2006年10月31日(火)「しんぶん赤旗」
いじめの克服になにが大切か
志位委員長の質問
教育基本法改悪案の問題点ただす
三十日の衆院教育基本法特別委員会で、日本共産党の志位和夫委員長が行った質問(大要)は次の通りです。
志位 いじめ自殺はあってはならない
首相 あってはならないことと認識
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志位和夫委員長 日本共産党を代表して、安倍首相に質問いたします。
この間、福岡県、北海道の学校で、子どもがいじめによって自殺に追い込まれた事件があいついで明るみにでました。今日も、岐阜県の中学校二年生の女子生徒の自殺が報じられております。今日は、この問題とのかかわりで、教育基本法改定の問題点について、総理にただしたいと思います。
この問題での国民の不安は、たいへんに強いものがあります。「子どもが学校に行っている間が不安だ」、「『ただいま』という声を聞くまで落ち着かない」――こういう声が、多くの父母から寄せられてきておりますが、これはきわめて深刻な事態だと思います。
福岡県の中学校二年生の男子生徒は、「いじめられて、もう生きていけない」という悲痛な遺書を残して、命を絶ちました。私は、いじめによる子どもの自殺というのは、教育の場では絶対にあってはならないことだと思います。この点は総理も同じ気持ちだと思いますが、いかがでしょうか。端的にお答えください。
安倍晋三首相 いじめの問題というのは、昔からあるわけでございますが、昨今のいじめによって子どもが自殺に追い込まれる、これはもちろんあってはならないことであると認識しています。
いじめ自殺をなくすには
志位 早期発見、教職員の一致協力が大事と文科省も言っている
首相 件数の多少ではなく対応が大事
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志位 どうすればいじめ自殺をなくせるかという問題です。
文部科学省は、十九日に、全国の教育委員会の担当者を集めて会議を開いております。ここに文科省が会議で配布し説明した「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント」と題する文書があります。これを読みますと、「いじめについては、『どの子どもにも、どの学校においても起こり得る』ものであることを十分認識」すべきだと強調するとともに、「学校を挙げた対応」として、次の二点が強調されています。
一つは、いじめの早期発見、子どもからのいじめのサインを見落とさないことであります。この文書では、「いじめの問題については、その件数が多いか・少ないかの問題以上に、これが生じた際に、いかに迅速に対応し、その悪化を防止し、真の解決に結びつけることができたかが重要となる」、こう強調されています。
いま一つは、教師集団が協力しあって問題を解決することの重要性です。この文書では、「各学校において、校長のリーダーシップの下に、それぞれの教職員の役割分担や責任の明確化を図るとともに、密接な情報交換により共通認識を図りつつ、全教職員が一致協力して指導に取り組む」、「いじめの訴え等を学級担任が一人で抱え込むようなことはあってはならず」と強調されております。
要するに、いじめの件数が多いか少ないかよりも、いじめを早期に発見し、教師集団が協力しあって問題を解決することが、何よりも大切だといっていると思います。私は、文部科学省のこの方針は、この限りではその通りだと考えますが、総理の見解はいかがでしょうか。
首相 ただいま委員が指摘されたように、いじめというのは、どの学校でも起こり得るでしょうし、また、だれにも起こり得ると、この認識のもとに、いわばいじめの件数がどうこうということではなくて、大切なことは、そうしたいじめが起こったときに、隠ぺいしようとするのではなくて、ただちに対応するということが重要ではないかと考えています。そのなかで、教育委員会のチェック機能が働いていくよう、そのあり方についても早急に議論をしていく必要があると考えています。
また、今後規範意識をしっかりと身につけさせ、いじめを防止することにつとめていく必要もあるでしょうし、悩みを抱えている子どもたちに対して、スクールカウンセラーの活用など相談体制の充実をはかっていく必要もあると思います。また、委員が指摘された文科省が出した方針をしっかりと実行していくことは当然であろうと思います。
