日本共産党全国都道府県委員長会議

志位書記局長の報告

1999年10月22日「しんぶん赤旗」

 志位和夫書記局長が十月二十日の全国都道府県委員長会議でおこなった報告とまとめは大要つぎのとおりです。


はじめに――会議の目的について

 みなさん、ごくろうさまです。この会議への報告をおこないます。

 四中総で、「総選挙をめざす党躍進の大運動」を提起してから四カ月がたちました。折り返し点をすぎて、これまでの運動の成果を実らせることができるかどうかの大事な場面にきています。

 きょうの会議の目的は、大運動のとりくみの四カ月の到達点にたって、今後の強化方向について、中央と地方の経験をおたがいに学びあいながら意思統一をはかるというところにあります。

 方針の基本は、党大会の決定と四中総決定でしめされています。私の報告は、それを前提にして、三つの角度から問題提起的におこない、討論で深めていただきたいと思います。

1、総選挙を前にしての政治情勢をどうとらえ、どうたちむかうか

(1)自自公体制――危険性と、展望のなさの両面をつかんで

 第一は、総選挙を前にしての政治情勢をどうとらえ、どうたちむかうのかという問題です。自自公体制をどうとらえ、どういう立場で対決していくのかという政治的構えをしっかりつくることは、総選挙のとりくみにとっても、大運動のとりくみの発展にとっても、たいへん大切であります。

 自自公体制がつくられたさい、不破委員長が、この体制は「数はあるが中身なし」という指摘をしました。私は、この指摘は、たいへん的確で、もっとも底をついた本質的な批判だと思います。

 一面では、この体制というのは、”数の暴走”で数々の悪法を強行してきましたし、今後もその暴走の危険性をもった体制です。こんどの臨時国会にのぞむ彼らの基本姿勢をみても、衆院の比例代表定数の削減を、国会の冒頭で処理するという、国民の民意を切り捨てる方向での改悪を、彼らの”初仕事”にしようとしています。これはこの体制の危険を象徴するものです。そうした危険性を告発し、正面からたたかう。これが私たちの姿勢として重要であることはいうまでもありません。

 同時に、この体制は、日本の政治が直面している諸問題について、それを解決する展望をしめす力をもたない体制です。あらゆる分野で当事者能力をもたない、「中身のない」流れであります。このことをあきらかにして、それと対置して、日本共産党が、どんな問題でも国民の立場で建設的な解決策をもつ党である、「中身」がもっともたっぷりと充実している党である、そのことをしめして、国民が大きく展望をつかめるように、党の姿を押しだしていくというのが大事な点であります。

 この両面が大切です。この体制の危険性と同時に、展望のなさが特徴であるということをよくつかむ。わが党の姿勢としては、悪政と正面から対決しながら、わが党の「日本改革論」、わが党の全体像をおおいに語り、展望を語る。このことがいまの情勢論と政治的構えのかなめをなす問題です。

 一部に、危険性の面だけをみて、「どうも国民は押されっぱなしだ」「日本の前途は暗い方向にただ一直線にいっている」というとらえ方があります。しかし、そういう感じになりますと、ほんとうの情勢はつかめません。危険を直視しつつ、その危険を乗り越える展望をわが党がもっているということをよくつかんで、これにおおいに意気軒〓(けんこう)にたちむかう必要があります。

(2)どの分野でも、日本共産党こそが現状打開の建設的展望しめす

 いまわが国が直面している国政上のどの問題をみても、いまのべたことは鮮やかにあらわれています。

原子力事故――「安全神話」「プルトニウム路線」の危険性を早くから警告

 この間、わが国史上最悪の原子力事故が、茨城県東海村の核燃料施設で起こりました。ところが、政府の対応をみてますと、ああいう史上最悪の事故に直面しながら、そこから本質的な教訓を学び、本質的な対策をたてようという姿勢は、はっきりいってかけらもみられません。

 わが国の原子力行政が、国際的にみて、二重の意味で異常きわまりないものであるということを、こんどの事故は明るみにだしました。

 一つは、「安全神話」への固執です。あの事故の直接の原因が、工場の違法な作業手順によって引き起こされたということは明りょうですが、事故の根本を調べていきますと、政府の安全審査のずさんさ、そして安全審査体制がまったく弱いという大問題につきあたります。

 誤った手順で作業をやれば、臨界事故が起こりうる設計の施設を許可していた。そして臨界事故が起こった場合に、対処方法がまったくない施設を許可していた。そのもとで違法な作業がやられたわけですが、それがやられていてもチェックがまったくやられていない状況が長期にわたってつづいていた。これらはすべて、行政の深刻な責任です。

 その根本にある思想というのは、「事故は起こるはずがない」という「安全神話」です。ところが、政府の対応をみていますと、ここから教訓を引きだして、国民の命をまもることよりも、「安全神話」をまもることが大事だというものです。

 いま一つ、「プルトニウム路線」への異常なのめりこみも、日本はきわだっています。原子力発電所の使用済み核燃料を再処理して、そこからプルトニウムを取りだし、それをさらに再利用する。これが政府のいう、「プルトニウム循環路線」ですが、これはすでに大きな破たんに直面しています。こんどの事故も、「常陽」というプルトニウムを使う高速炉用の高濃縮ウランの製造過程で起こったという点が重大です。

 主要国を調べましても、日本のような原発大増設、「プルトニウム循環路線」に固執している国は、ほかにありません。「もんじゅ」の事故がしめすように、高速増殖炉の技術的な破たんは明りょうです。しかし、これをあくまでやめようとしない。そして、プルトニウムがあまったということで、それを軽水炉で燃やすという、その場しのぎの「プルサーマル計画」に全国で乗りだそうとしています。危険きわまりない道です。

 日本の原子力行政については、国際的にもきびしい批判がよせられました。アメリカの核管理研究所は声明をだして、「高速増殖炉の推進をやめ、軽水炉の安全性の改善にとりくむべきだ」という、かなりつよい調子での批判をしています。

 ここで大事なことは、「安全神話」と「プルトニウム路線」という二つの問題での重大な危険性について、わが党は事故が起こってから問題にしているわけではないのです。すでに、一九七〇年代から、国会でも一貫してこの問題を追及し、党として警告しつづけてきたのが、この二つの大問題です。そういう意味で、党の政策的先駆性が、ここでも浮きぼりになっているということが、大事なことです。

 この事故が起こった後に、党本部にはたくさんの電話がかかってきました。「やはり共産党が主張しているとおりになった」、「国民の命をまもるためには、共産党に頑張ってもらうしかない」という電話が、たくさんかかってきています。これは私たちが一貫してこの問題を早くから取り上げてきたことの、国民の信頼と期待のあらわれだと思います。そういう党として、政府の原子力政策、エネルギー政策の根本的転換を、つよくもとめていくものです。

外交――軍事一本やりの危険に反対するとともに、道理ある外交解決の道しめす

 外交ではどうか。いまの小渕政権、自自公体制の特徴は、外交不在で軍事一本やり、というところにあります。戦争法の強行につづいて、自自公の政権合意では、国連平和維持軍(PKF)の参加凍結の解除や多国籍軍への参加などの海外派兵の拡大、有事法制など、憲法の平和原則を踏み破るキナ臭い話ばかりです。

 昨日大問題になりましたけれども、自由党からはいった防衛政務次官の西村真悟氏がある雑誌で、「日本は核武装を国会で検討すべきだ」という発言をして、大きな問題となりました。私は、昨日、罷免の要求をしました。そういう”超タカ派”まで抱え込んで、軍事一本やりの危険が増幅する。これがいまの政権の特徴になっています。

 こういう立場というのは、二重に日本の立場を危うくします。万一軍事対決が起こったら、日本は、主権国家としての判断もなしに自動参戦となり、日本国民はもっとも危険な立場に立たされます。逆に、世界の世論がいちばん望んでいる平和の方向に事態がすすめば、日本は外交の備え、平和の備えがなく、日本だけが取り残されるという状況になります。どちらにいっても先がない。この両面からの批判がいま大事になっています。

 そして現局面のアジア情勢の特徴をいいますと、そういう外交不在の軍事一本やりという日本政府の立場が、アジアの状況にあわなくなり、通用しなくなっているところに特徴があります。

