1998年9月27日

日本共産党第3回中央委員会総会

不破委員長の中間発言


 これまでの討論にも関連して、いくつかの問題について発言したいと思います。

“二重のとりくみ”を、現在の発展段階に対応する党活動の基本姿勢に

 こんどの中央委員会総会の幹部会報告では、”二重のとりくみ”あるいは”二重の役割”という問題を、新しい位置づけで強調しました。二中総では、政策問題にとりくむ場合の”二重のとりくみ”ということで提起しましたが、現在の発展段階に対応して、そのことを、わが党の活動の全体にかかわる問題として受けとめる必要があるという提起であります。

政権論――綱領路線を生きた現実政治の問題としてつかむ立場で討議を

 政権論の問題も、この点にひじょうに深い関係があります。各同志から、政権論について、全支部に討論をもとめているとか、どんな討論がおこなわれているかなどこもごも報告がありました。この問題で活発な政治討議がおこなわれるのはたいへん歓迎であります。

 もちろん、この討議のなかで一度で理解できないとか、いろいろな議論がでたりするのは、ある意味ではあたりまえのことです。暫定政権の構想というのは、七〇年代にも八〇年代にも提起したことがありますが、だいたい、当時は提起してしばらくたつと、その背景になった情勢が失われてしまうという一過性のものでした。今回は状況がちがいます。われわれの政権論の提起が、いまの政治にかかわる問題として大きな反響をよぶ、そういう現実的な意味をもっている、ここには、報告でも強調した情勢の発展があるわけです。ですから、この討議は、いわば綱領路線を生きた現実政治の問題として、そのただなかでつかむという意味あいをもっているわけです。そういう正面からの全党的な政治討議というのは、今回がいわばはじめてかもしれません。

 それだけに、この討議をおおいに積極的にすすめるということのひじょうに大事な意味があります。その討議を、党中央がどういう政権論をもっているかがわかったらそれでおしまいということにしない、そこにあらわれている党の今日の政治姿勢――現在の情勢と発展段階にふさわしい、政治にたいする党の態度、情勢にたいする態度、有権者にたいする態度をきっちりつかみ、それぞれの機関、支部が身につける、これがひじょうに大事です。

 この問題の討議がそういう性格をもっていることを、おおいに前むきに受けとめ、党が現在たっている位置とそのなかで活動する基本姿勢を全党のものにする。そういう角度で討議にとりくんでほしいと思います。

 報告でも強調されましたが、実際に、わが党をみる国民の目がまさにそこにあるわけです。比例代表では八百二十万票、それから選挙区候補に投じていただいた票をいれれば九百三十万票、こういう支持が参院選でわが党によせられました。まだ投票にはいたらなかったがわが党に期待をよせているという人びとをふくめれば、もっともっと広範な人びとの目と期待があります。それにこたえながら、われわれが活動しているわけだし、その期待に正面からこたえてこそ、党のいっそうの前進も情勢の発展もある。私たちの活動は、そういう地点にきています。

 そのときに、もしわれわれが、めざしている基本的な目標、大目標の宣伝だけにあまんじていたら、これはわが党が一種の宣伝団体になってしまうことです。それからまた、いま大事なこと、目前のことだけがすべてだという態度をとったら、これでは共産党の値うちがなくなります。そういう意味で、大目標をかかげこれを堅持しながら、同時に、いまの情勢に生きた形で党の役割を発揮する。これが、わが党の活動のうえで欠くことのできない二つの面だということが、参議院選挙およびその後の情勢のなかでひじょうにくっきりとあらわれてきた。そのことをつかんでほしいと思います。

自民党の多数崩壊が現実的なときに、国民の期待にどうこたえるか

 政権論をめぐる議論のなかでは、いちばん注目をあびた一つの点は、安保問題でした。党としては「廃棄」の立場で運動をやる、しかし、党が参加する政権としてはこれを「凍結」する。この点がわかりにくいとか、複雑だとかという意見があるわけですが、この複雑さは、わが党が勝手につくりだしたものではありません。現在の情勢のなかにその複雑さの根があるのです。自民党政治の転換をもとめる国民の声は明白に多数になりつつあるが、安保の問題では、安保廃棄をめざす声はまだ多数派になっていない、このことは幹部会報告で分析したとおりですが、そこに、いまの情勢の複雑さがあります。われわれは、安保廃棄の声が多数になる運動をおおいにやりますが、ここには、それだけですませるわけにはゆかない問題があります。

