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5月24、25日に開かれた日本共産党第六回中央委員会総会で、志位和夫委員長がおこなった幹部会報告と結語は、次のとおりです。(2003年5月27日(火)「しんぶん赤旗」掲載)
みなさん、おはようございます。衛星通信をごらんの全国のみなさんにも、心からのあいさつをおくります。
私は、幹部会を代表して、第六回中央委員会総会にたいする報告をおこないます。
はじめに情勢の焦点と日本共産党の立場について、いくつかの角度から報告します。
まず、イラク戦争と世界の平和秩序の展望についてであります。
イラク戦争は、米国ブッシュ政権の新しい危険な世界戦略が、本格的に発動された最初の戦争となりました。
ブッシュ政権が、昨年来、一連の公式文書で明らかにしてきた世界戦略とは、(1)テロや大量破壊兵器への対抗を名目にした先制攻撃を軍事戦略の基本にすえたこと、(2)米国に敵対する政権の転覆と、領土の占領をあからさまに掲げたこと、(3)国連の役割を否定して米国の独断で武力行使をおこなうことを宣言したこと──などを特徴としていました。
「先制攻撃による政権転覆を国連無視でおこなう」──イラク戦争は、このブッシュ戦略を、文字どおり実行に移したものでした。これが、国連憲章の平和のルールにたいする正面からの挑戦であり、破壊であることは、論をまちません。
イラクにたいする国際社会の今後の対応として、つぎのような点が重要であります。
第一は、この無法な侵略戦争を追認してはならないということであります。この戦争がいかに無法であり、どんな非人道的な惨禍をもたらしたか──そのことを国際社会はきびしく検証し、追及するべきであります。戦争の最大の口実にされた大量破壊兵器は、いまだに発見されておらず、国連査察団のすみやかな復帰によって、真実を明らかにすることも、強くもとめられています。
第二は、米国の先制攻撃戦略のいっそうの拡大を許さないということであります。先制攻撃戦略は、イラクで終わったわけではありません。米国政府首脳は、シリア、リビア、イラン、北朝鮮などの名をあげて、「イラクの教訓に学べ」と脅迫しました。この動きにたいして、国際社会からきびしい批判が噴出したのは当然であります。無法な軍事的威嚇(いかく)、戦争の拡大を、世界に横行させてはなりません。
第三は、新しい植民地主義を許さないということであります。米国はいま、軍事占領をてこに、石油などの資源を思うままに収奪し、イラクに自分のいいなりになる政権を押しつけようとしています。さらに「中東の民主化」の名のもとに、アラブ・イスラム諸国を、米国のいいなりの体制につくりかえる戦略を公言しています。民族自決権を正面から蹂躙(じゅうりん)する野蛮と横暴の復活を、許してはなりません。
米英軍が、イラクの軍事的制圧に成功し、力ずくで支配体制を押しつけ、当座の矛盾はおさえ込んだとしても、こうしたやり方は、イラク国民との矛盾、中東諸国民との矛盾を広げざるをえないでしょう。
イラク復興は、イラク国民の意思にもとづいてすすめられるべきであり、そのためには国連が中心的役割をはたし、米英軍をすみやかに撤退させることが必要であることを、わが党は強調するものであります。
それでは、世界の平和のルールをとりもどし、築きあげていく展望はあるでしょうか。これは、二十一世紀の世界を、大局的にどうとらえるかにかかわってくる、大きな問題であります。
たしかにいま、米国の覇権主義による深刻な危険と逆流が、国際政治にもちこまれていることを直視する必要があります。しかし、二十一世紀の世界は、その横暴になすがままにされる無力な世界ではけっしてないということを、強調したいのであります。
イラク戦争にいたる経過のなかで、昨年九月から今年三月にかけて、国連安全保障理事会を舞台に激しい外交的たたかいがおこなわれ、超大国の戦争を半年にわたって食い止めたことは、大きな歴史的意義をもつものであります。この外交的たたかいで、米国は、国連の戦争容認の決議を得ようと、各国政府に激しい圧力をかけましたが、国際社会は最後までその圧力に屈しませんでした。米国は深刻な外交的敗北のなかで、戦争に突入しました。国連が戦争を食い止めるための本来の機能と力を、今回ほど発揮したことはありませんでした。
これはつぎのような流れが、相互に支えあい、合流しあいながら、国連憲章を守る力となって働いた結果であります。
第一に、非同盟運動は、いっかんして無法な戦争反対の立場をつらぬき、世界政治を動かす独立した力として大きな役割を発揮しました。昨年十月以降、安保理では四回にわたって非理事国もふくむ公開討論がおこなわれ、そのたびに世界の人々の目の前で、世界の多数の国が戦争反対の立場にたっていることが明らかになりましたが、これらの公開討論をよびかけたのは非同盟諸国でした。アラブ諸国、イスラム諸国が、米国との複雑な関係をかかえながらも、平和と理性の声をあげたことも、重要な動きでした。
第二に、サミット諸国のなかで、米国の一国覇権主義に反対して、国連憲章にもとづく平和秩序をもとめる流れが形成されました。フランス、ドイツ、カナダなど米国と軍事同盟をむすんでいる諸国が、頑強に戦争反対をつらぬき、ロシアもこの流れに加わりました。これまでまがりなりにも結束してきた西側同盟諸国の立場が大きく分裂し、理性的な流れが形成されたことは、歴史上初めてのことであります。
第三に、中国は、昨年八月の不破議長と江沢民総書記(当時)との会談で、「イラク攻撃反対」を言明し、昨年十一月には、フランス、ロシアとともに平和解決をめざす「共同声明」に名を連ねるなど、積極的立場をつらぬきました。中国は、自国の経済建設のために、平和的な国際環境づくりを重視し、安定した中米関係を望む立場を持ちながらも、米国の覇権主義的行動を認めず、国連憲章を守り抜くという原則をつらぬきました。
第四に、これらの政府レベルでの平和の流れを、支え、促進したのが、地球的規模で広がった空前の反戦・平和運動でした。全世界の六百をこえる都市で、一千万人が参加した二月十五日の行動をはじめ、「国連憲章にもとづく平和秩序を守れ」という立場で、これだけの民衆が立ち上がったのは人類の歴史でも空前のことでありました。国連を舞台にした外交的たたかいと、各国民衆の運動とが、こんなに緊密に結びつき、たがいに支えあい、共鳴しあいながら、発展したことはありませんでした。
国際社会に働いたこれらの平和の力の歴史的意義は、一九六〇年代から七〇年代前半のベトナム侵略戦争の時代と比べると、いっそう明りょうとなります。当時の米国によるベトナム侵略は、ベトナム人民の英雄的な闘争と、戦争の泥沼化とともに世界に広がった反戦・平和の運動の力によって、撃退されました。しかし十数年におよぶ残虐な戦争において、国連は無力でした。国連安保理も国連総会も、侵略を抑制する何らの効果的措置もとることはできませんでした。発足して間もなかった非同盟運動も、この戦争においては、当初は、侵略反対の確固とした立場をとれず、今回のような先駆的役割を発揮できませんでした。
こうしてみますと、二十世紀から二十一世紀へ──大きな視野でとらえるならば、人類の歴史はたしかな進歩をとげている。このことに確信をもって、今後のたたかいにのぞもうではありませんか。
日本共産党は、イラク問題をめぐって、国連憲章にもとづく世界の平和秩序を築くための野党外交に力をつくしてきました。昨年八月の中国訪問、十月の中東諸国歴訪につづき、五中総後も十二月の南アジア諸国歴訪、二月の非同盟諸国首脳会議への初のゲスト参加など、平和解決のために世界各国政府との対話を積極的にすすめてきました。また節々でおこなった態度表明を各国政府に伝え、在日大使館との対話と交流も大きく発展しました。
わが党は、戦争を食い止めるため、あるいは戦争が開始されてからも、国民運動との共同で平和の集会にたびたびとりくむとともに、党独自にも、数回にわたる全国いっせいの抗議・宣伝行動、集会などにとりくみました。
高校生の全国平和集会、大阪の「せんそうアカン」の人文字など、若い世代が、戦争と平和の問題を、みずからの生き方にかかわる問題として真剣にとらえ、初々しい理性と感性を発揮してたちあがっていることは、大きな希望であります。
戦争か平和か──二十一世紀の世界の進路が根本から問われた激動のなかで、日本共産党がとりくんだ平和のための活動は、今後に必ず生きる大きな財産となることは、間違いありません。ここに深い確信をもってつぎのたたかいにのぞもうではありませんか。
つぎに北朝鮮問題と日本共産党の立場について報告します。