 たとえば、北朝鮮問題です。北朝鮮との問題で、韓国は、金大中(キム・デジュン)大統領のもとで、包容政策という対話と協調に重心をおいた外交政策を追求しています。アメリカも軍事一本やりではなく、軍事で相手を脅しながら、外交的解決を探るという方向に重心を移しています。このことは、この間のペリー前国防長官の訪朝と米朝合意にしめされました。北朝鮮も冒険をやめるという方向が大勢になっています。

 この変化には、一九九四年の北朝鮮危機から、それぞれがある教訓を引きだしたということがあげられます。かりに戦争になったらおびただしい人命が失われることが、あの危機をつうじてあきらかになりました。あの瀬戸際の状況に直面して、それぞれが教訓を引きだした。ペリー報告をみましても、かりに戦争になれば数十万人の死者がでて、数百万人の難民がつくられる、ということを指摘しています。そういう教訓をそれぞれが導いたわけです。ところが、日本政府だけは、九四年の危機の段階のところで、思考が停止したままです。客観情勢が変わっているのに、相変わらず軍事一本やりをつづけている。外交ルートをもつ本気の努力もせず、外交では一人取り残された惨めなありさまを呈しているのが、日本政府であります。

 この点でも、わが党の先駆的な役割が、大事です。すでに一月の国会で、わが党は、日本政府が「北朝鮮との外交ルートをもつ真剣な努力をするべき」だということ、「先制攻撃にくみしないという明確な態度表明をするべき」だということ、この二つの問題提起をしました。この問題提起はいまのように北朝鮮の情勢が外交解決の方向に動くかどうかはわからないという局面でなされた提起ですけれども、その後の情勢の展開にてらしたときに、その先駆性は鮮やかだと思います。

 昨日の幹部会で報告されたことですが、参議院の国際問題調査会の超党派の訪問団が、アメリカと韓国にいってきました。わが党からは、吉岡吉典議員が参加しました。そこで、ペリー報告がいろいろと議論になった。調査団のほかのメンバーからは、この報告は、北朝鮮に甘すぎるのではないか、もっと軍事の備えをつよめる必要があるのではないかと、そういう立場から不満めいた質問がでる。それにたいして吉岡さんはわが党の立場から、外交的解決に踏みだしたということについては評価するということ、日本政府がもっと外交的解決のための努力をする必要があるという立場から冷静な発言をする。そうしますと、アメリカの国務省の側が、わが党の代表の発言にいちばんうなずいてきいている。終わった後、日本からの代表団のほかのメンバーからも、わが党の発言に、「これだったら政権を任せられる」とか、「外交も任せられる」という声がでたそうです。それくらいわが党の立場が道理をもつのです。

 もちろんアメリカは、軍事的対応の選択を捨てたわけではありません。いま彼らが追求している外交解決も、軍事の脅迫を背景にしているという問題もあります。しかし、そういうアメリカも軍事一本やりでなく、外交解決をもう一つの選択肢としてもち、それを追求することがある。そういう変化が起こったときに、わが党の方針がいよいよ生きて働いていくという点は、たいへん大事な点であります。

 東南アジアの訪問については、さきほど委員長がくわしく報告しました。東南アジアで、非同盟、非核兵器、平和的な話し合いによる解決という積極的な流れが、力づよくわき起こっているということが、たいへん印象深く報告されました。この点でも日本政府の逆行ぶりは際立っています。わが党の路線の先駆性も際立っています。委員長が先日の日本武道館での講演のなかで、「日本共産党の改革論が世界で通用する」ということを実感をもって報告しましたが、これは全党と心ある多くの人々を励ますものであったと、私は思います。

 安保・外交問題でも、一方でたしかに危険性はある。この告発と追及は大事ですけれど、同時にわが党がアジアの流れにかなった、大きな展望をもっている、解決方向をもっているということをよくつかんで、訴えていくことが大切です。そして、その立場から自主・自立の野党外交を積極果敢に追求している党だということも、おおいに国民に知らせていくべき党の値うちであります。

内政――雇用でも、財政でも、経済の民主的改革が国民的要請に   

 内政の問題についていいますと、ここでも、大企業の目先の利潤追求の応援だけの政治が、あらゆる面で国民生活に苦難を押しつけるだけでなく、日本経済全体を荒廃に導きつつあるというのが、重大な点です。

 たとえば、大企業がリストラ競争をやる、それを応援するという政治が、異常な熱心さをもって展開されました。そのことによってどういう風潮がつくられているか。企業が人減らし計画を発表すると、その企業の株が上がるという、経済の異常な退廃現象が生まれています。そして、それが雇用不安を加速させ、不況の悪化との悪循環をつくり、日本経済を土台からこわしつつあります。それにくわえて、この道では、企業自体がたちゆかなくなるという矛盾を引き起こしつつあります。

 トヨタの奥田会長が、最近『文芸春秋』に、「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」という論文を書いて、ずいぶん話題になりました。そこで奥田氏は、”人減らしをやれば、働く人の信頼をなくし、長期的には企業の競争力を落とすことになる”とのべ、このままいったら危ないという不安がその論文では表明されていました。もちろん、トヨタも、この論文の言明に反して、しっかり人減らし計画をすすめているわけですけれども、しかし、経営者からもそういう不安と批判の声が起こるぐらい、いまの政治と経済の実態は異常です。ですから”ルールなき資本主義をただせ”というわが党の主張が、これまでにない多くの人々の心をとらえて、国民的な要請になる条件がひろがっているといえると思います。

 財政の問題をみましても、ゼネコンと大銀行への財政投入による国家財政の食いつぶしが、六百兆円の財政赤字というみぞうの破滅的状況をつくっています。これが、国民生活に、どの分野でもあつれきをもたらす元凶になっています。いま介護保険をめぐって、さまざまな矛盾がふきでていますけれども、その根本には、この保険導入を機に、三千四百億円の財政支出の削減をはかるという社会保障切り捨て政策があることは、私たちがこの間一貫して指摘してきた問題です。

 この自自公体制は、財政の問題をとっても、ひどい財政破たんをどうするかの展望も方策もまったくありません。”放漫財政連合”ともいうべき、なんの反省もなく、競い合って野放図な税金の流出政策をつづけるという体制です。同時に、これは”増税連合”でもあります。自自公合意に「消費税の福祉目的税化」ということが明記されましたけれど、これは近い将来に消費税増税の道をひらくことにほかなりません。

 ですから財政政策でも、その民主的な大転換が、国民的な課題になっています。とりわけ、ゼネコンと大銀行への財政流出の政策を中止させる、この二つの蛇口をきちっと閉めて税金の流出を止める、ということが急務となっています。

 国民経済にとって重要な二つの分野について、ことし、その基本法があいついで改悪されようとしていることも重大です。

 農業の分野では、新農業基本法がつくられました。この法律では、農産物の輸入依存ということが明記され、価格保障政策を放棄するという方向がうちだされました。その具体化として、いま全国で大問題になっているのは、「豊作分はエサ米にして捨て値で売れ」というコメ政策です。「一俵六百円で売れ」ということもいわれ、「コメ一俵の値段がラーメン一杯分か」と、たいへんな怒りがいま農村でひろがっています。こういう方向では、ここまで深刻になった食料自給率の低下をいっそうひどくするものです。

 中小企業基本法の改悪が、こんどの臨時国会でおこなわれようとしていることも重大です。これまでの中小企業基本法にまがりなりにもあった、大企業と中小企業との「格差の是正」、中小企業全体の「底上げ」をはかるという立場を、放棄しようとしています。対策をごく一部のベンチャー企業に限定し、大多数は放りだす。日本経済を土台からささえている主役を見殺しにする政策が、すすめられようとしています。これは臨時国会での大きな主題の一つとなりますが、わが党の中小企業政策を発展させ、この悪政の流れにたちむかっていきたいと思います。

 自自公合意では、政治資金規正法で、来年一月から「禁止」、「見直し」の対象とされている企業・団体献金問題を、現状のまま先送りにするということも盛り込まれました。この数年間のことをふりかえってみると、企業献金というものが政治腐敗の元凶であるだけでなく、大企業中心に政治をゆがめる根源にあるということが、大銀行の献金、ゼネコンの献金、製薬業界からの献金などをもらって、その業界の応援をするという政治の実態によって雄弁にしめされました。企業献金の禁止、政党助成法の撤廃の課題は、国民に顔をむけたまともな政治をつくるうえでも急務となっています。

