日本共産党

2001年10月19日(金)

第3回中央委員会総会

不破議長の発言


 午前中、幹部会の報告がおこなわれました。私は、その主題のなかのいくつかの問題について発言したいと思います。

国際テロとのたたかいについて

 まず第一は、国際テロとのたたかいの問題です。

 アメリカで起きた同時多発テロは、文字どおり、地球文明と人類社会にたいする攻撃という性格をもつものでした。この凶悪な犯罪を野放しにしたら、地球上どこにいても人間の安全は確保されないわけで、私は、この凶悪なテロを根絶することは、二十一世紀の人類の生存にかかわる問題だと考えています。それだけに、この解決には人類的な英知と努力をつくした本当の意味で効果的な対応が必要であります。

 私と志位委員長が、アメリカ中心の軍事報復路線に反対し、これを批判して、二つの書簡を世界約百三十カ国の政府首脳に送ったのは、この立場からであります。

アメリカの報復戦争はどこがまちがっているか

 第一に、このたたかいの相手は、テロ集団です。それをとらえるために、その国にこの集団がいるということで、一つの国民に軍事攻撃をくわえ、戦争の犠牲を負わせる権利は世界のどの国にもありません。罪のない市民の犠牲は戦争が起こされた必然の結果であります。しかも、攻撃の対象になっているアフガニスタンは、ソ連の侵略以来二十年余にわたる侵略および内戦の結果、全国民が飢餓と難民、地雷の被害、水の欠乏などの問題に苦しんでいる国であります。これまで、困難ななかで多くの国際的な支援の活動がおこなわれてきましたが、戦争の開始は、国際機関や非政府組織(NGO)のそういう援助活動さえも中断させ、爆撃による直接の被害にとどまらないで、そのことがすでに巨大な被害をアフガニスタンの国民に及ぼしつつあります。

 アメリカなどは、爆撃しながら、支援物資なるものを投下して、これが人道だといっているようでありますが、そういうことで正当化できるものではありません。今年の十一月八日の国連総会で、「食糧の権利」に関する報告をすることを予定している国連のある活動家が、空爆を続けながら食糧を投下するアメリカのやり方について、「食糧援助を行っている世界のすべての組織の中立性を疑わせ、信頼をそこなう行為である」といって糾弾したという記者会見の報道をみましたが、私は、これは問題の核心をついた告発だと思います。

 第二に、たたかいの目的は、テロ集団を告訴し、法の裁きのもとにおくということであります。この目的は、一つの政府を戦争や軍事攻撃によって打倒したからといって、また、一、二のテロ容疑の幹部をとらえたからといって、達成できるものではありません。

テロ根絶のためには国際社会の団結がなによりも重大

 テロの根絶のために、まずなによりも重大なことは、イスラム世界をふくめ、国際世論と国際政治の場でテロ勢力を追いつめる大同団結の輪を築くことであります。そして、テロという国際犯罪がどこでも許されない犯罪として告発され、非難され、テロ勢力には逃げ場がない状態を世界中につくりだす、これがたたかいの大前提であります。

 しかし、開始された報復戦争というのは、この点では、国際的な団結をこわすという、まったく逆の作用をしています。テロ反対という点では、かつてない国際的一致が現に存在しているなかで、軍事報復が強行されたために、とくにイスラム世界では、報復戦争を認めるかどうかで大きな亀裂が生まれ、民衆の間でも、反対の運動がつよく起こっています。テロ勢力が、テロ活動を正当化する新しい口実をえた、また、自分たちの隠れ家や逃げ場をつくりだす新しい土壌が生まれたと、判断しても不思議ではありません。

 だからこそ、私たちは、このたたかいでは、国際社会の同意と団結、それを代表する国連の役割が大事だということを一貫して強調しているわけであります。

憲法9条をもつ日本だからこそ 国連中心のイニシアチブが発揮できる

 テロ勢力を追いつめるために、また、これを庇護(ひご)のもとにおき、かばい続ける政府を追いつめるために、制裁が当然問題になります。それも国連という国際社会の場で、国際的な同意と団結のもとにおこなわれてこそ、本当に、テロ勢力をうちやぶる力をもちうるのであります。

