「しんぶん赤旗」日曜版 2003年7月6日号
先月発表された日本共産党の綱領改定案はマスコミにも大きく報じられるなど注目されています。日本共産党は国民とともに、どんな日本、どんな世界を、どういう道筋でつくろうとしているのか。二十一世紀の世界をどう見るのか、未来社会論を全面的に書き換えたわけは――。改定作業にあたった不破哲三議長に聞きました。
きき手:近藤正男日曜版編集長
――綱領改定案は歓迎と好感をもって迎えられています。作業にあたった当事者の思い、ご苦労された点がありましたら。
不破 三年前の党大会を準備したとき、「規約だけでなく、綱領もわかりやすいものを」という声があちこちからありましてね。それに応えて、もっと読みやすい綱領をつくると公約したのが、出発点でした。
それにくわえて、内容の問題がありました。いまの綱領を最初につくってから四十二年、情勢の新しい特徴や、私たちの活動と理論の発展をきちんと織りこんで、二十一世紀の活動の指針になるものにしよう、と。
このことでは、三つの問題が大きかったですね。
一つは、民主主義革命論。世界の運動のなかで、発達した資本主義の国の共産党が、民主主義革命を方針にして活動しているというのは、日本独特のことなんです。以前は、日本共産党といえば、ソ連などにたいする徹底した自主独立が注目されましたが、いまでは、この革命論にも、みんなの目が集まっています。それを、四十二年間の活動の全体をふまえて、より現代的で合理的なものに発展させる、これがなかなかの大仕事でした。
二つ目は、未来社会論です。二十一世紀は世界全体が激動の時代、資本主義のままでやってゆけるのか、これでいいのか、ということが、どこでも、いやおうなしに問題になってくる時代――私たちはこう見ています。そのとき、私たちがめざす社会主義・共産主義の未来像を、自信をもって語る力をもてるように、綱領のこの部分にも、うんと力を入れました。
三つ目は、その世界を全体としてどう見るのか。激動の時代という根拠はどこにあるのか。単独行動主義といわれるアメリカの横暴をどう見たらいいのか。新しい世紀を迎えての世界情勢論も、大きな取り組みでしたね。
――マスコミでは、政局がらみの批評もありましたが。
不破 私たちは、当面の政局目当てで綱領を考えることはしないんですよ。基準は、十年、二十年、三十年というモノサシで、歴史の試験にたえるものをどうつくるか、という点でした。
――民主主義革命論を仕上げたという部分を読んで、「身近になった」「すっきりした」という反響が目立ちました。
不破 「すっきり感」の一つに、民主連合政府をつくることが民主主義革命の要(かなめ)だとしたことがあったようですね。一九六一年に綱領を決めたときには、「民主連合政府はまだ革命ではない」と断っていましたからね。
――これまでは、そういう位置づけだったでしょう。
不破 それには、その時なりの理由があったんです。一九六〇年の安保闘争は安保条約反対の統一戦線でたたかった。そこで、その統一戦線の上に立つ政府ということで、「安保条約反対の民主連合政府」の旗をかかげたんです。しかし、革命となると、経済や国民生活の政策など、全部問題になりますから、大会でも「まだ革命の政府ではない」と言ったのです。
ところが、この四十二年間に、民主連合政府についての方針も成長をとげ、いまでは「日本改革」という総合プログラムにまで発展しました。ここには、いま日本の社会が必要としているほとんどすべての改革がふくまれています。これを実行することこそ、まさに私たちが問題にしてきた「民主主義革命」なんです。このことを、一歩踏みこんで明確にしたので、そこがすっきりしたという声を、よく聞きますね。
――たしかに、ここまでやっても、まだ先があるのか、という気持ちはありましたね。
不破 「あと、何が残っているの」と言われたりね。(笑い)
――「改革」と「革命」との関係もすっきりしましたね。
不破 「革命」とは、なにも物騒なことをやることではないんです。物事を大きく変えることが「革命」。森前首相の時代には「IT革命」と、そればかり言っていました(笑い)。政治の世界では、国の権力を古い勢力から新しい勢力に移すことが、「革命」と呼ばれるんです。
民主連合政府は、資本主義をなくそうという社会主義の政府ではない。資本主義の枠内での民主的改革の実行をめざす政府です。しかし、この「改革」をやるためには、政治の流れが大もとから変わり、日本の進路が変わる大変化――「革命」が必要なんですね。細川内閣の時のように、表向きは、政権の担い手が与党から野党に変わったが、政治の中身は変わらなかった、こんな調子の“政変”では駄目なんです。
――その改革の中身が、きちんと書かれるようになりましたね。これまでは、「行動綱領」、いわば当面の要求の一覧表でした。