 エネルギー、外交、内政、いろいろな角度からみてきましたけれど、どの分野でも悪政推進が危険であるとともに、その悪政の道に展望がない、これが重要な点です。これにたいして、日本共産党こそ、その打開の建設的な展望をもっている党であるということ、われわれが大会で確認した二十一世紀の早い時期の民主的政権の国民的な必然性があらゆる分野で明りょうになっていることを大きく訴えて、それをつうじて、自自公による自民党政治の継続強化か、日本共産党による新しい政治をおこすのか、という総選挙の争点を、国民的に浮きぼりにしていこうではありませんか。

(3)公明党の政権参加――日本社会の精神支配が政界進出の原点

 つぎに公明党の政権参加の問題についてのべます。これも自自公体制の危険性をしめすとともに、そのアキレス腱(けん)となっている問題です。この間の世論調査でも、多くの有識者の声でも、この問題へのしんらつな批判が大きくひろがっています。

 国民の多くの不安は、創価学会・公明党が、普通の宗教団体・宗教政党ではない、というところにあります。ヨーロッパには、いろいろなキリスト教系の宗教政党があります。しかしこれらの政党というのは、特定の宗派とむすびついたものではなく、キリスト教の一般的な精神を背景に政治をすすめようというものです。ですからこれらの党の政界進出ということは、どの国でも政教一致の問題として問題になりません。ところが創価学会・公明党というのは、これとはまったく異質で、特異な、教団であり政党なのです。

 それではその特異性がどこにあるかといいますと、自分たちの宗教を、国の宗教にして、日本社会を精神的に支配する、これがこの教団が政界進出をはかるさいの唯一の目的だったということです。創価学会第二代会長の戸田城聖氏は、当時、「われらが政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」といいました。当時の学会の幹部は、「そのためにはどうしても王仏冥合の実現をはからなければなりません。創価学会が政治に関心をもつゆえんは、じつにここに由来する」とのべています。これだけが目的であり関心だということを明言して、政界進出をはかったわけです。

 そして、この問題と表裏一体の大問題は、そうした自分たちの目的の障害になるものは、すべて「邪宗教」として「撲滅」の対象にするという立場です。池田大作氏は、一九六〇年に会長に就任したときの演説でこういっています。「敵は邪宗教です。邪宗教は人々を地獄に落とす。…恩師戸田城聖先生の邪宗撲滅の大精神を精神として、今、ふたたび門下生一同は、邪宗撲滅に猛然とおそいかかっていきたい」。その当時の聖教新聞の社説では、「これ(国立戒壇の建立)は大折伏の結果国を挙げて日蓮正宗の信徒となってこの吾が国から一切の邪宗教群を一掃し終った際に、国会の議決によって決定されなければならない」とのべています。つまり、ありとあらゆる「邪宗教」をすべて「撲滅」し終わったあとに、彼らの大目的が達成できるんだという位置づけなのです。

 くわえて、これも池田大作氏の講義のなかにあるのですが、「邪宗教だけが無間地獄に堕ちるものでない」、自分たちの障害になるものはすべて「天魔」であり、「彼らも、無間地獄に堕ちることを免れないのである」としています。彼らからみた「邪思想」も、「撲滅」の対象になるということものべているのです。

 この歴史は消えないのです。こうした異常な目的と体質が、一九六九年の言論出版妨害事件を引き起こしました。彼らは反省を迫られ、表面上は一定の手直しを余儀なくされました。しかしこの目的と体質は変わったのか。たとえば「邪宗教」の「撲滅」という民主主義じゅうりんの主張は、その後も一度も公式に撤回されたことはありません。いまも彼らの新聞をみますと、日蓮正宗の本山を「日顕宗」といって、「日顕宗を撲滅する」のが学会の使命だという立場からの記事が、毎日のようにのっています。それから、「共産党を日本の政治から追いだせ」という異常な反共主義は、われわれが体験しているところでありますけれども、この教団がみずからの障害になるものを、「撲滅」の対象とする体質をもっているということは、そこからもあきらかです。選挙の実態にてらして、かつての「政教分離」という公約がまもられたとはとうていいえないこともあきらかだろうと思います。「王仏冥合(みょうごう)」については、「この理念は変わっていない、生きている」というのが、創価学会が、いまでも取っている公式な立場です。

 これらの点をみますと、創価学会・公明党の政治進出の当初の目的と体質が、今日もなお変わっていない、という深刻な疑惑を呼び起こすのに、十分だろうと思います。

 こうした民主主義と相いれない野望を抱いた歴史をもつ教団・政党を政権に抱え込んだことは、自民党政治の害悪に、新たな重大な害悪をくわえるものです。それは日本の民主主義に危険をもたらすと同時に、自自公体制の致命的な弱点となりつつあります。きょうから「しんぶん赤旗」でこの問題を追及する大型連載も開始されました。わが党は、日本の民主主義のために、事実にもとづいた究明の論陣を張っていくものです。

(4)野党の現状と、日本共産党の躍進の意義

 つぎに、いまの野党の現状とのかかわりで、日本共産党の躍進の意義についてのべます。

 野党が全体として弱さを抱えているということがいわれますが、それは、「自自公に反対する」ということをいうのですが、反対の中身が野党全体としてはさだかでない、対決する足場がさだかでない、それにかわる展望がさだかでない、これが野党全体の立場を弱くしているという問題があります。

 四中総で指摘したように、この間、野党性が試されたいくつかの重大な問題がありました。消費税減税にたいする態度、銀行支援の六十兆円の枠組みにたいする態度、戦争法にたいする態度、「日の丸・君が代」法にたいする態度などであります。野党としての足場をもって、これらのすべてに対抗しえたのは、日本共産党だけでした。とりわけ野党第一党の民主党が、この間、いまいった諸問題について、対抗の足場をきずけなかったという事実があります。今後どういう立場をもって自自公体制に対抗するのかが、問われてくるのであります。

 わが党は、当面の国会でのたたかいでは、一致点での野党の共同への努力を、誠実にはかっていくものです。同時に、やはり、政治の力関係を変えることが、現状を打開するためには何よりも重要です。自自公体制に対抗するしっかりとした足場をもち、それにかわる展望をもつ日本共産党が躍進することこそ、国民が望むまともな野党戦線をきずく最大の力になる。このこともおおいに選挙戦で訴えていきたい点であります。

2、総選挙をどういう構えでたたかうか

 第二は、総選挙をどういう構えでたたかうかという問題です。全党が大運動に立ち上がっていくためには、総選挙をどういう構えでたたかうかということについて、攻勢的に、緊迫感をもって、意思統一をはかることが重要です。全国のとりくみをみましても、この意思統一が支部を基礎にしっかりやられているところは、大運動にたいするとりくみにも、歴然としたちがいが生まれています。この点で、二つの問題にしぼって、私は、率直な問題提起をしておきたいと思います。

(1)選挙戦にたいする受動主義を克服し、攻勢的で緊迫感をもった構えを全党に

 一つは、総選挙にたいするさまざまな受動主義が放置されていないか、という問題です。

 たとえば、「選挙はまだ先だ」という考えが一部にあります。その考えから、大運動にも、選挙の独自準備にも、本腰がはいらないという状況が一部にあります。

 総選挙の時期というものは、私たちが決めようがない問題であって、四中総決定がのべたように、「今年の秋から来年にかけて、そのすべての時期が解散・総選挙の可能性をはらんだ緊迫した時期になる」ということです。いつ解散・総選挙になっても、その備えをもったとりくみにしていくということが、基本であります。十月二十九日から臨時国会がはじまるという動きになっていますが、国会がはじまったら、どこで解散が起こるかというのは、これはほんとうに予断を許さないという場面が、ずっとつづいていくわけです。そしてわが党としては、民意に反してつくられた自自公連立政権を早期の解散・総選挙に追い込むという立場で対決しています。そういう立場にふさわしい構えが全党的に必要です。

