日本共産党第2回中央委員会総会(2001年5月29日)で決定した「第19回参議院選挙にあたっての日本共産党の訴えと重点政策」は次の通りです。
国民のみなさん
二十一世紀最初の国政選挙、参議院選挙が間近にせまってきました。政治、経済、外交のあらゆる面で、深刻にゆきづまっている自民党政治を終わらせ、二十一世紀に、自民党政治とはまったく違う、新しい政治をつくる、その大きな一歩をきりひらく選挙です。
国政では、“自民党を変える”“自民党をこわす”ということを最大のスローガンにかかげた小泉氏が、政権の座につきました。しかし、小泉政権に自民党政治のこの枠組みを変える力や方策があるでしょうか。
いま多くの国民が求めていることは、部分的な手直しで破たんした自民党政治を続けさせることではなく、これまでの政治の枠組みの大胆な改革を実行して、新しい世紀にふさわしい政治に道を開くことで>す。
国民の立場にたって、二十一世紀の新しい国づくりをすすめる、しっかりとした「日本改革」の提案をもっている、日本共産党をこんどの選挙で大きく伸ばしていただき、新しい政治を起こす大きな一歩をきりひらこうではありませんか。
「自民党を変える」、「日本を変える」といって出発した小泉政権にたいし、国民の高い支持が集まっています。これは、これまでの自民党政治に、国民がいかに強い怒りをもっていたか、「自民党政治を変えてほしい」という思いが、国民の間でいかにみなぎっているかを示すものです。けっして小泉政権への白紙委任ではありません。
では、小泉政権は、本当に、国民の期待にこたえて、自民党政治の枠組みそのものをおおもとから変えることができるのでしょうか。
もともといまの大不況は、一九九七年の橋本内閣による消費税増税、医療費値上げなど、九兆円負担増が契機になりました。そのとき、厚生大臣として、これを推進したのが小泉首相です。
その後、自民党や公明党は、「景気対策最優先」といって、ゼネコンのための公共事業や大銀行支援に湯水のように税金を注ぎ込んできました。その結果は、国と自治体の借金だけは新たに百二十二兆円も増やしましたが、日本経済は深刻で、新しい危機に直面させられています。
“ダムに水がたまれば、いずれ下流に流れるように、大企業が利益を増やせば、いずれ国民にもまわってくる”という“ダム論”は完全に失敗しました。大企業がリストラで利益を増やしても、倒産と失業増で、国民の所得と消費を減らしてしまうため、日本経済は縮小し、大企業の利益も一時的な“線香花火”で終わってしまうのです。大銀行、ゼネコン・大企業が最優先で、国民の暮らしを二の次、三の次とする自民党政治のやり方は、完全にゆきづまっているのです。
ところが、小泉首相がやろうとしていることはどうでしょう。「構造改革なくして景気回復なし」などといって銀行の「不良債権の早期最終処理」をすすめる、またもや「銀行応援策」です。「不良債権の最終処理」とは、銀行が企業への融資を打ち切り、資金を回収することです。当然、企業倒産と失業は激増します。ニッセイ基礎研究所は、新たに百三十万人の失業者が発生すると試算しています。これでは、失敗の繰り返しです。
そのうえ、資本に穴があいた銀行には、公的資金を投入し、税金で「銀行株買上機構」をつくってやることまで検討し、ゼネコンには、借金の棒引きをするというのです。
社会保障はどうでしょう。小泉首相が厚生大臣時代にやってきたことは、難病患者への公費負担を大幅に縮小させて一万九千人を医療から遠ざけ、母子家庭の児童扶養手当の削減で七万四千世帯を切り捨て、健康保険の本人二割負担への引き上げによって、はげしい受診抑制を引きおこすことでした。これが、社会保障の「構造改革」と称しておこなわれたことです。
それだけではありません。小泉首相が、厚生大臣時代につくった医療改悪の「青写真」は、(1)お年よりの医療費負担を一割ないし二割にする、(2)健康保険本人負担を三割に引き上げる、(3)介護保険料のようにすべてのお年よりから医療保険料をとりたてる「高齢者医療保険制度」を創設する、などたいへんな内容でした。すでに今年の一月からお年よりの医療費一割負担が導入されています。この「青写真」を、これからの「医療改革」の柱にしようとしています。小泉首相が「自立・自助」とか「これまでのように給付は厚く、負担は軽くというわけにはいかない」「改革には痛みがともなう」というのは、こういう大改悪案をたくらんでいるからです。
これでは、大銀行・ゼネコン応援も、国民への痛み押しつけも、何ひとつ変わらない従来型の自民党政治そのものではありませんか。
それだけではありません。小泉首相は、侵略戦争と植民地支配への無反省と結びつき、憲法が厳格に定める「政教分離」原則を踏み破る靖国神社への公式参拝宣言、集団的自衛権の行使や自衛隊合憲化のための憲法九条改悪、「首相公選制」導入など、就任直後からそのタカ派姿勢をあらわにしています。
集団的自衛権とは、なんでしょうか。「自衛権」というから、日本が外国から侵略や攻撃を受けたときの「自衛」の話だと思ったら、大間違いです。国連憲章五一条にもとづく集団的自衛権と称して、武力を行使したのは、アメリカのベトナム侵略戦争、旧ソ連のチェコスロバキアやアフガニスタンへの侵略など、ごく限られた例しかありません。集団的自衛権は、大国の無法な干渉、軍事介入の口実に使われてきたのが実態です。小泉首相や自民党などが「集団的自衛権」といっているのは、この種の海外での軍事行動に「集団」でのりだすこと、つまり、アメリカと組んで、自衛隊が海外での戦争行為に参加することにほかなりません。
ガイドライン=戦争法は、自衛隊の海外出動の第一歩をひらきましたが、憲法の制約もあって、建前上は、アメリカの戦争に「後方地域」でしか、自衛隊は参加できないことになっています。もちろん、「後方」であろうと、「前線」であろうと、武力行使・参戦行為そのものであり、明白な憲法違反です。集団的自衛権の行使とは、“戦争法をもっと使い勝手のよいものにせよ”というアメリカの圧力にこたえて、米軍のアジアでの干渉戦争に、どこであろうと自由勝手に参戦できるようにしようとするものであり、それは憲法九条にしるされている「戦争放棄」を完全に投げ捨てるものです。
「首相公選制」の導入も重大です。「首相公選制」は、首相と政府を国会から事実上独立させ、政府=執行権力の独走体制に道をひらいて、憲法で定めている国権の最高機関である国会の地位を根本からおびやかすことにほかなりません。しかも、小泉首相自身が、「憲法をこうすれば改正できると、国民に理解されやすい」とのべて、これを、憲法九条改悪の突破口と位置づけているのです。
小泉首相が、「改革」の名でおこなおうとしていることは、アメリカの干渉戦争に協力する戦争体制の強化であり、憲法の改悪でしかありません。
KSD汚職、機密費問題など、政治を汚してきた自民党の金権腐敗体質の一掃は避けて通れない課題です。KSD汚職が示したことは、企業・団体献金が政治をいかに汚すかということですが、小泉内閣は企業・団体献金の禁止には手をつけようともしていません。機密費問題でも、「機密費を減額する」とはいうものの、国民の血税が、飲み食いや国会議員への「せんべつ」、国会対策など、およそ国の仕事とは無関係に党略的に流用され、日本の政治を土台から腐敗させてきたという大問題について、その実態の究明と一掃に踏み込む姿勢はみられません。結局、金権・腐敗体質もそのままということです。
日本共産党は、ゆきづまり、よどんだ自民党政治をどう変えるのか、どうすれば、新しい世紀にふさわしい政治が実現できるのか、国民の利益にたって、「国民が主人公」となる本当の「日本改革」の提案をもっています。それは、次の改革をすすめることです。
第一は、暮らし・経済では、「大銀行・大企業応援政治」から、「国民の暮らしを応援する政治」にきりかえることです。
第二は、外交と安全保障では、「アメリカいいなりの米軍基地国家」から、「外国の軍隊のいない、自主・平和の外交をすすめる国」にすることです。
第三は、「憲法改悪」を許さず、憲法をまもり、平和主義の条項や人権規定が文字通り花ひらく日本にすることです。
第四は、子どもと教育、「少子化」問題、食料自給など、自民党政治がこわしてきた国民の生存の基盤を、二十一世紀に抜本的にたて直すことです。
第五は、日本の政治をゆがめ、汚してきた金権腐敗政治を一掃することです。
自民党政治のもとでの、大企業中心主義は、日本経済と社会に、欧米諸国にはみられない異常なゆがみをもたらしてきました。予算の主役が国民の暮らしではなく、ゼネコン型公共事業という国は、日本だけです。サミット参加国のなかで、日本ほど、雇用や環境、中小企業をまもるルールのない国はありません。
小泉内閣はいま、さかんに「構造改革」をさけんでいますが、その中身は、こうした従来型の自民党政治の「構造」を一歩も出ないものです。必要なのは、大企業中心主義という、自民党政治の枠組みそのものを変える経済改革です。
そのため、次の三つを大きな柱とした財政・経済の改革を実行します。
一つは、国の予算の使い方が、「公共事業には五十兆円、社会保障には二十兆円」というように、世界とは「逆立ち」したあり方をただすことです。
二つ目が、「ルールなき資本主義」といわれる実態をあらため、雇用や営業、環境など、国民の暮らしをまもるまともなルールをつくることです。
三つ目が、金融・財政政策から、農産物輸入自由化など、貿易関係まで、アメリカいいなりという現状から、対等・平等の日米経済関係に転換することです。
