2000年1月13・14日
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1月13、14の両日ひらかれた日本共産党第五回中央委員会総会で不破哲三委員長がおこなった中間発言はつぎのとおりです。
幹部会の報告と各県および中央の諸同志の発言とが、たいへんかみあうかたちで熱心に展開されてきました。どの発言も強調したように、いま私たちがむかえているのは、日本の社会にとっても、またわが党の発展・前進にとっても、きわめて重大な局面だと思います。
私は、この二〇〇〇年・総選挙の年に、われわれがむかえているのが、どのような発展段階なのか、その問題を中心に、いくつかの角度から発言したいと思います。
九〇年代は終わりましたが、振り返ってみると、わが党と日本社会の関係でこの九〇年代にたいへん大きな変化がおきた、これが大事なところだと思います。
その変化の内容を少し整理してみてみますと、一つは、党の政治路線と日本の社会が求めるものとが接近し、合致してきた、ここに大きな特徴の一つがあります。
私たちは、「日本改革論」ということを語り、おおいに各界に訴えているわけですが、この「日本改革論」というのは、ある意味でいいますと、わが党の路線と社会の要求との相互作用の産物だといってもよいと思います。これは、われわれの綱領路線の具体化ですが、決して独り相撲で具体化したものではありません。日本の政治・経済・社会の現状とかみあうといいますか、その現状が提起し投げかけてくる問題にこたえるかたちで、われわれの路線を現代日本的に具体化してきた、そういうかたちでの具体化をはかって生み出したところに特徴があります。
われわれと日本社会との関係の変化のもう一つの特徴は、この「日本改革論」をもって、社会の各層との対話が非常に広範にはじまり広がっているところにあります。もちろん、私たちは、いままでも広範な有権者層といろいろな対話をしてきましたが、そこに新たな発展がすすんでいます。きょうみなさんの発言をうかがっても、いままで政権党・自民党の強固な基盤だったところとか、お互いにあまり接近のなかったところとの対話とか、さらに、相当有力な人びとをふくめた経済界との対話とか、そういうものが、思い切ったかたちで広がっている、そういう活動が特徴になっているところが大事だと思います。
これには、やはり一つの背景があります。いま経済界でも、”資本主義のあり方はこれでよいのか”という問題が、各方面から提起されています。私たちが、「日本改革論」でとなえたのは、経済のそれぞれの分野について、ここをこう変えようじゃないかという部分的改革の集大成ではありません。やっぱりこんどの幹部会報告でものべているように、公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円という財政のおおもとの仕組みの問題とか、”ルールなき資本主義”の問題とか、”日本の資本主義のあり方がこれでよいのか”という問題を、私たちは「日本改革論」の大筋の問題として提起してきました。そして、いま日本社会で、とくに経済界で問題になっているのも、個々の分野の改革ではなく、資本主義全体のあり方の問題です。
きょう中央の二人の同志から、マレーシアのマハティール首相が「毎日」に書いた文章が引用されました。これは非常に面白いもので、日本論と同時に、彼は、今日の世界での資本主義論を、展開しています。マハティール氏は、崩壊したソ連を「共産主義」と呼んでいるのですが、「共産主義や社会主義」がともかくあったあいだは、資本主義は「人間的な顔をとりいれる」ことにつとめてきた、しかし、それがなくなって、敵がなくなったら、「資本主義の本当の醜さが露呈」してきた、民主主義が抑制のきかない資本主義の側にたっていいのか、こういう問題を、世界的な問題として提起して、論陣をはっています。
このように世界的にもいま、アメリカの醜い資本主義とそのおしつけが大問題になって、われわれが批判しているような日本の資本主義のあり方が、そのなかでいっそう大問題になっている。そういうところに、経済生活の非常に奥までふくめての対話の広がりがうまれている根拠があります。
われわれの路線と社会が求めるものとの接近と合致、また、それをふまえての日本の社会の全分野におよぶような各階層との対話のひろがり、ここに、全党の活動できりひらいてきた大きな変化があるし、ここに日本共産党の新しい躍進的な発展への客観的な条件があると思います。
われわれは以前にも、七〇年代に躍進の時期を経験しましたが、今日、わが党の躍進をささえ、またその背景になっているこれらの条件は、七〇年代の躍進の時期にはもたなかった厚みと深さがあるということを、私自身の実感としてのべておきたいと思います。
そういうなかで、われわれは、九〇年代後半に、選挙戦での前進をかちとってきました。その前進が対話の新たな広がりをよび、それがまた次の前進の力になるということが、大きな流れになっているわけですが、この九〇年代のわれわれの前進にはどんな特質があったのかということも、ここであらためて総括的に振り返ってみたいと思います。