 相手は凶悪な集団であります。ですから目的を達成するためには、経済制裁を超えた手段が、必要とされることもありえます。しかし、その場合でも、もとめられるのは、国家間の戦争ではなく、いわば、警察行動的な領域の問題であります。ですから、国連が主体となってこそ、そういう問題についても、国際社会の合意と団結のもとに、行動ができるはずです。

 日本は、国連の軍事行動には憲法上参加する資格をもちません。しかし、憲法第九条をもった国だからこそ、人類の未来のために、こういう危機的な問題にたいしても、国連中心の対応というイニシアチブを発揮することができるはずであります。私は、そこに憲法第九条をもった日本が世界の政治に貢献すべき中心舞台があると思っています。

 わが党が国際社会に送った提案の書簡は、政府が憲法の立場にたつなら、日本の政府こそがやって当然のことでありました。

小泉内閣を支配しているのは 自衛隊の戦争派兵の願望だけ

 しかし、日本の政府は、まったく逆の行動をとりました。自衛隊をできるだけ戦場に近いところに送りたい。法的にも自衛隊の海外派兵の枠を一気に拡大したい。あのテロがおこなわれて以後、小泉内閣の行動を支配したのは、ひたすらこの願望だけでした。

 これまでの歴代政府は、ごまかしであっても積み上げ積み上げして憲法第九条をふみにじる枠組みをつくってきましたが、そういうこともお構いなしに、まったく体をなさない答弁と理屈でこの大暴挙を強行するというところにまでいたりました。小泉内閣のこのやり方は、まさに国を誤るものであります。

 こういう点で、私たちは、二つの書簡で提案した道こそが、国際的なテロとたたかう一番有効な、しかも罪のない市民の犠牲を出さない道であることに確信をもっています。この立場で、テロを許さず、戦争も許さないこのたたかいをおおいにすすめたいと思います。

中東問題――テロ反対は日本共産党の一貫した態度

 最後に、中東問題で一言しておきます。今度の問題が、パレスチナ問題など、中東の多くの問題といろいろな関係があることは、よく知られています。しかし、私たちは、中東の政治問題を解決しなければテロ問題が解決しないという形で、二つの問題を結び付ける態度はとりません。どういう名分でやろうと、国際的なテロは、たとえだれがやろうと許されないというのがわれわれの立場であります。

 私たちは、中東問題について、世界のなかでも、早くから立場を明りょうにしてきました。あらためて紹介しますと、私たちは、パレスチナの独立国家建設という要求が提起されてこの運動が起こった最初のときから、この運動を支持してきましたが、そのなかでも道理にもとづく自主的態度を一貫してつらぬいてきました。振り返りますと、大きな問題が実は歴史的に二つあったのです。

 一つは、二十三年前の一九七八年三月、PLO(パレスチナ解放機構)の武装した一突撃部隊が、テルアビブの郊外で、子どもや女性をふくむ一般市民を乗せた旅客バスを襲撃して多くの犠牲を出したテロ事件がありました。「赤旗」は、その時、この事件の政治的背景となったイスラエルの侵略の問題にたいしては、これに抗議し反対する明確な態度を示すと同時に、テロ事件そのものについては、「どちらの側の問題にせよ、非戦闘員にたいする不当な攻撃や、非戦闘員を軍事行動の手段にすることには賛成しない」という態度をただちに明確にしました(一九七八年三月二十四日付主張)。

 これにたいして、当時PLOの東京事務所長が、“日本共産党はイスラエルの側に立った”という不当な攻撃を開始して、私たちはこれに反撃しましたが、その三年後(一九八一年十月)にPLOのアラファト議長が日本に来て私と会談した際、私は、日本共産党を攻撃している事務所長を目の前において、ことの経緯(いきさつ)を説明し、この不当な問題の解決をもとめました。アラファト議長は、ただちにその場で「事態の克服」を約束し、以来この攻撃はやみました。