こうして、「経済・財政の大目標」を国民の暮らし向上、安心できる社会保障体系の確立におく、というのが、日本共産党の「日本改革」の第一の柱です。
景気対策の問題についていえば、いま国民が求め、日本経済が必要としているのは、小泉内閣が実行しようとしているような、国民生活にあらたな犠牲を押しつける「緊急対策」ではありません。日本経済の六割を占める「個人消費」、国民の家計の冷え込みにこそ、不況の長期化、深刻化の最大の原因があります。国民の家計を直接あたため、個人消費を直接活気づける対策こそ、日本経済がいまなによりも求めているものです。
日本共産党は、こういう立場から、三月二十三日、「緊急経済提言」(「大銀行・ゼネコン応援から、国民の暮らし応援へ――日本経済の危機打開へ三つの転換を提唱する」)を発表し、深刻な暮らしと経済の危機を打開するため、次の三点の政策をただちに実行するよう、提唱しました。
第一は、国民の消費・購買力を高める消費税の三%への緊急引き下げ。
第二は、老人医療や介護保険、年金、雇用保険など、三兆円もの負担増・給付カットを凍結し、将来不安のない社会保障体系をつくること。
第三は、雇用の拡大のため、リストラをおさえ、勤労者の八割が働く中小企業への支援を抜本的に強めると同時に、サービス残業をなくす国民的大運動をおこなうこと。
この提言は、当面する経済危機を打開する対策というだけにとどまりません。この提言を実行するなら、税制の民主的改革、財政の使い方の根本的転換、ルールある社会など、二十一世紀の日本を文字通り「国民が主人公」の新しい日本にする、「日本改革」を実行にうつす大きな一歩をきりひらくことになります。
日本銀行の調査では、老後の生活が「心配」と回答した人が、一九九〇年の三五・一%から、二〇〇〇年には八四・七%へと、十年で二倍以上になっています。将来の安心のためであるはずの社会保障制度が、改悪につぐ改悪で、不安のおおもとになっているのです。
日本の国内総生産(GDP)は世界第二位で、約五百兆円にもなります。そんな、「経済大国」が、なぜ、国民の暮らしをしっかりささえることができないのでしょうか。
日本の場合、ヨーロッパ諸国と比較して、国や自治体による「国民応援の予算」が極端に少なくなっています。たとえば社会保障への公費支出は、対GDP比で、ドイツ七・四%、フランス六・一%、イギリス一二・四%なのにたいし、日本は三・四%にすぎません。一方、公共事業費は、他のサミット参加六カ国の合計よりも、日本一国のほうが多いという異常さです。
小泉首相は、あいつぐ社会保障改悪について「これまでのように給付は厚く、負担は軽くというわけにはいかない」といっていますが、とんでもないことです。月五万円に満たない国民年金がどうして「厚い給付」でしょうか。老人医療の一割負担がどうして「軽い負担」でしょうか。国民にとっては「給付は少なく、負担は重く」が実態です。これは日本では、「負担」のわりに「給付」が低くおさえられているからです。「負担にたいする給付の割合」、つまり税・社会保険料負担にたいする「見返り率」は、ヨーロッパ諸国が約六〇%なのにたいし、日本は四四%にすぎません。
「公共事業には五十兆円、社会保障には二十兆円」という、世界でも例をみない「逆立ち」財政をあらためれば、国民の暮らし、社会保障をしっかりささえることができるのです。
消費税の減税は、国民の購買力を直接あたため、消費拡大に直接結びつく減税です。いま、GDPの六割を占める個人消費が冷え込んでいるのは、大不況とリストラによる所得の減少と将来不安の増大があるからです。三%への引き下げは五兆円の減税によって、国民の所得を実質的に五兆円増やす効果があります。また、消費税減税は、国民の購買力を奪う政策から、国民の購買力をふやす政策への転換の宣言になり、経済危機打開の強力なメッセージにもなります。
「デフレで物価が下がっている時に消費税を減税しても効果がない」という意見もありますが、そうではありません。「デフレ」のもとでの“安売り競争”の背景には、コスト削減のためのはげしいリストラがあります。しかし、消費税減税は、リストラをともなわない物価引き下げであり、国民負担の軽減です。だから経済の専門家も「減税による景気刺激策で長期の経済成長をもたらすようにすべきだ。具体的には消費税率の引き下げだろう」(バンク・オブ・アメリカのチーフ・エコノミストのM・レビー氏)と指摘しているのです。
日本共産党は、「上に軽く、下に重い」という不公平な税制である消費税の廃止をめざしています。緊急に三%に減税することは、財政事情も考慮した、景気対策としての提案ですが、それは廃止に向けての大きな第一歩ともなるものです。
さらに、小泉内閣が成立してから、消費税増税への動きが急になっていることは重大です。塩川財務相は「二〜三年後に……消費税の増税も視野に入れて税制改正をしたい」とのべました。現役の財務(大蔵)大臣が突出して、二〜三年という期日まで示して消費税増税を宣言したのははじめてのことです。鳴り物入りで入閣した竹中経済財政担当相はもともと、消費税率一四%という増税論者です。こんな大増税がおこなわれれば、個人消費は奈落(ならく)の底に突き落とされ、日本経済は取り返しのつかない大打撃を受けてしまいます。
いま消費税減税をかちとることは、経済の道理を実現することです。同時に、消費税減税の世論と運動を大きく広げることは、自民党政府がねらうこれ以上の消費税増税を食い止める確実な力にもなります。
第一の改革は、減らしつづけてきた社会保障への国庫負担を、増やす方向に転換させることです。
社会保障制度が、これほどまでに不安定なものになってしまった最大の原因は、歴代自民党政府が、国の負担を減らし続けてきたことです。
老人医療でいえば、医療費に占める国庫負担の割合が、一九八三年の老人保健法制定時の四四・九%から三一・九%(二〇〇一年度予算)にまで下げられています。年金でも、八〇年代に国庫負担を大幅に引き下げました。基礎年金への国庫負担を三分の一から、二分の一に引き上げることについて、国会で決議したのは、一九九四年のことでしたが、いまだに実行していません。介護にいたっては、保険制度ができる前には、老人福祉に対して、国が費用の二分の一を負担していたにもかかわらず、介護保険制度の実施にともなって四分の一に減らしてしまいました。この引き下げられた国庫負担を、計画的にもとにもどすことが、安心できる社会保障体系をつくっていくかなめです。その財源は、税・財政の民主的改革によって確保します。消費税の増税には反対です。
第二の改革は、「能力に応じた負担」の原則を確立することです。
自民党政治がすすめてきたように、保険料や利用料を負担する力のない人にまで負担をさせようとするやり方は、国民の暮らしを圧迫するだけではなく、社会保障制度の根幹そのものを崩してしまうことになります。現に、国民年金では、保険料を払えない人が八百万人近くにのぼり、保険料収入が減ったうえに、将来の無年金者をたくさんつくることになり、制度が根底からゆさぶられています。国民健康保険でも、三百七十万世帯が滞納になっています。負担する力のない人に負担を求めているからです。しかし、これでは、重病化によって、かえって医療費を増やし、社会的なコストを押し上げるだけです。
日本共産党は、こうしたやり方を根本的にあらため、社会保険の高額所得者への保険料「頭打ち制度」の見直しなど、大企業、高額所得者に適正な負担を求めるようにします。 以上の二つの改革によって、介護保険では、住民税非課税者の保険料・利用料を免除・軽減する恒久的な措置を、国の制度として確立でき、介護基盤の拡充もすすめられます。
医療でも、高い薬価の適正な価格への引き下げともあいまって、すべての高齢者からの保険料徴収や健保本人の三割負担などの大改悪をストップできます。
年金では、基礎年金への国庫負担をただちに二分の一に引き上げることによって、負担増・給付カット計画を中止し、将来的には、基礎年金の全額を国庫と大企業の負担による「最低保障年金制度」創設の展望もひらけてきます。
小泉首相は、公共事業も含め「聖域のない歳出の見直しにつとめていく」と唱えながら、ムダと環境破壊の見本のような熊本県川辺川ダムや諌早湾干拓、関西空港二期工事などの大型公共事業は、住民の反対を押し切ってでも強行するという、これまでと何ら変わらぬ姿勢をとっています。これでは、ムダな公共事業にメスを入れることはできません。
公共事業の中身を生活優先にきりかえる……日本共産党は、「公共事業不要」論ではありません。低家賃の公共住宅の大量建設、下水道処理、生活道路などの生活関連施設、特養ホームや保育所の新増設、学校の大規模改修、バリアフリー化など、必要な公共事業は大いに推進すべきです。
日本共産党は、公共事業費全体の規模は、段階的なやり方で現在の半分の規模にすることを財政再建の目標の一つにしていますが、公共事業からムダと浪費を一掃すれば、公共事業費を段階的に半減しても、必要な社会資本整備をすすめることができます。大型プロジェクト中心よりも、福祉・暮らし型の公共事業のほうが、中小企業への発注率も、雇用効果も大きいことは、東京都の臨海副都心開発では、中小企業への発注率が一割にも満たないのに、同じ東京都の福祉局、住宅局の仕事は八割以上が中小企業に発注されていることでも明らかです。
