2006年10月29日(日)「しんぶん赤旗」
主張
高校履修不足
競争主義の弊害みすえ議論を
各地の公私立高校で、世界史など必修科目の履修をさせていなかった問題が次々と明らかになっています。
学校が大学受験のための授業を優先し、入試に関係がない科目の履修を意図的に省き、結果としてこのままでは生徒が卒業できないという事態をまねいたものです。
これに対し、政府は「学校側に原因があった。教育委員会がチェック機能を果たしえなかった」(安倍首相)と、もっぱら批判の矛先を学校と教育委員会にむけています。しかし、今回おきたことには、個々の学校、教育委員会の責任だけですませることができない背景があります。
問題の背景にメスを
一つは、高校教育のゆがみです。
学校が履修すべき科目も履修させなかったのは、受験に有利にするためであり、競争教育の弊害そのものです。各学校に深い反省が求められるのは当然として、見過ごせないことは、政府がその弊害を助長していることです。
とくにこの間、文科省が教育の数値目標を強調し、少なくない教育委員会が受験の面でも数値目標を持ち込み、受験競争をあおってきました。
未履修問題が問題になったある公立高校の「重点目標」は、第一が「現役進学者における三学年当初の高い第一志望決定率55%以上」、第二が「国公立大学合格者数百五十名」です。
高校教育が生徒の進路を保障することは大切なことですが、それは、生徒の「人格の完成」の一環としてであり、青年期に何を学ぶのかからはずれて、大学合格を自己目的にすることは正当化できません。
いま一つは、大学入試のあり方です。
今年一月のセンター入試は受験者数約五十万人のうち、世界史をうけた者は九万人です。「地理歴史」(世界史、地理、日本史)のなかでみても、世界史は唯一の高校必修科目にもかかわらず、もっとも受験する人数が低い科目として知られています。
なぜそうなのか。少子化のもと、受験生を確保したい大学は、入試科目の「軽量化」に走りました。
国立大の一次試験は、センター入試の地理歴史から一科目だけでよく、二次試験もほぼ同様です。私立大学は、一科目、二科目のみの入試が少なくなく、大半は地理歴史そのものなしですみます。
世界史は試験範囲が広く、勉強時間が長くかかるわりに、センター入試の平均点は高くありません。だから、受験生は自分の入りたい大学に行くため、世界史を「敬遠」するのです。センター入試の制度的欠陥を指摘しないわけにいきません。
現実的な救済策を
生徒に罪はありません。履修不足の生徒たちの救済策は、考えられてしかるべきです。制度のゆがみから生じている問題である以上、政府と教育委員会は、道理ある現実的な救済策を講じるべきです。
根本的な論議も必要です。高校教育の目的は、生徒の「人格の完成」であり、大学合格者数競争で教育をゆがめてはなりません。また、大学入試が高校以下の教育をゆがめていることも問題です。ヨーロッパではある程度の成績を修めれば基本的にどの大学でもいける「資格試験制度」があります。改革が急がれます。
今回の事態は、あらためて競争中心から子どもの人間形成を中心とする教育に転換する必要を浮き彫りにしました。競争教育を強める教育基本法改悪は、この点からも中止すべきです。