日本共産党第22回大会の1日目(11月20日)に、志位和夫書記局長がおこなった「第22回党大会にたいする中央委員会報告」は、つぎのとおりです。
代議員のみなさん、評議員のみなさん、CS通信をごらんの全国の同志のみなさん。この大会は政治情勢の緊迫・激動と、同時並行でおこなわれることになりました。私は、中央委員会を代表して、第二十二回党大会にたいする報告をおこないます。
大会議案は、九月に発表されていらい約二カ月、全党できわめて活発で積極的な討論がおこなわれてきました。そして大きな共感と歓迎の声がよせられました。
ある同志は、「百年、十年というスケールで、世界と日本の流れ、わが党の到達点を解明していることに目を開かされる思いがした。歴史が確実に前進していると確信がもてる」という感想をよせました。
ある同志は、「正直いって総選挙の結果にがっかりしていたが、どうすれば前進ができるかがはっきりして元気が出た。民主的政権にむけてがんばろうという力がわいた」という声をよせました。
こうした発言が、討論のなかで無数に出されました。大会議案の全党的討論をつうじて、わが党に新鮮な政治的活力がわきおこっています。
大会議案への反響は、党の外の方がたからも、たいへんに大きなものがありました。マスコミもかつてない注目と関心をしめしました。注目の内容はさまざまであり、中には早とちりや誤解もありますが、その反響の大きさは、今日わが党が日本社会で果たしている役割を反映するものとなっています。
中央委員会の報告は、大会決議案の章ごとに、全党討論をふまえて重点的に解明が必要な問題、情勢の進展にそくして補強すべき問題などを中心におこないます。
全党討論をつうじて出された修正・補強の意見はたいへん多岐にわたっており、報告でそのすべてをとりあげることはできませんが、大会での討論が終わった時点で、討論で出された意見もふくめて、修正・補強した決議案を提案したいと考えています。
まず決議案第一章(二十世紀論)についてであります。
二十世紀論を世界史的に解明したこの章には、新鮮な感動の声がたくさんよせられました。若い同志からの感想では、「学校の世界史がこういう観点で学べたら、もっと楽しかったのに」という声もありました。
決議案では、「諸国民のたたかいは、さまざまな逆流をうちやぶって、この世紀に偉大な世界史的な進歩を記録した」として、「民主主義と人権」、「民族の独立」、「平和秩序」、「資本主義への規制」、「社会主義」という五つの角度から、その内容を解明しています。
討論をふまえて、二つの問題について、補足的に解明をします。
まず「資本主義への規制」という角度からの二十世紀の総括についてです。決議案では、「十九世紀には一般的だった『自由放任』の資本主義“むきだしの市場経済”が二十世紀には通用しなくなった」ことを、二つの点から明らかにしています。
一つは、「諸国民の運動が独占資本の横暴をおさえる力を発揮して、さまざまな制度がつくられた」ということです。
決議案では、その実例として労働時間の規制をあげています。十九世紀の前半までの資本主義は、当時もっとも発達した資本主義国であったイギリスでも、無制限の搾取が横行していた資本主義でした。当時の一日十三〜四時間にもおよぶ過酷な長時間労働、児童労働による成長と発達の阻害、深夜の女性労働などによる乳児死亡率の増加などの実態は、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』が生なましく伝えています。
マルクスが「半世紀にわたる内乱」とよんだ労働者階級の激しいたたかいによって、十九世紀後半から一定の労働時間の規制がかちとられますが、それが八時間労働制という形で本格的に世界に広がり、定着したのは二十世紀に入ってからでした。この進歩に決定的な役割を果たしたのは、ロシア革命が八時間労働制を宣言したことでした。これは国際的に強い衝撃をあたえ、ILO(国際労働機関)が成立し、その第一回総会では八時間労働制に関する第一号条約の採択がおこなわれました。いまではその八時間労働制も過去のものになりつつあり、ヨーロッパの多くの国では拘束週三十数時間といった労働時間短縮にすすんでいます。
いま私たちは、「サービス残業」の根絶をはじめ日本の異常な長時間労働をただすたたかいにとりくんでいますが、二十世紀の労働者の権利を守る世界的たたかいの流れのなかに、これをしっかり位置づけて、たたかいの発展をはかりたいと思います。
いま一つは、国家独占資本主義、すなわち「国家が独占資本の利益を代表して経済に介入する体制がつくられた」ということであります。決議案では、「この体制は、勤労者への抑圧を強化するものだったが、他面では、生産と分配にたいする社会的規制がさけられない必然であることを、万人の前で証明するものとなった」とのべています。
ここでのべられている「国家が独占資本主義の利益を代表して経済に介入する体制」には、法律や行政指導、財政と税制、公共投資、金融など、さまざまな形態があります。日本の自民党政治の現実をみればわかるように、それらの形態は、基本的に大企業の利潤追求を応援し、「勤労者への抑圧を強化」するために利用されています。
しかし、ともかくも、無数の形態で国家から経済への介入がおこなわれ、「生産と分配にたいする社会的な規制」が目の前でおこなわれていることは事実であります。これは、資本主義が生み出した発達した生産力とともに、新しい社会への前進にとって「重要な足がかり」となります。私たちがめざす「大企業への民主的規制」の方針は、国家独占資本主義が現実に準備しているしくみ、経済への規制や管理のさまざまな「できあいの形態」を、民主的政権のもとで、国民の暮らしの向上のために活用しようというものです。
わが党の綱領路線が提唱している「大企業への民主的規制」という方針は、二十世紀の諸国民のたたかいの成果にたったものであるという点からも、この世紀の資本主義の発展そのものが必然的に生み出した規制と管理の諸形態を足がかりにしてとりくむという点からも、世界史的な裏づけをもったものであります。ここに確信をもってすすもうではありませんか。(拍手)
つぎに「社会主義」についてであります。社会主義という角度から、二十世紀をどう総括するか。これは、二十一世紀にもちこした課題となっています。
社会主義をめざして資本主義から離脱した革命ロシアは、スターリン以後、覇権主義、専制主義への変質の道をたどり、一九九一年にはソ連の崩壊にいたりました。同時に、決議案は、「ロシア革命が、民族独立、国際平和、勤労者の権利の前進などに記録した成果は、旧ソ連の崩壊にもかかわらず、世界史のうえで消えることのない業績である」と、その意義を確認しています。
さらに決議案は、「資本主義の体制から離脱した国々に、世界人口の約四分の一の人々が生活していることは、重要である」と指摘しています。全党討論では、この個所に、大きな関心がよせられました。
ここで「資本主義の体制から離脱した国々」としているのは、わが党の綱領の位置づけでいえば、「社会主義をめざす国々」ということです。私たちは、これは、その国の人民あるいは指導部が社会主義を目標としてかかげている事実をあらわす規定であり、現実にその国が社会主義社会にむかう過渡期にあるかどうかは、国ごとに個別の研究と分析で明らかにすべき課題と位置づけてきました。
前大会後、中国、ベトナムを、わが党代表団が訪問し、政権党の指導部と意見交換をはかるとともに、それぞれの国の実情にも接してきました。それぞれの政府と政権党は、社会主義社会の建設を目標としてかかげており、長期的な視野にたって、社会主義と市場経済をむすびつけて国づくりをはかることを公式の方針としています。
日本共産党は、日本における将来の社会主義社会の建設にあたって、「計画経済と市場経済の結合など弾力的で効率的な経済運営」をはかるという方針を、早くから明らかにし、綱領にも明記しています。これは市場経済は、そのまま放任すれば国民生活を脅かす破壊的な作用をもつが、社会全体の経済運営のなかで「市場の調節作用」が重要な役割を果たすことも事実であり、計画経済と結合されるなら、社会の進歩的な発展の道をきりひらく要素となりうるからであります。
こうした立場から、私たちは、中国、ベトナムなどでの市場経済の導入を、「一路、資本主義化」とみなす単純な立場にたつものではありません。レーニンが、さまざまな試行錯誤をへて、晩年に到達した社会主義への過渡期の政策──「新経済政策」は、市場経済を大胆にとりいれながら、社会主義部門を市場競争のなかで十分に勝てる力をもつように育てていくという構想でした。これは短期間で終わったとはいえ、二十一世紀を展望して、きわめて重要な可能性をはらんだ構想であります。中国、ベトナムでの経済建設の方針は、レーニンの「新経済政策」とも、多くの共通の要素をもっていると考えます。
これらの国々の「社会主義をめざす」事業の前途は、その国の人民が決めることでありますが、それがどういう道筋をたどり、どういう発展をとげるかは、二十一世紀の世界を展望したときに、重要な意義をもつことは疑いありません。そういう意味をこめて、決議案に、これらの国々の動向について「重要である」という言葉を書き込んだわけであります。
歴史の行程にはジグザグはさけられません。二十世紀に人類が達成した偉大な世界史的進歩も、「多くの激動と曲折」をへて歴史に刻まれたものでした。しかし「世紀」という単位でみると、なにが歴史の本流であり、なにが逆流であるかは、はっきりうかびあがってきます。
一断面でみますと、逆流が万能の力をもっているかのようにもみえることがあります。アメリカを中心とする軍事同盟体制と、多国籍企業と国際金融資本の支配体制が、絶対の力をもっているかのようにみえることもあります。しかし、二十世紀の世界史の流れの大局にてらすなら、これらの流れに未来はないことは明瞭(めいりょう)であります。
そして、世界史の流れにてらせば、日本共産党が今世紀に果たしてきた歴史的役割、新世紀に果たそうとしている展望こそ、歴史の本流にたったものであることも、また明瞭であります。(拍手)
決議案は、「日本の政党のなかで、今世紀をふりかえっていっかんした歩みをもち、新世紀を展望できる党は、わが党のみである」とのべています。多くの同志たちが、決議案を読むなかで、この党の歩みのなかに、みずからの人生と活動の歩みを位置づけ、確信と感動の声をよせてくれました。自民党が、今世紀をふりかえるどころか、昨日のことを説明することもできない(笑い)、明日のこともわからない、いや、きょうのこともわからない(笑い)、そういうゆきづまりにおちいっていることとの対比でも、わが党の先駆的役割は明らかであります。
同志のみなさん、歴史の本流の促進者としての、日本共産党の役割に深い確信をもって、二十一世紀にのぞもうではありませんか。(拍手)
決議案の第二章では、日本社会と日本共産党との関係に、一九九〇年代にどういう変化がおこったか、どういう展望があるのかを解明しています。日本の情勢をつかむうえでは、「十年」という単位でみると、到達点と展望がよくつかめます。この間、私たちは総選挙で後退を経験しましたが、これも九〇年代の「十年」という単位でみますと、日本共産党の政治的影響力が全体として大きく拡大する途上での試練──「党躍進の流れのなかでの新たな試練」ということができます。この現状の規定、それを突破する方向が、第二章で明瞭にしめされたことは、全党に新たな勇気をよびおこしています。
決議案の第4項では、九〇年代の流れのなかで、日本社会と日本共産党との関係におこった変化の到達点を、「自民党政治のゆきづまりと危機」、「日本共産党の政治的影響力の拡大」、「政党状況の変化」の三つの角度から、明らかにしています。
