日本共産党第22回大会の1日目(11月20日)に、不破哲三幹部会委員長がおこなった「党規約改定案についての中央委員会の報告」は、つぎのとおりです。
代議員、評議員のみなさん、全国の同志のみなさん、私は、この大会の第二の議題である、日本共産党規約の改定案について、中央委員会を代表して報告をおこないます。
第七回中央委員会総会以来の二カ月間の討論のなかで、規約改定案についてはいろいろな議論がありましたが、圧倒的な流れは歓迎の声でした。各段階の党会議で出された意見の中からいくつかの主だったものをあげてみますと、「二十一世紀に国民とともに新しい日本をきずいていく党の姿が鮮明になった」、「党の組織と運営の民主主義的な性格がいっそう浮き彫りになった」、「一部の闘士のためのものではなく、広く国民を対象にした、日本共産党の規約として強く支持する」、「普通の人をどんどん党に迎え入れなければならない時代、その時代にふさわしい歴史的な改定だとみる」などなど、歓迎の多くの意見が聞かれました。これらの意見は、それぞれ改定案の核心をなす意義を的確に表現したものだと思います。
なかには“長く親しんだ前文がなくなることでさびしい”という思いをのべた人もいますが、その同志自身が「感情論ではだめだ」とみずからをいましめ、歓迎の声を広げていると報告されているのも、一つの特徴であります。
そういう議論もふまえて、あらためて今回の党規約改定の意義をまとめてのべてみたいと思います。
第一に、この規約改定案は、日本共産党と日本社会の関係が大きく変わったことに対応したものであります。開会あいさつでも紹介したように、規約の原型ともいうべきものを採択したのは、第七回党大会(一九五八年)でしたが、当時は三万数千の党員、国政選挙での得票百万票前後という時期でした。そこから出発して、現在では三十八万をこえる党員をもち国政選挙では七百万、八百万票前後の得票をえ、さらにより大きな発展をめざすという段階にあります。
今度の規約改定案が、わかりやすさを重視し、誤解を生みやすい表現を除くことに力を入れたのも、日本社会の全体との対話と交流を広げること、また、改定案の第二条にあるように、「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びと」に党の門戸を現実に開くことをもとめてのことであります。
第二に、規約改定案は、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる」という大事業を担いうる、大きな、民主的な活力に満ちた党をきずき上げる力となるものであります。私たちは、その見地から、規約の全条項を吟味いたしました。
第三に、この規約改定案は、マルクス、エンゲルス以来の共産党論あるいは労働者党論をふまえ、それを現代日本的に展開したものであり、科学的社会主義の大道にたったものであります。改定案は、「前衛政党」という規定をとりのぞいたことが一つの特徴として注目されましたが、「前衛政党」の規定も、この事業の歴史のなかでみれば、一時期にあらわれた規定であって、科学的社会主義の事業とその共産党論、労働者党論の、最初からの本来のものではありませんでした。そのことは、七中総の報告でも指摘したところであります。
私はいま、科学的社会主義の現代日本的な展開といいましたが、もともとこの理論は、人間の考えや行動を、時代をこえた固定的な枠組みにはめこもうとするものではありません。歴史的な条件の変化や人間知識の進歩に応じて、不断に発展することを特質とするものであり、そこに科学的社会主義の理論の生命力があります。
そして、科学的社会主義の事業にとりくむ私たちが、先人たちから受けつぐべきものは、なによりも人間社会の進歩のために不屈に奮闘する変革の精神であり、また、不断に発展してゆく人間知識の成果をふまえて、社会と自然を“科学の目”でとらえる努力をつくす科学的な態度であります。
日本共産党は、どんな問題にたいしても、科学的社会主義のこの立場でのぞむ党であることを、あらためて強調するものであります。(拍手)
規約改定の趣旨、内容の説明などは七中総報告でのべておりますので、ここではくりかえしません。この報告ではそれにくわえての若干の補足的な解明をおこないたいと思います。
まず最初の問題は、規約第二条の党の性格規定についてであります。
その一つの点に、改定案が、党の性格を「労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」であると規定したことがあります。
これについては全国で議論されてきました。マスコミには、「階級政党」から「国民政党」への転換か、という趣旨の論評もありました。これは、今度の改定の意味を正しくとらえたものではありません。