 ここで、いま一つ重要なことは、選挙の実際の党派間闘争の様相がどうなっているかということです。これをみますと、熱いたたかいが現にはじまっています。現にたたかわれている党派間闘争の実態を直視して、その闘争であらゆる他の党派を凌駕(りょうが)する質量ともの活動になっているかどうかが肝心な点です。すでに熱いたたかいが展開されているのに、そこに目をむけないで、「選挙はまだ先」とのんびり構えているとしたら、これはたいへんな失敗をすることになります。

 もう一つの角度ですが、三中総決定が強調した「二つの受動主義の克服」という問題―「なんとかなる」論と「自分のところはちがう」論の克服ということは、この間の一連の選挙戦の大事な教訓だったわけですが、この点での現状はどうかということです。

 各県からの報告をみますと、一方で、「比例代表選挙はこれまでも伸びてきたから、こんども伸びるだろう」というように、たいへん楽観的に構えている状況もあります。もう一面では、「有権者比得票目標の突破といっても、とっても無理だ」というような受動主義もあります。やっぱり両面あらわれるんですね。躍進の流れのなかにあるときにも、そういう受動主義があらわれるということをよくみて、これは意識的に克服していく必要があります。

 こんどの選挙でわが党が、さらに大きな躍進をかちとる客観的条件は、歴史的にも、現実的にも、おおいにあります。同時に、わが党にとって、どんな場合にも、自然成長的な躍進はありえないことも、選挙戦の鉄則です。

 そして、さきほど党派間闘争の様相ということをいったのですが、実際のたたかいの様子をみましても、わが党が躍進すればするだけ、相手の側の反共も激烈をきわめる状況があります。これは最近の東大阪の市議選をはじめとする中間選挙でもみられました。大局でみるならば、これは相手の衰退過程のなかの悪あがきです。しかし、甘くみるならば、わが党の手痛い後退、敗北にもつながりうるということは、この間の一連の中間選挙で、全体としてわが党は議席と得票を伸ばしていますが、一部で失敗があったことからも、全党が教訓をくみとる必要があると思います。

 受動主義のあらわれというのは、いろいろとありますが、その克服は現実のとりくみではかられるわけです。この角度からの自己検討やとりくみの教訓について、率直な交流をおねがいしたいと思います。

(2)「比例を軸に」がつらぬかれているか

 いま一つは、「比例を軸に」という方針がつらぬかれているかどうかという問題です。

 四中総の決定では、「『比例を軸に』政党選択を争うという九六年総選挙、九八年参議院選挙でためされた基本方針を堅持しながら、あらゆる可能性をとらえて躍進を実現したい」として、「第一に、有権者比の得票目標の大幅な突破」、「第二に、すべての比例ブロックで前回を可能なかぎり上回る議席増をめざす」、「第三に、小選挙区では全区立候補の方針をつらぬき、各県で重点区を設定して、大胆に議席に挑戦する」という三つの目標を決めました。この四中総の方針を、全体として正確にとらえることがたいへん重要です。

「比例を軸に」とは、政党選択を前面に、党躍進の大きな波をつくっていくということ

 一つは、「比例を軸に」ということを選挙戦全体をつらぬく「基本方針」として「堅持」するということが、方針の大前提として強調されているということです。

 「比例を軸に」ということは、日本共産党そのものへの理解と支持をひろげる活動を、選挙戦全体の軸にすえ、政党間対決、政党選択を前面にすえ、日本共産党躍進の大きな波をつくってゆくということがその中身です。

 この点で自自公体制が成立したもとで、政党選択がこんなにわかりやすい政党配置はないということを強調したいと思います。これまでは公明党という党が野党のなかにあって、実態は自民党政治を助ける役割をはたしながら、野党のような顔をして、反自民の有権者も結集するという働きをしていました。そういう党がすべて整理されて、きれいさっぱり自自公という枠組みのなかに納まって、ある意味では非常に見通しがよくなった。そしてこの自自公にほんとうの意味で中身をもって対決できる政党が日本共産党しかないということは、一つひとつの政治の実際の展開をつうじて、日々わかりやすくしめされてくる。そういうもとで、政党選択、政党間対決ということが、こんどの選挙ほどやりやすく、わかりやすいたたかいはないと思います。これをほんとうに正面に押しだしたたたかいをやるというのが、「比例を軸に」ということの内容です。

比例代表選挙では、全国が必勝区

 二つ目に、そういう「比例を軸に」たたかいをすすめる大きな舞台が、比例代表選挙であるわけですが、比例代表選挙では全国が必勝区だということを、あらためて強調しておきたいと思います。

 四中総決定で確認した「有権者比の得票目標の大幅な突破をめざす」、「すべての比例ブロックで前回を可能なかぎり上回る議席増をめざす」という方針は、まさに全国すべての党組織が、すべて必勝区として、力をあわせてかちとるべき目標です。

 すべての比例ブロックで前回を上回る議席増という目標は、これを本気でやろうとしたら並大抵ではない目標です。たとえば、前回比例ブロックで一名の当選だったブロックが全国で五つあります。この五つの比例ブロックが、複数以上の当選をめざすということになれば、倍増以上の議席に挑戦するということになるわけですから、これはそれぞれのブロックにとって大事業です。もちろん前回複数の議席をかちとったところは、最大限の議席増をめざすという目標に、掛け値なしにとりくむ必要があります。

 前回の総選挙のことをふりかえってみますと、小選挙区制導入という非常に困難な条件のもとで、比例代表選挙での躍進に思いきって割り切って、とりくみをはじめました。いわば”背水の陣”でたたかいをはじめました。あのたたかいを思いだしますと、これまで東京で議席をもっていた同志、大阪で議席をもっていた同志も、他の地方のブロックに移り、「だれだれさんの議席をこのブロックで何としてもまもりぬこう」ということで、非常な緊迫感をもったとりくみがおこなわれました。その結果、すべてのブロックで、責任目標の達成、あるいは超過達成という快挙をなしとげました。このときの緊迫感にくらべて、今回はまだ本腰がはいっていないという自己検討、自己分析をやったという率直な報告が、いくつかの県からありましたけれど、ここは非常に大事なところだと思います。前回の選挙の初心にたちかえって、比例代表選挙でのいっそうの躍進をかちとるということに、執念をもやす必要があると思います。

小選挙区のたたかいも、政党対決を前面に

 三つ目に、小選挙区のたたかいでは、四中総では、「重点区を設定して大胆に議席に挑戦する」という新しい方針を決めました。しかし、これも、小選挙区のたたかいだけからものをみるという狭いたたかいになっては、比例代表での躍進はもちろん、小選挙区の勝利もつかめません。

 全国規模で、あるいはその都道府県規模で、日本共産党そのものの躍進の流れをダイナミックにつくってゆく、それとむすびつけてこそ、個々の選挙区でも浮上が可能になってきます。

 政治論戦でも、その小選挙区で立候補している候補者や政党だけを相手に考えますと、論戦や批判が狭くなります。たとえば公明党がこんどの選挙で立候補するのは少数の選挙区です。小選挙区だけに目を奪われるならば、彼らは批判の外におかれてしまうということになります。それこそ全政党を視野に入れて、政党対決、政党選択を正面から問うことが大事だということは、試されずみの鉄則であります。

 小選挙区の候補者の訴えでも、候補者対候補者の狭い対決にしてしまっては、わが党の力を生かせないということになります。とくに、相手が知名度の高い候補であったり、大臣経験者であったりする場合に、それと真っ向から挑んで勝つという意気込みはいいのですけれども、候補者対候補者の狭いたたかいになってしまったら、個人の知名度ではむこうのほうが上ですから、ほんとうの意味で党の力を生かせないことになる。そうではなくて、政党対政党の対決を前面に押しだして、たたかいを組み立てれば、日本共産党という党の知名度は抜群であるわけですから、その党への理解をひろめ、支持をひろげることを土台にして、そのうえに候補者自身の魅力がくわわって、これは面白いたたかいになってくる。ここでもそういう見地が大事です。