はっきりいって、九〇年代の出発点は、政治的には、たいへん後退したものでした。天安門事件のあった一九八九年に、参議院選挙の比例で得票率が七・〇%におちました。九〇年の衆院選、九二年の参院選、九三年の衆院選と、九〇年代前半の国政選挙では、一定の前進や後退はありましたが、わが党の得票率は、三回とも七%台をぬけませんでした。
九五年の参院選・比例で、はじめて九・五三%への前進がありました。翌年の九六年の衆院選・比例では一三・〇八%にさらに前進し、九八年の参院選・比例で一四・六〇%へと得票率が前進しました。
つまり、九〇年代は、七%台というわが党の最近の歴史のなかでも押し下げられた低い水準から出発しながら、後半の五年間で得票率でほぼ二倍になるところまで前進してきた、これが大づかみな経験です。七〇年代の躍進という時期にも、衆院選での得票率は、七二年の一番躍進したときでも一〇・七五%、全体として一一%をこえたことはありませんでしたから、数字のうえでも、今日の躍進の厚みと広がりをみることができます。
しかし、大きな問題は、この政治的前進に組織の実力が追いついていないということです。幹部会報告では、「大きなギャップ」といいました。四中総でその内容を分析したように、ほぼ二十年に近かった反動攻勢の時期のなかで、われわれはもちこたえてはきたけれども、その反動期の傷痕を党として組織面で負っている、青年層の比重が少なくなったとか、組織上のさまざまな問題点をかかえています。
やはり、ものごとは、大きな前進があるとき、すべてが並行してすすむわけではありません。政治的には、九〇年代後半に大きな前進をしたけれども、組織の実力がまだそれにふさわしい前進をしていない。いわば、政治的な前進が先行してすすんだというところに、九〇年代後半の党活動の一つの大きな特徴がありました。
この状態をいつまでも放置していたのでは、われわれが二十一世紀の前途を確実に、さらに前進的に切り開くことができないことは明らかです。
昨年とりくんだ「大運動」は、いろいろな課題、性格がありますが、私は一つの面からいうと、政治的前進に組織が追いついていないというこの問題に正面からとりくんで、これを前向きに打開してゆく姿勢を全党的に確立する、ここにこの運動の大きな眼目の一つがあったということを、強調したいと思います。
その決算は、幹部会報告で分析した通りで、重要な前進を記録しました。同時に、短い期間では完全に解決できない大事業ですから、もちろんたくさんの問題が残されています。
「大運動」が挑戦した問題は、九〇年代の前進を引き継いで、党がさらに二十一世紀にむかってはばたいていこうというときに、どうしても乗り越えなければいけない、組織的前進の遅れ、政治的にこれだけ大きな影響力が広がりながら、組織がそこに追いついていないという問題を解決する姿勢の確立です。ですから、いま大事なことは、この姿勢を今後とも一貫して堅持してゆくことです。組織面での遅れを現実に解決し、組織の力がさらに新たな発展のバネになり、さらに力づよく前進するというところまで、この姿勢を堅持しこの方向で力を尽くしてゆくこと、この態度が非常に重要だということを強調したいと思います。
「大運動」のとりくみを一過性の、その時期だけのことに終わらせ、「あれは九〇年代の話だ」と過去の話にしてしまうようなことは、絶対にいましめなければなりません。
今年はいよいよ、総選挙をむかえるわけですが、幹部会報告で強調されたように、躍進の客観的な条件は、明確にあります。しかし、この条件は、みずからが全力を尽くすことによってはじめて現実にとらえられるものであり、躍進の意欲をもやして党が飛躍するという課題に挑戦する大志がいまなによりも必要なときだということを、強調したいと思います。
選挙になるとよく耳にすることですが、「勝てそうならがんばります」ということがあります。これはみなさんがあちこちで経験されることだと思います。「勝てそうならがんばる」というのは、それ自体たいへん受け身な消極主義ですが、この気分は、勝利の可能性が現実に見えてきたときには、「勝てそうだから安心だ」という消極主義にすぐつながってゆきます。これでは、だいたいがんばるときがないのです。勝てそうになければがんばらない、勝てそうなら安心だと座り込んでしまう、ということですから。
いまのような局面で非常に大事なことは、わが党の場合には、風を頼んでの勝利というものはないということを、銘記することです。日本共産党が前進するということは、いま日本を握っている相手側にとっては、まさに、自分たちの反動的な政治体制の存亡にかかわる問題です。ですから、党が前進すればするほど、これをおさえこもうとする反撃の力が強まることは、理の当然であって、いわば政治の鉄則です。ですから、相手側が「舵(かじ)取りの交代」を心配するような時期であればあるほど、相手側のどんな集中攻撃にもうちかって、みずからの奮闘によって展望をみずからきりひらくという気概が肝心です。この気概をどう組織するか、それをどうして全党、全後援会のものにしてゆくかということが、党内の指導では一つのかなめになります。ここに、幹部会報告が強調した大事な点があると思います。
