞への連載の寄稿のなかで、ソ連の崩壊後、「資本主義の本当の醜さが露呈した」、「資本主義」が「権力をほしいままにする」のを放っておいていいのか、という痛烈な告発をやっています(「毎日」一月十日付)。

 だいたい自・公・保のなかでも、公明党は、少なくとも七〇年代までは、資本主義は「生産第一主義、利潤第一主義」で環境も人間性も破壊すると、資本主義批判を公然の旗印にしてきた政党です。彼らが、その後、自民党に同調して、以前の旗印を捨てたからといって、資本主義批判を危険思想扱いする根拠はどこにもないはずです。

 だいたい、人間社会の進歩、世界の進歩を展望する立場に立てば、人類の未来を、資本主義の利潤追求の枠のなかに永久に閉じこめるなどといった立場に立てないのは、当たり前の話ではありませんか。

 (2)天皇制はどうか。一人の個人や一つの家族が、代々国民の象徴になるという君主制が、主権在民の民主主義に逆行することは自明です。世界の流れも、君主制をのりこえ、主権在民を徹底する方向に大きく流れています。

 いま世界に国連加盟国が百八十八カ国ありますが、君主制の国はわずか二十九カ国しかありません。共和制が圧倒的に世界的原理になっているのです。だから、ほんとうの民主主義の立場に立つならば、日本の将来を、君主制をのりこえてゆく方向で展望するのは、これまた当たり前のことです。

 (3)日米安保条約はどうか。安保条約をなくす考えを「危険思想」扱いする自・公・保の言い分を聞くと、いったいあなた方は日本を永久にアメリカの軍事基地の鎖に縛りつけておくつもりかと、こちらから反問をかえしたくなります。

 このように、日本の未来を語る場合、国民が主人公の立場で、経済体制の問題でも、君主制の問題でも、軍事同盟でも、現状をのりこえる大きな展望と見通しをもっているということは、日本共産党のまさに誇るべき点の一つです。そして、そういう大きな見通しをもっている党であるからこそ、日本共産党は、今日ただいまの問題でも、民主主義・独立・平和の立場から、国民の利益と道理にかなった当面的な解決策を大胆に提起することができるのです。

国民多数の意思で一歩一歩よりよい社会をめざす

 しかも大事なことは、自・公・保が問題にしているどんな改革についても、私たちは、「国民が主人公」をつらぬく、国民多数の支持のもとに決定し実行するという立場をつらぬいていることです。資本主義の問題でも、私たちは、いますぐの問題として、資本主義の克服を問題にしているわけではありません。それが問題になるのは、日本の社会が熟して、そのことが国民的課題になってくるときのことです。天皇制の廃止についても、同じことです。

 私たちは、どの問題についても、それらの改革が社会発展のどの段階で国民的な問題になるのかをよく考えて、それが今日の問題として避けられない課題になると考えるときには、国民のみなさんの前に率直に問題提起をします。このことは、党の綱領の根本を流れているいちばん大事な考え方です。

 パンフレットのいちばん最後のページに、「綱領とは」という部分があります。ここでは、「資本主義」論とか「天皇制」論とか、個々のことはいっていませんが、「一歩一歩よりよい社会をめざす」と書いてあるのは、その考え方を説明しているのです。実際、自・公・保が三つ並べてとりあげているもののなかで、私たちが「日本改革」の提案のなかでいま問題にしているのは、日米安保条約の廃棄の課題にとりくむことだけです。それも、国民多数の世論が熟することが大前提で、それまでは、平和外交、自主外交への転換にまずとりくもうではないか、と提案していることは、さきほど説明したとおりです。

 こういうことをきちんと見きわめれば、彼らの反共攻撃の無力さが、よくわかると思います。相手は、これで、なにかわが党の痛いところをついた気でいるのかもしれませんが、私たちが、日本の未来論を大いに語り、同時にまた、今日どういう立場から当面の「日本改革」を提案しているのかについて語れば、こんな攻撃は思いのままに打ち破ることができます。