川辺川ダムなど不要なダム事業を中止する……いま全国でダム事業が、ムダと環境破壊として問題になっています。党国会議員団が五月におこなった全国二十二カ所のダム調査では、河川改修などで治水対策も可能であるのに、いずれも過大な水需要予測を前提にし、必要性のなくなった計画を見直そうともせず、ダム建設に固執していることが明らかになりました。
環境への影響が大きく費用も巨額にのぼることから、コンクリートダムだけに頼らない治水、利水はいまや欧米など世界の流れです。ところが小泉首相は、「(川辺川ダムの)完成にむけて努力していく」と国会で答弁するなど、“ともかくダム建設ありき”の姿勢をあらためようとしていません。川辺川ダムは、発電、治水、農業用水という目的自身がすでに破たんしているにもかかわらず、国は清流と環境を破壊するダム建設にしがみついています。計画をただちに中止し、国の責任で五木村など地域の再生と振興をすすめるべきです。
すべてのダム事業を、目的、財政効果、環境への影響をあらためて住民参加で検証し、不必要と判断されたものは中止します。ダムを一方的に住民に押しつけるやり方も問題です。計画段階から必要性、採算、環境への影響、代替案の検討などを、住民参加で公正におこなう事業評価制度をつくります。長野県田中知事の「脱ダム宣言」を支持します。
諌早干拓や三番瀬埋め立てなど環境破壊の事業をやめる……“漁師も漁ができない環境は、人間にとってもよい環境とはいえない”海を生活の場としてきた漁民が、「死の海」となった海を見つめて語る言葉です。
多くの市民団体・環境団体の反対を押し切って、湾の閉め切りを四年前に強行した諌早湾の干拓事業は、有明海の浄化と生命の揺りかごというべき干潟を台なしにし、漁業に深刻な被害をもたらしました。政府は、早急に水門を開放し、干拓工事を直ちに中止するとともに、国の責任で諌早湾の干潟を再生し、有明海をよみがえらせるべきです。
日本有数の渡り鳥の飛来地である東京湾の三番瀬についても、埋め立て計画を撤回し、三番瀬をラムサール条約の指定地とするなど保全のためにこそ、国は力をつくすべきです。
干潟を見つけては埋め立て、谷を見つけてはダムをつくるという公共事業のやり方をきっぱり捨て、子孫の将来のために、海や川、森林の豊かな自然を資産として残す観点で、公共事業を見直すべきです。そのためにも、工事最優先で、おざなりの環境調査しかやらない現状をあらため、環境アセスメントを徹底し、環境保全を優先するやり方に転換します。
関西空港二期工事など過大な需要を前提にした空港・港湾事業を中止する……「国際化、大型化」のかけ声のもとに、全国で空港建設の計画や工事がすすめられ、マスコミでも「空港乱造」「計画過密」と批判されています。その空港の事業計画も過大な旅客需要を前提にしており、開港しても採算をとることができません。
すでに完成した一期工事分でさえ、採算がとれないにもかかわらず、さらに事業費がかかる関西空港二期工事や、常滑沖に空港島を建設する中部国際空港は直ちに中止すべきです。関西新空港から高速艇で三十分程度しか離れていない神戸空港や、空港のある東京・名古屋まで新幹線でそれぞれ一時間のところにつくる静岡空港など、採算性を度外視した地方空港の乱造も中止すべきです。
また、全国で船の入らない“釣り堀”化したコンテナ港がつくられ、自治体財政を圧迫しています。
新幹線や道路、空港という輸送手段がばらばらに整備され、輸送能力が過剰で赤字が増えていくという今のやり方をあらため、総合的な交通政策を確立する必要があります。道路、空港、港湾などを一本化した総合交通特別会計を創設し、浪費をなくしていきます。
公共事業を膨張させる仕組みに抜本的にメスを入れる……ムダな公共事業が、次々と生まれるのも、計画や財源に、公共事業を膨らませる仕組みがあるからです。具体的な計画もなしに、ただ金額だけ書き込まれた十三年間で六百三十兆円という、日米構造協議で押しつけられた「公共投資基本計画」と、それにもとづく各種の長期計画がムダと浪費の温床になっています。こうした“総額先にありき”方式を廃止します。また、第二国土軸と称して、紀淡海峡、豊予海峡など六つの海峡大橋を架けることを柱にした五全総の計画は、きっぱり中止すべきです。
財源の面でも、建設国債の制度は、公共事業のためには、事実上、無制限で借金できる仕組みになっています。また、道路特定財源の仕組みによって、揮発油税、自動車重量税など、国・地方を合わせて六兆円もの税金が道路建設だけに限定され、これを「使い切る」ための不要不急の道路建設が膨れ上がっています。
小泉内閣は、「道路特定財源の見直し」をいい出しましたが、「使途拡大先は、国土交通省内に限る」「都市整備の財源にする」など、道路以外の公共事業にも使えるようにしよう、というのでは、ムダな公共事業を減らすことにはなりません。日本共産党は二十年以上前から、揮発油税などを普通の税金と同じように使途を限定しない「一般財源」とすることを主張してきました。今日の「車社会」は、交通事故、大気汚染をはじめ大きな社会的な負担をもたらしており、自動車に関する税金だからといって、道路整備だけに特定する理由はありません。道路特定財源制度はきっぱりと廃止すべきです。
こうした公共事業の膨張に、ゼネコンへの天下りと利権構造による政官業の癒着が拍車をかけており、談合の禁止や入札制度の改善は不可欠です。
国・地方あわせて五十兆円の公共事業は、その六割が借金でまかなわれています。国債残高の半分以上、地方債残高の八割以上が、公共事業によってつくられた借金です。財政破たんの最大の原因となっている、異常に膨張した公共事業費に徹底的なメスを入れ、段階的に半減させます。
大銀行支援のために七十兆円の公的資金投入枠がつくられ、すでに約二十八兆円が使われ、そのうち八兆円以上は国民負担となることが確定しています。“みずからの不始末はみずからの責任で”という銀行業界の自己責任原則を確立し、大銀行への税金投入の仕組みは、ただちに廃止します。
日本の軍事費は、毎年五兆円と世界有数の軍事大国となっています。しかも、今後五年間で二十五兆円以上もつぎ込む軍拡計画=中期防衛力整備計画まですすめられています。国際的な紛争問題は、平和的な話し合い解決でというアジアの流れに逆行するものです。この大幅な削減にも取り組みます。こうした歳出面での取り組みは、財政再建への決定的な一歩を踏み出すものとなります。
ただちに、大企業・高額所得者優遇の不公平税制を是正します。いま、日本の税制は、株や土地などの譲渡益が「分離課税」となり、低い税率になっています。欧米では、すべての所得を総合して課税する「総合課税」が常識です。また、銀行がゼネコンなどに借金を棒引きした場合や大企業の分社化などにかかわる税金の減税措置までつくられてきました。その一方では、国民には消費税増税と社会保障の連続改悪が押しつけられてきました。そのため、消費税導入後の十二年間に、勤労者世帯の税や保険料、医療費自己負担の実収入に対する比率は、高額所得者(第五分位)は一・五ポイントの増加なのにたいし、低所得者(第一分位)は四・一ポイントも増加しています。不公平が拡大しているのです。
自民党は、「活力ある日本にする」といって、消費税の税率引き上げ、法人税減税、所得税の最高税率引き下げなど、“庶民増税、大企業・大金持ち減税”をおこなってきましたが、その結果は、日本経済に戦後最悪の大不況をもたらし、日本経済から活力を奪いました。それだけでなく、税収が激減し、放漫財政とあいまって、国と地方の破局的な財政危機をまねきました。二〇〇一年度の国の税収は、一九八八年度とほぼ同じ水準の五十兆八千億円しかありません。この十三年間に国内総生産(GDP)は、百兆円も増えています。自民党が、経済は成長しても、税収は伸びないという税構造にしてしまったからです。
これでは、社会保障の財源確保も財政再建もできません。景気回復の状況もみきわめながら、「能力に応じた負担」を徹底する立場から、直接税中心、総合・累進制、生計費非課税という民主的税制の確立をめざします。低所得者に重い不公平税制である消費税は廃止します。大企業や高額所得者に適正な課税をするよう、税率構造などをあらためます。
大企業は大きな経済力をもっており、その行動が、国民生活にも、社会全体にも大きな影響をあたえることから、大企業にはほんらい、特別の社会的責任があります。したがって大企業は、労働と雇用、中小企業の経営安定、地域経済、環境、消費者などにたいする責任をはたさなければなりません。
ところが「規制緩和」や「リストラ」がもてはやされるもとで、この十年、労働者の無権利状態は、いっそうひどくなっています。労働基準法や就業規則などおかまいなしの早朝出勤、サービス残業がまかり通っています。単身赴任を断ることもできません。中小企業は、一方的な単価の切り下げや発注の打ち切りに苦しめられ、中小小売店は、大型店の出店ラッシュで激減しています。もうかりさえすれば、“あとは野となれ、山となれ”の環境破壊もあとをたちません。
二十一世紀も、こんな日本でいいのでしょうか。血も涙もないリストラは、労働者の意欲をそぎ、人員削減と新規採用抑制は、青年の深刻な就職難をつくりだし、仕事や技術が次の世代に受け継がれないなど、企業の競争力を基盤からつき崩しつつあります。財界系のシンクタンクである社会経済生産性本部の研究所も、“リストラが労働者の健康を害し、自殺者の激増を招いており、人的資源をこのような状態にしては企業の再生はない”と警告しています。環境破壊も社会的コストを増やし、長期的には企業活動にもマイナスしかもたらしません。
