2000年1月13・14日
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みなさん、おはようございます。衛星通信をご覧になっている全国の同志のみなさんにも、ごあいさつを申しあげるものです。
私は、幹部会を代表して、この中央委員会にたいする報告をおこないます。
まず、政治情勢の全体をどうとらえるか、という問題であります。
昨年六月の四中総決定は、自自公体制が事実上成立したもとで、「悪法が連続的に横行しているが、そのことがみずからの体制的基盤を確実に掘り崩している」という二つの側面を同時にみることを、現在の情勢をとらえるかなめとして強調しました。
当時、戦争法、「日の丸・君が代」法、盗聴法など、悪法がつぎつぎに強行されるもとで、一部に”日本はお先真っ暗”だといった悲観的な危機感だけから情勢をとらえる見方も生まれました。しかし、その後の情勢の展開は、四中総決定のこの指摘の重要性を、全面的に示すものとなりました。
自民党政治のゆきづまり、ゆがみ、危機は、いよいよ極限に達しています。彼らは国会で数をかきあつめてみましたが、どの分野でも、日本の政治の舵(かじ)取りの展望が示せません。国民が悩み、打開を求めている問題について、保守政治なりの解決策も示すことができません。自民党政治は、政権担当能力、統治能力をおおもとから喪失しつつあります。
そういう状況との対比で、わが党の政策と綱領路線の生命力がいよいよ光っています。そのことについて、マスコミも「日本共産党の存在感が増している」と注目する状況があります。
重要なことは、わが党の政策・路線が、これまでにない広範な層の共感を得るだけでなく、まだ第一歩ではあるが、その時々の重大な国政上の課題で、現実政治に影響を与え、それを動かす状況も生まれているということです。
たとえば、北朝鮮問題の新しい展開です。昨年一月の衆議院本会議の代表質問で、わが党の不破委員長は、北朝鮮との正式な外交ルートを確立する努力を本腰を入れておこなうべきであるという提言をしました。十一月の代表質問では、日朝間に存在する紛争問題について、それは交渉によって解決すべき問題であって、その解決を交渉ルートを開く前提条件にすべきではないとして、無条件に外交ルートを開く重要性を強調しました。
これらの提言は、北朝鮮をとりまく国際情勢の変化のなかで、生きた力を発揮しました。そのことは、わが党も参加した超党派の政党代表団の北朝鮮訪問と朝鮮労働党との会談での合意をへて、国交正常化にむけた日朝両国政府の会談の開始という一歩前進の過程にも反映しました。政党訪問団の団長になった村山元首相が、わが党への参加を要請した際に、私にたいして、「不破提言は重要だ」と繰り返しのべていたことは、大変印象深いものがありました。
わが党と朝鮮労働党の間には、解決すべき歴史問題がありますが、今回の訪問は二党間の交渉ではなく、国会を代表する超党派代表団の一員としての訪問ですから、それを考えてわれわれは参加を決めました。この立場は、政党代表団の訪問に関連して、朝鮮総連の代表の訪問を受けた際に、相手にも伝えました。
政党代表団に参加したわが党代表は、党としての自主性を貫くことと、国政上の責任を果たすことを、統一するという役割を果たしました。
介護保険をめぐる動きも重要であります。わが党はこの問題で、介護サービス基盤の立ち遅れ、高すぎる保険料・利用料という二つの根本的欠陥をこの制度がもっていること、その改善にとりくむことが急務であるということを繰り返し提言してきました。昨年七月には、緊急提案を発表し、当面はこれらの欠陥の改善に全力をあげるべきであり、その一定のめどがつくまでは保険料の徴収を延期すべきだという提起をしました。
その後、政府は介護保険の実施を目前にして、あまりの矛盾の大きさに、それに目をふさぐことができなくなり、保険料徴収を一定期間延期する「特別対策」をとらざるをえなくなりました。ここでも、党の提案が、政治の現実を一歩動かすことになりました。しかし、政府の「対策」というのは、ただ延期するだけの、改善の内実のない選挙めあてのものであります。この点を、わが党がさらに具体的改善の提起を示して国会で追及すると、部分的であってもさまざまな「検討」、「改善」を約束せざるをえない状況が生まれています。
それから、原子力行政をめぐる動きであります。昨年末に、東海村の核燃料施設の臨界事故の事故調査委員会の最終報告がだされました。そこでは、「原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨てられなければならない」と書いてあります。報告全体の内容は、事故にたいする政府の責任の究明、今後の対策ともに大変不十分なものですが、ともかくこれまでの原子力行政が「安全神話」にとらわれていたことに言及し、それからの脱却を明記したことはそれとして重要な意味をもつものです。この立場にたって本気でとりくむなら、原子力行政全般の見直しをやらざるをえなくなるという性格の問題です。ここでも、一九七〇年代以来、わが党が一貫して主張してきた「『安全神話』からの脱却」をはじめとする原子力政策の転換・見直しの主張が、政治の壁を突き動かしつつあります。
いくつかの問題をのべましたが、自民党政治が展望喪失状況におちいっているもとで、わが党の道理ある提案が、現実政治に影響を与えはじめた。やがて、二十一世紀に政治の主役が交代するということを、これらの情勢の進展は先取り的に示しつつあります。
自民党政治は、自自公という巨大与党をつくったことで、国会対策でもその基盤を逆に弱めるという状況をつくっています。
昨年の前半の通常国会では、希代の悪法が連続的に強行されました。しかし、後半の臨時国会では、年金改悪法案と衆議院比例代表定数削減法案という、自自公政権が最も重視した二つの対決法案を強行することができませんでした。彼らの暴挙が二度にわたって公式に議長裁定で否定されました。”数の横暴”が簡単には通らない状況が、いま国会で生まれています。
この背景には、公明党の政権入りという政党状況の変化があります。これまで公明党は、野党に身を置きながら、自民党と内通し、反共で野党戦線を分断するという役割を果たしてきました。これらの役割は、この党が野党にいてこそ果たせる役割であります。通常国会までは、この党が実態は別として、形式は野党に席を置いていたことが、悪政の連続強行を可能にしました。戦争法や盗聴法などで、公明党が態度を変えれば、一気に強行の流れがつくられました。しかし、臨時国会ではその状況に変化が生まれました。自民党は、この党を与党に取り込むことで、みずからの国会対策の切り札を失うことになったのです。
少し長い目でみても、公明党は一九六四年の結党以来の軌跡で、いくらかのジグザグはありますが、野党の看板を掲げながら自民党と地下水脈で相通じ、この体制を延命させる「安定装置」としての役割を演じてきました。一九七〇年代の党と革新勢力の前進にたいし、八〇年の「社公合意」によって野党戦線を分断し、自民党体制の継続を助けたことも、その一つであります。自民党は、公明党と連立を組むことで、みずからの支配体制延命の「安定装置」をみずから壊すことになったということも、重要な点であります。
そうした政治状況の変化は、野党共闘の新たな条件を開くものとなりました。わが党はこの二年来、野党共闘のための努力を重ねてきました。さまざまな紆余(うよ)曲折はありましたが、公明党が野党の席をすてたもとで、わが党が公式に参加した野党共闘へ質的に大きな前進がはかられつつあります。これは、七〇年代以来ほぼ二十年ぶりの出来事であります。
野党共闘では、互いに立場の違いはあっても横におき、一致点を柔軟に探求し、その一致点が部分的であっても大切にして誠実に力を尽くす。この立場でのぞめば野党の強固な結束をつくりうる。そして野党が結束すれば、国民世論とも結びついて与党の横暴をくいとめうる。これがこの間の教訓であります。わが党はそうした教訓に立って、今後とも力を尽くすものであります。
つぎに国内政治についてのべます。
この間わが党は、大会決定、四中総決定にそくして、雇用、中小企業、介護保険、原子力、教育などさまざまな分野で、一連の政策提起を発展させてきました。これらは、まじめに問題解決にとりくもうとするなら、党派や立場を超えて否定できない道理と説得力をもつ提案として、これまでになく広範な人々から共感の声が寄せられています。
政策をたずさえての懇談や対話が全国各地でとりくまれています。雇用危機打開策では、連合系の労働組合からも、「待っていた政策だ」とする歓迎の声がたくさん寄せられています。中小企業政策では、中小企業庁の担当者など専門家からも「よく練り上げられたものだ」という評価が多数寄せられています。ある自治体では、この政策を自治体として学習の素材としたということも聞きました。介護保険の政策提起は、福祉関係者はもとより保守も含めた自治体関係者に広く共感を呼んでいます。
これらの一連の政策提起の全体を貫く特徴についてのべますと、一つは、国民生活を守ることと、日本の経済と社会の発展全体に責任を負うことを統一的に提起しているということであります。たとえば雇用や中小企業を守ることが、不況打開につながり、日本経済の「ものづくり」の基盤を支えるなど、大きな視野でみて日本経済全体の釣り合いのとれた発展を保障することにもなるという問題提起をしています。
いま一つは、根本的な改革の展望を示しつつ、緊急の課題の打開策を提起しているということです。どの政策も理想論を並べたものではありません。現実的な処方せんとして練り上げました。たとえば、介護保険の緊急政策は、介護サービス基盤の遅れ、高齢者の生活の現実をふまえた、ぎりぎり最小限の緊急要求としてまとめました。やる気になれば、いますぐでも実行可能なものです。同時に、どの政策も政治のあり方の根本的改革の裏付けを、あわせて提起しているのも特徴であります。
