報告する志位委員長 |
八月二十九、三十の両日に開かれた日本共産党全国地方議員代表者会議の第一日、志位和夫委員長がおこなった報告は次の通りです。
みなさんおはようございます。(「おはようございます」の声)
全国から参加された同志のみなさん、CS通信をご覧の全国のみなさんに、心からのごあいさつを申し上げます。
この会議は七カ月後にせまったいっせい地方選挙、きたるべき総選挙での党の躍進をかちとるために、全国の地方議員のみなさんの活動の交流と強化をはかることを、目的として開きました。
地方議員が集う大きな集会は、一九九八年四月の全国地方議員会議いらいのものでありますが、四年前には全国で約4000人だった地方議員数は、現在約4400人まで前進しました。全国の自治体の数は、都道府県から市区町村まであわせて約3300ですが、今回の会議は、わが党が議席をもつ2300余のすべての自治体からの代表を参加対象とした壮大な会議となりました。
今回の会議を開いた眼目がどこにあるかについてまずのべます。
一つは、いま国政でも、地方政治でも、自民党の反動支配の深刻なゆきづまりがすすみ、わが党の奮闘いかんでは党の躍進をかちとる新しい条件、可能性が広がっている――この情勢の激動、情勢の面白さを攻勢的につかみ、躍進をめざす活動におおいにうってでるようにすることです。
いま一つは、党議員団の活動を、質量ともに、情勢にふさわしい水準にいっそう高めるということです。会議の準備として、全国の地方議員のみなさんに、議員活動に関するアンケートをお願いしました。そのすべてを読みましたが、住民の福祉と利益のために日夜献身的に奮闘するみなさんの姿がひしひしとつたわってくるものでした。同時に、そこには、政策問題での悩み、議員活動の困難などが、率直にのべられていました。この報告では、そのすべてについて、ただちに答えが出せるということにはなりませんが、アンケートにしめされた地方議員のみなさんの声を正面から受け止めて、それにこたえるという立場でおこないたいと思います。
この会議と同時並行で、不破議長の中国訪問がおこなわれています。昨日は江沢民総書記との会談がおこなわれて、イラクへの軍事攻撃に反対すること、核兵器廃絶にとりくむことで、日中両共産党の意見が一致したという重要なニュースも伝わってまいりました(拍手)。不破議長が、中国共産党組織部幹部との会談で、わが党の4400人の地方議員の草の根の力を紹介すると、先方が感嘆して聞くという場面もあったとのことでした。不破議長から昨日私に電話で、訪中が重要な成果をおさめつつあること、参加者のみなさんに、心からのあいさつを伝えてほしいとの連絡があったことを、報告しておきたいと思います。(拍手)
みなさん、中央と地方が、ともに知恵を結集し、心を通わせて、この会議をわが党の新たな上げ潮にむかう歴史的会議として成功させるために、力をつくそうではありませんか。(拍手)
まず国政の激動と党の任務について報告します。
四中総の報告では、この間、小泉内閣の支持率急落という政治の新たな激動的局面が開かれたこと、腐敗政治でも、経済でも、外交でも、「自民党が、政権党としての統治能力を喪失しつつある」ことをのべました。その後の情勢の展開は、この指摘を、あざやかに裏付けるものとなっています。
自民党政治の古い枠組みは、あらゆるところでゆきづまり、矛盾をさらけだし、もはや新しい世紀には通用しないことが、いよいよ明りょうとなっています。
まず経済でのかじ取り不能です。そのことは、小泉内閣が編成しようとしている来年度予算案の方針にも、はっきりあらわれています。それは端的にいいまして、「国民大収奪、大企業バラマキ」を特徴としたものです。
小泉内閣がはじめて組んだ今年度――二〇〇二年度の予算では、当初予算では公共事業費を10%削減するとか、国債発行を30兆円以内におさえるとか、「痛みをひとしくわかちあうのだから、国民も我慢してほしい」という建前のものでした。しかし来年度――二〇〇三年度予算案は、「痛み」は国民生活に集中し、大企業むけには財政の新たなバラマキをはじめるという、「小泉改革」の本性がむき出しの形であらわれるものとなっています。
いま強行されようとしている「国民大収奪」は、まさに空前の規模のものです。
すでに明らかにしてきたように、今年から来年にかけて、社会保障のすべての分野で、3兆2400億円という史上最悪の負担増が、国民に押しつけられる危険があります。
――医療保険では、前国会で強行された医療大改悪の法案によって、高齢者とサラリーマンの自己負担の引き上げ、保険料の引き上げなど、1兆5100億円の負担増が押しつけられようとしています。わけても深刻なのは、窓口負担増が、受診抑制をひどくして、国民的規模での健康悪化がすすむことです。
この問題でのわが党の追及にたいする坂口厚生労働大臣の答弁は、「ちょっとのどが痛いとか熱がある人は受診を控えるかもしれないが、大勢に影響ない」という冷酷かつ無責任なものでした。「ちょっとのどが痛いとか熱がある」程度では医者にくるな、といわんばかりの態度ではありませんか。国民全体の命に責任をおうべき大臣のいう言葉ではありません。
――介護保険では、来年度は三年に一度の保険料見直しの年となります。昨日明らかになった厚生労働省の調べでも、高齢者の平均保険料は、月額2911円から3241円に、約11%の引き上げとなり、総額で2100億円の負担増であります。いまでさえ、高すぎる保険料・利用料によって、制度から排除される人が大問題になっているときに、これに拍車をかける深刻な事態をひきおこすものです。
――年金保険では、二〇〇〇年度から凍結されてきた物価スライドを解除して、物価下落を理由にした切り下げがおこなわれようとしています。切り下げ幅は、厚生労働省は二〇〇二年度分の0・6%を主張し、財務省は一九九九年度から二〇〇二年度分をまとめて2・3%と主張し、今後の検討課題とされていますが、財務省の方針ならば9200億円もの年金給付が減ることになります。
これまでも年金の給付カットはおこなわれてきましたが、それは今後新たに年金給付をうける年齢層のカットでした。今度の給付カットは、現に給付をうけている約3000万人の年金を、戦後の歴史ではじめて切り下げるというもので、その打撃は、経済的にも、心理的にも、はかりしれないものがあります。最近の一般新聞の投書欄をみましても、「年金がすべて 削減は切ない」(朝日)、「とうとうそこまでやるのかという、小泉内閣への不信と怒りが猛然と込み上げてきた」(東京)など、痛切な怒りの声が寄せられています。
――雇用保険では、現在、賃金の1・2%の保険料を、十月から1・4%、来年度には1・6%に引き上げる計画で、負担増は6000億円にのぼります。来年度は給付日数や給付金額の面での切り下げも計画され、それをくわえれば、影響はさらに深刻になります。政府主導で、リストラや中小企業つぶしをすすめ、失業者をふやしておいて、保険が赤字だからといって負担増をしいる。もともと欧州にくらべても著しく貧困な雇用保険を、さらに劣悪なものとする。ここには、何の道理もありません。
社会保障は何のためにあるのか、いまその根本が問われています。病気、老齢、失業など、国民が困難にぶつかった時に、国民の命と暮らしの支えとなるのが社会保障ではないでしょうか。ところが、多くの国民が長い不況でぎりぎりの苦しい生活をしいられている時に、社会保障が国民に襲いかかろうとしている。みなさん、それぞれの分野でのたたかいを合流させ、この暴挙を許さないために力をつくそうではありませんか。(拍手)
今回の負担増が深刻なのは、国民から巨額の所得を奪う政策とセットで、これが強行されつつあることです。
小泉内閣は「構造改革」のかけ声で、大企業のリストラを応援し、中小企業つぶしをすすめ、雇用破壊、賃金破壊をすすめてきました。その結果、二〇〇一年度をみますと、雇用者所得の総額は、年間4・1兆円減と戦後最悪の落ち込みをしめしています。
さらに人事院は、今年度の公務員給与を年収で2・3%減らす、総額で7000億円の賃下げの「勧告」を出しました。「官民格差を是正する」というのが名目ですが、政府が民間の賃下げをあおっておいて、「格差」ができたからといって、公務員の賃下げということになれば、こんどは民間のいっそうの賃下げをまねく。さらに「公務員も賃下げにふみきったのだから年金も」と、年金の切り下げもまねく。公務員も、民間も、年金も、政府主導で所得引き下げ競争の悪循環をつくりだそうというものにほかなりません。
深刻な不況のもとで、巨額の所得を奪う政策をつづけながら、巨額の負担増でおいうちをかける――この「国民大収奪」の政策がもたらす家計と経済への破壊的な影響ははかりしれないものがあります。
マスコミからも危ぐの声があげられています。日本経済新聞は、3・2兆円の社会保障負担増を告発したわが党の党首討論を紹介して、「景気の悪化が続く中での社会保障分野の切り込みは、国民から総スカンを食う可能性がある。『痛みを伴う改革』の名のもとに負担増路線を突き進む首相の姿を、かつての橋本首相に重ねる向きは、野党側だけでなく与党内にも多い」とのべました。
橋本内閣が、一九九七年に強行した消費税値上げをはじめとする9兆円の負担増は、ようやく回復をはじめていた景気を奈落の底につきおとしました。その時と比べても、経済と所得が縮小しつつあるもとでの「国民大収奪」政策は、自殺的ともいえる無謀で愚かなものであり、「橋本不況」以上の大失政になることを、強く警告しなければなりません。
この問題を国会でわが党が追及しますと、首相の答弁は、いつも決まっておりまして、「負担増がいやなら増税か」というのです。首相の答弁の特徴というのは、証明がない、論理もない(笑い)。文字の数でいいますと、だいたい十数文字ぐらいのスローガン(笑い)をくりかえし叫ぶのが特徴です。有事法制のことを聞くと、「備えあれば憂いなし」(笑い)。こうこたえる。負担増の問題でも、「またそれか」という決まり文句をくりかえしているわけですが、政府は、「国民大収奪」の政治を押しつけながら、大企業やゼネコンむけには新たなバラマキ政治を露骨にはじめているではありませんか。
一つは、2兆円という規模での大企業むけの減税です。その内容が、法人税の税率引き下げになるか、政策減税になるかは、現時点ではさだかではありませんが、大企業が潤う減税であることはまちがいありません。
政府は、「民間需要の拡大」のための減税だといいますが、一方で、民間需要の中心の家計消費を破壊する「国民大収奪」をすすめているわけで、まったくの支離滅裂な経済政策です。民間の設備投資の拡大にしても、社会全体の需要が活発になってこそおきます。社会全体の需要をさらに落ち込ませる政策をとりながら、大企業減税をやっても、民間の設備投資にお金はまわらず、リストラをすすめる費用に使われるだけとなります。
しかもその財源は、庶民増税です。政府の方針は、「税収中立」というものです。つまり大企業に減税した同じ分を、増税で埋め合わせるというものです。その増税の中身は、所得税の控除見直しによる庶民増税や、法人事業税への外形標準課税導入による中小企業増税、さらには消費税の引き上げとなってきます。こんな暮らしと経済を破壊する増税が後に控えていて、どうして需要の中心である家計消費が活発になるでしょうか。
いま一つは、公共事業のバラマキが大手をふって復活していることです。今年度予算――二〇〇二年度予算では、当初予算案では、国の公共事業費は10%減――1兆円削減となりました。しかし、なんのことはない、同じ日に決めた二〇〇一年度第二次補正予算案で2・5兆円の公共事業積みましとなり、それをあわせれば結局増額でした。
来年度予算では、当初予算案の段階から、公共事業費の削減はわずか3%と建設資材などの価格下落分程度の削減にとどまり、予算案作成の基本方針には「事業量の確保に努める」とわざわざ明記し、浪費にはメスをいれないという宣言をおこないました。