「ルールなき資本主義」は、国民、労働者を痛めつけるだけではなく、日本経済の発展の土台をも台なしにしてしまおうとしているのです。
厚生労働省が重い腰をあげて、違法なサービス残業について、やっと根絶に向けての通達をだしましたが、日本共産党が「サービス残業」という言葉を使って、国会で追及してから、四半世紀もたってからです。
どの国の政府も、どうやって雇用を確保するか、失業者を減らすかに心血を注いでいるというのに、日本では、自民党政治のもとで、リストラで首切りすれば税金をまけてやるという制度(産業再生法)までつくってしまいました。“首切り応援政治”です。
しかし、その結果は、日本経済に何をもたらしたでしょう。失業の急増は、国民から消費購買力を奪い、大企業を含む企業の売り上げと利益の減少をもたらしています。労働者を大切にできない経済社会は、本当に強い経済社会ではありません。
当面、企業による勝手な首切りを規制する「解雇規制法」、労働者、関連企業はもちろん、地域社会にも影響を与えるリストラの横行をおさえるための「リストラ規制法」、「サービス残業根絶法」の制定、派遣労働者やパート、アルバイト労働者の権利をまもる「派遣労働者保護法」「パート・アルバイト労働者保護法」の制定に全力をあげます。
二十一世紀には、人間らしい労働と生活をとりもどすため、抜本的な労働時間の短縮と有給休暇の完全消化、単身赴任の規制など、人間らしく働ける労働条件の確立をめざします。そのために、労働基準法を抜本的に改正し、残業時間を年間百五十時間に制限する、全国一律の最低賃金制の確立、夜間労働、交代制勤務の制限、過密労働の規制などをはかります。
全企業数の九九%、勤労者の八割が働く中小企業は、日本経済を土台からささえています。また、中小商店や商店街は、住民の暮らしのよりどころとなり、地域経済と地域社会をささえています。だからこそ世界では、中小企業を「持続的な経済成長」「地域の均衡のとれた発展」「雇用の創出」に欠かせない存在と位置づけ(OECD=経済協力開発機構、ILO=国際労働機関)、対策を強化してきました。ところが日本では、自民党政治のもとで、「構造改革」「規制緩和」がさけばれ、中小企業は「非効率な分野」「遅れた分野」として切り捨てられてきました。
日本共産党は、中小企業を日本経済に不可欠な存在として位置づけ、文字通り「日本経済の主役」としてのあつかいを受けるようにします。
第一に、大型店の無秩序な出店から中小小売店をまもるルールとして、「大規模小売店舗規制法」の制定をめざします。また、リストラの名による下請け中小企業いじめをやめさせるための規制と体制の強化をはかります。
第二に、一般歳出のわずか〇・四%の千九百四十八億円にすぎない国の中小企業予算を、ただちに二%程度にまで引き下げ、経営基盤を効果的にささえる支援をおこないます。
温暖化防止など、地球環境をまもることは、二十一世紀に日本と世界が存立していくうえで、まったなしの課題です。なかでも、巨大な産業社会となっている日本の責任は重大です。日本における環境破壊は、それ自体、国民の安全な暮らしを脅かすだけではなく、地球環境の破壊にもつながります。
「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の「温暖化の予測」によれば、二十一世紀末までに、気温が一・四度から五・八度も上昇するとしています。これほど深刻なのに、アメリカのブッシュ大統領は、温暖化ガスの削減目標を決めた京都議定書の不支持を表明しました。日本は、京都議定書を取りまとめた国際会議の開催国・議長国として、みずからも早期に議定書を批准するとともに、アメリカにたいし早期批准をきぜんとした態度で要求すべきです。
ダイオキシンは、発がん性や知的障害なども指摘される有害物質であり、次代をになう子どもたちへの悪影響など、深刻な事態が危ぐされています。ダイオキシン発生の原因となる製品などの生産抑制と代替素材の開発、メーカーが責任をもって回収するシステムづくりをすすめ、“焼却一辺倒”のゴミ行政をあらためます。ダイオキシンをはじめ、人体に有害な環境ホルモンの研究と、除去・無害化を含めた対策に本格的に取り組みます。地球のオゾン層破壊と温暖化を促進するフロンについては、回収・分解を徹底します。
使い捨て商品、頻繁なモデルチェンジなど、省資源と資源循環型社会をつくるうえで、メーカー、なかでも大企業の責任は特別に重大です。使い捨て商品の規制や環境対策税の導入、リユース(再使用)やリサイクル(再生利用)の義務づけ、大規模開発の規制に取り組み、貴重な干潟や森林など自然環境の保全、野生動植物の保護など、環境保全と共存・両立できる経済社会をつくります。
金融機関が破たんした場合、銀行と銀行業界の責任と負担で処理するのが、欧米でも、かつては日本でも、当たり前のルールでした。ところが自民党政治は、乱暴にもこのルールをやぶってしまい、この時いらい、金融のモラルハザードが際限なくすすんでいます。これに歯止めをかけるためにも、七十兆円の銀行支援の枠組みを廃止し、銀行業界の自己責任ルールを確立します。
「金融ビッグバン」と称して、元本保証のないリスクの高い金融商品が多く出回り、国民の大切なお金が「マネーゲーム」にひきずりこまれようとしています。最近の抵当証券会社の倒産でも、多数の被害が出ています。
政府は「株式市場の活性化」と称して、庶民のなけなしの資産をリスクの高い金融取引に引き込もうとしています。四月に実施された「金融サービス法」は、金融知識の少ない消費者を悪質商法からまもるためには、まったく不十分なものです。大企業の投機的な金融取引・土地投機などを規制するとともに、金融被害から消費者をまもるための法的整備をはかります。また、失業やリストラで住宅ローンが計画どおりに返済できず、サラ金地獄に陥るという事態も続出しています。住宅ローンにも返済猶予措置などがとれるようにします。
三菱自動車のリコール隠し、雪印の大量食中毒事件など、消費者に安全な商品を提供するという、当たり前のモラルを失った大企業が増えています。これを厳しくただし、道路運送車両法、食品衛生法の改正など消費者保護のための法整備や、検査体制の強化をはかります。
郵政民営化は、銀行業界の積年の「要望」を受けたもので、郵便局を利用する国民のことにはまったく目を向けていません。「改革」どころか、旧来型の銀行応援政治をいっそうおしすすめようというものです。
郵政三事業は、国民の暮らしに大きな役割を発揮してきました。大都市でも、地方でも、同じ料金で、一通一通、確実に配達する郵便事業、国民の零細な貯蓄をまもり、「国民の経済生活の安定を図り、その福祉を増進することを目的」とする郵便貯金と簡易生命保険は、国民生活に欠くことができない事業です。こうした事業は、過疎地を含めて全国に展開している郵便局のネットワークによって支えられています。
ところが銀行業界は、“郵便貯金が銀行の経営を圧迫しているから民営化すべき。民営化するときは、大きい競争相手にならないよう小さく分割しろ”など、自分たちの邪魔になる郵貯を「縮小・解体」したい、と主張しています。まして、自分たちは巨額の公的資金注入を受けながら、独立採算の郵政事業を「官業だから優遇されている」などという身勝手な議論はとても通用しません。
郵政民営化・郵貯の「縮小・解体」は、少額な預貯金利子のいっそうの低下、「口座維持手数料」など各種手数料の導入、銀行のリストラによる支店閉鎖・無人化とあいまった国民のための金融窓口の大幅な縮小など、サービスの切り捨てをすすめるものです。民営化ではなく、「国民の零細な貯蓄をまもる」という郵便貯金や簡易保険の本来の役割が発揮されることが必要です。
郵便事業の民営化は、大口、大都市など「確実にもうかる」部分への民間参入によって、個人、小口、地方のサービス切り捨てが起きる危険性があります。郵便事業を完全自由化したスウェーデンでは、ビジネスメールは半値になったが、一般郵便料金は五割値上げになった、とされています。このような民営化には反対です。
また、郵政関連の公益法人やその子会社が郵政官僚の天下り先になっていたり、自民党による特定郵便局長会の私物化など、国営事業にあるまじき問題にもメスをいれていきます。
自民党政治のもとで、経済面でも、アメリカのいいなりになってきたことが、国民生活に大きな被害をもたらしてきました。
アメリカの輸出競争力をささえるために、十五年という長期にわたって円高・ドル安政策が押しつけられた結果、アメリカにある日本の資産が、数十兆円規模で帳消しになり、国内では大企業の輸出競争力を維持するため、過酷なコスト削減のための、人減らし・リストラが強行されました。「日米構造調整」と称して、大店法の緩和・廃止をはじめとする「規制緩和」が押しつけられ、商店街は壊滅的な打撃を受けてきました。牛肉、オレンジ、米など農産物の輸入自由化は、日本農業に壊滅的な打撃をあたえています。
超低金利政策のねらいの一つも、日本の資金をアメリカのバブル経済をささえるために流し込むことでした。九〇年代以降だけでも、超低金利政策によって奪われた国民の純利子所得は数十兆円にのぼります。いままた「不良債権の早期最終処理」の圧力によって、倒産、失業の激増をまねこうとしています。
アメリカいいなりの金融政策、通貨政策、貿易政策からの脱却をはかり、たがいに補いあい、繁栄できる対等・平等の日米経済関係をきずきます。