実は、「階級政党」か「国民政党」かという議論は、旧社会党で戦後ずっと問題になってきた論点であります。しかし、私たちの立場では、これはもともと、どちらをとるかという対立的な概念ではありません。
いくつかの角度から問題をみてみましょう。
第一に、現在の日本の社会状況では、労働者階級とは、人口の構成からみても、国民の圧倒的多数をしめている勢力であります。
自分の労働力を売って賃金をえ、それで生活している人はすべて、その方が自分をどう規定しているかとはかかわりなしに、労働者階級に属します。その場合、その労働が肉体労働であるか精神労働であるかを問いません。
そしてその労働者階級が、資本主義の世界の歴史でもあまり先例のないような速さで、人口のなかでの比重を急激に増やしてきたのが、戦後の日本の情勢の大きな特徴の一つであります。
労働者階級の比重を労働力人口から調べた統計がありますが、一九五〇年では三八%、まだ人口の多数者ではありませんでした。党が綱領を決めた前年の一九六〇年に五一%と、ようやく日本の社会の半数をしめるようになりました。一九八〇年には六七%で人口の三分の二をこえました。一九九五年は七七%で、日本の社会の四分の三をこえる大きな階級勢力となりました。これが、現代の日本社会における労働者階級の地位であります。
ですから、日本の国民を語るとき、労働者階級を抜きにして国民を語ることはできません。また、国民的な生活条件の全体としての改善を抜きにして、労働者階級の地位の向上はありえません。
それが、現実の日本社会における労働者階級と日本国民との関係であります。
第二点、社会主義の事業そのものが国民的な性格をもっているということも大事な点であります。社会主義は、七中総報告でのべましたように、「労働者階級の歴史的使命」と規定されていますが、利潤第一主義の被害をうけるのは、この階級だけではなく社会全体であります。それをのりこえて新しい社会に前進することは、国民全体、すくなくともその大多数の利益に合致します。ですから、社会主義の事業というのは、そもそもの最初から「人間解放」の事業として性格づけられてきたのであります。
この事業の意義を理解し、それを推進しようという自覚をもつ人が、階級所属の違いをこえて社会主義の事業に参加できるし、参加してきたこと、また現に参加していることの客観的、法則的な根拠がここにある、ということも大事な点であります。
第三に、社会主義をめざす勢力は、その社会が民主主義、民族独立などの国民的な課題に直面しているときには、その国民的な事業のもっとも積極的で、もっとも徹底的な推進者となる、そういう勢力であります。
歴史をひもとけば、マルクス、エンゲルス自身、一八四八年のドイツ革命では、もっとも徹底した民主主義派として、民主共和制の確立やドイツの民主的統一の旗を最後までかかげてたたかいぬいたものであります。
わが党が綱領でしめしている民主主義革命の路線、それを具体化した「資本主義の枠内での民主的改革」の路線は、この立場を現代日本の情勢に具体化したものであります。この点でも、労働者階級の立場と国民的立場のあいだには矛盾はないのであります。
私たちが規約改定案の第二条、党の性格規定において、日本共産党は「労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」であるという規定をおこなったのは、こういう点をふまえてだということを、ご理解願いたいと思います。
党の性格にかかわる第二点ですが、「社会主義革命」などの言葉が規約からなくなったということで、「党の性格が変わったのではないか」「もう社会主義をあきらめたのではないか」という見方が一部にありました。しかし、これは、規約の前文にのべられていた党の綱領を要約した部分を削除したためであって、社会主義への変革という展望を否定したものではもちろんありません。そのことは決議案やこれについて報告した志位書記局長のさきほどの報告が、わが党が社会主義への展望をもっていることを、「二十一世紀のロマンを語るもの」として力説、強調したことでもおわかりだと思います。
私たちは今回の改定で、そういう意味で、綱領にあたる部分はとりのぞきましたが、日本共産党が終局的にどんな社会を目指しているかという問題は、党の性格を規定する際に欠くことのできないものであります。そこにいたる道筋がどうかということの説明は綱領の役目ですが、党の終局の目標がどこにあるかを明らかにすることは、党の基本性格にかかわる問題です。ですから、規約第二条では、党の終局の目標が利潤第一主義の資本主義をのりこえ、社会主義、共産主義の社会を実現するところにあることを明記しました。
