2006年10月1日(日)「しんぶん赤旗」
イスラエルのレバノン空爆
癒えぬ傷「今も夢かと…」
子・親族18人失った夫婦
イスラエル軍の三十四日間に及ぶレバノン空爆で、家族や親せきなどを失った人々は、今でも心に傷を残し、癒やされることのない日々を送っています。(ベイルート=松本眞志 写真も)
空爆が集中したベイルート南部のアルシヤ地区は、街の中心からはずれ、地図でみてもその通りの名前の多くが記載されていません。観光客もほとんど訪れることはありません。イスラム教シーア派の教徒が多いこの地域で十八人の親族を失った被害者の家を訪ねました。
声をつまらせ
ベイルート国際空港で勤務するアリ・ロミティさん(50)と妻のオムさん(45)は、イスラエル軍の空爆で亡くなった、長男のモハメドさん(21)、長女のファティマさん(17)、次女のマナルさん(14)の写真を見せてくれました。ロミティさんは「写真はないが、私の母親、兄弟すべて、親せきの大勢が亡くなった」といいます。
二人は喪に服するために黒い衣服を身に着け、見慣れぬ日本人記者を温かく迎えてくれました。しかし、暗く沈んだ表情は取材中消えることはなく、話し中、何度も声をつまらせました。
八月七日午後七時五十分ころ、ロミティさんは建物の二階の部屋で、アザーン(スピーカーで流されるイスラム教の礼拝の呼びかけ)が聞こえるのを待っていました。当時、ひとつの建物に大勢の親族といっしょに暮らしていたのです。
「そのとき突然、子どもたちが走りこんできた。それと同時に、イスラエル軍機が現れて二発のロケット弾を建物に撃ち込んだ」
建物はあっという間に破壊され、ロミティさんとオムさんはがれきの下敷きとなりました。叫び声があがり、子どもたちの助けを求める声が聞こえましたが二人は身動きがとれません。
人々が駆け寄り、ロミティさんとオムさんを助け出し、病院に連れて行きました。オムさんは肋骨(ろっこつ)を三本折るなどの重傷を負いました。
娘のマナルさんとファティマさんも重傷を負い、病院で手術を受けましたがまもなく死亡。息子のフシン君は全身にやけどを負い、片方の腕を骨折しました。
ロミティさんとオムさんは、一瞬にして、家族と親族十八人を失いました。そのなかには妊娠中の女性や四歳の子どもも含まれていました。オムさんは「子どもを三人も失ったことがいまでも信じられない。これは夢だと思うことがある」と目をおさえます。
ロミティさんは「子どもたちが一瞬にしていなくなった。私たちがイスラエルや米国に何をしたというのか?」と問います。
補償ないまま
ロミティさんなどの戦争被害者に対して、政府からの補償はまったくないといいます。新しい家(貸し家)も知人らの助けでやっとのことで見つけ出しました。「住む家を探し出したが、今後、どうしたらいいのかわからない。政府には、家族や家を失った私たちの苦しみ、痛みを知ってほしい、そして助けてほしい」とロミティさんは切実に語ります。