国民からは大収奪、大企業にはバラマキ――これは国民に耐え難い痛みを押しつけるだけでなく、経済政策としても逆立ちそのものではないでしょうか(拍手)。国民に十年余の長期不況で苦難をしいておいて、こんな政策しか出せないところに、自民党政治の救いがたい経済へのかじ取り不能ぶりがしめされています。
この転換を強くもとめようではありませんか。大企業へのバラマキの金があるなら、まず社会保障への国の責任を果たせ。公共事業や軍事費の浪費にこそ本格的なメスをいれ、暮らしと社会保障に手あつい財政にきりかえよ。みなさん、このたたかいを全国で広げようではありませんか。(拍手)
つぎに外交と安保について報告します。四中総の報告では、米国のブッシュ政権がすすめている、“覇権主義の暴走”ともいうべき危険な世界戦略にきびしい批判をおこないましたが、その後の情勢の展開のなかで、これはいよいよ重大な意味をもつものとなっています。
米国の国防総省は、八月十五日に二〇〇二年の「国防報告」を公表しました。ここには、昨年十月の「四年ごとの国防政策見直し」(QDR)、今年一月の「核態勢の見直し」(NPR)、ブッシュ大統領による「悪の枢軸」発言など、この間の一連の危険きわまる世界戦略の「集大成」ともいうべき重大な内容がもられています。
――一つは、先制攻撃の戦略です。「国防報告」では、「米国を守るには『予防』、場合によっては『先制』が必要である。最良の防衛は適切な攻撃である」とのべています。これは先制攻撃を中心とする先制行動戦略への転換を、初めて米国政府の公式の方針として確認したものとしてきわめて重大であります。
――二つは、核兵器の一方的な使用を、選択肢とすることを公然と方針としたことであります。「国防報告」は、「米国は事前に特定の(攻撃手段使用の)方法を除外すべきではない。米国は用い得るあらゆる手段を講じて相手を打倒する」とのべています。「あらゆる手段」のなかに核兵器がふくまれていることは、明りょうです。
――三つは、米国に敵対する国家にたいしては、その国家を転覆し、政権を取り換えること、あるいは外国領土を占領することを、公然とのべていることです。「国防報告」では、「敵性国家の体制を変えること、あるいは米国の戦略目標が達成されるまで外国領土を占領すること」をふくむ新戦略の策定の必要性をのべています。
この方針が、国連憲章にしるされた世界の平和秩序――個々の加盟国の武力行使は侵略が発生したさいの自衛反撃に限られる、他国の内政に介入してはならない――などを全面的にくつがえす無法を世界にもちこむものであることは、論をまちません。
米国・ブッシュ政権が、この方針の最初の発動対象としようとしているのが、イラクです。米国の新聞には、イラク攻撃の作戦計画があふれ、もはや「するかどうか」でなく、「いつ」「どのように」が焦点であるといわれるほど、事態は切迫しています。しかし、先制攻撃を自明の前提とし、イラクのフセイン政権の転覆を目的とする計画が、ひとかけらの道理も根拠もない、国連憲章をくつがえす無法そのものであることは明らかです。
かりにも対イラク戦争ということになれば、どうなるか。東京新聞が、この八月、「イラク攻撃を考える 終戦の夏に」という連載で、「何が起きるのか? 浮上する核の悪夢」と題するつぎのような記事を書きました。
「ブッシュ政権の狙いは、戦国時代さながら、敵将サダム・フセイン大統領の首。米紙によると、空爆、地上戦を含め、一説に最大二十五万兵力を投入するとされる作戦でも、首都バグダッドをまず陥落させる案が検討されている。他方、イラク軍も主力部隊をバグダッド市内に集中して配置する計画とされる。つまり、部隊は五百万市民にまぎれて米軍を迎え撃つことになる。
また、かなりの確率でイスラエルにも戦火は飛び火する。公式に認めてはいないが核保有国であるイスラエルの、有力紙ハーレツに十五日、恐ろしい記事が載った。『攻撃されれば、イラクに核で反撃も』。……大量破壊兵器を破壊するはずの戦争が、逆に、その使用という厄災に世界を押しやりかねない」
この戦争が、いったいどれだけの人々の犠牲を出すか。中東全体を巻き込む核兵器をもとびかう大戦争をもたらすのではないか。その危険ははかりしれません。
私は、米国の“覇権主義の暴走”をくいとめ、イラクへの戦争計画を中止させ、国連憲章にもとづく世界の平和秩序をうちたてることは、全世界の平和を願う諸国、勢力、人々の共通の重大な課題になっていることを、いま声を大にして強調したいのであります。(拍手)
同時に、二十一世紀の世界は、やすやすと米国の覇権主義の戦略のいいなりになる世界ではありません。アメリカの“覇権主義の暴走”、とくにイラク攻撃の計画にたいして、世界からごうごうたる批判の声がわきおこりつつあります。
同盟国である欧州諸国からも、イラク攻撃への強い批判の声が広がっています。ドイツのシュレーダー首相は、イラク攻撃を、「欧州の協力、国連をつうじてなど、あらゆる手だてを講じて防ぐ」と言明しました。フランス、イタリアも、イラク攻撃に反対を表明しました。イギリスのブレア首相は「理解」をしめしていますが、英国議会では賛否が真っ二つに分かれています。英国民に強い影響力をもつ国教会は「違法で道徳に反する」と反対を表明しました。
アジア、アフリカ、そして中東諸国からも激しい批判の声が広がりつつあります。イラクの周辺諸国となるヨルダン、トルコ、サウジアラビア、クウェート、エジプト、イラン政府なども、相次いで反対の意思を表明しました。
ガリ前国連事務総長は、「しんぶん赤旗」のインタビューで、「イラクに戦争を仕掛けるのは、国際的に認められるものではありません。…(米国の一国行動主義は)国際社会にとってきわめて危険」と、きびしく批判しました。
中国の江沢民総書記が昨日の不破議長との会談でイラク攻撃反対を表明したのは、冒頭にのべたとおりであります。
八月に広島、長崎で開かれた原水爆禁止世界大会は、諸国民の運動の共同だけでなく、非核の政府との協力の場としても大きな成功をおさめましたが、ここでも核兵器廃絶への強い意思とともに、米国の覇権主義の無法を許さないことが共通の合意となりました。
広島、長崎市長が発した「平和宣言」でも、米国の核戦略への批判が公然とのべられました。長崎市長の「平和宣言」は、アメリカが「核による先制攻撃などの可能性を表明してい」ることを、「核兵器廃絶への努力に逆行」するものとし、「一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません」ときっぱりのべ、内外に大きな感銘と反響をよびおこしました。
これが、世界の本流です。それはわが党の確固とした立場でもあります。新しい世紀が無法の横行する世紀ではなく、希望ある平和の世紀となりうる根拠は十分にあります。(拍手)
こうした世界の本流にてらしてみると、小泉政権のとっている立場――米国の先制攻撃戦略にたいしても、核兵器の一方的使用戦略にたいしても国会で追及しますと、「米国の選択肢として理解する」と公言してしまう。イラク攻撃に「ノー」といえない。この首相の立場が、どんなに異常な逆流か。どんなに未来がない立場か。あまりにも明りょうであります。そして、こういう政権に有事法制をあたえることが、どんなに危険かも、いよいよ明りょうであります。(拍手)
わが党が国会論戦で明らかにしてきたように、有事三法案の本質は、米国の海外での介入戦争に、日本が文字どおりの武力行使をもって参戦し、日本国民を強制動員するところにあります。
その米国のおこなう戦争とは、「国防報告」でもイラク攻撃計画でも、その恐るべき全ぼうが明らかになりつつあるように、国際法を踏み破った、先制攻撃、内政介入、核攻撃の戦争です。有事法制の危険性はますます深刻であります。
前の通常国会で、有事三法案を強行しようとした政府・与党の野望をくいとめることができたのは、国民のたたかいの大きな成果です。しかし、この法案が、米国の覇権主義の戦略と結びつき、米国からの強い要求ですすめられたものであるだけに、政府・与党は執念を燃やして秋には強行をはかろうという構えを強めていることを、いま正面から直視しなければなりません。
政府・与党は、通常国会での失敗の「教訓」もふまえて、さまざまな小細工もろうそうとしています。有事法制発動のさいの「国民保護法制」なるものをつくることで、国民の批判をかわそうという動きもあります。しかし、政府がつくろうとしている「国民保護法制」では、国民の避難や誘導などを名目に、国民への業務従事命令、物資保管命令、土地使用などを強権的にすすめ、従わない国民には罰則規定も明記するなど、ここでも人権や自由を踏みつけにするものであることが、早くも明らかになっています。それは「国民保護」に名をかりた国民の戦争への強制動員の具体化の一部にほかなりません。
この秋から来年にかけて、イラクへの無法な戦争を許さないたたかいでも、有事法制を葬り去るたたかいでも、平和をまもるたたかいは、新たな正念場をむかえます。八十年の歴史でためされた不屈の平和の党――日本共産党の真価を発揮し、平和のための共同を広げ、歴史の逆流を打ち破るために全力をあげようではありませんか。(拍手)
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つぎに地方政治をめぐる政治対決について報告します。
一九八〇年代、九〇年代をつうじて、全国の多くの自治体では、自民党と「オール与党」によって、国政と同じ「逆立ち」した政治――巨大開発に巨額の税金を投入しながら、住民の暮らしをまもるという自治体の本来の役割を放棄する政治が押しつけられてきました。
その政治が、この数年いよいよゆきづまり、地方政治をめぐって、つぎのような新しい特徴が生まれていることを、いま、しっかりつかむことが重要です。
――一方では、自民党政治による自治体への反動支配による害悪が、ますます深刻となり、「自治体が自治体でなくなる」というべき変質がすすみ、さまざまな矛盾が噴き出していることであります。
――他方では、そのなかで、ほんらいの自治体のあり方をとりもどそうという、新しい希望ある変化が、全国各地で生まれつつあるということです。そうした新しい変化をとらえた、活動の新しい発展がもとめられているということを、私は強調したいと思うのであります。
まず自民党政治による地方自治体への反動支配がどこまできたか。
地方自治法(第一条の二)に明記してある通り、「住民の福祉の増進を図ること」にこそ、自治体の存在意義があります。しかし、自民党と「オール与党」の支配する自治体の多くでは、「自治体が自治体でなくなる」というべき変質が、いよいよ深刻になっています。
その第一は、福祉と暮らしへの責任放棄です。この数年、一九九七年十一月に出された政府の新しい「地方行革」の方針――「地方自治・新時代に対応した地方公共団体の行政改革推進のための指針」の押しつけで、つぎのような事態が全国でつくりだされています。
――一つは、自治体の独自の仕事を徹底して切り捨てることです。たとえば、東京都では、石原都政のもとで、老人医療費助成や老人福祉手当の切り捨て、シルバーパスの有料化、特養ホームの運営費独自助成廃止など、革新都政時代にきずいた住民の暮らしをまもる都政独自の仕事が、つぎつぎと切り捨てられてきました。
全国の市町村をみても、各種の福祉制度の切り捨てだけでなく、高齢者への紙おむつ枚数をへらすとか、中学校卒業アルバムを有料化にするとか、自治体として「恥ずかしくなるような」「重箱の隅をつつくような」ところまで切り捨てがおこなわれています。
――二つは、「民間でできるものは民間に」と称して、ほんらい自治体でやるべき仕事をできるだけ民間まかせにすることです。全国各地で、公立病院の統廃合・民営化、学校給食の民間委託、公立保育園の民営化などがすすめられています。わが党は、民間の福祉施設が果たしている積極的な役割を重視しています。しかし、いま政府主導ですすめられている民営化の流れは、民間のもつ積極的役割を支援しようというものでなく、福祉にたいする行政の責任を放棄しようというものです。