わが党は、これらの政策の実現のために、全力を尽くすものです。国会での積極的なとりくみとともに、四月施行の地方自治法の「改正」によって、議案提案権の条件が引き下げられて、わが党が議案提案権をもつ自治体が一気に二倍以上になるという条件を生かして、地方自治体でのとりくみも重要であるということを、あわせて強調したいと思います。もちろん、総選挙にむけて、これにとどまらず、さらに各分野での政策の新鮮な発展のために努力をはかるものであります。
国内政治の問題では、どんな問題でも、「ルールなき資本主義」と「公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円」を中心とする逆立ち財政という、二つの根本にぶつかります。これをただすことは、わが党の「日本改革論」が提起している経済民主主義の二つの柱であります。
第一に、「ルールなき資本主義」をただすという問題です。
ここで重要なことは、このわが党の提起が、いよいよ日本社会の客観的要請になってきつつあるということです。
この間、一連の経済人からも、大企業による目先の利潤追求への身勝手な熱中、「リストラ」万能論、「規制緩和」万能論などにたいして、警鐘を鳴らす発言が相次ぎました。
たとえば、経済同友会元副代表幹事の品川正治さんが、「しんぶん赤旗」の新春の企画に登場してこうのべています。「日本の資本主義は、その”質”が問われる時代に入っている」「一言でいえば、日本の企業は市場経済への対応と市民社会との調和が同時に求められる時代に入っている。この二つの問題を同時に解決していかないかぎり企業としてやっていけない段階に日本経済は直面している」。そして、品川さんは、「リストラばやり」の風潮を批判して、「今後の経済や政治の運営の軸足を企業に置くのか、それとも家計・個人に置くのか、の選択」が問われているとして、「もちろん家計・個人部門に軸足を移してこそ、初めて、憲法の理念にたつ経済発展の方途が見えてくるものだ、と私は確信しています」とのべています。
この発言は、日本共産党の主張――大企業はその巨大な力にふさわしい社会的責任を果たすべきであるということ、大企業が主役の経済から、国民の家計・暮らしが主役の経済への転換をはかるべきであるということと、ほとんど重なり合う立場をのべたものとして、大変印象深いものでした。
いま一つ、財界系のシンクタンクである社会経済生産性本部のメンタル・ヘルス研究所が、昨年八月に「産業人のメンタルヘルスと企業経営」という調査結果を発表しました。メンタルヘルスというのは精神衛生という意味ですが、この調査結果では、結論としてこのようにのべています。「従業員の減少は、従業員の無気力を増長し、精神を不安定にさせる。人的資源がこのような状態に陥っては、今後の日本企業の再生はありえないだろう。近年の自殺や犯罪の増加を考えあわせる時、安易な雇用調整は避けるべきだ」
これらの声に共通しているのは、”大企業が無制限の利潤追求をほしいままにすれば、経済と社会の全体を荒廃・衰退させ、結局は企業経営も成り立たなくなる”という認識であります。
「リストラ万能」論を批判した一連の発言は、わが党が主張している大企業の民主的規制という政策が、国民生活の向上にとってだけでなく、日本経済全体のまともな発展のためにも、深い必然性をもった、自然で合法則的な政策であることを、経済人の側からの認識として示したものとして、大変重要であります。
第二十一回党大会の決定では、「いま私たちが日本で問題にしているのは、資本主義の枠内での民主的な改革ですから、理論的には資本主義そのものを擁護する修正資本主義の立場に立った政治勢力でも、賛成できるはずの課題であります」として、修正資本主義派との共同の展望ということをのべました。この大会での提起というのは、将来の理論的可能性としての展望でしたが、これが現実味をおびた課題となりつつあります。
わが党は、経済界の幅広い人々も含めて、日本経済の現状を憂えるすべての心ある人々との大胆な対話と共同の探求を発展させたいと思います。これは政権を担う党への前進にとっても重要な課題であります。
第二は、財政の民主的改革の問題です。財政破綻(はたん)は、いまの自民党政治のゆきづまりの最悪の象徴となっています。とくに小渕政権は、野放図な放漫財政を加速させて、わずか一年半で百兆円を超える借金を増やそうとしています。
その実態がどれほど異常か。国際的にみても、日本は主要国の中でまさに最悪となりました。国と地方の財政赤字は、単年度でGDP比九・四%、債務残高は六百四十五兆円で、GDP比一二九・三%となります。これは国民一人あたり五百十万円の借金を背負わせるということになります。
EUの財政規律というのは、GDP比で単年度赤字は三%以下、債務残高は六〇%以下というものですから、日本はこの国際基準に照らすと、単年度赤字でEU基準の三倍以上、債務残高で二倍以上ということになります。まさに”破産国”というほかない、深刻きわまりない実態です。
ところが、首相は、「とうとう世界一の借金王になってしまった」というだけで、財政危機打開の一切の処方せんをもてず、財政に責任をもとうという気力すらありません。ゼネコンと大銀行支援のための財政流出策を漫然と続け、”あとは野となれ山となれ”という投げやりな態度に終始しています。
首相は、「二兎(にと)追うものは一兎(いっと)を得ず」として、「当面は景気回復に専念する。景気が回復すれば財政状況も好転する」というようなことをいっています。
この政権が追っているものは、景気回復でなく、選挙での票であることは、国民が広く見抜いていることですが、「景気が回復すれば財政状況も好転する」という議論も、まったく無責任な空論にすぎません。
なぜなら、この間の大企業減税、高額所得者減税によって、税収の落ち込み、税収の空洞化が深刻になっているからであります。過去十年間でみて、国税収入は約十三兆円も落ち込みました。このうち不況による影響は約半分で、残り半分は大企業・金持ち減税の結果であります。
ですから、これをそのままにしていては、かりに政府がいうように経済成長率が二%程度になったとしても、それによる税収増は国債費の増加額さえまかなえず、借金が雪だるま式に増大する事態が続きます。
この路線のままでは、大増税か、悪性インフレかという国民的破局に、いずれ直面することは避けられません。国を滅ぼす、犯罪的というほかない財政運営の現状は、一刻も放置するわけにはいきません。
わが党は、四年前の総選挙で「財政再建十カ年計画」を提案し、大きな力を発揮しました。そのときに比べても、国と地方の借金は約二百兆円増えるなど、財政危機ははるかに深刻なものとなりました。四年前の提案は、国の財政再建の提案でしたが、国とともに、地方財政の危機も年をおうごとにいよいよ深刻となっています。これらをふまえて、国と地方自治体の財政全体を視野に入れて、党として新しい財政再建計画をまとめ、提案することにしたいと思います。
その第一の柱は、浪費構造を思い切ってただす、歳出の改革です。国と地方で、年間五十兆円の公共事業費を、浪費型の巨大プロジェクトの見直し・中止を中心に半減させること、七十兆円の大銀行への税金支援を中止すること、米軍への「思いやり」予算の廃止をはじめ五兆円規模に膨張した軍事費を半減することなど、政府がこれまで「聖域」として手を付けてこなかった分野に、思い切ったメスを入れることがどうしても必要です。
第二の柱は、税収の空洞化をただす、歳入面での改革です。なかでも、大企業と高額所得者を不当に優遇している不公平税制をただすことは急務です。法人税では、世界でも類のない課税ベースの狭さ――大企業の税のがれの仕掛けをただすこと、所得税では、低率の分離課税となっている利子・株・土地にかんする所得の総合課税化をはかることが必要です。投機的な資本取引にたいして、適正な課税をはかることも、世界のほとんどの主要国で、当然のこととしておこなわれていることです。
現在の財政破綻は、きわめて深刻なものであり、単年度の財政赤字を一挙にゼロにすることはできません。財政再建には、どうしても一定の期間と、段階的な見通しが必要となります。しかし、この二つの柱を実行に移せば、国民負担増によらず、また福祉やくらしのための歳出の削減によらず、国民生活の充実にあてる予算を確保しながら、財政を立て直す道が開かれます。消費税の減税と廃止への道も、こうした財政の民主的再建のなかで、その可能性が開かれます。
この問題では、この中央委員会総会のあと、以上のべた方向をふまえて、党としてまとまった提案をおこない、財政危機打開のための国民的討論を広くよびかけ、財政再建の方途についての国民的合意をはかる努力を強めたいと考えるものです。
つぎにアジア外交についてのべます。
第二十一回党大会では、アジア外交を重視する方針を決定しました。この提起をうけて、この間、党のアジア外交の新たな展開がはかられてきました。一昨年の日本共産党と中国共産党との関係正常化と首脳会談、昨年九月の東南アジア諸国への訪問、昨年一月と十一月の国会での対北朝鮮外交にかんする不破提言と十二月の政党訪問団へのわが党代表の参加などが、その内容であります。
これらのわが党のアジア外交の展開をみて、ある外務省関係者が、こういう感想をのべていたそうです。「日中両共産党の関係正常化と不破さんの中国訪問を契機として、日本共産党の動向が現実の日本外交に影響を与えるようになりはじめた」。そういう注目をしているという感想でした。