報告では、「自民党政治のゆきづまりと危機」について補足的にのべたいと思います。
決議案では、「自民党の国民的基盤は、歴史的な崩壊の過程にある」とのべましたが、これは決議案発表後の情勢の日々の展開で、まさに絵にかいたように鮮やかにしめされています。
臨時国会で政権党は、参院の選挙制度改悪の強行、健康保険制度の改悪と少年法改悪の衆議院での強行など、国民生活と民主主義を踏みつけにする暴挙を、“数の横暴”でくりかえしてきました。このなかで森首相が、数々の暴言、失言をくりかえし、スキャンダルにまみれ、世論調査でもきびしい数字がつきつけられ、自民党内部からも退陣論が噴き上がり、はげしい分裂ぶくみの抗争がおこるなど、森政権と自民党政治は、二十世紀の世紀末に、まさに“断末魔”的様相を呈しています。
ただ、これはたんに森首相個人の問題ではありません。これらの根底には、決議案が解明している自民党政治の「政治路線のうえでのゆきづまり」があります。ここでいう「ゆきづまり」とはなにか。それは端的にいえば、自民党の政治路線が、もはや現実にあわなくなっている──現実対応能力を失っているということであります。
外交では、東アジア地域に平和の激動がおこっているなかで、軍事同盟、軍事一本やりの路線がみじめな「おきざり」の状態になっています。内政でも、日本の経済構造に、個人消費がますます重要な役割を果たす方向での大きな変化がおこっているのに、従来型の大企業応援の政治をつづけ、長期不況、財政破綻(はたん)、国民生活と日本経済の危機をもたらしています。
決議案が指摘しているように、「自民党政治の存在そのものが、日本社会の発展の障害物であることが、こんなに明瞭なとき」はありません。森内閣の一刻も早い退陣はもちろんでありますが、自民党政治そのものを、二十一世紀の早い時期に終わらせることが、いよいよ切実な課題になっているということを強調したいのであります。(拍手)
きょう、補正予算の採決の直前に、野党四党が共同で森内閣への不信任案を提出します。これが可決されるならば、解散・総選挙で国民の審判をあおぐのが当然であります。政局は、きょうの内閣不信任案のゆくえ、その後の展開ともに、予断を許しません。しかし、いずれにせよ、政治情勢の流動化のもとで、解散・総選挙が、早晩ありうる情勢となっています。
同志のみなさん、総選挙と参議院選挙で、自民党とその補完勢力にきびしい審判をくだし、日本共産党の前進によって、二十一世紀の日本の政治を希望ある方向に転換させる新たな一歩をしるすために、全力をあげようではありませんか。(拍手)
決議案の第5項では、「民主連合政府にむけて──党の新たな前進のために何が必要か」という問題について、総選挙のとりくみの総括をふまえ、「政策的な対決をつうじて、革新・民主の路線を国民のものにする」、「新たな反共攻撃の強まりとたたかい、これを打ち破る」、「質量ともに強大な日本共産党の建設をかちとる」という、三つの角度から大きな指針となる方向をうちだしました。
それぞれが大切でありますが、なかでも決議案が、「わが党の活動のなかでの最大の弱点」が、「党建設の立ち遅れ」にあることを、九〇年代の党勢の実数の推移をしめして明らかにしたことは、全党に衝撃をもって受け止められました。多くの同志が、この現状に心を痛め、「これではいけない」「がんばらなければ」と、積極的に党建設のとりくみにたちあがりつつあることは、たいへん心強いことであります。
同時に、討論のなかで、「どうして党勢がこんなに後退したのか」という疑問が、数多く出されました。この後退については、客観的条件と主体的とりくみの両面から、その原因を明らかにしたいと思います。
客観的条件では、戦後第二の反動攻勢、旧東欧・ソ連の崩壊という世界的激動のもとでの反共の逆風が、九〇年代の半ばまでつづいたことが、党勢拡大にも重大な困難をもたらしました。そのもとで、党活動の弱点ともむすびついて、政治的・理論的に確信を失って党を離れたり、党員としての実態がなくなったりした人びとも生まれました。同時に、そうした世界的な逆風のもとでも、基本的にわが党がその陣地をもちこたえたことの意義は、きわめて大きなものがありました。その根本にはわが党の綱領路線の正確さと、それにもとづく全党の同志のみなさんの不屈の奮闘があったことを、あらためて誇りをもって確認したいと思います。(拍手)
しかし原因を、客観的条件だけに解消するわけにはいきません。決議案では「八〇年代半ばから約十年間にわたって、党員拡大の自覚的なとりくみは、全党的に弱まった」とのべています。この弱さを生んだ一つの要因には、方針上の不正確さもありました。決議案では、「一時期の党の方針のなかで」──これは一九八七年八月の第十七回党大会八中総以来の方針ですが──、「党員拡大と機関紙拡大が党勢拡大の二つの根幹」とされていたことがありましたが、「これは正確ではなかった」とのべています。
党員拡大というのは、党そのものの力を大きくする仕事です。機関紙活動は、党と国民とのむすびつきを強める仕事です。この両者は、それぞれ独自の位置づけが必要な仕事です。これを同列において「二つの根幹」とすることはできません。「二つの根幹」という方針は、機関紙拡大を強調するために出された方針でしたが、党員拡大を事実上後景においやり、自然放任に近い状態がつづき、党員拡大数が極端に落ち込むという結果の一因となりました。そのことが、機関紙拡大や配達・集金活動もふくめて、党活動全体をささえる力を弱くし、党員の年齢構成の高齢化という状況をつくり、わが党のすべての活動を前進させるうえでの障害をつくりだしています。
党員拡大の軽視という弱点は、一九九四年の第二十回党大会以降、徐々にただされ、党員拡大は前進の軌道にのりつつありますが、それはまだ端緒的であります。こうした教訓と現状をふまえ、決議案では、方針のうえでも「二つの根幹」という不正確な方針をただし、決議案の第六章で、「党建設の根幹としての党員拡大」という位置づけを鮮明にし、機関紙活動については「『しんぶん赤旗』中心の党活動」という広い視野にたった位置づけを鮮明にしました。第六章の党建設の方針は、「どうして後退したのか」という問題についての、党中央委員会としての自己分析をふまえて、提案しているものであります。第六章の全体が、「どうして後退したのか」という疑問にこたえる内容になっているのであります。
党組織の後退の要因については、それぞれの支部、それぞれの党機関でも、みずからの問題として、真剣に討論が深められ、前進への新たな機運が強まりつつあります。これは、たいへん貴重なことだと思います。弱点を恐れず直視し、原因を率直に明らかにし、自己改革をはかることこそ、つぎへの前進をつくりだすたしかな保障だと確信するものです。
この党建設の弱点は、克服にむけた第一歩がはじまっています。七月の六中総がよびかけた「党員拡大を重点とした党勢拡大の大運動」によって、一万一千数百人の新しい同志を党に迎え入れ、昨日の時点で三十八万六千五百十七人の党員を擁する党にまで前進することができました。ここには入党決意をしながら、まだ承認手続きのすんでいない方々の数は入っていませんので、一刻も早く承認をすませながら、さらに運動を発展させたいと思います。新しく同志となったみなさんに、党大会の名において、心からの歓迎を申し上げるものであります。(拍手)
機関紙拡大でも、十月度は全都道府県、全地区委員会が機関紙の増勢をかちとり、読者数は約百九十九万人をこえました。全地区委員会の増勢は、十年ぶりの快挙であり、十一月も全都道府県、全地区委員会、全支部が増勢をめざして奮闘中であります。
こうして全党のみなさんの奮闘によって、決議案で発表した党勢よりも、党員でも機関紙読者でも、前進をかちとり、決議案を“上方修正”できることを、ともに喜びたいと思うのであります。(拍手)
同志のみなさん。決議案がのべているように、強大な日本共産党の建設は、「民主連合政府への道を切り開く根本条件」であります。この事業を成功させるために、ひきつづき全党が心を一つにして奮闘しようではありませんか。(拍手)
つぎに決議案第三章について報告いたします。この章では、わが党の「日本改革」の提案を集大成し、豊かに発展させています。わが党は、大会ごとに「日本共産党はどんな日本をめざすのか」という改革の提案を具体化してきましたが、今回の決議案は、情勢の発展と、党の実践をつうじての、認識と方針のさまざまな新しい発展をふくんでいます。
まず決議案の第6項、「安保・外交政策の転換」についてのべます。
(1)決議案では、「九〇年代に、東アジア地域には、二つの平和の激動がおこった」として、東南アジア諸国連合(ASEAN)と朝鮮半島の動きをあげましたが、決議案発表後の情勢の進展でも、この「平和の激動」はいっそうその流れをたしかなものにしつつあります。
朝鮮半島をめぐって、南北首脳会談につづいて、米朝関係でも、政府高官が相互訪問するなどの前向きの進展がおこりました。しかしこのなかで、日本と北朝鮮との関係は、進展がみられません。九〇年代に米朝交渉を担当したアメリカ国務省の担当官は、最近出版した交渉記録のなかで、東アジアは全体が平和の流れのなかにあるのに、「利益を得ていないのは、東京だけだ」と指摘し、その原因は、「日本が革新的な外交政策を採用することに及び腰であるためだ」とのべています。
日朝関係をどう前向きに打開するか。そのためには、決議案の「侵略戦争と植民地支配の過去を清算することは、日本側の歴史的責任として、みずから解決しなければならない問題である」という指摘が重要であります。
日本政府はこれまで、三十五年におよぶ朝鮮半島の植民地支配自体を違法行為ととらえて謝罪したことは一度もありません。一九一〇年の韓国併合条約など、朝鮮半島を植民地支配のもとにおいた条約は、韓国国民の強い反対のなかで、日本が軍事的脅迫のもとに強要した不法なものであったことは、多くの歴史的事実をみれば明らかであります。
ところが、日本政府は、一九六五年の日韓基本条約締結にいたる日韓交渉でもこの事実を認めず、今日でも「『併合条約』は法的に有効に締結され、実施された」という立場をとりつづけています。このことが北朝鮮はもとより、韓国との関係でも、真の国民的友好の障害になってきました。
この態度をあらため、北朝鮮との国交正常化にたいし、植民地支配を違法行為としてきっぱりと謝罪し、それにたいする補償をおこなう、という立場にたつべきであります。(拍手)
いわゆる「拉致(らち)疑惑」問題の解決は、捜査の現在の到達点にふさわしい交渉による解決が必要であります。同時に、日朝間の戦後処理の問題は、相手の態度がどうあれ、日本側の責任として積極的な立場と政策を明らかにするべき問題であります。そうしてこそ、両国間の他の諸問題についても、正しい解決の道が開かれると、確信するものであります。
(2)アメリカが、一方で、北朝鮮にたいする外交政策に踏みだしながら、他方で、アジアにたいする軍事的介入・干渉の戦略を維持し、とりわけ日本にたいしては、日米軍事同盟の強化の要求をエスカレートさせようとしていることを、重大視すべきであります。
十月に発表されたアメリカ国防大学「国家戦略研究所」の特別報告──これは民主、共和両党の外交・軍事の中枢的専門家の「超党派」の研究グループの報告でありますが、この報告では、アジアの情勢について、「紛争の可能性は到底、遠くなっているとはいえない」などと、“危険”一色でぬりつぶしたうえで、日米軍事同盟の「重要性」を無理やり「根拠」づけて、つぎのようにのべています。