今年は、日米安保条約が締結されて五十年目の節目の年です。
この間、日米安保条約は、ますます危険なものになり、その害悪は深刻きわまりないものになっています。米軍に提供している基地面積は、専用と自衛隊との共同使用を合わせると、一九八〇年以降は減るどころか、四万八千四百ヘクタールから十万千ヘクタール(今年一月現在)へと二倍以上になり、低空飛行訓練や実弾砲撃演習などの米軍の演習が日本全土に広げられるなど、異常な形での基地増強がはかられました。
内容の面でも、七八年のガイドライン(日米防衛協力指針)、九七年の新ガイドラインで日米が共同で戦争に打って出る体制が本格的につくられるなど、地球的規模での干渉と介入のための軍事同盟へと大きく変質しました。そしていま、アジアやヨーロッパからも「新たな軍拡競争を激化させるもの」ときびしい批判の声が上がっているアメリカのNMD(米本土ミサイル防衛)に「理解」を示すとともに、NMDと一体化したTMD(戦域ミサイル防衛)の日米共同研究まで推進しています。
この日米安保体制=日米軍事同盟のもとで、「日本は主権国家といえるのか」といわざるをえないのが、自民党政治の外交と安全保障政策の実態ではないでしょうか。米原潜の無法、無謀な行為による「えひめ丸」衝突・沈没事件でも、米側に抗議するどころか、感謝さえ表明しました。無法な低空飛行訓練や夜間離着陸訓練(NLP)に、中止を求めることさえできません。アメリカが国連憲章を無視した干渉戦争や軍事介入をおこなっても、これに逆らったことは、ただの一度もありません。
対米従属のもとで、二十一世紀の進路すらアメリカまかせというのが、自民党外交の実態です。
日本共産党は、二十一世紀の早い時期に軍事同盟からぬけだし、非同盟・平和・中立の道に転換して、世界とアジアの平和・友好に貢献する日本にします。
日本にはいまだに百三十カ所以上の日本の主権が及ばない米軍基地が存在しています。ヨーロッパに駐留する米軍は、この十年間に約三十一万人から十一万七千人へと劇的に削減され、米本土でも五百あった基地が百二十以上も閉鎖されました。
横田基地や横須賀基地など、首都圏に巨大な外国の軍事基地をかかえ、沖縄のように人口密集地のど真ん中に米軍基地がある、こんな国は世界にありません。しかも、その軍隊が、海兵隊、空母機動部隊、航空宇宙遠征軍というように、そもそも「日本をまもる」という任務を持たない、侵略と攻撃が専門の“なぐりこみ部隊”だというのも、世界に例がない異常さです。
この異常を、二十一世紀も無期限に続けようというのが自民党です。
この「米軍基地国家」ともいうべき異常な実態は、国民に耐えがたい犠牲をしいてきただけでなく、アジアの平和にとっても大きな障害になってきました。新ガイドラインにもとづく戦争法の制定も、アメリカのアジアでの軍事干渉、軍事介入に日本を動員するためのものです。小泉首相は集団的自衛権の行使に踏み込む発言をおこない、憲法九条の改悪さえ口にしていますが、日米軍事同盟体制は、自民党などによる憲法九条改悪論のたえざる源泉にもなっているのです。
いま、この現状を憂慮する声が、日米安保体制を肯定する立場の人からもあがっています。三井物産戦略研究所所長の寺島実郎氏は、「この先何十年も、この国に外国の軍隊が駐留し続けても平気だとする国が、世界で一人前の大人の国と認識されるはずがない」と指摘しています。
日本共産党は、安保条約廃棄が国民多数の世論となるよう力をつくし、二十一世紀こそ、外国の軍隊のいない、本当に独立した非同盟・平和・中立の日本にするため、「安保条約をなくそう」の声が国民多数の世論となるよう力をつくします。安保条約をなくすのに、むずかしい手続きはいりません。国民多数が、「もうやめよう」ということになれば、その意思を相手に通告しさえすれば、一年後には自動的になくなるということが、安保条約第一〇条に明記してあります。
日米安保条約をなくし、日本が軍事同盟からぬけだせば、日本とアメリカ、アジア、世界の関係をがらりと一変させ、二十一世紀にふさわしい「日米新時代」「新世界」をひらくことができます。
第一に、日本がアメリカの戦争に巻き込まれたり、動員されたりする危険から、完全に解放されます。
第二に、アメリカとの関係も、条約の規定にもとづいて「終了」手続きをするだけのことで、けっして敵対関係になるわけではありません。それどころか、戦前のように敵対でもない、いまのように従属でもない、対等・平等の関係となり、本当の友好関係をつくることができます。
第三に、これまでのように、アメリカが世界で繰り広げる無法な軍事干渉や軍事介入を支持するという、世界から孤立する道を歩むのではなく、自主独立の国となって、国民の平和の声を代表して、世界の平和に役立つ外交を積極的に展開する新しい条件がひらけてきます。
第四に、アジアに生きる国として、アジア諸国との友好・協力にまったく新しい可能性が生まれます。アジアを敵視した戦争法の根源そのものをなくすことになり、アジア諸国との平和・友好をいっそう力強いものにします。いまアジアでは、非同盟諸国会議に二十三カ国中、二十カ国、オブザーバーの中国を入れると二十一カ国が参加しています。参加していないのは、日本と韓国だけです。日本が日米軍事同盟からぬけだすことは、このアジアの非同盟の流れをいっそう大きなものにし、ヨーロッパとの関係でも、新しい転機をきりひらくことになります。
無法な米軍の空母艦載機などによるNLP(夜間離着陸訓練)や超低空飛行訓練は、米本国はもちろん、他のどの同盟国でもやっていません。こんな勝手放題をきぜんとした外交でやめさせます。そのためにも、日米地位協定を抜本改正し、世界に例のない米軍優遇の特権措置をなくします。
沖縄県では、米兵による女子高校生への強制わいせつ事件を契機にして、米海兵隊の削減・撤退を要求する決議が、県議会をはじめ二十一市町村議会におよんでいます。海外への“なぐりこみ部隊”である米海兵隊の削減・撤退の実現に全力をあげます。また、普天間基地の返還は、無条件におこなうべきです。最新鋭の基地の名護市への建設は、二十一世紀中にもわたって基地を固定化、強化しようとするものであり、断じて認められません。
米軍の無法な活動をささえる「思いやり予算」は、安保条約上も何の義務もないものであり、ただちにやめさせます。今年度から五年間で、二十五兆円以上もつぎ込む中期防衛力整備計画は、軍事力の面からアメリカの軍事干渉体制をささえるもので、アジアの平和にとって、脅威以外のなにものでもありません。いま平和外交こそ力を発揮する時代であり、抜本的な軍縮をすすめます。
日本共産党の国会での追及により、アメリカが、核兵器を日本に持ち込む密約の存在があかるみにでました。政府に密約の全ぼうを公開させ、核持ち込みの心配のない日本にします。核兵器廃絶を緊急課題として位置づけ、被爆国日本がその先頭に立つようにします。
日米安保にしがみつく自民党政治にとって、外交の基軸はいつも日米軍事同盟でした。そのため、アメリカいいなり、軍事的対応一本やりとなり、アジアの平和の激動からもとり残されてきました。世界政治のなかで、日本ぐらい外交的に存在感のない国はありません。
日本共産党は、自民党政府にたいし、(1)アメリカいいなりの外交から自主外交に転換すること、(2)アジアに生きる国としてアジア中心の外交をすすめること、(3)紛争問題は、軍事優先でなく、話し合いによる平和解決を最優先すること、(4)過去の侵略戦争と植民地支配を真摯(しんし)に反省すること――を提案してきました。
日本共産党は、野党ですが、この立場から自主・平和の外交をすすめてきました。
日本共産党の道理にたった自主外交が示すもの……日本共産党は、九八年の日本共産党と中国共産党の関係正常化と両党の首脳会談、九九年の党代表団の東南アジア訪問など、積極的なアジア外交で新たな局面をきりひらいてきました。
北朝鮮との関係では、三年前、テポドン問題で大変険悪な状態になったのにたいして、不破議長(当時、委員長)が国会で、アメリカや韓国が外交ルートをもっているのに、日本と北朝鮮の間には、外交交渉のルートもないことは非常に危険であることを指摘し、まず外交ルートをもつことだと提案しました。この提案が契機になって、日本の超党派訪朝団が北朝鮮を訪問し、国交正常化交渉が再開されることになりました。
中国と台湾の関係でも、不破議長は、中国指導部との会談で、日本が「一つの中国」という国際法上の枠組みを確固としてまもること、平和的に解決することが重要であり、問題解決のために「台湾の民心」を得ることが大事と提起しました。この提案を中国側も誠実に受け止め、これまでの「中華人民共和国が唯一の合法政府で台湾は中国の一部」という表現を、「中国は一つであり、中華人民共和国と台湾は一つの中国を構成している」と変えるなど、大きく変化してきています。
政権党ではなくとも、道理ある提案は、国際政治で大きな力を発揮し、平和なアジアと世界に貢献できるのです。
いま、東アジアには、安全保障対話をめざすASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォーラム(ARF)があり、紛争問題の平和解決を原則にしています。日本共産党がすすめてきた東アジア外交でも、このことの重要性が力強く確認されてきました。南北朝鮮の対話もありました。もし、日本が国として、自主外交を確立し、国民の願いにたってアジアと世界で、平和の外交を展開すれば、まったく新しい局面、平和の局面がさらに大きく開けてくることは間違いありません。