この間、北朝鮮の核兵器開発問題が、重大な国際問題になってきました。北朝鮮の核兵器開発の現状が、具体的にどういう段階かについては、さだかではありませんが、今年一月のNPT(核不拡散条約)脱退宣言などの一連の行動をみれば、北朝鮮が核兵器開発の道をすすんでいることは、疑いないことです。
日本共産党は、北朝鮮が、核兵器問題についての一連の国際取り決めを破ることは許されないことを指摘し、核兵器開発計画を放棄することを、強くもとめてきました。わが党はNPT体制を批判してきましたが、それは地球的規模での核兵器廃絶をめざす立場からのことであり、新たな核兵器保有国の出現をよしとするものでは、もちろんありません。いかなる理由によっても、核戦争を許さない立場が重要であり、いったんこの条約に加盟して核兵器を保有しない意思を表明した国が、核保有の道にのりだすことは、認められません。
同時に、この問題を解決する手段として、軍事の手段に訴えることを絶対に許してはならないことも、あわせて強調されなければなりません。北朝鮮の核兵器問題は、あくまでも平和的・外交的手段で解決すべきだし、解決することができます。わが党は、国際社会が、この立場を堅持して、問題解決にあたることを、あらためて強くもとめるものであります。
北朝鮮に、核兵器開発計画の放棄をもとめるうえで、この国が一連の国際取り決めを破っていることへの批判とともに、北朝鮮が核兵器開発にのりだしている「論理」そのものへの理をつくした批判が大切となっています。
北朝鮮政府の言明をみますと、「ただ物理的抑止力、いかなる先端武器による攻撃も圧倒的に撃退することのできる強力な軍事的抑止力を保有してのみ、戦争を防ぎ国と民族の安全を守ることができる」ということが強調されています。さらに、「物理的抑止力」を万能のものととらえるこうした「論理」の根本には、軍事力の強化を他のすべてに優先させる「軍事優先思想(先軍思想)」があります。
しかし北朝鮮にとっての安全保障の最大の問題は、「物理的抑止力」が不足していることにあるのではありません。北朝鮮にとっての安全保障の最大の問題は、周辺諸国とのまともな外交関係がなく、国際社会で孤立していることにあります。そして少なくとも、その原因の多くの部分は、北朝鮮自身にもあるということを指摘しなければなりません。
とくに、北朝鮮が、これまで犯してきた数々の国際的な無法行為について、その清算をおこなっていないことは、国際社会とまともな関係を築くうえでの最大の障害となっています。
一九八三年のビルマ(現ミャンマー)首都・ラングーンでの爆破テロ事件、八四年の日本海公海上での日本漁船銃撃事件、八七年の大韓航空機爆破事件、七〇年代いらい問題となってきた国際的な麻薬取引、七〇年代からおこなわれていた日本人拉致事件などの無法行為は、それぞれ重大なものであります。
北朝鮮が、国際関係で異常な姿勢をみせたのは、一九六七年の終わりごろから北から南に武力介入する「南進」の動きを露骨にし、六八年に韓国の大統領官邸を「武装遊撃隊」に襲撃させた事件にさかのぼります。この最初の重大な兆候があらわれた時に、日本共産党は党代表団を訪朝させ、「南進」の危険性と有害性を指摘しました。当時の北朝鮮の指導者・金日成は、「われわれは、主動的に戦争をはじめるつもりはない」と言明し、「武装遊撃隊」の活動も収束にむかいました。その後、一九七二年に金日成は、韓国政府にたいして、大統領官邸襲撃事件については、北朝鮮特殊工作隊の作戦だったことを認め、謝罪しています。
しかし、その後も、北朝鮮による無法行為はつづき、八〇年代には、国際的に重大な事件をつぎつぎに引き起こすにいたりました。日本共産党は、これをきびしく批判する立場をつらぬき、そのことによって北朝鮮側から「敵の側にたつ攻撃」という論難をうけるなかで、この二十年来、朝鮮労働党との関係は断絶状態にあります。
北朝鮮が、昨年九月、日本人拉致を実行した事実をみとめ、謝罪したことは、こうした無法の清算にむけた重要な一歩でした。しかし、残念ながら、そこから先の前進がみられないことも事実であります。
国際的な無法行為は、理由が何であれ、状況がどうであれ、絶対に許されないものであります。北朝鮮は、この清算に本気でとりくんでこそ、真の意味で国際社会の仲間入りが可能となります。それは、アジアの平和と安定をたしかなものとするだけでなく、北朝鮮自身の安全と利益にもかなうものとなるでしょう。
北朝鮮が、そうした努力をぬきに、「物理的抑止力」論と「軍事優先思想(先軍思想)」にたって、核兵器開発にのりだすことは、アジアの平和にとっても、自らの安全にとっても、有害かつ危険な道であります。
国際社会は、北朝鮮にたいして、「『物理的抑止力』論にたった核兵器開発を放棄し、国際的無法の清算で、国際社会の仲間入りを」という、理にたった外交努力をおこなうことが必要です。わが党としても、この立場にたって、可能な努力をつくすものです。
日本政府は、昨年九月に「日朝平壌宣言」という道理ある交渉の足場をつくりながら、北朝鮮問題の解決のうえで、しかるべき役割がはたせていません。逆に、「北朝鮮の脅威」をあおりたて、有事法制の強行にこの問題を利用することによって、軍事的緊張の悪循環をつくりだしています。わが党は、日本政府にたいして、昨年九月いらいの対北朝鮮外交の問題点の自己検証と、道理にたった外交交渉への努力を強くもとめるものであります。
わが党が、北朝鮮の安全保障ということをいうさいに、それを脅かしているものが、ブッシュ政権の先制攻撃戦略であることは、言うまでもありません。
ブッシュ大統領は、イラク、イランとともに北朝鮮を名指しして「悪の枢軸」としましたが、どの国にたいしてであれ、どんな理由であれ、この無法な戦略の発動の拡大を許さないことは、国際社会に強くもとめられていることであります。
同時に、北朝鮮が、こうした米国の戦略に対応するさいに、「物理的抑止力」論と核兵器開発という方向では、問題の真の解決とならないということを私たちは提起しているのです。
この道は、軍事的対応の強化と軍事攻撃の口実をあたえることにもつながりかねない、危険きわまりない核カードをもてあそぶ瀬戸際外交です。この道をすて、国際社会への参加という方向にすすんでこそ、戦争の口実をあたえず、自らの平和と安全を確保することができる。このことを強調したいのであります。
つぎに報告したいのは、小泉内閣の二年と当面の政治的焦点についてであります。
小泉内閣が発足して二年余りがすぎましたが、外交・安保でも、経済と暮らしでも、この内閣がやってきたことは、「自民党を変える」どころか、歴代自民党内閣のなかでも最悪の反国民的悪政の連続でした。それが、いま、あらゆる分野で国民との矛盾を深め、政治的激動の可能性をはらむ流動的な情勢が目の前で展開しています。
外交・安保の分野で、こんなに異常な対米追従、憲法蹂躙の姿勢をむきだしにした内閣はありません。小泉内閣は、この二年間に、ブッシュ政権が強行したアフガニスタンへの報復戦争、イラク戦争という二つの戦争に支持をあたえ、テロ特別措置法、有事三法案という二つの海外派兵法案を強行、ないし強行しようとしています。
憲法をかえりみない小泉首相の姿勢は、国会の場で「自衛隊も事実上の軍隊」といってはばからないところまで、エスカレートしています。憲法の平和的・民主的原則を守り、その全面実施をはかるためのたたかいは、いよいよ重要となっています。
いま参議院でのたたかいのさなかにある有事三法案は、米国の要求にもとづく海外派兵国家づくりを新たな段階にエスカレートさせる、重大な内容をもっています。わが党が、国会論戦で明らかにしてきたように、それは「日本を守る備え」でなく「米軍とともに攻める備え」であります。すなわち、米軍が引き起こす海外の先制攻撃の戦争に、自衛隊が公然たる武力行使をもって参戦し、罰則つきで国民を強制動員するところにその本質があります。わが党は、国民運動と共同して、憲法蹂躙の歴史的悪法の廃案のために最後まで力をつくす決意を、この場でも表明するものです。
同時に、かりにこの悪法が強行されたとしても、たたかいはつづきます。周辺事態法とともに有事法制の発動を許さないたたかいが重要となってきます。さらに有事法制の具体化を許さないたたかいが重要となってきます。
「武力攻撃事態法案」は、この法律を基礎として、海外派兵国家づくりのための、より具体的な法律──「事態対処法制」なるものを、こんご整備することを定めています。そのなかには「米軍支援法制」──「武力攻撃事態」のさいに米軍がおこなう軍事行動への自衛隊の支援の内容を決める法律が含まれています。国会審議において、その内容をわが党がただしても、政府は、「今後検討する」というだけで、ほとんど中身を示していません。
