2006年12月3日(日)「しんぶん赤旗」
主張
「残留孤児」訴訟
国は判決に従い早期の救済を
祖国で日本人として、人間らしく生きる権利を認めてほしいと訴えていた「残留孤児」訴訟で、神戸地裁が一日、国家賠償を認める判決を出しました。
全国十五地裁に提訴されている訴訟で、初の原告勝利判決です。訴訟に加わる二千人を超える「残留孤児」たちに、希望を与えるものです。
国の責任を認める
原告の「残留孤児」は、戦前から戦中にかけ、国策で中国東北部(旧満州)にくらし、一九四五年の終戦のさい肉親と別れ、置き去りにされた人たちです。四十年間にわたり中国に留め置かれ、一九八〇年代後半に永住帰国が本格化した後も適切な自立支援策がありませんでした。
判決は、一般人を無防備な状態に置いた戦前の政府の政策を「無慈悲な政策」と断じるとともに、「憲法の理念を国政のよりどころとしなければならない戦後の政府」として、「残留孤児を救済すべき高度の政治的な責任」が政府にあったと明確に指摘しています。
ところが国は「早期帰国を実現すべき政治的責任」を果たそうとせず、一九七二年の日中国交正常化後も、「残留孤児」を外国人扱いして帰国にさいし身元保証を要求するなど「帰国制限」の措置をとってきました。こうした「違法な行政行為」の結果、「残留孤児」の帰国が遅れ、八〇年代になって永住帰国が認められたときには、大半が日本社会への適応に困難をきたす年齢になっていました。判決は、「違法な行政行為」と、救済責任を怠った「政府の無策」をきびしく指弾しています。
しかも政府は、「残留孤児に対し、日本社会で自立して生活するために必要な支援策を実施すべき法的義務」があったのに、帰国した「孤児」にたいし政府が実施した支援策は極めて貧弱であり、日本語の習得が不十分なままの状態の帰国「孤児」に強引に就労を迫るなどの、誤った“自立支援策”に終始しました。
判決は、政府がとるべき自立支援策は「生活の心配をしないで日本語の習得、就職・職業訓練に向けた支援」だったのに、この法的義務を怠ったと、政府の怠慢にきびしい目をむけています。
判決は、原告らに「北朝鮮拉致被害者が法律上受け得る日本語習得、就職や職業訓練に関する支援措置と同等の自立支援措置を受ける権利があ」ると判断しています。「孤児」の多くが高齢で健康を害し、生活に困窮しています。永住帰国した「孤児」の約九割が、集団訴訟に加わっている現状を、国は直視すべきです。
「残留孤児」が訴えた裁判で最初の司法判断となった〇五年七月の大阪地裁判決は、原告側の主張を退けました。また、今年二月の「残留婦人」の国家賠償請求訴訟の東京地裁判決では、国には早期帰国実現と自立支援の責務があり、国の施策に怠慢があったと認めたものの、原告の請求は棄却しました。
今回の神戸地裁の判決は、司法としても「孤児」の救済に大きく踏み出したものです。国の手厚い支援と救済が切実に求められています。
国は控訴せず解決を
判決を力に、全国の「残留孤児」とその関係者は、全面解決を強く求めています。政府は、判決を真剣に受け止め、絶対に控訴を避け、全面解決に踏み出すべきです。
判決は、「残留孤児」の救済を放置してきた国の姿勢の根本的な転換を迫る大きな一歩です。全面解決によって、これまでの誤った「棄民」政策に終止符をうつときです。