日ロ領土問題の解決も国際的な道理にたってこそ……日ロ間の領土交渉が四十数年間、なんらの進展ももたらさなかったのは、自民党政府の方針が国際的に通用する大義をもたず、首脳同士の個人的な“友好”や経済援助をテコにするなどの小手先の対応を繰り返してきたためです。日本共産党は、ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提とせず、十九世紀後半の平和的な領土交渉の到達点を基本にすることを提唱しています。日ロ間の二つの条約によって、全千島が日本の歴史的領土であることは明白です。また、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)は北海道の一部であり、サ条約で放棄した千島には含まれず、平和条約締結前に日本に返還されて当然のものです。日ロ領土問題解決のためにもっとも必要なことは、千島と歯舞、色丹を不当に奪ったスターリンのあやまりを、国際的な道理と大義にたってただすことです。
「国民主権と国家主権」「恒久平和主義」「基本的人権の尊重」「議会制民主主義」「地方自治」――この五つの原則にささえられた憲法がつくられて半世紀余。国民は、この憲法を、国のすすむべき進路をしめす羅針盤として大切にしてきました。いま、この憲法をめぐって、これらの原則を二十一世紀にいっそう花ひらかせるのか、それともおしつぶしてしまうのかのするどい攻防が進行しています。
小泉首相は、“集団的自衛権を行使できるようにする”“自衛隊をきちんと軍隊として位置づける”というなど、改憲の意図をかくそうともしていません。このねらいは、憲法九条の歯止めをとりはらい、アメリカがアジアでひきおこす戦争に、自衛隊がなんの制約もなく自由勝手に加わるようにすることです。現にアメリカは、「日本が集団的自衛権を否定していることが、同盟協力を束縛するものとなっている。これを撤回することは、より緊密で効果的な安全保障協力を可能にする」(「アーミテージ報告」、二〇〇〇年十月)と、憲法九条の「撤回」をおおっぴらに要求しています。
憲法九条は、アジアと日本の平和にとってかけがえのない大事な役割をはたしてきました。第二次世界大戦後、アジアと世界で百数十件の武力紛争がおこっていますが、日本はこれまで、外国の武力紛争に直接参加することは一度もありませんでした。「二度と戦争はしない、軍隊はもたない」ときめた九条の平和原則が歯止めになってきたからです。
日本共産党は、戦前の侵略戦争と植民地支配に命がけで反対をつらぬいた日本で唯一の政党です。憲法九条改悪のくわだてが強められているいま、多くの国民のみなさんが政治的信条や立場をこえて、「九条改悪許さず」の一点で大同団結することを心から呼びかけます。
憲法九条は、「戦争の違法化」という二十世紀の世界史の流れのなかで「恒久平和主義」をもっとも徹底させた、世界でも先駆的なものです。九条の値打ちは、いまあらためて世界から注目されています。九九年にオランダのハーグで国連非政府組織(NGO)の主催で開かれた「世界市民平和会議」は各国議会にむけて、「日本の憲法九条のように戦争放棄宣言を採択すること」を呼びかけました。日本共産党は、憲法九条の完全実施をめざします。
憲法九条にてらせば、自衛隊が憲法違反の軍隊であることはあきらかです。世界でも有数の軍事費をのみこみ、最新鋭の現代兵器で武装した軍隊を、「憲法で禁じられた軍隊ではなく、自衛力」などといってごまかす「解釈改憲」は、もはや成り立ちません。日本共産党は、憲法九条の完全実施にむけて、国民の納得と合意を尊重しながら、第一段階では、安保廃棄以前にも、戦争法の発動や海外派兵の阻止に全力をあげ、軍縮の方向に転換する、安保条約がなくなる第二段階では、対米従属的な関係の解消、大幅な軍縮など、自衛隊の民主的改革に取り組む、第三段階では、国民の合意を見定めながら、憲法九条を完全実施するため、自衛隊解消にむけて本格的な措置をとる――の三つの段階をへて、自衛隊解消をめざします。
日本が安保=軍事同盟からぬけだして中立の道を歩み、諸外国と本当の友好関係を結び、道理ある外交によって世界平和に貢献すれば、常備軍によらずに安全を確保することが二十一世紀にはかならず可能になります。
一人ひとりの人間を大切に――日本国憲法がよってたつ根本精神です。自民党政治は、この根本精神をあまりにもないがしろにしています。日本共産党は、憲法を二十一世紀の国づくりに全面的に生かします。
憲法は、第一四条で「法の下の平等」を、第二四条で「両性の本質的平等」と「同等の権利」をうたっています。にもかかわらず、社会のあらゆる場で男女が平等とはいえません。女性の平均賃金は男性の半分です。こうした賃金格差は、女性の厚生老齢年金も男性の五三%にすぎないように、老後の生活にも大きな影響を与えています。農業や自営中小業者の家族従業者は、税制上、その働き分がみとめられていません。
政府は男女共同参画社会の形成・促進をうたっていますが、この間すすめてきたのは労基法の女子保護規定を撤廃し、男性なみの深夜・時間外労働などの導入により「働くこと」と「子どもを産み育てること」の困難の拡大でした。そのうえ男女共同参画基本計画は、男女差別がもっとも集中的にあらわれている企業の責任を免罪しています。
仕事と家庭生活の両立のため、残業規制など労働環境の整備や保育施策の拡充とともに、女性の力を正当に評価する実効ある雇用機会均等法の改正をはかります。
また、政府がILOから再三にわたって是正を勧告されている男女の賃金格差、EU諸国などで当たり前になっているパート・派遣労働者への賃金・労働条件での差別解消をすすめます。農家・自営業者の家族労働を正当に評価する税制への改善も必要です。
女性を対象にした暴力や性の退廃は女性の人格、人間としての尊厳を踏みにじるものです。「DV防止法」(「配偶者からの暴力防止法」)が成立、均等法に職場でのセクハラ防止が盛り込まれるなど、この間女性の人権問題は前進してきました。さらに選択的夫婦別姓の実現をはじめ、一人ひとりの女性の人権をまもることを社会的合意としてこそ、男女平等の社会に道をひらくことができます。
日本共産党は、女性の権利と平等を大きく前進させ、二十一世紀を憲法に保障された平等の世紀とするために、各分野での取り組みをつよめます。
日本国憲法は、第一一条から第四〇条までの三十カ条にわたって、世界でも先駆的で豊かな人権規定を盛り込んでいます。第二五条のように、国民の「生存権」までうたった憲法は、世界でもそう多くはありません。問題は、こんな立派な憲法をもちながら、長年の自民党政治のもとで、それが生かされるどころか逆に踏みにじられ、ひどい人権じゅうりんが横行していることです。
その典型が、ハンセン病患者・元患者にたいして政府が長期間にわたって加えてきた仕打ちです。一九〇七年の「旧らい予防法」制定以来、政府は、「ハンセン病は強烈な伝染力をもち、治らない病気」という誤った宣伝をおこない、一世紀近くにもわたって徹底した隔離政策をとり、患者への断種・堕胎という言語道断の人権じゅうりんを強要してきました。しかも政府は、特効薬の開発によって完全に治る病気となってからも、旧法の隔離政策をつづけてきました。
今回の「ハンセン病訴訟」にたいする熊本地裁判決は、長年にわたる国による人権じゅうりんをきびしく断罪したものであり、政府が控訴を断念したことは当然のことです。日本共産党は、二度と再びこのような人権侵害を生み出さないために、政府が、真相の徹底究明、人権・名誉の完全回復と損害賠償、再発防止のための措置の確立に取り組むよう強く求めます。
「思想・良心の自由」「内心の自由」を踏みにじる「日の丸・君が代」の押しつけ、「通信の秘密」を侵す盗聴法など、憲法が厳粛に保障する国民の基本的人権を踏みにじるやり方にきびしく立ち向かいます。
民主主義の分野でも、自民・公明両党による国会での数の横暴、議会制民主主義のじゅうりんや、「オール与党化」による地方自治の形がい化も目にあまります。衆参両院の選挙制度を、主権者国民の意思と選択を正確に議席に反映するものにあらため、「一票の価値の平等」を実現する定数是正を実施するなど、議会制民主主義をまもります。
永住外国人に地方参政権を保障する立法の実現に全力をつくします。地方自治体の運営は、本来、すべての住民の参加によってすすめるのが憲法の保障する地方自治の根本精神です。永住外国人を地方自治の担い手としてむかえ、日本国民と等しく参加する政治を実現することは、わが国の民主主義の成熟と発展につながります。
司法制度の民主的改革に力をそそぎます。憲法が定める「裁判を受ける権利」を実質的に保障し、迅速で公正な裁判が受けられるようにするために、法律扶助の拡充、裁判官の大幅増員をすすめます。一定の経験をつんだ弁護士などから裁判官を選任する制度をめざします。市民の常識的判断が裁判に反映するよう、「陪審制度」の導入など、国民が直接裁判に参加する道を開きます。
一国の政府の最高責任者をどのような制度で決めるかは、その国の政治にとっての重要な問題です。わが国は憲法で、「国会議員の中から国会の議決で」(六七条)首相を選ぶ「議院内閣制」の仕組みを決めています。小泉首相は、憲法が決めているこの仕組みをやめて、「首相公選制」を導入すると主張しています。
