2006年9月21日(木)「しんぶん赤旗」

ニセ「左翼」への「泳がせ政策」とは?


 〈問い〉 先日の本欄で、中核・革マルなどの暴力集団が「反共宣伝に利用されてきた」ことや、「反共右翼や警察などからこうした集団に資金が提供されてきた」ことが書かれていました。どんなことがあったのか具体的事実を教えてください。(名古屋・一読者)

 〈答え〉政府が、暴力集団を放置する「泳がせ政策」をとってきたことは、彼らがおこなってきた犯罪行為に対する検挙率の異常な低さを見れば歴然としています。

 たとえば、1975年から83年までの9年間に、45件の「内ゲバ」殺人事件がおき59人が死亡していますが、わずか6件しか検挙されていません。こうした事件の都度、犯行声明や彼らの機関紙の記事などで「戦果」を誇っているのですから、その気になりさえすれば検挙は容易なはずです。

 67年に羽田空港付近で暴力学生のデモ隊が警官隊と衝突し死者が出た事件で、当時の木村官房長官は、「羽田事件の対策には強硬な対策をとらないことにした。日共対策上そうしたほうがいいからだ」(67年10月8日)と述べました。後に首相となった中曽根康弘氏の「彼らの暴走が、反射的に市民層を反対にまわし、自民党支持につながる作用を果たしている」(69年5月3日付朝日新聞)という発言に、そのねらいが表れています。

 60年の安保闘争のさなか、国会請願デモの学生数千人が国会構内になだれ込むという事件があり、警官隊の弾圧によって女子学生が死亡しました。この国会突入は、職業的反共右翼の田中清玄の指導のもとで唐牛健太郎、東原吉伸ら当時の全学連指導部を占拠したニセ「左翼」暴力集団のおこなった意図的挑発でした。この事実は、63年2月26日のTBSラジオ報道番組「ゆがんだ青春――全学連闘士その後」や東原の手記などであきらかにされました。番組では、田中清玄から5百万円にのぼる資金援助をうけ、小倉警視総監、三井脩公安一課長などと接触して戦術指導までうけていたことを告白しています。

 また、68年のある事件の公判で、後に警察庁長官となった警視庁の山本鎮彦公安部長は、「(情報収集のために謝礼を渡したことは)公安警察として当然のことだ。これは、アナーキストだけにとどまらず極左暴力集団に対しても同じである」と証言し、暴力集団への資金提供を正当化しています。(哲)〔2006・9・21(木)〕


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