2006年10月30日(月)「しんぶん赤旗」
福知山線事故1年半
負傷者の「今」
仕事辞めた/電車乗れない
シンポで語る
死亡者に負い目も感じて
「仕事に復帰できないでいる」「電車に乗れない人もいる」。JR西日本福知山線脱線事故から一年半を過ぎた現在も心と体に深い傷を負った被害者たちが悩み苦しんでいる実態が二十九日、浮き彫りになりました。兵庫県三田市で開かれた「JR福知山線列車事故を考える」シンポジウム(負傷者や弁護士らでつくる実行委員会主催)。負傷者たちが事故後初めて自分の体験について語り、被害者の「今」を訴えました。
「詳細は今も語ることはできません」と言葉を詰まらせながら語ったのは二両目に乗っていて事故に遭った男性(37)。「(事故後は)亡くなった人、重い障害を背負った人、違いは何だったのか考える日々が続いた」といいます。
昨年八月、負傷者たちがこの男性の自宅で語り合う場を持つ中で、少しずつ情報を共有できるようになりました。
男性はいいます。「負傷者には体調が不調でも(解雇されるのを恐れて)仕事に復帰しなければならないし、仕事を辞めざるを得ない人もいます。電車に乗るという当たり前のことが恐怖となりできなくなった人もいます。JRの安全は、国民の安全に直結しています。当事者だけの問題ではなく日々公共交通の安全について求めていかなければなりません」と訴えました。
「シンポジウムで発言したことでまた半歩踏み出せました」と語るのは西宮市の会社員の女性(47)。四両目に乗っていて事故に遭いました。
女性は、百七人が亡くなり、多くの人が重傷を負ったのに、と軽傷の自分に悩み苦しんできました。周囲には「自分は大丈夫」と明るく振る舞ってきました。しかし、実際は電車に乗ると恐怖と緊張で固まってしまう自分がいました。JRに乗ることができずに通勤を阪急に変えました。「急に悲しくなって涙が止まらないことも」ありました。
転機になったのは昨年九月、負傷者の集いに初めて顔を出したこと。「被害の数だけ問題と悩みがある」ことを知りました。「一人ではない、いつか元気と笑顔になれる。少しだけでも一歩を踏みだそう」と語りました。
鉄道事故被害者や弁護士らでつくる鉄道安全推進会議(吉崎俊三会長)事務局長の佐藤健宗弁護士は「航空・鉄道事故調査委員会まかせにせず、被害者や沿線利用者がものをいうことが重要」と発言。「ばらばらになりがちの負傷者に新たなつながりと声を持っていく場ができた」と話していました。
兵庫県こころのケアセンター研究部長の加藤寛さんは、事故から七カ月目でも負傷者(有効回答者二百三十八人)のうちPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が強い人は全体の44・3%、うつ症状の強い人が18・8%あったことを紹介しました。