2006年9月26日(火)「しんぶん赤旗」
日本の政治 この異常
行き詰まる日本外交
問われる安倍新政権の歴史認識
日本による侵略戦争を「我国の自存自衛の為」「自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦ひ」(『遊就館図録』)と正当化する靖国神社。小泉純一郎首相の連続参拝は、同神社の歴史観・戦争観にお墨付きを与えるという役割を果たしました。そのことが、日本外交にどれだけ異常な事態を招いているか、安倍新政権でどうなるのか、考えてみます。(藤田健)
小泉政権で長い空白
小泉首相の外国訪問は、五年半の在任期間で歴代トップの四十七カ国に及びました。外務省ホームページで紹介されている公式外国訪問・国際会議出席の一覧には八十回記されています。
しかし、隣国である中国訪問は二回(二〇〇一年十月のAPEC首脳会議が上海開催)、胡錦濤国家主席になってからはまったく実現していません。同国との首脳会談も国際会議の際の「立ち話」を含めても六回。それも〇五年四月以来途絶えたままです。
韓国との首脳会談は、九回(外務省の一覧にない会談含む)ありますが、「シャトル外交」と称していた首脳同士の相互訪問は〇五年六月の小泉首相のソウル訪問が最後となりました。
同年十一月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議では、韓国が主催国だったため、盧武鉉大統領との会談が実現しました。しかし、その席で盧大統領から「小泉総理の靖国参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦ともいうべきものであり、日本が過去に戻るとの懸念を惹起(じゃっき)する」ときびしい口調で迫られたのでした。
相互依存を深める世界で、とりわけ貿易額では中国との輸出入が米国を抜いてトップになるなかで、中国とは約一年半、韓国とも十カ月も首脳会談が開けない事態は異常です。
「日本は外交的に孤立している」。シンガポールのゴー・チョクトン上級相(前首相)がアジア太平洋円卓会議(二月)でこう指摘したほどの日本外交のゆきづまりは、首相の外国訪問の現実に示されているのです。
就任前から危ぐの声
安倍新政権になって、このゆきづまりが打開されるのか。カギを握るのは歴史認識問題です。
「日本の次期首相に対する私のメッセージは非常にシンプルだ。戦争犯罪人たちに敬意を表することは道徳的に破たんしており、日本のような偉大な国にとって恥ずべきことである。この慣習は終わるべきである」
自民党が安倍晋三官房長官を総裁に選出する一週間前、米下院外交委員会で開かれた公聴会での米民主党議員の発言です。首相就任前から、その歴史観への危ぐが公然と示されるのは異例のことです。欧州やアジア諸国のマスメディアも相次いで安倍氏の認識を警戒する記事を掲載しました。
こうした事態を招いたのは、安倍氏の総裁選での態度でした。谷垣禎一財務相が「中国との関係でいうと、侵略戦争であったことははっきりしている」とのべたのにたいし、安倍氏は「個々の歴史の事実の分析は歴史家にまかせるべきだ」とのべ、「侵略」という認識さえ示しませんでした。日本の「植民地支配と侵略」について「おわびと反省」を表明した村山首相談話(一九九五年)についても踏襲を明言しませんでした。
「侵略」の基準は明確
安倍氏の本音が「日本の戦争を侵略戦争といいたくない」というところにあるのは明白です。
安倍氏はその本音を隠すため、日本の戦争への認識を問われると「侵略をどう定義づけるか、学問的には確定していない」(二月十六日衆院予算委)などと言い逃れようとしてきました。
しかし、日本共産党の不破哲三前議長が本紙連載(「日本の戦争―領土拡張主義の歴史」)十三日付で指摘したように、「その戦争が侵略戦争であったかどうかでいちばん大事なことは、それが、自国の領土拡張や他国の支配をめざした戦争だったかどうか」です。
「歴史は国によって違う」のではなく、侵略かどうかは客観的な基準が存在するのです。
この点で、日本の過去の戦争が侵略戦争であったことは、中国東北部の占領支配から中南部の割譲要求など、政府と軍部の文書をみれば明らかです。
しかも、日本、ドイツ、イタリアによって引き起こされた第二次世界大戦が不正不義の侵略戦争であったことは、国際的に確定されたことであり、戦後国際社会の原点です。これを否定することは、国連安保理の常任理事国になるどころか、国際社会の一員としての資格さえ問われます。
ドイツの有力週刊誌『シュピーゲル』九月四日号が、安倍氏について「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に関してまるで再検討や解明の必要があるかのように、『専門家』に研究させたいとのべるイランのアハマディネジャド大統領に似ている」と批評したように、日本の侵略戦争も「検討や解明の必要」などありません。
あいまいで済まない
問題は、安倍氏が首相として、どのような認識を示すかです。
安倍氏は靖国神社を参拝するか、したかどうか明言しないとのべています。歴史認識同様、自らの態度をあいまいにしています。
しかし、「(総裁選では)“あいまい戦略”で、争点化を避けたのだろうが、首相になってそれでは済まされない」(「読売」二十一日付社説)と指摘されているとおりです。
二十六日からの臨時国会で、安倍氏が首相に指名されれば、早速その認識が論戦の場で問われることになります。
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