Point

日本共産党創立78周年記念講演会

不破委員長の講演から


日本共産党の戦前の歴史――宮本さんの事件の真相

 総選挙では、日本共産党名誉議長・宮本顕治さんの戦前の事件にかかわる攻撃がおこなわれました。

 この問題では、戦前の日本社会がどうであったかをみる必要があります。当時の日本は文字通りの「天皇を中心とする神の国」。天皇や侵略戦争を批判することは極悪の犯罪とされました。

 一九二二年創立の日本共産党は、主権在民の民主政治の実現、侵略戦争と植民地支配をやめさせることを主張。そのために、存在自体が弾圧の対象となり、最初から非合法の政党とされました。

 不破委員長は、「同じころ、世界各国で共産党は生まれたが、最初から非合法にされたのは、サミット諸国では日本だけ」だと指摘しました。特高警察による弾圧、迫害は本当にひどいもので、拷問で日本共産党員を殺害したり、スパイをもぐりこませて弾圧の手引きをさせるなどしました。

 こうしたなかで一九三三年、二十五歳の若さで中央委員会に入った宮本さんらが二人のスパイに気づき、調査しました。その過程でスパイの一人が心臓死するという不幸な事件がおきました。宮本さんを逮捕した特高警察はこれを、「指導権争いによるリンチ殺人事件」だとして大々的にデマ宣伝。反共謀略ビラが宮本さんの事件としてとりあげたのは、六十七年前の特高警察のデマ宣伝をそのまま蒸し返したものです。

 しかし、宮本さんは、デマ宣伝をうちくだく歴史的な法廷闘争を展開。戦時中の無法な法廷でも、「殺人」の罪をなすりつけることはできませんでした。

 宮本さんの獄中・法廷闘争を支えた、妻で作家の宮本百合子は、「日記」に、こう記しています。

 「極めて強烈な印象を与える弁論であった。詳細に亘る弁論の精密適切な整理構成。あくまで客観的事実にたってそれを明瞭にしてゆく態度。一語の形容詞なく『自分としての説明』も加えず。胸もすく堂々さであった」(第四回公判、一九四四年)

 宮本さんは戦後、政治犯として釈放され、一九四七年五月には日本政府は全面的復権を認める「復権証明書」を出さざるをえませんでした。

 不破委員長は、「これは、法的にも政治的にも完全に決着がついた問題。それを反共攻撃のためにくりかえし持ち出すことは、それ自体、自分が戦前の暗黒政治の後継者であることを告白しているのと同じ」だと批判しました。

戦後の党の歴史――先駆性明白な憲法問題

 戦後の歴史にかんし憲法問題を反共攻撃の材料にする例がありましたが、あまりにも歴史を知らなすぎます。憲法問題は、命がけで国民主権を貫いてきた民主主義の政党・日本共産党の真価を発揮した分野です。

 一九四五年十一月十日に発表した日本共産党の「新憲法の骨子」は、「主権は人民にある」と、国民主権の原則を高らかに宣言。一方、他の党は、みな、国民主権を主張せず、天皇主権に固執しました。

 日本自由党案(四六年一月二十一日)―「天皇は統治権の総攬(そうらん)者なり」。

 日本進歩党案(四六年二月十四日)―「天皇は…統治権を行う」。

 日本社会党案(四六年二月二十三日)―「主権は国家(天皇を含む国民協同体)に在り」。

 四六年六月、憲法制定議会が召集されました。しかし、そこに提出された政府の「新憲法草案」(六月二十二日)にも主権在民の規定はありませんでした。

 日本共産党は同年六月二十八日、「日本共産党憲法草案」を発表。「日本人民共和国の主権は人民にある」(第二条)と、あらためて主権在民の原則を明確にするとともに、新憲法制定の審議で、「主権在民」の明記を強く主張しました。

 こうした、戦前いらいの日本共産党の主権在民の主張、たたかいと内外の民主的世論の高まりのなかで、結局、日本国憲法に「主権在民」の規定が書き加えられました。

 反共勢力は、日本共産党にたいし、「日本人民共和国」と共和制をめざしたことや「人民」の言葉がついていることについて“とんでもないことだ”と攻撃を加えています。この点について不破委員長は、「戦争の問題でも、民主主義抑圧の問題でも、その体制的根源は絶対主義的天皇制にあった。そのことをはっきり認識していた日本共産党が、国民主権を実現する政治体制として、天皇制の存続に反対し、共和制を主張する立場に立ったのは当然でした」と強調。また「人民」という言葉についても民主主義を、「人民による、人民のための、人民の政治」とよんだリンカーンの言葉もひきながら、戦争中の「臣民」(天皇の家来)という言葉にたいし、「人民」が民主主義の時代を迎えた当時の当たり前の言葉であったことを説明しました。

 同時に、日本共産党の「憲法草案」の性格については、「これはその時代に先輩たちが知恵を結集して生み出した歴史的文書」であり「われわれの今後の行動は、それを基準にするものでも、それに拘束されるものでもありません」とのべました。

1950年代のソ連・中国の干渉と「軍事方針」

 日本共産党を「暴力革命の党」と中傷するため、一九五〇年代のあれこれの事件をとりあげた攻撃もありました。しかし、日本共産党の正規の機関が「暴力革命」などの方針を決めたことは一度もありません。