 現実に総選挙があれば、自民党の多数議席の崩壊が、可能性にとどまらず現実になる情勢が現にある。そのときに、自民党政治は支持しないということを表明した国民の意思を現実政治にどう生かすのか、その道筋をわが党がもてないとしたら、そして、われわれが多数派になるまでは”政権問題は他の党がどうぞご自由にあつかってください”という消極的な態度にとどまったとしたら、それでは国民の期待にこたえない、いやそれに背く態度となることは明白です。この問題にたいしてどういう立場をとるかというのが、こんどの問題提起だったのですが、じつは、その問題は、わが党がいまの綱領をつくる第七回大会前後の時期から議論してきたことで、方針としては、党の側に明確な用意のある問題です。そこのところをふまえ、問題の性格と意味をよくつかんでもらうことが、政権論としては大事であります。

 もちろん、この政権論の提起は、いまの時点で、こういうプログラムで政権をつくろうという形で他党に呼びかけるという、いわゆる政権構想の具体的な提唱ではありません。情勢の発展のなかで、わが党は、この問題にたいしてこういう方針、態度でのぞむという政権論の提起であります。それが、政権構想という形で具体的に問題になってくるのは、総選挙のあとになるだろうということを、われわれは以前からいっています。

 そして、暫定政権の問題が現実の問題になるかどうかは、情勢の発展、他党の態度、政党間の力関係など多くの条件によることであって、わが党の方針だけで決まる問題ではありません。しかし、少なくとも、総選挙で自民党が過半数を失ったときには、これがすべての野党に問われる問題になることはまちがいないことです。それにたいして、わが党が、政権問題にこういう考えでのぞむということを早くから堂々としめしているということは、日本の政治にとってひじょうに重要な意味をもつのです。

未来を展望しつつ現在に積極的に働きかける――マルクスの問題意識とも共通の思いが

 この”二重のとりくみ”、”二重の役割”という問題は、ある意味では、われわれの運動の基本問題だといってもよいかもしれません。私はいま、雑誌『経済』に「レーニンと『資本論』」という研究論文を連載していまして、先日、「カール・マルクス」という論文を読んでいましたら、レーニンがマルクスの『共産党宣言』のなかから、ここに「政治闘争の戦術」の「根本命題」があるといってぬきだした一つの文章に出あいました。

 「共産主義者は、労働者階級の直接に目前にある諸目的及び利益の達成のためにたたかうが、彼らは現在の運動において、同時に運動の未来を代表する」。

 この文章は以前からよく読んでいることで、これまではあたりまえのこととして読みすごしてきたわけですが、いまの時期にあらためてこれを読み、そしてレーニンが『共産党宣言』全体のなかから、この文章を「政治闘争の戦術の根本命題」だといってぬきだした意味を考えると、そこには現在の問題意識に共通するものがあるのです。そのことを実感してうなりました。

 時代は確かにちがいます。しかし未来を展望するというだけでなく、現在に積極的に働きかけて、責任をもって未来をひらこうという政党がよってたつ原則というものは、やはり時代をこえた共通性があるということをつよく感じました。

 われわれが議会勢力としても一定の力をもってきた段階で、このことに、過去のどの時代にもまして切実な形でぶつかっているし、いまそういう性質の問題にとりくんでいるのだということを、かさねて、指摘したいと思います。

綱領路線があらためて新鮮な注目をあびる時代に

 二つ目の問題は、そういう新しい発展段階を迎えたなかで、党としては以前から決まっている方針なのだが、あらためて新鮮な注目をあびている、という問題は、いくつもあります。

70年代の政治的経験はおおいに研究する値うちがある

 暫定政権の問題もその一つでしたが、そういう角度からふりかえってみると、七〇年代の政治闘争でのわれわれの経験は、今日、なかなか重要な意味をもっています。党が綱領を確立したのは、六一年でした、しかし、当時はまだ、わが党は議会勢力としてはほんとうに小さい勢力でした。それ以後、衆議院でともかく十をこえる議席を獲得したのは一九六九年でした。つぎの七二年の総選挙では一挙に三十九の議席をえて、野党第二党になりました。つまり六〇年代から七〇年代にかけて、一定の議会勢力をもった党に成長したわけで、そのとき、われわれは、綱領路線をもって現実政治にとりくみ、この路線を具体化するために、さまざまな努力工夫、知恵をつくしたわけです。暫定政権論もその時期にはじめて提唱したことでしたし、また野党共闘のさまざまな問題も、その当時おおいに議論したことです。こうして、綱領路線を現実政治にどう具体化するかについて六〇年代後半から七〇年代にかけて検討した到達点がいろいろありますが、それがいま、情勢の新しい発展のもとで、現実政治とかみあい、ひじょうに意義ある力を発揮する時代になってきています。