ここで、大切な点は、規約改定案が、この目標を内容でしめしているという点であります。すなわち、「終局の目標として、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現をめざす」という文章で、このことを明記いたしました。
ここには、私たちがめざす未来社会の特質を、
人間による人間の搾取をなくすこと、
経済的搾取だけでなく政治的その他の抑圧も、戦争もなくなること、
真に平等で自由な人間関係が社会のなによりの特質になること、
この三つの特徴を明記しているのが大事な点であります。
とくに、三つ目の特徴づけ――人間の自由、社会の一部のものではなく、社会のすべての人間の自由という角度からの特徴づけは、私たちがめざす共同社会の特徴づけとしてたいへん大事な点であります。
マルクス、エンゲルスが、未来社会の目標を最初にまとまったかたちで発表したのは『共産党宣言』という文書でしたが、彼らはそこで、未来の共同社会を、まさに人間の自由という角度から特徴づけて、つぎのようにえがきだしました。古い社会が、「階級及び階級対立」を特徴とするのにたいして、未来の共同社会は、「各人の自由な発展が万人の自由な発展のための条件である」という社会だということです。つまり、他の人を不自由にすることで自分が自由になるというのが、これまでの階級社会の特徴だった、これにたいして未来の共同社会というのは、一人ひとりの自由が社会のすべての人たちの自由の条件になり、社会のすべての人たちの自由が一人ひとりの自由の条件になる、そういう相互作用が保障される社会だということで、このことを明確に規定したのであります。
実は、この『宣言』を書いてから四十数年後、エンゲルスの晩年のころですが、エンゲルスは、イタリアのある活動家から「来るべき社会主義時代の基本理念を一言でしめした合言葉を教えてくれ」という注文を受けたことがあるのです。エンゲルスはその注文にこたえるために、マルクスの文献を全部読み直しました。そして、この注文にかなう言葉というのはこれしか見つけられなかったといって、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる」社会というこの言葉を紹介し、未来の新しい時代の精神を簡単な言葉で表現することはむずかしいのだが、この言葉でわかってもらいたいと、こたえたことがあります。
それぐらい、人間の自由が発展する社会ということが、社会主義、共産主義の社会のなによりの特徴づけだったのであります。
規約改定案が、この内容もふくめて、私たちがめざす社会主義、共産主義の未来社会の基本的特徴を明らかにしたことは、この目標の本来の意味、内容を多くの人びとの間に、広くしめす意味でたいへん重要であります。
たとえば、旧ソ連はすでに解体しましたが、存続していた時期には、自分たちの社会が「発達した社会主義」だということをさかんに自己宣伝したものです。またいまでもそこに社会主義の一つの型があったと考えている人は結構います。わが党はそういう見方をきびしくしりぞけ、決議案やさきほどの報告にもあったように、旧ソ連社会は社会主義ともそれへの過渡期とも無縁な社会だったという結論をだし、そのきびしい告発をわれわれが二十一世紀にめざす社会主義への展望の重要な前提としています。
私たちのこの見方がどこに根拠があるかということは、その社会を、搾取をなくす問題、抑圧をなくす問題、ほんとうの自由を実現する問題など、社会主義本来の基準ではかればただちに明らかになることであります。この基準にたてば、ソ連社会のように、経済的にも政治的にも、また民族と民族の関係でも、人間による人間の抑圧を特徴にした社会が、社会主義・共産主義とは無縁の社会であることは、明白だからであります。
規約第二条での私たちがめざす未来社会の特徴づけが、そういうことをふまえてのべられているということも、よく理解していただきたい点であります。
第二の問題は、規約第三条の民主集中制の規定にかかわる問題であります。
ご承知のように規約改定案は、民主集中制を五つの柱にまとめました。
「一、党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
二、決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
三、すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
四、党内に派閥・分派はつくらない。
五、意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。」
これが新しい改定案にしめされた民主集中制の五つの柱であります。