現実はどうなっているか
志位 件数の多少で学校と教師を評価し、実態を見えなくさせている
文科相 目標をたてる必要がある
志位 数値目標だけおしつける改定案はいじめ克服に困難もちこむ
志位 いま総理は“いじめの件数がどうかという問題ではなくて、対応が大事だ”といわれました。その通りだと思います。
ところが現実はどうなっているか。いじめの件数が多いか少ないか、これで学校と教員を評価するという事態が、全国で起こっているというのが現実です。
二年生の男子生徒がいじめに苦しんで自殺した福岡県筑前町の中学校では、事件後、この数年で七、八件のいじめがあったことが明らかになっておりますが、報告では「ゼロ」となっていました。福岡県では、県の教育委員会が、市町村の教育委員会の指導主事を集めた会議で、「いじめは一件もあってはならない」と強調し、全県の学校への徹底を指示していました。そのもとで、私たちが県内の教員や父母に直接お話をうかがいますと、「いじめを明かせば『ダメ教師』と評価されかねない」、「いじめがあると校長や教師がマイナス評価になる」、こういう風潮がつくられているというお話でした。
同様の事態というのは、全国でも起こっています。先日、TBSテレビで放映された、みのもんたさんの「朝ズバッ!」という番組では、次のような現役の教師の声が紹介されました。「自分の恥も含めてファックスします。現在『自己管理シート』というものがあって、各教師が目標を立ててどれだけ研鑚(けんさん)に励んだかを管理職が評価するものです。ここに、自分の学級にいじめがあるなどと書こうものなら、神経質な管理職なら書き直しを命ぜられます。ほとんどは上を狙っていい報告をするんです。『自己管理シート』の評価が悪いと、給料に反映するんです。こうして、物言わぬ教師がどんどんつくられていく」
さらにもう一つ、これは東京新聞の特集記事でありますが、いじめが隠されてしまう実態を告発しています。そこで紹介されている東京都内の中学校に勤める女性教師はこうのべています。「最近は、いじめを同僚教師に相談できない雰囲気になっている」、「学校が管理社会になってしまい、いじめを表沙汰(ざた)にすると、自分の業績評価に響いてしまうので、教師が一人で抱え込んでしまう」、「それだったら、最悪の事態があっても、いじめには気が付かなかったと言う方がまだましということになる」。
首相にうかがいたい。いじめの件数が多いか少ないかで、結局、学校と教員が評価されている。こういうやり方がいじめの実態を見えなくさせ、教師集団が協力してこれに対処することを困難にさせている原因の一つになっているのではないでしょうか。いじめの件数が多いか少ないかというやり方で、学校と教員を評価するというのは、私はいじめ克服のうえでも有害なやり方だと考えますが、総理の見解をうかがいたいと思います。
伊吹文明文科相 志位先生がおっしゃるようなことだから隠ぺいが行われているのか、それとも教師が規範意識を持ってないから自分をよく見せようとして隠ぺいしているのか、これは見方があります。そして、仕事には目標を立てて、いじめならいじめを減らしていくということを、だからやめろというわけにはいかないんですね。いまご指摘のあるようなことにならないような運営は心がけるように教育委員会にわれわれも話しますけれど、だからといって目標を立てていじめを減らすやり方はやめろということは、私はちょっと本末転倒だと思います。
志位 いじめの多寡――多いか少ないかで評価するというやり方を押しつけたら、結局、教師をそういうところに追いこんでしまうというシステムを、私は、問題にしているわけです。
教育基本法改定との関係でいいますと、この基本法が改定されたらどうなるか。国が「教育振興基本計画」をつくる。そしてそれを全国の学校に義務付けることになるわけです。ここに、中央教育審議会が二〇〇三年三月に「教育振興基本計画」のひな型として発表した文書があります。それを見ると、数値目標がずらっと並んでいます。そしていじめについても「五年間で半減」という数値目標が書かれております。私は、この文書のなかで、いじめ問題について書かれているのは他にないかなと思ってよく読んでみましたけれども、書いてあるのは「半減」という目標値だけなのです。