――三つは、こうして残った自治体の仕事にも、「民間経営の手法の導入」が押しつけられる。すべてが「コスト」と「効率」で評価され、「効率が悪い」とされる事業は、切り捨てられる。「受益者負担」の名で、国保料、保育料、上下水道料金、ごみ収集料金をはじめ、住民負担増が押しつけられています。
このように、「地方行革」の名で押しつけられていることは、(1)自治体独自のことはやらない、(2)仕事はできるだけ民間まかせにする、(3)残った自治体の仕事も「民間経営の手法」でやっていく――というまさに自治体の「営利企業」化ともいうべき変質であります。
これでは何のために自治体があるかわからなくなるではありませんか。たとえ国がやらなくても、あるいは目先の採算にあわなくても、住民福祉のために必要な仕事をやってこそ、自治体といえるのではないでしょうか(拍手)。自治体の「営利企業」化は、自治体そのものの存在意義を否定するものであるということを、きびしく批判しなければなりません。(拍手)
第二は、破綻(はたん)した「開発会社」化の道を、新たな装いで推進していることであります。
政府は、一九九〇年代に、公共事業に年間50兆円、社会保障に20兆円という「逆立ち」財政の重荷を、自治体にかぶせつづけてきました。年間50兆円の公共事業のうち、約30兆円は自治体に押しつけるというやり方をとってきました。
しかしこの数年、そうしたやり方ではもはや立ち行かない矛盾が生まれてきました。
第一に、何よりも自治体財政が危機におちいり、一九九〇年度には67兆円だった全国の自治体の借金額は、二〇〇一年度には190兆円にまでふくれあがりました。こうしたもとで、九五年度には地方自治体の公共事業費(普通建設事業費)は総額31兆円であったのが、二〇〇〇年度には24兆円にまで減ってきています。国がいかに公共事業積みましの号令をかけようと、地方はそれを受け入れる力を喪失しつつあります。
第二にくわえて、公共事業の浪費にたいする国民の批判が大きく広がりました。わが党の先駆的奮闘やさまざまな市民運動の広がりによって、飛行機の飛ばない地方空港とか、釣り堀の地方港湾とか、環境破壊でムダなダムとか、豪華な箱物建設への批判などが、全国で大きな世論となっていきました。
このゆきづまりの「打開」のために、政府がこの間すすめてきたのは、公共事業の「効率化・重点化」という方向です。それは、公共事業を財界にとって非効率な地方・農村部では削減し、「都市再生」と称して大都市部に集中させていくというものです。
しかし、この数年間に顕著になったこの方針は、大都市でも、地方でも、自治体に新たな深刻な矛盾をもちこむこととなりました。
一方で、東京、横浜、名古屋、大阪など大都市を中心に、「都市再生」と称して、大規模開発に、巨額の税金を注ぐ計画がすすめられています。やっていることは、どこでも判をおしたように同じ、金太郎アメのように同じです。駅前に超高層ビルをたてる巨大再開発、都市を埋めつくす高速道路網、「国際競争」をかけ声とした国際空港と国際港湾、大企業のリストラの跡地の再開発などであります。これが財政破綻をいっそう深刻にし、住民の暮らしをおしつぶす、新たな害悪をひろげつつあります。この流れの中で、大都市部でも生活基盤の公共工事予算は削減されています。
これはバブルの時代に熱中し、すでに破綻した方式の焼き直しであり、見通しはまったく暗い。最近、日本経済新聞が、「オフィスビル2003年問題」という連載をしました。二〇〇三年に東京都心部に大量の大型オフィスビルが完成するというのです。来年、新たに供給される大型オフィスビルの合計延べ床面積は、なんと二百二十七万平方メートル。バブル期のほぼ二倍の水準、東京ドームに換算して四十八個分になる。これは、既存ビルに大打撃となり、供給過剰で破綻の危険がせまっている。このうえ「都市再生」のかけ声で、超高層ビルをさらにどんどんたてるなど、見通しがあるわけがないではありませんか。
そもそも「都市再生」といいますが、東京の臨海副都心、横浜の「みなとみらい21」などは、空き地だらけで、一度もまともな「都市」になったことはなく、「再生」しようがないものです(拍手、笑い)。ゼネコンや大企業は「再生」しても、人間らしい生活のための都市は荒廃をひどくするだけとなることは、火を見るよりも明らかであります。
他方で、地方では、公共事業費は削られているが、空港、港湾、ダムなど批判が高まっている大規模開発は基本的につづけながら、住民生活や福祉のための公共事業――地域経済の支えでもあった公共事業が大きく削減されているのが特徴です。農業での所得保障、地元商店街、地場産業への振興策など、ほんらいやるべき地域経済の振興策に財政をふりむけるのではなく、政府主導でつくられた公共事業依存体質から抜け出せないままの自治体から、一方的に公共事業を削減することが、地域経済に深刻な打撃をあたえています。それは、自民党自身の支配基盤を大きく掘り崩す事態をつくりだしています。
「開発会社」化の道は、どこでも破綻が明らかです。それは全国どこでも“倒産状態”です。それを形を変えてなお自治体に押しつけることが、都市でも、地方・農村部でも、自治体の新たな深刻な危機をもたらしつつあります。
第三は、市町村合併の押しつけと、地方への財源保障制度を崩すことを、“車の両輪”とした、地方自治制度の破壊のくわだてがすすめられていることです。
市町村合併の法定協議会が設置されたところは96地域386市町村、なんらかの研究会・検討会に参加しているところをあわせると618地域2495市町村と、約八割に広がっており、合併問題は全国の市町村にかかわる問題となっています。
わが党は、住民の意思にもとづいて地方自治体を適切な規模にしていくことに、一律に反対するものではありません。しかし、いま急速にすすめられている市町村合併の押しつけは、地方自治体の根幹を壊しかねない重大な問題点をもつものです。
――まず、自治体の合併の是非は、何よりもそこに住む住民の合意と、自治体の自発的な意思によって決められるべきです。しかしいまおこっている合併の流れは、自治体の自主的な意思によるものでなく、国の強権的な行政指導、財政誘導によって、全国の自治体に押しつけられているものです。ことの発端は、一九九九年につくられた地方分権推進一括法の一環で、市町村合併特例法が改定されたことにありました。政府は、これをてこにして、「二〇〇五年三月までが期限だ」と自治体をせきたて、自治体に合併を強要してきました。こうしたやり方自体が、憲法で保障された地方自治の本旨を乱暴にじゅうりんするものだといわなければなりません。
――合併の多くは、危機におちいった自治体財政のもとで、大型開発を効率的にすすめる体制をつくり、住民サービスを切り下げることに狙いがあります。深刻な矛盾が噴き出ている自治体の「営利企業」化、「開発会社」化の道を、無理やり推進するてことして、合併押しつけがはかられているのであります。合併によって、当座の公共事業費は特別に確保できますし、十年間は地方交付税の特例もありますが、中長期的には国から地方への財政支出は、巨額の規模で削減されます。総務省の試算でも、市町村が1000程度になれば、地方財政は4兆円から5兆円の削減になります。これが住民サービスの大幅な切り下げをもたらすことは明りょうです。
この市町村合併の押しつけと“車の両輪”ですすめられているのが、地方への財源保障制度の二つの柱――国庫補助負担金と地方交付税を、大幅に切り捨てる動きです。その具体的方向は、六月に出された小泉内閣の「第2次・骨太の方針」(「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」)に、明記されています。
――そこでは、まず、「国庫補助負担金について、『改革と展望』の期間中に、数兆円規模の削減を目指す」とされています。国から地方への国庫補助負担金の約五割は社会保障関係費です。約二割は文教・科学振興費です。それを「数兆円規模」で削減することは、自治体の福祉と教育の水準の大幅低下をもたらすことになります。すでに小泉首相は、義務教育費の国庫負担制度――公立小中学校教職員の給与などを国が半額負担する制度の見直しを指示しています。多くの自治体でいま三十人学級への努力をしていますが、それに逆行して、教員削減と学校の統廃合がせまられることになります。
――さらに、「第2次・骨太の方針」では、「地方交付税の改革を行う。……交付税の財源保障機能全般について見直し、『改革と展望』の期間中に縮小していく」としています。地方交付税は、(1)自治体間の税収のアンバランスを調整する機能とともに、(2)全国どこでも標準的な行政水準を財政的に保障するという機能をもっています。この後者の機能――福祉や教育などの標準的な行政サービスを保障するという機能をなくしていこうというのが、政府の方針なのです。それは、地方交付税がこれまで果たしてきた、国民の生存権をまもり、地方自治の財政的な保障をはかるという機能そのものを、根本から掘り崩すものにほかなりません。
合併押しつけと財政切り捨ての“車の両輪”で、地方自治を土台から破壊する攻撃は、いま、全国の自治体との矛盾を激しくしています。合併押しつけに反対する動きも急速に広がりつつあります。保守の首長でも、福島・矢祭町(やまつりまち)の根本町長や、山口・下松市(くだまつし)の井川市長など、公然と合併の押しつけに反対表明する動きがあいついでいます。全国町村会も、くりかえし市町村合併の強制に反対を表明しています。ことし七月に政府にたいしておこなった四十四項目の要望では、第一番目に、「地方税・地方交付税の確保」とあわせて、「市町村合併をいかなる形であれ強制することのないよう十分留意すること」をかかげています。
市町村合併の押しつけに反対し、地方への財源保障制度を崩すくわだてを許さないたたかいは、地方政治をめぐる焦眉(しょうび)の重大課題であります。
自民党政治による自治体への反動支配――「営利企業」化、「開発会社」化、そして合併押しつけと財政切り捨ては、全国のあらゆる地域で住民との矛盾を深刻にしています。二十一世紀を展望したときに、この道に地方政治の未来を託すわけには決してゆかないではありませんか(拍手)。この道からの脱却と転換をめざすわが党の役割は、きわめて重大となっていることを、お互いに肝に銘じて奮闘しようではありませんか。(拍手)
こうした自治体への反動支配のゆきづまりのなかで、それとは対照的に、「自治体らしい自治体」をとりもどす、新しい希望ある地方政治の流れが、たしかな広がりをみせています。
私は、三つの注目すべき未来ある流れについて報告いたします。
一つは、いくつかの県、少なくない市町村で、自民党政治による反動支配が崩れ、「住民が主人公」の方向への新たな変化と胎動がおこっていることです。
徳島県の大田民主県政
徳島県では、共産、民主、社民が推薦する大田民主県政が、今年四月に誕生しました。その最大の原動力となったのは、吉野川可動堰(ぜき)という環境破壊の巨大開発に反対する、草の根の住民運動の広がりでした。可動堰をめぐっては、徳島市の住民投票がおこなわれ、約九割が反対を表明しました。しかし自民党の前知事はその声に耳を傾けず、可動堰推進の国に追随をつづけました。そして、とうとう公共事業をめぐる汚職に自分自身がまみれて、逮捕・辞職という局面をむかえました。それを受けての知事選で、環境破壊の大型公共事業推進と、それをくいものとした汚職・利権への怒りが一体となり、「県政を変えたい」という県民の願いが、大田氏に結集してつくられた勝利でした。わが党は、このすべての経過のなかで、県政の転換を願う広い無党派の人々、市民運動のみなさんと、誠実に共同をはかるという態度をつらぬきました。
当選後、大田知事は、前知事の汚職構造の解明にのりだし、学校や消防施設の事業を県内業者だけでおこなう方針を表明し、直面する大型公共事業についてはタウンミーティングなど県民の声を聞いて対応を決める姿勢をしめしています。その前途にはさまざまな困難や曲折も予想されますが、「可動堰ノー」をつきつけた県民のエネルギーは素晴らしいものがあり、わが党は新たに誕生した民主県政の前進のために全力をつくすものであります。(拍手)