これについて「わかりやすくなった」という評価は全体に共通しています。「わかりやすくする」ということは、ものごとを大ざっぱにするということではないのです。ここに民主集中制の核心がまとめられているということが、大事な点であります。核心をわかりやすくまとめれば、そこをつかめば、いろんな場合にだれもが正しい応用ができるようになります。わかりやすくするということは、そういう意味をもっているということを、強調しておきたいのです。
現行の規約は、率直にいって、この点であまりわかりよくはありませんでした。実際、民主集中制の説明が前文と規約の本文第十四条とに分かれていて、大事なことは大部分が前文に書かれていました。本文の第十四条では「党の組織原則は、民主集中制である。その内容はつぎのとおりである」と明記しながら、そこでは、もっぱら党機関の指導のあり方を中心に書かれていました。だからそこだけ見ると、民主集中制についての誤解を生みかねないわけで、誤解される一つの理由がこういう組み立てにありました。
みなさんが比較してみていただければわかると思いますが、規約改定案が民主集中制の内容をまとめた五つの柱のうち、四つまでは全部前文にあることで、肝心の本文にはないのです。それがひとつの弱点でしたが、この弱点は改定案で根本から是正されたと思います。
民主集中制を、この五つの柱にまとめることは結構だといいながら、二つの種類の意見が議論のなかでだされました。
一つは“もっといかめしく書かないと党の結束が弱まるのではないか、前の規約のいかめしさが懐かしい”という種類の意見であります。しかし、党の結束というものは、多数の党員が党の団結や統一の核心になる内容をほんとうに自分のものにしてこそ強まるものです。いかめしいがわかりにくいというのでは、ほんとうの意味で党の結束の力にならないのであります。
もう一つは“内容は良いが、前衛政党という言葉もやめたのだから、民主集中制もやめてはどうか”という種類の意見であります。しかし、「前衛党」という言葉とは違って、「民主集中制」という言葉そのものには、誤解させる要素はないのです。「民主」というのは党内民主主義をあらわします。「集中」というのは統一した党の力を集めることをさします。これはどちらも近代的な統一政党として必要なことであります。
民主集中制が“悪者”あつかいといいますか、なにか否定的なまずいことであるかのように言われだした始まりは、七〇年代のあの反共攻勢の時期にありました。あの時期に共産党攻撃をおこなった一部の論者が「暴力革命、プロレタリア独裁、民主集中制は三位一体」である、だから綱領にどんなにいいことを書いてあっても、民主集中制がある党は暴力革命を必ずやるんだ、そういう奇妙な議論を展開して、日本共産党に攻撃を集中したのでした。
当時、この「三位一体」論を私どもは徹底した批判で打ち破りましたが、これがまったくなんの根拠もない議論であることは、わが党の組織と活動の現実をみただけで明白であります。
民主集中制の意義づけで大事なことが二つあります。
一つは、七中総報告でのべたように、わが党の民主集中制は、外国からの輸入品ではないということです。それは、「五〇年問題」、五八年から六一年の時期の党綱領討議の経験、六〇年代のソ連、中国の大国主義的干渉を打ち破る闘争など、党自身の歴史的な経験と教訓で裏づけられ、これが党の統一と発展にとってかけがえのないものであることが証明されたものであります。その教訓は、五つの柱の一つひとつに刻まれています。
もう一つは、民主集中制の内容は国民に責任をおう近代的な統一政党として当然の原則といってよいものだという点であります。
この点をしっかりつかむには、日本の諸政党との比較論もたいへん大事であります。
私たちの党の場合、党大会というのは、民主主義のうえでも全党的な統一のうえでも、かなめをなす大事なものであります。だから私たちは、今回の党大会でも、大会の議案を発表してから大会を開くまでに二カ月間にわたる全党的な討論をおこないました。すべての支部、すべての地区委員会、すべての都道府県の委員会が党会議を開いて討論をつくしました。そしてまた、「しんぶん赤旗」の特集号を四回五号にわたって発行し、党会議では多数にならず、大きな流れのなかではあらわれてこない少数意見もふくめて、三百四十九通の個人意見を発表しました。このように、あらゆる手だてでの討論をつくすものであります。大会自体も、きょうから五日間の予定で開き、そこで大会としての討論をつくして党の意思を決定します。つまり、民主集中制の党としていちばん大事な、党大会での意思統一をおこなうためには、それだけの全党的な討論をつくすのが私たちのやり方であります。
ではみなさん、他の政党、なかんずく政権党はどうなっているでしょうか。どの政党も規約を拝見しますと、党大会が「最高機関」であるとか、「最高決議機関」であるとか書いています。