不破 そこにまさに、四十二年間の政治の発展があります。最初に綱領を決めたときは、民主主義革命の任務を大きく独立と民主主義と規定したのですが、発達した資本主義国で、アメリカと大企業・財界を相手にした民主主義革命というのは、世界でも本格的な先例がない、日本の国民にもたたかいの経験がない、まったく新しい問題でした。だから、どんな改革を実行することで独立と民主主義の任務をやりとげるのか、そういう問題を綱領にはっきり書くだけの政治と理論の地盤がなかったんですね。
綱領を決めたあとですが、六〇年代の末から七〇年代の初めごろ、公害や物価の値上がりが日本中の大問題になって、主婦連のみなさんが、おしゃもじにスローガンを書いて、財界の総本山・経団連に押しかけたりする運動が広がりました。そのころの党大会で、私は、“大企業とのたたかいは「社会主義革命」しかないと言う人たちがいたが、国民の運動のなかで、「反独占民主主義」の運動が現に発展しているじゃないか”、こういう報告をしました。一九七三年の第十二回党大会、私が書記局長になって最初にやった大会報告でしたから、よく覚えていますよ。
こういう運動や政策活動の歴史を経て、綱領のなかに、「行動綱領」という要求の一覧表ではなく、民主的改革の内容を書きこむところまで来たんですね。
――こんどの改定案では、天皇制の問題も注目されています。
不破 改定案では、まず、現在の天皇制の特徴を、憲法にもとづいて分析しました。いまの天皇は、世界の君主国の国王や女王とは、性格が違うんですね。いわゆる君主制の国では、国王というものは、形式的には、国政にかかわる統治権をもっていて、それを憲法で制限し、実際上は民主政治の実質をとるようにしているのです。これが立憲君主制です。たとえば、イギリスでは、議会で施政方針演説をやるのは、女王なんです。
――そうなんですね。聞いて驚きました。
不破 書くのは政府ですが、読むのは女王です。首相を選ぶとき、国王や女王の意思が実質的に働く、こういう形で国王の統治権がむきだしに出ることも、現代史のなかでまだあるんです。
ところが、日本は、憲法に、「天皇は、……国政に関する権能を有しない」(第四条)とはっきり書いてある。主権者は国民であって、天皇には統治権はない。これが憲法の原則です。国の政治のあり方は、主権がどこにあるかで決まりますから、日本は君主制の国には入らない、これは憲法学者の大方の意見です。
これまでの綱領では、「君主制」という言葉があったのですが、国の体制を考える大事な点で、誤解を残しては困りますから、改定案では、「君主制」の言葉は使わないことにしました。
――そういう見方から、天皇制にたいする現在の態度、将来の態度を、きちんと書いたのですね。
不破 そうです。現在の時点では、憲法の条項、とくに「国政に関する権能を有しない」という条項を、きちんと守らせることが大事です。この条項は、戦後の日本で、天皇制が形を変えて残っても、国民主権という民主主義がつらぬける保障の一つともいえる、大事なものです。ところが、自民党政治の流れのなかには、天皇を「君主」扱いしたり、少しでも統治権をもつ方向にゆりもどそうとしたりする動きが、根強くあるんですね。こういう問題をタブーにしないで、憲法からの逸脱があれば是正する、民主主義の守り手として、この分野でも筋をとおしてゆくことが大事です。
将来の問題としては、私たちは、もちろん、天皇制を廃止して、日本が名実ともに民主共和制の国となることを、目標としています。一人の人間、あるいは一つの家族が、「国民統合」の象徴となるというのは、民主主義とも人間の平等とも相容れないことですからね。
しかし、天皇という制度は、憲法で決められていることですから、一つの政党がこう考えている、ということで、左右される問題ではありません。ですから、綱領改定案では、将来廃止をめざすという私たちの考えをはっきり述べた上で、「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」と、大きな解決の方向を示しているのです。
――世界情勢では、「帝国主義」のとらえ方が、すごく新鮮でした。
不破 独占資本主義イコール帝国主義というのが、これまでの常識でした。レーニンの時代から二十世紀のかなりの時期までは、この常識でよかったのですが、世界の植民地体制が崩壊した、そして植民地支配を許さない国際秩序が生まれた、ということで、世界の様子がすっかり変わってきたのですね。
私たちが、党の綱領で、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、その国が侵略政策や他民族抑圧の政策をとっている国だという批判と告発の意味をこめているのです。
レーニンが「帝国主義論」を書いたときは、独占資本主義イコール帝国主義という見方が、そのまま通用した時代でした。独占資本主義の国は、みな植民地支配にのりだし、領土の奪い合いの戦争をやりました。その根底には、独占資本主義に特有の拡張欲、侵略欲があったのです。