しかし、「米軍支援法制」は、これまでの周辺事態法では建前上禁止されていた「戦闘地域」での米軍支援──「武力行使と一体」となった米軍支援に公然と道を開くものとなるでしょう。それは、集団的自衛権は行使できないという従来の政府の憲法解釈といよいよ正面からぶつからざるをえないでしょう。有事法制の核心部分は、「米軍支援法制」という形で本格的に問題になってきます。これを許さないたたかいはきわめて重要であります。
有事法制をはじめとする海外派兵国家づくりの道は、内外での矛盾を深めています。この法案によって強制動員の対象とされる地方自治体の不安と批判は、きわめて根づよいものがあります。すでに地方議会での反対・慎重審議をもとめる意見書は六百三十八自治体と、全自治体のおよそ二割に達していますが、これは周辺事態法のさいの二百七十九自治体の二倍を大きくこえています。
アジア諸国からの憂慮と批判も広がっています。法案が衆院で強行されたさい、韓国の国会議員三十人から連名で、「有事法案に反対することを訴えます」という書簡が、わが国の全衆院議員にとどけられました。そのなかでは、「我が議員たちと大韓民国の国民たちは、有事法制が過去のアジア諸国家と国民たちに大きな痛みを与えた不幸であった戦争の歴史を再演しうるということに対し、深刻な憂慮を持っております」「有事法制は平和憲法の精神に真っ向からはずれるものだと考えます」「日本が国際社会のリーダー国家として認められる道は、軍事的位相の強化にあるのではなく、高い水準の道徳国家の面貌(めんぼう)を見せるところにあります」とのべられています。日本は、「軍事」でなく「道徳」の力で信頼される国であってほしい──ここにアジアの多数の良識ある声があります。
小泉内閣がすすんでいる、米国に追従した海外派兵国家づくりの道は、世界の平和の流れに逆行し、国際社会での孤立に日本を追いやる道であります。わが党は、この道をきっぱりと拒否し、憲法を生かし道理にたった外交の力でアジアと世界の平和に貢献する日本をつくるために、力をつくすものであります。
経済と暮らしの分野をみると、小泉内閣の二年間で、「構造改革」路線の破たんは、目を覆うばかりの惨状を呈しています。
第一に、この内閣が、「財政破たん」を理由に、不況下で、医療費の値上げや庶民増税など四兆円をこえる国民負担増政策を強行していることは、国民の生活と健康を破壊するとともに、日本経済の需要不足をさらに深刻にし、経済も財政も悪化させる悪循環を引き起こしています。
第二に、「不良債権処理の加速」路線が、貸しはがし・貸出金利引き上げなどで倒産・失業を増大させ、不良債権を拡大再生産する悪循環に陥っています。この政策は、中小金融機関のみならず、「りそな危機」にみられるように大手金融機関をも危機においこみ、国民の血税の投入を強いるとともに、金融の仲介機能をいちじるしく損ない、金融の深刻な委縮、金融のまひ状態を引き起こし、それが実体経済悪化をもたらし、さらに金融の危機を加速させるという悪循環をまねいています。わが党は、「不良債権処理の加速」をすすめる「竹中プログラム」の即時撤回を強くもとめるものであります。
第三に、大企業のリストラ応援・奨励政策によって、戦後最悪の規模での雇用不安と所得低下がつくられています。直近の三月の完全失業率は5・4%、失業者は三百八十四万人と、戦後最悪を更新しています。同じ三月の勤労者世帯の所得の落ち込みは、マイナス7・5%(前年同月比)という史上最悪の驚くべきものであり、年収に換算して平均四十六万円の所得減であり、まるまる一カ月分をこえる給与が失われたことになります。その一方で、五人に一人の労働者が、政府の統計でも週に六十時間、年間で三千時間をこえる異常な長時間労働を押しつけられています。いますすめられている労働法制改悪は、これらの矛盾をいっそう深刻にするものであり、許すわけにはいきません。こうした無謀なリストラの推進は、日本の産業と企業の将来にとっても、重大な障害をつくりだしています。
三つの角度から、この政権の陥っている経済政策の破たんについてのべましたが、これらはいずれも、経済危機をいよいよ深刻にさせる、いわば「逆噴射」政策であり、あらゆる分野で悪循環をつくりだしています。
小泉内閣は、どんなに経済情勢が悪化しても「改革の手を緩めない」としてこれらの「逆噴射」政策を強引にすすめる一方で、「景気にも配慮した」などとしてすすめている対策は、小手先の「株価対策」や、「都市再生」などと看板をつけかえた相変わらずの大型公共事業の積みましなど、破たんが明りょうになったガラクタばかりです。
「逆噴射」政策とガラクタばかり──これが小泉内閣の経済政策の特徴です。小泉内閣は、完全な経済手詰まり状態であります。この内閣に日本経済のかじ取りの資格はまったくないことは、いまや明らかではありませんか。
こうしたもとで、日本共産党は、二つの旗印を高く掲げて、暮らしと経済を再建するために、「たたかいの組織者」としての役割をはたしていくものです。
一つは、昨年九月に発表した「四つの緊急要求」にもとづく共同と運動をさらに広げることです。「緊急要求」でかかげた社会保障の負担増中止、庶民増税反対、中小企業つぶし政策の転換、雇用と失業対策の充実は、どれもひきつづき切実な意義をもつ要求であり、医師会や中小企業家など幅広い国民との共同の広がりによって、その大義が裏づけられている要求です。この要求にもとづくたたかいは、たんに暮らしを防衛することにとどまらず、小泉内閣の「構造改革」路線と正面から対決し、その転換を迫る運動であり、日本経済をたてなおす重大な意義をもったたたかいであります。
いま一つは、無謀なリストラに反対し、大企業に社会的責任をはたさせるたたかいです。一昨年九月に中央委員会名で発表した「大規模なリストラに反対し、雇用を守る国民的たたかいをよびかけます」に呼応して、全国各地で始まったたたかいは、重要な成果をあげつつあります。とくに「サービス残業」の根絶では、厚生労働省に是正の通達を出させ、一年半の間に六百十三社での是正をかちとり、八十一億円の残業代を支払わせました。このたたかいは、大企業にその力にふさわしい社会的責任をはたさせる「ルールある経済社会」をめざす長期の展望にたったたたかいであります。それは勤労者の生活と権利を守るだけでなく、日本にまともな経済と社会をつくっていく国民的意義をもったたたかいであります。そういう位置づけで、職場のたたかい、地域ぐるみのたたかいを発展させる先頭に立とうではありませんか。
つぎに政党状況と日本共産党の役割についてのべます。
五中総決定では、「今日の政党状況には、これまでにみられなかった新しい局面が生まれている」と分析し、「多くの政党が、訴えるべき政治戦略をもたず、よるべき組織ももてなくなった状況のもとで、政党らしい本来の活動を堂々とおこなっている、“政党らしい政党”が日本共産党だけであるというのは、重要な意義をもつ新しい政治局面」であるとのべました。その後の政党状況は、この分析の正確さを実証しています。
与党陣営をみますと、自民党は政治路線の破たんとともに、支持基盤の崩壊が引き続き深刻であります。そのもとで、公明党・創価学会は、自民党の組織的な支えだけでなく、政治的にも“自民党の反国民的政治の最悪の先兵”としての役割をはたしています。そうした“先兵”ぶりは、イラク戦争への支持、医療費負担増の推進などではっきり示され、国民との矛盾が大きく広がっています。自民党が、公明党・創価学会に、政治的にも、組織的にも、いよいよ深く依存することが、大局的にみれば、この党の衰退と退廃を、決定的なものとすることは、確実であります。
野党陣営について、五中総決定では、わが党以外の野党が「自民党政治をどう変えるかの旗印と戦略をもてない」という弱点をもっていることを指摘しましたが、この問題点は、有事三法案の衆院での強行に民主党と自由党が賛成したことで劇的に露呈しました。安保・外交分野で「オール与党」・翼賛体制がつくられたことの意味は小さくありません。安保・外交という国政の根幹部分での翼賛化は、これらの諸党の存在意義を、国民の前で根本的に問うものとなっています。
民主党は、有事三法案への賛成を、「政権担当能力をしめしたもの」としていますが、国政の基本問題での自民党への同調を、「政権担当能力」と考えるのは、まったくの錯覚にすぎません。それは、「自民党政治の基本路線の継承」をうたった非自民連立政権が、みじめに失敗したことでも証明されているではありませんか。いま野党にもとめられているのは自民党の基本路線に同調することではなく、それを変革することであります。
わが党は、こんごも、国民の要望にそくして、一致点での国会における野党共闘をすすめる立場は変わりありませんが、野党間でも、いま生じているこうした問題点をきびしく批判することは当然のことであります。
こうした政党状況のなかで、政党間の力関係はけっして固定的なものではありません。その枠組みもまた固定的なものではないでしょう。いまの情勢は、政党間の力関係の劇的変化の可能性をはらみながら展開しています。