自民党は、ことしの一月十九日に、その「最高機関」である党大会を開きました。大会の議案である運動方針は、事前には発表されませんでした。そして大会は午前十時開会で、十二時には終わりました。運動方針は採択されたあとで機関紙「自由民主」の二月一日付で発表されました。あの党は百万人の単位で数える党員をもっているそうでありますが、いったいどこで全党の討論をやり、どこで集約しているのか、まったくわからないわけであります。この党の「自由」と「民主」はいったいどこにあるのでしょうか。(笑い)
同じ政権党でも、公明党は自民党よりはよりましなようであります。十一月四日に大会を開きましたが、議案は二週間前の十月二十日付「公明新聞」に発表されました。そして大会当日は、午前十時開会で十六時ごろに終了したといいますから、自民党の三倍の討論はやっているはずであります。しかしこれでは、ほんとうに全党員の意見を結集して討論をする、そしてそれが全党の行動の基準になる、私たちの経験と常識からいえば、なかなかそういう運営はされていないようであります。
みなさん、こういう対比からも明白なように、民主集中制の組織原則をもった党というのは、党内の民主的討論にもっとも力をつくす党であります(拍手)。そのことは、党大会のあり方一つとっても明らかではないでしょうか。
日本共産党が民主集中制の組織原則をもった政党であることの値うちを、国民のみなさんにおおいにわかってもらうために、誇りをもって活動しようではありませんか。(拍手)
第三の問題は、規約の個々の条項にかかわる問題です。
個々の条項についての意見には、検討すべきものも多々ありました。党中央でもその検討をおこない、大会までの討論のなかでだされた意見のなかで、とりいれる根拠のあるもの、道理あるものについては、それをとりいれた条項的な改定をおこなうことを検討しています。そしてこの大会でのこれからの討論で提起されるであろう論点をふくめて結語の段階でまとめ、改定案として提案したいと思っております。また、個々の疑問点についてもそこで必要な解明をおこなうつもりでいます。
この報告では、そのなかのいくつかの主だった点について解明をしておきたいと思います。
私たちの組織原則は民主集中制であり、これは一貫したものでありますが、同じ組織原則のうえでも、その具体化は、情勢と党活動の進展に応じて発展するものであります。今回の改定でも、七中総で説明したように、そういう精神で条項の吟味をおこない、いくつかの規定を前進させた点が、少なくありません。ここでは、そのなかのいくつかの問題をとりあげるものであります。
第一点は、規約第五条の「党員の権利と義務」にかかわる問題です。「なぜ冒頭に市民道徳、社会的道義の問題を置いたのか、党のなかの規律の問題を優先させるべきではないか」、こういう意見がありました。
私たちは、こんどの改定案では、党と社会との関係、そこでの党員のあり方を第一に重視するという見地で、今度の「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」ということをうたったのであります。
「市民道徳」の内容を個条的にあげてはどうか、という意見もありましたが、市民道徳や社会的道義について、個条を全部あげて書くのは、規約にはあまりなじまないことであります。日本社会の戦後五十数年の発展を見てもわかるように、そういう問題では、社会の見方というものも変化し発展します。今日、私たちが市民道徳でなにを大事にしているかということは、第二十一回党大会の決定のなかで、教育の問題のなかで、われわれが大事だと思う市民道徳の項目を十項目にわたって提起しておりますので、これをぜひ参考にしていただきたいと思います。
第二点は、地方・地区機関の自治的な権限にかんする問題です。
「自治的」ということは、規約第十七条でのべられていますが、地方機関の自主的権限について、ほかのところでは「自主的に処理する」と書いてあるものを、この第十七条ではなぜ「自治的に」と、わざわざ「自治」という言葉を使ってあるのか、という質問がありました。
たしかに「自主」といっても「自治」といっても中身は同じでありますが、問題をより鮮明にとらえる意味で、党の組織の運営の全体をのべたところでは、「地方的な性質の問題については、その地方の実情に応じて、都道府県機関と地区機関で自治的に処理する」(第十七条)と、あえて「自治」という言葉を使ったわけであります。
地方的な問題を地方機関が自主的に処理するということは、規約の建前はいままでもそうなっていました。しかし、これがなかなか、実際問題として建前どおりにはすすまない実態がありました。党中央が“干渉する”というよりも、そういう政治問題は中央委員会に相談したほうがはやい、という空気がかなりありまして、なかなか自主・自治の規定が貫徹しないということがしばしばあったのです。