 このように、たとえどんな大義名分をかかげようが、無実の市民を犠牲にするテロは絶対に許されないということを、私たちはその時から、中東問題に関連しても一貫して主張してきたのです。これは今日の態度に通じるものであります。

パレスチナとイスラエルの共存を早くから追求

 わが党が道理をもった自主的立場をつらぬいて旗印を明らかにし、それがやがて大勢になったという問題が、中東問題に関連してもう一つあります。

 六〇年代から七〇年代にかけて、パレスチナ人民のたたかいを支持する運動のなかでは、イスラエルの存在は認めないという「イスラエル抹殺論」というのがいわば主流でした。その時に、これは、宮本委員長(当時)が一九七三年に日本記者クラブの講演で明らかにしたのが最初ですが、“わが党は、イスラエル抹殺論にはくみしない。イスラエルの国家的な生存権を当然のこととして認める”、という態度を明らかにしました。これは中東にパレスチナ独立国家とイスラエルとがきちんと共存しあう関係をつくりあげるのが目標だということです。

 これは当時パレスチナ人民の自決権を支持する国際的運動のなかでは、なかなか勇気ある発言だとされましたが、大勢ではありませんでした。

 しかし、イスラエルの国家的生存権の承認というのは、まもなくそういう勢力の側でも、問題解決の当然の前提として受け入れられるようになり、われわれがめざしているような中東の国際秩序の建設ということが国際間の共通の合意になりました。こういう歴史があるのです。

 中東問題の解決についての立場も、テロを許さないという立場も、いわばそういう時代からわが党の一貫した立場であって、日本共産党はこの面でもこのように自主的立場でとりくんできたのだということを、あわせてご報告しておくものです。

「たたかいの組織者」として

 二つ目の問題は、リストラや医療制度改悪などに反対するたたかいの問題です。

 幹部会の報告の特徴の一つは、これらの問題について、国政の場での政策的対応にとどまらないで、党が「たたかいの組織者」の役割を果たすことがとくに大事だということを強調した点にあります。

無法な攻撃への反撃の弱さは 日本社会の深刻な弱点

 ここには実は日本社会の大きな問題があります。日本は資本主義世界のなかでも社会的なたたかいが少ない社会、経済生活の分野で政府や大企業からくわえられる攻撃にたいして社会の側からの反撃が弱い社会、こういう特徴をひじょうにきわだたせてきているのが、この二十年来の日本の状況であります。

 とくに労働者への攻撃にたいする労働組合の側からの反撃が弱い。はっきりいえば、八〇年代の労働戦線の再編以来、この闘争力が急速に失われてきました。私は一九八〇年代初め、当時まだ全労連ができる前で統一労組懇といっていた時代ですが、その年次総会で、この問題を外国と比較しながら指摘して、日本は「世界でもっとも独占資本にとって安泰な国」に転落しつつあるということをのべたことがあります(「統一労組懇年次総会でのあいさつ」一九八〇年十二月十日)。この傾向はそれ以来約二十年の間に、さらに大きくすすみました。

 これは、こんごの日本社会が前進してゆくことを考えた場合でも、たいへん大事な問題です。ですから、第二十一回党大会(一九九七年)で、民主連合政府に前進する条件、展望がどこにあるかという問題を報告した際、私は、日本共産党の躍進、それから党と広範な無党派勢力との共同などとともに、「多数者をめざす民主的な大衆運動の画期的発展」をあげ、これなしには新しい日本への前進はないという位置づけをしました。そこではとくに、「労働組合運動の現状の民主的な打開は、国民的社会的な急務だ」ということも強調しました。その弱点が、いま、リストラという問題でひじょうに深刻にあらわれていると思います。

 計画中のリストラは、空前の規模のものです。しかし、労働組合の側の反対闘争は、きわめて弱いのが現状です。相手側はそのことを計算にいれて、いわば、相当乱暴なことをやってもこれは押し切れる、そういうことを計算にいれて、このリストラを計画しています。これだけ大量の「人員整理」、雇用縮小がやられても、もしそれにたいする労働組合の側からの反撃がなかったとしたら、そういう国はおそらく、世界にはほとんど、ほかに例がないのではないでしょうか。