「日米防衛協力指針は、……日米同盟における日本の役割の基礎であって、上限と認識されるべきではない」、「日本が集団的自衛権を否定をしていることが、同盟協力を束縛するものとなっている。これを撤回することは、より緊密で効果的な安全保障協力を可能にする」。
つまり、ガイドライン体制のいっそうの強化と、日本が集団的自衛権を公然と採用することを、強くもとめているわけであります。これは、米軍がアジア・太平洋地域で、介入・干渉の一方的な軍事行動をおこない、日本が戦争法を発動してこれに参戦する場合に、これまで「後方支援」までが建前だったものを、前線での戦闘行動まで共同でおこなうことに道を開けという要求にほかなりません。事実、この特別報告では、「いまや、負担の共有(バードン・シェアリング)から、(軍事)力の共有(パワー・シェアリング)にいたるときだ」と、日米軍事同盟を新たな危険な段階に引き上げることを公然と要求しています。
アジアで現実におこっている平和の激動にてらせば、こうした軍事同盟強化の要求が、どんなに時代錯誤であるかは明瞭ではありませんか。アジアと日本を危険にさらす平和への逆流を絶対に許すわけにはいきません。
決議案が指摘しているように、日米軍事同盟の、「防衛」とは無縁の、攻撃的な軍事同盟であるという本質は、いよいよむきだしの形で明らかになっています。「安保条約廃棄を国民世論の多数にしていくという綱領的任務に、正面からとりくむ」ことが、いよいよ緊急で重要な課題になっていることを、あらためて強調したいと思うのであります。(拍手)
決議案の第7項では、大企業中心から国民生活中心へと経済の民主的改革をはかるわが党の基本的立場をのべています。
ここではとくに、「財政・税制・社会保障の民主的改革」にかかわって、社会保障と消費税をめぐるたたかいの緊急性、重要性について補強的にのべたいと思います。
(1)自民党政治が、二十一世紀初頭にすすめようとしている社会保障の連続改悪の動きは、国民の暮らしと健康を根本から脅かす、きわめて重大なものです。
──医療では、臨時国会で強行がくわだてられている健康保険法改悪によって、高齢者の医療費の一割の定率負担を二〇〇一年一月から実施しようという動きがすすんでいます。さらに二〇〇二年度から、医療保険制度の「抜本改革」なるものが計画されています。厚生省が「二十一世紀の医療保険制度──抜本的改革の方向」(一九九七年八月)などで描いている青写真が実行にうつされれば、一般の被保険者の二割定率負担から三割負担への引き上げ、すべての高齢者からの保険料徴収と定率負担の二割負担への引き上げなど、きわめて深刻な事態となります。
──介護では、高齢者の介護保険料が今年の十月から半額、来年十月から満額徴収され、年間約八千億円もの新たな負担がのしかかります。しかも、介護保険料は三年に一度見直すことになっており、二〇〇三年度には最初の見直しがされます。介護総費用が増えることから、高齢者の保険料が連続的に引き上げられることになります。利用料負担が増えたことも、介護サービス抑制など深刻な矛盾をひきおこしています。
──年金では、一九九四年の年金改悪で、基礎年金部分の給付が六十五歳に引き延ばされることになりましたが、この影響が二〇〇一年四月からはじまります。年間二千二百億円もの年金がカットされ、カット額は年をおうごとに巨額になります。さらに今年の年金改悪による、厚生年金の給付五%カット、賃金スライド制の凍結、報酬比例部分の給付の六十五歳への段階的引き上げの影響が、今後あらわれてきます。
このように、二十一世紀初頭には、すでにおこなわれた制度改悪、今後計画されている制度改悪が重なって、社会保障の負担増・給付減が連続的に国民に襲いかかろうとしています。今年の四月時点から計算してみますと、医療、介護、年金の負担増・給付減の総額は、年間で二兆円から三兆円にもなろうとしています。
社会保障への攻撃は、わが党以外の「オール与党」が支配している地方自治体でも、介護保険導入を口実にした特別養護老人ホームなどへの補助金カット、公務員ヘルパーの廃止など、大規模に展開されています。とりわけ、石原都政のもとでの福祉きりすては、都民がきずき上げてきた福祉サービスを根底から崩す、残酷きわまりないものです。
これらの犠牲にさらされる中心は、高齢者であります。多くの高齢者は、所得も、資産も、きわめて少ない状態におかれています。いま計画されている社会保障きりすて攻撃が具体化、実行されれば、憲法二五条に保障された生存権の根本が脅かされることになるではありませんか。このたくらみを許すわけにはいきません。社会保障を連続改悪から守り、その充実をはかる国民的な大運動を心からよびかけたいと思うのであります。(拍手)
(2)その財源をどこにもとめるか。決議案は二つの段階で回答をしめしています。
まず当面の段階です。決議案では、「当面は、新しい財政再建の提案歳出・歳入の両面の改革を実行することによって、単年度赤字を半分にしながら、国民生活充実のために約十兆円の予算を確保することができる。この予算をあてれば、いま緊急に必要とされる年金、介護、医療など社会保障予算の充実の財源は十分にまかなうことが可能である」とのべています。
その最大のかなめは、「公共事業に年間五十兆円、社会保障に年間二十兆円」という「逆立ち」財政をただすことにあります。この「逆立ち」こそが、財政破綻をつくり、国民の暮らしを痛めつけている元凶であります。ILOが今年発表した二〇〇〇年版「世界労働白書」では、政府の公共支出に占める社会保障費の割合の国際比較をおこなっています。数字を紹介しますと、フランス五五%、イギリス五五%、ドイツ五二%、アメリカ四九%、イタリア四六%、カナダ四〇%、日本三七%。サミット諸国では日本は最低の数字であります。欧州諸国の多くは、社会保障が政府支出の主役にすわっています。このことからみても「『逆立ち』財政をただして、社会保障と暮らしを予算の主役に」というわが党の主張は、国際的にも裏づけのある主張であることは明らかです。
財源問題では、わが党が一貫して主張してきた軍事費の削減も、緊急・重要な課題であります。日米地位協定で何の負担根拠もない米軍への「思いやり」予算だけでも、年間二千五百七十九億円にのぼりますが、これはただちに中止すべきものであります。
つぎに高齢化がピークを迎える将来の段階をどうするか。決議案では、「将来的には、税制、社会保険制度の抜本的改革による財源確保が不可欠になる。そのさい税負担にしても、社会保険料負担にしても、大企業と高額所得者に応分の負担をもとめる『応能負担』(負担能力におうじた負担)の原則をつらぬくことが重要である」とのべています。
日本では、この原則が深刻な空洞化に直面しています。九〇年代の十年間で、所得税と法人税はあわせて十五・八兆円、三割以上も減りました。その要因は、不況の影響が約半分で、残り半分は、この十年間、大企業・金持ち減税をつづけてきた結果であります。大企業は、法人税の税率の連続的な引き下げ、大企業優遇の課税ベースの狭さ、社会保険料負担の低さの恩恵をうけ、日本は世界でもまれな“大企業天国”の国になっています。高額所得者も、所得税の最高税率の引き下げのうえに、分離課税、社会保険料の頭打ち制度の恩典をうけ、これも“金持ち天国”の国となっています。これらをただす改革こそ必要であるというのが、われわれの提案であります。
(3)消費税の増税を許さないたたかいも、当面の緊急・重要な課題であります。七月の政府税制調査会の「中期答申」では、消費税を「わが国の税財政にとってますます重要な役割を果たすべき基幹税」、つまり“税の中心”と位置づけ、消費税増税の方向を明瞭にしました。
この方向を、政府・与党はどのように具体化しようとしているのか。今年の年金改悪が強行されたさいに、基礎年金について、「二〇〇四年までに安定した財源を確保し、国庫負担の割合の二分の一への引き上げを図る」ことがきめられました。この「安定した財源」というのがくせものであります。自自公三党の合意で、「消費税の福祉目的税化」が明記されたことをあわせて考えるなら、ここでいう「安定した財源」なるものが消費税増税になる危険は、きわめて高いといわなければなりません。
わが党は、大企業応援のつけを庶民にまわす消費税増税にあくまで反対し、食料品の非課税を緊急課題としてもとめながら、財政再建と税制改革のとりくみのなかで、消費税の減税、廃止をめざすたたかいを、国民とともに一貫して追求するものであります。(拍手)
決議案の第8項では、「日本の二十一世紀を展望したとき、国民の生存と生活の基盤にかかわって、解決がせまられている問題」について、わが党の立場をのべています。これは、たいへん大きな反響があった項目でした。二十一世紀が提起する新しい問題に、大胆に答えを出し、行動する党の積極的立場が、歓迎されています。
全党討論のなかで、つっこんだ解明の要望がとくに強かったのは、学校教育の改革の問題でした。「子どもと教育」について、決議案では、学校教育の改革、おとな社会の道義の確立、子どもを有害な情報から守る──という三つの角度から国民的とりくみをよびかけています。
このなかの学校教育の改革では、決議案は、「受験中心のつめこみ教育、競争教育、ふるいわけ教育から子どもたちを解放し、一人ひとりの子どもの成長と発達を中心においた教育への改革をはかる」とのべています。それは、具体的にいうならば、すべての子どもに、主権者として必要な基礎学力、体力、情操、市民道徳を身につけさせる教育への改革をはかるということであります。この点で、決議案でものべている市民道徳の教育の重要性とともに、いま強調する必要があるのは、すべての子どもに基礎・基本の学力を保障する教育改革が、きわめて切実な課題となっているということであります。
いま子どもたちのなかに「学力の危機」というべき深刻な実態が広がっています。文部省の「学校教育に関する意識調査」でも、授業が「よくわかっている」と答えた子どもは、小学校で四人に一人、中学校で二十一人に一人、高校で三十人に一人となっています。また各種の調査で、学校で嫌いなもののトップに「勉強」があげられ、なかでも嫌いな教科のトップが数学、理科となっていることも重大であります。国立教育研究所の報告によりますと、中学校二年生の国際比較では、数学を「嫌い」と答えた子どもが三十九カ国中日本は二位、理科を「嫌い」という子どもが二十一カ国中日本は一位となっています。
ほんらい子どもたちにとって、学習によって新しい事柄がわかるというのは、大きな喜びのはずであります。ところが、学校教育が、多くの子どもたちにとって、「わからない」「面白くない」という場になっていることは、深刻であります。この「学力の危機」というべき実態が、子どもに苦しみをおしつけ、さまざまな発達のゆがみや社会的な逸脱をもたらす一つの根源になっているのではないでしょうか。
これは、自民党政府・文部省が長年つづけてきた、競争主義、管理主義の強化という教育政策がつくりだした危機であります。この間、文部省が、学習指導要領などによって教育現場におしつけてきたことは、基礎学力のために必要な授業時間を削減しながら、「つめこみ」をつづけ、競争によって子どもをふるいわけするということでした。「新しい学力観」と称して、学習への「意欲・関心・態度」などを一面的に強調し、すべての子どもに基礎的な知識・認識を身につけさせるという学校教育の基本をないがしろにすることでした。その結果、子どもたちのなかに深刻な「学力の危機」がすすんでも、“わからないのも個性”だなどといっていなおるのが文部省の態度でした。
