新宿末広亭、「金比羅船々(こんぴららふね)」の出囃子(ばやし)で高座に上がると、「待ってましたっ」のかけ声が飛び、割れるような歓声と拍手に迎えられた柳家権太楼さん。働き者のおかみさんが、ぐうたら亭主のぐちをこぼしに駆け込んできて...。唇をかむ仕草、袂(たもと)で顔をおおう恥じらい、女性のかわいらしさがにおい立ちます。
古典落語の噺(はなし)家として、演芸大賞ホープ賞(1980年)、浅草演芸大賞(2002年)などを受賞、人気絶頂です。
柳家つばめ師匠に師事。芸にとどまらず、「考え方から人間としてのあり方すべてを学びました」。「できた人で、弟子を怒ったことがない。『こう言ったら、この子はどんな感情を持つだろうか。この子のためになる言い方はどんな言葉か』そこまで考えて、発するような人でした。ぼくの落語ができるのも、あの人のおかげです」
でも、「自分が人格者になったかといったら、それは別。あたしは、わがまま放題に生きていると思います。とにかく古典落語しかやるつもりないんです」。
古典落語の面白さは、「どんだけやっても完成しない。頂上まで登ったと思っても、実はちがってた。あたし一人の人生ではたどりつかないんです」。
「駅伝と同じで、たすきを渡すために生きてる。何百年、つづいてきた噺をこれからやる人に渡すために、しゃべれなくなるまでがんばんなきゃなんない。だから面白い。みんなそう。バトンを受け継いで、今、ぼくたちが走ってる。それが古典落語の魅力ですかねえ」
自殺を考えていたという人から、「あなたの落語を聞いてたら、笑っていた。まだ笑える。もう一度、やり直そうと決めました」と手紙をもらったことも一度にとどまりません。「よかったなと思いました。高座の力だったんでしょうね」
自身にとって夢が実現したのは、国立劇場の落語研究会でトリを務め、やりたかった「文(ぶん)七(しち)元結(もっとい)」をやり終えたときでした。「すべてがかなった実感がありました。そのあと、確実に持続していかなきゃいけない。よけいに努力が必要です。後につづく者を、かんたんに上がらせないぞという意地もありますし」
赤旗まつり出演は二ツ目以来、30年ぶりといいます。「実は高校時代、学生時代にも、労組幹部だった兄に連れられて、赤旗まつりに来たことあるんですよ。ベトナム反戦の運動の盛り上がっていたライシャワー駐日大使辞任の騒ぎのころ行ったのを覚えてますよ」
まつりの寄(よ)席(せ)ではトリを務めます。当日のネタは? 「さて、どうなりますか。高座に上がるまで出てこない。座布団に座って出てくるのが自然体です」
寄席のお客さまへ。「楽しんでください。まかしてください」
文 浜島のぞみ 写真 橋爪 拓治(2010年10月2日(土)「しんぶん赤旗」)