 だいたい、日本社会の進歩の大きな展望に目を向けながら、国民多数の意思で、当面、機の熟している改革を一歩一歩着実にやり遂げてゆくということは、多くの人びとの期待と希望にこたえる日本社会の発展の道筋であります。その大道に立っているところに、われわれの「日本改革」の提案の大きな特徴があるわけで、ここでも日本共産党の真の姿を大きく訴えて、躍進の力にしてゆきたいと思います。


五、選挙戦の構え

死力をつくしてこそ、党の前進がある

 最後に、選挙戦の構えです。

 相手側が日本共産党に攻撃の照準を集中しているということは、わが党が果たしている役割の大きさの反映ですけれども、同時に今度の選挙戦の容易ならない厳しさを示しています。たいへんな激戦になると思います。公明党・創価学会の動きを見ても、だいたい彼らの力を集中するのは、自民党との協定で公明党候補が立つところですが、自民党の候補のところでも、もし共産党が力を伸ばしてきて、自民党が危なくなったら、全面的に出動して、共産党候補の当選だけは絶対阻止する、という方針を決めている、ということも聞こえてきます。いわばいざというときの“有事出動”の体制で、それくらい、日本共産党の前進を阻止するためには何でもやるということで組まれているのが、いまの自公連合です。

 こんどの選挙戦は、反共諸党の共産党との対決を軸として、各党の存亡をかけての選挙戦という様相を非常に深めています。そういう激戦ですから、われわれはこの選挙のその様相をしっかりとらえて、いささかも甘くならない、そしてほんとうに、われわれが死力をつくし、全力をそそぎこんでこそ前進があるということを、全党が肝に銘じてがんばりたいと思います。

 マスコミの選挙予想というのはいろいろあります。全体としていうと、これまでわが党が票を伸ばしてきた、またこんども伸ばすだろうというのがいわば常識的な前提になっていて、日本共産党はこれぐらいは伸びるだろうなどの予想を気楽にやっています。もし私たちが、そういう「予想」に多少でもとらわれて、わが党の前進を黙っていても手に入る“既定の事実”と見るなどの思い込みに少しでもおちいったら、事態はたいへんなことになります。

 しかも、われわれは前回、比例選挙で二十四議席をとりましたが、その比例の議席定数が二十削減されました。削減された定数のもとで、それぞれの比例ブロックで現有議席を確保すること自体が、たいへんな闘争ではじめてかちとられる目標です。まして、中央委員会総会で決めたように、各比例ブロックで少なくとも一議席以上を増やすという目標を達成するには、ほんとうに死力をつくしての闘争が必要です。

 さらに小選挙区については、われわれは大胆にたたかうけれど、相手側はさっきいいましたように、自民党だけの力で足りなければ、それこそ反共勢力の総動員で共産党の進出だけはおさえるということを基本方針にしてかかってきています。

 そのなかで、われわれが議席と得票の前進をかちとることは、容易な課題ではけっしてありません。死力をつくしてのたたかいの総決算として、はじめて得られるのだということを、もう選挙までわずかな期間ですから、それこそほんとうに肝に銘じ徹底して悔いのないたたかいをやりたいと思います。

 もちろん情勢の全体からいえば、わが党が奮闘すれば、大きな躍進をやり遂げる可能性は客観的に存在しています。それは、何よりも、冒頭に言ったような自民党政治のゆきづまりとわが党への期待の広がりにあります。自民党政治のゆきづまりが国民の暮らしの現実となって、八割を超える人がいまの政治のもとでは、前途に希望を失っています。そして、多くの人たちが希望を託す道を模索して、いままでわが党を視野にいれなかった方がたが、その模索のなかから、わが党に期待の目を向けてきています。これは明白な事実です。この客観的条件は、いままでのどの選挙にもなかったものですが、この条件も、黙っていて、自動的にわが党の前進のバネになるわけではないのです。この条件を前進の力としてとらえうるかどうかは、文字どおり、わが党の主体的奮闘にかかっています。