しかし、いまは、植民地体制がなくなった時代ですから、独占資本主義が拡張欲をもっているといっても、それがすべて植民地の領有とその拡大という形で現れるということにはなりません。ですから、こういう時代に、ある国を「帝国主義」と呼ぶためには、独占資本主義の国かどうかではなく、その国が、現実に、「帝国主義」と呼ぶべき侵略と他民族抑圧の政策をとっているかどうかを、基準にする必要がある――こういう考え方で世界を見る、というのが、綱領改定案で新しく提起した問題でした。
――「アメリカ帝国主義」という見方も、その基準からのことですね。
不破 以前は、「ソ連との対決」「共産主義との対決」を看板にして、ベトナム侵略戦争などの帝国主義政策をやってきましたが、ソ連の解体後も、今度は、「世界の保安官」を自認して、国連にも背をむけ、大義のない先制攻撃戦争を強行する、これは、新しい基準にてらしても、まぎれもない「帝国主義」の政策ですからね。
――改定案は、一方、日本の情勢をみるときには、「アメリカ帝国主義」という言葉を使っていませんね。
不破 一口でいえば、日本が安保条約を結んでいる相手は、アメリカという国だということです。条約を廃棄するときにも、アメリカ帝国主義の代表者なるものを探して、廃棄の通告をするのではなく、日本政府がアメリカ政府に通告するのです。改定案では、そういう国家関係をそのまま表現しています。ただ、安保条約でアメリカがやっている対日支配が「帝国主義的な性格」を持っていることは、きちんと分析し指摘しています。
安保廃棄をアメリカが受け入れ、対等・平等の日米友好条約が結ばれたときには、帝国主義の要素が入り込まない日米関係を実現できます。私たちは、アメリカが独占資本主義の体制のままでも、将来については、こういう展望がありうると考えています。
将来といえば、綱領改定案は、いまのアメリカの世界政策を「アメリカ帝国主義」と特徴づけています。これはたいへん根深いものですが、私たちは、この規定を永久不変のものとは見ていません。アメリカが一国覇権主義の世界戦略をすて、平和の国際ルールをまもることになれば、状況は違ってきますから。
――世界の見方に大きくかかわることですね。
不破 二十世紀に起こった世界の変化は、ものすごく大きかったんですよ。二つの世界大戦があり、そのあとも、アメリカはベトナム侵略戦争を、ソ連はアフガニスタン侵略戦争をやる、戦争ばかりの非常に暗い世紀であったかのように描く向きもありますが、この世紀に人類がかちとった前向きの変化には、本当に巨大なものがあるんですよ。
いま見た植民地体制の崩壊は、非同盟諸国という大きな結集体を生み出して、世界政治の一大勢力になっています。国民主権という民主主義の流れは、いまや世界政治の主流です。ここでも、大国の多くが君主制だった二十世紀のはじめとは、世界の姿はがらっと変わりました。そして、国連ができて、戦争のない平和の秩序をきずくことが、地球全体の大問題になってきました。こういう激動の時代ですから、いままでの理論にとらわれないで、現実を科学的に見る立場が、必要になってくる、と思います。
――帝国主義の見直しにも、世界の躍動が現れているんですね。
不破 それは、私たちの国際活動の実感でもあります。去年の八月、中国を訪問したときの大きな問題が、イラク戦争に反対する国際的な共同の力をどうつくるか、という問題でした。江沢民総書記(当時)と話し合ったとき、私は、このたたかいでは「アメリカ帝国主義反対の旗はいらない」と言ったのです。アメリカを帝国主義と見るものもそうでないものも、平和の国際ルールを破ることは許さないという立場で団結できる、これが問題の性格だということを話し合って、大いに共感しあったのです。
そのあと、緒方靖夫さん(国際局長・参院議員)たちが、中東・アラブ諸国を歴訪し、志位和夫さん(委員長)たちがパキスタンなど南アジアを訪問しました。パキスタンは軍事クーデターで生まれた政権、サウジアラビアは、イスラムの盟主といわれる王国です。そういう国の政府と会談しても、この論理に立てば、イラク戦争反対で一致できるんですね。
こういう活動の一歩一歩が、私にとって、世界の新しい姿に目を開かされる、感動に満ちた経験でした。
こんどの改定案に書いた帝国主義論とか、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの新しい動きとか、一つひとつの命題のなかに、実は、それこそ胸躍るような実感の裏付けがあるのです。
――それと、社会主義・共産主義への未来展望が結びつく……。
不破 ええ。二年前に緒方さんが、韓国・仁川で開かれた北東アジア三カ国の知識人の会議に参加したことがあるのですが、その会議の「宣言」が、二十一世紀を「ポスト資本主義の流れが加速する時代」と呼んでいました。二十一世紀が、資本主義の次の時代を模索する時代になるという見方は、世界のいろいろな部分に本当に広がっているんですね。