日本共産党は、対米従属と大企業優先をなによりの特質とする体制を変革して、「国民が主人公」の国づくりをめざす、たしかな路線と戦略をもつ党であります。外交でも経済でも、自民党政治を変革する政治的対抗軸をもつ唯一の党が日本共産党であります。その党の値打ちを、広い国民のものとする意義は、日本社会の現状にてらしていよいよ重大であるということをおたがいに自覚して、がんばりぬこうではありませんか。
つぎにいっせい地方選挙の総括と教訓について報告いたします。
いっせい地方選挙では、日本共産党は、全体として現有議席を確保することができず、前回選挙に比べて後退する結果となりました。
わが党が獲得した議席は、道府県議選挙では百五十二議席から百十議席に、政令市議選では百二十議席から百四議席に、東京区議選では百五十八議席から百四十一議席に、一般市議選では千二十七議席から九百四十議席に、町村議選では九百四十九議席から九百四十三議席となりました。
道府県議選では、石川、島根、熊本で、空白克服に成功しましたが、栃木、愛知、三重、鳥取、佐賀、宮崎で、新たな空白をつくる結果となりました。
議席を全体として後退させたことは残念であり、有権者のご期待に十分にこたえる結果が出せなかったことに、党中央として責任を痛感しています。ご支持していただいた有権者のみなさん、日夜をわかたず奮闘した全国の党員、後援会員、支持者のみなさんに、心からのお礼を申し上げるものです。
選挙後、全国の都道府県委員長、地区委員長から、選挙をたたかっての感想と意見をよせていただきました。また、党本部には、電話やファクス、メールなど、さまざまな形で、激励や叱咤(しった)もふくめ、さまざまなご意見がよせられました。その全体に感謝をのべるとともに、総括に生かしていきたいと思います。
全体として後退したなかでも町村議選では、四年前の選挙にくらべて議席占有率を5・21%から5・37%にのばしたことは貴重な前進でした。前半戦と後半戦をあわせて、わが党は二千二百三十八議席を獲得し、非改選の議席をあわせて、わが党の地方議員数は四千二百八議席と、ひきつづき地方議会第一党です。わが党は、この力を存分に生かし、選挙でかかげた公約実現のために、全力をつくす決意であります。
この選挙を総括する基本的視点はどこにあるでしょうか。昨年十二月の五中総決定では、この選挙では、「議席増はもとより、現有議席を確保することも、『攻め』のとりくみをつらぬいてこそ、はじめて可能になる、容易ではない課題である」として、この選挙戦をつぎのように位置づけていました。
「一九九九年のいっせい地方選挙は、前年の九八年の参院選で約八百二十万票という史上最高の得票をえた躍進の流れのなかの選挙でした。しかし、わが党の躍進に体制的な危機感をつのらせた反共・反動勢力の攻撃のなかで、その後の二〇〇〇年の総選挙、二〇〇一年の参院選で、わが党は悔しい後退をきっし、昨年の参院比例票は八百二十万票から四百三十三万票まで後退しました。いったん押し込まれたところから、逆に押し返し、新たな党躍進の波をつくる──『反転攻勢』によって、新しい上げ潮の流れをつくりだしてこそ、勝利をつかむことができます」
五中総にさきだって開かれた昨年十一月の幹部会と都道府県委員長会議では、「かりに二〇〇一年の参院比例票程度の得票にとどまれば、得票の割合でみれば、一九九五年のいっせい地方選挙の議席まで後退することになる。現有議席を確保するためにも、参院比例票の大幅な上積みが必要である」ことを、数年来の一連の選挙の得票の動きを分析して、リアルに提起しています。
「おしもどされた力関係からおしかえす」──四百三十三万票までおしもどされた参院選の力関係からどれだけおしかえしたのか。五中総決定のこの見地にてらして、選挙戦全体を総括し、教訓をひきだす必要があります。
この見地からみたときに、議席を後退させた選挙とはいえ、全党の奮闘でかちとった貴重な積極的教訓──確信にすべき教訓がたくさんあることを、まず明らかにしておきたいと思います。
第一に、政治論戦の基本は、前半戦、後半戦をつうじて道理にたち、情勢にかなった適切なものでありました。わが党の訴えは、それがとどいたところでは、共感と支持を広げたことは、全国各地からの報告でも共通してのべられています。
前半戦は、イラク戦争のさなかでのたたかいとなりました。わが党は、住民の生活、福祉、教育などの要求を前面にして、それを妨げる地方政治における「オール与党」の「逆立ち」政治の転換という中心争点を押しだすとともに、イラク戦争反対、世界の平和のルールを守れという主張を、正面から訴えて選挙戦をたたかいぬきました。これは国民主権と反戦平和をつらぬいてきたわが党ならではの存在意義を示す、重要な意義をもつ訴えでありました。わが党が国民とともに平和の運動にとりくみながら、選挙戦にとりくむという経験が各地で生まれ、その真剣で道理ある姿勢が信頼を広げたことも、報告されています。
後半戦は、イラク戦争をめぐる情勢が変化するもとで、また何よりも市区町村の選挙の性格にふさわしく、国保、介護、子育て、環境など、市区町村が直接責任を負っている暮らしに身近な問題を争点として押しだし、自民・公明などによる自治体の役割放棄・住民不在の政治を告発するとともに、住民の身近な、そして切実な要求の担い手としての日本共産党議員団の値打ちを訴えてたたかいました。
あらゆる問題で、「政党らしい政党」として、国民の立場にたって、これだけ確固とした政策を訴えてたたかった政党はありません。ここに全党が深い確信をもって、つぎのたたかいにのぞもうではありませんか。
第二に、獲得した得票は、四年前の得票数には及ばないものの、「おしもどされた力関係からおしかえす」という視点からみるならば、「反転攻勢」にむけた足がかりとなる結果をえたといえます。
今回の選挙でわが党が獲得した得票は、二〇〇一年の参院比例票を、全体として上回ることができました。立候補した選挙区の得票を、同じ選挙区でえた二〇〇一年の参院比例票と比較しますと、つぎのような結果となりました。
道府県議選挙では37%の得票増であり、得票増の選挙区は84%であります。
政令市議選挙では11%の得票増であり、得票増の選挙区は66%であります。
一般市議選挙では13%の得票増であり、得票増の選挙区は74%であります。
東京区議選挙では5%の得票増であり、得票増の選挙区は64%であります。
町村議選挙では36%の得票増であり、得票増の選挙区は81%であります。
全党の奮闘でえたこれらの結果は、つぎのたたかいで本格的な前進をかちとる土台となりうるものであります。
第三に、反共攻撃を打ち破るという点でどうか。今回の選挙で、公明党・創価学会を本隊としておこなわれた反共攻撃は、その規模でも、卑劣さでも、彼らのこれまでのやり方をいわば“進化”させた、空前のものでありました。反共謀略勢力は、選挙がはじまるはるか以前から反共宣伝をくりかえしおこない、選挙がはじまるとわが党の「支持者つぶし」に力をそそぐという、憎悪にみちた攻撃に熱中しました。その攻撃は、デマと謀略を駆使しての政治的攻撃とともに、日本共産党の候補者を落選させるために自民党や民主党などの候補者に票をまわすという組織的な「共産党落としのシフト」の両面で熾烈(しれつ)なものでありました。
これにたいして、わが党は、政治戦でも、組織戦でも、全体として積極果敢にたたかいました。反共攻撃を恐れず、勇気をもって正面からたちむかう気概が、全党のものとなりつつあることは、重要な前進であります。東京・墨田区では、創価学会による妨害の被害者を加害者にでっちあげて、警察に逮捕させるという無法な弾圧がおこなわれたが、墨田区の党と後援会はこれに怒りを燃やしてたちあがり、全員当選をかちとっています。
デマと謀略を駆使しての政治的攻撃にたいして、わが党は、これを論戦でことごとく打ち破りました。「平和」や「福祉」などの「四枚看板」が剥(は)がれ落ちたという批判は、相手側を反論不能にさせました。北朝鮮問題や、医療事件・事故問題を党略的に利用した攻撃にたいしても、わが党は国会の場でも、政治宣伝でも、徹底的に打ち破りました。全国各地で、「反対ばかりで実績がない」など、事実を百八十度ねじまげた攻撃がなされましたが、全体として機敏な反撃がおこなわれました。
「共産党落としのシフト」にたいしてはどうでしょうか。前半戦の道府県議選挙をみますと、現職で落選した五十六人のうち三十一人が一〜三人区であり、その多くでの敗因の一つが、「共産党落としのシフト」を打ち破れなかったことにあることは事実であります。同時に、今回の道府県議選挙で、一人区で二人、二人区で九人、三人区で十七人、合計二十八人が、少数定数選挙区での当選をかちとっています。これは二〇〇一年の都議選で、この時も激しくおこなわれた「共産党落としのシフト」によって、それまで二人区で得ていた七つの議席をすべて失ったことと比較しても、一歩おしもどした貴重な前進といえます。