長野県の田中県政
長野県でおこっている変化は、全国に希望をあたえる変化です。二〇〇〇年十月の知事選挙で田中康夫知事が誕生したのは、国から公共事業をもってくることを最大の使命とし、環境も福祉も壊し、県財政を全国ワースト2の最悪水準まで悪化させた、「オール与党」県政にたいして、県民の怒りと批判が結集した結果でした。
ただ二年前の知事選挙での田中氏の公約は、「公共事業を見直し、税金の無駄遣いをやめる」「県民参加の行政運営をすすめる」など、民主的方向は明りょうでしたが、具体化はこれからというものでした。わが党と「県民の会」は二年前の選挙では、独自に中野早苗候補を擁立して、民主県政への転換の具体的政策を掲げ、堂々とたたかいました。そうしたなかで田中氏は、県民の声、中野候補の訴え、党の政策に、真剣に耳を傾け、その主張もより積極的で具体的な内容に変化していきました。
この間、長野県ですすんだ数々の希望ある変化――「脱ダム宣言」、浅川ダム・下諏訪ダムの中止、土木型から福祉・環境型公共事業への転換、三十人学級の実現などは、各地での車座集会など県民参加で県政を運営するという田中康夫知事の民主的姿勢と、広い無党派の人々の運動、そしてわが党の道理ある主張とたたかいが合流してつくられた成果であります。
田中県政の民主的前進を恐れた県議会のダム固執多数派は、ひとかけらの道理もない知事不信任という暴挙にでました。知事の答弁の最中にマイクを切り、議場を勝手に退席してしまう。そのことに象徴された、県議会での彼らの文字どおり「聞く耳をもたない」横暴、何しろマイクを切ってしまうのですから(笑い)、問答無用の横暴は、自民党政治による地方政治の反動支配のゆきついた醜い姿を全国にさらしたのではないでしょうか。(拍手)
この暴挙に、唯一反対をつらぬいたのは日本共産党県議団の5人だけでありました(拍手)。この全体の経過にたって、わが党は、田中康夫氏を、独自の判断として支援してたたかっています。三日後が投票日で、熾烈(しれつ)なたたかいとなっていますが、勝利のために最後まで力をつくす決意であります。(拍手)
高知県の橋本県政
高知県政の変化も注目すべきものがあります。二〇〇〇年に開いた第二十二回党大会は、「わが党が与党ではない自治体で、地方自治の本旨を、部分的だが、重要な点で守ろうとする新しい流れが生まれている」として、高知県・橋本県政を一つの例にあげ、「非核港湾条例の提案や米軍機低空飛行訓練反対、減反おしつけ反対などで積極的な立場をとっている」と注目しました。
その後も、橋本県政では、中山間地域への所得保障、中小企業向け無担保無保証人融資制度、就学前までの乳幼児の入院医療無料化など、暮らしと福祉のための施策の充実がすすみました。
とりわけ大きな前向きの変化は、「県政の最大のガン」であった、ゆがんだ同和行政の終結への急速な転換であります。この間、日本共産党県議団を先頭にした追及によって、二つの「やみ融資」事件が発覚し、県幹部や「解同」(部落解放同盟)幹部などの逮捕にいたり、それを契機に乱脈・不公正な同和行政の転換が始まりました。
橋本知事は、これまでの同和行政を反省し、みずからの管理監督責任を明確にし、「同和行政の終了」を宣言し、改革に着手しました。保育所、学校、奨学金など、これまで「解同」がくいものにしていた同和行政にメスをいれ、予算を伴う73の同和事業のうち、すでに43事業、33億円の予算を削減しています。
橋本県政が発足したのは、一九九一年の選挙で、現在三期目です。九一年の選挙と、九五年の選挙では、わが党は独自の推薦候補を擁立して県政の民主的転換の方向を全面的にしめしてたたかいました。そして県議会でも、橋本知事にたいして、是々非々の立場で、建設的論戦をくりひろげてきました。自民党は内部に矛盾はもっていますが、基本的には“是は非、非は是”の立場ですので(笑い)、対照的であります。こうした党のいっかんした姿勢ともあいまって、県政が一歩一歩、前向きの変化をつづけていることは、うれしいことではありませんか。(拍手)
こうした積み重ねのなかで、橋本知事と日本共産党との関係は、自由闊達(かったつ)で友好的なものとなっています。知事は、党県委員会の新年旗開きに六年連続で参加し、今年のあいさつでは、旗開きへの参加が「正月の恒例行事」となったとのべ(笑い)、アフガンやイラクにたいする日本政府の対応に、「非常な不安」を表明しました。ここにも長野県と共通する希望ある変化がはっきりとあらわれています。
鳥取県の片山県政
自民党県政の枠を脱してはいないが、前向きの変化が注目される県として、鳥取県・片山県政をあげることができます。片山知事は、一九九九年の選挙で、わが党以外の「オール与党」の推薦で知事になった人であります。しかし、この間、県営中部ダムの中止、鳥取県西部地震のさいの300万円の個人補償、三十人学級の実現、鳥取大学の統廃合への反対など、県民の立場からみて評価できる施策をすすめています。
鳥取県は、産業の衰退、人口の減少、政府からの圧迫など、いわば県ぐるみで切り捨ての対象とされている(どよめき)、地方切り捨ての政治の矛盾が集中的にあらわれている県の一つであります。そのなかで自治体らしい政治をやろうとすれば、従来のやり方をそのまま踏襲していては、たちゆかなくなっているなかでの変化だと思います。
鳥取県政のかかえている問題点は、同和行政の継続、米子空港滑走路の延長、市町村合併の推進など、なおさまざまありますが、しかし従来は自民党支配の〓城であった地方・農村部から、こうした変化が生まれていることは、注目に値するものです。
県段階だけをみても、これだけの変化が生まれている。同じような前向きの変化は市町村段階でも広がっています。これらは、自民党と「オール与党」による自治体の反動支配が、二十一世紀には通用しなくなりつつあることを、鮮やかにしめすものではないでしょうか。(拍手)
未来ある流れの二つ目は、革新・民主の自治体の流れです。わが党が与党となっている革新・民主の自治体は全国に103、わが党だけが与党の自治体が65、そのなかで日本共産党員が首長をつとめている自治体は10市町村あります。
四年前の全国地方議員会議の報告をみますと、「党員首長の自治体は、四年前には――いまから数えると八年前には――南光町一つだけだったが、それが七市町村に増えた」と報告されています。それから四年たって、党員首長の自治体は、10市町村にまで増えました(拍手)。この間、3市町村で失いましたが、6市町村で新たに誕生しました。
その特徴の一つは、狛江市、福崎町(ふくさきちょう)、黒田庄町(くろだしょうちょう)、木曽福島町(きそふくしままち)の4自治体で、相次いで再選をかちとったということであります(拍手)。一期目の勝利は、それまでの自治体への批判や改革への期待で、なかには「思いがけなく」(笑い)――相手にとっては「不意打ち」で(笑い)かちとるケースも少なくありません。汚職など「敵失」が勝利の大きな要因になることもあります。しかし、二期目はそうはいきません。一期目の自治体運営の実績が、有権者から審判をうけます。行政を現実に担当する能力が、住民の評価を受けます。くわえて二期目以降は、反動・反共勢力も陣営を構え、総力をあげて革新・民主自治体の打倒に執念を燃やしてきます。そうした容易ではないたたかいで、四つの自治体で勝利したことの意義はたいへん大きいものがあります。(拍手)
四つの自治体のそれぞれに値打ちがありまして、どれか一つをのべるのは難しいのではありますが(笑い)、市は狛江市ですので、狛江市をみてみたい。
狛江市での一九九六年の一期目の勝利は、前市長がとばくで失そう(笑い)という最悪の不祥事のもとでの選挙という、ある偶然の要素(笑い)もあってのものでした。しかし矢野市政になっての変化は、清潔・公正、開かれた市政への転換だけではない、目覚ましいものであります。介護保険料と利用料の低所得者無料を、都内ではじめて実施したのは矢野・狛江市政でありました(拍手)。乳幼児医療無料化を就学前まで広げる仕事に多摩地区でまっさきにとりくんだのも矢野・狛江市政でありました(拍手)。福祉のための財源を生み出すために、公共工事の浪費にメスがはいりました。年平均35億円だった借金を17億円に半減させながら、市内業者への発注は年平均で13億円から15・5億円に逆に増やした。こうした実績が、はげしい反共攻撃のなかでも、得票を約1万票から約2万票に倍増させ、二期目の勝利をかちとる力になりました。(拍手)
東大阪市では、公明・「解同」連合などの激しい攻撃に、正面から対峙(たいじ)して選挙戦をたたかいぬきましたが、長尾市長の再選は惜しくもかちとれませんでした。しかし、私は、長尾民主市政が残した業績は、歴史に残り、今後に生きるものであると考えます(拍手)。たとえば、長尾市政になって、東大阪の三万をこえる中小企業のすべての事業所を、市の幹部職員が直接訪問して、実態と要望をつかむという、西日本で初めての画期的事業をおこない、「技術交流プラザ」というインターネットを使って全国から仕事を受注するシステムをスタートさせた。これらの業績は、反動勢力が市政を握っても、やすやすとは崩せないものであります。
いま一つの特徴は、この間、阿久比町(あぐいちょう)、坂北村(さかきたむら)、びわ町、湯沢市、霊山町(りょうぜんまち)で、つぎつぎと党員首長の自治体が新たに誕生したということです。これらは特別に党の力が強いわけでもない(笑い)、特別の不祥事があったわけでもない、いわば「普通の自治体での普通の首長選挙」で勝利をかちとったものであります。保守もふくめて、幅広い人々の支持をうけて、かなりのところで「思いがけず」勝利をかちとったケースが多いのです。
今年四月に湯沢市の鈴木市長が誕生しました。現職を二期つとめた相手候補――土建業者と結びついた典型的な古い利権型政治家――に大差をつけての勝利でした。地元紙の「秋田魁新報」は「刷新求めた市民」と題してこう報じました。
「湯沢市長選は、初当選した鈴木俊夫氏すら驚くほどの得票(笑い)で決着した。共産党の県議を二期務めたとはいえ、住民の多数は保守系。現市政への不満はあるが、結局は二坂信邦氏に投票する人が大半ではないかとみられていたからだ。
まさかの大どんでん返し。市民の間を衝撃となって走り回った。鈴木氏勝利の予兆はあった。ただでさえ市経済の地盤沈下が続く中、昨年夏のIT不況が直撃。ハローワーク湯沢の有効求人倍率は〇・二一まで落ち込んでいる。やり場のない閉そく感が市民の間に充満していたのも事実。
市長選も無投票が濃厚になり、さらに重苦しいムードが漂っていたところに、土壇場で(笑い)登場したのが鈴木氏だった。市長が代わったからといって生活が劇的に向上するわけでないことは、市民も分かっている。しかし鈴木氏は、市長公用車廃止や市長報酬、交際費の削減など、政策というよりは身近な市政改革を訴え、市民生活を応援する姿勢を鮮明に打ち出した。今回の鈴木氏の当選は、こうした姿勢に市民が共感した結果といえる」
なかなか状況がよく伝わってくる報道です。
つづいて七月に霊山町で大橋町長が誕生しました。相手は建設会社社長で、元町議会議長でしたが、大差をつけての勝利でした。地方紙の「河北新報」は、「現状打破期待のうねり 郡部にも 政党の壁 乗り越える」と題し、「予期せぬ勝利」という書き出し(笑い)でこう報じました。
「『当選の言葉など、正直いって全然考えていませんでした』(笑い)。七日夜、歓喜にわく選挙事務所で、大橋氏は支持者を前に“本音”を漏らした(笑い)。乾杯を忘れてしまい、祝勝会終了後に慌てて行うなど、陣営も予期せぬ勝利に驚きを隠しきれなかった(笑い)。……対立候補の利根川氏は、……土木会社を経営し、町議を六期二十四年務めるなどキャリアは十分。自民党籍を持ち、後援会組織もあり、決起集会や街頭演説には地元選出の国会議員や県議らも顔を見せた。利根川氏自身が『運動の規模は大橋氏陣営の十倍』と自負する布陣だった。