 この問題の本質は、ソ連・中国からの干渉にありました。一九五〇年に日本共産党を分裂させた「徳田・野坂分派」を使って、ソ連・中国流の武装闘争方針を持ち込もうとしたのです。それとのたたかいを通じて、今日の党があり、綱領があるというのが、もっとも重要なことです。

 日本共産党は、一九四六年の第五回党大会で「平和的かつ民主主義的方法」で社会の変革をめざすという方針を決めました。これにたいし、一九五〇年、コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)から、「アメリカ占領下での『平和革命』論は間違っている」と突然の「批判」がありました。この「批判」は、当時の徳田球一書記長ではなく、政治局員だった野坂参三だけを名指しで問題にしたものでした。これは、ソ連の情報機関につながる秘密工作者となっていた野坂に、新方針を伝えるためのメッセージだったとみられます。そのいきさつについては、不破委員長の著作『干渉と内通の記録』がソ連秘密文書をもとに明らかにしています。徳田、野坂は、党を破壊し、北京に亡命して勝手につくった「北京機関」を党の指導機関と称して、ソ連・中国じこみの方針を日本に持ち込んだのです。

 「徳田・野坂分派」の行動は、党の決定に根本的にそむいたもので、日本共産党の大会や中央委員会とはなんの関係もありません。

 当然、この路線は破たんしました。そして、日本共産党が統一を回復した第七回党大会(一九五八年)、現在の綱領を確定した第八回党大会(一九六一年)にすすむ過程で、(1)徳田、野坂らが党を分裂させたことの誤り、(2)ソ連・中国などの干渉に追随したことの誤り、(3)武装闘争路線を持ち込んだことの誤り――を明確にし、それを根本的に克服するなかで、今日の党の路線が確定したのです。

 不破委員長は、「反共派が『火炎瓶闘争』などといって問題にしているのは、ソ連・中国の言いなりになって党を分裂させ、北京に拠点をかまえた徳田・野坂分派が、党の決定にそむいてやったこと、今日の日本共産党が、この分派の後継ぎであるかのようにいいたてるのは、歴史を無視したまったくのいいがかりにすぎない。日本共産党の今日の路線は、この干渉をうちやぶるたたかいのなかで築かれたものだ」と強調しました。

世界の未来像と社会主義の展望――壮大なたたかいのロマン

 日本共産党にたいし、“資本主義の枠内での改革は、薄化粧だ。本音は社会主義にある”などという攻撃がありました。これは、日本と世界の未来をどう見るかにかかわる問題です。

 不破委員長は「いま必要な改革に真剣に力をつくしながら、日本と世界の将来像について、資本主義の枠にとらわれない壮大な理想をかかげる、これは世界と人類、日本社会の進歩を大きく展望する政党としては当たり前の立場だ」とのべ、社会の仕組みが永久不変ではないことを解明しました。

 日本列島でも数十万年前から人間が生活していたことが明らかになっていますが、当然、社会の交代も何回も経験してきました。利潤中心主義の資本主義がいつまでもつづくとは考えられません。それをのりこえて、資本主義時代に築かれた文化と経済の全成果のうえに、人間中心の新しい社会を築こうというのが社会主義の理想です。

 不破委員長は、綱領の社会主議論の大事な点として、次のような内容を明らかにしました。

 第一は、ソ連型の政治・経済体制、社会体制は、社会主義とは無縁の、人民抑圧型の体制だったというきっぱりした認識にたっていることです。

 第二は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、資本主義の価値ある成果のすべてをうけつぎ、発展させ、そこからの逆行は許さないという立場を貫いていることです。

 第三に、資本主義をのりこえた新しい社会の体制的な特徴はどこにあるか、大づかみにいえば、利潤第一主義をのりこえ、人間による人間の搾取をなくすことにあるということですが、綱領は、その詳細な青写真をかくことはしていません。それは、日本国民が、歴史の歩みのなかで解決してゆく問題だからです。

 不破委員長は、大量失業、環境問題、南北問題、多国籍企業問題、金融投機問題などいま世界が苦しんでいる問題の多くが、国境をこえた利潤第一主義に根ざしていることを指摘、二十一世紀には、世界的にも、この方針が歴史的な課題となるときが必ずやってくることを確信していると強調しました。

 「今日、日本共産党は『資本主義の枠内での民主的改革』、『日本改革』の実行をかかげ、この当面の課題に真剣にとりくむと同時に、未来に属する大きな展望――利潤第一主義をのりこえ、本当に人間が主人公だといえる理想社会の建設をめざす志を失わないところに、歴史の進歩の立場にたつ政党の本領があり、この党のたたかいのロマンがあります」――こうのべた不破委員長が「私たちが日本共産党という党名に誇りをもつのも、それが戦前・戦後の歴史を刻んだ名前であると同時に、理想社会を追求するこの運動の初心を代表する名前だというところにその根拠があります」と訴えると、大きな拍手に包まれました。

「しんぶん赤旗」2000年7月23日付掲載より


機能しない場合は、上にあるブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


著作権:日本共産党中央委員会

〒151−8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4−26−7
TEL:03−3403−6111 FAX:03−5474−8358