私は、こういうやり方が全国の学校にもし義務づけられるとしたら、それこそいじめの件数が多いか少ないか、それだけを「ものさし」にして評価されてしまって、結局、学校と教師がいじめの問題を本当にありのままを報告し、その実態に即して対応する、これを妨げてしまうのではないか。政府も、会議を開けば、いじめの件数の多寡が問題ではなくて、対応が大切だといっているわけでしょう。ところが実際は、数値目標だけを押しつける。こういうことをやったら、私はいじめの実態が水面下に隠れてしまって、対応ができなくなると考えますが、今度は総理どうですか。
首相 しかし、そのいじめの実態があるのであれば、いじめを減らすべく努力するのは当然のことであって、とりあえずそのなかでこういう目標を立てましょうと。
しかし、そういう目標を立てたなかにあって、それを隠ぺいするというのはまた別の話であって、教師こそそんなことを、規範から外れることをやってはいけないのであって、そのためにどういう工夫をしていこうかということすら考えない先生がいることも問題でありますが、まずはそういう目標を立てたら、どう子どもたちに向き合っていけばいじめが減っていくかということを先生方にも考えていただかなければいけないし…。
もちろん先生にすべてを担わせるのは大変かもしれませんが、しかし学校全体、あるいは地域や家庭も一緒になって連携しながらやっていこうというなかにあって、先生がリーダーシップを発揮していくことは当然求められることではないかと思います。
志位 教育現場がありのままの事態を報告する、隠ぺいしたりすることは許されないと、これは当たり前のことです。ただ、(学校と教師を)そこに追い込んでいくようなシステムを問題にしているのです。
私は政府のやっていることは矛盾していると思います。いじめ自殺という深刻な事態が起こったら、全国の担当者を集めて、そこで意思統一することは、“いじめの発生の件数が多いか少ないかよりも、どう対応するかが大事なんだ”ということをいっておきながら、教育基本法改定で押しつける目標というのは数値目標だけだと。これではかるということになったら、私はいじめ克服に逆行することになると思います。
いじめの温床
志位 学校教育において競争が子どもに強いストレス
首相 ストレスといじめの関係は何とも申し上げられない
志位 もう一点考えるべき問題は、いじめの温床の問題です。
いじめがどうして起こるか。それは道徳心の問題だけで説明がつく問題ではないと、私は考えます。子どもたちが非常に強いストレス、抑圧感にさらされている。そのはけ口として、いじめという行動を起こす。ここに原因があるということは、多くの調査結果が示しています。
これをご覧いただきたいんですが、これは北海道大学の伝田健三助教授のグループが、二〇〇三年に、小学生・中学生のなかでどのくらいの割合で「抑うつ傾向」、ストレスが見られるかを調査した結果であります。この調査は、政府の科学研究費補助金によるもので、地方自治体も協力し、三千をこえる子どもたちからの回答をまとめたものです。
それによりますと、「抑うつ傾向」――うつ病となるリスクのある子どもの率は、小中学校の平均で13%にのぼります。多くの子どもたちが、「何をしても楽しくない」、「とても悲しい気がする」、「泣きたいような気がする」、「生きていても仕方がないと思う」など、心の叫びを訴えております。抑うつ傾向というのは、小学生平均で7・8%、中学生平均で22・8%、中学3年生になりますと、いちばん右ですが、30%にもおよびます。これは欧米の子どもたちと比べても約二倍のきわめて高い数値であります。
首相の認識をうかがいたい。日本の子どもたちが、非常に強いストレスにさらされている。これがいじめやいじめ自殺の温床になっているという認識はありますか。ストレスといじめの関係です。お答えください。
首相 この問題は専門家に分析をしていただかないと何らか、一概には答えようがないわけでありますが、いわば委員が指摘をしておられるのは、いわばいじめの方にストレスがあって、いじめているということなのでしょうか。
志位 いじめが起こる原因です。