もちろん、全有権者の規模で、反共攻撃の影響を一掃し、反共勢力を国民的に包囲するところまではわれわれのたたかいはすすんでいません。たたかいはつづきます。同時にここでも、「反転攻勢」への第一歩を踏み出したことを、全党の確信にしたいと思うのであります。
第四に、無党派の人々との共同が本格的にすすんだところでは、共通して前進をかちとっていることは重要な教訓であります。
そのことは前半戦での徳島、長野の県議選で、わが党が躍進・前進したことにはっきりとしめされました。さらに後半戦では、四人の日本共産党員首長の自治体──東京・狛江市、岩手・陸前高田市、秋田・湯沢市、長野・坂北村で、議員選挙がたたかわれましたが、わが党候補は全員当選をかちとりました。
岡山県金光町での全国十一人目の日本共産党員首長の誕生、沖縄県宜野湾市──あの普天間基地をかかえる宜野湾市の市長選挙で「米軍・普天間基地の国外撤去」を堂々とかかげた革新候補が勝利したことも、特筆すべき成果であります。
五月におこなわれた徳島の県知事選挙では、大田前知事は前回票を三万票以上のばす大善戦でしたが、自民・公明陣営の徹底した利益誘導・しめつけ選挙の壁を破ることができず、再選が及ばなかったことは残念でありました。しかし、吉野川可動堰(ぜき)反対運動いらいの住民運動と日本共産党との信頼のきずなが選挙戦をつうじても強まったことは、今後に生きる大きな財産になったと考えます。
地方自治体での自民党政治のゆきづまりと危機はたいへん深刻です。「自治体らしい自治体」をとりもどそうという地方自治体における希望ある流れは、紆余(うよ)曲折を経ても、全国に広がらざるをえないでしょう。
もちろん無党派の人々との共同ということをいう場合に、それは、わが党が与党の自治体だけの問題ではありません。
道府県議選で一〜三人区の少数定数選挙区で議席を守りぬいたり、四年前選挙よりさらに得票を増やして勝利している選挙区からの報告をみますと、現に生まれている多種多様な住民運動、市民運動との共同を日常的に追求し、運動の実体験を通じて共産党の値打ちが広い人々の共通の認識となり、選挙勝利にもむすびついていることが、共通しています。こうしたところでも激しい反共攻撃がやられるわけですが、住民と共同しての運動が根強くつくられた場合には、反共攻撃が簡単には通用せず、かえって住民のなかで孤立する状況が生まれていることは、注目すべき特徴です。
全国にいま、大きく広がっている住民運動、市民運動、各分野のさまざまな国民運動にたいして、わが党が「ともに考え、ともに行動する」、同じ目線にたってともに運動を築きあげていくという立場で、日常的に心のかよった協力・共同の関係をつよめ、政治を変える大きなうねりに発展させていくことは、きわめて重要な課題であります。
それでは、この選挙から全党が深く教訓をひきだすべき問題点はどこにあるでしょうか。報告では二つの大きな問題点を、私たちのとりくみの反省点として提起したいと思います。
その第一は、「おしもどされた力関係からおしかえす」という五中総の見地を自覚した構えとたたかいを、いっかんしてつらぬいたかどうか、という問題であります。
大きく議席を後退させた党組織からの報告をみますと、きびしさをリアルに直視しない情勢判断の甘さ、「何とかなる」論などの受動主義があったことが、共通して率直に語られています。「『議席を増やしたい』との思いから情勢認識が甘くなり、大量後退となった」、「『現有確保も容易でない』という状況にもかかわらず、必要な力の集中などの手だてがとられず、力を分散させてしまい大きな後退をした」などの報告がよせられました。
「共倒れ」という重大な失敗が、四十五自治体、百五人に及びました。「共倒れ」は、力をつくしたが当選できなかったということにとどまらず、選挙の作戦と指導の問題であり、それぞれの実情にそくした総括が必要であります。その最大の問題の一つは、「共倒れ」になった選挙区の半分以上が、定数削減がおこなわれている選挙区であり、定数減でも議席占有率を考慮しないで、現有議席を絶対維持しようという傾向が強く、そのことで失敗している場合が多いことです。
三中総決定では、当時の中間地方選挙の教訓として、「客観的な条件を考慮しない過剰な立候補による失敗もありました。場合によっては、よく状況を分析して、思い切って候補者をしぼる決断と勇気も必要であります」ということを確認しましたが、これがやりきれないもとでの失敗もありました。不安を抱えながらも候補者をしぼる決断ができずに失敗した経験の報告をみますと、「情に流された」というものが多いのです。しかし、結果として「共倒れ」をつくることが、党組織にとっても、有権者にとっても、一番の「非情」なことになるわけです。このことを、肝に銘じて、私たちの今後の教訓としたいと思います。
失敗があったところでは、地方機関は、それぞれの政治的構え、さらにそれぞれの政治目標が適切であったのかの自己検討が必要であります。
同時に、中央としても地方機関にたいする助言の責任が問われます。中央としても「共倒れ」の危ぐへの率直な提起が十分とはいえなかったこと、実際の地方機関への指導やキャンペーンのうえで、五中総決定と離れて、事実上の甘さを助長するような傾向が一部に生まれたことなどを、反省点としたいと思います。
今回の選挙で、現有議席を確保し、さらに増やすということは、容易ではないことでしたが、それはたたかいようによっては不可能だったわけではありません。前半戦でも、後半戦でも、現有議席の維持ないし前進をかちとっている県が、秋田、山梨、長野、岡山、広島、徳島、愛媛、熊本、鹿児島と九県あります。前半戦で失敗したが、その教訓をただちに生かして、後半戦では前進を切り開いた県が、福島、鳥取、佐賀、大分と四県あります。まさに、たたかいの構えが明暗をわけたということを、しっかりと総括する必要があります。
この点で、五月におこなわれた東京・足立区の区議会議員選挙で、十一名の全員当選をかちとったとりくみは、きわめて教訓的です。足立では、当初十二名の予定候補者を擁立していましたが、いっせい地方選挙の結果と教訓をふまえ、また定数六減という状況のもとで、候補者をしぼるべきではないかという提起を、中央から現地党組織にたいしておこないました。現地党組織は中央の助言をうけて一名の候補者をおろし、十一名にしぼるという判断をしました。中央としては、一名ではなお「共倒れ」の危険が大きいことをしめして、さらに候補者数をしぼるべきではないかという再度の助言をしました。現地党組織は、中央の懸念はよく理解するが、一名減の十一名でたたかいたいという判断をしました。これは地方の自治権の問題ですから。これでたたかいが始まったわけです。
こうしたやりとりをふまえて、この選挙戦の容易ならざる困難さが、現地党組織の共通の認識となり、底力を発揮した大奮闘が展開されました。政治論戦でも、反共反撃でも、対話などの運動量でも、立派なたたかいをやりきり、十一名全員当選をかちとり、議席占有率で前進し、得票も参院比例票を36%上回るところまでおしかえしました。
いっせい地方選挙の教訓を生かし、今日の情勢にふさわしいたたかいの構えをしっかり確立し、やるべきことをやりきれば、勝利をかちとることができることを証明したとりくみとして、この経験はきわめて貴重であります。
第二は、量・質ともに強大な党建設をめざす活動の立ち遅れという問題であります。
とくに、「しんぶん赤旗」の読者数が、前回選挙時比で、日刊紙で85%、日曜版で84%という水準でたたかうことになったことは、大きな反省点です。
党の躍進の流れがつくられている時期には、読者数が後退しても、党が前進をつづけるということもありました。しかし、今回のような、反共勢力による激しい攻撃と、正面からたちむかいながらの選挙では、党と国民とのもっともたしかなきずなである「しんぶん赤旗」の読者が減っていることは、大きな痛手でありました。
わが党が今回の選挙でえた得票を、四年前の選挙でえた得票と比較しますと、道府県議選で88%、政令市議選で81%、東京区議選で82%、市議選で88%などとなっています。得票の後退は、もちろんそこだけに原因をもとめることはできませんが、「しんぶん赤旗」読者の後退とほぼ照応しています。
二〇〇一年の参議院選挙で私たちが悔しい後退をきっしたさい、そこから教訓をひきだした三中総決定では、読者の後退のなかでの選挙となったことを「痛恨の思い」と総括しました。全党は、その教訓にたって、二〇〇一年十月から二〇〇二年四月にかけて、「党員・読者拡大の大運動」にとりくみ、全党の奮闘で一万一千人の党員を増やし、三万人の読者を増やしました。