しかし、運動は旧態依然そのものだった。陣営は『国や県との太いパイプ』を強調した。決起集会では国会議員が『共産党の町長になったら県や国から補助金が来ない』などと演説。……ところが、選挙前から衆院議員鈴木宗男容疑者の疑惑が(笑い)連日報道されたこともあり、あからさまな利益誘導の訴えは、住民に疑問と嫌悪感を抱かせていく(笑い)」。うまいこと書きますね(笑い)。「……町幹部の一人も『利根川氏の陣営が組織を締め付けるほど、住民は心を閉ざしていった……』とみる。大橋氏が、利根川氏の主張とは対照的に『暮らしと福祉の充実』『町民との太いパイプ』などと訴えたことも、有権者に受け入れられた一因だ」
そしてこの記事では、「湯沢市長選と共通点がある」として、こうつづけています。
「不況が続きリストラも相次ぐなど、先行きに明るい展望が持ちにくい時代。何となく閉塞(へいそく)感を抱え現状打破を期待する有権者に対し、旧来型の政治がいいという価値観を持ち、基本的に現状維持を望む有力者や組織、政党などがいくら働き掛けても、その心はつかめない。地域の新しいリーダーを求める有権者は、逆に反発を強め、政党の“壁”など意外と簡単に越えてしまう。こうした大都市圏や東北都市部での流れが郡部にまで及んでいることを、山あいの小さな町が証明した。ある自民党県議は『「負けるはずがない」と思っていた選挙で敗れた。結果は厳粛に受け止めなければならない』と語り、早くも来春の統一地方選への影響を心配している」
この「心配」は現実のものにしたいものであります。(拍手、笑い)
二つの選挙での勝利を、生きいきと伝えているではありませんか。従来の利権型政治はもはや地方でも通用しなくなっている。共産党への従来型の攻撃も通用しなくなりつつある。党への誤解の“壁”も「意外と簡単に越えてしまう」。こうした変化がおこる条件が、日本列島のどこでも熟しつつあります。
みなさん、ここに確信をもって、革新・民主の自治体の流れを、二十一世紀の地方政治の大きなうねりとしていくために、ひきつづき力をつくそうではありませんか。(大きな拍手)
地方政治における未来ある流れの三つ目は、みなさん方自身、すなわち全国で4400人にのぼる日本共産党の地方議員団の存在であります。その果たしている役割は、ここでとうてい語りつくせるものではありませんが、いくつかの角度からそのかけがえのない値打ちについて、報告しておきたいと思います。
第一は、4400人の力が、草の根の住民運動と結びついて合流すれば、全国の地方政治の動向を左右するような、さまざまな成果をあげることができるということであります。
たとえば介護保険の利用料・保険料の減免は、わが党が一貫して全国の自治体で要求してきたことですが、厚生労働省の不当な圧力のなかでも、保険料減免で431自治体、利用料減免では自治体総数の四分の一となる825自治体まで広がっています。
乳幼児医療費無料化は、一九七一年に国会でわが党議員がはじめて提起して以来、文字どおり全国各地でわが党の地方議員のみなさんが、住民の運動と一体になって、粘り強くとりあげてきたものですが、とうとう全自治体がなんらかの助成を実施するところまで前進をかちとることができました。(拍手)
わが党が、全国で、父母や教職員とともに長年もとめてきた三十五人や三十人などの少人数学級の実現は、この間、急速に広がり、今年度に入って18の道県で小中学校の低学年を中心に実施され、さらに広がる動きとなっています。
“全国どこでも自治体が自治体らしい仕事をしているところでは、そこには日本共産党議員の奮闘あり”――ここに自信と確信をもってすすもうではありませんか。(拍手)
第二に、わが党の議員の活動は、すでに七割をこえる自治体にまで広がっていますが、日本共産党の議員がいるかどうかは、その自治体の住民の利益をまもるうえで、“天地の差”といえるほどの重みをもっているということであります。
たとえ一人議員であっても、党議員の道理ある主張が、住民の運動と結びつけば、やがて議会の多数意見となって行政を現実に動かしたという経験も少なくありません。
前回のいっせい地方選挙で空白議会を克服し、はじめて議席をえたわが党の町議会議員が、乳幼児医療無料化の就学前までの引き上げ、三十人学級の実現、介護保険利用料の減免などを提案し、当初は保守の議員から妨害や反対をうけながら、粘り強くとりくむなかで、とうとう町長を動かし、保守の議員を動かして、わずか三年あまりでつぎつぎと実現させた経験もあります。
合併問題で、党の議員が果たしている役割も大きい。党の議席がないところでは、国や県からの押しつけのままに、不本意ながら「やむなし」の立場で合併の方向に流されている自治体も少なくありません。しかし、党議員がいるところでは、その問題提起がきっかけとなって、はじめは合併推進議員が多数だった議会でも、合併によるデメリットへの理解がすすみ、議会のなかでも議論や学習会がはじまり、保守層との共同がすすみ、町長が合併に加わらないと宣言をするという経験も全国各地で生まれています。
こうした経験は、空白議会を克服するための努力がいかに大切かを教えています。また一人議員のところでは複数へと、議員を増やすとりくみの重要性を物語っています。
第三に、党議員と議員団の存在と役割が、その自治体の民主的変化、民主的転換に果たしている役割であります。さきに紹介した徳島県、長野県、高知県などの前向きの変化をみても、革新・民主の自治体を新たにつくりだしている経験をみても、党議員団の役割は決定的な意味をもっています。
党議員団がつねに地方自治のあるべき原点にたって、住民の福祉と暮らしをまもるために、また「逆立ち」財政の転換のために、議会内外で積極的提言と運動を粘り強くつづけてきたことが、党とはじめは距離をおいた無党派の立場から出発した知事とも共鳴しあい、立場の接近が生まれ、新しい政治をつくりだしてきた経験が、各地で生まれています。
第四に、全国の4400人の地方議員のみなさんの草の根でのとりくみと、国会議員団のとりくみが協力することで、国政を動かす力ともなるということであります。
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私は、党創立記念講演会で、あの「ムネオハウス」の告発と追及は、国会議員団だけの成果ではない、地元の北海道議団、根室市議団など地方議員のみなさんが、寄せてくださった情報がきっかけとなって、疑惑追及の決定的な事実をつかんだことを紹介しましたが、国会で活動していまして、全国に4400人の同志たちががんばっていることが、どんなに心づよい力になるかは、常日ごろ実感していることであります。
たとえば、介護保険の実態を、わが党は政府以上につかんで、国会で何度も改善を要求してきた経験がありますが、どの時にも私たちが協力をお願いしたのは、全国の地方議員のみなさんでした。
二〇〇〇年四月の介護保険開始を目前にひかえて、要介護認定を受けながら介護保険のケアプランが未作成のお年寄りが相当数残されていることが、全国的に大きな問題になったことがありました。わが党はこの問題を中心に、三月末に全国の党地方議員の協力をえて、緊急調査をおこないました。わが党が議席をもつ自治体の八割、全自治体の約57%で活動する議員から、わずか三日間で回答が集中しました。わが党は、この緊急調査結果と緊急対策を発表し、それにもとづいて国会で改善をもとめる質問をおこないました。当時の丹羽厚相は、ケアプランの作成の遅れを認め、党の提案について「貴重な提言だと感心している」とのべ、「現在すでにうけているサービスがとぎれないよう、最大限の努力をしていく」と約束しました。私は、このような活動は、全国の自治体の七割に議員をもつわが党でなくては、絶対になしえない活動だと、おおいに誇りに思うものであります。(拍手)
みなさん、日本共産党の4400人の議席の値打ちが、いかにかけがえのないものか、この力をさらに前進・躍進させることがどんなに大切かを、全国で、またそれぞれの地域で、確信をもって、広く国民に訴えていこうではありませんか。(拍手)
つぎにあと七カ月後にせまったいっせい地方選挙、きたるべき総選挙でのわが党の躍進と勝利をめざす活動について報告いたします。
党大会の決定、一連の中央委員会総会の決定をふまえ、地方議員のみなさんが予定候補者のみなさんと一体になって、選挙勝利にむけた活動にどうとりくむかについて、いくつかの角度からのべたいと思います。
まず選挙戦にどういう構えでのぞむかという問題です。三つの点を強調したいと思います。
第一は、きたるべき政治戦で、躍進と勝利をかちとることは、容易ではない大事業だということです。ここをお互いに肝に銘じて奮闘したいということであります。
前回、一九九九年のいっせい地方選挙は、九〇年代後半の党の躍進の流れのなかでの選挙でした。道府県議では54議席増の152議席、政令市議では28議席増の120議席、市区町村議では196議席増の2140議席と、わが党は、史上最高の峰への躍進・前進をかちとりました。
来年のいっせい地方選挙は、この躍進でえた峰を確保し、さらなる前進に挑戦する選挙です。この仕事をやりとげるためには、前回選挙で躍進をつくりだした勢いを上回る、党の新たな政治的・組織的な上げ潮をつくりださなければなりません。
その現状はどうか。四中総以後の中間地方選挙の結果をみますと、定例選挙では35市町村に78人が立候補し75人が当選です。補欠選挙では2県16市町村に18人が立候補し10人が当選です。選挙での議席増は13人、議席減は立候補見送りをふくめ4人です。ただし得票では、前回票を上回った選挙は約三割です。
前進への芽は生まれつつありますが、本格的な上げ潮にはいたっていない。それをつくれるかどうかは、あと七カ月の全党の奮闘にかかっている――これが現状です。総選挙、参院選の悔しい後退から、前進・躍進に転じることは、全党がもてるあらゆる知恵と力を総結集してはじめて可能となる大事業であることを、まず強調したいのであります。
第二に、それでは、新しい上げ潮をつくりだす客観的条件はあるのか。国政をみても、地方政治をみても、それは熟しています。その条件を全面的に生かした攻勢的なとりくみをすすめることが、今度の選挙にのぞむ構えとしてひじょうに大切であります。
すでにみてきたような徳島県、長野県、高知県などでの新しい希望ある変化、党員首長自治体の前進など、地方政治での未来ある流れの広がりは、地方政治での自民党政治のゆきづまりが、いかに広く深いものとなっているかを、はっきりとしめしています。
いま私たちにもとめられていることは、この胸おどる激動的変化をしっかりとつかんで、それにふさわしい攻めの構えをしっかりと確立し、これまでにない広い有権者――無党派層、保守層、他党支持層もふくめた広い人々に働きかけ、宣伝・対話をひろげ、党の躍進をめざす活動にうってでることであります。さきほど私は湯沢市や霊山町の勝利が「思いがけない」ものだったことを紹介しましたが、わが党の大胆なとりくみによって「思いがけない」ような変化をつくる条件は、全国どこでも存在しています。
それを現実のものとするためにつぎのような点に留意しつつ、新たな条件をくみつくす攻めの選挙をおこないたいと思います。
――一つは、いっせい地方選挙の前半戦、道府県議選と政令市議選での議席増に正面からとりくむことです。それをやりきるかぎは、現有議席の絶対確保とともに、県議空白の3県――石川、島根、熊本での勝利、それから定数4以上の選挙区での新たな議席獲得はもちろん、定数が1〜3の選挙区でも積極果敢なとりくみで議席増に挑戦することであります。
――二つは、後半戦の、市区町村議選のたたかいであります。選挙がたたかわれる市区の約三割の自治体で議席増をめざす計画に、町村では約一割の自治体で議席増をめざす計画になっています。現有議席の絶対確保とともに、議席増の計画をやりぬきたい。また現在252市町村で空白克服のための立候補計画をもっており、現時点での候補者決定は74市町村ですが、ここでの議席獲得をはかることは、今後の地方政治の民主的改革にとっても大きな意義をもつものです。
――三つは、前半戦での11都道府県での知事選挙をはじめとした首長選のたたかいです。これはその選挙のたたかいの経過そのものが全国の選挙戦に影響をあたえ、その結果は、その後の全国的な政治情勢に大きな影響をあたえます。わが党は、候補者選考、政策、組織など、選挙戦のすべての面で、政党としての政治的、組織的な責任を果たし、広い団体・個人と共同して勝利をめざして力をつくします。
――四つは、議席とともに得票増を自覚的に追求するということです。得票目標は、「その選挙でかならず達成すべき目標」にするという党大会決定の方針にもとづいて決めるようにします。そのさい、いっせい地方選挙の前半戦、後半戦、総選挙を、一つの得票目標でたたかうようにしたいと思います。前半戦の勝利に必要な目標が、いちばん高くなる場合が多いわけですが、高いほうにあわせて一本化し、得票増にも正面から挑みたいと思います。
――五つは、いっせい地方選挙までの中間選挙で、党と民主政治の上げ潮の勢いをつくることが、決定的に重要になっているということであります。目前の長野での知事選と県議補選、九月八日投票の沖縄でのいっせい地方選挙、十月二十七日投票の全国六カ所の衆参国政補欠選挙、十一月の沖縄県知事選挙、十二月の茨城県議選などで、躍進と勝利をかちとるために全力をあげようではありませんか。(拍手)
――六つは、どれだけ早く候補者決定をやりきれるかは、選挙戦の全体を左右するということであります。立候補計画にたいする候補者決定率は、四中総時点では42%でしたが、現在60%です。期限をきめ、党機関や支部に協力して、候補者決定を一刻も早くやりきる努力を、議員のみなさんにもお願いしたいと思います。
第三は、量質ともに強大な党建設のための努力を片時も握って離さず、党勢拡大の上げ潮のなかで選挙戦をたたかうことです。
どんなに客観的情勢が党前進の可能性をはらんでいても主体的な力がそれにおいつかなければ選挙では勝てない、どのような政治情勢のもとでも党の前進・躍進を保障するための党づくりに全党の英知と力を傾けてとりくもう――これは総選挙と参院選の悔しい後退から、わが党が最大の教訓としたことでありました。この教訓を、片時も忘れずに、つぎのいっせい地方選挙と総選挙を党勢拡大の上げ潮のなかでたたかいたい。
昨年十月末から、今年の四月末まで、半年余にわたってとりくまれた「大運動」では、党建設と党勢拡大をいついかなるときにも意識的に追求する姿勢が、全党的に強まるという貴重な成果をあげました。しかし、この流れを全党に定着させ、本格的な前進の軌道にのせることは、歴史的大事業であり、それはこれからのとりくみにかかっています。
この間の中間選挙をふりかえってみましても、強大な党建設が選挙勝利の根本の力となることは、多くの経験が証明しています。七月におこなわれた栃木の足尾町議選では、定数が12に削減されるなかで、わが党の議席が3から4となり、三分の一の議席を占有するという、全国一の議席占有率になりました(拍手)。この町での党づくりの経験は、「しんぶん赤旗」でも詳しく紹介しましたが、民主町政のもとで町民の暮らしをまもる長年の奮闘とともに、人口比1・19%の党員、全世帯の約半数が読者という、町民のなかに深く根をはった党建設の営々とした努力が、前進の根本にあります。
もちろん、こうした峰への前進は、一朝一夕になるものではありませんが、民主的政権をになう党への前進を真剣に考えるならば、全国どこでも、その地域・職場・学園での多数者を結集するという気概で、「支部を主役」に、党機関と議員が先駆的な役割を発揮し、全党の総力をあげて党建設にとりくむことがもとめられています。
みなさん、いま全国の地方政治に広がりつつある希望ある流れ、新しい条件を、あますところなくくみつくし、それを現実の党の躍進にむすびつけるとりくみを、新たな大志をもってやりとげようではありませんか。(大きな拍手)
つぎに選挙勝利にむけた政治戦をどうすすめるか。地方議員のみなさんからのアンケートもふまえて、報告いたします。
まず政策論戦についてであります。政策論戦の原点は、どんな問題でも住民の要求から出発し、それにこたえるという姿勢をつらぬくことにあります。またどんな問題でも議会のなかでの奮闘だけでなく、住民に訴え、住民運動をおこし、世論と運動を力にして解決することが、基本であります。この原点・基本をしっかりつらぬきながら政策論戦をすすめたい。報告では、そのためのいくつかの留意点を、順不同で五点ほどのべます。
第一は、国の悪政、地方財政危機のもとで、福祉と暮らしをどうまもるのかという問題であります。
議員アンケートでも、「国保料の引き下げや、介護保険の減免は、住民の切実な願いだが、予算がなくて実現が難しい」といった悩みが、多くの同志からよせられました。この解決の方途は、自治体によってそれぞれであり、万能の方程式があるわけではありませんけれども、私たちの姿勢の基本をいくつか整理しておきたいと思います。
――まず大前提として、住民の福祉と暮らしをまもるということは、自治体の根本的な任務であり、介護保険にしても、国民健康保険にしても、住民の切実な要求があるならそれを堂々とかかげ、自治体を自治体ほんらいの基本姿勢にたたせる提起と論戦を、堂々とすすめることが大切だということであります。
自民党主導の多くの自治体では、「財政危機」という問題を、住民要求に背をむける口実として利用しています。たとえば介護保険の利用料減免の要求にたいし、国のいいなりになって一般財源からの財政支出を頭から否定する立場から、減免を拒否する自治体も多い。多少の予算をやりくりをすれば、いまの財政でもできるのに、頭から拒否する自治体が多い。これは、自治体の基本姿勢にかかわる問題であって、住民要求にたってそれを正面からただす論戦と運動が大切であります。
――そのうえで、全国の多くの自治体では、やはり「逆立ち」財政をただすことが、住民要求実現の財源的保障となります。たとえば狛江市では、前市政では79億円だった土木費にメスをいれ、とくに大型事業の着手を抑制し、26億円にまでこれを削減するなかで、介護保険の保険料・利用料減免や、乳幼児医療費無料化などの財源をつくりだしながら、財政健全化への一歩も踏み出しています。
その点で、この間、全国の議員団で、大型開発を見直せば住民要求が実現できることなど、予算の組み替えの提案をつくるとりくみが広がってきたことは、自治体財政に責任をおう党の立場を具体的にしめすものとして、きわめて重要であります。
――しかし、「そうはいっても、なかなかただすべき大型の無駄づかいがみつからない」(笑い)という意見もありました。もちろん無理に「大型の無駄づかい」をさがすという(笑い)図式主義はうまくありません。しかし、そういう自治体であっても、本気で住民要求実現の立場にたって知恵をしぼれば、道が開かれる場合が多いのです。
たとえば湯沢市では、鈴木市長当選直後の六月議会で、すでに介護保険の在宅サービスの利用料半額助成、国保税の引き下げなどを実現しているのです。いったいどうやって財源をまかなったかをききますと、介護保険の減免の財源は、市長給料の三割減、市長交際費の半減、市長公用車の廃止でまかなえたというのです(どよめき)。国保税引き下げの財源は、国保特別会計の黒字と四億円ほどの国保基金などでまかなうことになったというのです。実は、国保税の引き下げは、鈴木市長が公約にしていなかったことだそうです。おそらく鈴木さんも実現はむずかしいと思っていたのではないでしょうか(笑い)。しかし、市長になってから担当部に検討を指示したところ、すぐによく考えられた案が出され、議会に提案したところ全員一致で可決された(どよめき)。現場の苦しみをよく知っている介護や国保の担当部・職員にとっては、なんとかしたいという気持ちがあるんですね。そのための改善案をもっていたんですね。それを、鈴木さんが市長になって出してきた。市の担当部・職員は「市民に歓迎される。やっと自分たちのやりたいことが実現できた」と喜んでいるとききました。
はじめからきれいに財源の保障を出せなくとも、住民の切実な要求ならば、行政の側に提起し、行政とも知恵を出しあって解決策をつくるという姿勢が大切だということを、私は強調したいと思います。
――さらに根本をいえば、国保料にしても、介護保険にしても、国が社会保障にたいする財政支出を抑制・削減してきたことに矛盾の根本があります。自治体独自にやれることを提案し、実現させながら、自治体から国にたいして社会保障切り捨て政策の転換をせまるように、行政にたいしても、議会の場でも、おおいに奮闘していくことが重要であります。
第二に、地域経済の振興をどうはかっていくかという問題です。前回の地方議員集会で、「地域経済の諸問題に目をむける」ということを強調しましたが、大企業の一方的なリストラ、地域金融を破壊する金融庁主導の信金・信組つぶし、農林水産業など第一次産業の衰退、地方からの公共事業の削減などのなかで、立場の違いをこえて、「地域経済をまもり、発展させたい」という願いは切実になっています。党としてつぎのような観点からのとりくみが大切です。
――「産業政策」ということで党がはじめから完成した政策をつくって提案しなければならないと難しく考えないということが大事です。まず地域産業の実態を把握することから出発して、中小企業、地場産業、農林水産業など、その地域にいきづいてきた産業の振興をはかる方向での問題提起をおこなって、関係者や住民や行政側も参加したシンポジウムなどをひらいてきたところで、地域経済の振興についての住民の民主的合意がつくられ、行政を動かす具体的施策にむすびついた経験もつくられています。各地で商工会議所や農協など、従来の保守層との共同の可能性がかつてない広がりをしめしていることに注目し、とりくみの発展をはかりたいと思います。
――地域経済の振興ということを考えるとき、公共事業の民主的改革は避けて通れない課題です。わが党は、公共事業の中身を、巨大開発型から、福祉・環境型に変えれば、総額を削減しても、地域経済の活性化と両立させることができるという政策提起をしてきましたが、そうした方向に県単位でとりくみ、成果をあげつつある長野県・田中県政の経験は重要であります。田中知事がはじめてくんだ二〇〇一年度予算では、公共事業費の総額を14%削減して、ダムの見直しのほか、美術館建設など箱物建設を先送りする一方で、福祉関連の公共事業費は77%増、医療関係は13%増、教育関係は7%増など中身の改革に着手しています。市町村から希望があがった老人ホームや老人保健施設など社会福祉施設58カ所に、すべて予算をつけたとききました。ある市の福祉部長さんは、「こんなに早く予算がつくとは思わなかった。花火をあげてお祝いしなくては」(笑い)と喜んだというエピソードも伝わってきました。
第三に、市町村合併問題にどう対応するかという問題です。議員アンケートのなかでも、この問題での解明をもとめる声が多く寄せられました。党としてのとりくみの基本的観点についてのべておきたいと思います。
――いますすめられている市町村合併押しつけの全体としての反動的本質を、党としてはしっかりふまえながら、「合併反対」を入り口にして接近するのでなく、合併が住民の暮らし、住民の自治、地域の将来に何をもたらすかについて具体的に明らかにし、住民とともに考え、議会や首長もふくめた幅広い合意をめざすという姿勢がもとめられます。
議員アンケートでは「合併の是非は住民の合意で決めるということは、党として賛否を決めたり表明してはならないということか」という質問もありました。もちろん合併について党としてどう考えるかは、その地域に責任をおう政党としてその是非を明確にすべきことです。同時に、その結論を入り口にするのでなく、住民の利益を入り口にする。そうしてこそ、道理ある解決の道が開かれるということを強調したいと思います。
――「合併やむなし」論を打ち破る党の先駆的論戦の重要性を強調したい。たとえば議員アンケートでは、「合併すれば地方交付税が減らない」などの議論にどうこたえるかという質問が多くありました。しかしこの議論にはまったく根拠がありません。
一つは、合併した場合の地方交付税は、合併しなかった場合の額を計算し、その合計額が保障される特例措置となっていますが、それは合併後十年間にすぎないということであります。これは十年後からは大幅に地方交付税が減ることを端的にしめすものであります。
いま一つは、合併後十年保障するというのは、合併以前の市町村の交付税総額を固定的に保障するものではないということです。毎年度、旧市町村で合併していなかったらと仮定して、その合計額を計算して保障するにすぎません。国は交付税制度そのものを改悪して大幅切り捨てをはかることをくわだてていますが、これが強行されたら、その時点で合併をしていようが、いまいが、交付税は同じように削減されることになるのです。そうした交付税制度の改悪を許さないたたかいこそ重要なのです。
「合併しなければ減るが、合併すれば減らない」などという、合併市町村だけに「おいしい話」は、地方交付税の仕組みからいってありえない。相手はごまかしてきますから、こちらは制度の仕組み、ごまかしを深くつかんで、「合併やむなし」論を打ち破る先駆的役割を、おおいに果たしていきたいと思います。
第四に、平和と民主主義をまもる自治体からのたたかいであります。
――有事法制のくわだては、地方自治にとっても、その生死にかかわる重大問題です。有事三法案は、端的にいいますと、“国は米軍への戦争に武力行使をもって参戦することに全力をあげ、そのために国民動員を強制する仕事は自治体に強要する”――こういう役割分担をやるということです。
戦争動員のための、土地や家屋のとりあげ、物資の収用や保管の強制、医療や輸送業務などへの強制動員など、国民の自由と権利を制限する仕事は、自治体に担わされます。自治体が管理する港湾、空港、病院、学校、公民館、水道などの軍事使用も強制されます。国の指示に自治体が従わなければ、国が直接執行できる仕組みであり、自治体にカーキ色の制服を着た自衛隊員が直接のりこんできて乱暴に指揮をとる――まさに地方自治のはく奪・破壊そのものであります。
有事法制の米軍戦争協力の本質的な危険性とともに、そうした地方自治破壊の仕組みを、地方政治の場で警鐘乱打していく必要があります。すでに各地方議会での有事法制反対・慎重審議をもとめる意見書・決議は536議会におよんでいます。国立市長の質問書に、政府が具体的回答を示さなかったことにも、批判が広がっています。有事法制を、自治体から包囲し、葬り去る、このたたかいをさらに発展させるために、おおいに先駆的役割を果たそうではありませんか。(拍手)
――住民基本台帳ネットワークが、八月五日から施行されたことに、住民の多くが不安をもち、多くの自治体からも批判が広がっています。この法を強行したさいに政府が公約した個人情報保護の法律がつくられていないことなど、政府の公約にてらしても、施行を強行したことは許されません。さらに根本的にいって、個人情報の漏えいと不当使用の危険はこの仕組みでは避けられないし、すべての国民に十一ケタの番号をふりあてることへの国民的合意もありません。わが党は、いまからでもこの仕組みを中止することを強くもとめるものであります。(拍手)
自治体での対応は、悪法であっても法律に拘束されるという面がありさまざまありえますが、狛江市などでやっているように、自治体としても政府の対応への批判を明確にすること、個人情報をまもる最大限の措置をとること、漏えいのおそれがあればネットを切断するなどの措置をとるなど、このシステムによって住民の権利や自由が侵害されることのないよう、知恵と力をつくす必要があります。
第五に、国政での党の値打ち、党の全体像を自由闊達に語ることの重要性を強調したい。
住民の暮らしからみますと、国政も地方政治も別々にあるものでなくて、一つのものとして影響がでてきます。たとえば介護保険も国民健康保険も実施主体は市町村ですが、国が大枠を決めている制度であり、その矛盾の根本には国の社会保障切り捨ての悪政があります。自治体の問題点とともに、国政で何が問題かが、「小泉改革」のあやまりなど大きな流れのなかで語られてこそ、解決方向も、わが党の役割も鮮明になってきます。
また直接に自治体と関係がなくても、腐敗政治や、外交・安保などの問題も、住民は強い関心をもち、それは地方政治での政党選択にもかかわってきます。わが党の日本改革の提案を、それぞれの地域の党の顔である地方議員が自由闊達に語ってこそ、選挙戦でも多くの人々の心をとらえることができます。
さらに、二十一世紀に入って、テロと戦争、国際経済の危機、環境問題、南北問題など、世界と日本の前途にさまざまな問題が横たわるなかで、日本共産党が二十一世紀の日本と世界にどう働きかけようとしているのか――といった大きな関心もあります。党の綱領と歴史、科学的社会主義の理論は、それへの確固とした回答をもっています。
党の理論や路線にも強い議員団をつくり、住民に語る力を身につけるために、おおいに努力をはかろうではありませんか。
政治戦では、住民の目線にたった政策論戦とともに、公明党・創価学会の反動・反共のくわだてを本格的に撃破する論戦と活動に本腰を入れてとりくみたいと思います。(拍手)
わが党は、一昨年の総選挙、昨年の参院選をつうじて、公明党・創価学会が本陣にすわった反共逆流とのたたかいで鍛えられつつありますが、わが党おさえこみのこの攻撃を、本格的に打ち破り、突破するにいたっていません。
つぎのいっせい地方選挙、総選挙での、わが党の前進は、この相手の無法な攻撃をはね返し、相手を圧倒するたたかいを、やりぬくことぬきには、ありえません。
このたたかいの位置づけとして重要なのは、これはただ「反共反撃」――攻撃されたら反撃するというものにとどまるわけにはいかないということであります。もちろん、彼らの攻撃に反撃し、党の真の姿を広い国民に理解してもらうとりくみの重要性はいうまでもありません。しかし、このたたかいはそれにとどまらず、反動政治の主柱を打ち破るたたかいであり、日本の民主主義をまもるたたかいであり、国民の暮らしと平和をまもるたたかいであり、「国民が主人公」の日本の道をすすむうえで避けて通れないたたかいであります。これに攻勢的にとりくむことは、日本の民主主義をまもるわが党の重大な使命であります。
ここでは彼らのくわだてをどう打ち破るかについて、二つの角度からのべたいと思います。
第一は、与党入りした公明党・創価学会は、国政でも地方政治でも、国民犠牲の反動政治を支える主柱の役割を果たしており、その反動的役割を、国民の目線にたって、またたしかな事実にそくして、徹底的に明らかにする論戦をすすめることです。
たとえば、国政では、私は、通常国会の閉会にあたっての議員団総会で、「今度の国会では公明党のこれまでの『四つの看板』がすべてはがれ落ちた」――「清潔の党」「福祉の党」「平和の党」「公約実現の党」――このすべての看板がうそ、偽りだったことが明らかになったという批判をおこないました。
たとえば医療改悪法案について、自民党議員もあまりの国民的批判に強行をちゅうちょし、医師会代表が断固反対する局面でも、動揺せずに断固として(笑い)強行の先頭にたったのは公明党でした。しかし公明党が、一九九八年、二〇〇一年の参院選で、「医療費の負担増に反対」「三割負担に反対」と公約した事実は消すことはできません。わが党議員が、この問題を追及すると、公明党出身の坂口厚生労働大臣は、答弁不能におちいって、「高齢化が進むなど状況が変わった」「連立に入ったのでやむをえない」と苦しまぎれの答弁をおこないました。冗談ではありません。公明党が与党になると、一気に「高齢化が進む」とでもいうのか(笑い)。支離滅裂というしかありません。「連立に入ったから」といういいわけもなりたたない。その党の政策が百あるうち、連立に入って五十しか実現しないということはあるでしょう。しかし公約と逆のことは、これはできないんですよ。そんな連立だったら、入る方が間違っているのではありませんか(拍手)。こうした役割について、国民に徹底的に明らかにしていこうではありませんか。(拍手)
地方政治をみましても、公明党・創価学会は、文字どおりの反動政治の主柱であります。地方政治の場では、自治体の深刻な矛盾のなかで、保守の議員とも、わが党議員との共同がすすむ場合が少なくありません。そういうところでも、公明党はいつでもどこでも(笑い)、反動と反共の先兵の役割を果たしています。
政府がすすめている「地方行革」の名による住民福祉切り捨てのもっとも冷酷非情な推進者の立場にたち、これに反対するわが党を「行革反対の党」と逆に攻撃しているのも公明党・創価学会です。住民からの切実な願いを盛り込んだ請願に、いたるところで敵対し、議会でとりあげることを妨害しているのも公明党・創価学会です。くりかえし敵対・妨害しておきながら、住民世論の盛り上がりでいざ実現しそうになると(笑い)、直前に質問したり、行政に申し入れたりして(笑い)、自分の「実績」として宣伝し、実現のために粘り強く運動をつづけてきた党や住民運動を、「ハイエナ」として攻撃してきたのも、公明党・創価学会であります。(「そうだ」の声、拍手)
住民の立場にたって、彼らの果たしている反動的・反住民的役割を、徹底的に明らかにするたたかいをすすめようではありませんか。(拍手)
第二に、公明党・創価学会とは、そもそもどういう集団かという、「そもそも」論が重要であります。
創価学会の池田大作氏は、連立政権入りと権力の一部を手にしたおごりから、かつて池田氏みずから「猛省」をせまられた言論出版妨害事件を、「仏敵」の「悪逆」な攻撃から「信教の自由」をまもるための「正義の闘争」だったと描きだし、二〇〇〇年来全国で展開してきた反共謀略の選挙戦を「仏敵との闘争」の名で正当化するにいたっています。
創価学会は、自分たちは何をやっても「仏」(笑い)、それを批判するものはすべて「仏敵」だという究極の独善主義の論法で(笑い)、自分たちにとって邪魔なものは「撲滅」の対象とする立場を天下にむきだしにしたのであります。
不破議長は、昨年の参院選中に発表した論文「創価学会・池田大作氏に問う――31年前の『猛省』は世をあざむく虚言だったのか」で、この問題をするどく提起しましたが、それから一年余りたっても、創価学会・池田氏は回答不能のまま、居直りと憎悪にみちた攻撃をくりかえしています。
公明党・創価学会が、批判者の存在すら許さない反共と反民主主義を本性とする謀略集団という本質をもっていることを、動かない事実にもとづいて明らかにし、彼らによる日本の政治の暗黒支配を許さないたたかいをすすめることは、二十一世紀の日本の民主主義の根本にかかわる問題であります。(「そうだ」の声、拍手)
彼らは、不破論文の提起も、わが党の「四枚看板ははがれ落ちた」の批判にも、沈黙を決め込むしかありません。事実と道理にもとづく正面からの批判には、彼らは答える術(すべ)をもちません。恐れず正面から立ち向かうなら、この邪悪な逆流は必ず打ち破ることができます。みなさん、戦前からの不屈の民主主義の党として、この仕事をやりとげようではありませんか。(大きな拍手)
つぎに議員活動の改善と強化について報告をいたします。
議員アンケートでは、この問題での現状の矛盾や困難、その改善を痛切にもとめる声がたくさん寄せられました。とくに多く寄せられた悩みは、「仕事が過重すぎて、本来の議員としての勉強もできないし、任務が十分果たせていない」というものでした。「心底議会の準備をこなしきって、議会にのぞんだことは一度もない。議員としての重さにおしつぶされそうになりながら、必死にもがいている」とつづった同志もいました。
これらは、住民の期待にこたえて、議員活動をもっと豊かに充実したものにしたい、選挙でも勝利をかちとりたいという真剣な立場からの声であり、ここには、全党の努力で、改善をはからなければならない重要な問題の提起があると考えるものであります。
そもそも党の議員の任務とは何でしょうか。
党規約第四十四条では、党の地方議員および地方議員団は、「地方住民の利益と福祉のために活動する」とのべています。ここで明記されているように、党の地方議員のもっとも重要な活動は、有権者から選ばれた議員として、「地方住民の利益と福祉のために活動する」ことにあります。これは、議員の第一義的な仕事であります。
その議会での論戦と活動ぶりを有権者がみて、「この党ならばもっと大きくしなくては」という信頼と共感が広がるような議員活動をしているかどうか――ここでわが党の議員の値打ちがはかられることになります。
他の仕事が過重すぎて、こうした議員の第一義的な仕事が果たせない状況があるのなら、それは党として有権者への責任が果たせていないということになります。またそれぞれの議会で、計画的に後継者をつくり、議員を増やすということは、党機関・支部と議員の共同の大切な仕事ですが、議員活動が矛盾をかかえたままでは、こうした仕事にも困難がもちこまれることになるでしょう。それは党全体の粘り強い努力によって改善しなければならないということを、まず強調したいと思います。
同時に、わが党の議会活動は、国会でも、地方議会でも、国民の運動のなかの有機的な一部分であり、党の政治活動の有機的な一部分であって、それと切り離されて存在しているわけではありません。住民運動にしても、党建設にしても、それぞれの議員の同志が、それぞれの条件や可能性――議員ならではの条件や可能性を生かして、力を発揮してこそ、議会活動も豊かなものとなるし、党と国民の運動を発展させることもできます。ここに人民的議会主義にもとづく、わが党の議員活動の基本的見地があります。党大会決定などで、党議員が「党活動全体にわたる『けん引力』」を発揮しようと、くりかえし強調してきたのは、そうした立場からであります。
とくに党建設の分野で、党の議員のみなさんが支部や機関と協力して果たしている役割は、きわめて大きなものがあります。日本共産党は、40万をこえる党員と、200万ちかい「しんぶん赤旗」読者という、発達した資本主義国では最大の党として二十一世紀にのぞんでいますが、これは全国の草の根で奮闘する4400人の地方議員のみなさんの奮闘ぬきには、絶対になしとげることができなかった到達であります。
私は、「地方住民の利益と福祉のために活動する」という議員としての任務を果たしながら、「党活動全体にわたる『けん引力』」の仕事を前進させるために、苦労を重ね、困難をかかえながら、日夜奮闘されている全国の議員のみなさんの活動に、心から敬意と感謝を申し上げたいと思うのであります。(拍手)
議員のみなさんがその積極的役割をさらに前進させながら、党活動の過重負担などの矛盾をどう解決し、どう議員活動の改善をはかっていくか。
これも万能の方程式があるわけではありませんが、私は、全国のすすんだ経験の教訓をふまえ、議員、支部、党機関が協力して、つぎの三つの努力目標にとりくむことを提案したいと思います。
第一は、議員と党支部が、互いに支え合い、協力する党活動をきずくことです。支部は、選挙の時だけでなく、日常的に議員活動を支える。議員は、支部が「支部が主役」の自覚的な活動ができるように協力と援助をはかる。こういう支え合いの関係を、全国どこでもつくりたいと思います。
たとえば七月にたたかわれた定数3の補欠選挙で、トップ当選をかちとり、現在4人の議員団となっている埼玉の鴻巣(こうのす)市議団は、支部と互いに支え合い、協力して活動を前進させており、教訓的です。
議員団は、毎週の団会議で議会活動はもちろん、住民運動、党勢拡大などについて議論するとともに、それぞれの担当地域の支部会議に参加して議論し、たえず支部と協力して活動をすすめています。
四つある居住支部は、住民要求に耳を傾け、議員と協力して、「道路の舗装を」「踏切に歩道を」など、さまざまな住民要求をとりあげ、署名運動などにもとりくみ、議員団はこれらの要求を議会でとりあげ、実現のために奮闘しています。
それぞれの議員は、担当支部に自らの活動スケジュールを知らせたり、議会活動について報告するなどの努力をしています。他方、支部は、毎回、議会傍聴をおこない、議員の活動を励ましています。
この議員団でも、話をきいてみますと、「支部とのあいだにいろいろな矛盾が起こるし、まだ配達集金の過重負担もある。多くは党が小さいことから来る矛盾で、まだまだ党が小さい、それが悩みだ」とのべていました。ここからはさまざまな問題を、根本的には、党を強く大きくすることによって解決しようという思いが伝わってきます。
全国の議員のみなさんがおかれている状況はさまざまです。支部長と兼任だから“支え合う”といってもどうするんだ(笑い)という方もいらっしゃるかもしれません。ただどこでも基本の姿勢として、“支え合う”という方向で議員も支部も努力する必要があるのではないでしょうか。
議員と支部が、仕事の押しつけあいではなく、互いに役割を分担し、支え合い、協力する。この気風を全党に広げようではないかということを、第一に提案したいと思います。(拍手)
第二は、そのためにも、議員と党機関の心の通った関係をきずくことであります。党規約第四十四条では、党機関の議員団にたいする指導責任について、「都道府県委員会および地区委員会は、地方議員および地方議員団を責任をもって指導する」と明記しています。
「責任をもって指導する」とは、まず何よりも議員と議員団が、議会活動において先駆的な役割を発揮できるように、機関自らが地方政治の中心点をつかみ、地方政治に責任をもって、議員団の活動を援助するということであります。過重負担の問題の解決も、こうした見地から、議員にたいする指導、援助のもっとも重要な一つとして、党機関は位置づけてとりくむようにしなければなりません。
同時に、議員の側からも、その悩みを、率直に党機関に提起し、過重負担などの矛盾を解決するための努力をはかる責任があります。「自分ががんばればよい」と自らに言い聞かせているという同志もありましたが(笑い)、重すぎる荷物をいつまでも背負いつづけることはできません。重すぎる荷物を背負っていては、結局は議員活動も、「支部が主役」の党建設も、どちらも中途半端になってしまいます。「どうせ言っても無駄」(笑い)という同志もいるかもしれませんが、議員団への援助を十分にできていない党機関の側も、心の底からこれでよいと考えているものではないと思います(笑い)。心の底では党機関の側も何とかしたいと思っているのです。言わないで「無駄」というのでは、永久に解決の道は開けませんから、胸をひらいて何でも相談できる関係をきずいていただきたいと思います。
議員・議員団と党機関が、心の通った指導・援助の関係をきずくために、互いが努力することを、私は心から党機関にも、議員のみなさんにも強く訴えるものです。(拍手)
第三は、議員団の確立と強化をはかることであります。わが党は、「支部が主役」の党活動をきずくうえで、「週一回の支部会議」をその要としようと努力をかさねていますが、会議が必要なのは議員も同じです。それぞれが苦労や困難をかかえているなかで、何でも話し合える温かい人間集団をつくってこそ、知恵もわき、勇気もわきます。
党規約第四十四条は、「各級地方自治体の議会に選挙された党の議員は、適切な単位で必ず党議員団を構成する。すべての議員は、原則として議員団で日常の党生活をおこなう」とのべています。これは、わが党の地方議員の4400人のうち、約三分の一にあたる1300人余の同志がその議会で一人であることを重視し、「議員団に属さずに一人で活動するという議員の同志は一人もいないようにする」ためであります。
今回の議員アンケートでも、議員団を確立し、団会議を定例化しているところでは、議員活動でも、住民運動や党建設でも、大きな力となっていることが、報告されています。「団活動は新人議員にとっても心づよく、励みになっている」「要請されて立候補して議員になり、右も左もわからない世界に一人取り残されて精神的に屈しそうになった時に、議員団が結成され救われました」などの声も少なからず寄せられました。
同時に、まだ不定期だったり、参加が少なかったりというところも少なくありません。「支部から離れて議員団をつくることは不可能である」という意見もありました。たしかに、現状では、支部の力がまだ弱くて、支部長兼任の議員も少なくありません。その点を考えて、規約では、「原則として議員団で党生活をおこなう」とし、一律にすべての議員が議員団で党生活をおこなうという機械的な規定にしていません。ただ党生活の基本が支部にある議員の同志も、議員団の会議には必ず参加して、集団的な議論の場にくわわるようにすることが大切です。やがては力量ある支部を建設し、議員が議員団所属に移れるようにめざすということも大切です。
いくつかの角度から、議員活動の改善と強化の努力目標をのべました。これはわが党の議員が生きいきとその力を発揮し、いずれは5000人、6000人と、さらに前進していくうえで、避けて通れない大切な課題として、党全体の英知と力を結集してとりくむべき課題だということをお互いに確認したいと思います。(拍手)
党規約では、「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」と明記していますが、議員がその模範となることはきわめて重要です。
ごく一部ですが、市民道徳と社会的道義に反する事件をおこし、せっかく有権者から負託された議席を失うこともありますが、絶対にあってはならないことです。私たちは積極的にさまざまな政治課題に挑戦するとき、「失敗を恐れず」とよくいいますが、こういう「失敗」はとりかえしがきかなくなります。
議会という場には、悪い政治にともなう、不道徳と退廃の空気も、もちこまれてきます。悪い慣行もある。わが党の議員が、知らず知らずのうちに、そうした空気にまきこまれることのないように、常日ごろから注意をはらうようにしたいと思います。
議員アンケートでは、多種多様の悩みや相談が寄せられました。とくに新人議員のみなさんからの悩み、また家庭や人間関係での悩みも多く寄せられました。解決に力のいる問題も少なくないけれども、ちょっとした援助があれば解決するのにと思うものも、しばしばありました。
党中央に、地方議員相談室が設けられたのは一九九八年六月ですが、それ以来、のべ8369件の相談が寄せられ、重要な役割を果たしてきました。ただ、中央委員会が、全国の3300自治体の状況を、日常的に熟知するのは不可能でありまして、ただちに相談に答えられないケースもあります。なかには「これから十五分後に議会が始まるのだが、この案件はどうしたら…」という相談もきます(笑い)。そういう相談も遠慮せずにどんどん寄せて頂いて結構なのですが、ただちに答えられないケースもあります。
議員アンケートでは、議員相談員を県においてほしいという要望もだされました。そこで、この会議を契機として、中央委員会が援助して都道府県にも議員相談員をおけるようにしたいと思います(大きな拍手)。都道府県としてその仕事に適任の同志の人選をおこない――適任でなくてはなりません(笑い)、中央委員会に申請を出してもらえれば、中央が一定額の手当の援助をする仕組みをつくりたいと思います(拍手)。全国を調べてみましたら、すでに福岡県では県独自に相談員をおいて、大きな効果をあげている、とききました。議会が始まると、一日30件ぐらい相談があるという話もききました。きめ細かく相談にのれるようにするために、この新しい制度を積極的に活用してほしいと思います。(拍手)
二十一世紀初頭の情勢は、内外ともに、歴史が大きく動くことを予感させる大激動のなかにあります。きたるべきいっせい地方選挙と総選挙で、全国の地方議員のみなさんが、全党と心を一つにして、もてる力を存分に発揮して奮闘し、つぎの選挙ではわれわれは必ず勝利者となって立ちあらわれることができるように全力をつくすことを強くちかいあって、報告を終わります。(長くつづく大きな拍手、歓声)
(2002年9月1日(日)「しんぶん赤旗」より)