首相 しかしその、昔から、私の子どもの時代にもいじめがあったわけでありますが、しかしそのなかで、自ら命を絶つという子どもがほとんどいなかったのも事実でありますし、いじめのスタイルも今とはずいぶんちがっているのかもしれませんし、それをそういういじめがある、そんなことをやめろとだれかが現れて、子どもたちの何人かでそういうことはもうやめようということになって、そんな長い期間つづかないと、そういうこともあったのではないかと、このように思うわけですが、今はやや、それが変わってきたということと、子どもたちが自ら命を絶つというこの現状について、それがストレスということとの関係については、私、今の段階では何とも申しようがない。
しかし、このいじめの問題と子どもたちが命を絶っているという問題については、教育再生会議についても、対応策について、今、議論をしていただいているところでございます。
志位 いま、いじめとストレスとの関係をうかがったことに対して、何ともいえないということでしたが、否定はされませんでした。これ(いじめとストレスの関係)は多くの調査結果が示していることです。
教育基本法改悪案
志位 義務教育の段階から子どもを「勝ち組」「負け組」にふるいわけ。本当の学力が育たない
志位 子どもがなぜこんなに強いストレスにさらされているのか。ストレスの原因というのはもちろん社会の原因、家庭の原因、さまざまだと思いますが、学校教育のうえでは、子どもたちを競争においたてて「勝ち組」「負け組」にふるいわける、この教育がいちばんの原因ではないかと思います。
たとえば、東京都では、都段階と、多くの市区段階で、一斉学力テストが行われ、結果が公開されています。それが学校選択制とセットですすめられ、点数で学校が序列化され、いわゆる「良い学校」には子どもが集まり、「悪い学校」とされたら子どもが来なくなる。学校は、学力テストで少しでも上位になろうと、いかにテストで良い点数を取るかという対策に追い立てられます。それが子どもをどういう状況に追いこむか。
私は東京のある区の関係者に直接、お話をうかがいました。この区では、小学校二年生以上のすべての子どもに毎年一斉学力テストを行わせ、学校ごとに結果が公表されています。一斉テストでの点数をあげるため、授業時間が際限なくふやされています。正規の六時間の授業のほかに、朝学習、放課後学習が行われ、「サタデースクール」といって土曜日に補習授業が行われ、「サマースクール」といって夏休みに補習授業が行われ、「ウインタースクール」といって冬休みにも補習授業が行われています。
子どもは遊ぶ時間を奪われて、楽しみにしていた自然学校、遠足、音楽鑑賞会、文化祭、学芸祭なども削減・廃止され、授業に変わりました。過去に出題された問題を何度も繰り返し練習させるなど、テストでいかに良い点を取るかだけが最優先され、子どもは疲れ果てています。学校の保健室は、定員五百人程度の小中学校で、一日のべ五十人から百人の子どもたちでいっぱいになっているということも、私は聞きました。
首相にうかがいたい。子どもに、耐えがたいストレスを与えているいちばんの原因は、まさにこういう子どもをたえず競争に追いたてて、序列づける、過度の競争主義ではないか。ここをこそあらためるべきであって、教育基本法を改定したら、これがますますひどくなる。ここに問題があると考えますが、いかがでしょうか。
首相 いろいろな意見がございまして、一部というか識者の中には、いわば「ゆとり教育」によってカリキュラムが少し中身が薄くなりすぎたのではないかという意見もあるわけでございまして、基本的には公教育の場において、高い水準の学力と規範意識を身につけることができるように、そういう条件を整備していくことはわれわれの責任であると考えております。
志位 私は競争とふるいわけからは、本当の学力は育たないと思います。子どもたちに物事が「わかる」喜び、探求心を育てていく中でこそ、本当の学力が育つと思う。
安倍首相のいわれるような「教育再生」――全国の学校を一斉に学力テストをやらせて、序列をつける、こういうやり方からは、私は本当の学力は育たないと思います。
教育基本法の改定というのは、まさに「勝ち組」「負け組」に義務教育段階から子どもをふるいわけるものであって、絶対にやってはならないことです。これは廃案を求めて、私の質問を終わります。
中教審が2003年3月に発表した文書から
いじめ、校内暴力の「5年間で半減」を目指し、安心して勉強できる学習環境づくりを推進する。また、不登校等の大幅な減少を目指し、受入れのための体制づくりを推進する。