わが党の外交活動がなぜそういう力をもったか。それはなによりも、わが党のアジア外交論が、アジアで起こっている力強い流れ――紛争の話し合い解決、非同盟、自主・自立、非核兵器などと大きく合致したものであったことがあげられます。またそういう客観的条件を正確にとらえ、党として果敢に外交活動を具体化し、実践してきたことがあげられると思います。
ここには実践を通じての、わが党のアジア外交論の発展があります。第二十一回党大会決定でのアジア外交の提起というのは、日米安保条約をなくした独立・中立の日本がとりくむべき方向という形で、いくつかの外交的指針を明らかにしたものでした。
党が、この間開拓してきたアジア外交というのは、この党大会の方針を、いわば”手前に引き寄せて”、発展的に具体化したものです。すなわち、このとりくみを通じて、日米安保条約の廃棄にいたる以前にも、日本外交がとりくむべき緊急の指針となる内容が、明らかとなってきました。
たとえば、一昨年の日中両共産党首脳会談で、不破委員長がのべた「日中関係の五原則」という提起は、独立・中立の日本はもとより、自民党政府のもと、安保条約のもとでも、両国関係の基本にすべき原則の提起でありました。
東南アジア諸国訪問での各国との交流では、米軍のアジア駐留問題を解決する以前にも、共同の課題となりうる広範な一致点が確認されました。わが党の代表団がマレーシアを訪問した際に、マレーシア側の関係者は、朝鮮半島の安定化と日中関係の安定化という二つの問題を解決することが、日米安保条約の廃棄を可能とする国際的条件になるという展望をのべつつ、覇権主義に反対し、自主独立の外交をすすめるなどの日本共産党の方針にたいして「一〇〇%合意が可能」とのべました。これは大変印象深いできごとだったと思います。
北朝鮮との関係でのわが党の一連の提案――先制攻撃にくみしない、外交ルートを無条件で開く努力をはかるなどの提案は、まさに安保条約と戦争法のもとで、悲劇的な戦争をさけ、平和的な話し合いによって問題を解決するために、緊急の課題として提起したものでありました。
わが党が開拓してきたこうしたアジア外交の新しい流れと対比してみますと、自民党の外交――軍事一本やり、アジア軽視、アメリカ追従を特徴とするこの外交が、いかに時代に逆行しているか、いかに深刻なゆきづまりに直面しているかは明りょうです。自民党政治は、外交でも合理的な現実感というものを失ってしまっています。
こうした時代逆行の最悪の産物が戦争法でありました。しかし、この企てが、日本国民にとって危険きわまりないものであるとともに、アジアの現実の情勢にあわないということが、わずかな期間に証明されつつあります。それは、戦争法を推進した勢力が、この悪法を発動する対象地域の主要な一つとして想定していた北朝鮮をめぐって、昨年の秋以来、平和の方向に情勢の大きな変化がおこっていることにも示されています。
四中総決定では、戦争法の発動を阻止するために、朝鮮半島の問題や、台湾問題など、アジア・太平洋地域での紛争問題にたいして、「その平和的解決を要求し、アメリカなどの先制攻撃戦略や干渉戦争の発動を未然に防止する活動は、われわれの外交活動としていよいよ重大な意義をもっています」とのべましたが、道理ある外交の力によって戦争法の発動の条件を失わせる展望が開かれつつあります。
わが党は、安保条約の廃棄にいたる以前にも、緊急の課題として、日本外交のあり方のつぎの三つの転換をはかることを、日本政府に要求するとともに、この内容にそくして党としてのアジア外交をいっそう発展させるために力を尽くすものです。
第一は、紛争問題を解決する際には、軍事優先ではなく、話し合いによる平和解決を最優先させる。国連憲章に定められた平和秩序を守るということであります。
第二は、アジアに生きる国として、アメリカ外交偏重、サミット外交偏重のあり方をただし、アジア外交を日本外交の中心にすえることであります。
第三は、アメリカであれ、どんな大国であれ、他国にたいする追従外交でなく、日本国民の立場にたち、道理によって世界に働きかける自主・独立の外交を築くということであります。
私たちは、これらは安保条約への是非をこえて、国民的にも、国際的にも、道理ある指針として広く理解されうるし、現実に力をもちうる提起であると確信するものであります。
わが党が、これらの外交的転換の提案ができるのは、日米安保条約廃棄という確固とした立場に立っている党であるからです。安保廃棄によってこそ、さきほどの三つの内容での日本外交の民主的転換を、全面的に実行する確かな展望も開かれてきます。
一昨年秋の三中総決定では、「日米安保廃棄派が国民多数派になる努力を、正面から追求する」ことをよびかけましたが、安保廃棄を国民世論の多数派にしていくための独自の努力に粘り強くとりくむことを、わが党の綱領的任務としてあらためて強調しておきたいと思います。
なお、日米安保体制にかかわる問題として、この間、安保条約の事前協議をめぐる日米両国政府間の複数の密約の存在が、相次いで明るみに出されたことは重大であります。日米間の密約の存在は、一九六〇年の安保改定時に設けられた事前協議制が、アメリカ軍の核兵器持ち込みや、在日米軍基地からの自由出撃にとってなんら制約とならない、欺まん的なしくみにほかならないということを実証するものとなりました。わが党は、日本国民を愚ろうする一連の日米密約の真相の全面公開を、強く要求するものであります。
沖縄の普天間基地問題は、沖縄県知事と名護市長の「受け入れ」表明によって、重大な局面を迎えています。この問題でも日本政府の対応は、対米屈従外交の最悪の恥ずかしい姿を天下にさらすものとなりました。
一月六日の日米防衛首脳会談で、防衛庁長官は、沖縄の新基地について、沖縄県知事がともかくも公約した「使用期限十五年」について、「日本政府は重く受け止めている」とおそるおそるひとりごとのようにつぶやくだけで、自分から「国際情勢の推移を予測することはきわめて困難だ」と自問自答のように「結論」をだしてしまい、アメリカ側にこの問題での協議を要求することすらしませんでした。
この問題では、自民党と現知事が県民と国民に公約した「使用期限十五年」は、最大の矛盾の焦点となっています。ことの真相は、老朽化した普天間基地にかえて、アメリカ国防総省の文書でも明記されているように、「四十年の運用年数と二百年の耐用年数」をもち、垂直離着陸機オスプレイなどを配備した、はるかに強化された最新鋭の基地を、日本側の全面的な財政負担で手に入れるというところにあります。
これは単なる移転ではなく、新たな基地の強化、永久化だということを広く明らかにし、基地のたらい回しを許さない沖縄県民の団結、それと連帯した国民的運動を広げるために、わが党は全力を尽くしたいと思います。
アジアで大きく広がっている平和の流れに照らしても、二十一世紀どころか、二十二世紀、二十三世紀まで使えるような最新鋭基地の建設をおこなうということは、およそ非合理きわまりないことであります。
世界的にみても、昨年暮れ、パナマ運河地帯から米軍が撤退するなど、在外米軍の撤退の流れが広がっています。ヨーロッパでも米軍の駐留兵力は大幅に縮小しています。こうした流れにてらしても日本の米軍基地国家の現状を、二十一世紀のはるか先まで固定化、強化しようということは、異常きわまりないことであるといわなければなりません。
この闘争は、ことし七月の沖縄サミットを前にしたたたかいであり、世界にむけて、沖縄の基地が、いかに異常で、過酷なものであるかを、歴史的にも実態的にも広く告発するとりくみをおこなうことが大切であります。沖縄サミットを、政府の思惑を超えて、米軍基地国家体制を崩す契機となるように、わが党は知恵と力を尽くすものであります。
つぎに、世界の平和秩序をめぐる問題についてのべます。
四中総決定では、米軍を中心としたNATO軍のユーゴ空爆、NATOの「新戦略概念」と日米新ガイドラインという地球的規模での干渉と先制攻撃の体制の確立という重大な事態を前にして、この脅威から平和を守り、国連憲章がさだめた世界の平和の秩序、平和のルールを守るためのたたかいをよびかけました。
その後、ユーゴ空爆の舞台裏が、つぎつぎと明るみに出されました。コソボ問題の和平交渉の最終過程で、アメリカが突如、ユーゴが絶対にのめない提案をつきつけ、意図的に交渉を破壊して、空爆にはしった。これが”仕組まれた戦争”であったことが明りょうとなりました。また、アメリカが空爆の口実として宣伝した、コソボでの「大量虐殺」なるものは、その規模がまったく誇張されたものであることが明らかになりました。
ところが、ユーゴ空爆からアメリカがひきだした教訓は、世界の平和秩序にまっこうから挑戦するものでした。コーエン国防長官は昨年九月の講演で、「地域紛争が人道上の惨禍につながる兆候を示している場合」にも武力行使を検討するなど、先制攻撃をより自由勝手におこなうという宣言をしました。アメリカは干渉戦争をさらに効果的におこなうために、NATO加盟のヨーロッパ諸国の軍拡をあからさまに要求しました。
しかし、この傍若無人な姿勢が、いま強い国際的な抵抗と批判に直面しています。この間の国際情勢の展開の特徴は、アメリカの覇権主義への批判が国際的な規模で高まり、彼らが孤立化の様相を深めているところにあります。
第一に、軍事的覇権主義の孤立化です。
非同盟諸国は、昨年九月にひらいた閣僚会議で、「国連憲章にも国際法の一般原則にも法的基礎をもたないいわゆる人道的干渉権を拒否する」という確固とした立場を、最終コミュニケで宣言しました。
つづいて九月末に開幕した国連総会では、アナン事務総長が、「人道的介入」のもとに強行されたユーゴの空爆を念頭において、これが「安全保障体制を掘り崩す危険はないのか」「危険な先例にならないのか」という問題提起をしたことにこたえて、中国、ロシアからのきびしい批判はもとより、フランス、ドイツなどNATO諸国からも、あの空爆は「例外にとどめるべきだ」「前例にしてはならない」とする懸念があいついでだされました。