 そういう点にてらして、現状はどうか。小選挙区中心の狭い組み立てになっていないかどうか。よく吟味が必要だと思います。

 いま一つ、よくみる必要があるのは、各県で設定した重点区は、三百ある小選挙区のなかでは、その一部であるということです。重点区以外の小選挙区の選挙戦では、第十九回党大会十一中総の決定がのべているように、「比例代表選挙での議席獲得にいかに貢献するか、ここに最大の力点をおきます。その積み重ねは、将来、その選挙区で議席をあらそえる政治的条件をきりひらく力ともなるのであります」という方針にたって、思いきった選挙戦略をたてる必要があります。

選挙区単位の選挙体制――小選挙区だけでなく比例選挙をたたかう基本単位

 四つ目に、四中総決定が「選挙区単位の指導体制をただちに確立する」という方針を提起したことから、選挙闘争が、小選挙区中心のとりくみになる傾向が、これも一部ですが報告されています。

 しかし、四中総決定では、「小選挙区というのは、ただ小選挙区の選挙の舞台であるだけでなく、比例ブロックの選挙をたたかう地域的な基本単位ともなる」こと、「選挙区単位の指導体制――これは小選挙区だけでなしに、比例選挙もここを地域的な基本単位としてもたたかうわけですから、選挙戦全体の指導体制になります」と明りょうにのべています。選挙区単位の指導体制の問題でも、「比例を軸に」の見地をつらぬく必要があることをあらためて強調しておきたいと思います。

 前回の総選挙で大躍進をかちとるうえで、「比例を軸に」という方針を最後までつらぬいたことは、最大の教訓の一つでした。この基本は、今回の選挙にも発展的に生かす必要があります。この方針からの揺れがいささかでもあれば、選挙戦全体の命取りになる危険があるということを、おおいにわれわれは肝に銘じてとりくみたいと思います。

 なお、昨日の幹部会で、比例代表の定数が削減されそうだが、見通しはどうかという質問がありました。このくわだてにたいして、私たちは、民意が反映する唯一の制度を切り縮めるというのは、許されない暴挙であること、さらにこれを一部の党だけが談合で決めて、国会に問答無用で押しつけてくるのも暴挙であること、これらの点をおおいに問題にして、国会でも、選挙制度等与野党協議会でも、最大限のたたかいをやって、くいとめるために全力をあげるつもりです。ただ、このたたかいの帰趨(きすう)がどうなるかは、なかなか甘くないものがあります。ですから、選挙をたたかう構えとしては、かりに定数削減が強行されたとしても、それをはね返して躍進するという構えをもって、これにのぞみたい。この構えが大切であります。

政党ポスター、大演説会を重視して

 それから、党押しだしの政党ポスターを作製しました。これを全国的に大規模に活用する大作戦をすすめたいと思います。それから各県で計画されている大演説会、これはすでにはじまっておりますけれども、一連の大演説会をこれまでにない広い層の参加も得て大きく成功させて、大きな政治的高揚の波をつくっていきたい。これらを「比例を軸に」の方針がつらぬかれているかどうかの試金石ともなる課題として、重視してとりくんでいきたいと思います。

3、「大運動」の三つの課題をどうやりとげていくか

(1)「大運動」の到達点について

 第三に、大運動の三つの課題をどうやりとげていくかということについてのべます。

 こんどの大運動は、目標の決め方も、運動のすすめ方も、最初から最後まで「支部が主役」をつらぬくという点で、わが党の大運動の歴史のなかでも初めての試みです。この間、「支部の経験を聞く会」とか、都道府県委員長のみなさんが参加した八月の「推進・交流会議」などで、その経験を交流してきましたが、新しい方針にそくした新しい探究、新しい模索、新しい努力が、全国で重ねられているということにたいして、私はあらためて敬意を申しあげるものです。

 そういう方向にそった努力を最後までつづけて、すべての支部と、すべての党員が、この運動に自覚的に参加することをめざす。またそのなかで、四中総で強調したように後援会の活動を発展させながら、力をあわせてすすめる。そして党機関が、「支部が主役」という大きな方向が全党にひろがるように積極的な指導性をはたすことがもとめられています。

 九月末までの大運動の到達点は、大運動のなんらかの実践に足を踏みだした支部は六九%です。大衆要求にもとづくとりくみに足を踏みだした支部は四五%です。「支部が主役」という方針の流れのなかで、七割の支部が自覚的活動に踏みだし、半数近い支部が要求実現の運動に踏みだしたことは、わが党の党建設史上、画期的なことだと評価できると思います。いま党を大きくしていくうえで、全党に新鮮な活力がひろがっていることは、疑いないと思います。

 同時にこの流れが、選挙戦の支持拡大、党勢拡大の本格的な前進にむすびついていないのが現状です。支持拡大にとりくみはじめた支部が一七%。党員拡大で新入党者を迎えた支部が六%。機関紙拡大で成果をあげた支部が四九%です。

 大運動は、二十一世紀に政権をになう党にふさわしい党活動の新しい画期をひらこうという壮大な展望をもった運動ですけれども、同時に、総選挙をめざした期限を区切った運動です。ですから残る期間にこれまでの努力を、この三つの課題すべてで、どうしても実をむすぶところまで発展させる必要があります。そのために、これまでの延長線上ではない運動の発展、飛躍が必要になっていると思います。

(2)大衆要求をとりあげた活動――経営支部でのとりくみにもふれて

 そこで、個々の課題ごとに、大事だと考える点をのべたいと思います。まず大衆要求をとりあげた活動についてです。

 全国からの報告を読みますと、介護保険の問題、地方「行革」の問題、子育てや教育の問題、それぞれの地域要求の問題など、国民の切実な要求、要望をとりあげた、実に多種、多彩な運動がひろがっています。

 これは党と国民との生きいきとした交流をひろげ、信頼関係をつよめています。党活動に新しい活気がもたらされ、それぞれの地域、職場、学園に責任を負う政治単位としての党支部の自覚をたかめています。そのことが契機になって大運動で総合的に前進をかちとる支部が徐々にではあるけれどもひろがっています。

 すべての党活動のエネルギーの源は大衆の切実な要望にこたえた活動を縦横に展開することですから、これを文字通りすべての支部の運動にひろげるために、ひきつづき力を尽くしたいと思います。

 そのさい、居住支部での活動を、ひきつづき発展させるとともに、経営支部での要求をとらえた活動の発展を援助することに、とくに力を注ぐ必要があります。この間、中央では都道府県委員会の協力をえて全国約百の経営支部の活動調査をおこないました。そのなかで、職場情勢の大激変ともいうべき状況があきらかになりました。

 ――まず、かつてない大規模なリストラ、人減らしの嵐(あらし)が、民間、公務員をとわず吹き荒れています。しかも、そのリストラのほこ先は、これまでそういう対象に比較的ならなかった管理職層やホワイトカラーもふくめて、すべての労働者にむけられています。しかも、その攻撃ははじまったばかりであり、すでに三百万人を超える失業者がいるのに、大規模な人減らしはこれからが本番という状況にあります。

 ――このことが職場支配の体制に激変をもたらしています。従来の「大企業第一主義」、「反共支配体制」による職場支配の”秩序”が内部から崩壊しつつあります。日本共産党への偏見の壁も大きく変化しています。これは、経営支部が困難なもとで不屈に陣地をまもり、労働者の利益をまもってたたかいぬいてきた結果でもあると思います。

 ――労働者の要求に新しい変化が生まれています。「安心して定年まで勤められるようにしたい」という要求が痛切なものとなっています。人減らしで職場に過密労働が押しつけられているもとで、安全無視の操業が横行し、サービス残業がひどくなり、「もう少しゆとりがもてるように職場の増員をしてほしい」という要求もたいへん切実です。リストラの攻撃のもとで、労働者がどういうなまの要求をもっているか、これもその変化をよくつかむ必要があります。

 ――同時に、急激なリストラの波が労働者を襲い、政府・財界が、「リストラは日本経済の再生に避けて通れない」という”リストラ万歳”の大合唱をおこなうなかで、労働者のなかにあきらめの気分をつくりだしている面もあります。

 こうした職場情勢の激変は、経営支部の党活動の発展に新しい条件をひらいています。そして、その条件をとらえた新しい活動が、まだ部分だけれども力づよくはじまりつつあることが、全国調査でも、九月末の各県からの報告でも、生きいきと裏付けられました。それを踏まえて、つぎの三つの観点にたって、経営での要求運動をおおいに発展させたいと思います。