ヨーロッパでは、社会を動かす大闘争で 解雇規制のルールをかちとってきた

 私たちは選挙のときに、また国会でも、ヨーロッパ諸国の多くが解雇規制法など、経営者の横暴なリストラを規制するルールをもっている、この面では日本のおくれはきわだっているということを何度も指摘してきました。ヨーロッパでそういうルールが確立してきている背景あるいは根底には、やはり、労働者と労働組合の大闘争があったのです。ヨーロッパでも、日本と同じように「規制緩和論」というのが、八〇年代の後半から九〇年代にかけてかなり強まって、保守的な政府が生まれると、それをたてに、それまでにできあがっていた解雇規制のルールまでとりはらうということがドイツでもフランスでもおこなわれました。そういうなかで、解雇がおこなわれれば大きなたたかいがおこり、政府が法律を撤回すれば、それにたいする大反撃の闘争があり、つぎの選挙ではこれが大争点になる、そういう形で、フランスでもドイツでも、いったん撤回された解雇規制の法律を、さらに強化された形で復活させ、EUでの規制も、たたかいを背景にして前進させてきました。こういう社会的な現実が、すすんだルールをもった国ぐににはあります。

戦後の日本でも、解雇反対の闘争の 大きな伝統がある

 日本でも以前の時期には、労働者の大量解雇あるいは雇用の大規模な縮小などの攻撃が起こったときには、それは労働組合の、文字どおり大問題になりました。比較的力の弱い組合でも、これにたいしては労働者の生活の根本、いわば死活にかかわる問題として、頑強なたたかいで抵抗したものでした。

 戦後の労働組合運動史には、こういうたたかいの無数の記録があります。私は党本部で活動するようになる前、鉄鋼労連という組合の書記を十一年やっていました。鉄鋼労連というのは総評のなかでも決して強い組合ではありませんでしたが、そこでも、一九五四年に北海道の日本製鋼室蘭で四千人の労働者のうち一千人を解雇するという攻撃をうけたときには、やはり頑強なたたかいが展開され、百九十三日にわたって全国の支援もうけながらたたかったものです。

 世界ではこういう現実がいまでもあるのに、日本ではこの現実が失われているというのが重大な問題なのです。こういうたたかいの力のよわまりが無法なリストラを安心して横行させる最大の社会的背景になっています。

ここには21世紀の日本社会が直面する 最大の問題の一つがある

 また、国民生活の上ではいろいろな問題がありますけれども、医療制度の改悪の企ては、国民のほとんどすべての階層の生活・医療・健康を直撃する攻撃で、前例のない広範囲で過酷な、生活破壊的なものです。これも、自公保による国会の絶対多数があれば国民の抵抗をそれほど考えないでもやれるだろう、そういう思惑で彼らは強行しようとしています。

 政府や大企業の陣営が、労働者や国民を犠牲にするどんな無謀な攻撃も平気で強行できる、これは明日の日本の社会のために、どうしても打開する必要がある現状であり、文字どおり二十一世紀の日本社会が直面する最大の問題の一つがここにあるといっても、私は言い過ぎではないと思います。

 幹部会の報告が、経済生活の部面で、党が「たたかいの組織者」として役割を果たす問題を提起した根本には、そういう大きな社会認識と今後の展望があるということをよくとらえてほしいと思います。

 方針はすでに詳しく提案されています。リストラ問題でも医療制度改悪に反対するたたかいでも、地域で職場で、リストラに反対して雇用を守る、医療制度の改悪に反対して国民の立場で制度の発展をはかる、その要求が多数の声になる、いわば多数派になることをめざしての活動が重要です。

職場支部は、労働者の利益をまもり、 たたかいを組織する拠点の役割をになっている

 リストラ反対の闘争では、民間の企業のなかにあるわが党の組織、職場支部の役割と活動がひじょうに大事であります。その企業で労働組合がどんな色合いの組合であり、どんな立場をとっていようと、職場支部は労働者の利益を守り、たたかいを組織する拠点としての役割をになっています。七〇年代の初めごろから、職場で大々的に開始された、ひどい反動・反共攻撃のあらしの中でも、党の職場支部は、厳しい条件をはね返しながら、その陣地を守り抜いてきました。それが、これからのたたかいでひじょうに大きな力となるということを重視したいと思います。

 これは、私自身の経験ですが、今から九年前の九二年に、党として労働基準法改正案を提唱したことがありました。そのとき、中央の諸団体を集めての懇談会と、首都圏の職場に呼びかけての懇談会と、二つの会議を開きました。残念ながら、わが党が友好関係をもっている労働組合では、民間の経営に属する組合はまだ大きくないのです。私たちの労働基準法改正案では、とくに民間経営での長時間過密労働をどうして規制するかが中心問題でしたが、中央諸団体を集めての会合では、民間の実態はあまり反映されませんでした。しかし、首都圏の職場の人たちに呼びかけた懇談会には、広い会場をぎっしりうずめるほど、五百人もの労働者の代表が集まって、各産業の生々しい状況も報告すれば、われわれの提案についてもおおいに論じてくれました。この人たちが集まってきた職場の大部分は、組合としてはあるいは連合系であったりあるいは中立であったりという職場ばかりです。しかしそこにも、労働者の立場をきちんと守って、また、社会と政治の革新を願う大きな流れが息づいていることを、ひじょうに強く痛感しました。

 このたたかいでは、組合の色合いがどうであろうが、職場の労働者に広く深く結びつき、知恵と力を尽くして、共同と団結を広げていく活動にカギがあります。どこの企業でも、リストラの計画そのものが長期のものでありますから、支部も、これを援助する党機関も、長期的な構えでとりくみ、本当に、このたたかいから、日本社会の顔かたちが変わったな、不当な攻撃にたいしては社会的な反撃が加えられる、そういう社会になったな、という方向で新しい一歩が開かれるような、たたかいと支援とをお願いしたいと思います。

21世紀をたたかう党づくりを

 三番目は、「大運動」を中心にした、党建設の問題であります。どんな激しい旋風が吹こうが、波風が起ころうが、それに打ち勝つ力をもった「質量ともに強大な党の建設」ということが、いま、全党のひとつの合言葉になりつつあります。今度の報告では、その合言葉を、ただの言葉にすませずに、本当に実らせる、真剣に行動に移す、この立場から「大運動」が提案されました。

党の歴史には、党建設が決定的な 意味をもつ特別な時期がある

 党建設というのは、常に重要な課題でありますが、戦後のわが党の歴史を振り返ってみますと、党建設がとりわけ決定的な意味をもった特別な時期がいくつかあります。

 一つは、戦後党が初めて公然と活動を開始した時期です。出発点では、本当にごく少数の党員の集まりであった日本共産党が、四〜五年の活動で十数万の党に発展しました。次に頭にうかぶのは、「五〇年問題」を解決し、党の統一の回復と党の綱領をかちとって以後の時期であります。一九五八年の第七回党大会の時には、党員三万六千人、「赤旗」読者四万七千人という党勢でした。そこから出発した党が、一九七〇年に第十一回党大会を開いた時には、党員三十万、「赤旗」読者百八十万という党勢をもつところまで大発展をとげました。党建設のこの発展が、七〇年代の政治的な発展を切りひらく巨大な力を発揮したのであります。

 この二つの時期には、いまある党組織を増やすというだけでなく、党のないところにどんどん新しく党をつくってゆく、そういう意気込みで、またそういう形でごく少数の党が十数万になる、あるいは三万六千の党が三十万になる、四〜五年とか十二年とかの比較的短い期間にそういう発展をやりとげて、それが、政治的にも新しい発展を切りひらいてゆく、そういう活動を展開したのです。

21世紀をたたかう党の根幹をつくる活動に、 知恵と力をつくしてのとりくみを

 私は、いまはまさにそういう時期だと思います。「大運動」をはじめ幹部会報告が提起した党建設の課題は、二十一世紀をたたかう党の根幹をつくるという意義をもっています。二十一世紀を本当に日本と世界を変える進歩の世紀にできるかどうかは、この課題をどれだけ成功的にやりぬくかどうかにかかっています。「大運動」では、その最初の、確実な力強い大きな成果をあげるものに、どうしてもしなければなりません。

 しかも、私があげた過去の二つの時期に比べれば、現在、党ははるかに大きな力をもっています。三十九万をこえる党員、四千人をこえる地方議員、こういう力は前の二つの時期の党建設の出発点にはなかったものです。そういう力を本当に生かしながら、過去の二つの時期に匹敵する党建設の大きな発展を勝ち取るために、党のもつすべての知恵と力をつくしてのとりくみを期待したいのであります。

支部が、まわりの人びとといかに広く深く結びつくか ――わが党の活力はここにかかっている

 この活動では、「量」とともに、合言葉にあるように「質」が重要であります。

 まず支部ですが、党規約でも、支部の新しい位置づけをおこないました。まわりの人々と広く深い結びつきをもち、地域、職場、学園で党の旗をかかげて活動する支部がどれだけ発展するか、わが党の活力は、まさにそこにかかっています。それには、もちろん支部自身の自主的な努力が第一でありますが、そういう活力ある支部が党の大勢になるためには、党機関の指導的な援助が大きくもとめられます。そういう支部づくりに、「大運動」にはじまる党建設の活動のなかで、とりくんでいただきたいと思います。

党機関の力量・水準を発展させる意識的な努力を

 党機関の問題では、今日の情勢がもとめている要請にこたえるためには、党を代表しての政治活動の面でも、支部をはじめ党組織への指導援助の面でも、選挙戦をたたかいぬく面でも、党機関の力量をたかめる意識的な努力が必要なことは、昨日の幹部会でも多くの同志から強調されました。

 私が、地方の党機関の方々とお会いするのは、選挙の応援に行ったときが多いのですが、党の方針を生かし新しい情勢に応じて実に見事に発展させているな、ということを実感する場合もありますが、わが党の選挙戦では、これは証明済みの鉄則なのに、そこが忘れられているな、という感じを持つ場合もあります。それから、ある経験則を教条にしてしまって、たとえば、ここはいつも演説をやるところに決まっているということで、人がいようがいまいが、決まったところで演説する、そういう演説会の組み方をしていることもたまには耳にします。

 ですから一つの選挙戦にとりくむにも、党の到達点をしっかりふまえながら新しい情勢に見あってどう発展させるか――結局はいかにして党の支持を広げるかが成否の分かれ目なのですから、そのためにもっとも合理的にどう活動し、どう指導するかが問題なので、そこで党機関の力量が問われます。

 党の新しい規約では、地方、地区の党組織の自治的な役割ということをおおいに強調しました。

 私は党大会で、規約のこの部分を説明するときに、「このことを本気でやろうと思うと、地方の党機関が、政治問題にもおおいに自主的・自治的に挑戦して、自主的・自治的に答えを出す必要がありますし、そのためには、それぞれの党機関の政治的な力量・水準というものをみずから発展させる努力が不可欠であります」と報告しました。二十一世紀の新しい諸課題に本当にとりくみ、挑戦し、成果をあげるためには、党機関の力量の建設ということはひじょうに大事な課題であります。そのこともぜひ真剣に追求しながら、幹部会報告が提起した方針を討議し実行に移してほしいと思います。

21世紀・激動の世紀には、理論的な力が決定的

 党建設の問題では、全体として党の理論的な力を引き上げるための学習の努力が強まっていることはおおいに歓迎されることです。とくに、二十一世紀は、文字どおり激動の世紀だけに、党がどれだけの理論的力を持つかということは決定的な意味をもっています。

 私たちは、ことし、二十一世紀の第一年度を迎えました。文字どおり世界でも日本でも深刻な危機が前面にでてきました。

 日本では、私は、小泉内閣の存在自体が、歴代自民党政治の深刻な危機の象徴だと思います。“自民党政治を打破する”ということを“自民党政治の延命の手段にする”という小泉内閣の現実が、その危機のもっとも明白なあらわれであって、そこからは、出どころのないゆきづまりが当然生まれてきます。

 自民党の国会論議では以前から“理屈はあとからついてくる”ということが一つのはやり言葉となっていました。しかしこのごろは、あとからその“理屈”をつける余裕もなく、理屈なしに無法を横行させるというのが一つの特徴になっています。

 一見、世論での多数の支持という安泰の条件があるように見えながら、二十一世紀を迎えた自民党政治の危機はそれぐらい深刻です。

 世界では、テロと戦争の悪循環という現状、世界的な不況の広がりという現状、地球的な環境の破壊という現状が、いま世界がおちいっている危機の深さを物語っていると思います。“いったい世界はどうなるのか”“二十一世紀の展望がない”、そういう不安が世界全体に広がっています。

 昨年の大会では、二十一世紀を「二十世紀をさらにこえる人類史的な進歩の世紀にする」ということを課題に掲げました。実は、いま世界が経験している危機というのは、二十一世紀をよりいっそう進歩の世紀にする歴史の展開のなかでの、いわば過渡期の深刻なあらわれだと私たちは考えています。世界の平和の問題にしても、米ソ対決型、そのために軍事同盟優先という政治が当然視されていた世界は、二十世紀の最後の時期に終わりを告げました。そして諸国民の自決を前提にして、独立した諸国民が平和的に共存する新しい世界秩序へ向かう胎動がさまざまな形ですすんでいることは、大会でも分析しました。

 そのなかで、アメリカは、二十一世紀をアメリカ覇権主義の枠組みにはめこもうという戦略をもっています。テロとの闘争という国際的な課題にたいして、ああいう性急なやり方で報復戦争に訴えるというやり方の根底にも、そういう戦略と思惑がうかがわれます。しかし、二十一世紀の世界というのは、決して一国の覇権主義の枠内にはめこまれるような、そういう無力で受動的な世界ではありません。そこには、人類史の大きな歴史の流れとそれに逆行する流れとの矛盾と衝突が不可避的に生まれてきます。

 そういう意味で、いま私たちが経験している二十一世紀の最初の年のさまざまな危機は、本当にこの世紀の激動の大きさを予想させるものです。

綱領路線とともに世界観的な確信を全党のものに

 それだけに、この激動の世紀に大きな志をもって着実な前進を遂げるためには、日本の問題でいえば、綱領路線をしっかり学習して身につける努力、世界の問題でいえば、世界の発展の方向をしっかり見きわめ、世界観的な確信を全党のものにしていく努力、こういう学習が大事だと思います。

 先日「赤旗」で発表した、「代々木『資本論』ゼミナール」というのは、党本部でその課題にとりくもうという試みの一つとして計画したものですが、党の本部内でも反響はひじょうに大きなものがありました。会場は中央委員会を開くここですが、この会場ではあふれてしまうぐらい、常任幹部会の方々から党のあらゆる部門の方々まで、たくさんの希望者がありました。そこで、一階下の幹部会の会議室も使ってということで、通学可能な都県の方々にも参加を呼びかけたのですが、これも呼びかけたその日に、定数の倍くらいの申し込みが殺到して、すぐ締め切らざるをえないことになりました。その意欲にはたいへん心強いものがありました。

 全国からは、党の本部だけでやらないで、CSで放映せよとか、ビデオテープがほしいとか、いろいろな注文がありますが、今回のゼミナールはでき上がったものではなしに、受講者と講師の私との共同作業のようなもので、やってみなければ、どういうものになるかわからないという性質がありますので、テープはお断りすることにしていますが、そういう世界観的な学習の要求と意欲がひじょうに強いということをあらためて痛感しました。

 そういうこともふくめ、学習の面でも強い党、大きな理論的な力をもった党をつくってゆく、そして量的にも質的にも強大な党という、いま合言葉ともなっている気持ちを本当に生かした精《傾けての党建設にとりくむ、これがやはり、二十一世紀に力強い役割を果たせる日本共産党の歴史をひらく力になります。こういう大きな展望をもって、党建設のとりくみをお願いしたいと思います。

 以上、三つの点についてのべましたが、報告についての熱心な討論を期待し、また、中央委員会以後の熱心な活動を期待して発言を終わるものであります。

 


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