昨年十月に、アメリカ上院が、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を否決したことは、アメリカの同盟国も含めて、世界中から強い非難のあらしをよびおこしました。他国の核実験と核開発にたいしては核攻撃の脅迫もふくめて禁圧しながら、自分の核実験と核戦力での圧倒的優位にたいしては、指一本ふれさせないという、あまりの身勝手、横暴ぶりをさらけだしたことは、アメリカにとって外交的にも大失態であり、その外交的影響力そのものを失墜させる結果となりました。
第二に、アメリカの経済的覇権主義の矛盾と破綻は、いっそう深刻なものがあります。
その一つは、IMF路線の破綻であります。九七年にはじまる東南アジアの経済危機にたいして、アメリカ主導で、IMF(国際通貨基金)がいわゆる「構造調整政策」――融資と引き換えに、国民犠牲の緊縮財政を押しつけ、規制緩和を押しつけ、一国の経済主権を根こそぎ奪うという政策の押しつけがはかられました。この処方せんにしたがったタイ、インドネシア、韓国などは、深刻な経済的打撃をうけました。この圧力をはねかえしたマレーシアは、独自の経済再建に成功しました。
この事実を前にして、IMFはマレーシア方式を評価することをよぎなくされました。また途上国のきびしい批判を前にして、アメリカ自身が、IMFが途上国に押しつけてきた「構造調整政策」をやめ、IMFのそもそもの役割である緊急時の融資にたちかえるよう、その役割の見直しをいわざるをえなくなりました。これは大きな彼らの路線の破綻であります。
いま一つは、アメリカのシアトルで昨年十一月におこなわれたWTO(世界貿易機関)の第三回閣僚会議で、アメリカの横暴な押しつけが通らなかったことであります。アメリカとEU、途上国との間で、農業問題、労働基準の問題、反ダンピングの問題などで国際的矛盾が噴出し、この会議は合意にいたらず決裂しました。これもまたクリントン政権の大失態として国際的非難をあびました。
「グローバル化」の名で、アメリカの多国籍企業の利益最優先の国際秩序を押しつけようという企ては、いま深刻な矛盾につきあたっています。
一連の国際機関があいついで、「グローバル化」を批判する報告書を出していることも、注目すべきであります。国連開発機構の年次報告では、「所得と生活水準の世界的不平等はグロテスクなほどになった」と告発しています。ユニセフの報告書では、「グローバル化がすすむなかで、貧困のもとで暮らす人は増え続けている。…世界の経済が二極化して、豊かな国と貧しい国、豊かな人々と貧しい人々との格差が広がるに従って、貧しさがいっそう深刻化している」とのべています。国連食糧農業機関(FAO)の報告書は、「世界の発展途上国の栄養不良人口は、七億九千万人に達している」と告発しています。
アメリカは、ユーゴ空爆では、NATO諸国を動員して、覇権主義をほしいままにしているようにみえました。ところが、この間の情勢の展開をみますと、経済覇権主義の矛盾はおさえがたく深刻であり、それが政治的な覇権主義連合にも深刻な亀裂を入れるような事態が進行しています。
このもとで、アメリカの覇権主義に反対する論者にとどまらず、アメリカの超大国としての「指導性」を容認する立場の論者からも、あまりに露骨な覇権の追求が、米国の支配体制の強化ではなく、それを危うくするという警告がひろがっています。
イギリスの雑誌の『エコノミスト』は、最近の論説の中で、「単独行動に固執することは助けにならないだけでない。それは自滅を招くものだ。なぜなら、同盟国をもたない国は、単独行動を強めれば強めるほど影響力を失うはめになるからだ」とのべました。
横暴を働くものが、みずからその支配の基盤を崩す――ここにも同じ法則が働いているではありませんか。
国連憲章にもとづく平和の国際秩序か、アメリカが横暴勝手に覇権をふるう侵略と干渉の「国際秩序」か――二つの国際秩序のどちらに未来があるかは明りょうであります。
日本共産党は、地球的規模での軍事ブロック解消を展望しながら、それ以前の課題としても、あらゆる覇権主義に反対し、国連憲章にもとづく平和の国際秩序を確立することを目指して、広い国際的共同をつくるために全力をあげるものであります。
つぎに、憲法調査会と憲法擁護のたたかいについてのべます。
国会で憲法調査会の設置が強行され、今年から五年越しでの論戦が始まります。憲法をめぐる論戦は、国政選挙での重要な争点の一つにもなります。わが党は、この調査会を設置した目的が、憲法改悪への足がかりをつくることにあったことは明りょうだったので、これに反対しましたが、つくられた以上は参加して、おおいに積極的論陣を張るものであります。
改憲派が、この調査会でねらっている本命は、憲法九条を取り払うことです。その一点にあるといっても過言ではありません。しかし、彼らはそれを正面から提起できないので、さまざまなからめ手の作戦を使っています。それによくかみ合って、逆に相手をひろく包囲していく論陣・運動が大切であります。
わが党は、この機関の性格が「調査会」である以上、憲法の平和的・民主的原則を擁護する立場から、つぎの三つの内容での積極的な調査活動を求めていきたいと思います。
第一は、現行憲法の先駆的内容を広く明らかにする調査活動であります。たとえば、世界の主要国の憲法との国際的比較も、その重要な内容のひとつとなるでしょう。これを通じて、憲法九条を中心とする恒久平和主義、生存権の明記を含む基本的人権など、わが国の憲法が、国際的にも先駆的な内容をもっていることが、浮きぼりにされるでしょう。わが党が憲法五原則――国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治として整理している憲法の先駆的値打ちを、おおいに明らかにする論戦をすすめたいと考えます。
第二は、改憲派が問題にしている「憲法と現実との乖離(かいり)」とは、実は憲法の先駆的原則と自民党政治との異常なゆがみとの乖離にほかなりません。憲法が忠実に実行されなかった結果、そうした乖離がもたらされたというのが肝心な点であります。わが党はこうした立場から、憲法の先駆的原則に照らして、自民党政治の現実を点検する調査活動を提起したいと考えます。
第三に、改憲派が主張する、いわゆる「押しつけ憲法」にかかわって、改憲論の源流がどこにあるかの歴史的調査を提起したいと考えます。
すでに公文書公開によって、アメリカ政府が一九四八年、日本の新憲法施行からわずか一年前後の時期から、日本に軍隊をもたせるために、憲法改悪の方針の検討を開始していたことが明らかになっています。こうした歴史的事実をふまえて、アメリカにこそ憲法改悪の源流があったことを、浮きぼりにしていきたいと思います。
また憲法の進歩的原則は、軍国主義とファシズムの連合を打ち破った世界の民主的世論と、日本国民の民主と平和への志向を反映したものであったことを、憲法制定の歴史的経緯を深く掘り下げることで明らかにすることも重要であります。
これらの点を通して、この「調査会」で、憲法九条の改定を中心とする憲法改悪の足がかりをつくらせず、憲法の進歩的原則の完全実施にむけた世論を広げるために、わが党は全力をあげたいと思います。
昨年、オランダのハーグでおこなわれた世界市民平和会議で採択された「行動指針」の第一項目では、「各国議会は日本の憲法第九条のように戦争放棄宣言を採択すること」を呼びかけました。憲法九条の値打ちは、二十一世紀の世界秩序の先駆をなすものとして、国際的にも注目され、輝いています。
憲法の改悪に反対し、その平和原則にそむく企てを許さないという一点での広大な戦線をつくることを、あらためて呼びかけるものであります。
つぎに総選挙をたたかう方針について報告します。
まず、政治戦線の現状と日本共産党の躍進の意義についてです。
ここでは、四中総決定がのべた「二つの角度」がいよいよ大事になってきています。
第一に、自自公体制による自民党政治の継続・強化にたいして、国民の厳しい審判をくだすということが、こんどの選挙戦の最大の争点の一つです。
もともとこの反動体制がつくられた背景には、自民党が内政でも外交でも舵取り不能のゆきづまりに直面し、もはや単独では国政選挙で過半数の議席を得られなくなったという衰退過程におちいっているということがあります。連立政権は、それを国民の意思を無視した数あわせで補おうとしたものですが、そのことによって新たな深刻な矛盾をこの体制は抱え込むことになりました。
一つは、自自公三党を結びつけているのは、むきだしの党略だけであって、どの党も日本の政治全体に責任を負わないという体制がつくられたということです。
自由党は、自民党との合流か連立の離脱かという党略的な権力ゲームに熱中し、その道具として選挙制度をもてあそぶという姿勢に終始しています。公明党は、中身はなんでもいいから自分の名と結びついた「実績」をつくるために、財政をもてあそび、「ばらまき」をたかることを専門としています。景気対策として愚策だったことが証明された地域振興券につづいて、庶民増税で財源をまかなう児童手当など、それは本当にひどいものです。自民党もまた、数をかきあつめ、政権を維持・延命させるということを自己目的とする姿勢に終始しています。
こうして、連立によって異常な責任不在体制がいま目の前につくられつつあるわけです。この体制は、国民の苦しみや悩みとはまったく遊離した、党略的堕落のきわみという姿をさらしています。
いま一つは、公明党の政権参加の矛盾です。わが党はこの党の政権参加について、日本の民主主義に危険をもたらすと同時に、自自公体制の致命的な弱点になることを指摘してきました。この警告は政局の現実の展開で裏付けられました。