ソ連の崩壊の時、十月革命に始まった、資本主義から社会主義へという流れはこれで終わった、と見た人も多くいました。しかし、この流れは、ソ連では、スターリン以来の変質のなかで崩壊しましたが、流れそのものは、自力で革命をやった国ぐに――中国やベトナム、キューバに引き継がれて発展しています。中国やベトナムの「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みは、日本の経済界も注目する躍進ぶりを見せています。人口六十億人の地球で、その二割をこえる、十三億人以上の人たちが住んでいる世界が、そういう道をすすんでいる。
こうして、多面的な、躍動する世界を躍動的にとらえる、これも今度の改定の大事な仕事でした。
――「社会主義・共産主義」についてのこれまでの説明が一挙に変わりました。未来社会像を全面的に書き換えたわけと、勘どころを。
不破 これまでの説明は、未来社会を分配の方式中心に説明するものだったんです。最初の段階は「労働に応じてうけとる」、高度な段階では「必要に応じてうけとる」。これでは、未来社会の魅力が説明できないんですね。「労働に応じて」と言ったら、いまだって「労働に応じた賃金だ」と思っている人が多い。「必要に応じて」となると、誰でも欲しいだけうけとるなんて、そんな夢のような話があるか、ということにもなります。
この二段階論は、マルクスの「ゴータ綱領批判」という文章をよりどころにしているんですが、この文章を読み返してみると、マルクスは、未来社会を分配を中心に考えてはいけない、ということを、綱領問題の注意点として切々と説いているのです。
そんなところから、マルクスの真意もあらためてつかみ直し、生産のあり方がどう変わるか、それによって資本主義の矛盾をどう解決してゆくか、こういう形で未来像をとらえなおしたのです。
そのキーワードは、「生産手段の社会化」ですね。
――これまでの綱領では、その言葉が一カ所あるだけでしたね。
不破 社会主義の基本だという位置づけはあったのですが、解明はなかったのです。
実は、マルクスは、「ゴータ綱領批判」を書いて五年後に、頼まれてフランスの党の綱領の前文を書いたことがあるのです。生産手段を、生産者が集団としてにぎること――生産手段の社会化が人間の解放の大目標だということと、それを実現するためには、普通選挙権の活用、つまり選挙で多数をとることが重要だということ、この二つの点だけを書いた短い文章でした。分配のことなど、一言も書いていませんでした。
資本主義というのは、生産手段を、生産者ではなく個々の企業がにぎっていて、利潤が経済を動かす最大の目標になる、そこから搾取も起きれば、不況や環境破壊も起きる、「生産手段の社会化」というのは、その大もとを切り替えて、人間社会の発展の新しい展望を開くことで、そこに社会主義・共産主義のそもそも論があります。
改定案では、「生産手段の社会化」が、どういう点で現代社会の諸問題の解決になるか、という点を、三つの角度から押し出しました。(1)人間の生活を向上させ、人間の豊かな発展の土台をつくりだす、(2)経済の計画的な運営が可能になり、不況や環境破壊の問題に正面から立ち向かえるようになる、(3)浪費やむだをなくして生産力の飛躍的な発展に道を開ける。私は、報告でこれを「三つの効能」と呼んだのですが。
――資本主義とは効率的だと言われますが……。
不破 効率、効率というけれど、利潤第一主義というのは、むだが多いものなんですよ。大型公共事業で、何十億円、何百億円というお金をつぎこみながら、採算がとれないとか、使い道がないとかで困っているものが、日本中にごろごろしているでしょう(笑い)。あれも、利潤第一主義のむだの現れです。
――新しい綱領改定案によって、党の活動は今後どのように。
不破 私たちが、国民とともに、どんな日本、どんな世界をつくろうとしているかを、大いに語ってゆきたいですね。社会主義・共産主義の未来像のことも、将来の話ではありますが、多くの方に日本共産党を分かってもらう点では、いまでも切実な問題です。貯金をはじめ、私有財産がとられてしまうとか、この点での誤解が、ずいぶん広くありますからね。
党全体が、綱領改定案で、日本共産党がやってきたこと、これからやろうとすることを、あらためて整理した形でつかみ、身につけてゆけば、これが新しい力を生み出すことは、間違いないと思います。
十一月の党大会まで、大いに討論をつくしますが、党外の方がたの意見についても、私たちは真剣に耳を傾けて、よりよい綱領をつくってゆきたいと思っておりますから、遠慮なさらないで、意見を寄せていただきたい、と思います。
――ありがとうございました。
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