三十年前の一九六八年に改定された学習指導要領(一九七二年実施)と、九八年に改定された学習指導要領(二〇〇二年実施)を比較しますと、小学校の六年間での四教科──国語、社会、算数、理科の授業時間数は、三千九百四十一時間から二千九百四十一時間に、ちょうど一千時間減っています。「学校の勉強だけではわからない、塾通いをしないとわからないのが当たり前」という異常な事態は、学習内容が系統性を欠いた断片的知識を棒暗記させるというゆがみをもっていることとともに、基礎的な科目に必要な授業時間を保障していないことも、大きな原因の一つとなっています。
すべての子どもたちに基礎的な学力を保障することは、国民の根本的な教育要求であり、憲法と教育基本法が要請している学校教育の基本任務です。なにをもって基礎・基本の学力の内容とするかは、学習指導要領のおしつけではなく、国民的討論と合意によってきめられるべきです。学習内容を子どもの発達段階にそくした系統的なものにするとともに、真に基礎・基本的な事項については、十分な授業時間をとって、すべての子どもがわかるまで教える教育への改革が必要です。
そういう原点にたった学校改革のなかで、すべての子どもが人間として自分が大切にされていると実感できる学校をつくってこそ、子どものなかに互いの人格を尊重する態度が生まれ、本当の道徳性も生まれるのではないでしょうか。
そしてそれを保障するためにも、三十人学級への前進をかちとり、さらに少人数学級にすすむことは不可欠です。また、教員の増員と教育予算の増額、学校の民主的運営が必要です。入試の改善など受験中心の教育の改革も重要です。
基礎学力の充実とそのための条件整備などは、わが党が以前からいっかんして主張してきたことでありますが、あらためてこの問題を重視し、子どもと教育をめぐる危機を打開し、学校教育をたてなおすための広い国民的討論と運動を心からよびかけるものであります。(拍手)
決議案の第9項の「憲法を生かした民主日本の建設を」のなかで、憲法九条と自衛隊との矛盾を段階的に解決していく方針を提起した部分は、決議案の討論のなかでももっとも活発に討論され、多くの意見が出された部分でした。大多数の意見は、決議案の立場を歓迎するものでしたが、疑問や異論も出されました。
異論をのべている同志も、そのほとんどは、憲法九条を大切にしたいという熱意からのものだということはよく理解できますが、憲法九条を全面実施するためには、国民とともにそこに接近していく過渡的段階がさけられないということを、正面からとらえてほしいと思うのであります。
報告では、全党討論をふまえて、必要な解明をおこなっておきたいと思います。
(1)まず、決議案の基本的立場はどういうものか。
それは、第一に、憲法九条の完全実施を、国民合意で段階的にすすめるということ。
第二に、国民の安全にたいして、政治の責任を果たすということ。
この両者に統一的な答えを出したのが、決議案の立場であるということを、まず強調しておきたいと思います。
(2)つぎに、わが党は、憲法九条の内容と意義についてどうとらえているか。
決議案は、「憲法九条は、国家の自衛権を否定してはいないが、『国権の発動たる戦争』『武力による威嚇』『武力の行使』を放棄するだけでなく、『陸海空軍その他の戦力を保持しない』として一切の常備軍をもつことを禁止している」と、憲法九条の内容についての確固としたわが党の立場を明記しています。
そして、その先駆的意義について、「戦争の違法化という二十世紀の世界史の大きな流れのなかで、もっとも先駆的な到達点をしめした条項として、世界に誇るべきもの」、「新しい世紀には、憲法九条の値打ちが、地球的規模で生きることになる。……アジアでは、憲法九条の値打ちは、いよいよ生彩あるものとなるだろう」として、これを将来にわたって守りぬく立場を明らかにしています。
さらに、憲法九条にてらせば、「自衛隊が憲法違反の存在であることは、明らかである」として、「九条の完全実施にむけて、憲法違反の現実を改革していくことこそ、政治の責任」であるとのべています。
日本の諸政党のなかで、憲法九条の内容と意義についてこのような確固とした立場を表明し、明文改憲はもちろん、解釈改憲もふくめて、いかなる形での憲法改悪も許さない立場にたっているのは、日本共産党だけであるということをまず確認しておきたいと思うのであります。(拍手)
(3)それでは憲法九条の完全実施はどうすれば可能になるか。
決議案では、「国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめる」──自衛隊の段階的解消こそが、それを可能にする道だとのべています。そして、安保条約廃棄前の第一段階、安保条約を廃棄した第二段階、国民合意で自衛隊解消にとりくむ第三段階と、三つの段階にわけて、自衛隊問題の解決の道筋をしめしています。
なぜ、即時解消ではなく段階的解消が必要となるか。それは、決議案がのべているように、「安保廃棄についての国民的合意が達成されることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題である」からであります。
いま日本の平和と安全を脅かしている最大の根源は、日米安保体制であります。安保解消の国民的合意がつくられ、それをふまえてこの体制から抜け出し、独立・中立の日本に踏みだすことは、日本の平和と安全にとって巨大な前進となります。それは、憲法九条の完全実施にむけて大きく一歩接近することになります。
同時に、自衛隊解消の国民的合意の成熟は、安保条約を廃棄してもただちにはつくられず、民主的政権のもとでの国民の体験をつうじて、形成されていくというのが、私たちの展望であります。すなわち決議案がのべているように、安保条約を廃棄した平和日本が、非同盟・中立の流れに参加し、世界やアジアの国々と対等・平等・互恵の友好関係をきずき、日本の中立の地位の国際的保障の確立に努力し、これらの努力ともあいまってアジアの平和的安定の情勢が成熟するなかで、いま安保維持論者たちがいいたてる「脅威」なるものが、実は根拠をもたないものであることが、事実を通じて国民の共通認識となる過程がすすむでしょう。そういう過程をつうじて、自衛隊解消の国民的合意は形成されていく。これが私たちの展望であります。
自衛隊の段階的解消という方針は、国民合意の尊重という国民主権の原理をふまえた方針であるとともに、国民の多数を結集しながら、国民とともに、自衛隊解消にすすむために、もっとも合理的で現実的な方針であることを強調したいと思うのであります。(拍手)
かりに、この方針をとらないならばどうなるでしょうか。そうすると、自衛隊の即時解消を方針とする政権でなければ、たとえ安保廃棄の政権であっても、わが党はいかなる連立政権にも参加してはならないということになります。かりに、そうした硬直的な態度をとるなら、国民の国政革新の要望にそむくことになるばかりか、憲法九条の完全実施を逆に遠ざけることになることは明瞭ではないでしょうか。(拍手)
(4)つぎに、自衛隊の段階的解消という方針をとる以上、それにいたる接近の過程での自衛隊の位置づけが必要になります。決議案では、「自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりないが、これが一定期間存在することはさけられないという立場にたつということである。その時期に、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を、国民の安全のために活用することは当然である」とのべています。
全党討論では、ここでのべた「活用」について議論が集中しました。「憲法違反の自衛隊の活用は、矛盾している」という意見もありました。
第一に、憲法との矛盾をいうならば、自衛隊の存在そのものが憲法との矛盾であり、その活用だけではなく、予算の支出もふくめて自衛隊にかかわるあらゆる事柄が、憲法との矛盾となります。自衛隊の段階的解消という方針をとる以上、一定期間、憲法との矛盾がつづくことはさけられません。この矛盾は、われわれに責任があるのではありません。先行する政権から引き継ぐさけがたい矛盾であります。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場であります(拍手)。私たちはこの立場こそ、憲法の平和原則を実現していくもっとも積極的、能動的な、政治の責任ある態度であると考えるものであります。(拍手)
第二に、憲法との矛盾を解消する過程で、かりに「急迫不正の主権侵害」などが発生し、警察力などだけで対応できない事態が発生したらどうすべきか。わが党は、そういう事態が起こることは、現実にはほとんどありえないと考えています。「それならばなぜわざわざその答えを書くのか」、「黙っていればいいではないか」、こういう意見もありました。この問題についての回答を書いたのは、国民が自衛隊の存在を必要と考えている段階では、国民からこの疑問が提起されるからであります。国民の安全に責任をおう党ならば、あくまで理論的想定にたいする理論的回答であっても、国民の疑問に答える責任があります。
そのさいには、「可能なあらゆる手段」を用いて、国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために全力をつくすことが、政治の責任であって、そのときに自衛隊が存在していたならば、この手段のなかから自衛隊を除外することは、国民の安全に責任をおうべき政党のとるべき立場ではないというのが、決議案の立場であります。「急迫不正の主権侵害」がおこったときに、国民に抵抗をよびかけながら、現に存在している自衛隊にだけは抵抗を禁止したとしたら、これはおよそ国民の理解はえられないことは明白ではないでしょうか。
なお、決議案で自衛隊の活用としているのは、自衛隊解消を追求する過程で、かりに「万が一」の事態がおこったら、その時点において存在し、使用しうる手段を、使用できる範囲で生かすというものであります。有事立法をはじめ、自衛隊の役割と行動を拡大するためのいかなる新規立法にも、わが党が反対であることはいうまでもないことであります。(拍手)
また基地撤去や基地被害の解決をもとめる運動は、自衛隊解消の国民的合意を広げるうえでも重要な運動であり、そうした運動をいっかんして強めることが求められていることもいうまでもありません。
第三に、自衛隊の本質は米軍に従属した軍隊であり、国民の安全のために活用するなどということは、この本質をみていないのではないかという意見もありました。しかし、決議案は、米軍に従属した軍隊としての自衛隊の危険性をリアルに直視しているからこそ、第一段階で、戦争法の発動など自衛隊の海外派兵を許さず、軍縮に転じること、第二段階で、米軍との従属的な関係の解消をはじめとする自衛隊の民主的改革と抜本軍縮の措置をとることなどを主張しているのであります。
安保体制のもとで日本国民にとっての現実的な危険は、米軍が「日本周辺」で介入・干渉戦争をはじめ、日本が戦争法を発動してそれに参戦し、その結果としてその戦火が日本におよんでくるケースであります。これは不当な介入戦争のなかで生まれてくる事態であって、「急迫不正な主権侵害」にはあたりません。こうした介入戦争への参戦を許さないために全力をあげることに、今日のたたかいの熱い中心点があることは、決議案でも強調しているとおりであります。
第四に、今回のわが党の方針を、「かつての社会党のようにならないか」と心配するむきもあります。しかし、一九八〇年の社会党と公明党との政権合意(「社公合意」)を転機とした社会党の右転落は、安保条約容認に転換したところに、その中心的問題がありました。この安保容認論は、一九九四年の村山内閣で、自衛隊を公然と合憲と容認する立場にゆきつきました。こうしたかつての社会党の安保容認・自衛隊合憲論と、日米安保廃棄をいっかんして追求しながら、国民合意で自衛隊解消をめざす決議案の方針に、いかなる共通点もないことは、明瞭ではないでしょうか。(拍手)