 一つは、わが党としての国政改革の展望を大きくあきらかにしていくということです。四中総決定があきらかにした、雇用の防衛と拡大のための三つの政策的な展望、(1)労働時間の短縮で雇用の拡大をはかる、(2)解雇・リストラの規制をおこなう、(3)福祉・教育・防災など国民生活の分野の雇用拡大をはかるという方向を、国政改革の大きな展望としてあきらかにし、労働者のたたかいが、国民経済をまともに発展させるうえでも大義と道理をもっている、ということをしめしていくことが、大切であります。

 二つ目には、目の前の焦眉(しょうび)のたたかいでは、現行法や国会論戦の到達点を駆使して、実際に雇用をまもるたたかいを職場から組織するということが、党に課せられた重大な責務になっています。

 現在のリストラの攻撃の特徴というのは、現行法で保障されている労働者の当然の権利をも踏み破った無法さに特徴があります。退職の強要、本人の同意なしの出向や転籍などの形で、事実上の大量首切りが横行しています。それを強要するために”座敷牢(ろう)”に閉じ込めるような人権侵害も横行しています。サービス残業などの無法行為もますますひどくなっています。これらの無法を許さないという闘争は、全国各地で展開されて、成果もかちとっています。

 長野県では富士通の子会社の高見沢電機という会社が「工場を閉鎖する」という暴挙をやろうとして、これにきっぱり反対するたたかいがひろがって、「工場閉鎖」をくいとめ、いま新しい局面のたたかいになっています。それから、これはわが党が国会でもとりあげ、「しんぶん赤旗」でもとりあげた問題ですが、ゲーム機メーカーのセガという会社で、”パソナルーム”とよばれる”座敷牢”に労働者を閉じ込めて、退職をせまるということが大問題になりました。そして、不当解雇された労働者が、裁判に訴えたわけですけれども、先日「全面勝訴」の判決がくだりました。

 ですから、こういうたたかいは、現行法のもとでもほんとうに労働者の力を結集すれば成果をあげることができるわけです。このたたかいに、わが党が、まさに労働者階級の党として、全力をあげてとりくむ必要があります。

 一昨日、日産自動車が、「二万一千人の人減らし」「全国五カ所の工場閉鎖」をともなう空前の大リストラ計画を発表しました。これは、労働者の雇用を深刻に脅かすだけではなくて、「工場閉鎖」という形で、中小企業や下請けをふくめて地域経済に壊滅的な打撃を与えるという、ほんとうに無法なものです。日本の産業界でも空前の大企業の横暴として、われわれはこの横暴な計画に反対して、雇用をまもり地域経済をまもる一大闘争を組織する必要があります。

 たたかいを組織するうえで、労働者全体を視野に入れ、政府・財界のイデオロギー攻撃をうちやぶって、雇用をまもる労働者の合意と団結をつくりあげていくことに力を注ぐこともたいへん大事です。兵庫県の伊丹に工場のある三菱電機では、職場革新懇の主催で「三菱電機はあぶないってほんと?」と題するシンポジウムを開きました。「経営危機だから、リストラ不可避だ」というがほんとうだろうか、というシンポジウムを開いて、経営側のリストラ推進のいい分には道理がないことを解明した。このことが、労働者全体の結集と団結をはかる大きな力になっているという報告もありました。これは非常に大事なとりくみの方向だと思います。

 職場のたたかいで三つ目に強調しておきたいのは、そうした雇用をはじめとする職場要求にもとづく活動とともに、経営支部の要求活動をそれだけに狭めないということです。たとえば、経営支部でも、介護保険をめぐるシンポジウムを職場でひらいたという経験が少なからずあります。労働者は、職場の問題とともに、国政のあらゆる問題に当然関心をもち、怒りや批判ももっています。ですから、それにこたえて、職場要求とともに国政上の問題もひろくとらえたとりくみを、職場からも展開していく必要があります。

(3)支持拡大――「際限なく後回しになる傾向」を克服し、意識化をはかる

 つぎに支持拡大についてのべます。愛知県では、五割をこえる支部が支持拡大のとりくみをはじめています。しかし、全体としては、まだ本格的にとりくんでいる支部は少数です。その根本には、先ほどのべた「選挙は先」という気分をはじめ、総選挙にむけた政治的構えが、全党的にまだ確立していないという問題が、率直にいってあると思います。

 支持拡大では、そもそもなぜこの課題を大運動の課題にしたかというところにたちかえって、意味あいをよくつかむことが大切だと思います。参議院選挙が終わったあと、都道府県委員長のみなさんが参加して「選挙シンポジウム」というのを開きました。躍進した選挙でしたけれども、そこから教訓や弱点をえぐって、つぎのたたかいに生かそうという会議として、いまふりかえってみてもなかなか豊かな中身のある会議でした。その反省点の一つに、「対話と支持拡大が際限なく後回しになる傾向」を、なんとか克服しなければならないということがあげられました。本番間近にならないととりくまない根深い経験主義の克服の重要性ということが、あの会議では全体の教訓として確認されました。

 この間の中間選挙の結果をみましても、大事な教訓の一つがここにあります。わが党にたいする一般的な期待がひろがっても、その期待を選挙での実際の投票、支持にむすびつけるためには、対話と支持拡大は不可欠の活動になる。これ抜きでは、一般的にはムードはいいんだけれども、実際には選挙で満足な結果をあげられない。これも、この間の中間選挙での教訓の一つでした。公明党は、反共の執念で、「対話」の活動についてはものすごい活動をやります。わが党は、この分野での可能性は、はっきりいってくみ尽くしているとはいえません。ぜひ、こんどの選挙では、この分野でも、新しい境地をひらきたいと思うのです。

 この運動をどうすすめるかということですが、”支持拡大活動の意識化”ということが大事だと思います。いっせい地方選挙の前の二月におこなわれた都道府県委員長会議の報告で、私は、「対話というのは日本共産党への共感と支持をひろげる活動ですから、私たちの活動すべての基本です。あらゆる活動のなかで追求できるし、あらゆる活動とむすびつけて自覚的に追求すべき活動です」ということをのべました。対話というのは、人と人が話し合うすべての接点で成立するわけです。大衆運動の中でも、党勢拡大の中でも、ポスターを張るさいにも、演説会のおさそいをするさいにも、およそ人間と人間が話し合い、党と大衆が語りあうすべての接点で、対話と支持拡大のとりくみは成立する。ですからそれを対話・支持拡大として”意識化”するということが、いま大事だと思います。

 そのためのカギになっているのは、支部が支持者台帳をしっかり整備すること、対話したら必ずカードに記録すること、各種名簿をひろく整備していくこと、こういうことに尽きると思います。そういうとりくみとして”意識化”をはかって、「際限なく後回しにする傾向」をこんどこそ克服していきたいと思います。

(4)党勢拡大について

 つぎに党勢拡大――党員と機関紙拡大についてのべます。この分野は全党的には、本格的な前進の軌道にのせることにまだ成功しているとはいえません。とりわけ党員の拡大は、目標をもった支部の率でも、新入党者を迎えた支部の率でも、大運動のなかで最も遅れた分野となっています。

 そもそも、四中総決定で大運動を提起した根本は、党の影響力にくらべてこの分野が立ち遅れた状態にあるということにありました。ですから大衆の要求をとらえた活動のひろがりを、党勢拡大の前進に実らせてこそ、大運動が本格的な前進を開始したといえるわけです。

「支部を主役」にした独自追求が不可欠

 そしてこの前進のためには、目的意識性、独自追求が不可欠だということを、あらためてここで強調しておきたいと思います。つまり、自然にまかせただけでは前進はかちとれないということです。これは試されずみの鉄則であります。

 この点では、一部に「支部が主役」ということと、党勢拡大の独自追求ということを対立させる考えがありました。こんどは「支部が主役」だということで、党勢拡大の独自追求をためらう傾向が一部にありました。しかし、これは正しくありません。

 「支部が主役」ということで活動を総合的にすすめながら、その中で独自追求をはかる、こうしてこそ前進はかちとれます。もちろん独自追求というさいに、その中身が大事であって、党機関が一方的に押しつけるというやり方をとってしまっては、これはいまとりくんでいる大方向に反することになります。それは支部の自発性、自覚性にもとづくものでなくてはなりません。これも新しい創意や探究がもとめられている問題であります。

党員拡大について

「党建設の根幹」としての位置づけを明りょうにして

 党員拡大で、強調したいことの一つは、この課題が「二十一世紀を展望しての、文字どおり『党建設の根幹』をなす課題」(四中総決定)という位置づけを、あらためて明りょうにするということです。

 「根幹」というのは、大衆運動でも、機関紙活動でも、選挙闘争でも、財政活動でも、党活動のどんな分野の活動でも、それをになう根本の力は党員だということです。文字通り党活動をささえる「幹」であり、「根」となる力であり、この力が大きくなってこそ、豊かな枝がしげり、葉がしげる。これがわれわれが「党建設の根幹」といっていることの中身です。

 われわれは二十一世紀の早い時期に民主的政権を樹立するという壮大なロマンある展望をもっていますけれども、この国民的事業をすすめるうえでも、それをになうにふさわしい強大な党員を擁する党に成長することは、国民にたいする責任でもあります。

 もちろん、この課題を「党建設の根幹」とすることは、党員拡大を、党活動のあれこれの個々の課題を促進する、一手段と位置づけることではありません。その人にとって日本共産党に入党するということは、人生の生き方にかかわる重大な選択です。みずからの人生を社会進歩に重ねて生きていこうという入党の初心を何よりも大切にして、どんなことでも条件や得手に応じて仕事を分かちあって、みんなの個性を生かして、力をあわせて党活動を発展させるというのが、わが党の立場です。そういう決意をもって、わが党に入党する人々が大きな流れになってひろがるということが、結果としてわが党のあらゆる分野の活動を豊かに発展させることになるというのが、「党建設の根幹」として強調していることであります。

 この間、中央の配達・集金局も協力して、東京の台東地区委員会をはじめとする全国のいくつかの地区委員会で、配達・集金活動の困難をどう打開するかということを真剣に検討したことが契機になって、その地域に責任を負う党をつくる切実な意義が地区委員会と支部の共通の認識になり、支部建設や党員拡大に足を踏みだして大きな成果をあげた経験がつくられました。これは配達・集金活動ということが契機になったわけですが、こうした問題を一つの契機として、大きな党をつくろうという方向に踏みだして、めざましい成果をあげているということは、たいへん積極的な、また法則的な、多くの教訓をひきだすことのできるとりくみであります。

 ただ、この経験をふまえて書かれた中央の専門部の論文に、党員拡大を配達・集金活動の前進のための一手段として位置づけていると誤解される表現がふくまれているものがありました。この点は、この場で是正をはかっておきたいと思います。

長期にわたって大きく増えていない状況をいま突破しなければ展望が開けない

 二つ目に、この「党建設の根幹」を大きくする仕事で、率直にいいまして、長期にわたって全党的なとりくみの弱まりがあったということです。

 党員拡大の年ごとの成果をみてみますと、一九七〇年代から八〇年代初頭にかけて党員拡大の大きな波があります。毎年、数万という単位で入党者をむかえています。

 このとき、入党した同志たちが、実は、いま中堅活動家になって党をささえています。たとえば、さまざまな地方議会の議員や候補者となってがんばっている。あるいは、中間機関、党本部、「しんぶん赤旗」などの部署でもがんばっている。あの時期に入党した同志たちが、いまの党をささえる大きな力になっています。しかしその後、とりくみに弱まりがあって、長期にわたって大きく増えていないという状況がつづいています。

 一九九四年の第二十回党大会以来、党員拡大の意識的な追求がつよまりました。後退から徐々にではあるけれども前進に転じました。しかし、前進といっても微々たるもので、現状維持の枠を大きくでるものではありません。そのことが党活動のあらゆる分野を、今日の情勢のもとでもとめられる水準のものに発展させるうえで、重大な隘路(あいろ)となっているということを直視する必要があります。

 ですから、大運動でこの弱点をなんとしても大きく突破しなければ、二十一世紀の党発展の展望がひらけてこない。われわれは日本改革論ではたいへん雄大な積極的な展望をもっているわけですが、党活動の発展の展望は、ここで大きく党員を増やさないと大きくひらけてきません。

 四中総では、党員の年齢構成という点で、いま党が問題をかかえているということを指摘しました。それにくわえてここで強調しておきたいのは、経営支部ではそれがとりわけ痛切だということです。経営支部を調べてみますと、いま経営支部を構成している同志のうち、かなりの部分が五十代以上の、定年に近い世代に属しています。この世代の同志たちは、長年にわたって経営で不屈にたたかい、経験もあれば、力量もある同志たちです。この同志たちが、経営にいるあいだに、経営で後継者をしっかりつくらなければ、せっかく苦労してつくりまもってきた経営支部が、先ぼそりになったり、支部によっては消滅する危険もあります。どの分野をみても、党員拡大はいま大きく増やさなければ、まさに先の展望がひらけてこないというのが、全党の実感だろうと思います。

党員拡大を先送りにし、後回しにする傾向を、意識的に克服する   

 この問題で三つ目にのべたいのは、運動をすすめるうえで、党員拡大を先送りにしたり、後回しにしたりする傾向を意識的に克服することが大事だということです。

 ある党機関の責任者の同志が、「これまで機関紙は、このままでは後退する、たいへんだと、必死になってがんばってきた。しかし党員については、すぐには減らないということで、力を入れてこなかった」という率直な実感を話してくれました。これはもちろん現状打開の決意をこめての実感でありますけれども、これは少なくない機関の長のみなさんの共通の実感ではないかと思います。

 これをききまして、こういう意味では、党員拡大というのは、機関紙拡大以上に、目的意識性、独自追求が必要な分野だと痛感しました。「減らない」ということで後回しにしておきますと、すぐに目にみえる問題は起こらないようでも、党の力の全体を、だんだん弱らせていくことになります。長期にわたって、計画的、系統的にとりくむべき戦略的課題が党員拡大です。

 それから、「党員拡大に力を入れると、機関紙拡大がおくれてしまう」というためらいから、どうも思いきって足がでないという傾向も一部にあるようです。しかし、この対立は、実際にはないと思います。実際のとりくみは、相乗的に前進しているのがほとんどであって、党員拡大に力を入れすぎたために、それで機関紙が後退したという経験は、全国どこでもないだろうと思います。党員拡大が生きいきと前進しているところは、ほとんど例外なく機関紙も大きく増えている。これが、この間のとりくみの特徴です。こうした先送りや後回しの傾向を、ぜひふっきって、とりくみをつよめたいと思います。

思いきって視野をひろげて、読者、支持者に働きかける

 四つ目に、党員拡大の対象者を狭くみる傾向を克服するということです。増やしたいという切実な思いをもちながら、長期にわたってとりくんでこなかったことから、党支部や党機関のなかにためらいや消極主義があって、足を踏みだせないという現状もあるようです。「対象者がいない」とか、「あの人はまだ早い」などという思いや、古くからの対象者だけを狭く対象にしている傾向もあります。

 しかし、わが党をとりまく条件は、大きく変化しています。この間の経験でも、二百数十万の読者、数百万の支持者のみなさん全体を視野に入れて、大胆に働きかければ、壁がないということは、多くの経験が証明しています。先日、「しんぶん赤旗」の「学習・党活動のページ」(十月九日付)に、党員・機関紙拡大局の矢加部同志の手記がのりました。この手記でも、壁がないということを生きいきと語っています。思いきって踏みだしたところでは、予想をこえて入党者が一気に増えるという状況がどこでも生まれています。

 そして、入党の働きかけというのは、入党にいたらない場合でも、大きな力となるということも共通しています。入党の働きかけというのは、政治の問題や、生き方の問題や、党の問題などについて、もっとも深い対話になります。ですから、入党にいたらない場合も、もちろんたくさんあるわけですが、その場合でも、働きかけを通じて、人間的な信頼がつよまるということが、どこでも報告されています。

 ですから、対象者の問題でも、党機関の同志たちが、支部とともに行動し、実践的に援助し、実践的にためらいをふっきっていくことが、いま大事だと思います。

青年支部をつくり、活動が軌道にのるよう援助をつくす

 五つ目に、青年党員の拡大についてのべます。この分野では、四中総で、青年支部という新しい組織形態を提起しました。現在、二十八都道府県で九十六の青年支部がつくられています。これがきっかけになって、青年らしい要求実現のとりくみがはじまったり、青年が自分の友人を入党させる動きがひろがるなど、積極的な変化も生まれています。

 ここで一つ強調しておきたいのは、青年支部というのは、つくるだけではなく、つくったあとの援助が大事だということです。なによりも青年の生活にそくした組織をつくることで、青年が自分の力で、青年にいろいろな形で働きかけ、青年を増やしていく、そういう活動を前進させるところに、この組織形態の眼目があるわけです。ですから、そういう活動が軌道にのるまで、親身な援助をつくす必要があります。

 民青同盟は、この十一月に全国大会をひらきますが、青年党員とあわせて民青同盟員の拡大への援助も、重視してとりくみたいと思います。

新しい同志を党に迎えて、総選挙をたたかおう

 以上いくつかの点からのべましたが、目前の総選挙での躍進を考えても、すべての支部が新しい党員を迎えることは、党に新鮮な活力をもたらすことになるでしょう。前回の総選挙を総括した第二十回党大会六中総では、「新しい同志が、いままでにない新しい活気と新しい活動スタイルをもちこみ、新入党者を迎えることが支部の活動の発展の大きな契機になるということが多くあった」という総括をしています。この教訓をこんどの選挙では、もっと大きな流れとして、発展的に生かしたいと思います。

 十二月末に、大運動の成果をわれわれが決算するときに、党員拡大の波をどれだけ起こしたかは、大運動の成否をわける最大の尺度として、問われることになると思います。

 四中総では、すべての支部がこんどの大運動のなかで、新しい同志を迎えようという提起をいたしましたが、これを文字通り実践すれば、わが党は四十万を超える党に成長することができます。ぜひ、この課題で、大きな飛躍をかちとって、新しい同志とともに総選挙をたたかおうではありませんか。

機関紙読者の拡大について

「支部が主役」で毎月着実に前進する自覚的支部をどう多数にするか

 つぎに機関紙読者の拡大についてのべます。

 この分野では全党的にはまだ前進に転じることができていません。しかし、よくみる必要があると思うのは、大運動にはいってから、前進する党組織の数は着実に増えつつあるということです。

 数字をのべますと、六月には前進した県・地区委員会は、二県八十二地区、前進した支部は、一一・〇%でした。それが七月には十県百四十三地区、支部は一三・二%になりました。八月には、十三府県百五十五地区、支部は一三・八%になりました。九月は、前進した県・地区が二十六都道府県二百十五地区、前進した支部は一五・六%まで、徐々にではあるけれども着実に増えています。大運動をつうじて、これまで機関紙拡大で成果をあげている支部は四八・八%、増勢になっている支部は一六・一%です。

 これは、「支部が主役」という、一貫してこの間とりくんできた活動方向が、力を発揮しつつあることをしめしていると思います。前進した支部が毎月増えている、これは非常に大事な点です。毎月増紙が減紙を上回って前進する支部が、さらに一まわり二まわりとひろがれば、全党的に機関紙拡大を前進の軌道の上にのせることができます。かりに全支部が毎月一部でも増紙ということが軌道にのれば、月に数万の読者を増やすということができることになります。

「支部が読者と日常的にむすびつく体制」の確立を

 ですから、この運動の成功のかなめは、やはり支部がみずからの責任を負う地域・職場・学園での政治目標の実現にむかって、読者拡大の自主的な目標をもち、毎月着実に前進する自覚的な支部に成長していく、そういう支部をどれだけひろげられるかにかかっていると思います。「支部が主役」という活動方向を、ここでもつらぬくことがなによりも大事です。

 どうすれば、そうした自覚的な読者拡大を軌道にのせていくことができるか。その不可欠な問題として、きょうあらためて提起したいのは、「支部が読者と日常的にむすびつく体制」――その支部が責任を負っている地域・職場・学園のすべての読者と日常的に生きたむすびつきをもつ体制を確立するということです。

 居住支部ならば、その責任をもつ地域内のすべての読者の配達・集金に、その支部がみずから責任をもつ体制をつくること、「支部が主役」の配達・集金体制をつくることが、そのかなめとなります。まだ少なくない居住支部では、地区の機関紙部や出張所と配達・集金者が個々にむすびついて、支部とかかわりなく配達・集金がすすめられているという実態があります。また議員の手にかなりの配達・集金がまかされている地域もあります。こういう状況ですと、支部がその責任をもつ地域の読者をつかめないという状況になるわけで、毎月自覚的に前進するといっても、増えているか減っているかもわからないということでは、その土台を欠くことになります。この状態をそのままにしておいては、読者拡大の大きな展望もひらかれてきません。ここに正面から克服すべき大事な問題があります。

 経営支部ならば、職場内の読者に可能なかぎりみずから配達・集金する体制をつくることが望ましいわけですが、その職場の読者が住んでいる地域に配達・集金を依頼している場合でも、職場内のすべての読者の名簿をもって、つねに人間と人間の生きた日常的むすびつきをさまざまな形でたもち、つよめることが大事であります。

 さきほども紹介しましたが、この間、配達・集金活動に困難をかかえていたいくつかの地区委員会で、「支部が主役」の配達・集金体制をつくるための活動改善に正面からとりくみ、前進をかちとっている経験が生まれていますけれども、ここには学ぶべき貴重な教訓があると思います。

 私たちは、機関紙活動とは、読者の問題だということを強調してきました。読者の問題であるということは、支部が読者と、人間と人間としての生きたむすびつきを日常的にもつということです。読者を、もっとも党をよく理解してくれる友人として、意見をきき、その要求にこたえた活動にとりくむとともに、党の活動への協力を率直におねがいし、どんなことでも読者の力を借りてともに党の活動を発展させる。こうした「支部と読者が日常的にむすびつく体制」をつくるならば、読者を増やせば増やすほど、党の活動は楽に前進することができるようになり、そうした体制をつくってこそ支部が自覚的に読者を増やす意欲も大きくふくらんできます。

 この問題で、私たちも現場で苦労されている同志の意見もきいて、とりくみの改善をはかってきたわけですが、「読者が重荷」だという意見がまだ少なくないところにやっぱりあるわけです。これは支部が読者と日常的にむすびつく体制ができていないために、配達・集金が一部の同志にのしかかってくるところから「重荷」と感じてしまう。しかし、いまいったような方向で、この解決に正面からとりくむならば、読者は「重荷」ではなくて、党活動の「荷」を一緒にになってくれる仲間になってくれるわけです。そういう方向に党活動の中身をおおいに改善していきたい。強大な読者の陣地をつくるためにも、この課題はなかなかたいへんな大事業ですけれども、避けて通れない課題としてとりくみたいと思います。

 党が、この間、営々ときずきあげてきた配達・集金の網の目というのは、世界でも、日本でも、どの党もまねのできない先駆的な財産です。これを日常的にささえている同志のみなさんの労苦こそが、日本の未来をひらく確かな力となって働いています。この活動を「支部が主役」の方向で合理的なものに改善するために、ともに力をつくそうではありませんか。

21世紀の政権をになう党づくりをめざして

 きょうの報告では、三つの課題ごとにのべましたが、実際の支部のとりくみでは、これらの課題は有機的にむすびつけて前進させることができるものです。この運動の成功のかなめは最後まで「支部が主役」をつらぬくことにあると思います。

 そして八月の「推進・交流会議」でも強調しましたが、目標をもってから活動という段階論にならないで、活動に足を踏みだしながら目標をもち、もった目標はやりとげていく援助をおこなうというように、すべての支部を視野に入れて、支部の成長を援助する指導をはかるということも、最後まで大切な点であります。

 この大運動の成否は、当面の総選挙の結果を左右する意義をもつとともに、二十一世紀の政権をになう党づくりへの道をひらく歴史的意義をもつものであります。必ず大きな成果をあげるために、ともに全力をあげようではありませんか。以上をもって報告といたします。


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