昨年五月からこの選挙戦がはじまる今年三月末までの十一カ月間に、党員拡大ではさらに三千人を増やして前進を継続しています。しかし、読者拡大では、前進する月もあり多くの奮闘もありましたが、通算では日刊紙読者と日曜版読者であわせて五万九千人の後退となりました。党勢を安定的な前進の軌道にのせるという大事業に、私たちはまだ成功しているとはいえません。この弱点を、どうしても突破することの重要性を、今回の選挙結果は、痛切にしめしています。
全党的には、党建設の遅れのもとでの選挙戦となりましたが、こうしたなかでも、党建設に系統的に力をつくし、目覚ましい前進をかちとっている党組織では、ほとんど共通して、選挙でも勝利をかちとっていることは注目すべきであります。各地からの報告でも、「党員拡大で飛躍した自治体でトップ当選をかちとった」、「日刊紙、日曜版で、前回を上回る到達を築いてきたことが、議席増につながった」、「週一回の支部会議を大勢にして、活力を高めたことが大きな勝因となった」など、党建設の上げ潮のなかで選挙をたたかったことを、最大の勝因とする報告もよせられています。
これらは、党の全体からみますと、先進的な一部ですが、これを大勢にするならば、どんな情勢のもとでも、政治戦で党が安定的に前進する土台が築かれることをしめすものとして、きわめて教訓的であります。
以上、選挙戦を総括して、二つの大きな問題点をのべました。ぜひ討論で深めていただきたいと思います。
つぎに選挙戦をふりかえって、今後にいかすべき指導と活動をめぐるいくつかの教訓を、のべておきたいと思います。
その一つは、地方政治をめぐる政治論戦に熟達することの重要性であります。
わが党の政策論戦の原点は、どんな問題でも、住民要求から出発して、それにこたえるという姿勢をつらぬくことにありますが、そのさい現状の告発と、わが党議員団の実績を結びつけて押しだすことが重要であります。
また党議員団の実績を押しだすさいにも、それをかちとる過程で、住民運動と共同して党議員団がどういう役割をはたし、「オール与党」勢力がどういう妨害をしたのかを明らかにしてこそ、党の値打ちを光らせることができます。
この点で、「オール与党」による悪政の生きた告発なしに、実績と公約の羅列だけになって党の値打ちが十分に浮き彫りにならないといった傾向が一部にあり、途中で是正されましたが、選挙戦の弱点となりました。ここでは、党中央の担当部の援助・助言の弱点もありました。今後の教訓として生かしたいと考えます。
二つ目に、対話と支持拡大では、「対面での対話」という方針──とくに後援会ニュースを活用したくりかえしの対話・支持拡大は、これが本気になってとりくまれたところでは、それまでの党活動のあり方を一新し、選挙勝利の大きな力となっていることが、共通して報告されています。
後援会員数は、近年最高の約二百五十万人に到達しています。このとりくみは党活動発展への新たな“鉱脈”をつかんだものとして、今後にさらに発展させる必要があります。
同時に、「対面での対話」という方針を狭くとらえて、電話をふくむあらゆる手段をつかった全有権者への働きかけに遅れが生じるという傾向も生まれました。対話ということを考える場合に、人間と人間との生きたつながりにもとづく対話を、組織活動全体の骨格にすえながら、全有権者への働きかけをやりきるという構えを握って離さないことが、大切であります。
三つ目に、地方議員(団)と党組織の日常活動がいかに重要であるかも、選挙戦をつうじて有権者による検証をうけました。
選挙戦で失敗したなかには、党議員(団)の議会活動や日常活動に弱点があり、党機関がそれを解決するための援助を十分におこなっていないという問題点をかかえていたところも少なくありません。
逆に、党組織の力がまだ弱い選挙区でも、四年間、党議員(団)が支部と一体になって、日常的に住民要求のために粘り強いとりくみをおこない、その活動を定期的な「議会ニュース」などの形で住民にきちんと知らせ、党議員(団)の姿が日常的に住民によくみえていたところで、勝利した経験もあります。
公約実現と住民要求にもとづく日常不断の活動を何よりも重視し、当選したら四年後の選挙をつねに念頭におき、地方選挙を四年間の日常活動の総決算としてとりくむようにしたいと思います。
このことと関連して、今度の選挙で約五十近い現有議席を、「不戦敗」、すなわち後継候補が立てられないことで失ったことも、きわめて残念な結果であります。候補者を早い段階で決め、早くから準備することの重要性を、ここから教訓としてくみだしたいと思います。現職と新人が交代する場合には、なおのこと候補者を早く決めることが重要であり、かりに適切な後継候補者がいないならば、党建設に計画的にとりくみ、あるいは移住なども含めて、いったん確保した陣地は決して「不戦敗」で後退させないように、先をみたとりくみをするようにしたいと思います。
四つ目に、選挙戦の定石、鉄則をしっかり継承するという問題です。選挙活動は、政策論戦、宣伝活動、組織活動、情勢分析と対策、さまざまな実務活動など、まさに党の総合的な力が問われる活動ですが、そこには長い経験を経て党が獲得してきた試されずみの指導の科学的定石、鉄則があります。ところがそれが、新しい世代の幹部に十分に継承されているとは言えないという現状があります。
これはぜひとも改善しなければならない問題です。党中央としても、選挙学校や、選挙学校用教科書の改訂など、そのための努力をはかりたいと考えています。
つぎに今後の選挙闘争と党建設の課題について報告します。
まず、党大会にむけた政治日程の提案をします。
今年は党大会の年です。党規約では、「党大会は、……二年または三年のあいだに一回ひらく」(第十九条)とされており、今年十一月までに開くことが必要であります。同時に、今年から来年にかけては、総選挙ぶくみで情勢が流動的に展開します。党大会の日程と、それにむけた段取りをつぎのとおり提案するものです。
第二十三回党大会は、今年の十一月とします。党規約にもとづく正式の大会招集はつぎの中央委員会総会でおこなうこととします。
綱領改定案は、六月に予定する第七回中央委員会総会で決定し、大会にむけた全党討論にかけるようにします。
大会決議案は、九月に予定する第八回中央委員会総会で決定し、大会にむけた全党討論にかけるようにします。
かりに解散・総選挙という事態となれば、党規約にしたがって、必要な大会延期の措置を、中央委員会総会でとるようにします。
以上が党大会にむけた政治日程の提案であります。
衆議院は、この六月で任期四年のうち満三年をむかえ、いつでも解散・総選挙がありうる状況となっています。来年七月の参議院選挙も、あと一年余と迫っています。当面する党活動は、総選挙と参議院選挙での勝利をかちとることを前面にすえつつ、党勢拡大の上げ潮をつくるための活動をすすめることが、中心課題となってきます。
選挙活動と党建設にとりくむさい、私たちにもとめられる構えはどういうものか。ここで強調したいのは、選挙でも、党建設でも、「おしもどされた力関係からおしかえし、さらに前進を」という構えを、しっかりとつらぬくことが大切だということであります。そして、この構えを本格的に全党のものにするうえでも、二〇〇〇年の初頭ごろから生まれている情勢の新しい特質を、立体的にとらえることが重要であります。
二〇〇〇年の初頭に大阪と京都でおこなわれた政治戦で、自民党・公明党の反動連合によって、日本共産党の躍進をおしとどめようとする本格的な攻撃がはじまりました。この年におこなわれた総選挙では、政権与党による大量の謀略ビラ・パンフなどによる悪質なデマ攻撃がおこなわれ、わが党は議席と得票を後退させる結果となりました。ひきつづく反共攻撃と、「小泉旋風」という逆風のなかでの二〇〇一年の参院選で、わが党はさらに後退を余儀なくされ、得票では四百三十三万票までおしもどされました。今年のいっせい地方選挙の結果は、この攻撃を打破する第一歩の足がかりをつかむものとなりましたが、情勢を本格的に前向きに打開することは、今後の全党の大きな課題となっています。
わが党は、一九七〇年代後半以降の時期に、「戦後第二の反動攻勢」を体験しました。今日の情勢を、この体験と比較してみた場合、わが党の躍進の危機感から、反動勢力の反共攻撃がはじまったことは共通していますが、違いもあります。