(5)つぎに、決議案がいう「アジアの平和的安定の情勢が成熟」し、「憲法九条についての国民的合意が成熟」する──言葉を変えていいますと、国民の圧倒的多数が「万が一の心配もない。もう自衛隊は必要ない」という合意が成熟することが、はたして可能なのかという疑問もありました。
「どこかが攻めてきたら」という机上の抽象論でなく、具体論で考えるならば、二十一世紀には可能になるというのが、私たちの確固とした展望であります。七中総の結語でものべたように、日本の周辺の国・諸国ということを考えた場合に、アメリカ、朝鮮半島の韓国と北朝鮮、中国、東南アジア、ロシア──この五つの国・諸国と、民主的政権のもとで真の友好関係がつくられ、平和的関係が安定・成熟していく展望は、十分に根拠もあれば可能性もある現実的展望であるというのが、わが党の認識であります。
ここには、この間、わが党がとりくんできたアジア外交をつうじての、わが党自身の認識の発展があります。この間、わが党は、中国、東南アジア、朝鮮半島などとの交流をつうじて、東アジアに非同盟、非核兵器、紛争の平和的解決など、平和と進歩の巨大な流れが広がっているということを確認してきました。すなわち、二十一世紀に、憲法九条を現実化しうる条件が、東アジアに存在することを、実践をつうじて確認してきました。
今度の決議案は、憲法九条を将来にわたって守り抜くという前大会までの決定を、さらに具体化し、発展させたものですが、この発展は、党の実践をつうじてのそうした認識の発展を基礎としたものであることを、強調したいのであります。(拍手)
(6)このように決議案は、憲法九条の完全実施にいたる方針を、これまでよりいっそう系統的に、まとまった形で、ふみこんで明らかにしました。
この問題の最後に強調したいのは、このことが決議案でものべている「憲法九条の改悪に反対し、その平和原則にそむくくわだてを許さないという一点での、広大な国民的共同をきずく」うえでも重要な意義をもつものであるということです。
いま改憲勢力が、憲法九条をとりはらう最大の口実にしているのは、「憲法と現実に乖離(かいり)・矛盾がある」ということであります。みずから矛盾をつくりだしておいて、それを改憲の口実にするのはまったく手前勝手な言い分でありますが、少なくない国民のなかに「憲法九条の完全実施というのは無理ではないか、理想論ではないか」という気分があることも事実でしょう。
こういう状況のもとで、この矛盾を憲法九条の完全実施の方向で解決することは可能なのだということを、筋道をたててまとまって明らかにしたことは、憲法九条改悪に反対する広大な国民的共同をきずくうえでもきわめて重要な今日的意義があるということを、強調したいのであります。
同志のみなさん。国民とともに、国民合意で、憲法違反の自衛隊の段階的解消をすすめるというこの方針を、現実のものにするために、おおいに知恵と力をつくそうではありませんか。(大きな拍手)
つぎに、決議案第四章について報告します。
決議案の第11項では、アメリカを中心とする地球的規模での軍事同盟体制の新しい危険な段階を批判するとともに、二十一世紀に、国連憲章にもとづく平和の国際秩序をきずくための国際的連帯を広げるために力をつくすという、わが党の立場を表明しています。
十一月七日にアメリカの大統領選挙がおこなわれました。選挙戦はまれにみる激戦になり、いまなお勝者がどちらになるか、その最終的結果は明らかではありませんが、政策的には共和、民主両党にそれほど大きな対立点がみられなかったことが特徴でした。とくに軍事・外交面では、多少の色合いの違いはありましたが、両候補とも、アメリカによる一方的な軍事力行使を基本とする世界戦略を堅持し、選挙戦のなかで軍事費の増額、軍備の拡大を競う立場を、一致して強調しました。要するに、どちらに決まっても大差はないということであります。
しかし、この世界戦略こそ、クリントン政権のもとで、一九九六年のイラク攻撃、九八年のアフガン・スーダン攻撃、九八年から九九年にかけてのイラク攻撃、九九年のユーゴ空爆など、国連憲章にもとづく世界の平和秩序を破壊するものとして、多くの国際的矛盾、批判をひきおこしてきた中心問題でした。
大統領選挙では、共和、民主両党とも支持しないとする無党派層の増大が指摘されました。このなかで、緑の党のネーダー氏が、大企業の横暴に反対する国内政策とともに、対外政策でも、期限を区切った核兵器廃絶の交渉の開始、核兵器の先制不使用、NMD(全米ミサイル防衛)構想の中止、海外配備した米軍の撤退・縮小などを主張し、前回の得票を四倍にする結果をえたことは注目すべきであります。
日本共産党は、二十一世紀のアジアと世界の平和を追求する立場から、国際的には国連憲章にもとづく平和秩序の安定と強化を、日本の進路としては米軍基地の縮小・撤去と、安保条約を解消した非同盟・中立の日本を、日米関係では、対米従属の関係から対等・平等の真の友好関係への転換をめざしています。この立場にたって、やがて決まるであろうアメリカの新政権が、どのような対外政策をとっていくかを、注視していきたいと思います。
決議案の第12項では、「この間、核兵器廃絶にむけて、国際社会には、大きな前進がつくられている」として、核不拡散条約(NPT)再検討会議での前進と成果に注目しましたが、決議案発表後も、核廃絶を緊急・中心課題としてもとめる流れは、いっそうの広がりをみせています。このことをこの間の国連総会をめぐる動きでみてみたいと思います。
今年の国連総会にむけて「新アジェンダ連合」という核兵器廃絶をめざす国家連合が提出した決議案は、「自国の核兵器の完全な廃絶を達成」することを「核兵器国による明確な約束」とした、NPT再検討会議の最終文書を再確認し、「核兵器のない世界を達成する行動の必要性を強調」するものとなりました。この決議案を準備した「新アジェンダ連合」の外相会議のコミュニケでは、「(核兵器廃絶は)真の緊急課題であり、あらゆる面で交渉プロセスを加速することでそれを実現しなければならない」と確認されています。この決議案が、米国など核兵器保有国も異論を残しながらも賛成に回らざるをえず、圧倒的多数の賛成をえたことは重要であります。
非同盟諸国は、核兵器全面禁止・廃絶にかかわる決議案として、三本の決議案を提出しました。いずれも「期限を切った核兵器廃絶」に言及していますが、とくにマレーシアが主提案国になり、すべてのASEAN諸国を含む三十七カ国の共同提案となった決議では、「核兵器の廃絶を規定する核兵器条約の早期締結につながる多国間交渉を、二〇〇一年中に開始すること」を要求しています。東南アジア諸国が、核兵器の緊急廃絶で果たしている積極的な役割に、注目する必要があります。
アメリカ本国でも、著名人七十九氏が、「アメリカ政府にたいして、……核兵器を世界的規模で削減し、廃絶する交渉をおこなうことを明確に約束するように呼びかける」全面広告を、十月三日付のニューヨーク・タイムズに発表したことも、注目すべき動きです。著名人のなかには、元大統領のジミー・カーター氏、元国防長官のロバート・マクナマラ氏、実業家のジョージ・ソロス氏、物理学者のハンス・ベーテ氏、俳優のハリソン・フォード氏など、国際的な著名人が数多くふくまれています。
二十一世紀にむけて核廃絶の流れは、とうとうと広がりつつあります。しかし、これに逆らうアメリカ政府、それに追随する日本政府の態度も頑迷であります。日本政府は、非同盟諸国が提案した「期限を切った核兵器廃絶」の決議にあいかわらず棄権する一方、核廃絶を永久に先送りする「究極的核廃絶」論が破綻するもとで、核廃絶の事実上の先送りを意図する新たな決議案を提出しました。
外務省は、この決議案の背景説明として、「わが国が一貫して提出してきた『究極的核廃絶』がその役割を終えたため」(笑い)、「核廃絶にむけて漸進的かつ現実的なアプローチにのっとり、核兵器国の理解もえられる現実的な核軍縮措置を一歩一歩積みあげていく」ものだとしています。実際、決議案の中身をみますと、核廃絶を、さまざまな個々の措置をとった後の「最終段階」の課題として位置づけています。
これは、これまで「究極的」といってきたものを「最終段階」と言葉をおきかえて、あくまで核廃絶の事実上の先送りの立場に固執する、被爆国の政府にあるまじき恥ずべき態度といわなければなりません。(拍手)
決議案が強調している、「二十一世紀を、核兵器のない世紀にしていくために、核廃絶をかかげた各国政府、自治体、NGO(非政府組織)、平和運動が、互いに協力しあって、草の根から運動を広げていくこと」を、この大会の名において心からよびかけるものであります。(拍手)
また、地球的規模での核廃絶の運動の発展のためにも、被爆国日本での原水禁運動の役割がいよいよ重大になっていることを自覚し、わが党は、その発展の一翼を担って奮闘する決意を新たにするものであります。(拍手)
決議案の第13項でのべた、経済の「グローバル化」(地球規模化)をどうとらえ、どう対処するかについての提案には、新鮮な注目がよせられました。
決議案がのべているように、「資本主義のもとで、貿易、投資、市場が国境をこえて広がる国際化は、さけられない固有の傾向」であります。マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』では、「世界市場の開発をつうじて、あらゆる国々の生産と消費を全世界的なものにした」ことを、資本が演じた「歴史上きわめて革命的な役割」の一つにあげています。
問題は、いま「グローバル化」の名ですすめられていることが、「アメリカを中心とした多国籍企業と国際金融資本の無制限の利潤追求を最優先させる経済秩序」づくりであるということにあります。それは経済政策では規制緩和万能主義、イデオロギーでは市場万能主義を、全世界におしつける動きであります。
その結果、決議案が指摘しているように、貧富の格差の拡大、国際的規模での独占化、金融投機の横行など、世界の資本主義は、その存在の基礎をみずから脅かすような深刻な矛盾を広げています。
「グローバル化」の名のもとでの多国籍企業と国際金融資本のための国際経済秩序に反対し、すべての国の経済主権の確立、平等・公平を基礎とする新しい国際経済秩序をめざす国際的共同を発展させることが、いま強くもとめられています。
その条件は広がりつつあります。最近の注目すべき報告を一つ紹介したいと思います。国連社会開発調査研究所(UNRISD)が、今年五月に、「見える手──社会開発に責任を負う」と題する報告を発表しています。この報告では、規制緩和万能論による、「市場の『見えざる手』への過度の依存が、世界を持続不可能なほどの不平等と貧困の水準に押しやっている」と、現状へのきびしい警告をおこなっています。そして、「企業の責任を問う」という章をたてて、「多国籍企業の巨大で拡大しつつある社会的な影響は、彼らが相応の責任を負うことをもとめている。……公益が完全に満たされるのは、より強力な規制と監視を通じたときだけである」と指摘し、「多国籍企業には、強力で効果的な規制が必要であり、市民団体からの首尾一貫した対応がもとめられる」と強調しています。