すでにのべたように、この党の与党入りは、野党の力を強くし、与党の力を弱めました。それは自民党政治の従来の支持基盤をみずから掘り崩す、新たな要因ともなっています。
わが党は、一九七〇年に創価学会の池田会長が、「創価学会と公明党を分離していく」と公約したにもかかわらず、その公約が果たされていない実態を、事実にもとづいて究明してきました。この教団が政界進出を図った原点が、日本社会の精神支配にあったこと、いまもなお「邪宗撲滅」論をはじめとする民主主義圧殺の危険な体質をもっていることを批判してきました。これらのわが党の批判にたいして、相手は反論ができない状況におちいっています。わが党は、日本の民主主義を守る立場から、ひきつづき究明の論陣を張るものです。
こんどの総選挙を、どの分野でも国政の舵取り能力を失い、国民にはてしない犠牲を押しつけ、国民不在の党略にあけくれる自自公体制に、厳しい審判をくだす選挙にしていこうではありませんか。
第二に、野党の情勢はどうでしょうか。四中総の時点と比べてみても、野党情勢には国会での野党共闘の前進という前向きの変化がつくられました。この野党共闘が、悪政に対抗する共闘にとどまらず、政策を実現するための共闘として発展する芽も、部分ではあるがつくられつつあります。臨時国会では、野党三党の共同の提案により、政治家個人への企業献金禁止の法改正が実現しましたが、これはその一つであります。
野党共闘の政治的一致点は現状では大変部分的なものですが、それを大切にしながら誠実に共闘を積み重ねていくならば、さらに一致点が広がっていくことはありうることであり、わが党はそのために力を尽くすものであります。
同時に、国政の現状では、野党間で政策協定を結んで、選挙共闘をおこなう条件はまだ存在していません。選挙は、それぞれの野党が、自自公体制に審判をくだしていくたたかいとなります。そのなかでどういう政治的、政策的立場が、野党として国民の期待にこたえ、国民の利益にかなったものかを、堂々と審判をあおぐために、野党間でも建設的な論争をおこなう。この態度でのぞみたいと思います。
こんどの総選挙では、自自公政権による自民党政治の是非とともに、野党とは何かが問われる選挙ともなります。自民党政治への対抗の足場をもち、改革の内容を示してこそ、野党の役割が果たせます。わが党は「日本改革論」という、自民党政治にかわる新しい政治の改革の展望を示す野党であります。この党の躍進が、自民党と対決できる野党戦線をつくるとともに、政治の民主的改革をはかる最大の保障となることを、広く訴えて選挙戦をたたかうものです。
つぎに政権構想についてのわが党の立場についてのべます。
第二十一回党大会で、われわれは、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府を樹立する」という大目標を確認しました。これがわが党がめざす基本的な政権構想の中身です。大会の決定では、それにむけた第一段階の目標として、「衆議院で百議席以上、参議院で数十議席」という目標を確認しました。こんどの選挙では、この目標に最大限迫り、民主連合政府の樹立に向けて大きく一歩前進する成果をかならずあげたいと思います。
同時に、総選挙の結果として、自自公が合計でも過半数を割る可能性があります。そのときには野党の連立政権が、現実の問題として、熱い問題として提起されることになります。
そのときに、従来の自民党政治の枠から踏み出した「よりまし」な一致点を確認して、野党による暫定連立政権をつくるか。それとも野党がばらばらな対応をおこなって、自民党政治の延命を許すか。これはそれぞれの野党に問われることになります。これは、好むと好まざるとにかかわらず、そういう状況が生まれたときには、問われてくるのです。
わが党は、そういう過渡的な政治局面が生まれたときには、国民の利益に立って自民党政治からの転換を部分的にせよ実現するために、暫定政権の協議に党として積極的に参加する用意があることを、すでに三中総決定で確認しています。この立場を広く国民に明らかにして、選挙戦をたたかいたいと思います。
解散の時期についてでありますが、自自公政権はここでも袋小路に陥りつつあります。まもなく通常国会が始まりますが、その国会の早い時期での解散に踏み切っても、なかなか勝利の確信も展望もない。かといってずるずる延ばせば延ばすほど、「解散もできない無力な政権」であることを、みずから証明する結果になって、これも先がない。そういう意味でまさに袋小路であります。
もともと民意に反してつくられた政権が、国民の審判を先のばしにして、悪政をかさねること自体が許されません。わが党はすみやかな、解散・総選挙を強く求める立場でのぞみます。相手が袋小路に陥って、解散をめぐっても見通しも展望ももてない状況であることをよくつかみ、攻めに攻めて、早期の解散に追い込むとりくみを強めたいと思います。もちろんその中で、いつ解散となっても、躍進がかちとれるよう、選挙態勢を緊張感をもってすみやかに確立したいと思います。
二月六日投票の大阪府知事選挙、京都市長選挙は、それぞれの住民の暮らしにとってはもとより、二十一世紀の政治の流れの全体に影響を与える重大な選挙です。
この選挙は、双方とも自民党政治が、それぞれの自治体で行政担当の能力を喪失し、大規模な破綻をあらわにしているもとでの選挙戦であり、政治の転換が広い人々にとって痛切に求められているたたかいになっています。
また双方とも、相手陣営が固執している「オール与党」体制は、国政ではすでに破綻した枠組み、過去のものとなった枠組みであり、この時代逆行の体制に厳しい審判をくださなければなりません。
この二つの選挙の勝利のために全力をあげることを、中央委員会としても確認したいと思います。
つぎに、総選挙での党躍進の可能性と目標についてのべます。
こんどの総選挙は、わが党のとりくみいかんでは、大きな党躍進の可能性をはらんだたたかいであります。
自民党政治のゆきづまりが極限にたっし、党の政策・路線が現実的な力を発揮するもとで、党と国民との関係にも新しい発展がみられます。
わが党にたいして、偏見なく「普通の政党」として評価するとともに、みずからの生活と未来のよりどころとなる政党――「頼りにできる政党」としての期待を寄せる流れが広がっています。この間の党の一連の政策提言をもっての対話や懇談のいたるところで、そうした声が聞かれました。国民の新しい質の期待にこたえた奮闘が、必要になっています。
いま一つ、この間の各種の世論調査でも、無党派層が新たな劇的広がりをみせていることを、注目する必要があります。これは、全体としては、自自公による無展望、無責任、民意不在の政治への強い拒否と結びついたものです。
無党派層は、この間積み重ねてきた政治的な経験から、政治を深いところからとらえるたしかな目を育てつつあります。選挙めあてのばらまき政治や、裏付けをもたないパフォーマンスは、簡単には通じないという状況が生まれていると思います。最近私が対談したあるジャーナリストは、「私は意識的な無党派だ」ということをいって、「各政党と一定の距離をおきながら、いざ投票日には、個人のつながりとかなんとかではなく、かなり意識的に票を投ずる」、これが「意識的無党派」だということですが、そういうふうにみずからの立場を位置づけて、日本共産党への期待を表明してくれました。そしてこの方は、そういう層がうんと広がっているということを肌身に感じるということも、のべておられました。無党派層の増大という流れが、わが党の奮闘いかんでは、野党一般ではなく、党の躍進に結びつく可能性が広がっています。
ただ同時に、無党派層の動向が、全体としては自自公体制の批判という方向性をもちながら、流動性と模索をはらんだものであることも、よく見る必要があります。わが党は、四年前の総選挙では七百二十六万票、二年前の参議院選挙では八百二十万票という得票を獲得しましたが、この成果というのは、無党派層との共同という流れのなかでかちとられたものであって、それを既得の陣地のようにみなすことはできません。もちろん八百二十万票の背後には、日本共産党への投票にはいたらないものの、関心と期待をよせている広大な人びとの広がりがあること、これもまた事実であります。これまでのどの国政選挙をも上回る党の主体的奮闘によってこそ、党躍進の可能性を現実のものにできることを銘記したたたかいをすることを、強調したいのであります。
選挙戦の目標では、四中総決定で三つの目標を提起しました。そこでは次のようにのべています。
「第一に、有権者比の得票目標の大幅な突破をめざします。
第二に、すべての比例ブロックで前回を可能なかぎり上回る議席増をめざします。
第三に、小選挙区では、全区立候補の方針をつらぬき、各県で重点区を設定して、大胆に議席に挑戦することとします。」
この三つの目標の実現をめざして、全力をあげるということが、われわれの選挙戦にむかう構えであります。
この目標というのは、大志ある壮大な目標です。
まずここで、有権者比の得票目標について、「大幅な突破」ということを目標としていることに、あらためて注意を喚起したいと思います。これまでの国政選挙では、有権者比の得票目標は、たとえ一回の選挙では実現できなくても、何回かの選挙で実現をめざす大目標として、これに「接近・実現」するという位置付けの目標でした。こんどの選挙では、この選挙戦の結果として、有権者比得票目標の「大幅な突破」をはかる。これが私たちの目標であります。
党は、九六年の総選挙、九七年の都議会議員選挙、九八年の参議院選挙、そして九九年のいっせい地方選挙と、連続的な躍進を重ねてきましたが、こんどの総選挙というのは、本格的に躍進を開始した四年前の総選挙の躍進の成果の上に、さらに躍進をかちとることができるかどうかという、本当に新しい正念場のたたかいです。従来の延長線上にとどまらない目標――有権者比の得票目標の「大幅な突破」という目標をきめたのは、これに勝ち抜くためには、そうした大志ある構えのとりくみが不可欠であるからです。
これを一般的なかけ声にせず、本気で挑戦することが求められています。この点で、いくつかの県で、「どの活動でも、躍進した参議院選挙の二倍以上、三倍以上の奮闘をやろう」というスローガンをかかげ、積極的なとりくみを展開していることは、大変重要だと思います。
これらの県では、有権者比得票目標を大幅に突破するためには、参議院選挙で獲得した得票との関係で、どのくらいの規模の運動が必要かを真剣に議論して、「二倍以上、三倍以上」というスローガンを決めています。この構えをつくったことで、政治宣伝でも、対話と支持拡大でも、党勢の拡大でも、演説会でも、あらゆる活動で量質ともに、これまでの「二倍以上、三倍以上」の規模と豊かさでというリアルなイメージがわいて、これまでの延長線上にとどまらない意欲的なとりくみを推進する力となっています。これらの県の経験は、おおいに全党が学ぶべきものであると考えます。
この目標を実現する上でも、「比例を軸に」というためされずみの方針を、こんどの選挙で発展的に生かすことが大切です。この方針は、比例代表選挙が小選挙区選挙よりも重要だということではありません。どちらの選挙でも、政党を選ぶたたかい――政党選択のたたかいを正面にすえて、日本共産党への理解と支持を広げる活動を名実ともに選挙戦の中心にすえて、党躍進の大波をつくるというところに、この方針の眼目があります。また比例代表選挙では、全国すべてが必勝区であるということも大事な点であります。これらを正確にとらえた奮闘が大切になっています。
いま一つは、小選挙区のたたかいの位置づけについてであります。前回の総選挙で、わが党が小選挙区で獲得した議席は二議席でした。こんどの総選挙で、われわれが「衆議院で百以上」という第一段階の目標に接近するためには、”小選挙区の壁”を突破する大胆なとりくみがどうしても必要となります。
四中総決定では、重点区について、「挑戦をきめた以上は開拓者精神を発揮して、おおいに積極的に議席の獲得をめざしてたたかうことが重要であります」とのべています。この立場にたって、本気のとりくみをはじめている一連の選挙区が生まれています。同時に、奮闘すれば実際に議席獲得の客観的可能性があるにもかかわらず、「とても無理だ」という思い込みから、まともなとりくみになっていないところも少なくありません。
定数一を争う小選挙区で勝利することは、もちろん並大抵のことではありません。必勝のための不退転の構えととりくみが必要であります。構えという点では、有権者比得票目標を大幅に突破することとともに、これは一位にならなければならないわけですから、他陣営をあらゆる活動で凌駕(りょうが)するとりくみをおこなってこそ、勝利への道が開かれます。ここでも、政党選択を正面にすえることは鉄則であります。党への支持の波を飛躍的につくりだすことを土台にして、候補者の魅力を押しだす努力が重要となってきます。
選挙区のたたかいでいま一つ強調しておきたいのは、重点区以外の選挙区でも、有権者比目標の大幅な突破をめざして、積極的なとりくみをおこなうことは、まったく同じだということです。もともと、重点区の設定というのは、党機関が選挙作戦の上で内部的に位置づけるものであり、有権者との関係で重点区と非重点区に垣根があるかのようなとりくみになってはなりません。小選挙区というのは、ただ小選挙区の選挙の舞台であるだけでなく、比例選挙をたたかう地域的な基本単位でもあります。ですから、「うちは非重点区だから、議席は問題にしない」という態度をとったとしたら、比例選挙も含めて、選挙戦全体に否定的な結果を生むことになります。すべての選挙区で、比例代表、小選挙区選挙の両方で、勝利と躍進をめざして、本気のとりくみをおこなってこそ、全国的な躍進が可能となります。この立場をしっかりと堅持してたたかいたいと思います。
つぎに、政治論戦をどうたたかうかについてのべます。
総選挙での政治論戦の主軸になるのは、「自自公による自民党政治の継続・強化を許すか、日本共産党の躍進で新しい政治をおこすか」――ここにあります。
このことは、自民党の側も覚悟してかかってきているようであります。今年の自民党大会の運動方針案では、こういう一節があります。「共産主義を厚化粧で隠した独善的で閉鎖体質の共産党などに、新時代の国政の舵取りをまかせることはできない」。この前段部分の古色蒼然(そうぜん)とした反共攻撃は目新しいものではありませんが、わが党にやがて「国政の舵取り」をとってかわられる、そういう危機感を表明したのは、自民党大会の運動方針のなかでも今回が初めてのようであります。
私たちは、どちらが「国政の舵取り」を担うにふさわしいか、二十一世紀の日本政治のあり方を大きく問う論戦をおこないたいと思います。当面の焦点となる問題とともに、ここまでゆきづまった自民党政治をおおもとからどう変えるかというわが党の「日本改革論」を、スケール大きく訴えるということが、その中心的内容であります。
そのうえで、いくつかの留意点をのべたいと思います。
一つは、どの分野でも、悪政の告発・批判とともに、建設的な提案を前面に押しだす論戦をすすめたいということです。自自公政権は、国民に展望を示せません。国民の苦難をどうするか、日本のゆくえをどうするか、何も打開策が示せません。そういうもとで国民は、道理ある解決策を本当に切実に求めています。この間の国会論戦や各地でおこなわれた演説会の反応をみても、”日本共産党ならこう解決する”という打開策を示したことへの反応が非常に強いのが特徴です。日本の政治の現在と未来に真に責任を負う”責任政党”としての姿を示し、国民の心をとらえる論戦をおおいにすすめたいと思います。
二つは、日本共産党が、正論を唱えるとともに、その政策・路線が現実の政治を動かす力をもっているということ、実際に草の根から国際政治まで国民の声にたって現実政治を動かしている党であること、この姿を示していくということが大変重要であります。この点では、この間の党の内外の奮闘によって、語るべき内容は無数にあります。
三つは、党の全体像を語るということです。有権者が党にたいしてもつ関心、疑問はさまざまです。党の歴史、綱領と改革の目標、科学的社会主義の理念、党の組織と活動のありかたなど、有権者の関心にこたえて縦横に党を語る選挙にしていきたいと思います。
四つは、野党間の論争についてですが、これは自自公政権と対決する立場としっかり結びつけて、前向きで建設的な論争をおこないたいと思います。つまり、自民党政治の流れをだれが変える力をもちうるのか、だれが野党の共同のために誠実な態度をとっているのか、などの角度から、おおいに議論をしたいと思います。
つぎに、反共攻撃への反撃についてです。政策論争というのは、反共攻撃とは違います。わが党は、他党からの政策的論争はおおいに歓迎であります。これには、政策論争をもってこたえたいと思います。反共攻撃というのは、「共産党=悪」という立場から、系統的偏見をもって攻撃することであります。そういう攻撃には的確な反撃をおこないます。
ただ、情勢の進展のなかで、従来型の反共攻撃が単純には通用せず、逆にひんしゅくをかうという状況もあります。最近、兵庫県の福崎町長選挙、滋賀県のびわ町長選挙で、日本共産党員の首長候補が相次いで勝利をかちとりました。この選挙では、相手陣営はもっぱら「日本共産党員だから」という攻撃に終始したわけですが、この攻撃にたいして保守派の人々も含めて「共産党で困ることは何もないじゃないか」という反撃が、どんどんおこなわれた。相手陣営も選挙のあと、「反共宣伝がかえってマイナスになった」とぼやいているそうでありますが、そういう状況に追い込むことができます。
もちろん、軽視しないということはいうまでもありません。反共攻撃を放置するなら、国民の中になお残っているわが党への誤解の残滓(ざんし)に働きかけて、党の躍進を阻む作用を果たすこともあります。四中総後の中間選挙でも、一部で軽視からくる失敗もありました。
この問題では、広い有権者に党の姿を理解してもらうように、泥仕合にならず、品も格もある反撃をおこなう。そして、さっきいったような反共攻撃をめぐる情勢の新しい発展的特徴がありますから、それもよくみて、攻撃する側が恥ずかしくなる、逆に痛手になる、「もうこんなことはやらない方がいい」という声がおこる、そこまで徹底した反撃を、われわれはおこないたいと思います。
政治論戦の中心的なとりくみは、大量政治宣伝です。ポスター、ハンドマイク、宣伝カー、全戸配布、大・中・小の演説会、支部演説会など、とりくむべき中身は明りょうです。きょうみなさんにお配りしてありますが、新しい全戸配布のビラも作製いたしましたので、おおいに積極的な活用をお願いしたいと思います。
衆議院の候補者とともに、四千四百五十人を超える地方議員が、その地方での党の「顔」として、政治論戦で先頭にたって奮闘することも呼びかけたいと思います。
大量宣伝では、無党派層、他党支持層など、これまで党の訴えが届かなかった新しい層に訴えを届かせる意欲的とりくみに挑戦したい。文字通り全有権者規模の宣伝、内容のうえでも広い人々の心をとらえる柔軟で新鮮な創意を尽くしたいと思います。
つぎに、「総選挙をめざす党躍進の大運動」の成果と、それをふまえて選挙戦をどうたたかうのかという問題についてのべます。
まず、「大運動」の到達点をどうみるかということについてです。
「大運動」の結果は、克服すべき点も残されていますが、全体として総選挙で躍進をかちとる政治的・組織的基盤づくりの第一歩となりました。