天皇制問題――党綱領の立場を整理して正確につかむ

 その一つに、最近話題になった、天皇制の問題があります。そのいきさつを話しますと、日本記者クラブのあつまりで話をしたあと、だされた質問の一つに、暫定政権で天皇制をどうするかという話があったので、それは別に問題がないという答えをしました。それが大きなニュースになったので、私のほうもびっくりしたわけですが、ニュースになってみると、この問題にかんするわが党の立場が正確に理解されていないということを、いろいろ感じました。

 たとえば、ある人から、私は日本共産党を「天皇制打倒」の一点で支持してきたのに、というはがきをいただきました。じつは、わが党はいま「天皇制打倒」という方針はもっていないのです。これは戦前、絶対主義的天皇制の時代の党の戦略方針であって、戦後、新しい憲法ができ、またいまの綱領を決めて以後は、わが党には「天皇制打倒」という方針はないのです。いまの政治体制では、天皇制は権力の実権者ではありませんから。

 綱領は、「君主制の廃止」という目標をもっていますがそれは、日本の政治制度の民主的改革の一つとしての目標です。しかも、それは憲法にかかわることですから、日本の国民の意思と世論が成熟し、憲法問題として解決できる条件がととのった段階に、日程にのぼってくる問題として、綱領もあつかっています。だから、当面の要求課題をかかげた行動綱領には、君主制の廃止という問題はでていないのです。

 天皇の問題で、われわれの現在の政治行動の基準は、憲法の関係条項を厳格にまもることです。

 この問題でも七〇年代には、重要な経験があります。一九七二年の十二月の選挙でわが党は野党第二党になり、その翌年一月に、わが党の国会議員団が、衆議院の議長あてに、いまの開会式のやり方を憲法にそってあらためようじゃないかという提案をおこなったのです。それでいま読んでみると、そのときの議論はなかなかおもしろい議論です。いまはそれから二十五年たっていますから、国会のなかでも決まりきったことになって、日本共産党が開会式にでないのは天皇制が嫌いだからだろうという程度のことですんでいるわけですが、そのときに衆議院議長にだした文書では、この問題をどの立場から提起するのか、ということをきちんと説明しています。わが党は君主制に反対しているが、その立場を国会におしつけるためにこの問題を提起しているのではない、日本の憲法の民主条項の完全実施という建前からいって、憲法で「国権の最高機関」とされている国会が、戦前なみに、何か国会のうえにたつ存在があって、そこから「お言葉」をたまわるという関係は、憲法とは両立しない、これは国権の最高機関としてあらためようという提起だ、ということで、われわれの問題提起が憲法の条項をまもる立場からのものだといことを明確にしていました。

 この要請はそのときは入れられませんでしたが、一定の影響はもちました。それまでの開会式では、天皇は国政にかかわる問題でも平気で発言していました。アメリカと平和条約をむすべば、それをほめる「お言葉」がある、また自民党政府が「高度経済成長」で公害をまきちらしていても、いま政治は立派にすすんでいると「お言葉」がある、まさに国政にかかわる評価がなんの歯止めもなしにでてくる場でした。わが党が問題を提起して以後、この内容はかなりあらためられました。

 その年の十一月に第十二回党大会があり、そこでは「民主連合政府の綱領提案」を決定しました。そのとき、民主連合政府と天皇制の関係はどうなるのかということが、マスコミでもたいへん注目されたのですが、そのとき、私たちが大会に提案し、決定した「政府綱領提案」では、民主連合政府は憲法の平和・民主条項の完全実施の立場にたつこと、天皇についても、自民党政府がかってにやってきた憲法からの逸脱を正し、国政関与を禁止した憲法第四条、国事行為の範囲を規定した第七条を厳格にまもる立場をとることをあきらかにしました。

 このようにわが党がいまの段階で、天皇の問題について、憲法の関係条項をきちんとまもる立場から対処するということは、一九七三年わが党が国会の運営に発言権をもった最初のときですが、そのときからすでに明確にしめしてきたことですし、この立場は今日まで一貫しています。