全労連が主催した「国際労働シンポジウム」が最近おこなわれましたが、ここでは、各国の労働組合が、自国の労働条件改善のたたかいの発展を土台にして、多国籍企業の横暴の国際的規制にとりくむこと、IMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機関)など国際機関の民主的改革にとりくむこと、そのための国際的連帯の強化をはかることを確認しています。これも重要な動きです。
多国籍企業と国際金融資本への民主的規制は、地球的規模でも急務となっています。「アメリカ主導の『グローバル化』の横暴から、勤労者の権利を守り、貧困と飢餓をなくし、金融投機を規制し、地球環境を保全する、新しい民主的国際経済秩序の確立をめざして、共同と連帯を発展させる」(決議案)ために、わが党は力をつくすものであります。(拍手)
つぎに、決議案第五章について報告します。
総選挙と参議院選挙で、日本共産党の前進をかちとることは、当面する全党の活動の中心課題であります。
この政治戦は、自公保連立政権による国民をふみつけにした悪政の数々にたいしてきびしい審判をくだし、国民の切実な暮らし、民主主義、平和の願いを実現していくたたかいであります。
同時に、二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくるという目標をめざして、日本共産党が国政に大きな影響力をもつ議会勢力に発展するうえでも、この政治戦は重要な意義をもっています。
わが党にとっては、さきの総選挙での後退から、前進に転じるという、新たな試練に挑戦し、それをのりこえるたたかいであります。
報告では、情勢の発展、全党の討論をふまえ、二つの新しい問題にしぼってのべたいと思います。
第一は、選挙戦の得票目標についてであります。
(1)わが党は、一九八六年三月の第十七回党大会二中総いらい、すべての党派選挙の得票目標を、有権者比得票目標で統一し、それに接近・実現することを目標に選挙戦をたたかってきました。この方針は、政党間の力関係を変革する大志をもって、選挙への構えを大きくするうえで、積極的役割を果たしてきました。それまで遅れていた地域が、この目標を正面にすえて、従来の得票を数倍に飛躍させるとりくみが、全国各地で生まれましたが、これらの積極的奮闘を高く評価したいと思います。
同時に、有権者比得票目標への接近・実現、あるいは突破をめざすという方針が、実情にあわなくなってきている問題も生まれてきています。
一つは、この方針は、当時、衆議院が中選挙区制だったもとで、当時の主要五政党のなかで力関係を変革して、議席を獲得する方針でしたが、この間、小選挙区比例代表並立制へと選挙制度の改悪が強行されるという状況の変化がおこりました。
二つは、党がこの方針を決めて以来、十四年間のとりくみで、有権者比得票目標を実際に達成した経験は、わずかの例外に限られており、多くの党組織にとって、その選挙で必ず達成すべき目標が明瞭でないという状況がつづいています。全党討論のなかでも、「この目標では、事実上、その選挙で達成すべき目標がなくなってしまい、『やれるだけやる』式のとりくみを打開できなかった」という意見も率直によせられました。
三つは、選挙戦の情勢判断と対策をたてるさいには、実際には、選挙指導部が、有権者比得票目標とは別に、各選挙の安定当選ラインをきめ、それとの関係でどこまで到達しているか、どういう手だてをうつかを検討するということが必要とされました。
(2)そこで、選挙戦での得票目標について、方針の発展を提案したいと思います。決議案では、得票目標について、「有権者比得票目標の実現をめざす」となっていますが、それをあらため、その選挙で必ず責任をもって達成すべき目標を、それぞれの選挙の性格や、それまでの到達点をふまえて決定するようにすることを提案します。
つぎの総選挙と参議院選挙の目標は、つぎのようにします。
まず、得票では、過去最高の峰、すなわち一九九八年の参議院選挙の八百二十万票をこえる積極的な目標を、都道府県ごとにきめるようにします。それにふさわしい大きな構えと規模で、宣伝、組織活動をやりぬきます。
議席では、総選挙については、現有議席を確実に確保し、比例代表選挙での大幅な上積みをめざすとともに、小選挙区選挙でも議席の獲得に挑戦するという目標でのぞみます。
参議院選挙については、改選議席(比例五議席、選挙区三議席)を絶対に確保し、最高の峰(比例八議席、選挙区七議席)をこえることをめざします。必勝区と非必勝区との垣根をとりはらい、全選挙区で議席を争う構えでたたかうという方針を、新しい情勢のもとで発展的に生かすという決議案の方針を堅持してたたかいます。
決議案がのべている「手堅い目標を設定して必ずそれを実現すること、同時に構えを大きくして攻めの選挙をおこなうこと」──この見地をしっかり堅持して、歴史的な政治戦にのぞみたいと思います。
第二は、参議院の比例代表選挙に「非拘束名簿式」の導入が強行されたもとで、どういう方針でのぞむかという問題であります。
この選挙制度改悪は、政党名で投票してもらうことの自信がなくなった与党各党がおこなった、党利党略の産物であります。しかし、国民の批判がすでにこの党略に重大な打撃をあたえています。実際の選挙戦で日本共産党の躍進を実現し、この党略を大失敗させ、自公保政権に痛烈な打撃をあたえることが強くもとめられています。
この選挙制度のもとでのわが党の方針としては、総選挙の教訓を生かして、つくりあげた選挙戦の方針──決議案第15項に明記された方針を堅持してたたかうことを基本にしつつ、次のような点に留意してたたかうことが重要であります。
一つは、選挙制度が改悪された比例区も、従来の制度の選挙区も、「政党選択を土台に」という方針を堅持してたたかうことが、基本であるということです。すなわち決議案がのべているように、「日本共産党の政策、路線、歴史、理念を語り、党そのものへの理解と支持を広げる活動にとりくみ、党躍進の大波をつくりだすことを、選挙戦全体の土台にすえるという方針をつらぬく」ことが基本であります。
二つ目は、比例代表の候補者としては、すでに九人の候補者を第一次発表分として発表していますが、この九名については、すでに発表したように全国を地域割りにして、全員の勝利をめざしてとりくみをすすめたいと思います。候補者の魅力をおおいにアピールするとりくみをおこなうことがもとめられますが、そのさいにも「政党選択を土台に」という立場をつらぬくことが重要であります。
三つ目は、「非拘束名簿式」となった比例代表選挙は、日本共産党と投票してもらっても、日本共産党の候補者名で投票してもらっても、どちらでも、そのすべての票が日本共産党の得票として集計され、日本共産党の議席獲得につながる制度であります。同時に、比例区の当選順位は候補者の個人名得票数の順位できまるという制度であります。この制度の特徴をよくつかんで訴えていきたいと思います。これはたたかいの発展のなかで、おおいに自由闊達(かったつ)にとりくみながら、具体化をはかっていきたいと思います。
きたるべき国政選挙で、前進に転ずるのは容易ではない課題であります。しかし、自民党政治のゆきづまりがいよいよ深刻になるもとで、今度の党大会で全面的に解明しているわが党の先駆的立場を生かし、力をつくしてたたかうならば、日本共産党の前進は可能です。同志のみなさん。全党が力をあわせ、もてるあらゆる力を結集して、きたるべき政治戦で、必ず勝利をかちとろうではありませんか。(拍手)
第六章では、党建設について、それがどういう意義をもっているのか──いわば“そもそも論”にたちかえって、長期の方針になりうる大きな方向をうちだしています。多くの支部、機関が、決議案の提起を、みずからの切実な問題として真剣に受け止め、実践に生かすとりくみをはじめています。
決議案第17項では、“いまなぜ党建設か”という問題を、「わが党の政治的影響力の広がりにたいして、組織の実力が立ち遅れている」という角度にくわえて、「日本社会と日本国民にたいする、私たちの重大な責任」という角度から、「それ自体が国民的意義をもつ仕事である」ことを解明しています。
どんなに自民党政治のゆきづまりが深刻になり、日本の民主的改革の客観的条件が熟しても、主体的条件──日本改革をもとめる国民的合意が熟さなければ、自動的に社会発展がすすむことはありえません。
そして、そういう民主的改革の国民的合意の形成もまた、自動的にはすすみません。たとえば、日米安保条約を廃棄する国民的多数派をつくることは、民主連合政権樹立の国民的条件を成熟させていく最大のかなめをなす課題ですけれども、これは自然発生的には多数派にはなりません。わが党の独自の努力があってこそ、その道は開かれます。
ここにわが党の役割があります。規約改定案でも明記されているように、「創立以来の『国民が主人公』の信条に立ち、つねに国民の切実な利益の実現と社会進歩の促進のためにたたかい、日本社会のなかで不屈の先進的な役割をはたすことを、自らの責務として自覚している」日本共産党が、どれだけ広い国民とむすびつき、どれだけの速度と規模で成長するかに、日本変革の事業の前途がかかっています。
決議案のこの提起は、全党にきわめて積極的に受け止められています。この提起をきっかけにして、多くの支部で、みずからの責任をおう地域、職場、学園で、革新・民主の多数派を結集するためには、現状に甘んずるのではなく、もっと大きな党が必要だという討議が重ねられていることは、たいへん重要だと思います。
この項目の討論のなかでは、「現在の党建設は追い詰められて悲壮感に満ちたものでなく、二十一世紀にむけたロマンあるたたかい」だという感想も出されました。私もその通りだと思います。発達した資本主義国における社会変革の事業を成功させるには、思想的、文化的、組織的に緻密(ちみつ)にはりめぐらされている支配の網の目を打ち破る、広大な国民とむすびついた草の根での強靭(きょうじん)な組織の建設が不可欠であります。
強大な党建設をすすめるということは、もっとも苦労も多く、粘り強い努力が必要とされる課題でありますが、社会変革を根本的に準備する、ロマンあるたたかいであることを、私も強調したいと思うのであります。(拍手)
決議案の第18項と第19項では、党員拡大と機関紙活動のそれぞれの独自の位置づけを、原点にたちかえって、鮮明にしています。これは、すでにのべたように、一時期の不正確な方針を是正するなかで、明瞭にしたものでした。
まず、党建設の根幹は党員拡大であるということです。決議案は、「党建設・党勢拡大の根幹は、党員拡大である。根幹とは、党のあらゆる活動──国民の要求にこたえる活動、政策宣伝活動、選挙活動、議会活動、機関紙活動などを担う根本の力が、党に自覚的に結集した党員であるということである」とのべています。
いま一つは、「しんぶん赤旗」の活動は党のあらゆる活動の中心であるということです。決議案は、「機関紙活動は、たんに党建設のなかの一課題というだけでない。機関紙は、党中央と全党をむすぶきずなであり、党と国民とのむすびつきを広げる最良の媒体であり、国民の要求にもとづく運動、国会や地方自治体でのたたかい、選挙活動や党建設、財政活動など、党のあらゆる多面的な活動を促進し、統一し、発展させていく中心である」とのべています。
それぞれのこの位置づけは、全党討論のなかで「すっきりと整理された」と、歓迎をもってむかえられました。私は討論をふまえて、補足的に三点の問題をのべておきたいと思います。
第一は、党員拡大と、機関紙活動は、それぞれ重要な課題ですが、「党勢拡大の重点課題を党員拡大とする」という、「大運動」のとりくみの立場をひきつづいて堅持してとりくむということが重要であるということです。