その点で、党の新しい発展段階にふさわしく、この問題をより鮮明にうちだすという意味で、第十七条では、地方の問題については地方党機関が「自治的に処理する」ということを明記したのです。
これは実は、党機関の活動のあり方としては、第二十一回党大会で「党建設の重点的な努力方向」の第一項に、各級の党機関は、「その地方・地域で日本共産党を代表しての政治活動・大衆活動を重視する」と強調したこと、つまり、政治活動の任務を党の機関の活動の第一の重要課題にするという位置づけをしたことに対応するものであります。
このことを本気でやろうと思うと、地方の党機関が、政治問題にもおおいに自主的・自治的に挑戦して、自主的・自治的に答えを出す必要がありますし、そのためには、それぞれの党機関の政治的な力量・水準というものをみずから発展させる努力が不可欠であります。
今度の規約改定案がしめされたときに、ごく一部だと思いますが、党機関の一部から、「これはいいことだが、やるとなったらたいへんだな」という喜びとも嘆きともつかない感想が聞こえてきたと聞きました。この条項はそれだけの意味をもっているわけで、この自治的な精神を十二分に発揮するための政治的な努力を、ぜひもとめたいと思います。
だれでも失敗ということはありうるわけですから、そういうなかで、自治権を行使して失敗したという場合も絶無ではないと思いますが、その場合にも、自身のつまずきから学んで、政治的により強い党にみずからを発展させる心構えが大切であります。
今度の規約には、必要な場合には中央も助言をすると書いてありますし、私たちは事前に相談されて助言する努力を惜しむものではありません。この面でも、いわば循環的に、政治的により強い党を相呼応するお互いの努力でつくってゆきたいと思います。
第三点としては、第十三条で、党機関役員の資格要件を、一律に党歴二年以上にしたことについても、いろいろ意見がありました。このことの積極的な意味は、これからの党づくりを考えてゆけば、きわめてはっきりしていると思います。
いま私たちは、若い世代を大きな規模でわが党に迎え入れようという入党運動をすすめています。若い世代をどんどん吸収して、若い力をダイナミックに反映した党をつくりあげ、発展させてゆくことは、二十一世紀を前にしての重大な課題であります。そういう人びとの中から力をもった党員が育てば、その力にふさわしい仕事をどんどんしてもらう必要があります。そのときに、力をもった党員が若い世代で生まれているのに、党歴の資格条件が制約になって、その人に思い切った仕事をしてもらうことができない、そういうことがないように、今度の規約改定案では、地区委員であれ都道府県委員であれ、中央委員であれ、すべての党役員について、党歴の資格要件を二年以上にするということに踏み切ったのであります。そのことを二十一世紀にふさわしい党づくりの力にする努力をのぞみたいと思います。
第四点は、党組織の相互関係の問題です。
私たちが今回の規約改定案をつくるさい、いちばん苦労した点の一つに、党機関相互の関係をどう表現するかという問題がありました。
これまでは、「上級・下級」という言葉をわりあい気軽に使ってきました。しかし、中央委員会から支部にいたる党機関・党組織の相互の関係は、基本的には、共通の事業に携わるもののあいだでの任務の分担、機能の分担という関係であります。職責によって責任の重さ、広さという違いはありますが、その関係は規約に規定された組織上の関係であって、身分的な序列を意味するものではありません。この基本的な見地を適切に表現するために、改定規約案では、上下関係を連想させる言葉はできるだけとりのぞきました。
しかし、表現を煩雑にしないために、「上級・下級」という言葉をやむをえず使用したところもあります。たとえば第十六条で、決定の拘束力について一般的にのべている場合などがそうでありますが、しかし、そうでない場合にはそれをやめて、その言葉の使用は最小限にとどめました。
改定案にしめされたこの精神を、党の民主的な気風を発揚する一つの力として、おおいに重視し、また活用してもらいたいと思います。
以上が、個々の条項についての追加的な説明であります。
これまで説明したことからも明らかなように、今回の規約改定は、二十一世紀の党の発展を考え、党内の風通しをよくすると同時に、党と党外との関係もより開かれたものにするという見地から、起案したものであります。
大会での充実した討論とあわせ、この精神を大会後の党活動に全面的に生かしていただきたいということを願って、報告を終わるものであります。