 われわれも国会質問でも天皇の問題をとりあげることがあります。たとえば、ペルーの大使館人質事件があったときはじめて知ったのですが、外国にある日本の大使館は、天皇の誕生日をナショナル・デーとして、最大規模のレセプションをやることになっています。調べてみるとこれは戦前から引き継がれたものでした。私は国会でこの問題をとりあげて質問したのですが、そのときの批判も、「天皇が神聖不可侵の絶対君主とされた時代にきめられた行事が、主権者は国民であると明白に宣言された現憲法下の日本で無批判に引き継がれている」ことを問題点として指摘し、これを再検討せよというものでした。

 このようにこの問題でのわが党の綱領上、政治活動上の立場は明確ですが、これまであまり整理して発言する機会がありませんでしたので、ここでのべておきたいと思います。

国民との関係の特徴をふまえて党活動の方向を探究することが大切

 三つ目の問題は、現在の党活動の問題です。最初の問題提起にもかかわるのですが、今日の激動のなか、それこそ情勢は日々に発展します。そのなかで私たちが活動する場合、国民との関係の現段階の特徴をよくつかんでそれに対応し、前向きの発展に役立つ活動方向をふだんに探究することが大切です。この前の選挙シンポジウムでも、二中総の選挙闘争方針が力をもったということを各地方からいわれましたが、それも、この条件にかなっていたから力が発揮できたのです。

 情勢にあった方針をつくるうえで、われわれが留意している一つの点をいいますと、私たちは、二中総の場合でも三中総の場合でも、中央委員会総会のときにみなさんにあつまっていただき、常幹、幹部会が研究していることをそこで発表し、議論してもらうというだけのやり方はとってきませんでした。

 二中総の場合には十一月に県委員長・書記長の会議をやり、ことし二月には、県委員長と選対責任者の会議をやりまして、中央から問題提起もする、みなさんからもそれを受けとめての議論をする、そういう会議をへて二中総の準備をしました。こんどの三中総にあたっても、党としてはじめての試みでしたが、九月に選挙のシンポジウム――、各地方の選挙闘争の経験を思いきりぶつけあう会議を、二日間にわたってひらき、全国の選挙戦の経験で二中総の方針を吟味し、新しい問題がどこにあったかを探究するということをやりました。そういう形で、幹部会が中央委員会総会に提案している方針は、全党的な経験と知恵の相互交流の結実という意味ももっていることに、あらためてみなさんの注意をひいておきたいと思います。

 そういう意味もふくめて、党活動についていくつかの問題を提起したいと思います。

“二重のとりくみ”を、どのように支部に具体化するか

 その一つは、”二重のとりくみ””二重の役割”という問題を支部で具体化するとどうなるかという問題です。みなさんの討議のなかでもこの問題はいろいろだされました。「しんぶん赤旗」の学習・党活動版にもいろいろな経験がでています。最近目をひいた記事のなかに、九月十七日付の学習・党活動版にでていた京都の与謝地区の経験があります。「政権を担いうる支部とはいかにあるべきか」ということを、地区内の全支部で議論しています。伊根町では、居住支部が三つあるとのことですが、「町内のすべての小学校区に議員をもち、議会招集権をもった議員団を実現する」というのが政治目標で、いま住民要求である「国保税引き下げ」の署名運動にとりくんで有権者の三六%の署名をあつめ、過半数をめざして奮闘中だと、書かれていました。また、岩滝町では、いっせい地方選挙での議席増をめざしつつ、消費税を三%に引き下げる署名運動にとりくんでいるとありました。簡単な報告ですが、ここには”二重のとりくみ”をどう具体化するかという点でのたいへん大事な点がでていると思います。

 大きく将来を展望しながら、いまの状況のなかで国民の利益にたって積極的に対応するというのがわれわれの方針で、それを支部に生かした場合、いろいろなことがあるけれども一つは、その支部が責任をおっている地域や職場の大衆の要求にこたえ、その分野で日本共産党の存在意義を、支部の活動としてどう発揮するか、ここにひじょうに大事な点があります。

 また、大きな目標としては、その地域、職場、学園で、党がどれだけ大きな政治力になるか、政権を担ってこれをささえられるだけの力をどうやってひろげるか、党の立場、主張、路線にたいする住民、労働者、学生の支持と共感をどうやってひろげるか、それが選挙にもあらわれるわけですが、この記事が、支部活動の二つの面をきちんとあげていたのは大事な点だと思います。

地域、職場、学園で要求実現に力を発揮しつつ、多数者になる目標をめざす

 まず、当面のことでいえば、その地域、職場、学園の大衆の利益をまもる点で、日本共産党の存在意義を支部として発揮するという問題です。一般のマスコミでもいろいろとらえていますが、いまの日本では、大衆の要求が日本列島中に無数にあげられています。全国民的な要求もあります。階層的な要求もあります。地域的な要求もあります。そういう中で、わが党の”草の根”の力がいかに発揮されるか、これはほんとうに大問題で、そこにしっかり目をむけることが大事です。