決議案では「わが党の活動のなかでの最大の弱点」が、「党建設の立ち遅れ」にあるとのべていますが、その根本には党員拡大の立ち遅れがあります。この打開なくして、政権を担う党への前進はありえない。総選挙をつうじても、全党討論でも、「大運動」の実践でも、そのことの切実性、重大性は痛いほど全党の共通の認識になっていると思います。
決議案が、「大運動」のとりくみを一過性のものに終わらせず、二〇〇五年までに過去最高の峰をこえる五十万の党を建設することを目標にする「党員拡大五カ年計画」をたて、計画的、系統的にこれを達成することをよびかけているのは、そうした見地からであります。
第二に、そのことは、機関紙活動の意義をいささかも軽視するものではありません。
機関紙活動については、決議案は、これをたんに狭く党建設の一分野というだけでなく、あらゆる党活動の中心にする「しんぶん赤旗」をよく読み討議する、持続的拡大と配達・集金によって国民とのむすびつきを広げる、読者を友人として大切にし協力・共同をはかる、党財政を支えるという点でも重視するという四つの角度から、その意義を広い視野で位置づけています。
機関紙拡大の独自の追求をはかりながら、機関紙活動の到達点をつねにこの四つの角度から自己点検し、この四つの角度からこの活動を全面的に発展させるそうした広い視野でとりくんでこそ、この分野の着実な道が開かれます。そのことは、端緒的でありますが、「大運動」での全国の実践が証明しつつあります。
第三は、党員拡大と機関紙拡大の目標の問題です。討論のなかで、これまでの「九六年総選挙の得票の一割の党員、五割の読者」という目標はどうなったのかという質問が出されました。この方針は、九六年十二月の第二十回党大会六中総で提起されたものでした。これは九六年の総選挙での躍進をうけて、当時、各地で「得票の一割の党員、五割の読者を」という運動が自発的におこっていることをうけて、それを全党的運動にしようという提起でした。
わが党の政治的躍進にくらべて、党勢があまりに小さいという現状を、大志をもって前向きに打開しようというこの方針をうちだしたことは、客観的情勢にてらして、積極的なものであったと考えます。実際、この方針にそくして奮闘し、現実に、「一割、五割」という目標をやりとげた支部や行政区も生まれたことは、きわめて貴重であります。しかし、全党的には、これをやりとげるだけの条件が熟していなかったというのが、とりくんだ結果でありました。
決議案での党員拡大と機関紙拡大の目標は、そうした到達点をふまえて、必ず全党が責任をもってやりきる目標を提案したものであります。それぞれ、現実にやりきるには、たいへんな努力が必要です。
二〇〇五年までに五十万の党員に前進するという目標を達成するには、第二十一回党大会期の、この間の三年余にくらべて、年間の党員拡大の規模を二〜三倍に引き上げる必要があります。
機関紙拡大については、決議案で、「すべての支部、地区、都道府県が、毎月着実に前進をかちとることを目標に読者拡大にとりくむ」という目標を提起していますが、この目標をやりとげることも、独自のたいへんな努力を要する一大事業であります。この十月はそれにむけての一歩を踏みだし、十一月にも努力がつづいていますが、これをいかに持続させ、いかに全支部の運動に発展させるかは、今後の全党の探求と奮闘にかかっています。
決議案が提起した、党員拡大と機関紙活動の位置づけと目標を、いついかなるときにもにぎってはなさず、民主的政権を担う強大な党づくりを、必ず力をあわせてやりとげようではありませんか。(大きな拍手)
決議案の第20項では、党活動の質的水準の強化について、前大会決定をふまえ、六つの角度から到達点と努力方向を明らかにしています。討論をふまえて、「支部が主役」の活動の発展についてのべたいと思います。
「支部が主役」の党活動は、前大会以降の三年余のとりくみのなかで、豊かに広がりつつあります。七割をこえる支部が、国民の要求にもとづく活動にとりくみ、そのことが党の信頼を高め、党に新たな活気をもたらしつつあります。総選挙で、支部主催の演説会にとりくんだ支部が約半数となり、とくに居住支部ではほとんどの支部で、さまざまな工夫をこらしてとりくまれ、大きな力を発揮しました。そうした活動とむすびつけて、党員を倍加するなど、短期間に党勢拡大で飛躍をつくった支部が、全国各地で生まれていることも重要であります。
しかし、「支部が主役」というこの流れを、本格的に全党に定着させるためには、従来の延長線上にとどまらない、探求と努力が必要です。二つの点にしぼって補強的にのべたいと思います。
第一は、「支部が主役」の活動をつくるための党機関の指導と援助についてです。決議案では、「支部が主役」の活動を全党に定着させるうえで、機関の指導・援助の強化方向を、五つの点からのべています。討論のなかでは、機関の側から「このとおり強化をはかりたい」という決意とともに、支部の側から「もっと悩みにこたえた援助がほしい」というたくさんの声もよせられました。ここでは、双方向で学びあい、心が通いあった機関と支部の関係をつくる双方の努力が必要だと思います。
とくに、ここであらためて強調したいのは、「すべての支部が、週一回の支部会議を開くようにするための援助に、特段の力をそそぐ」という問題です。支部会議は、党員が政治的確信をつかみ、自覚的・自発的な活動をおこなうエネルギーの源泉です。党に結集した同志が、互いに条件、得手を生かし、困難を力をあわせて打開し、成長していく場であります。党員の人生のさまざまな転機にさいして、ささえあい励ましあう、あたたかい同志的な信頼にささえられた人間的関係をきずくうえでも、支部会議の果たす役割はかけがえのないものであります。さまざまな困難があっても、週一回の支部会議を定期的に開くことは、「支部が主役」の活動を発展させる不可欠の土台であるということを、あらためて強調したいのであります。
この支部会議を、週一回定期的に開催している支部が、全体では二割程度という状態は、どうしても打開しなければならない党活動の大きな弱点ではないでしょうか。支部会議が不定期、あるいは未開催の理由は、支部によってさまざまだと思いますが、党機関が、「個々の支部の条件や問題点をよくつかんだ援助」をおこない、支部とともにこの弱点を打開するイニシアチブを発揮することが、強くもとめられています。
第二は、職場支部の活動についてです。日本の階級構成の圧倒的多数をしめる労働者のなかで多数者の結集をめざす活動をすすめることは、二十一世紀に民主的政権をつくるうえで、全社会的意義をもつ事業であります。わが党の職場支部は、反動攻勢のなかで、あるいは反共の逆風のなかで、ひどい圧迫と抑圧をうけながら、党組織を維持、発展させてきました。新しい情勢のもとで、職場支部が、労働者の要求にこたえた活動に大胆にとりくむとともに、党建設でも全党のなかで先駆的役割を果たすことが重要であります。
最近の労働運動にはいくつか重要な特徴がみられます。
一つは、全労連が結成いらいの十年の活動をつうじて、労働戦線での共同の追求、民主勢力との共同の追求に努力し、労働者と国民の利益を守る新しい運動の流れをつくっているということです。大企業のリストラの横暴とのたたかいで一連の成果をおさめ、労働相談から組合を結成して全労連に加盟する例が全国に広がり、労働者の真の利益の守り手としての社会的評価を定着させています。
二つ目に、大企業のリストラによる矛盾が深刻になるもとで、連合系労組もふくめ、あらゆる傾向の労働組合のなかに、労働者の権利を守る具体的要求の一致点が広がり、共同行動が広がっているということです。労働法制改悪反対、解雇規制法や労働者保護法の制定、年金改悪反対などの国政の制度にかかわる要求にとどまらず、サービス残業問題、出向・転籍の強要問題、男女の雇用差別の問題など切実な職場の要求や、中小・下請け企業を守る要求での共同行動が広がっていることは、たいへん重要であります。
三つ目は、未組織労働者が増大しており、その組織化が日本の労働運動の最大の弱点の克服として重要となっているということです。九九年の推定組織率は二二%まで低下し、戦後最低記録を更新しました。この背景には、大企業の首切り・リストラとともに、正規雇用労働者から、パート・アルバイトなど不安定雇用労働者への大規模なおきかえがすすんでいることがあります。未組織労働者は、もっとも過酷で劣悪な労働条件におかれており、その組織化をこれまでにまして重視する必要があります。
全国の職場支部が、こうした労働運動の特徴をとらえて、日本の労働運動の階級的・民主的発展のために、「不屈性と先見性」を発揮して奮闘することがもとめられています。同時に、職場支部として、独自に労働者各層の要求にこたえたとりくみを発展させることが重要です。労働者の雇用と権利を守る国政革新の展望を広く明らかにすること、雇用を守る実際のたたかいを組織すること、国政全体を視野に広げたとりくみをおこなうこと──この三つの観点にたったとりくみの発展がもとめられます。
職場の思想支配とのたたかいの重要性にも目をむける必要があります。「企業第一主義」「反共支配体制」という伝統的な支配体制が崩壊しつつあるもとで、独占資本は、「国際的競争力のためにはリストラはやむをえない」という議論や、「『自立した個人』、『個の尊重』の時代であり、成果があがれば収入が増えるし、あがらなければ雇用契約を打ち切るのは当然」という議論など、リストラを合理化する新たな職場支配の思想攻撃を強めています。これらを克服する活動が重要であります。そのためにも、「しんぶん赤旗」の読者を増やし、読者とむすびつきを強めることとともに、党が職場新聞を発行することは、たいへん重要な意義をもつものであります。
こうした活動と一体に、職場支部を、党生活の基本からしっかりと強め、その活動水準を情勢にふさわしい水準に引き上げ、職場に強大な党をつくる仕事に、新たな意気込みでのぞむことが、強くもとめられます。週一回の支部会議をきちんと開くことは、職場の条件が困難であればあるほど、いっそう重要であります。また、計画的・系統的に党員拡大にとりくみ、つねに新鮮な後継者をえて、職場支部を維持、発展させることに責任をおうことは、とりわけ重要な仕事であります。
当面する国政選挙でも、二十一世紀の民主的政権を展望しても、職場支部が、党前進の原動力としての役割を発揮することを、心からよびかけるものであります。(拍手)
第七章は、若い世代の問題をとりあげ、その大胆な結集をめざす意気込みと方針をしめしたものとして、全党で歓迎されました。
決議案が、「二十一世紀の担い手となる若い世代の労働、教育、生活の諸条件の悪化を打開することは、日本社会全体の大問題」と指摘し、とくに「就職と雇用の問題の解決」を重視してとりあげたことは、大きな反響がありました。
青年の雇用をめぐる実態は、戦後最悪ともいうべききわめて深刻な状況にあります。
──九〇年代の十年間で、大卒の就職率は八一%から五五%に、高卒は三五%から一八%にまで落ち込みました。十五歳から二十四歳までの失業率は、九〇年代の十年間で四%台から九%台に急増し、全世代平均の二倍にのぼります。大学を卒業しても二人に一人は就職できないという状態は、日本社会にとっての異常事態であります。
──就職難とともに、フリーターが急増し、この十年間で二倍の百五十万人に達し、十五歳から二十四歳までの雇用者の五人に一人はアルバイト・パートで働いています。フリーターの平均月収は十二万円程度であり、自立した社会生活を保障するにはほど遠いものであります。そして、失業のくりかえしを余儀なくされ、多くは社会保険にも未加入であります。
