2006年9月16日(土)「しんぶん赤旗」
主張
集団的自衛権
解釈改憲で戦争の道急ぐ危険
自民党総裁選候補の安倍晋三官房長官が、自衛隊が米軍を守るために集団的自衛権の行使を認める発言をくりかえしています。
歴代政府の「憲法上許されない」との見解を無視し、安倍氏が明文改憲の前にも解釈次第で集団的自衛権を行使できるよう主張するのは、アメリカの先制攻撃戦略をささえるためにすぐにでも海外で武力行使できるようにしたいからです。日本が武力攻撃も受けないのに米軍を守り軍事介入するのは、戦争放棄の国民合意に真っ向から反します。
すすんで軍事介入
安倍氏が外交政策で売りにしているのが日米同盟関係の「双務性の確保」です。集団的自衛権の行使をめざすのもそのためです。
安倍氏は著書『美しい国へ』で、日本が攻撃もされていない「周辺事態」を事例にし、米軍の兵士が敵から攻撃を受けたら自衛隊はその場にいても立ち去らなければならないと不満を表明しています。
「周辺事態」とは日本が攻撃を受けているわけでもない事態でのアメリカの戦争です。日本がアメリカの交戦国から攻撃されていないのに自衛権を行使できません。たとえその場に自衛隊がいても、戦闘に巻き込まれそうになったら離脱するのは当然です。集団的自衛権行使の議論をもてあそび、軍事介入の道にすすむなどとんでもありません。
「周辺事態」のさい自衛隊が米軍を後方支援すること自体が憲法違反です。安倍氏がいうように、武力を行使して米軍を支援するなどというのは、それこそ憲法九条を真正面からふみにじるものです。
たとえば米国艦船を守るため、攻撃も受けていないのに自衛隊が米軍の交戦相手を攻撃すれば、日本がすすんで戦争をしかけることになります。安倍氏のように解釈改憲でこんな危険なことができるようにいうのは亡国の議論としかいいようがありません。
安倍氏の憲法解釈はあまりにも強引です。国会でも、政府見解(一九八一年政府答弁書)で自衛権行使は「必要最小限度の範囲にとどまるべき」としていることを、「数量的概念であって絶対にだめだといっているわけではない」「できる集団的自衛権の行使がある」といっています。「地球の裏側はだめ」だが、それ以外では可能というのです。
しかし、こんな議論が通用するわけはありません。内閣法制局長官から、集団的自衛権の行使が禁止されているのは自衛権行使の第一要件である「わが国への武力攻撃が発生したことを満たしていない」からであって、「数量的な概念を示したものではない」と一蹴(いっしゅう)されています(二〇〇四年一月二十六日衆院予算委員会)。
対米忠誠心の誇示
いまブッシュ政権はイラク戦争で同盟国からも見放され孤立を深めており、日本に憲法改定と英軍並みの協力を急ぐよう求めています。憲法九条を変えない限り不可能な集団的自衛権の行使を、安倍氏が解釈の変更でごり押ししようとするのは対米忠誠心を誇示し、歓心を買うためであることは明白です。
しかも安倍氏やアメリカのねらいは、解釈の変更にとどまらず、憲法を明文改定し、制約のない武力行使に道を開くことにあります。
安倍氏の乱暴な論法で日本を「戦争をする国」に変えさせるわけにはいきません。解釈改憲も明文改定も許さず、九条を守り世界に生かすことが重要です。