 幹部会報告では、民青の活動の問題で、青年が現実に運動を起こしているところへどんどん参加して役割をはたすという問題を提起しました。これは民青だけの問題ではありません。これだけ要求が渦巻いている日本で、党が先頭にたって新しい運動を起こすことも大事だし、現実に発展している運動の中にどんどん参加してこの力を発揮することも大事です。

 党機関が支部をみるという場合にも、その面から支部の活動をみることがたいへん重要です。その第一歩をひらく意味もふくめて、二万数千の全国の支部に、党中央としてアンケートをだして、いまどんな問題をとりあげているかとか、活動の状況を調べることもやってみようかと考えているところです。

 つぎに、地域、職場、学園で多数者になるという目標をめざす。きょうも来年の選挙戦の目標などいろんな意欲ある活動の目標がだされましたが、支部の段階で、長期の視野をもった意欲的な目標にとりくみ、そして党の影響力、党への共感と支持をおおいにひろげていく活動です。この両面から、”二重のとりくみ”を支部で具体化することを提起したいと思います。

選挙のとりくみについて

 二つ目は、選挙のとりくみについてです。いまの時期は、解散・総選挙を要求している党として、当然総選挙の準備がありますが、とくにいっせい地方選挙で、わが党の躍進が現実になっている時期に、どういう政治目標を設定するかということは、なかなか政治判断のいる大事な問題です。

 得票目標についていえば、われわれは有権者比の目標をもっていますし、いくら高い目標をもってもそれが不都合になるということはありえません。しかし議席獲得の目標については、これは単純に「多ければ多いほどいい」ということでは、すまないのです。なかなか党の前進がむずかしい時期には、その心配がなかったのですが、党の躍進が現実になりますと、「過大な目標」ということがありうるのです。われわれは、過大な目標をたてて共倒れで失敗したということを、七〇年代の躍進の最後の時期、七五年いっせい地方選挙では、現実にかなりの規模で経験した記憶があります。そういうときには、議席の面では、「確実な前

進」ということを重要な方針とすべきで、共倒れをみずから引き起こすということは、いちばんいましめるべきです。

 そういう点で、今日のような時期の選挙戦では、議席の政治目標をどうたてるかというところにひじょうに大事な問題があります。そして議席増の目標を決めた以上は、報告でのべたように、どんなことがあってもそれをやりぬくだけのとりくみを当然すべきで、そういう態度ですすんでほしいと思います。

 つぎの問題は、二中総で提起した「自共対決の組織戦」という問題です。この方針は、いまでもひじょうに重要なことです。二中総では、自民党が「従来の集票機構」を総動員し、それで自民党ならではの組織力を発揮しようと構えている、わが党が、”草の根”の力をもつ党として、それにうちかつだけの組織力を発揮する必要がある、その大事なかなめとして、「支部が主役」という問題と、それから「一人ひとりの党員の活動とその成長」に目を配りながら、すべての党員が活動するという状況をめざすこと、この二つに眼目をおいた提起をおこないました。

 選挙のあと、自民党が参議院選挙の総括会議をずっとやっているそうですが、そこからきこえてきていることをいいますと、「従来の集票機構」だけではダメだ、共産党にやられたのは、共産党の”草の根”の力だ、あのやり方を輸入しなければダメだということが議論になっているということを、ある機会にききました。自民党のほうも、「自共対決下の組織戦」にそれなりに用意して、「従来の集票機構」も動員するが、可能な範囲では新しい手だても講じて、その組織力を発揮しようと必死になっています。

 ”草の根の力”の発揮をするという点では、わが党はずばぬけた条件をもっているのですから、この活動を参議院選挙という一つの選挙戦で終わりにしないで、さらに日常的に発展させて、つぎの選挙戦ではその力を、参議院選挙での二倍三倍の威力をもって発揮できるよう努力をする必要があります。二中総から参議院選挙まではあまり時間がありませんでしたから、十分みがききれなかったところもあるでしょう。そこをよくみがきあげ、二万数千の支部と、三十数万の党員、多くの支持者を直接もっているわが党として、その力を全面的に発揮できるたたかいをあらゆる分野でやれるように、この問題にもいっそう力をあげてほしいということを、三つ目の問題として提起したいと思います。以上で発言を終わります。(拍手


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