「国民が首相を選ぶから民主主義にふさわしい」といえるでしょうか。「首相公選制」は、提唱者の小泉首相自身が「政治の規制緩和」だというように、首相と政府を、憲法が「国権の最高機関」と定めた国会から事実上独立させるものです。いまでも国会では与党の多数横暴がまかり通り、国民いじめの悪法がつぎつぎに成立させられています。そのうえ、首相と政府が国会のチェックから制度の上でも切り離されたら、それによってもたらされるのは、執行権力の独走体制です。日本共産党は、「首相公選制」導入に反対し、議会制民主主義をまもりぬきます。
もう一つ重大な問題があります。小泉首相は、「首相公選制」導入のための改憲によって、「憲法はこうすれば改正できると国民に理解されやすい」などと、改憲の突破口にする意図を公然とのべています。改憲勢力の最大のねらいは、「九条改悪」です。日本共産党は、平和・民主の憲法原則を根こそぎ破壊するこのようなくわだてを許しません。
子どもと教育、「少子化問題」、食料自給率やエネルギー問題など、二十一世紀の生存にかかわる問題が、大きなゆきづまりや破たんに直面しています。このままでは、日本の二十一世紀はどうなってしまうのか、国民の多くが胸を痛め、不安に感じています。日本共産党は、こうした問題にも、解決の道すじを提案しています。
「いじめ」や学級崩壊、校内暴力、児童虐待など、子どもと教育をめぐる現状は深刻であり、だれもが胸を痛めています。
学校教育も危機的な状況にあります。校内暴力は八〇年代の「荒れた学校」の時をこえて過去最高になりました。不登校も増加の一途をたどっています。学力の面では、授業が「よくわかる」子どもは中学二年で二十人に一人しかいません。
どうして、こんなことになってしまったのでしょう。自民党政治がおこなってきた競争主義、管理主義の学校教育が、子どもたちを過酷で、無用な競争にさらし、学校を荒廃させ、子どもの世界をゆがめてきたのです。
いま、各方面から危ぐの声があがっている「学力の危機」ともいうべき事態も、根は同じです。「つめこみ教育」の押しつけ、競争主義教育、ふるいわけと序列化が、多くの「落ちこぼし」をつくり、また、平均の成績は世界トップクラスでも、世界の中でもいちばんの“勉強嫌い”という結果をうみだしました。
日本共産党は、競争とふるいわけ、管理主義の自民党流の学校教育を、子どもの成長と発達を中心にすえたものに改革することを提案します。
(1)すべての子どもに基礎的な学力を保障することは、学校教育の基本任務であり、真に基礎的な事項については、十分な時間をとって、すべての子どもがわかるまで教えられるようにします。また、いまのように、断片的知識のつめこみ、暗記中心ではなく、物事の道理、社会や自然の仕組みが系統的にわかり、面白く学べるようにします。そのためにも、学校と教員の創意工夫を保障し、奨励します。実施前から、「学力の危機」をいっそう深刻にするとして中止の声があがっている来年度実施の学習指導要領の押しつけに反対します。基礎・基本とは何かについては、国民的に英知を集め、合意の形成をはかります。三十人学級や教員の増員など、教育条件の整備にも全力をあげます。
(2)過度の競争教育の制度を是正します。国連子どもの権利委員会は、日本政府への勧告のなかで、「極度の競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達のゆがみにさらされている」というきびしい批判をしています。主要国政府への勧告で「教育制度」そのものが不適格だと批判されたのは日本だけです。高校への希望者全員入学と学歴社会や大学入試の改革を含めて、競争教育の改善のための国民的な討論をすすめていきます。子どもの学校生活全般を点数化し、ふるいわけるような入試制度を改善します。
(3)「子どもの権利条約」は、社会が子どもを大切に保護すると同時に、子どもの権利の行使を保障することを明記しています。子どもたちが、健全な発達、成長をとげるためにも、学校教育の改革とともに、おとな社会の各分野にモラルを確立し、道義ある社会をめざします。テレビやテレビゲームなどでの、性や暴力の氾濫(はんらん)から子どもをまもることも重要です。世界では放映時間など多くの社会のルールがありますが、日本は野放しに近い状態です。この間、国民がテレビについて意見を言う第三者機関が発足するなど、貴重な歩みが始まっています。
こうした動きを前進させて、この分野でも世界に誇れる国にします。
いま出生率は、日本の人口を維持する最低水準(二・〇八)を大きく下回る一・三四にまで下がっています。子どもを産みにくい、育てにくい、だから子どもが少なくなる、というのは、日本社会の存立にとっても重大事です。
それは、いまの自民党政治が「暮らし抑圧型」であり、個人の生活も家族の一員としての責任も無視した「働かせ方」を野放しにしてきたためです。これをおおもとから変え、「暮らしをささえる」政治に転換すれば、個人や家庭の生活が大事にされ、子どもの未来を希望あるものにすることができます。そのため、次の三つの改革に取り組みます。
第一は、家庭生活と両立できる働き方にすることです。
そのため、子育て世代には、男女ともに、変則勤務や夜間勤務、単身赴任を制限し、残業も本人同意を必要とするなどの措置をとります。育児休暇中の賃金保障を六割に引き上げる、保育園などの事情に応じて延長を可能にする、看病や授業参観などのための「子ども休暇」を創設する――などの育児休業法改正をすすめます。また、代替要員の確保、職場への原職復帰、育休取得による不利益をなくすなど、男女ともとりやすくします。
第二は、男女差別・格差をなくし、女性が働きつづけられ、その力を生かせる社会にすることです。
男女の就業機会が平等な国ほど出生率が高くなる、というのが世界の傾向です。ところが日本では、女性の平均賃金は、パートを除いても、男性の六割強、男性の九割のオーストラリア、八割のイギリス、フランス、七割強のドイツなどと比べて、国際的にも大きく遅れています。日本の労働者の四割にのぼる女性の力を正当に評価し、生かせないようでは、産業や企業の未来もありません。男女賃金格差の是正、女性差別の解消など、企業に雇用のすべての面で「男女平等」をつらぬかせるようにします。
第三は、出産・育児と仕事の両立を応援することです。
「少子化」のなかでも保育所への待機児童は増えつづけ、五万人に達し、最初から入所をあきらめている「潜在的な待機」を含めると十万人にもなると推定されています。そのなかで、「ベビー産業」での不幸な事件も連続しています。産休明け、育休明けなどに機敏に対応できるよう保育所の増設と体制の拡充は急務です。その際、「安上がり」にするために、安易な民間委託や定員の水増しなどによって、保育条件を劣悪にさせないことも大切です。すべての小学校での学童保育をめざし、国の補助金を増額します。
国際専門機関が、人口の増加、異常気象、農用地拡大の制約などの要因によって、二十一世紀の食料不足を警告しています。ところが、日本の食料自給率(カロリーベース)は、四〇%まで低下し、七千六百万人分の食料を海外に依存せざるをえなくなっています。食料自給の中心である穀物自給率にいたっては、わずか二五%という異常な状況です。
こんなことになったのは、自民党政治がこの四十年間、日本国民の食料は国内でつくるという「自給」の考え方を、はじめから欠いていたためです。いまも日本は、義務がないにもかかわらず、年間七十数万トンもの外国産米を輸入する一方で、水田の減反を強行し、いまや減反は水田面積の約四割にまでなっています。食料自給率の引き上げどころか、引き下げに懸命なのが自民党政治であり、まさに、「亡国農政」だといわなければなりません。
日本共産党は、この自民党農政の枠組みを、次の二点で根本からあらためます。
第一。食料自給率の引き上げは、その国の生存権にかかわるものであり、侵すことのできない権利です。なかでも、日本の主食である米の自給は、どんなことがあってもゆずってはならない生命線であり、米を「自由化」の対象からはずさせるなど、アメリカなど穀物輸出国に有利になっているWTO農業協定の改定を、国際政治の舞台で強く主張します。
第二。食料自給率を引き上げるためには、日本では家族経営が成り立つようにしていくことも不可欠です。ところが、自民党政治のもとで、農業予算約三兆円のうち、農業土木には、半分近くの一兆四千億円も使っているのに、価格・所得保障には、七千億円しかまわしてきませんでした。フランスでは、農業予算の六七%、イギリスでは七四%、ドイツでは七〇%が価格・所得保障予算となっているように、EUでは、農業予算の中心は、価格・所得保障というのが常識です。世界でも、異常な予算の使い方を是正し、価格・所得保障を農政の中心にすえ、家族経営が成り立つようにします。
日本のエネルギーの国内自給率がわずか六・二%まで低下し、原油の輸入を中東へ依存する割合は、八六%と第一次石油ショック(一九七三年)以前の水準まで逆戻りしました。
欧米では、地球環境への配慮から原油などの化石燃料への依存を減らし、自国内での風力やバイオマス(生物資源)など再生可能なエネルギー源の開発で、エネルギーの確保を図る取り組みがすすんでいます。風力による発電量をみると、日本はドイツの六十五分の一、アメリカの三十七分の一です。エネルギーの研究開発支出にしめる再生可能エネルギーの割合も、日本はわずか三%であり、ドイツ(二七%)、英米伊(一一〜一五%)など、IEA(国際エネルギー機関)加盟国の平均の四割という低さです。