 投票日まであと四十日くらいになったのに、なかなか党全体がその気分になっていないなどの話をよく聞きますが、そんな状態を一刻も早く取り払って、文字どおりすべての地区、すべての支部、すべての党員が部署について、多くの支持者・後援会員によびかける、そしていま模索している無党派の人びとに呼びかける、ただちにそういう活動で全国的に大波をおこす。これがもう文字どおり、まったなしの課題として求められていることを強調したいと思うのです。

日本共産党支持の大波をいかにしてつくりだすか

 選挙戦の方針については、四月の都道府県委員長会議で報告しましたので、あえて繰り返しませんが、一つだけいっておきますと、都道府県委員長会議の報告の後半部分でのべた比例と選挙区の関係はいまでも非常に大事です。

 比例ということは、日本共産党支持の大波をいかにしてつくりだすかということです。この波をその県、その地方・地域でつくりださないと、小選挙区の勝負というのは問題にならないのです。それが基礎なのです。

 政党の支持を争う選挙戦のなかで、ほんとうに日本共産党に政治をまかせようじゃないかという大波を、あらゆる県・地方でおこす。そのうえにさらに選挙区でのプラスアルファの前進があって、はじめて小選挙区の議席に届きうるのです。これからもそのことを選挙戦全体の取り組みのなかで本気で徹底してもらいたい。

 党の指導機関はもちろんそうです。その目で選挙戦をみる。小選挙区の争いから出発して、そこから選挙戦を見てゆくようなたたかい方では、どうしても話も取り組みも小さくなります。総選挙のような全国的な規模の選挙戦では、日本共産党をおしだす方が、一人ひとりの候補者をおしだすよりも、全県的、全党的な力が本格的に発揮されます。そのうえに候補者のプラスアルファがあって、はじめて小選挙区も勝負になる。

 そして、候補者についていいますと、これから四十日間の選挙期間中、選挙区をとってみると、いろいろな応援弁士もはいるでしょうし、比例の候補者もはいるでしょうが、その地域でいちばん有権者に訴え続けるのが選挙区の候補者であることはおそらく間違いないことでしょう。だから、日本共産党支持の大波をつくりだすための弁士といえば、やはり中心になるのは選挙区の候補者です。そんなことはまずないと思いますが、選挙区の候補者が、自分は選挙区の候補者の宣伝、ほかから来た弁士が日本共産党の宣伝と分業のように考えてしまったら、選挙区の候補者も小さくなるし、選挙戦全体が小さくなるのです。

 そういう点で、日本共産党を支持し、日本共産党とともに国民と心の通う新しい政治をおこす、そういう大波をつくりあげてゆくことを、何よりの旗印にしてがんばりたいと思います。

 以上で報告を終わります。


 【後記】この報告をおこなった五月十五日の夜、「日本は天皇を中心とする神の国」だという森首相の発言がおこなわれました。この発言は、森内閣の反動的な正体を一挙に明るみにだしました。報告でとりあげた森首相の教育勅語復活論も、その基礎は、戦前の体制の復活を願う森首相のこの政治信条にあったのでした。

 私は、森発言が明るみにでた五月十六日の談話で、戦前の「神国日本」を復活させようとする森発言の重大性を指摘し、「国民の審判を待つまでもなく、退陣する」ことを求めました。そして、十七日に予定されていたクエスチョンタイムでは、雇用問題ではなく、「神の国」発言をとりあげて追及する旨、政府に通告しましたが、政府・自民党側は、勝手な口実をもちだして、この週のクエスチョンタイムそのものを流してしまうという乱暴な手段に出ました。

 森首相への退陣要求は、翌十七日には、野党四党の共同の要求となり、“この政権にこのまま国政をまかせてはおけない”の声は、国会外でもみるみる大きなうねりとなって広がっています。

 まさに一日一日が政治の様相を変化させる、文字どおりの激動と波乱の時代です。情勢の変動に的確に対応しながら、政治の流れを変える国民的な大運動をくりひろげ、それを選挙戦での党躍進の成果に実らせるために、全力をつくそうではありませんか。


もどる

機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


著作権:日本共産党中央委員会 
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp