日本共産党創立77周年記念講演会

国政の焦点と21世紀の展望

書記局長 志位和夫

1999年7月24日「しんぶん赤旗」


 七月二十二日におこなわれた日本共産党創立七十七周年記念講演会での志位和夫書記局長の記念講演は、大要つぎのとおりです。


 会場におあつまりのみなさん、衛星通信を通じてごらんの全国のみなさん、こんばんは(「こんばんは」の声)。きょうはおいそがしいところを、多くのみなさんが記念講演会におあつまりくださいまして、まことにありがとうございます。まず心からのお礼を申しあげさせていただきます。(拍手

日本共産党躍進の流れがさらにひろがった一年――地方選挙の成果にみる

 昨年の記念講演会は、参議院選挙の大躍進をうけてのものでしたが、この一年も日本共産党の躍進の流れが、さらにひろがった一年でありました。この一年間の地方議員選挙の成果をみてみますと、いっせい地方選挙で日本共産党は二百七十八議席の増加をかちとることができました。それを前後した中間選挙の結果をみますと、九十四議席の増加であります。あわせて一年間で三百七十二人の地方議員を増やすことができました。(拍手

 地方議員は総数で四千四百十六名となり、史上最高の峰の更新がつづいています。今週日曜日に投票となった京都の向日市の市議会議員選挙では、定数二十四のうち日本共産党は八議席、全国でみても市議会でははじめての三分の一の議席を獲得することができました。(大きな拍手

 この躍進の流れにしっかり確信をもって、同時に弱点や失敗からも教訓を引きだしながら、きたるべき総選挙での新たな躍進にむけて全力をつくす、その決意をまず最初に申しあげるものであります。(大きな拍手

国政の現状――「自自公」体制とその矛盾

 国政をみますと、「自自公」の体制がつくられました。彼らは”数の横暴”をほしいままにしています。戦争法を強行し、盗聴法案、「日の丸・君が代」法案などをごり押ししようとしています。

 この「自自公」というのは、ほんとうに組み合わせが悪いんですね(笑い)。多少ともブレーキをかける要素がない。これまで連立政権は、「非自民」の連立政権、「自社さ」の連立政権と二つありましたが、それと比べても、私はこんどは最悪の組み合わせだと思います。国民にとって危険きわまりない体制であります。

「自自公」体制の”数の暴力”に深いところからの不安と批判がひろがる

 しかしみなさん、この体制には致命的な弱点があります。民意に耳をかたむけるという姿勢がありません。国民に説明をして納得をえようという姿勢もありません。国会で議論をつくすという姿勢もありません。

 「自自公」の辞書には”民意”という言葉はないし、”説明”という言葉もないし、”議論”という言葉もない。大きく書かれているのは”問答無用”(笑い)。これが彼らの合言葉です。ですから、深いところから不安と批判がおこりつつあります。

 衆議院の副議長をやっている渡部恒三さんが「しんぶん赤旗」に登場して話題になりました。渡部さんはいまの国会の状況をこういいました。

 「こんなに審議がおこなわれないまま政府提出の法案がスイスイ通る国会を経験したことがない。自民党が単独政権で衆参両院で圧倒的多数を占めていた当時もこんなことはなかった。国会の現状を心配する声は、野党ばかりでなく、自民党の人からも聞こえてくる。もっと審議をつくす国会が必要だ」

 渡部さんはかつて自民党の国対委員長を務めていた人ですが、その人が”自分たちがやってるときも、こんなひどいことはなかった”といってるわけですから、これはなかなか説得力のある発言であります。

”侮らないが、恐れない”という立場で、きっぱりと対決を

 こういうことをやってますと、自民党の内部からも不安で仕方がないという声がでてくるんです。

 この前、自民党の総務会で、「自自公」の体制にたいして、いろいろな懸念や不満があいついで、最後に抑えきれなくなって、ある長老議員が、「複雑なことをいうな。『それにつけても数のほしさよ』、その一言だ」、と身もふたもない一喝で(笑い)、その場をおさめたということが報道されました。

 最近私たちに伝わってきた声ですが、ある自民党首脳の一人が「自自公」体制についてこういったそうです。「第一に、法案は通せる。第二に、しかし総選挙で過半数をとる見通しは暗い。第三に、中長期的展望は示せない」。つまり当面は、”数の暴力”で法案は通すことができても、多くの国民が納得のいかないことをつづけていては、選挙で勝てないし、展望はひらけないという声であります。

 悪政をごり押しする一歩一歩が、自分の墓穴をほる一歩一歩になっている。これがいまの体制です。みなさん、「自自公」体制にたいして、”侮らないが、恐れない”という立場で、きっぱり対決していこうではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手

「日の丸・君が代」法案――矛盾噴きだし、国民との関係ではボロボロに

 「自自公」体制が”数の暴力”でひきおこしている矛盾の典型が、「日の丸・君が代」法案であります。

 「自自公」はきょうの衆議院の本会議で、この法案を強行し、たたかいの舞台は参議院にうつりました。この強行は、国民的討論の広がりを恐れての許しがたい暴挙であります。しかしこの法案は、国民との関係では、すでにボロボロになっていると、私は思います。

 まず政府が法制化の唯一の「根拠」にしていた「日の丸・君が代は国民的に定着している」といういい分が、大もとから崩壊しました。ほとんどの世論調査で、法制化についての賛否はまったく二分されています。とくに「君が代」の法制化になりますと、反対が多いという状況です。朝日新聞の調査では「今国会での成立」を求める声は二三%、「議論をつくせ」が六六%、ここに国民多数の民意があります。だいたいきょうの本会議をみても、党として賛成したのは「自自公」だけです。日本共産党と社民党は反対、民主党は自主投票です。民主党は賛成が四十五人、反対が四十六人。国民世論を反映して(笑い)、賛否が二分されました。みなさん、こういう状況でどうして「定着した」といえるのか、まったくなりたたない話ではありませんか。(大きな拍手

 それから「君が代」の歌詞の意味の説明がつかなくなりました。政府は「君」は「天皇」、「代」は「国」と答弁してしまいました。そうすると「君が代」は「天皇の国」ということになる。国民主権と両立しないではないですか。こう問われて政府いわく、「個々の言葉の国語的解釈をやっているわけではない」。しかし、国語の文法で説明がつかない「国歌」とはこれいかに(笑い)。これを強制される子どもはたまったものではありません。だいたい天皇主権の時代に天皇統治礼賛の意味づけをあたえられて国歌としてあつかわれた歌を、歌詞も曲も変えずに主権在民になった世の中にそのまま使おう、政府は解釈改憲というのが得意ですが、こっちのほうも小手先の解釈だけ変える”解釈改歌”でことをごまかそうというのは、どだい無理な話であります。

 学校教育への強制について、政府は法制化の目的が、これをもっとつよめるところにあるという本音をあらわにしました。同時に論戦のなかで、これを無理じいすることが憲法が保障する「内心の自由」にかかわる問題だということを、政府は認めざるをえなくなりました。そして、「内心の自由」には「沈黙の自由」もふくまれるということを、きのうの答弁で認めざるをえなくなりました。そうなってきますと「国歌斉唱」としてこれを押しつけるというのは、まさに自己矛盾そのものであります。ここでも強制の根拠をみずからくずす自己矛盾におちいりました。

国民的討論の広がりは、国会の”数の暴力”ではとめられない

 この問題というのは、明治政府いらい、問答無用で国民への押しつけがつづけられてきました。吉田茂という戦後初期の元首相の持論にこういうのがあったそうです。”日の丸・君が代は、変えるな、いじるな、議論するな”。これでやってきたわけですね。文部省も、”歌詞の意味を教えるな”。これでやってきました。これはある意味で、私は、戦前からの”支配層の知恵”だったと思います。だからここまで「日の丸・君が代」が生きのびた。かりに戦前これが法制化されていたらどうでしょう。戦後、大日本帝国憲法とともに、これが廃止されたことは、まちがいないのではないでしょうか。この”支配層の知恵”を破って、用意も論立てもなしに法制化にふみだした。その結果、彼らの予想をはるかにこえて矛盾が噴きだした。これがいまの現状であります。

 法案の行方は予断を許しません。しかしすでに明りょうなことは、国民がこの問題について歴史上はじめて本格的に討論を始めた、この流れは国会の”数の暴力”では止められない、このことではないでしょうか。(大きな拍手

 日本共産党は参議院を舞台としたたたかいで、廃案のためにひきつづき全力をつくすとともに、国民的討論と合意でこの問題を解決するという道を、みなさんといっしょにすすむ決意を、あらためて申しあげるものであります。(大きな拍手

国民の選挙での審判をまったく無視した体制――総選挙で厳しい審判をくだそう

 「自自公」体制の民意無視の最たるものは、国民の選挙での審判をまったく無視した体制だということです。

 自由党も、公明党も、この前の参議院選挙では、「自民党との対決」を看板にしていました。これと平気で手をむすぶことをどう説明するのか。自民党も、かつて公明党・創価学会にたいして、「政教一致」と口をきわめて批判していました。当時の「自由新報」などをみるとたいへんな批判のキャンペーンです。これをどう説明するのか。おたがいに説明できないし、どんな説明をしても国民の納得できる説明などありえようはずもありません。

 かつて同じように選挙での審判を無視して誕生した「自社さ」政権というのがありました。これにたいして、いまの自由党の党首、公明党の党首は、何といって批判していたのか。あらためて調べてみましたら、なかなかまともなことをいっていたのです。

 当時の新進党小沢代表は、「個別の政策以上に、根本的な国民にたいする背信行為だ」といっています。神崎氏は総務会長をやっていて、「国民の意思と反する野合政権。国民の信を問うべきだ」といったものです。これをそっくりつきつけたいと思います。(拍手

 みなさん、すみやかな解散・総選挙で国民の審判をあおげ、という声を大きくひろげて、国民の世論と運動で「自自公」の反動体制をおいつめ、総選挙で厳しい審判をくだそうではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手

安保・外交――二つの国際秩序の衝突と日本の進路

 「自自公」体制の矛盾の根底には、私は、自民党流の国づくりの破たんがあると思います。この古い枠組みをきりかえなければ、外交でも、内政でも、二十一世紀の日本のかじ取りができなくなってきているのが、いまの現状です。そこで私は「二十一世紀の展望」という問題に話をすすめたいと思います。

 まず第一に、安保・外交の問題はどうでしょう。この間、戦争法の強行という重大な事件がありましたが、私はこれを、世界の大きな動きとのかかわりでみてみたいと思います。

 いま世界で、二十一世紀の国際秩序はどうあるべきかという大問題が問われています。端的にいいまして、二つの国際秩序が衝突している。これがいまの世界の現状であります。

戦争と抑圧の「国際秩序」めざすアメリカ――ユーゴ空爆は”仕組まれた戦争”だった

 一方には、アメリカが横暴をほしいままにする戦争と抑圧の「国際秩序」をつくろうという動きがあります。ユーゴ空爆はそれにむけた一大デモンストレーションでした。数千人の市民の死傷者をだした残虐な空爆がどうしておこなわれたのか。最近になってその舞台裏がくわしくあばかれました。

 コソボ問題での和平交渉の過程で、交渉期限切れ十八時間前に、アメリカが突如NATO(北大西洋条約機構)によるユーゴ全土の事実上の占領という要求を組み入れた案を、「最終案」として提示していたという事実があきらかになりました。この「最終案」を読んでみますと、おそるべき内容がふくまれています。ユーゴ全土にNATO軍が展開する、NATO軍は治外法権をもつ、警察権ももつ、まさにユーゴ占領であります。

 ユーゴが絶対にのめない提案であるということを承知のうえで、期限切れ直前にこれを突きつけ、予定どおりユーゴに拒否させたうえで、それを理由に空爆をおこなった。まさに”仕組まれた戦争”、”計画的な戦争”だったのであります。アメリカの目的は「人道」などではなく、戦争すること自体が目的だったのです。

国連憲章の原則の破壊――「ならず者の超大国」こそ世界平和の最大の脅威

 この戦争は、国連憲章の三つの大原則、すなわち他国の内政に干渉しない、国際的な武力行使は国連の決定による、各国の武力行使は侵略された場合の自衛反撃のみ、という原則の全面破壊の戦争でありました。

 これは偶然おこった戦争ではありません。さきほどいったように計画的な戦争でした。四月のNATO首脳会談で打ちだされた「新戦略概念」で、この軍事同盟は「防衛」という建前をすてて、他国への「介入」の軍事同盟への変質を公然と宣言しました。この体制を立ち上げるためには、どうしても戦争が必要だった。その標的としてユーゴが選ばれたのであります。

 最近のアメリカの議会や政府関係者の発言をみますと、「国連憲章の主権尊重の概念はもはや時代遅れだ」とか、「人道的介入こそ正義だ」とか、「武力行使をすれば理屈はあとでついてくる」とか、恐るべき国連憲章否定論が公然とでてきています。

 アメリカのハーバード大学のハンチントン教授という著名な政治学者は、「アメリカはほぼ定期的にさまざまな諸国を『ならず者国家』呼ばわりするが、多くの諸国にとって今やアメリカのほうが『ならず者の超大国』なのである」(『論座』6月号)といいましたけれども、アメリカの覇権と横暴にこそ、二十一世紀の世界平和の最大の脅威があるということをしっかりみすえて、私たちは、国際的にも国内でもたたかいをすすめていきたいと考えるものであります。

理性の立場からの批判の広がり――三人の国際的政治家の発言

 同時に、他方には、こうした動きにたいする批判もひろがっています。私は、三人の国際的政治家の発言を紹介したいと思います。

 一人目は、ガリ国連前事務総長です。ガリ氏は、最近の著作やインタビューのなかでこういうことをいってます。「(ユーゴ空爆は)明らかに国連憲章違反であり、非常に危険な前例となる」。「米国は外交の重要性などほとんど考えない。『力』があればそれで十分で、外交などつけ足し程度だと思っている」(「朝日」7月11日)。こういうきびしい批判です。

 二人目は、国連安保理の常任理事国の一つである中国の江沢民主席の最近の発言です。ユーゴ空爆は「孤立した事件ではなく、どのような国際新秩序を確立するか、二十一世紀がどこへ行くかにかかわる根本的問題である」。「民族問題は非常に複雑かつ敏感であり、外部の武力介入に頼るのは何ら問題を解決できない」。「『国連憲章』の趣旨と原則を堅持してはじめて、各国は仲良くつき合い、共に発展し、世界の平和を擁護、促進することができる」(『北京週報』6月22日号)。こういう発言です。

 三人目は、NATO諸国のなかからの声です。旧西ドイツのシュミット元首相が、最近、「NATOはアメリカのものではない」という論文を書きました。そのなかでこういっています。「(コソボ問題について)仮に紛争を強い力で押さえつけることができたとしても、持続的な解決をもたらすことはできない」。「(空爆は)国際法上、それを正当化する確かな根拠を持っていない」。「(NATO条約を改正するにしても)国連憲章の優位を出発点としなければならない」(『世界』7月号)。シュミット氏は、NATOを肯定する立場ですが、国連憲章を大事にしなければだめだ、これを破る空爆は許されないという立場からの批判であります。

 三人の国際的政治家の声を紹介いたしましたが、私はこれは、世界の理性を代表する声だと考えるものであります。

 アメリカが横暴をほしいままにする戦争と抑圧の「国際秩序」を選ぶのか、それとも国連憲章にもとづく平和の国際秩序をつくるのか――二つの国際秩序のどちらを選ぶかがいま人類に問われています。みなさん、どちらに人類の未来があるかは、あまりにも明りょうではないでしょうか。(拍手

憲法九条をもつ日本こそ、平和の世界秩序をきずく先頭にたとう

 そして日本が、この二つの国際秩序のどちらの側にたつかは、日本国民の運命にとってのみならず、世界の平和を左右する重大問題だということを、私は訴えたいのであります。

 自民党政治が突きすすんでいる道というのは、アメリカの無法な「国際秩序」に日本を全面的に組み入れる道です。日本は、海兵隊と空母機動部隊という、海外への”なぐりこみ”部隊を中心とする米軍基地をおかれ、地球的規模でのアメリカの干渉戦争の根拠地とされ、その基地の重圧にずっと苦しめられつづけてきました。くわえて、ガイドライン=戦争法というアメリカの干渉戦争に参戦する体制までつくられました。地球の西半分はNATOで、東半分はガイドラインで――これがアメリカの確立しようとしている体制です。

 このガイドライン=戦争法というのは、その内容のうえでは日米安保の条約改定にひとしい重大な内容ですけれども、日米両国政府は条約改定をしないで、なしくずしに安保を変質させるという手法で、これをおしすすめました。これは逆にいいますと、日本には条約的義務はないということであります。つまり、日本国民の意思でこの発動を止めることは可能だということであります。私は日本国民を危険にさらし、世界平和をおびやかす無法への加担の道を、きっぱり拒否するたたかいを、さらに大きくひろげようではないかということをよびかけたいと思うのであります。(拍手

 そしてみなさん、二つの国際秩序の衝突といいましたが、日本には憲法九条があります。戦争の放棄、武力の行使ならびに武力の威嚇の禁止、いっさいの軍備の禁止という、恒久平和主義の徹底という点で世界で先駆的な憲法九条をもつ国が、日本であります。二つの国際秩序の対立のなかで、憲法九条をもつ日本こそ国連憲章にもとづく平和の国際秩序をきずく先頭にたつことがもとめられているのではないでしょうか。(拍手

 そしてそのためにも、日米安保条約の是非を本格的に問うことがもとめられる段階にきていると思います。みなさん、二十一世紀には、日米安保条約を廃棄し、基地のない平和な日本、アメリカの無法な戦争に参加する危険から解放される日本、そして世界の平和秩序のために道理をもって貢献することのできる日本を、ごいっしょにつくっていこうではありませんか。(大きな拍手

経済――大企業の目先の利潤追及の応援か、国民生活と国民経済に責任をおう政治か

 第二に、経済の問題ではどうでしょう。私は、経済の問題でも、二十一世紀の日本経済のあり方をめぐって、二つの道の選択が問われていると思います。

 端的にいいまして、大企業の目先の利潤追求を応援する政治か、それとも国民生活と国民経済全体に責任をもつ政治か、この選択であります。

 私は、いま深刻になっている二つの社会問題から、この問題を考えてみたいと思います。

深刻化する失業問題――「産業競争力」の名でのリストラ=首切り競争を政府が応援

 まず第一は、失業の問題です。

 いまの深刻な失業、雇用不安の根源に、大企業のリストラ競争、首切り競争があることはいうまでもありません。これがどんなに非人間的な実態か。日本共産党の国会議員団と、「しんぶん赤旗」が、ある企業の告発をしました。

 家庭用ゲーム機器のメーカーであるセガという会社です。この分野で、もうけをためこんでいる会社ですが、これがまさにひどいリストラをやっている。会社のなかに”リストラ・ルーム”と社員が恐れる部屋をつくった。この部屋には窓もなく、電話も外につながらず、私物の持ち込みもできない、仕事はいっさいあたえられない。ここに「隔離」して退職を強要するというやり方です。

 これを「しんぶん赤旗」がとりあげましたら、大反響となりました。党本部のホームページに十日間あまりで二万八千ものアクセスがありました。朝日新聞や週刊誌などもこれを後追いでとりあげました。わが党が国会でこれをとりあげると、労働大臣も「事実とすればゆゆしき事態だ」、こういわざるをえませんでした。

 ところが、この「ゆゆしき事態」を、つまりリストラ競争、首切り競争を、政府があげて応援するということがいまやられているではありませんか。きのう「産業再生」法案というのが国会に提出されましたが、この法案を皮切りにして、いま政府は「産業競争力」の名で、大企業のリストラを応援する、いたれりつくせりのしかけをつくろうとしています。

 大企業が設備投資を廃棄するときに、税金をまけてやる。大企業が抱えている売れない土地を公的資金で買い上げてやる。大企業が銀行にたいして負っている借金を一部棒引きにしてやる。つまり、大銀行に入れた公的資金の一部を、産業界にも横流ししてやろうという計画です。

 シナリオを書いたのは、すべて経団連です。読んでるのが小渕首相です(笑い)。経団連の本音は、「銀行に税金を入れるんだったら、産業界にもよこせ」、まさに、たかりの論理そのものですよ。これがやられたら、みなさんの税金がここに流しこまれるだけではありません。大量の失業者がでることは、火をみるよりもあきらかであります。

”合成の誤謬(ごびゅう)”――政治の役割とは何かがいま問われている

 大企業が首切り競争に走り、それを政府があげて応援する。いきつく先はどうなるでしょう。

 近代経済学の命題のなかに、”合成の誤謬(ごびゅう)”ということばがあります。一つ一つみると正しいことのようにみえても、全部をあわせると、とてつもないまちがいになるというものです。

 一つ一つの企業をみれば、リストラをすすめれば目先の利益はふえるという計算になるでしょう。しかし、すべての企業がそれをやれば、雇用不安はひどくなり、国民の消費はますます冷え込み、経済への壊滅的打撃になります。経済がひどくなれば、結局は企業の利益もあがりません。企業の利益があがらなければ、もっとリストラをすすめようという悪循環におちいるではありませんか。個々の企業では利益があがる計算でも、社会全体ではなりたちません。いま財界と政府が一体になってすすんでいる道は、国民生活の悪化はもとより、国の経済、国民経済がなりたたなくなる道であるということを、私は怒りをこめて、批判したいと思うのであります。(拍手

 政治の役割が問われているのではないでしょうか。大企業が目先の利潤追求第一で、社会のことを考えない行動をとったら、それをただすのが政治の役割ではないでしょうか。(拍手

 ヨーロッパでは政府が、そういう立場で行動しています。失業問題の解決にむけて、フランスでもイタリアでも、法律で労働時間を短縮して、雇用拡大をすすめています。解雇の問題でも、EU(欧州連合)として大量解雇への共通の規制がつくられました。これが、あたりまえの政府のやるべき仕事ではないでしょうか。

「過剰」なのは雇用でなく労働時間――大企業の横暴をおさえるルールづくりを

 ところが、日本の政府は逆立ちをやっています。先日だされた経済企画庁の『経済白書』では、経団連の口移しで、「三つの過剰」ということをいいだしました。「債務と設備と雇用の過剰」というんです。

 だいたい、借金や機械の「過剰」と同列に、人間の「過剰」をいう、この非人間性はどうでしょう。働いている人間には、みんなかけがえのない人生があり、家族がある。それを、古くなった機械と同じように、廃棄していこうという、この非人間性。これを財界が言って、そのまま口移しにする政府の非人間性は許せません。

 「過剰雇用」というのだったら、よっぽど職場がひまか。そんなことはありません。リストラの重圧のもとで、毎日何時間もの残業をやりながら、必死になって働いている。日本の労働時間は、ヨーロッパに比べて年間三百時間から四百時間も長いのです。「過剰」なのは、雇用ではない。労働時間こそ過剰ではないでしょうか。(拍手

 財界筋の社会経済生産性本部というところが、”サービス残業をゼロにすれば九十万人、残業ゼロにすれば二百六十万人の雇用が増える”という試算をしました。試算をまとめた樋口美雄慶応大学教授は、こういっています。「短期的には、人減らしで利潤が増えるかもしれないが、長期的には、働く人の意欲をそぎ、人材を失い、企業の競争力もなくなる」。真実をいいあてた言葉だと思います。

 大企業が目先の利潤追求に走ることを野放しにすれば、国民の暮らしが荒廃するだけではありません。社会全体が荒廃し、結局は企業も荒廃する。政治の役割は、そういう身勝手をやめさせて、大企業に、その力にふさわしい社会的責任をはたさせることであります。

 私たちは、労働条件でも、中小企業でも、環境でも、金融でも、農業でも、あらゆる分野に企業活動の民主的ルールをつくる、そうすれば世界第二の経済力を、国民のために生かす道がひらかれるし、国民経済全体のつりあいのとれた発展も保障されるという提案をしておりますが、ここにこそ、経済をまともにたてなおしていく、唯一の活路があるのではないでしょうか。(大きな拍手

介護保険で政府・与党が迷走――日本共産党の緊急提案を真剣に検討せよ

 もう一つ、身近な問題で大きな社会問題になっているのは、介護保険の問題です。

 来年四月の実施を目前にして、矛盾が噴出しています。「介護サービスがとても足らない」、「保険料があまりに重荷だ」、「いまのサービスの水準よりも低下する」など、いろいろな不安の声、怒りの声が渦巻いています。

 日本共産党は、先日、こうした深刻な現状を打開する緊急提案として、全国的な実態調査をおこなうこと、介護の基盤整備などに全力をあげること、保険料徴収は一定のサービス提供の準備がととのうまで延期すること、その期間もサービス供給は責任をもって始めること、こういう四つの提案をいたしました。

 いま、政府・与党がここでも迷走を始めました。自民党の一部からも、「当面、高齢者の保険料を半額にすべき」だという意見がでてきました。それをいった政調副会長は、「老夫婦に月額六千円も負担してもらえるのか」といったそうですが、もともとそういう仕組みをつくったのが、政府・自民党ではありませんか。しかし、ここまで制度の矛盾を、いわざるをえなくなってきた。制度の矛盾を認めるなら、そんな中途半端な措置ではなくて、日本共産党の緊急提案を、真剣に検討すべきです。このことを、おおいにせまっていこうではありませんか。(拍手

 どうして、こういう問題がおこるのか。それは、公的介護の制度をつくるさいに、福祉と保険を結びつけて充実させるのではなくて、福祉の部分を切り捨てる。国と自治体で四千五百億円も、財政支出を減らすというところからおこっている矛盾です。これは介護だけではありません。医療も年金も、社会保障全体が、財政支出の切り捨ての対象、抑制の対象になっています。

財政破たんの二つの原因――ゼネコン・大銀行への税金流し込みと、税制の深刻な空洞化

 こういうことをいいますと、政府は「財政難だから仕方がない」という一言です。たしかに、国と地方の借金は六百兆円というとほうもない額になりました。まさに深刻な危機です。しかし、これは社会保障に手厚い財政をおこなってきた結果ではありません。あらためて、九〇年代に入ってからの経過を調べますと、この空前の財政破たんは、二つの原因があわさってつくられたということが、はっきりわかります。

 第一は、ゼネコンと大銀行への税金の流し込みです。

 ゼネコンと大銀行は、バブル経済が破たんしたさいに、大量の借金を抱え込みました。これを税金で救済することに熱中する――これが自民党政治のやってきたことでした。

 まず、景気対策のかけ声で、公共事業を異常に膨張させました。ゼネコン救済がその目的でした。公共事業費をみますと、八〇年代後半には年間平均約三十兆円だったのが、九〇年代に入って急膨張して、九三年ごろから年間だいたい五十兆円の体制がつづくようになりました。八〇年代後半に比べまして、九〇年代の十年間で公共事業の膨張額は、累積でなんと約百七十兆円にものぼりました。

 つぎに、大銀行への税金の流し込みが始まりました。大銀行支援の六十兆円の枠がつくられました。この枠からどれだけ支出されているのかを、最新の数字で調べてみましたら、もう十五兆円以上もでています。まだまだこれじゃ足らないともいっています。どこまで流出するかわかりません。どこまで穴があくかもわかりません。

 ゼネコンと大銀行という、バブル経済をつくりだした犯人――加害者を、バブル経済の被害者である国民の税金で救うとは、まさに逆立ち政治。これ以上ぴったりくる言葉はないではありませんか。(拍手

 財政破たんはもう一つ原因があるのです。第二の問題は、税制自体が深刻な空洞化に直面しているということです。

 九〇年代に入っての国の税収の推移を調べてみましたら、九〇年度には六十兆円あった税収が、九九年度には四十七兆円に、十三兆円減りました。これは、不況の影響だけではとうてい説明がつかない数字です。なぜならば、不況といってもこの九年間で国民所得は約一割伸びているのです。それなのにこんなに税収が落ち込むというのは、税金の政策がまちがった結果です。法人税は十八兆円から十兆円に、八兆円減りました。所得税は二十五兆円から十五兆円に、十兆円減りました。あわせて十八兆円も減りました。大企業と金持ちに、税金の優遇をほどこし、さらに減税をおこなってきた結果が、こうした税収減となってあらわれました。

 消費税はどうでしょう。国税分で、この九年間に四兆円から十兆円と、六兆円も増えました。ところが大企業と金持ちに税金をまけてやったおかげで、消費税が増えた分がそっくりのみこまれ、それでもとうてい十八兆円の穴は埋まらない。こうして、みなさんが毎日消費税をあんなに苦労して納めているにもかかわらず、税制の深刻な空洞化がおこっているのです。

 ここでも、大企業の目先の利潤追求の応援という政治が、大破たんしているのではないでしょうか。

税金の使い道、取り方――両面での逆立ちただす大改革を

 こんな政治を放置するならば、国の破産か、消費税の大増税という国民生活の破産にいきつくしかありません。私たちは、財政と税制の根本からの再建が必要だと考えます。税金の使い方、取り方、両面での逆立ちをただすことが、どうしても必要であります。

 使い方では、異常膨張した公共事業費を、ゼネコンむけの浪費部分を中心に、計画的に半分にするぐらいまでの削減をおこなう。大銀行への税金投入を中止する。取り方では、大企業優遇、金持ち優遇のいろいろな税のがれの不公正をただす。そうすれば、高齢化をささえる社会保障の財源をつくり、消費税は減税から廃止に道をひらき、財政の計画的再建の道もひらかれる。ここでも政治のあり方の大転換をはかりたいというのが、私たちの展望であります。(拍手

民主的政権への道をどうやって開くか

 みなさん、日本共産党がめざしているのは、外交でも、経済でも、いまお話しした、「国民が主人公」の日本への改革です。それを実現する民主的政権を、二十一世紀の早い時期に樹立するというのが、私たちの大目標であります。(拍手

 最後にその道をどうやってひらくのかという問題です。三つの点を私は申しあげたい。

国民的な世論と運動をひろげ、新しい民主日本建設の国民的合意を

 第一は、国民的な世論と運動をもっともっと活発にするということであります。

 戦争法の問題、盗聴法の問題、そしてあすは大集会も企画されていますが、「日の丸・君が代」の問題など、さまざまな問題で、これまで私たちと接触のなかった方がたもふくめ、劇的な共同の広がりがいまつくりだされつつあります。共同と対話をひろげ、新しい民主日本の建設の国民的な合意をつくりあげていこうではありませんか。(拍手

国会の力関係を変える――日本共産党の躍進のなかで政界地図も変わる

 第二に、国会の力関係を変えるということです。

 「自自公」の横暴ということを冒頭申しましたが、これに対抗する野党の戦線がつくられていません。いろいろな大衆集会に一緒に参加するという形はありますが、政党と政党との関係で横暴に対抗する戦線はまだつくられていません。これを打開する最大の力は、自民党政治の根本的転換という旗印をかかげた日本共産党が躍進することではないでしょうか。(拍手

 私たちは、民主的政権への第一段階の目標として、「衆議院で百議席以上、参議院で数十の議席をめざす」ということを大会で決めました。これだけあったら、ずいぶんいろんな仕事ができます。国会も、日本共産党の動向をぬきには簡単に動かすことはできなくなるでしょう。そしてそういう成長の過程で、私は現在の政界地図も変わってくると思います。わが党と、政権の上でも協力できる潮流が、そういう過程の中で生まれてくるだろうという展望を、私たちはもっています。

 きたるべき総選挙で、この第一段階の目標に最大限接近する立派な成果を、おさめようではありませんか。(拍手

草の根の力関係を変える――党創立いらいの誇るべき伝統をひきついで未来をひらこう

 そして第三に、草の根の力関係を変えるということであります。

 私たち日本共産党は、全国に二万六千の党支部をもっています。先日、私たちは「支部の経験を聞く会」という会議を、伊豆の学習会館で三日間かけておこないました。そこでは、草の根から国民の力を結集して、政治を変える仕事にとりくんでいる、全国のすすんだ支部の姿が生きいきと交流されました。取材にきていたマスコミの記者から「共産党の強さの秘密をみる思いがした」とか、「それにしてもどうしてこんなに熱心にやれるのか」とか、驚きや注目の声が寄せられました。この草の根の力をおおいに強め、二十一世紀の民主的政権への道を、私たちは「支部が主役」で切りひらきたい。このように考えています。

 私が、この会議で支部の経験を聞いての感動は、支部という集団、日本共産党という集団の、人間集団としてのすばらしさです。不当な迫害や圧迫に屈せず、社会の進歩、国民の利益のためにたたかう、そのなかにみずからの人生の生きがい、人生の真の幸福をみいだす――これは、戦前の暗黒時代の困難のもとでたたかった私たちの先達たちからひきついだ、わが党の誇るべき伝統であります。

 みなさん、この伝統をしっかりとひきつぎ、二十一世紀の新しい国づくりの道を、ともにすすもうではありませんか。(長くつづく大きな拍手


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