選挙が近づきますと、マスコミでもいろんな予測が出てきます。まだ一般の新聞には出ませんが、週刊誌になると、ずいぶん気楽な予想が出ていまして、わが党の獲得議席数などについても、大きな議席の予想をたいへん気楽に書いてくれているのもあります。それから、ひょっとするとその県が重点区にしていないんじゃないかなと思うような所に印がつけられたりしている場合もあります。
これは、全体としては、わが党の躍進の客観的条件が現にあることの反映ですが、そういう予想をみて、こちらがウキウキしたら、選挙戦ではだいたい落第です。予想では、もっとも辛いものをもっともリアルに受けとめるという読み方が、心構えとして大事です。
たとえば最近ある雑誌が、小選挙区選挙でのわが党の予想について、共産党が「小選挙区で生き残るのは至難の業だ」と書きました。これは、かなり真実をついた評価なんですね。実際に地方選挙をみても、二人区、三人区でもなかなかたいへんで、一人区で議席をとるだけの前進をするというのは、至難の業です。勝利したところは、そのきびしさをのりこえるだけの奮闘をして、勝利をかちとっています。
さらにこんどの選挙では、比例選挙でもすべてのブロックで現状を上回る議席をとろうという目標を四中総で決めました。ブロックによって得票の実績はまちまちですから、一律にはいえませんが、これも全体としていえば、たいへんな目標です。現在一議席のところは、二倍以上の議席をとる、二議席のところは五割増以上の議席をとるということですから、これもなかなか容易ならざる課題です。
この至難の業、容易ならざる課題を知恵と力を尽くして現実にやりとげるところに、こんどの選挙戦のわが党にとっての正念場がある。そういう位置づけを明確にして、躍進の課題に挑戦するということが大事だし、いまとくに強調したい点です。
ですから、政治論戦や政治宣伝の面でも、あらゆる垣根をとりはらった有権者との対話の面でも、それを実らせて諸課題を達成する面でも、容易ならざる努力をしてこそ、国民が期待している日本共産党の躍進が現実のものになる、そういう意気込みで、歴史的な二〇〇〇年の年の選挙戦の準備と遂行にあたりたいと考えます。
最後に、党綱領の問題で一言しておきたいと思います。「ソフトな衣のかげにこわい鎧(よろい)あり」―これは相手側がよくいうことです。「こわい鎧」とは、党綱領が変わっていないということを指していることが、しばしばあります。
しかし、真実はまったく反対のところにあります。党綱領が的確であればこそ、いまの路線があり、活動があるというのが真実です。
その点で、いくつかの中心点についてのべたいと思います。
一つは、冒頭にのべた「日本改革論」です。われわれがいま「日本改革論」というかたちで日本の政治・経済の改革についての当面の目標を提起している根底には、私たちの党の綱領が段階的変革論にたっていて、当面の改革の段階を「資本主義の枠内での民主的改革」と位置づけているという基本問題があります。綱領討議のころには、世界でも社会主義革命論がさかんで、日本でもかなり強い流れがありましたが、この綱領的立場は、それを打ち破ってかちとったものでした。これが、われわれがいま民主的改革を具体化できる綱領的な地盤になっているのです。
また、綱領が、日本の社会、政治、経済の矛盾の根本とその解決の基本方向を科学的に分析して、日本独占資本の横暴な支配の打破、それからまたアメリカへの従属の打破という方向に日本社会の進歩の大道があるということを明確にしているからこそ、いま私たちは「日本改革論」を、日本の社会と国民の現状にあった内容で的確に提起することができるのです。
もう一つ強調したいのは、多数者革命論の問題です。これはただ、国民多数の意見を尊重するという民主主義の建前をいっているだけのことではないのです。私たちは、われわれの改革の主張――「日本改革論」の側に、いろいろ紆余(うよ)曲折はあっても、結局は日本の人口の大多数が団結できるという展望をもっています。この展望は、社会の科学的な分析からの結論として、われわれはその確信をしっかりもっています。
ですから、いろいろな問題が出てきたときに、べつにあせる必要はない、実際の状況に応じて問題点を一つひとつ解決しながら、最後に国民多数の意思で問題を抜本的に解決するところにすすんでゆく、こういう弾力的で落ちついた対応もできるし、長い視野をもった解決策も打ち出せるわけです。安保・外交の問題についても、政権の問題についても、情勢のさまざまな展開のなかでいろいろ複雑な局面も生まれ、複雑な対応を求められる場合がありますが、それにたいして、われわれは、最後には国民多数の意思の成熟のもとに最終的に解決するという展望をもって、中間段階での実際的な解決策を弾力的に提起できるのです。ここにもやはり、わが党のいまの活動の綱領的な根拠があります。