──失業やフリーターの増大をめぐって、若者の「甘え」を強調するなど、責任をもっぱら青年におしつける議論が横行しています。しかし、問題の根本が、九〇年代に、政府と財界によって、民間、公務員を問わずリストラ政策新規採用の抑制がすすめられたことにあることは明らかであります。就職者数は高卒、大卒あわせて九〇年代に四割減りました。教員の新規採用は三分の一に減りました。
これほど未権利で、劣悪な労働条件のもとに多数の若者がおかれていることは、かつてないことであります。これはこのまま放置するなら、若い世代にとっての苦しみにとどまらず、社会全体にも新しい深刻な矛盾を広げることになります。不安定で劣悪な雇用が、若い層から社会全体に広がっていくことになります。小学校の先生では二十歳代が一割まで減少しています。各分野で若年労働力が不足しています。仕事や技術が若い世代に受け継がれなくなっています。社会保険未加入者の増大が社会保障制度をほりくずしています。自立できない労働条件が晩婚化、少子化の一因となっています。
労働時間の短縮、とくに「サービス残業」根絶による新規雇用の創出、失業中の青年や新卒未就職者に仕事や職業訓練の機会を保障すること、学業と両立できる就職活動のルールをつくることなど、本腰をいれたとりくみによってこれを打開することは、二十一世紀を展望したときに、政治の重大な責任であります。
この間、青年が、みずからの就職・雇用問題の解決のために、みずから声をあげ、草の根からさまざまの形でたちあがっています。民青同盟は、この運動で大きな役割を果たしています。日本共産党は、こうした青年の自主的な運動に、おおいに協力します。この間、雇用・就職問題で悩む若者にむけて作成した「あなたと仕事のサポート・マニュアル」は、大きな反響をよんでおりますが、党として政策、運動の両面でのとりくみを新鮮かつ抜本的に強化するものであります。
決議案は、「党の総力をあげて若い世代のなかに大きな党をつくる」、「このとりくみの前進なしに、二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる展望はひらけない」と強調しています。
この間、若い世代のなかでの党活動は、前進への一歩を踏みだしています。昨年の四中総が提起した青年支部は、一年半で二百九十二支部が生まれ、活動をスタートさせました。十月には、全国の青年・学生支部がこの会場で学習交流会を開きましたが、真剣に、ひたむきに成長しつつある青年支部、学生支部の姿が生きいきと反映される会議となりました。年間の青年学生党員の拡大は、今年は、新たに二千百人を超え、一九八九年以降では最高になりました。
まだきわめて端緒的ですが、この分野での活動はたしかな前進の一歩を踏みだしつつあります。この間の活動で生まれている新しい芽、教訓を大事に育て、大きな流れにしていくために、力をつくしたいと思います。
第一は、青年支部、学生支部の活動を生きいきと発展させていくことであります。十月の全国学習交流会での発言をつうじて、つぎのような点の重要性が明らかになりました。
──一つは、青年・学生党員の二つの仕事すなわち学び成長することと、若い世代の革新的・民主的結集にとりくむことを統一してとりくむことが大切であるということであります。前進をはじめている青年・学生支部の発言を聞きますと、ほとんど例外なく学習を活動の中心においています。学び成長する政治的・理論的成長とともに、人間的成長も大切ですが、学び成長するということ自体が、青年の強い要求です。この活動を重視することは、新しい日本の国づくりの担い手となるうえでも、まわりの青年の信頼をえるうえでもたいへん重要であります。
──二つ目は、党支部の活動としても、まわりの青年との間でも、人間的連帯と成長の願いにこたえる活動を重視することが、前進の一つのかぎとなっているということです。青年は、いま、学校でも職場でも競争においたてられ、ばらばらにされ、真に人間的連帯にむすばれた仲間、集団をもとめています。前進をはじめている青年・学生支部では、「何でも話せるし、話を聞いてもらえる」「一人ひとりを大切にする」ということを合言葉にして、そのためにお互いに努力し、温かい友情でむすばれた人間集団として成長することをたえず重視し、そのことが支部の活動の魅力になっている。こういう経験も、報告されました。
──三つ目に、党員拡大では、この間のとりくみのなかで、“二十一世紀の民主的政権の担い手になろう”というよびかけとともに、“自分たちのいまの劣悪な状態を打開していくために、大きな党を”というよびかけが共感を広げていることが重要であります。そして訴えのうえでは、自分の心の許せる親しい友達に、生き方を語り合い、ともに成長する活動として、系統的に、粘り強くとりくむならば、大きな前進の条件が広がっていることが、共通した教訓であります。入党のよびかけをつうじて、自分も成長し、相手との信頼関係も強まったという経験も、たくさん報告されました。
第二に、若い世代を党にむかえる活動を、けっして青年支部・学生支部まかせにしてはならないということも強調しなければなりません。「党の総力をあげて」この課題にとりくむことが重要であります。
この間、「大運動」のとりくみをつうじて、居住支部や職場支部が、地方議員の同志とも力をあわせて、若い世代に働きかけ、党にむかえいれる活動が、全国に広がりつつあることは、これまでにない貴重な経験であります。
思い切ってとりくんでみたら、地域に「党に信頼をよせる青年がこんなにいるとは思わなかった」、「青年の要求、願いに働きかければ、若い人はこたえてくれる」、そういうこれまであった青年との「壁」が、とりくんでみたらどんどん壊れていく、こういう経験が全国で生まれています。
このとりくみをすすめるさい、同じ地域、職場で活動している青年支部と、居住・職場支部が、離れてしまわないこと──つまり同志的な協力関係をしっかりつくることが、大切であります。それをつうじて、将来の一本化も展望していく必要があります。青年支部はそのままずっとつづけていきましたら“中年支部”になるわけですから(笑い)、いずれは一本化していくことが当然の展望です。
いま全国に二万六千の党支部があります。きょう現在、史上最高の峰を更新しつつありますが、四千四百五十五人の地方議員ががんばっています。全国の党支部と地方議員のみなさんが日常の活動として、若い世代の多様な要求と関心にこたえ、大胆に党にむかえいれる活動にとりくむなら、広大な若い世代を革新的、民主的に結集していく大きな道が、必ず開かれます。
同志のみなさん、どの分野でも日本共産党は二十一世紀の未来に希望ある展望をしめす党であります。そういう党として、未来を担う世代のなかでの活動を全党あげて強め、この分野でも大きな前進を必ずかちとろうではありませんか。(拍手)
決議案第八章では、社会主義への大局的展望と、日本共産党の役割を明らかにしています。日本共産党は、「資本主義の枠内での民主的改革」という当面の改革に真剣に力をつくしながら、世界と日本の将来像について、資本主義をのりこえる新しい社会──社会主義、共産主義への理想をかかげて奮闘する党であります。
社会の段階的発展というわが党の展望について、反共派から「現在と未来を使い分けるのはごまかしだ」という非難もくわえられました。未来の展望をしめせない人にそんなことをいわれるおぼえはありませんが(笑い、拍手)、社会が、その時々に機の熟した問題を、一つひとつ解決しながら、段階をおって発展してきたことは、日本と世界、古今東西の歴史をひもとけば明らかではありませんか。
直面する改革の課題で広く国民的合意をえるために努力するとともに、将来の改革の展望を堂々と国民にしめして奮闘するところにこそ、社会発展の法則を科学の目で見とおし、現在と未来に責任をおう党としての真価があるということを強調したいと思うのであります。(拍手)
決議案は、二十一世紀の将来の展望について、「二十一世紀を大局的に展望するなら、この世紀が、地球的規模で、資本主義をのりこえる新しい体制への条件が成熟する世紀になることは疑いない」という壮大な展望をのべています。
これは、たんに願望をのべているわけではありません。決議案は、その根拠を、二つの角度から明らかにしています。
第一は、「二十世紀に人類がかちとった世界史的な進歩は、その全体が、二十一世紀に新しい体制への発展を準備する歴史的意義をもっている」ということであります。民主主義、民族の独立、平和秩序の発展は、社会主義にすすむ「力強い土台」となります。また、資本主義への規制と介入のさまざまな諸形態は、巨大な生産力とともに、新しい社会を建設する「重要な足がかり」となります。
この点で、経済の「グローバル化」のもとで、資本主義への規制と介入の諸形態も、グローバルな形をとっていることは、注目すべきであります。IMF(国際通貨基金)、世界銀行、OECD(経済協力開発機構)、WTO(世界貿易機関)などは、国際的な金融管理と規制、資本主義大国間の国家独占資本の諸政策の調整の機関としての役割を担っています。決議案では、これらの国際機関の「民主的改革」を提起していますが、これらの国際機関は「地球的規模で、資本主義をのりこえる新しい体制への条件が成熟する」うえで、「重要な足がかり」となる可能性をはらんでいるものです。
第二は、「今日の世界資本主義の現状もまた、この体制の矛盾と限界を露呈している」ということであります。決議案は、空前の大量失業をはじめ、世界の資本主義のおちいっている矛盾を列挙し、「ソ連・東欧崩壊前後に、世界を席巻(せっけん)した“資本主義万歳論”は、もはや見る影もない」とのべています。
失業をとっても、その数は人類史上空前となっています。ILO(国際労働機関)によると、世界の完全失業者数は約一億四千万人、これに不完全就業者をくわえると約十億人といわれます。全世界の労働者の三人から四人に一人が、失業ないし半失業の状態におかれているという事態は、人類史上かつてなかったことであります。
当面の改革の課題は、日本でも、世界でも、独占資本、多国籍企業への民主的規制にありますが、その経験をつうじて、さらにすすんだ社会への発展──社会主義への前進をうながさずにはおかない現状が、世界に広がっていることは、明白ではないでしょうか。
決議案がのべている社会主義についての日本共産党の立場──旧ソ連型の人間への暴圧の体制を許さないこと、資本主義のすべての価値ある成果を引き継ぎ発展させること、利潤第一主義をのりこえた体制をつくること──これらのわが党の立場は、世界史の発展法則にかなった道理ある社会発展の展望をしめしたものであります。
そしてわが党が、そうした社会主義論をしめしうることは、偶然ではありません。戦前からの民主主義と平和、国民生活向上のためのいっかんしたたたかい、党綱領路線の確定、自主独立の立場にたった覇権主義との闘争、日本の現状にそくした科学的社会主義の理論の創造的発展のための努力など、七十八年におよぶわが党の歴史が、二十一世紀にむけた科学的羅針盤をきずくうえでのたしかな土台となっているということを、ここであらためて強調したいと思うのであります。(拍手)
そして、日本共産党というわが党の名前は、七十八年の不屈の歴史を刻んだ名前であるとともに、人類史を資本主義の枠内にとじこめず、人間が社会の主人公になる理想社会の建設をめざす、雄大な人類史的ロマンにあふれた名前であります。(拍手)
同志のみなさん。この名を高くかかげ、二十一世紀を、二十世紀をさらにこえる、人類にとっての歴史的進歩の世紀とするために、ともに奮闘しようではありませんか。(拍手)
以上をもって、中央委員会を代表しての報告を終わります。(長くつづく拍手)
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