こんなことになったのは、自民党中心の政治が、虚構の「安全神話」の上にきずいた原発増設路線を、エネルギー政策の中心にすえてきたからです。ところが、自民党は、一昨年九月の東海村臨界事故で「安全神話」の破たんが明りょうになったにもかかわらず、原発をいまよりも十二〜十六基も増設する方向をめざしています。
こうした自民党政治による原発増設路線をきっぱりとやめます。日本以外の国が危険だとして撤退したプルトニウム循環方式や、反応がウラン燃料よりも激しくなり、安全性に関するデータも不十分で、新潟県刈羽村の住民投票でも「反対」が多数となったプルサーマル方式は中止します。
原子力に偏重したエネルギー政策を転換してこそ、小型水力、風力、太陽熱・光、バイオマス、水素(燃料電池)など多様なエネルギー源の開発と利用に本格的な取り組みが可能になります。いま、地球環境保全予算(六千三百九十九億円)の四割を原発推進費が占め、電源開発促進対策特別会計の電源多様化予算(千百二十三億円)の九割以上が核燃料サイクル機構に使われています。この使い道を変えれば、再生可能エネルギーの開発と普及を促進することができます。
政府は、アメリカの「規制緩和」要求にこたえて、エネルギー分野の「自由化」を推進しています。しかし、投機的取引による原油価格の高騰や米カリフォルニア州での電力供給危機をみても、「自由化」一辺倒では、安定的なエネルギー供給を保障することはできません。国民生活の基盤であるエネルギーの安定的な確保と供給を、国の責任として位置づけます。
文化・学術の発展は、豊かな人間性をはぐくみ、社会の進歩に欠かせないものです。ところが自民党政治は、国の予算に占める文化予算割合をヨーロッパの数分の一から十分の一、高等教育予算も欧米諸国の半分以下におさえるなど、文化・学術をないがしろにしてきました。また、日本では、自民党政治が放置してきた長時間労働や、欧米にくらべて高すぎるチケット代などが、国民を文化から遠ざけてきました。文化・芸術を自由に創造し享受することは、国民の基本的権利であり、その条件を整えることは政治の責任です。この立場から、日本の文化・学術の自由で豊かな発展の道をひらきます。
文化は「市場原理」だけにまかせられない分野であり、公的支援を中心に民間の協力もえて、経済的にささえることで多様な発展が保障されます。そのために、創造活動への公的助成を大幅にふやし、専門家の社会的地位の向上をはかります。映画、演劇などの後継者を養成する公的教育機関の設立をめざし、子どもたちがすぐれた文化に接する機会をふやします。また、すべての国民が気軽に文化を楽しめるよう、文化施設の低料金化、利用時間の延長など、利用者本位の改善をすすめます。
こうした支援を実現するため、文化庁予算をヨーロッパなみに拡充することをめざし、当面二倍にします。文化活動にたいする個人や企業の寄付について、優遇措置をもうけるなど、文化分野にふさわしい税制面での支援を充実させます。国民の文化的権利とそれを実現するための行政の責任を明確にし、創造・表現の自由と文化活動の自主性の尊重をうたった「文化振興基本法」(仮称)を実現します。
憲法の「学問の自由」(第二三条)をしっかりまもりながら、学術研究を積極的に振興し、多様な特性をもつ各分野のつりあいのとれた発展をはかることは、国の重要な責務です。ところが、研究開発費にしめる基礎研究費の割合が一三%程度にとどまるなど、基礎科学の振興は軽視されてきました。政府の「科学技術基本計画」も、国家的要請の強い研究や産業への応用策に偏重しています。科学技術予算の配分を見直し、人文・社会科学をふくめ、基礎研究への支援を強化します。
政府が検討している国立大学の独立行政法人化は、「効率化」の名のもとに、大学の予算と教職員を削減し、大学を政府の強い監督と関与の下におくという、教育・研究とは相いれないものであり、学術の衰退をもたらします。小泉首相のいう「国立大学の民営化」は、国が本来負うべき学術と高等教育への責任を放棄するものです。いま大切なことは、「学術の中心」である大学の教育研究機能を強めるために、各大学の自主的創造的な改革を支援し、高等教育予算を抜本的に増額することです。国立大学の狭く老朽化した施設の改修・整備をすすめ、私立大学の経常費助成を大幅にふやします。
「サッカーくじ」導入でスポーツをギャンブル化するなど、スポーツをゆがめてきた行政をきりかえます。スポーツを国民の権利として保障し、身近で使いやすいスポーツ施設の拡充など、だれもがスポーツに親しめ、競技能力の向上をはかるスポーツ振興に力をそそぎます。
KSD汚職、「機密費」問題等々、次々に噴き出る金権腐敗事件――おおもとに、「カネと利権」あさりに明け暮れる自民党の金権体質があります。自民党政治の枠を打ち破れば、「カネがものをいう汚れた政治」から「きれいな政治」「国民の声で動く政治」に転換できます。
KSD汚職は、自民党総ぐるみで中小業者の共済掛け金に群がり、それを食いものにした事件です。KSD会員の名前を勝手に使って、ありもしない「自民党支部」と五十四万人もの「幽霊党員」をでっち上げ、二十一億円以上もの「党費」をKSDに肩代わりさせていました。そのうえ自公両党は、機関紙への「広告料」の形でカネをまきあげていました。これまで発覚した無数の腐敗事件のなかでも、前代未聞の悪質さです。
「機密費」問題はどうでしょうか。その使い道を明らかにすれば「行政の円滑な遂行に重大な支障を生ずる」(政府答弁)などと、もっともらしい口実で国民にはひた隠しにしながら、国民の血税を、日本共産党以外の政党や政治家の外遊の「せんべつ」に使ったり、「国会対策」に使ったりしていました。日本共産党が暴露した「報償費について」という文書では、八八年、八九年には消費税増税のために五億円ずつ増額され、さらに外務省予算として計上された機密費が毎年二十億円も、首相官邸に「上納」されてワイロ政治の財源にされていたことが明記されていました。首相官邸がワイロ政治の総元締めになり、国民の血税が悪法を押し通す腐敗政治の財源にされてきたのです。
日本共産党は、これらの汚職腐敗事件の全ぼうを徹底究明するようきびしく要求します。
企業や団体が、カネの力で政治に介入すれば、それだけで民主政治の基礎はあやうくなります。政府に設置された選挙制度審議会は、何度も、企業・団体献金を禁止して、政治献金を個人に限るよう答申してきました。それなのに自民党などは、「企業も社会的存在だから」などといって企業献金にしがみついています。もう、こんな言いわけは通用しません。企業・団体による政党・政治団体・政治家への献金を、ただちに無条件で、どんな抜け道も許さず禁止します。
政党助成制度が発足して七年(九五〜二〇〇一年)。総額二千億円をこえる税金が使われ、自民党に一千三億円、公明党に百二十三億円、民主党に三百十五億円、社民党に二百二十三億円、自由党に八十一億円が渡されてきました。
“右手に企業・団体献金、左手に政党助成金”――こんなことをいつまでも放っておけるでしょうか。国民の税金を政党が分け取りし、憲法が保障する国民の「思想・信条の自由」を侵す政党助成制度は、ただちに禁止すべきです。政官財の癒着を一掃するため、天下り禁止や行政監視院制度など、必要な制度的措置をとります。
国民のみなさん
自民党は、九〇年代におこなわれた、すべての国政選挙で過半数を確保できませんでした。それでも、自民党が政権についてきたのは、「政界再編」などといって野党を取り込んできたからです。
とりこまれてきた“代表”が、公明党です。公明党は、この間の福祉切り捨てや汚職・腐敗隠しなど、自民党悪政の推進者になってきただけではありません。小泉首相が、靖国神社公式参拝を宣言しても、憲法違反の集団的自衛権の行使でも、侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題でも、ただただ、小泉首相のタカ派路線に従順に従っているだけです。この悪政推進の正体をごまかすため、日本共産党へのウソ八百の攻撃を、違法・不当な手段までつかっておこなっています。実績は悪政推進だけという勢力に、未来はありません。日本共産党は、党をつくって以来七十九年、民主主義のためにたたかってきた政党として、公明党による日本共産党攻撃を、日本の民主主義と人間の尊厳にかけて、断固としてはねかえす決意です。
小泉政権にたいし、野党の一部から、“小泉政権がおこなおうとしていることは、われわれと一緒だ”という声があがっています。これでは、二十一世紀にふさわしい新しい政治をおこすことはできません。
自民党政治の枠組みをおおもとから変えるには、どう変えるのか対案をもった政党が、こんどの選挙で大きく伸びることです。私たちが提案している「日本改革」提案がそれだと、確信しています。日本共産党は、自民党にはない「きれいな力」をもった政党です。「国民が主人公」「反戦平和」のためにたたかった七十九年の歴史があります。これまで、一度も公約を破ったこともありません。
どうか、この日本共産党を大きく伸ばしていただき、ともに力をあわせて希望あふれる二十一世紀の日本をつくっていこうではありませんか。
そのためにも、日本共産党への熱いご支持、ご支援を心からお願いします。
機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。
著作権:日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp