2006年11月25日(土)「しんぶん赤旗」
イラクテロ
宗派暴力生んだ米占領
憎しみ、対立あおる
二十三日のバグダッドでのイスラム教シーア派住民を狙った爆弾テロ事件は、イラクの宗派間暴力の深刻さを改めて示しました。スンニ派、シーア派双方の民兵組織や、その他のテロリスト組織が、互いの宗派に属する有力者や一般市民を狙う爆弾テロや、誘拐、拷問、殺害で、この数カ月間、毎日百体前後の遺体が発見されていると報じられます。事態は旧ユーゴスラビアでの民族浄化に似てきているとの指摘もあります。
こうした状況は、米軍主導のイラク戦争と、その後の占領のもとでもたらされました。
イラクは主に、イスラム教シーア派のアラブ人(人口の60%)、同スンニ派のアラブ人(20%)、クルド人(15%)という三つの民族・宗派で構成されています。フセイン政権時代には、政府によるシーア派住民虐殺などがあっても、異なる宗派同士の結婚も珍しくなく、違う宗派・民族が共存する地域も少なくありませんでした。
しかし米軍占領下での政治過程で、政治的な宗派主義が意図的にあおられました。選挙は民族や宗派に基づく政党連合の対決となり、憲法制定では民族・宗派に基づく三つの地域分割と連邦制が問題となりました。連邦制導入は、石油資源の分配でスンニ派に不利益をもたらすことが指摘されました。
米軍は占領開始直後から、占領に抵抗するスンニ派居住区、特に中部ファルージャを徹底して攻撃しました。さらに二〇〇五年九月のスンニ派掃討作戦などで米軍は、シーア派アラブ人やクルド人の民兵組織を参加させました。
米軍が育成をめざす治安組織では、十一万人の警察をもつ内務省を〇五年秋にはシーア派が支配したといわれるまでになり、内務省の建物内でのスンニ派に対する拷問も伝えられました。これらが、スンニ派勢力のシーア派政治勢力への憎しみを生み出したとされます。
今日に至る宗派暴力激化への転機となったのは、今年二月、サマラにあるシーア派聖廟(せいびょう)が何者かに爆破された事件でした。以来、民兵組織による報復の応酬と、テロリストの暗躍が、事態をいっそう悪化させてきました。(小玉純一)