この運動を通じて、党が質的・量的にどういう成長と発展をとげたか、この中身を確信をもってつかむことが大切です。この間、都道府県委員会から「大運動」の総括の報告を求めましたが、全体として次の四点が確認できると思います。
第一は、「支部が主役」の流れが豊かに広がり、全党に定着したということです。全党的に、八五%の支部が「大運動」の三つの課題のなんらかの実践にふみだしました。「支部のすぐれた経験の交流会」などが全国でとりくまれ、すぐれた経験に学びあうというとりくみが、党のよき作風として定着しつつあります。
第二は、国民の要求をとらえて活動する支部が月ごとに広がり、なんらかの要求にもとづく活動にとりくんだ支部は、全党的に七二%まで広がりました。この国民要求にもとづくとりくみを通じて、支部が政治単位としての自覚を強め、活力を高め、住民の信頼をかちとっています。これは、わが党の党建設の歴史にとっても画期的な出来事であり、今後の党の発展にとって大きな財産になるものであります。
第三に、党勢拡大が新たな前進の端緒をつかみつつあります。私たちは「大運動」で全党的に一万人近い新たな党員を党に迎えましたが、これは九〇年代では、最大規模のとりくみとなりました。すべての読者や支持者を対象に入党を呼びかけるとりくみが全国各地でとりくまれましたが、それによって党員拡大に大きな客観的条件があることが明らかになるとともに、入党の呼びかけの対話を通じて読者や支持者の方々との信頼関係が強まったのも大きな収穫でした。
昨年十月以来三カ月連続で、機関紙の増紙をかちとっていますが、これが毎月増減を差し引いて前進する自覚的支部の拡大に支えられているところが重要であります。また、党員拡大と機関紙拡大が、この三カ月間、全党的に同時並行的に前進を始めています。これは「党員拡大に力を入れると機関紙が減る」という、これまであった惰性を、全党の奮闘と努力で打ち破りつつあるものとして重要であります。
党勢拡大については、「大運動」の前半は停滞、後退傾向を脱せないまま推移しました。昨年十月の全国都道府県委員長会議で、「支部が主役」の活動を総合的にすすめながら党勢拡大の独自追求をはかること、党員拡大を「党建設の根幹」として位置づけること、機関紙拡大では、毎月着実に前進する自覚的支部を多数にすることなどを解明しました。これらをうけて、全党的に前向きの変化が起こりました。これは、今後に教訓として生かす必要があると思います。
第四に、「大運動」を通じて、党の指導と活動のあり方の改善がはかられています。すすんだ支部の経験に学び、全体のものにするとりくみなど、党機関と支部の関係が、一方通行型ではなく、血が通い合う双方向型、循環型のものに成長・脱皮しつつあります。「支部が主役」の活動を助けるために、政治的な指導と援助を何よりも重視すること、機関幹部が支部に入って支部の同志とともに行動にふみだすなど実践的援助が強まったことなども、多くの都道府県から指導内容の改善として報告されていることであります。
「大運動」のとりくみで、これらの貴重な教訓をかちとった全党の同志のみなさんの奮闘に、心からの敬意を申しあげたいと思います。
同時に、これらはどれも端緒的な前進です。都道府県委員会からの報告では、とりくみの問題点も率直に報告されました。私たちはこれを読んで、次の諸点が重要であると考えます。
党員拡大では、この間にない前進が始まったものの、新入党者をむかえた支部は全党的にはまだ二〇%にとどまっています。この分野での条件を到底くみつくしたとはいえない到達点であることを、よくみる必要があります。
機関紙拡大では、十月以来三カ月の連続前進をかちとったとはいえ、まだ前進の勢いは弱いものであり、「大運動」を通算してみますと、十五の県で前進をかちとっていますが、全党的には前半の後退分を取り戻すにはいたっていません。「支部と読者が日常的に結びつく体制」を確立して、配達・集金の改善をはかるという仕事も、部分的には貴重な教訓が生まれているものの、ようやくとりくみに着手されつつあるというところで、粘り強い努力がひきつづき求められています。
支持拡大では、「際限なく後回しにする傾向の克服」という提起をうけて、全党的に五二%の支部がとりくみを開始したとはいえ、求められる水準にてらしますと、全体の規模はまだ大変小さいものであります。先程のべた有権者比得票目標の「大幅な突破」という目標を本気でやろうとするならば、支持拡大についても「選挙戦本番になってから」という惰性をどうしても突破しないと、到底間に合わないということになります。
それから「大運動」の六カ月余を通じて実践に足をふみだしていない支部を、なお一五%残しており、とくに経営支部への指導・援助が全体として弱いなど、この運動を全支部のとりくみにする点で、なお不十分さを残していることもみる必要があります。
これらの諸点は、リアルに総括をし、今後のとりくみで前向きに突破していくということが、強く求められていると思います。
全体として、私たちはこの「大運動」を総括するさい、六カ月余のとりくみを通じて、政権を担いうる党への発展にとって、大変法則的で、きわめて意義深い前進が開始されたということを、全党の確信にし、始まった前進を継続、発展をさせる、これが何よりも大事なことだということを強調したいのであります。
「大運動」で私たちがとりくんだ三課題――要求実現、支持拡大、党員と機関紙拡大という課題は、そのまま総選挙活動の三つの課題です。
いよいよ選挙の年という条件のなかで、全有権者を対象とした大量政治宣伝をおおいに展開することと結びつけて、この総選挙活動の三つの課題を前進させることが、いま追求すべき発展方向です。
その推進のための方針は、党大会決定、四中総決定、昨年十月の全国都道府県委員長会議などですでに明りょうです。「大運動」のとりくみを通じて得た教訓を、今後のとりくみに全面的に生かすことが重要であることも、いうまでもありません。
ここで私たちが、あらためて明確にしておきたいのは、党員と機関紙拡大の目標であります。第二十一回党大会の決定では、九六年の総選挙で七百二十六万票という得票を得たことをふまえて、「『得票の一割の党員、半数の読者』という目標を、遅くとも今世紀中には達成し、二倍の党員、一・五倍の読者をもって来世紀をむかえることを全党によびかける」ことを確認しました。今世紀中とは、今年、二〇〇〇年中ということになります。
これは、壮大な目標ですけれども、この間の党の政治的影響力の劇的な広がりをくみつくす奮闘をおこなえば、また「大運動」のとりくみの教訓を全面的に生かした奮闘をおこなえば、不可能な目標ではありません。現に、「大運動」の半年余の期間で、党員数を倍加した支部が各地に生まれています。それから少なくない都道府県委員会からの報告で、「『大運動』のとりくみを通じて一割の党員、五割の読者への目標が見えてきた」、「この道が開かれつつあると実感している」という報告もありました。そして、次はこの目標に挑戦したいという決意が、少なくない県からの報告でのべられていることも、私たちは大変重要なものとして受けとめました。
総選挙の時期は不確定です。そのなかで党勢拡大の目標としては、「一割、五割」という目標を今年中にやりあげるという構えを全党に確立し、総選挙を党勢拡大の大きな上げ潮のなかでたたかうとともに、総選挙が終わったあとも、この課題にひきつづきとりくみ、やり遂げる。二〇〇〇年という年を、総選挙での躍進をしるす年にするとともに、党勢拡大でも二十一世紀の民主的政権を担う党への特筆すべき大飛躍を記録した年にするために、全力をあげようではありませんか。
選挙戦のなかで党勢拡大を進めることは、新しい開拓が求められる活動であります。「大運動」をふりかえってみましても、率直にいいまして、中間選挙がたたかわれた県、地区では、全体として、選挙で勝ったところでも、党勢拡大の成績がはかばかしくない場合が多いのです。「選挙になると党勢拡大は進まなくても仕方がない」という惰性が、まだ少なからず残されているということを、私たちは直視する必要があります。
この約二十年間の国政選挙にむかう記録を見直してみましても、選挙が間近に近づきますと党勢拡大のとりくみが弱まり、党勢の後退のなかで選挙をたたかうということが続いてきました。この惰性をこんどの選挙では、どうしても突破したいと思います。
その点で、こんどの総選挙における党勢拡大の意義を、正面からとらえることが重要であると思います。もともと四中総で「大運動」を呼びかけたのは、総選挙での躍進をかちとるためには、党の政治的影響力と組織的地歩のギャップを埋めることが不可欠だったからであります。この点では、なお広大なギャップが残されていることを直視しなければなりません。
すでにのべたように有権者比得票目標の大幅な突破をはじめ、われわれが総選挙で実現をめざしている三つの目標は大志ある壮大な目標です。これを本気で達成しようとすれば、党員と機関紙読者の拡大で、上げ潮の勢いを日々増して選挙をたたかうことが不可欠です。党活動を支える根幹、党の固い支持層を太くしてこそ、その周りの支持層の確かな拡大が進み、相手陣営がどんな組織的なしめつけや、政治的逆流や乱気流をおこしてきても、それを突破して党の躍進をかちとる確かな保障となってきます。
選挙が近づくと党勢拡大が弱まるというのは、わが党の歴史的伝統ではありません。わが党が一九六〇年代から七〇年代にかけて国政選挙で躍進をかちとった時期には、選挙にむけて党員と機関紙を大規模に拡大しながら選挙戦にとりくみ、連続的な躍進をかちとった経験をもっています。こうしたとりくみを、新しい情勢のもとで発展的にやりとげようではありませんか。