第一に、七〇年代に比べて、今日は、自民党政治の危機は比較にならないほど深刻となっています。だいたい「自民党をぶっ壊す」と叫ばないと自民党総裁になれないということ自体に、この体制の救いがたい危機がしめされています。政党状況も、七〇年代には、野党陣営は、わが党以外の野党各党も、外交と内政で、ともかくも自民党政治とは違った路線的な旗印をもっていました。しかし今日では、自民党政治にたいする路線的な対抗軸をしめせる政党が日本共産党しか存在せず、わが党の値打ちがいやがおうにも画然と浮き彫りになる状況があります。
第二に、それだけに党の前進をおさえ込もうという動きも、いちだんと激しいものがあります。とくに今日、反共攻撃の主力は、与党入りした公明党・創価学会となっており、その組織をフルに動員しての膨大な量の反共攻撃が、大量のビラ、口コミなどの手段で、一人ひとりの有権者に直接働きかけるやり方でおこなわれています。そしてこの攻撃は、卑劣な謀略に訴えるなど、手段を選ばなくなり、政治的退廃を深めています。
こうして、いま私たちが相手にしている反共攻撃は、その激しさ、膨大な量において、もちろんけっして軽くみることはできませんが、大きな視野でとらえてみれば、“落ち目の反動派の悪あがき”にほかなりません。それは、自民党政治の深刻な危機の産物です。今回の選挙の教訓がしめすように、正面からこれにたちむかえば、この攻撃は突破することができます。そしてこれを本格的に打破すれば、自民党政治の危機が深いだけに、政党間の力関係の劇的な変動をおこす可能性も開かれてくる。情勢の新しい局面を開くことができます。
今日の情勢のこの特質をつかみ、「おしもどされた力関係からおしかえし、さらに前進を」ということを、全党の共通の合言葉にして、当面する国政選挙、党建設にたちむかおうではありませんか。
つぎに総選挙、参院選の目標と基本方針について報告します。
きたるべき総選挙と参議院選挙は、自民党政治の危機が深まるもとで、古い破たんした政治の枠組みをつづけるのか、それとも本当の改革への道を開くのか──二十一世紀の日本の進路が大きく問われるたたかいとなるでしょう。わが党は、この選挙で、本格的な「反転攻勢」をかちとり、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる」という目標への一歩前進をかちとるために、全力をあげます。
選挙戦にのぞむにあたっては、まず、政党間の力関係の現状をリアルにとらえたたたかいの心構えが重要であります。
すなわち、二〇〇一年の参議院比例代表選挙で獲得した四百三十三万票が、われわれのとりくみのリアルな起点となるということです。
この水準で試算しますと、わが党が獲得できる議席は、衆議院選挙で十三議席となります。比例代表選挙ブロックごとにいいますと北海道ブロックで一議席、東北ブロックで一議席、東京ブロックで二議席、北関東ブロックで一議席、南関東ブロックで二議席、北陸信越ブロックでゼロ、東海ブロックで一議席、近畿ブロックで三議席、中国ブロックで一議席、四国ブロックでゼロ、九州ブロックで一議席となります。
参議院選挙では五議席です。比例代表選挙で四議席、選挙区では一議席となります。
これを起点として、そこから「どれだけおしかえし、さらに前進するか」──これで選挙の結果がはかられるということを、まずおたがいに胸にきざんでこの選挙をたたかいたいと思います。
衆議院選挙では、比例代表選挙を選挙戦の中心にすえてたたかいます。それぞれの衆院比例ブロックごとに現有議席の確保と、いっそうの前進を展望して奮闘します。
得票目標については、大会決定では、「その選挙でかならず責任をもって達成すべき目標を、それぞれの選挙の性格や、それまでの到達点をふまえて決定する」としています。そして、つぎの国政選挙の得票目標について、「得票では、過去最高の峰(一九九八年の八百二十万票)をこえる積極的な目標を、都道府県ごとにきめる」としています。この決定を基本的に堅持して、自ら決めた得票目標をかならず達成するようにしたいと思います。
さきほどのべたように起点はリアルに見る。同時にわれわれのとりくみの構えは、この目標を堅持して前進・躍進をめざしてたたかう。これが今度の選挙戦にのぞむ基本姿勢として重要であります。
小選挙区は、有権者の前で国政を争う重要な基礎単位であり、比例代表選挙をたたかう基礎単位ともなります。小選挙区でのたたかいでも、その選挙区で日本共産党の得票をどうのばすかを最大の仕事とし、比例選挙での前進に総力をあげるようにします。日常不断に小選挙区で有権者との結びつきをひろげ、深め、要求にこたえる活動に積極的にとりくみ、議席への道を切り開く意欲的なとりくみをおこないます。この基礎単位で、党と国民が結びつくことは、草の根から国民の要求や気分をたえず新鮮にとらえ、それにこたえて党活動を多面的に豊かに発展させるうえでも、きわめて重要な意義をもっています。
全国三百の小選挙区のうち、予定候補者を発表しているのは現在百七選挙区ですが、つぎの中央委員会総会までに、全国すべての選挙区で予定候補者を決定し、活動がスタートできるようにしたいと思います。
来年七月の参議院選挙は、党史上最高の十五の議席(比例代表八、選挙区七)、約八百二十万人の得票を獲得した一九九八年の参議院選挙の改選の選挙となります。
この選挙で勝利することは容易なことではありませんが、比例代表、選挙区ともに、現有議席の確保に正面から挑戦してたたかいます。
非拘束名簿式に改悪された比例代表選挙をどうたたかうかについては、三中総決定で、「政党選択を土台にという基本方針をつらぬきつつ、国会活動にとって欠かせない重要な候補者の再選を保障するという見地にたって、方針の見直しと発展を検討する」ことを確認しています。その具体化として、来年の参院選の比例選挙にのぞむ方針については、衆院比例ブロック区域を基本に全国を地域割りにして、個人名での投票をお願いすることを基本にしてたたかうことを提案するものです。
参議院の選挙区でのたたかいで、現職議員選挙区でのたたかいに勝利するためには、「早くから、候補者を中心として、再選計画をもち、機関と一体となった系統的な活動をおこなう」という三中総決定の方針が決定的に重要です。ところがこの方針は、現状では十分に実践されているとはいえない状況があり、ただちに改善をはかる必要があります。現職議員の実績を広く知らせる活動も含め、候補者と党機関が一体になって、再選計画をいそいで具体化・充実し、ただちに系統的なとりくみを強化する必要があります。
つぎに大会にむけた党建設の方針について報告します。
党建設では、十一月の第二十三回党大会を期限とし、「党員・読者拡大の大運動」にとりくむことを、中央委員会総会として提案するものです。
党員拡大では、大会で確認した「二〇〇五年までに五十万の党をめざす五カ年計画」の折り返し点であることを念頭において、党員拡大の目標を決め、とくに若い世代での党員拡大に全党の力を結集してとりくむようにします。
読者拡大では、全党的には、第二十二回党大会の水準をこえて次期党大会をむかえることをめざします。すべての都道府県、地区、支部が、それぞれの到達点にそくした目標を明確にし、毎月着実な前進をかちとっていくようにします。
この三回の全国的な政治戦での悔しい後退をつうじて、私たちは、どのような政治情勢が展開しても、情勢を主導的に切り開く力をもった党を、国民と深く草の根で結びついて、つくりあげることの重要性を、骨身にしみて体験しました。「大運動」をつうじて、党勢拡大の新たな上げ潮をつくりだすことは、つぎの国政選挙での「反転攻勢」のたしかな土台をつくりあげるものとなります。
ただ同時に、私たちは、この「大運動」を、そうした当面の国政選挙の勝利のためということにとどまらず、二十一世紀をたたかう党の土台をつくる運動として、より長期的視野にたった本格的運動の第一歩として位置づけてとりくみたいと思います。
第二十二回党大会決議の第十七項「“いまなぜ党建設か”──その国民的意義について」が解明したように、わが党の党建設の到達点は、民主的政権を担いうる党、国民の多数派を結集しうる党という水準にてらせば、あまりにも初歩的であります。強大な日本共産党を建設することは、それ自体が国民的意義をもつ仕事であり、日本社会と日本国民にたいする、私たちの重大な責任であります。
「二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる」というわが党の目標を達成する道は、その土台となる強大な日本共産党を建設することに、執念をもって全力をあげる──これ抜きにありえません。これ以外に他の道はないということを銘記して、これにとりくみたいと思います。
こういう位置づけをもって、党大会にむけた「大運動」にとりくみ、党大会ののちも、その成果をふまえてさらに党勢拡大の運動を継続的に発展させる──こうした長期的視野にたち、大きな志をもち、強く大きな党をつくる、その第一歩として、この運動にとりくみ、かならず成功させようではありませんか。
まず党員拡大の問題であります。「大運動」では、党員拡大を「党建設の根幹」として位置づけ、系統的な前進のための努力をはかります。この課題を考えるとき、地域でも、職場でも、党機関でも、地方議員団でも、つねに新しい世代、若い世代に後継者をつくり、わが党が、それぞれの世代間の協力で、将来を展望しても安定的発展をつづけることができる軌道をつくりあげることは、全党の力を結集して、何としてもやりとげなければならない課題として位置づけ推進しなければなりません。
同時に、それをやりとげるうえで、わが党が現にもっている活力をすべて引き出すとりくみが、たいへんに大切であります。今年の一月一日の「党員の現勢調査」で、わが党の年齢構成をみますと、二十代の党員がこの二十数年来ではじめて減少から増加に転じたことは、一歩ではありますが、注目すべきことです。そして、三十代、四十代、五十代の、いわゆる「働き盛り」の世代が、党員の全体の60%をしめていることは重要です。この世代には、職場での長時間・過密労働、子育てでの苦労など、活動条件の困難もありますが、それをよく考慮にいれた適切な指導と援助があれば、大きな力を発揮しうる、文字どおりの「働き盛り」の世代であります。また六十代、七十代以上の年配の党員の多くが、これまで蓄積してきた党活動の経験、長い人生経験を生かして、元気に活動していることも、わが党にとってのかけがえのない財産であります。ですからそれぞれの世代が、それぞれの世代なりの活力を発揮し、たがいに協力しあいながら、長期的な視野にたって、新しい世代、若い世代への継承を着実にかちとっていくという見地がたいへんに大切だということを強調したいと思います。
つぎに読者拡大の問題です。わが党が、今日の情勢のもとで、力をのばしていこうとすれば、「『しんぶん赤旗』中心の党活動」を、本格的に定着させることがどうしても必要であります。
この点では、あらためて党大会決定にたちかえる必要があります。党大会決定では、「『しんぶん赤旗』中心の党活動」について、「機関紙活動は、たんに党建設のなかの一課題というだけでない。機関紙は、党中央と全党をむすぶきずなであり、党と国民とのむすびつきを広げる最良の媒体であり、国民の要求にもとづく運動、国会や地方自治体でのたたかい、選挙活動や党建設、財政活動など、党のあらゆる多面的な活動を促進し、統一し、発展させていく中心である」とのべています。ここに、今日における機関紙活動の意味が集約的にのべられています。
自民党政治の危機は深いものがありますが、その危機を覆い隠し、真実をゆがめて伝える報道が、商業マスコミをつうじて広く流布される状況があります。このなかで、党員が自信をもって活動するうえでも、党と国民が心が通う結びつきを強めるうえでも、どんな国民運動をおこすうえでも、議会闘争や選挙闘争の前進のうえでも、「しんぶん赤旗」の役割は、まさに「党活動の中心」としての決定的な重要性をもっています。
いつもわが党に率直な批評をよせてくれる、ある著名な評論家が、最近、「いまほど『赤旗』の値打ちがかけがえのない存在として光っているときはない」として、つぎの二つの点を高く評価する談話をよせてくれました。“わが意を得たり”という気持ちでこれを読みました。紹介したいと思います。
その一つは、「しんぶん赤旗」が「世界と日本の現実がどうなっているか、流れが大きくわかる新聞」だということであります。いま世界と日本の情勢をめぐって、たいへん錯綜(さくそう)した情報が飛びかっています。そのときに「しんぶん赤旗」は、ただ単にばらばらに個々の事実を報道するだけでなく、事実と事実の間にある関係を整理し、全体がどういう構造、筋道、そして流れになっているかということを、はっきりわかるように伝えているという評価であります。
たとえば、イラク戦争をふりかえっても、米国の一国覇権主義の流れと、国連憲章の平和秩序を守ろうという流れの、どちらに未来があるかが大きく問われました。世界の平和の本流にたった報道をつらぬいた「しんぶん赤旗」は、戦争遂行者の視点の報道に傾きがちだった商業マスコミとは対照的に、まさに「流れが大きくわかる新聞」としての本領を発揮したのではないでしょうか。
いま一つは、「しんぶん赤旗」が、「政治を変えるという理想にたって、真実を伝える唯一の新聞」だということであります。すなわち「しんぶん赤旗」の報道姿勢の根本には、平和と民主主義、人間が尊厳をもって生きていける社会、そのために政治を変えるという理想がある。この理想にたって、現実を伝えようという姿勢があるという評価であります。この評価は、この評論家の言葉を借りていいますと、「商業マスコミは、理想もなく、権力になびき、センセーショナリズムに問題や事実をとらえる報道に終始している」という批判とむすびついたものであります。
たしかに、理想なくして本当の現実を分析することはできないし、それを伝えることはできません。私たちは「しんぶん赤旗」を、そうした意味で、「真実を伝える唯一の新聞」と胸をはっていえるのではないでしょうか。
こうした他にかけがえのない値打ちをもつ「しんぶん赤旗」が、どれだけの規模で国民のなかに広がるかは、日本社会と国民の動向を左右するものとなります。「しんぶん赤旗」が理性のキャンペーンをはれば、国民全体を揺り動かす力をもつ──そうした強大な国民的メディアへの前進の一歩を、「大運動」で必ずつくりだそうではありませんか。
党建設、党勢拡大をどうすすめるかの具体的方針については、党大会決定とこれまでの一連の中央委員会総会の決定で、明らかにされています。その全体を生かすことが大切でありますが、なかでも二〇〇一年十月から二〇〇二年四月にとりくんだ「党員・読者拡大の大運動」で全党がえた教訓を総括した四中総決定は重要です。四中総決定で教訓化したつぎのような諸点は、党大会にむけた「大運動」に、すべて発展的に生かす必要があります。
──党建設と党勢拡大をいついかなるときにも意識的に追求すること。
──国民要求にもとづく対話、結びつき、運動を、多面的に豊かに発展させながら、党勢拡大の前進に結びつけること。
──「量とともに質を」を合言葉に、「学ぶ気風」を強め、「週一回の支部会議」を軸にした温かい人間集団としての支部をつくることに、執念をもってとりくむこと。
──「双方向・循環型」の精神で、党支部と党機関、地方機関と中央委員会が、お互いに学びあいながら、運動を発展させること。
──職場支部と、青年・学生という二つの分野で、全党の英知と力を結集したとりくみをおこない、前進をはかること。
──党機関の指導では、支部のもつ“前進を願う内発的な力・動機”に依拠して、困難をかかえている支部を一つひとつ自覚的な運動にのせていく援助をおこなうこと、などであります。
これらは、さきの「大運動」で全党のとりくみで得た貴重な教訓であって、これからとりくむ「大運動」では、新しい情勢のもとで、この教訓を全面的に発展的に生かすことが大切であります。
そのうえで、「自覚的な政治目標をもち、科学的な陣地拡大にとりくむ党」をつくることを、この「大運動」では特別に重視することを提案したいのであります。
具体的には、すべての支部が、それぞれの地域、職場、学園にどういう党をつくるのかという政治目標をもつとともに、“名簿”と“地図”をもち、国民との結びつきを日常的につかんで拡大していくようにしたいということであります。
それぞれの地域、職場、学園での、すべての有権者を視野にいれ、対話にとりくみ、要求をつかみ、結びつきを広げ、後援会員をふやし、党勢拡大に結実させ、わが党の陣地をつねに拡大していく。この運動の到達点を、つねにあきらかにし、きちんと反映させるようにする。こうして、党の陣地拡大の到達点を、私たちがつねに科学的につかみ、系統的に発展させていくようにしたいと思います。
こうした活動は、多くの先進的支部では、それぞれなりのやり方で、とりくまれています。先進的支部では、“名簿”と“地図”をもった系統的なとりくみがなされているところも少なくありません。しかしその一方で、せっかく苦労して対話や党勢拡大にとりくんでも、その経験が蓄積されず、ひとつの運動が終わると散逸してしまうということも少なくありません。名簿も不十分なものしかなく、組織活動がゆきあたりばったりになっている場合も少なからずあります。
わが党は科学的な世界観と、科学的な政治路線をもつ党でありますが、組織活動・陣地拡大でも科学的に現状をつかみ、前進をはかることのできる党へと成長をかちとることを、この「大運動」での大事な課題の一つとしてとりくむことを提案するものです。
この中央委員会総会が、国政選挙と党建設でのわが党の新たな前進にむけた、画期をなす総会として成功することを強く願って、幹部会を代表しての報告といたします。