三つ目は、連合政権論です。私たちの綱領は、共産党単独政権ではなく、連合政権ということを、政治の民主的な発展の原理として一貫して意義づけています。社会主義の改革が日本社会の日程にのぼるような段階でも、連合した力、連合政権ですすもうというのが、わが党の綱領に明記された立場です。
日本の政治の歴史を振り返ってみますと、保守合同によって自民党が結成されて以後(一九五五年)、自民党は単独政権の形態で、細川内閣の前まで、三十八年にわたって政権を握り続けてきました。それから、野党第一党だった社会党も、綱領では社会党単独政権が理想だ、どうしてもそれができないときにやむをえず連合政権に妥協するという立場をとりました。そういう情勢のもとで、わが党は、連合政権による日本の政治の革新ということを一貫してとなえてきたわけです。
こういう点で、われわれは連合政権を原理とする政党であって、そこにまた、わが党の綱領の大事な特質があります。
この問題は、実は、選挙制度についてのいまの議論にも関係があります。いま問題になっている比例の定数削減というのは、選挙制度を小選挙区制一本にしてゆくこと(単純小選挙区制)をめざす立場から、自民党や自由党によってもちだされてきた問題ですが、もともと小選挙区制というのは、二大政党による単独政権の交代を建前にしたものです。本来、単独政権論にたっている選挙制度です。アメリカのように共和党と民主党が単独政権で交代する、イギリスのように保守党と労働党が単独政権で交代する、これを建前にしたのが小選挙区制です。そのためには、「民意の反映」という議会制民主主義の最も本質的な大事な側面をおさえこんでもかまわない、という立場です。
ところが日本では、実際には与党の場合でも連合政権が現実になっている。つまり自民党が衰退過程に入って単独政権ではなく、連合政権が現実になっています。野党の側でも、連合政権が当然の問題になっています。ところが、自民党や自由党は、本来、単独政権を建前にした選挙制度である小選挙区制への一本化をめざす立場で定数問題をあつかおうとしている。ですから、比例部分を切るという定数削減の議論には、「民意の反映」という民主主義を切り捨てる反民主主義と同時に、政治の現実から遊離した、二大政党論、単独政権論の暴走があるということも、彼らの矛盾の基本として、われわれがよくみておく必要がある点です。
以上、三つの点をみてきましたが、党の綱領自体が、反共派の側からのどんな批判もはねかえせる内容をもっています。この綱領が遠い将来の展望を示しているというものではなく、いまの日本の情勢のもとで日本の現実を前進的にきりひらく指針としての意義をもっているということをよくつかみ、さらに大きな展望と確信をもって活動したいと思います。
綱領についてもう一言いいますと、先日マスコミのある記者との対話のなかで、”綱領を具体化したという話をきいているとよくわかるのだが、なぜ綱領はあんなにむずかしい言葉で書いてあるのか、いま演説しているようなかたちで書いたらよほど国民にわかりやすくなるんじゃないか”と聞かれました。私はこのことについて、「党の綱領は社会科学の言葉で書いてある」という説明をよくしています。新春のインタビューで、科学的社会主義というのは、なによりも変革の精神と科学の目だといいましたが、党綱領はそういう立場で日本の社会の現状や展望を論じています。「社会科学の言葉」でというのは、この「科学の目」で社会をみる、ということです。
これはやはりそれだけの意味があるのです。科学的につめた規定をもち正確で綿密な分析をおこなってこそ、情勢のさまざまな変化におうじて、その状況にかなった弾力的な応用ができるのです。また社会の発展の展望についても、きちんとした科学的な規定をふまえ、きちんとした分析をもとにしてこそ、長い将来まで展望した法則的な発展の展望をつかむことができます。
党の綱領というのは、こういう意味で、「科学の目」でものごとをとらえ論じているわけですから、党としてはその意義を深くつかみながら、その内容と真価を多くの人びとにわかりやすく語ってゆく、ここにわれわれの任務があるということも、あわせて強調したいと思います。
二〇〇〇年のたたかいは、大阪、京都の二つの選挙戦から始まります。その選挙戦に党として責任を負っている大阪と京都の委員長が発言しましたが、その発言を聞いても、まさに働きがいのある年として、今年が始まろうとしていることがわかります。
全党の奮闘で、二〇〇〇年というこの年を、文字通り新しい政治をおこす歴史的な年、転換の年にしようではありませんか。以上で発言を終わります。
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