つぎに経営支部のとりくみについてのべます。かつてない大規模なリストラ、人減らしのあらしが吹きあれるもとで、職場情勢に大きな激変がおこり、日本共産党への関心と期待が強まり、職場でも党活動発展の新たな条件が広がっています。このことを経営支部の共通の認識にして、経営支部の存在と役割に誇りと確信をもつことは、ひきつづき大切であります。
この間、セガ、関西電力、丸子警報器などの労働争議の裁判で、あいついで勝利判決をかちとりました。これらの勝利は、職場にも憲法が適用されること、人権侵害や退職強要など解雇権の濫用(らんよう)は許されないこと、日本共産党員であることを理由にした思想による差別は許されないことなどが、法的・社会的に確認されたものとして、きわめて重要な意義をもつものです。
「大運動」をつうじて、少なくない経営支部で労働者の要求にこたえた三つの観点での運動の発展――一つは、労働者の雇用と権利を守る国政改革の展望を広く明らかにすること、二つは、雇用を守る実際のたたかいを組織すること、三つは、職場の問題だけでなく国政全体に視野を広げたとりくみをおこなうこと、この三つの観点にたったとりくみが発展し、支部活動の新たな境地を切り開いている経営支部がたくさん生まれています。いまの職場情勢の変化に対応した政策活動、要求運動をいっそう発展させる努力をはかりたいと思います。
同時に、ここで私たちが率直に問題提起しておきたいのは、「大運動」での経営支部のとりくみが、個々にはたくさんのすぐれた経験があるものの、全体としてみると居住支部に比べて立ち遅れた状況にあるということです。
一連の指標にそれはあらわれています。たとえば「大運動」でなんらかの実践の道にふみだした支部の率は、居住支部が九二%であるのにたいして、経営支部は七八%です。新しい党員を迎えた支部の率は、居住支部が三五%であるのにたいして、経営支部は六%です。支部会議を定期的に開催している支部の率は、居住支部が七一%であるのにたいして、経営支部は四九%であります。
たしかに、少なくない経営支部が労働苦のもとで、また経営側の不当な圧迫のもとで、困難な条件のもとでたたかっているのは事実ですが、日本社会における労働者階級の役割からいっても、そして経営支部の果たすべき役割からいっても、その「特殊な困難」からくるものとして、これらの立ち遅れた現状に安住するわけにはいかないと思います。
支部会議をきちんと開くこと、学習をかかさずおこなうこと、「政策と計画」をもった自覚的な党活動にとりくむことなど、党生活の基本にきちんととりくむことは、職場の条件に困難があればあるほど、いっそう重要となります。現に困難な活動条件のもとにある経営支部で、そうした党活動の基本を絶対に崩さず、不屈にねばり強く党の影響力を拡大している経験を、私たちは全国にもっています。経営支部の活動を、党生活の基本からしっかりと強め、その活動水準を情勢にふさわしい水準に引き上げることが求められています。
四年前の総選挙では、多くの経営支部が、経営のなかで政治と党を語る活動に元気にのりだし、躍進の原動力となりました。そのときと比べても、経営支部の活動水準は、全体としては大きく前進しています。きたるべき総選挙では、経営支部が四年前のたたかいをさらに大きく上回るとりくみを発展させ、党躍進の原動力としての役割をさらに大きく発揮することを、心からよびかけたいと思うのであります。
つぎに、青年・学生分野のとりくみについてのべます。
この間、四中総決定にもとづいて、青年支部が全国で百六十二支部、組織されました。この新しい組織形態を生かして青年らしい要求活動にふみだし、若い仲間を党に迎えいれている経験もつくられています。しかし、全体としては、実際に青年支部を組織して、今後の手掛かり、手ごたえをつかんだという報告は、少数の県にとどまっており、このとりくみはまさに緒についたばかりであります。
党をあげて、青年・学生党員の拡大をはじめ、若い世代のなかでのとりくみを強めることは、党と革新運動の後継者対策という見地からも、当面する選挙戦での勝利のためにも、きわめて重要であります。
この分野で注目すべきは、民青同盟の活動が新たな前進を開始しているということです。民青同盟は、この三年間、年間四千人前後の新しい同盟員を拡大し、九八年、九九年と同盟員現勢の増加に転じています。昨年の民青同盟の第二十七回全国大会の決定では、「二十一世紀に新しい国づくりをすすめていくためには、あらゆる分野で有能な働き手が必要になります。私たち若い世代こそがその担い手であることはいうまでもありません。日本のすべての青年が『新しい日本』の国づくりにおのおのの立場から参加すること、そのためにも民青同盟の仲間になってともに成長することをよびかけたい」ということをのべています。この呼びかけは、就職難や失業のなかで、身につけた力をどう生かすかを、悩み、模索している若者に、新鮮な共感を広げていると聞きました。
この呼びかけは、学生分野で重要です。わが党が二十一世紀に、日本の民主的改革をすすめていくためには、その改革を推進する知的な担い手が必要です。大学のとりくみで、社会進歩に人生を託そうという、若い人々をたくさん獲得し、その人々が社会のさまざまな分野で専門的知識や技術を生かして、二十一世紀の新しい国づくりに参加していく。こういう大きな展望をもったとりくみを、二十一世紀に政権を担う党としてとりくむことが大切になっています。
青年・学生党員の拡大、青年支部と学生支部への援助、民青同盟への親身な援助を、全党があげてとりくむことを訴えるものであります。
つぎに、総選挙にむけた財政活動についてのべます。その基本は、財政三原則――党費を軸に、機関紙誌代の一〇〇%の集金、有権者に広く依拠した募金活動を、「支部が主役」で強めることにあることは、これまでも強調してきたことです。
昨年のいっせい地方選挙にむけた募金は、史上最高という大衆的ご支援をいただいて、それが選挙戦の重要な勝利の保障になったことについて、あらためて感謝を申し上げたいと思います。
同時に選挙戦を連続してたたかうなかで、党機関の財政が追いついていかない状況があり、常任活動家の給与にしわよせされている状況が一部に生まれていることを重視しなければなりません。この問題の打開策も、「財政三原則」に依拠した活動を、党機関の長が先頭にたち、党機関全体、そして全支部、全党員のものにしていくことにつきます。それは、財政的困難からの脱出に成功した、全国の経験が例外なく証明していることです。
くわえて強調したいのは、積極的財政活動を強化しながら、支出面での改善にもメスを入れる必要があるということです。これは、宣伝活動に消極的になるということでは、決してありません。宣伝物などについても、本当に効果的な宣伝物をつくり、そこには思い切って必要な財政を使うことは当然ですが、効果があがらない支出がないかどうか。浪費とはいいませんが、対費用効果で十分とはいえないものがないかどうか。これを点検することも必要です。選挙に勝利することと、赤字をつくらないことを両立させるよう、特別な努力をはかりたいと思います。
最後に、「支部が主役」で、すべての同志が自覚的に選挙戦に立ち上がる態勢を、すみやかにつくりあげる、ということについてのべます。ここでは、すべての支部が単位後援会をもち、後援会の活動を発展させながら、後援会と力を合わせてたたかう態勢を確立することも大切であります。
そのために、つぎの五つのかなめを重視してとりくみたいと思います。
第一は、すべての支部が、有権者比得票目標の大幅な突破という大目標を明確にし、「大運動」の到達点をふまえ、その教訓を生かして、「政策と計画」を充実させ、総選挙をたたかう自覚的計画を立てるということであります。
第二は、情勢をどうみるのか、党の躍進の可能性をどうつかむかなど、政治情勢への確信を、全支部、全党員のみんなのものにするということであります。われわれは二つの受動主義――「なんとかなる」論と、「自分のところは違う」論を克服することの重要性ということを繰り返しのべてきましたが、そのうえでも、政治認識、情勢認識の一致というのは、大きな土台、大きな前提となります。
第三は、「学びつつたたかう」ことを重視するということです。党大会決定、中央委員会決定、綱領路線と「日本改革論」などを学習し、すべての同志が自分の言葉で、縦横に党を語る力を身につける努力をはかりたいと思います。
新しく入党した同志をあたたかく迎えるとりくみをおこなうとともに、新入党者教育をすみやかにおこない、それぞれの同志のみなさんが初心を生かして新鮮なエネルギーが発揮できるよう援助することは、とりわけ重要であります。
第四は、党員の活動を画一的な枠にはめないということです。党員一人ひとりの成長に心をくばり大切にすることが、なによりも活動態度として重視されなければなりません。党員の活動を、せまい意味での党活動に参加しているかどうかだけで判断しないで、その同志が国民のなかでどういう結びつきをもち、どういう活動をしているかという観点から広くとらえ、あらゆる生きた結びつきに光をあてて、それを党の財産として大切にするということも強調したいと思います。
第五は、週一回の支部会議を、党員の心のかよった、血のかよった連帯と交流の場として必ず開く作風を、全党に定着させる努力をひきつづき強めるということであります。
目前に迫った総選挙は、二十世紀のおそらく最後の国政選挙として、二十一世紀の日本の政治の動向を左右する歴史的なたたかいとなります。
情勢の劇的な展開のなかで、わが党の政策と路線は輝いています。「大運動」をつうじてこの政治対決に勝利する態勢はつくられつつあります。
同志のみなさん、全党がもてるすべての知恵と力をつくして悔いなくたたかい、新たな躍進を必ずつかみとろうではありませんか。以上をもって、報告を終わるものです。
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